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#130 子どもは幸せそう。じゃあ、ママは?
2026-03-23 11:19

#130 子どもは幸せそう。じゃあ、ママは?

足さない 急がない 装わない
新しいワーママ人生
「私は、もう在る。」
〜しょうこのワーママラジオ〜

このラジオでは・・・

考えすぎる頭が、静かになる
焦る気持ちが、落ち着く

そんなラジオです!

「私は、もう在る」

足さない。急がない。装わない
それでも、人生は美しく育つ

ワーママの、新しい生き方がここに

「私は、もう在る。」
〜しょうこのワーママラジオ〜

#ワーママ
#子育て
#子育てママ
#やりたいこと
#自分の人生を生きる
#ライフスタイル
#こころを整える
#シンプルライフ
#自分らしく生きる
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00:04
ようこそ、足さない、急がない、装わない、私はもうある、しょうこのわあままラジオへ。
このラジオでは、考えすぎる頭が静かになる、焦る気持ちが落ち着く、そんなラジオです。
私はもうある、足さない、急がない、装わない、それでも人生は美しく育つ、おテーマに反省しています。
こんにちは。今日のテーマは、子どもの幸せと、ママである私の幸せは別の話だ、というので、お話ししてみたいと思います。
先日、ママになっても私は消えていない、というお話をしました。
ママになった私というのが、今までの私の中に増えただけだよ、というようなお話だったんですけど、それもぜひ聞いてみてください。
今日はその続きで、じゃあその増えた私をどう扱うのか、というところをお話ししたいなと思います。
最近思うことがあって、子どものために、という2人目が生まれて、まだ2ヶ月なんですけど、子どものために、息子のために、という言葉が頭の中に浮かぶようになっていて、
一見すごくいい言葉なんだけれども、やっぱりちょっと怖いなって思い始めたのがきっかけです。
皆さんも多分無意識にやっていると思うんですけれども、息子のためにこれをやることをやめようとか、息子のためにこれを我慢しようだとか、
自分の好きなこともそうだし、息子が今いるから、ジム行ってたけどそれはやめようかなとか、
息子はまだチョコレートを食べさせていないから、私もチョコのケーキ食べるのやめようとか、お菓子食べるのやめよう、我慢するとか、
でもこれをよく考えると、優しさというより、優しさももちろんあると思うんですけど、何だかちょっとそれを自分の中でもっと細かく考えてみたんですね。
そしたらその優しさだけではなくて、何だか少し取引に近いような気がしました。
私はやってしまっていると思いました。皆さんがそうとは限らないけれども、私はやってたなと思ったので、ちょっとシェアしたいと思います。
優しさだけではなくて取引に近いものをやっていたなと、どういうことかというと、
私は我慢しているんだから、君は幸せでいてねとか、私はこれだけやっているし、君のためにやっている。
だから、あなたはちゃんとやっていってねとか、きっとそんな無意識のうちに無言の圧を渡していた気がします。
03:02
いかがでしょう。私は我慢しているんだから、あなたはちゃんと育ってね。
でもそのちゃんとって、育つってどういうことだろうなぁなんて、そう思ったんですよね。
子供がいるのに、何だかずっと楽しそうに、自分のことばっかり楽しんでいるママを見ると、ママでいると、どこか申し訳ないだとか、
自分だけ楽しい思いをするというのにブレーキがかかる。
これって、優しいからじゃなくて、子供の状態イコール、自分の価値になっているんじゃないですか。
すいません、今息子を抱っこしながらやっているから、収録しているので、息子の声が入るかもしれないですけど、気になさらず。
ちょっと今、腕の中で寝ているんですけれども。
ママの優しさ、子供に対しての思いっていうのは、優しくしているから、子供がそういう状態になった。
それで、ママが乱されていた。
でもそれって、子供の状態が私の価値だったりだとか、そういうことにイコールされていないかなって思ったんですよね。
きっとそんな感覚、皆さんあるんじゃないでしょうか。
例えば、保育園、息子行っているんですけど、風邪もひかずに元気に毎日行っていると。
そういった状態が、ママである私がちゃんとママをやっているからだなんて、そういった価値に無意識のうちに紐づかれていないかななんて思ったんですよね。
でも本当はその優しさっていうのは、もちろん優しさもあって大事にしているから、大切に。
毎日毎日大切に思って息子と過ごしているから、息子も毎日元気に過ごしているわけであって、それで結果、保育園に行けているっていう事実があるだけ。
だからそこに対して自分のママとしての価値を紐づけるっていうのはちょっと違うと思うんですよね。
子どもがそうやって元気にだとか幸せに過ごしているのと、ママである私がそれで元気、幸せっていうのは繋がっているようだけど別の話だなと思うし、無理に繋げようとするとお互い苦しくなると思うんですね。
子どもが笑っている時だけ安心する。子どもがうまくいっている時だけ私も大丈夫になってね。
もちろん笑っている時自分もほっこりするしあると思うんですけど、ただその構造で見ていくと子どもにママである自分の安定した状態、これを子どもに全て預けている乗っかっている状態なんじゃないかなって。
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だから子どもが崩れると自分も一緒に崩れる。
もし風邪をひいて保育園に行けなくなってしまったら、ママとして何かミスをしてしまったんじゃないかなとか、自分も一緒に崩れてしまう。
でもこれって子どもからしたら結構きついことなんではないかなと思ったんです。
自分が泣いたらママが不安定になるし、自分がうまくいかなかったら機嫌が落ちる。
自分がうまくご飯を食べれないからママが不機嫌になってしまう。機嫌が落ち込んでしまう。
自分がうまく何かができていないからママも一緒になんだか不安定になってしまう。
それを感じてしまった瞬間に子どもは頑張っていい状態でいようとしますよね。
だってママのこと大好きですしね。
私も幼い頃に母が忙しそうにしている姿を見ると、話しかけるのを今やめようかなとか、
何食べたいって言っても何でもいいよ、ママが作りやすいものでいいよって言ってみたりだとか、
主語を私がではなくてママが考えてとか、ママがいいように考えて私にいいよって、
ママがいいようにやってくれていいよっていうようなことを言っていたような気がするんですよね。
当時の私はそうやって思い返すと、当時の私はそうやってたと思うんだけれども、
母親からしたら普通のわがままが必死放題だったよなんて言うかもしれませんけど、
でもそういった記憶があるから、やっぱり今も人の顔色を伺うだとか、人の様子を感じ取ってしまうとか、
そういった癖は大人になっても抜けないし、言葉選びだとかも一つもそうですし、
そういったものが何だか昔の記憶とリンクしているところがあるなって自分では感じます。
皆さんもそういったのあると思うんですよね。
だから子どもっていうのはそういった母親の状態をよく見ているし、
それで自分をいい状態に、ママのために自分をいい状態に持っていくっていうのは少し違うかなと思ったんですね。
子どもからしても多分ストレスが強いと思う。
だから私はこれからは、今最近思考の癖が生まれたばかりの赤ちゃんのために私はこれをしないだとか、
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そういったことをするんだけれども、ちょっと思考の癖を、
私の幸せは私の仕事であるべきだと子どもと分けようと思ったんです。
具体的にはこの行動もそうですけど、この思考の癖ですかね。
赤ちゃんのために、あなたのために、息子のためにっていうのではなくて、
私が夜ちょっと夜更かしをしてドラマを見たいからテレビを今日見ると、
私が友人と会いたいから今日は子どもを旦那に預けて遊びに行く。
その理由をちゃんと私がしたいからっていうところに戻そうって思いました。
ただそれだけなんですけれども。
でもそういったことをすると、やっぱり私が幸せでいることっていうのは、
もちろんわがままではないし、子どものためでもないじゃないですか。
子どものために自分が幸せになるわけでもないし、
子どもが幸せでいることで私が幸せになるっていうのは、
すべてをひも付け、一つ一つの行動にひも付けていくのは違うと思うので。
ただただ私が私として満たされていることっていう、
それが結果的に心が軽くなったりってよく言ったりだとか、
余白ができる、そういったいろんなものを軽くしていくものの一歩になるんじゃないかなって感じました。
はい、いかがだったでしょう?
皆さん、あなたが最後に誰のためでもなく自分のために何かを選んだことはありますか?
あった場合、それはいつだったでしょうか?
意外に最近そういったことをしていなかった方であれば、
今日一つだけ自分が好きなことを自分がしたいからするっていうところで考えてみるのもいいかもしれません。
今日も最後まで聞いていただきありがとうございました。
それでは。
11:19

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