ありますね。
まあ正直映像流さずに音声だけでも聞けるから、目と耳のYouTubeと耳だけのポッドキャストっていう対比ももうすでにちょっと弱まってて。
確かに。
音声コンテンツとしてYouTubeも入ってるし、ポッドキャストも入ってるしみたいなとこで。
そう。
いやー厳しいね。
厳しい。
厳しいっすね。厳しいっすね本当。
と言いつつね、自然資本のリスナーさんがちゃんと1本あげれば少し増えるみたいなのをずっと続けてるから。
ありがとうございます。
ありがとうございますです。
どうですか?なんか聞いてますよって声かけてもらうこととか。
この間ね、あった。
新潟。
新潟で。
そう、新潟のこの間野草の勉強会みたいな山梨で三ッ星レストランとかのシェフに卸したりもされてる土コロビさんっていう。
鶴岡さんっていう女性の方が講師でワークショップみたいなものが開かれて。
柏崎っていう新潟県に沿いのエリアで開かれたんですけど。
そこが自然公園みたいな施設でやってたんですけど。
受付行ったら、受付なかったら、あれなんかやってますよねみたいなこと言われて。
って声かけられました。
嬉しいですね。
嬉しい。
すごい嬉しかった。話に弾んじゃったもんね。
なるほどね。
そっかそっか。
そうですね。
そういう聞いてくれてるんだったらこの文脈で話せるなみたいなのは確かにあるか。
うん。
どういう人かってなんとなくわかるじゃないですか。
僕たちの番組聞いてくれているということはみたいな。
なるほど。
自然を愛する高橋と奥高に対して。
あなたもそういう方ですよっていうところは大体確信が持てるんで。
そういう意味ではもちろん話。
その時は特に待ち時間も結構あったから、受付しながらずっと喋るみたいな感じだったんですけど。
でも嬉しいですよね。
そうやって声かけてくださることがあると。
そうですね。確かに。
やっぱそうだな。
僕もたまにお声掛けいただいたりとか聞いてますよっていうので、
すごいそれがやる気になるね。
なるね。
いるんだ本当にっていうのはあるけど。
そうなんですよ。
なんでこのポッドキャスト大戦国時代みたいな。
でも最初始めた時はやっぱり、でも2022年ですか僕ら始めたのは。
多分そうですね。
そうですね。
2022年時点ではまだそんなに周りでやってる人って多くなかったぐらいのタイミングですもんね。
多分なんかボイシーとかがちょっと流行り始めたりしてて、
ポッドキャストもみんな始めたいよねみたいな感じの雰囲気は多分あったけど、
多分始めてる人が少なかったって感じじゃないかな。
まあそうか。困難だったしね、すごく。
そうですね。
そうですね。ボイシーもありますもんね。
そう、ボイシーの方とか全然もはや分かってないけど。
なんかFM、スタンドFMでしたっけとか。
そうですね、ありますね。
結構音声アプリいっぱいあるんだよな。
そう、いっぱいある。
いかがですか皆さんっていうのは。
どうしたらいいんですか我々はっていうのはね。
農業、林業やってる人たちは聞く時間めっちゃあるから聞きまくってるみたいな。
結構現場に行きながら。
そうですね。林業も道作るときとかの重機の中が割と効いてるっていうね。
ですね。
そうそう。
とかがあるからね。
仕事しながら聞ける人たちは結構聞いてる。
たくさん聞いてる方も多いかもしれないけど。
普通に会社務でっていう風になるとね。
頭こんがらがっちゃうもん。絶対無理僕は。
いや無理だよね。
なんか聞きながら書くとかさ、難しいじゃないですか。
それは難しいですね。
でも最初もやっぱりポッドキャストいいなっていうのは、
再生数とか出ないし、いいね数みたいなのも大して出ないし。
そういう外部評価にあんまり晒されないっていうのがすごい良さだなと思ってて。
いやーそうです確かに。
数字も本当に別に頑張ってみようと思ったら見れるけど、
なんかそのダッシュボードみたいなとこ行って見ないと見れないから。
普段別にね。
そうね。ややめんどくさいもんね。
たまにスポーティファイのやつは、
僕エラーで全く見れない時期とかあったんですよ。
管理画面に入れない。
ずっとあれ入れないな、白くなったまんまだなみたいな状態だったりして。
気にせず。
ここ最近めっちゃ増えてきたから大丈夫かなと思うんですけど、
やっぱり気にせずに僕たちが楽しいのでやるということを大事にしないといけないなっていうのは感じますね。
そうですね。なんか通信意識しすぎたら急に続けられなくなりそうだし、
喋る内容っていうか、コンテンツの作り方みたいなのがすごい外向きになりすぎちゃいそうな気がする。
なるほど。じゃあもうちょい内向きにしていこうぜっていう。
でもそれが大事な気がするな、今。
下手したら伝わらなくてもいいんじゃねえかっていう内容も別にあってもいいと思うしね。
いいと思う、めっちゃ。
そうですよ。そういう意味では最近どんな感じで過ごしてるんですか?
最近高橋さんのはどんな感じなんですか、今は。
今は?
今、新潟?新潟で。
今、新潟ですね。最近は朝結構散歩してます。
いいな。
さっきちょっと野草の話も出したけど、植物の童貞というか、野草も自分で使おうみたいなのをできるようになりたいなって思って、
野草を食ったりして始めてるっていうのがあって。
いいじゃないですか。
外行ってまず植物の葉っぱとか、実が付いたり花が付いてたら調べやすいから一番いいんですけど。
それ見て、よく言われる雑草っていうか道端に生えてる植物って雑多すぎて何だか全然わかんないじゃないですか。
それを今月?5月の中旬ぐらいから6月の中旬ぐらいで60種ぐらい童貞してたんですよね。
道端歩いててもだいたいの植物がだんだんわかるようになってきて。
すごいっすね。
食える植物を見つけたら、調理の方法を調べて、大体食えたりするんだけど。
大体食えるんだ。
まあまあ食えるものが多いなっていうのは分かって、うまいかまずいか別として。
でもそれで食べてみるみたいなのを結構チャレンジ。
たまにお腹壊したりするんだけど。
え、そうなの?
それはね、道端すぎてよくない場所で採取しちゃったっていうのもあるかもしれないけど。
お腹壊すって結構怖いよね。
それはね、僕お腹弱めたから、たまに壊したのか。
因果関係が。
因果関係がよく分かる。
成分強すぎ問題で。
確かにね。
海の中というか、川?
そうそう、川と海の合流地点に。
木がいっぱい生えて、しかも根っこみたいなのが見えてるみたいなのは、
光景としてめっちゃ不思議ですよね。
めっちゃ不思議。
だからこそ、いろんな生き物がそこに共存しているみたいな話もあると思うんですけど。
それはちょっとこれから記事になっていくんで、ぜひ読んでもらえたらなと思いつつ。
京都に行って、ものづくりについてもうちょい考えようぜみたいなのを。
というか、大和はメンバーで視察行ったりとかしてたんですけど。
なので、6月って例年そんなに忙しくない説があるんですけど。
そうですよね。いつもだいたい秋口ぐらいが忙しいっていう。
秋からヤバいって感じなんですけど。
今年はもう今年度の企画類も6月中にある程度方向を決めなきゃみたいなやつが結構あって。
まあ超バタバタとして時間がないんですけど。
その中で1個紹介というかおすすめしたいのがあって。
森道市場に出展してたんですけど。
その中で上映会があって、ミルクの中のイワナっていうドキュメンタリー映画があって。
トラウト・イン・ザ・ミルクっていうイワナの環境を守ろうとしている人たちをインタビューしながら追いかけていくみたいな。
番組ドキュメンタリーなんですけど。
それが何て言うんだろうな。
死を残すことの意義みたいなのをすごい真摯に感じられるというか。
イワナって本当僕もそんなに詳しくなかったですけど。
めちゃくちゃ種類がいてみたいな話から。
そうなんですよ。
全然そんなイメージ。イワナはイワナっていう捉え方でしかない。
脊椎動物の中で最も多様な種であるっていう論文があるぐらい。
魚類の中でも多様な生き物なんだっていう話なんですけど。
種類が多い。
種類もそうですね。原種は残ってないけど。
分化していっている。
分化していっているんですが。
そこでヤマトイワナとかニコイワナとかアメマスとかいろいろ地方によって残っている。
ただそれが結構面白くて。
ダムができることで海と川の隔たりができて。
そこにダムだけじゃないですけど。
海との往来がなくなった中で原種として生きてきた種があったりとかするっていうので。
なんかすごい一番いいなというか。
それは是非見てみてもらった方がいいんですけど。
ただその森田健太郎先生っていう東大の先生が主役級で出てくるんですけど。
その先生のイワナに対する愛情とか改造度がめちゃくちゃ良くて。
例えば種を保存するって言った時に。
じゃあ最悪水槽に入れて種を残していくってことはできるんじゃないかみたいな議論とかがある中で。
そういう話ではなくて自分たちはイワナという種の生き様を残していきたいのですっていう話をしてくれるんですけど。
その言葉がものすごくいろんなことに対する回答としてめっちゃいいなというか。
確かにね。その環境も含めてっていうことだもんね。
だからその生き物が本来本能的に持ってる感情とか感覚みたいなのを失う状態。
それを取っちゃってとりあえず種として生きながらいているっていうのは果たして本当に健全なんだろうかみたいなことに対する。
イワナがイワナらしく生きるっていうことを残すことに自分たちの責任があるんじゃないのかみたいなことをめちゃくちゃ優しい語りで言ってくれるんですけど。
本当そうだよね。追族感がどうとかっていうつもりは全くないんだけどさ。
本当の姿はそこで見れているのかしらっていうところって結構疑問がありますよね。
環境に対して結局動物も植物も適応できるものだと思うので。
置かれた環境での過ごし方って恐らく変わっちゃうというか。
本来自然の中で過ごす生活スタイルと追族感みたいな囲われてしまった場所で見る姿っていうのが全然本当の姿とはちょっと違ってくるものも出てくる可能性はきっとあるだろうって思ったりはするので。
その東大の先生が言っていることは本当にめちゃくちゃすごい良い。
それも本当にどうして僕らがその環境みたいなものを維持していきたいのかみたいなことの一つの回答でもあると思うし。
それだけじゃなくてじゃあ僕らの生き様って何なんだっけみたいなのをやっぱり思い出したいなっていう気持ちもあるじゃないですか。
いやそうですよね本当に。
環境にめっちゃ左右されるから、特に人間の思考みたいな考えは。
そうですね。
だからこれが自分の生き様であるっていうのは言えると思うんですけど、でもたまには疑った方がいいみたいなのはちょっと思ったりするよね。
いや本当そうだよね。
言える?みんな言えるのかな?
これが自分の生き様であるんだよってね。
なんかすごい、やっぱり環境に左右されるっていうふうな話もしてくれたと思うんですけど。
外に自分が生まれて育っていく家庭にいる関わってくれる外の人たちとか学校とか、そういうものって最初自分の選択ができないじゃないですか、子供だったって。
そうなってきた時に、勝手にその方向性というか別に意図せずいろんなものがインプットされていく、その周りの人たちによって。
っていうことを考えた時に、社会人とかになるまで、大学生くらいから結構選択はできるっちゃできると思うんだけど。
そこまでって結構どうしてもレールが敷かれてしまう。
敷かれてるって言うとちょっと変かもしれないんだけど、その生まれた環境だったりとかによってだいぶそこの人生が変わってくると思うし。
それが自分の生き様って言えるものは結局その外の要因にかなり左右されていると思うんですよ。
だからなんかそれを生き様というのってどこのタイミングで。
なるほどねー。
自我じゃないんだけど、何か気づいてないことが多すぎる。
僕らもめちゃくちゃ知らないこと多いんですけど、全てを知った上で自分ってこういう人間っていう風に語れるわけじゃないから。
なんかそれが結構、どこでそれって気づくのかなみたいな。
どうしたら気づけるのかなっていうのが。
いやーそうですねー。
すごいいつも環境によって、僕だって別にずっと食品メーカーにいようと思ったら何も別に疑問に思わなかったらずっといただろうし。
うんうんうん。
だからたまたまやっぱね、出来事があるから何かに気づくみたいなことって。
しかもショッキングなことがあればあるほどきっと、それがね、そこですごい大きな疑問を持ったりするっていうことはあるし。
なんかこっち側、こっち側って言うと変かもしれない。
恥ずかしい。