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ようこそ、足さない、急がない、装わない、私はもうある、しょうこのわんままラジオへ。
このラジオでは、考えすぎる頭が静かになったり、焦る気持ちが落ち着く、そんなラジオです。
私はもうある、足さない、急がない、装わない、それでも人生は美しく育つ、というテーマに発信しています。
みなさんこんにちは。本日は、旦那に、あ、みなさんもこれ聞いて、「お?」と思うかもしれませんが、
旦那に期待することをやめた話、というテーマで話をしてみたいと思います。
このテーマを聞くと、言い方の問題もあるかもしれないんですが、
あ、諦めているのかな、とか、夫婦関係に疲れた話なのかな、って思われる方もいるかもしれませんが、
今日の話は、諦めでも夫婦関係に疲れたわけでもありません。
期待をやめたことから、見えてきたことをお話したいと思います。
旦那さんのご家庭はどうですか?旦那さんはどういうふうに、どんな時間に帰ってきますか?お仕事終わり。
私の場合は、月曜日から金曜日、平日は、大体夕方6時前後に帰宅してくれます。
その時間は、大体息子と一緒にご飯を食べていたり、
または、お風呂と夕飯の順番が逆になってしまったら、ご飯を作っていたりだとか、家事・育児の真っ最中の時間ですよね。
全て夕飯が終わった後の話なんですけれど、心のどこかで、今日こそ旦那、皿洗いしてくれるかな?とか思ってしまったんですね。
ちょっと私も、お皿を洗っている時間があれば、本を一緒に読みたいし、一緒に息子と遊んで、
少しでも早くベッドに行きたいなと思っているので、自分の中で優先順位は、お皿洗いは低いんですよね。
なので、大体ご飯を食べた後は、あまり手を付けずに、すぐ違うことをやり始めてしまいます。
旦那も帰ってきて、ご飯を済ませて、パソコンを見ているんですよね。
YouTubeを見たりだとか、スマホを見てたりだとか、また今日も同じか?なんて。
かといって、私も旦那に対して、お皿を洗ってよなんて言わないんですよね。
先日のラジオでも伝えましたけど、採点をしている自分がいたという。
今日もやってくれなかったらダメだ、みたいな。
夜、自分が今日は疲れたな、なんて、今日も疲れたわ一日、なんて思うのは、少し旦那のせいにしちゃったりするんですよね。
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旦那があそこでお皿洗いをしてくれたら、私はこの寝かしつけが終わった後、夜な夜なお皿を片付けることはないのに、とか。
せめてそれぐらいしてくれてもいいのにな、とか。
相手が変わってくれれば、私が楽になれる、なんて信じてたんだよな、なんて思いました。
どうです?皆さん似たような場面ありませんか?
旦那がもっと手伝ってくれれば、とか、もっと気を使ってくれれば、
もっと子供と遊んでくれれば、とか、もっと話を聞いてくれればな、なんて。
私はもっと楽になれるんじゃないか、とかさ。
この思考はすごく自然だと思いますし、気持ちとしてはめちゃめちゃよくわかります。
私も絶賛、今そういった気持ちを持って、平日の夜は過ごしていることが多かったので。
でも、冷静に考えると、これも自分の楽とか幸せっていうのは、相手の行動次第にしているんですよね。
相手が、旦那が変わらない限り、私は永遠に不満な気持ちを持ったまま、ということにもなってしまいますよね。
なので、この他者への期待。
一見、相手のことを信頼しているからこそ、お皿洗いをしてくれる、だとか、
信頼してくれるからこそ、少し育児で頑張っているパートナーを見て、
自分がやれることをやってみようかな、なんて腰を上げてくれるのを信頼している、とかね。
それほど期待っていう言葉を、相手の信頼があるゆえにしている。
そうなんですけど、実は自分が動く必要はない、相手が動くのを待っているっていう状態にも見えますよね。
その期待をしている時っていうのは、自分じゃなくて、自分が動かず、相手が動くのをただ待っている状態。
旦那が変わるのを待っている間、その間って私の時間って何だか止まったままに感じたんですよね。
そう、ちょっと怖くなりました。
その旦那が変わってくれればって、その変わるのを待ちながら、ただただ待ちながら私は過ごしていたんだと思うと、ちょっと怖くなったんですよね。
あの人がこうしてくれればっていうこういった思考のパターンって、無意識にもうどこかに染み付いていないかな、なんて思ったんです。
相手が旦那だけじゃなく、親かもしれないし、友人かもしれないし、職場の誰かかもしれない。
あの人がこうしてくれればなーなんて、結構無意識に思ってしまっているようなことではないでしょうか。
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じゃあその期待を止めるってどういうことかと自分なりに思いました。
これを期待を止めるって、その簡単に旦那に何も求めない、居ないように、居るんだけれども居ないように接するとか、そういうことじゃないと思うんです。
し、この人は変わらないからもう何言っても無駄だという諦めでもなく、私が思うこの期待を止めるというのは、
矢印をちょっと自分に向けて、その旦那が変わること、相手が変わることを前提として、
その自分がもっと楽になるのにとか、そういった気持ちを持っていく設計を止めようかなと思いました。
というのも、自分がその楽になればだとか、自分がもっとこうしたいとか、自分が変えられるのは、
自分の行動ももちろんですし、自分の捉え方、解釈の仕方だけですよね。
だからこのお皿洗いをやって欲しいなら、やって欲しいというのは、やっぱりそういった行動を取らなければ、自分がもっと楽にはならないし。
でもね、心のどこかで、私は今育休中だから、働いている旦那にそんなことを伝えるのも申し訳ないなぁなんて思って、
伝えられないっていう行動を選んでいる。だけれども、矛盾してますよね。
だけれども、ちょっとぐらい手伝ってくれてもいいのになんて。
でも結局そのお皿を洗ってくださいっていう、伝えるっていう行動を取らなかったっていう選択は自分がしたわけですし、
だからこの自分がもっと楽になる、もっと楽したかったのになぁっていうのは、その言わなかった自分の行動の結果であるわけですよね。
そして、もし仮に行ったとしても動かないなら、仕組みを変えるだとか、頼む人を変えるだとか、
ヘルパーさん、家事代行の方を月一で頼むだとか、自分がやるにしても、じゃあその代わりに他のことを旦那に頼もうだとか。
ここで私がその期待をやめるっていうので一番思ったのは、さしてくれちゃんですよね。
さしてくれるはずだ、という期待の上に、勝手に自分が相手にした期待ですよね。
さしてくれる。その期待に対して相手がそれをしてくれなかった。だから私が疲れてる。
だから私がイライラしてる。こういった積み上げの気持ちを積み上げていくのはやめようと思いました。
なので、その旦那に申し訳ないなとは思ったんですけれども、やっぱり言葉で伝えることが一番だなと思い、私はそれを選択しました。
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さしてよ、じゃなくて、今日お皿洗いをお願いしたいなとか、ちょっと今日疲れちゃってるからお皿ここだけの分だけ洗っといてくれる?だとか、週に一回だけでいい?とか。
旦那の反応はですね、意外と、え、いいよって。機嫌が良かったのかな?わからないけれど。
俺も一人暮らししてたし、できるよ家事ぐらいって言ってくれたんですよ。
言われた時に素直にありがとうって言えばいいものの、私の中ではありがとうって伝えたんですけど、こじらせてた気持ちがあって。
あなたがさせてくれないから、この数日間、何なら数ヶ月、お皿洗いしてよってずっと思ってたのに、何その反応は?って。
ちょっとこう、あれ?って思っちゃったんですけれども。
そこも旦那に対しておいって思ってしまった部分もあるんですが、それよりも大きかったのは自分の中の変化でした。
旦那が変わるかどうかを気にするより、相手が変わってくれるっていうのを気にするよりかは、
自分がどう伝えたらいいかとか、自分がこうしたいからこうしよう。
少し手伝ってほしいから、お皿を洗ってほしいって伝える。
それの方が、やっぱし私にとってはいいんだ。
そういうふうに考え始めた行動をとると、なんだか、少し心が軽くなったような気がしました。
なんでかな?と思うと、その心に溜まっていたものって、きっと旦那、相手を変えることだけにさせてよとかね、
相手が変わってくれるだろうっていう期待だとか、そういった使っていたエネルギーを自分に戻したんですよね。
自分が行動しよう。そういった自分に向けたら動けるものもあったし、実際に動いてお皿洗いもしてくれたっていう事実があり、
私も少し楽をさせてもらった。そんなことがありました。
誰かが変わるのを待っている間っていうのは、結局自分の人生もなんだか止まっているなって思ったんですよね。
毎日毎日させてよ、させてよ、変わるの期待してるよって待ってるだけだと、結局私もずっと辛いままだし止まっているなって。
だから動かせるのは自分だけだなって思いました。
いかがだったでしょうか?皆さんも誰かが変わってくれることで、これが解決するのに解決させようとしていることってありますか?
もしあればコメント等で教えていただけると嬉しいです。
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今日も最後まで聞いていただきありがとうございました。それでは。