1. アポカリ
  2. EP02|消費者と実存(後編)
2025-05-16 55:39

EP02|消費者と実存(後編)

spotify

反エリート・反エスタブリッシュメント/”場”を乱すものはパージされる/自己批判としてのエリーティズム/エッグ矢沢のブロック方針/アイツと関わったらパージされるタコ壺/粗品のオーガナイズ能力/君主制コミュニティと自立分散型コミュニティ/誰に支持されているかの基準/他人にラベルを張り替えられるリスク/オオカミとフクロオオカミの差異/資格を剥奪された人々によるサンクション/承認欲求エリアと所属欲求エリア/不文律の”粋”/Podcasterは”場”におけるただのハブ/ラジごを話題にしない関係性/クリスチャニティと粋の差分/神父としての知らんがな/高分子フィルターを通過した異分子コミュニティ/Podcastへの過信がすごい/センスはキャッチアップするのが難しい/世間からパージされたエリート/相互選別による相互の居場所/セルフビルドの懺悔室/アポカリでは小さな事象から分断を探る


製作・配信:密談 @mitsudan_net

毎月第三金曜日配信


有料メンバーシップルーム『セクト』が8月ローンチ予定

限定トークやエッセイ、メンバーチャットなど、インタラクティブマガジンとして楽しめます


muro @ryunosukemuro

アンソロポロジスト。九州大学人間環境学府博士後期課程単位取得退学後、在外公館やベンチャー企業の勤務を経て独立。社会人向け人文学ゼミ「le Tonneau」を主宰。法人向けの調査、研修、諮問などを請け負っている。Podcast番組「新日本駄洒落協会」「のらじお」を配信中。

つかさ @t_tanimoto

建築事務所勤務。東京生まれ、ブリュッセル育ち。ベルギー国籍。仏語と英語を活かして、翻訳者/編集者としても時々活動。UCL(ロンドン大学)で化学工学、パリ政治学院でコミュニケーションを学ぶ。Accenture SongやBCG Xなどでサービスデザイナーとして勤務後、キャリアチェンジし、現在に至る。valkneeとリー子と『ラジオ屋さんごっこ』配信中。

メチクロ @maticlog

1995年〜造形家として「S.M.H. (ホビージャパン)」誌にて全18作品連載

2000年〜グラフィックデザイナーとして活動開始 [BLAME! 特装版/ バイオメガ / アバラ特装版 / シドニアの騎士(弐瓶勉)] [ハイスコアガール (押切蓮介)] などを担当

2002年〜弐瓶勉・林田球・D[di:]・L?K?O・メチクロによるポータルサイト[MHz/メガヘルツ」を開設

2005年〜MHzSHOPにて、ドロヘドロ・東亜重工などのアパレルプロダクトを製作販売開始

2009年〜造形家として、宇川直弘・THE LEFTY・フルカワミキ・マヒトゥザピーポー(GEZAN)・大友克洋・灰野敬二らのオリジナルマスクを製作

2010年〜オーディオプロダクトデザイナーとして、[HP-A8 / HP-P1 / KOTORI301(FOSTEX)] の他、[TOON WORKSHOP(Mr.Harn / LINKINPARK)/Doublezero(ZEDD)]のブランドディレクターを担当

2019年〜JAPAN PODCAST AWARDS製作総指揮(第三期を以て退任)

2019年〜IKEUCHI HIROTOの顧問として参画

2021年〜ぷにぷに電機と共にPodcast『LAUNDRY AM』配信開始

2022年〜株式会社雑談を設立 [CRAFTBEER BAR & PODCAST STUDIO雑談・営業開始]


サマリー

このエピソードでは、現代の消費者が持つ反エリート意識や、消費者クリエイターとクリエイターの関係性が深く探求されます。特に、場の成立や参加者の資格、消費者としての実存に関する議論が展開されます。消費者とコミュニティの関係、時代とともに変わる消費の欲求についても考察が行われます。特に、Web 2.0以降の社会における「所属欲求」や、自己表現に伴うラベリングの問題が論じられています。また、ポッドキャストを通じて形成されるコミュニティの重要性と、参加者の役割についても深く探究されています。さらに、個々の信念や価値観がコミュニティのダイナミクスに与える影響についても議論が行われます。このエピソードでは、消費者とクリエイターの関係について新たな視点が探求され、特に参加する意義や責任について議論されます。また、現在のメリットクラシーやハイコンテクストなコミュニティの形成についても触れられ、所属欲求の重要性が強調されています。承認欲求や実行実現欲求についても、ソーシャルネットワーキングサービスの影響とその意味が探求されています。

反エリート意識の探求
なんか、今日起きていることと、確かに今日の消費者とか、特命的な消費者クリエイターという話とか、特命制の話とかっていうのは、
確かに今日的な話だなと今、理解して、というのは、今の世界って、僕の見るところ、反エリートの世界だと思うんですよ。
何しは、反エスタブリッシュメントと言ってもいいと思うんですけど、基本的にみんなエリートが嫌いだと。
で、なぜエリートが嫌いかっていうと、公正なコンペティションを邪魔する人たちだからだと思われていると思うんですよね。
つまり既得権益みたいな。
出陣の特権によって、椅子を勝手に確保しちゃう人みたいな、そういう感じだよね。
そういうイメージなんだと思うんですけど、さっきの2万人の法則みたいな話と多分関連すると思うんですけど、
ある空間の質とか品とかを高めようとすると、そうするとやっぱり、ある資格を持った人っていうか、ある素養を持った人を集める必要があって、
例えば、毎週英語で会議しましょうみたいな、この会議は英語で会議しましょうみたいな会議を設定したときに、
そこの80%の参加者が英語が喋れなかったら、その会議成立しないわけで、
文化的な出来事って、ちょっと残酷なことでもあると思うんですけど、多くから少なくらいこの側面がある。
お茶をしましょうって言ったときに、お茶の作法分かんない人が80%いると、多分1人だったら多分いいんですよね。
10人ぐらいいる中で1人作法分からないとかだったら教えてあげればいいしどうにかなるんだけど、
じゃあ10人いる中で8人作法分かりませんとかだと、お茶の会としては成立しないし、
クラシック聴きましょうってなったときに、クラシック一曲も聴いたことないみたいな人がいて、
いるとやっぱり観賞会としては成立しなくなるみたいなことが多分あってて、
反エリートみたいなものが行った結果、この何らかの会に何らかの資格がある人しかおれませんみたいなものが、
やっぱ嫌だよね、アウトだよねっていう雰囲気になってる、誰でも発言権あるよねっていう話になって、
発言権与えた結果会として成立しなくなりましたっていうのが多分、
メチクロさんの記者会見のあれとかだなと思ってて、
メチクロさんがその話をしたときに僕がパーって思いついたのは、
その学会の例で、学会ってすごく偉い先生の怒られが発生したりするんですよ、
だから記者の質問と一緒で、ここは質問タイムですけどみたいな、
あなたが大西さんを叱る場ではないですけどみたいな、
別にそういうことって別に起きがちだから、起きたよねっていう話になるというか、
それは場違いだと思う人もいるだろうけど、
僕の感覚としてはそれも含めて学会かなみたいなところもあるかなと思っていて、
でもそれはやっぱり同じ資格を持った人が集まって、
同じふうにやってるから多少の脱線があっても目的からそれでも、
でも全体としてそういう場出しなみたいなのがあるかなみたいなのがあって、
記者会見の場と学会の場で何が違うかっていうと、
資格保有者が参加しているかどうかみたいなのがやっぱりすごい違い、
それをかっこつきの民主化という言葉ですごく大衆化してしまったがために、
しちゃがめっちゃかになってる部分が多いよねっていうのが道黒さんの話かなって思いましたね。
場の成立と参加者の資格
一つ話聞きたいというか話したいのが、
道黒さんの話聞いてる限り、間違ってたら言ってほしいんですけど、
道黒さんが今ざっくり定義したある消費者の水準があるとします。
その水準よりに満たしてない人はもうちょっと責任持ってくれっていうメッセージに聞こえるんです。
なんか僕がどう思うかに関わらず、ある一定の場っていうものの地場が働くと、
その場における域っていうものから外れた人って、何らかの空気だったり何らかの言葉によってパージする圧力ってかかってくじゃない?
だからさっきのお茶の作法を知らない人が一定数を超えてしまうと、
場が成り立たないので、ちょっとその人たちはここに入れないようにして、だんだんなっていくのとイコールで。
多分僕の意見というよりは、何かの場、人が何かを求めて集まって場ができると、そういう構造って生まれるから、
そこに対する厳しさみたいなものっていうのは、もう古来ずっと場が生まれるごとにあったんじゃないっていう話。
で、今それっていうのが泡のようによくわかんなくなってるから、
寒い場とかっていうのもあるし、めっちゃ盛り上がってる生きな場もあるしっていう。
そこが生きな場になることを求めてる人たちが集まってるっていうことがすごく大事なんじゃないかな。
なるほどね。
僕はね、今の司さんの問いみたいなものは、僕自身に対する批判としてよくわかるというか、
僕の中でやっぱ平等に対する信頼というか、信仰とか信念みたいなフェイスと、
僕の中に内在しているエリティズムみたいなものがあるなとはすごい思ってる。
めっちゃわかる。
僕、エッグヤザワさんという元吉本の芸人さんいて、僕好きなんで、
彼はいろんな人をSNSでブロックしがちな人として知られているんですけれども、
ブロック方針があって、僕すごく尊敬してるから彼のブロック方針を反ってるんですよね。
受け継いで。
受け継いで。僕も結構いろんな人ブロックしてるんですけど、
最近ブロックした人に、なんでブロックされたかわかんないみたいなツイートされてて、
なんでブロックしたかというと、その人が褒めている他の人と並べられたくなかったからなんですよ。
僕のことをすごい褒めてる人あったんだけど。
だから、
おろ。
例えばポルポトセン褒めてて、ヒトラー褒めてて、
ムロコシイリュウドンスケ褒められてたら、褒められたくないじゃないですか、その人に。
でも、なるほど、そういう次元ね。
そう。
なんか、あの、
褒めてるのがだる。
これほどわかりやすくはないけど、その人が褒めている人の中に僕並べられたくないなと思ったんですよ。
で、
で、これって、あの、なんていうかな、僕のエリティズムの中から出ている差別感情だなっていう認識はあるんですよね。
いい話。
いい話。
だからさ、またちょっと大きい話に一瞬戻すけど、
アズマとあいつは関わってるから、サハとしてパージするみたいな。
でもいい例。
めっちゃいい例。
でも、そうじゃないじゃない。
何を言ったのかとか、その二人は何を語ったのかとかが大事で、
そこをないものにするから、いろんなものが見えなくなっていってタコツボ化したっていう状況がそれぞれあるじゃない。
ありますね。
だからなんか、そこは向き合いたいよね。
だって今失敗しちゃったんだもん、リベラルはみたいな。
あーわかりました、そこにつなげたんです。
消費者としての実存
そうそう、そこを反省しようとするんだったら、今のその感情とパージっていうのとの差っていうか、
もっと息みたいなものでつなごうっていう最後の願いみたいなのがないと、
パージで見えないものにしちゃって、
泡同士がくっつかないっていうか、別な場所ですよって言って隣人はいないっていうような世界になっちゃうっていうか。
すげー、なんかおっしゃってることはすげーわかるんですけど、
個人的感情として、思んない人と絡みたくない人ってあるんですよ。
そうだよね。
そいつが誰と付き合ったかとか、そいつの種類が何かじゃなくて、
そいつ自体が面白いかどうかとか、僕らの場にとってそいつと関わることが、
意気になるかどうかっていう厳しい目の方が大事よねみたいな。
いや、わかんない。
すごい悩み。
ムロさんの話聞いててすっごい思ったのが、逆に消費者クリエイターとクリエイターみたいな線引きがあるとしたら、
クリエイター側による消費者クリエイターの場を作る、調整、修正する責任もすっごいあるなって思いました。
そこで、本当にいい例なのかちょっとわかんなくて恥ずかしいんですけど、
素子名はその責任を背負ってる側の人間、側のあのボス。
あのボスの中ではすっごいやってる方だなって思ってて。
最近なんか、それも僕も正直いいのか悪いのかむずいとか思っちゃうんですけど、
期間のタイミングで一回は男女で分けるみたいな。
そこは本当にいろんな議論できるんですけど、何かの試みではあるじゃないですか。
そこはなんか唱えたいし、よくなんかいや、おもんない奴とは関わりたくないみたいな、まさに言ってますし。
自分の理念をその場に反映しようとしている姿勢はすごい強化したいなっていう。
だから、その場っていうものをいかにオーガナイズするのかの話だと思ってて。
それを今の素子名のパターンみたいな、ある意味君主制というか、トップダウンで場っていうものをコントロールするみたいな美しさもあるんだけども、
僕がさっき引用したリベラルみたいなものって、むしろ民主的にそれを生み出すっていうのを求めるんだったら、
象徴がそこを設計する。
だからそこに信任して集まってる人たちっていうのはそのトップの意見に従う、だから秩序が保たれるじゃなくて、
それぞれが自由陣として参加している場なのだとすれば、君主というものがいなくても自立してその場っていうものをいいものにしようっていうのは、
さっき言った生きのような何かっていうものを、それぞれ自立分散的にやらないとよくならねえじゃんっていう。
で、それをリベラルという立場の人がやらなくなってる振る舞いをよく見るみたいな話をしてた。
ずいぶん繋げてしまいましたからね。これはもう興奮します。
でもみんないろんな人が抱えてる悩みじゃないんですか、これは。
そうそうそうそう。なので、そこはそれぞれが自戒を込めながら、じゃあ僕っていうのはこの場に対してどの実存で参加してる主体なのかっていうものを、
さっきの言い方でいくと幼稚なマインドのまんまだとも許されなくなって、
実存的な子としての、ある意味大人の主体、だから西洋的な意味での大人的な主体としてその場っていうものに参加しない限りは、
その域っていうものに参加させてもらえないよっていう。
そうですね。
だからそれは君主であるクリエイターだったりとか発信者であること以上に、消費者クリエイターでもいいし消費者でもいいんだけど、
その民として参加する一人一人の実存の方が実は影響力や楽しさ。
その域に対して与えられる影響力って強くなってんじゃねーのっていう言い方。
なんかわかる?
うん、わかる。
わかりますね。
わかりますけど、確かにちょっとうまく整理できないな。
だから僕お店やってても思うんだけど、このお店の空間を域な空間にして全員が心地よくするためには、
開いていて誰でもお金を払えば物を買える場所ではあるんだけども、
ここのお店における域な振る舞いっていうのをそれぞれがしないと成立しないので、
そういうのを求めないさっきのような質問をしない記者のような人がここに現れるとすごく居心地が悪いようにするんですよ。
それはなんですか、非言語でのコミュニケーションで伝えるんだけども、
ある意味使用対応みたいなのによってその人が居心地悪くすることによってそういう人が入らないようにする。
だからそういうのって生まれるじゃない。
でもその人ってきっとここに何らかのすごく強い思いを持ってくるから、
そうですね。
自分を表現しようとして場を乱すんだけども、
それってここの公ではちょっとみんなに対してというかちょっと無理よっていうメッセージを与えるので、
消費者としての参加すら与えられなくなっちゃうっていう。
この知りやすさって結構あるよみたいな。
なんかそんな話っていうか。
確かに。
それはありますよね。
僕がちょっとやっぱり今の話と噛んでるかよくわからないんですけど、
誰にどう指示されてるかみたいなのがすごい大事な話だなと思っていて。
数を揃えればいいっていうのは一つの発想としてあるとは思うんですけど、
同時にさっきの雑談というお店に誰が来ることによってどういうふうな場に目指したいかみたいなのと同じで、
この社会とか、社会だけじゃなくても、
コミュニティの振る舞い
例えばファンコミュニティとかでもどういう人がどういうふうに振る舞うことが望ましいとされるかみたいなものっていうのはやっぱあるよねと思ってて。
っていうのはちょっとうまいこと言えないんですけど、
例えば僕がちょっと特定の個人とか団体を言うのは避けますけど、
すごく断定的な話し方をする政治家とか、
一般にはポピュリズムに走ったとみなされるような政治家を支持している人に同時に支持されるみたいなのはやっぱちょっと嫌なんですよ。
それをずっと言ってるよね。
その人が自分と関わってる時において振る舞いとしてすごくマッチしていたとしても、
その人が支持してるものが違うっていうことが受け入れられないみたいな。
その人がすごい僕にとっていいことをしてくれるし、僕もパーソナルレベルではその人のことが好きでも、
その人が僕のことを好きだと公の場で示されるみたいなのは嫌だなと思う。
だからラベリングが変わっちゃうわけだもんね。
ムロさんっていう人間につくラベルが変わるから、
要は自分はこのジャンルの棚に著書を置かれたいのに置かれる棚が変わっていく可能性があるもんね。
だからムロさんは要は哲学書の棚に自分を並べたいんだけれども、
その人と関わることによって陰謀論の棚に並べられる危険性があるみたいな。
ファクチンみたいな。
なるほどね。
そうなってくると、やっぱ許容できないみたいなところがあり、
それが党派生になってしまうんじゃないかみたいな、
メチクロさんの言い分っていうのはその通りだなと思うし、
もっと開かれているべきだと思うんだけれども、
開かれているべきだのはコミュニケーションとか議論の場であって、
コミュニティーではないのではないかな、もしくはソサイティーではないのではないかなと思っている。
そこはもうちょっと明確にした方がいいかもね。
でもなんかわかる気がする。
消費者の位置づけ
コミュニティーってどういうイメージ?言語的に定義しようとすると。
コミュニティーのイメージは伝統的なコミュニティーではなくて、
今の21世紀的なというかネット的なオンラインコミュニティー的な同行の市が集まる人たちの場みたいなときに、
あなたは同行の市ではないっていう話があって、
その緩さとか広さとかいろいろな考え方はあるとは思うんですけど、
僕から見るとそこが違うと明らかに違うよみたいな、なんていうのかな、
オオカミとフクロウオオカミみたいな感じで、
我々の分岐点もっとずっと向こうにあったねみたいな、確かに似てるけど我々の姿が違う。
言い方がいいね。
なんか君が思っているよりずっと僕たちもしかしたら遠いかもしれないみたいな。
それは認めるんですね。
なんかどっかは似てたよねみたいな。
確かに僕たち保守動物だし、食べてるよねみたいな肉食う人たちとしては一緒だよねって。
でももしかしたらすごく根本のところでかなり違うかもしれないよねみたいなときに、
逆に全然食い物は違うけどパンダとは一緒になれるかもしれない。
オオカミとパンダでは俺たち食肉目という意味では一緒だもんねみたいなところは対話可能かもしれないけど、
フクロウオオカミとはちょっとむずいかもしれないなみたいな。
それは我々がもしかしたらキノコとかと戦うときにはフクロウオオカミも味方かもしれないけど、
今はちょっと遠くない?みたいなのをすごい感じるときに、
食肉目のコミュニティにフクロウオオカミがいたときになんかすごい僕は困るというか、
それがなんか僕一人で決められる場だったらパージしがちだなと思う。
もっと人がいっぱいいる場だと競技するなりどういう風にするのかっていうのは僕の1ゾーンでは決められないから、
一応問題的はするけど、僕の1ゾーンで決められる場だと、
例えば僕のフォロワーとかだとそれを決めちゃうということが多いかもしれないです。
だからなんかね、今室さんが定義したコミュニティってさ、いわゆるWeb 2.0以降のソーシャルネットワーキングされたところで、
なんとなく塊としてあるコミュニティを指してると思うんだけど、やっぱ僕そこ限界があると思ってて、
で、今もっかいリアルな場なのかもっとネット上のちっちゃい場なのかわかんないんだけども、
なんかすごくある意味クローズなどな、でもある意味階級性のないみたいな、ちょっとややこしいけどコミュニティみたいなのが生まれていくと思ってて、
で、ここから先影響力とかいいなとか居心地がいいなと思われる場所って、
そこの場の設計がうまくいった人たちっていうのが非常に憧れられたりとかされるなと思ってて、
それはさっき僕の言ったWeb 2.0的なところで100万フォロワーを持っていて、何か君主的なように振る舞って影響力がある人よりも、
なんか50人とか300人とかのなんか粋な集まりみたいなものの方が、なんかお金的な意味とか名声的な意味じゃなく、
すごくこう、法準な、法上なものに見えんじゃないかなって思っていて、
だからそこが室野さんの言った誰を支持してるのかがちょっと違うから居心地が悪いみたいな人は、
実は一見近そうに見えるけどそこには入ってないとか、
でも全然パンダのように離れてるんだけど、なんかよく質字も違うんだけれども何かの共通項によってそこにいるみたいな、
ある意味不分立な域って、俺は域っていう言い方するんだけど、
名言化されてない域みたいなものによって共通で繋がっている階層やジェンダーや、
いろんなものを越えてよくわからない、多様性のあるちっちゃいコミューンみたいなものっていうのが、
結構お金とか名声の影響力とか以上になんかいいものとされるような気がしていて、
それが室野さんの言い方だと泡のように存在するんだなと思ってて、
じゃあそれって設計するのってオーガナイザーの力量によってもできるんだろうけど、
お店で言ったら店のオーナーによってデザインはできるんだろうけれども、
デザインした後そこを快適な空間にするのって参加者たちの力によってなされるので、
だからある適正なコミュニティのサイズの設計とそこの理念みたいなものの不分立のような何かっていうのを、
一個枠を作ったら、そこから先っていうのはさっきの僕の言い方で言う、
消費者に委ねられるみたいな、
時代と消費の変化
そこって多分今力の時代になっていこうって、
より露骨に見えないところでいっぱい起きる気がしているみたいな。
そうですね。
でもそういう、今たとえば室野さんが言ったことを延長すると、
たとえば室野さんがいます。
縁がある人が室野さんを褒めながら、
室野さんは望んでいない人と同じ分類にさせられちゃうみたいなことが、
すごい起きやすくなっている世界じゃないですか。
で、そういった人たちに責任もあるよねみたいな話があると思うんですけど、
僕はそこまで楽観的に見れないというか、
それ言うても、そんなことをする人なんてもう、
別に止めれないと思うんですよ、そんなことは。
止めれないですね。
絶対止めれないと思うんですよ。
なので、動きとしては、
今はそういったクリエイターと消費クリエイターの線、境界線が曖昧になってて、
だんだんこうやって同化しつつあると思いつつも、
動きとしては全て一緒ですけど、
波のようにまた境界線が明確になったりならなかったりするのかなとか、
結論もないことを言っているんですけど、そんなことを思いましたね。
言いたかったのは、それに責任があるって言っても、
それをやり続ける人は減らないし増えるのではないかって思っちゃいます。
今、ある50人ぐらいの自分が参加したいコミュニティにすら、
ある意味そこの域っていうものが理解できてないとパージされるっていうのが、
もしゼタとする世界がはびこってしまった時に、
じゃあそこから弾かれた子っていう存在がある一定数生まれるじゃない?
そういう時そこを包摂する仕組みって何なんだろうみたいなものをセットじゃないと、
おそらく良くないとは思ってはいるのだが、
そこの厳しさってハッピーに感じる感じない。
僕はそういう時代の方がすごく生きやすいので、そうなってほしいんだけど。
確かに。今の生理って僕どっちかというともう終わったところなのかなと思ってて、
だからこそドナルド・トランプは当選できたんだと思うんですよね。
そのエスタブリッシュメントがあり、そのエスタブリッシュメントが思い描く、
自由で平等で国境のない世界みたいなのが90年代からゼロ年代みたいに提示されていたのが、
その場の雰囲気というかその場の域がわからない人たちみたいなのが全部排除されてて、
排除されてた人たちの方が実は多いよねっていう話になってたことだと思うんですよ。
復讐としてドナルド・トランプが選ばれてるわけで、
日本でも似たような傾向がある、全てをぶっ壊そうとする人が、
おそらくあれは僕の理解では復讐として選ばれている、
お前たちが先に我々を排除したよねっていうロジックになってるなと思っていて、
それがいいのか悪いのかっていうのは結構絶妙だなと思っていて、
というのは僕はその社会からどちらかというと弾かれてるサイドの人間だと思ってるんですよ。
定職にもついていないし、地位も名誉も財産もない人間だから、
なのでこの弾かれている側の人間として弾かれてるなりに、
小さい内側を作り出して何とかやっていこうとしているに過ぎないから、
この小さい内側だからまだコントロール可能なうちは、
どのような場なのかっていうのを示すために、
ここにおられない人も出てきちゃうよねっていう話だなって僕は思っていて、
それが僕にとって喜ばしいのか喜ばしくないのかでいくと、
難しいなっていう感じですね。
分かんない。
僕がもし僕でないならば、やっぱり強大に包摂されていたいので、
どっちかというとあんま包摂されてねえなみたいな状況の中では、
誰も包摂されない社会の方が、
みんな同条件になるしなみたいなのもあるかなみたいなのはある。
なんかその構造って結構ゆれっこ構造だなと思っていて、
そうそう、この前ね感じたのがね、
なんで80年代90年代にああいうその消費っていうものに端的できたかっていうと、
なんかすっごいシンプな例で言うんだけど、
マズローの欲求段階説っていう、
仮想から生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現、自己超越っていう順番のピラミッドだとした場合、
当時って安全欲求を満たされ、社会的欲求イコール所属っていうものがみんな満たされてるって、
しかもそのネットみたいなものがなかったから、
承認欲求みたいなものも身近な、実態でつながってる人による承認っていうのが満たされてたから、
だから自己実現とかみたいな、
そういうレベルのところに一般大衆がなんか欲をドライブできたと思うんだけど、
Web 2.0時代ってすごく僕、欲求段階下がったなって印象当時すごくあって、
みんなが承認欲求っていうところまで一回下がったなって印象あったの。
みんなが承認欲求を満たすためにWeb上でさまよい続けたなっていうのがWeb 2.0の時代で、
今さらに下がって所属欲求っていうか、自分はどこに所属できるんだろうっていうものをWebを使って追い求めてる時代になっていると思ってるんだよね。
ってなった時に今って、なんか上がってんだか下がってんだか進んでんだか交代してないかわかんないんだけども、
今ってこの所属している場、所属していると思える場っていうものに対する人のなんか監視や圧力や欲求が溜まってると思うからこそ、
だから公の話になってる。
それって国家の一員であるっていうものが一番誰も否定できないものだから、国の話を従ってるのもそうだと思うし、
コミュニティの曖昧さ
今ってもう家族みたいなものってすごく曖昧だから、そこにもう委ねられないから、だからみんなそれぞれちっちゃいコミュニティのような場や行きつけのお店だったりでいろんなもの探してるんだと思うんだけど、
その時にやっぱり所属するこの場の一員だよって言われるための資格って、今まで誰も教えてくれなかった。
しかも教科書のない、なんかそこの空気に対する意気みたいなものに対して貢献できるかどうかみたいなところになってるっていう話をなんか俺してたんだと思う。
で、それがポッドキャストみたいなのってすっげー感じるっていうか、
例えばポッドキャストを軸にしたコミュニティ、オンラインコミュニティをもし作るとしたら、そこでの振る舞いみたいなものってそこでちゃんと意気であるかどうかっていうものが払ったお金以上に求められるような気もするから、
だからみんなが店を持つみたいな、ちっちゃいバーを置いたオンラインコミュニティみたいになってた時に、そこの不分立の意気かどうかって、
あのViuVu 1.0時代の特命性のあるあのハガキ職人のような振る舞いみたいな。
一ついいですよ。
そのポッドキャストがそれを提供できるものだと、
すごいそれは同意なんですけど、
ポッドキャストしてる身としては、その責任別に全く背負いたくない。
それが番組が往産になる必要すらなくなるような設計がなんかできてくるんじゃないかっていうか、
ただのハブ、なんか不分立な意気を象徴するハブであって、
そこで集まった人っていうのは、例えば司さんが何かそこを管理人として動かなくっても、
そこで意気で振る舞うことが僕らが信じてるこれの良さだよね、みたいなものが、
象徴としての番組だったり、パーソナリティみたいな。
でも確かにおっしゃってる通り、その責任感つったら全然そんなことないんですけど、
なんかだるみたいな感じは時々するんですけど、逆に今、いやでもこういう方あり方もあるよって、
なんかラジゴを共通言語として、共通価値観として、僕ら全く関係ないところで友情関係のコミュニティが起きてるんですよ。
でしょ。
で、それでしかも、なんかラジゴのこと全く喋んないらしいの。
なんか共通的な感覚が共有されてるだけで、別にそこで最新回とか話すわけでもなく、
時々面白い雑談として出るかもしれないですけど、ほとんど喋んないよみたいな、え、どういうこと?みたいな聞いたことがあって、
確かにそういった例を言われると、あり得るなって思う。
そう、だから今、司さんがノーサンキューって言ったところで、さっきの素品の役割を自分がやるっていう話だと思うんだけど、
それがない世界、だからいわゆる君主制じゃないリベラルなスモールコミュニティって、そういうことによって起きるんじゃないかなっていう。
で、ただそこって何を元に集まるのかっていう何か動機が必要なので、それがポッドキャストってあるっていうか、
あれをいいって思ってる僕らでありさえすれば、そのいいを醸成するためのその公に対する貢献っていうものが集まる人たちによって作られるみたいな、
その話みたいな。
なるほどなー。わかんない。
うつかさんどう思われるのか聞いてみたいんですけど、
メチクロさんの感覚と僕の感覚は遠くて近いものがあるのかな、もしくは逆に近くて遠いものがあるのかなって思ったんですけど、
メチクロさんが意気と呼んでいるものを僕はやっぱ信念というか信仰というかフェイスの問題だと思っていて、
なんでかわかんないけどやっぱ僕は全然クリスチャンじゃないんだけど自分の中にある種のクリスチャニティがあるなと思っていて、
だからあなたがめっちゃいい人でめっちゃ道徳的な人なのはわかりましたと、
でも神を信じていないなら教会には入れませんっていう話だと。
さっきの袋狼の話と一緒で袋狼入れずパンダが入れるのはどういうことかというと、
あなたは悪い人だけど神を信じてますねって言うんだったら教会には入れるみたいな。
でもなんかメチクロさんも当たり前ですけど3人やっぱりちょっと立場が違うから多様な今意見が出てる気がしますね。
メチクロさんほど僕に関してはそんななんかそこまで気味深い意見を言ってないものなので、
新たな所属の形
なんていうのそんな別に拝まれるとか誰かと誰かで比較されるとかもないけどラジオみたいななんか3人でやってるポッドキャストっていうのはあるから、
なんか先ほど言った通りその私たちがポッドキャストしている中でコミュニティが勝手に生まれるみたいな素敵なことがありつつ、
ムロさんだったらまたちょっと違う形態であるだろうし。
あの津勝さんの話を聞いてて僕にとってはどういうことかなって今思った。
僕もやっぱり自分のコミュニティを自分でどうにかするみたいな意思があんまりなくて、
実際あの僕のゼミのディスコードコミュニティあるんですけど、
特に何の活性もなくみんなが3万人いろんな話をしているっていう場所なんですけど、
でもちょっとそれはどうなのみたいなのは僕は言うようにしてて、
それはやっぱり教会がどういうふうになるのかは究極的には神様の決めることだから、
知らんがな。
知らんがながわかる。
でも神父としてはそれは許せないみたいな。
めっちゃわかる。めっちゃわかります。
わかんないよって。
同性愛者の神父と信者がいるかどうかみたいなのを神様がオッケーとするかどうかは、
神父によって話が分かれるじゃないですか。どういるのかと考えてる人がいるみたいな話。
だけど多分ほとんど全ての神父が教会でセックスするのはどうかと思うって言うとは思うんですよ。
そういう感覚。
その人がいることによってこの教会自体がどうなるのかみたいなのは究極的には神に属することだが、
ちょっとそれはって思うところはやっぱあるみたいなのはある?
そこが近いと思ってるか。
何を宗教的な意味とかっていう明確なものが僕はないんだけども、
今言ったその教会でセックスするのはちょっと違うと思うっていうのを言わずもがなでわかってくれみたいな話でいくと、
僕の言った意気と同じ話で、
だからそこの不分立のここの良い悪いってあるよねっていう人たちが集まる場の設計っていうのでいくと、
今ポッドキャストによるコミュニティに俺可能性感じてるのは、
まさに室さんと俺と司さんがやってるこのポッドキャストって、
おそらく、いや、室が出てんだったら効かねえわだったり、
メチクロが出てんだったら効かねえわだったり、司が出てんだったら効かねえわって思うような個々の、
なんかいると思うんですよ、クラスターが。
絶対います。
で、それが、そこを越えてこの話に興味がある人たちが、例えばそのコミュニティみたいなものがあったら、
その人たちって、なんか僕らに共通する意気みたいなものによって集まってるから、
僕ら三者がなんか話せそうじゃないみたいな、
だからなんかそのフィルタリングをかなりトリッキーにやってる感じっていうか、
そこの責任っていうのはこのオーサーである僕らがデザインすべきだけども、
ここのフィルターを越えた人たちの集まりって、なんかかなりオープンに自立しそうな気がする。
急に不安になってきた。誰にも聞かれないんじゃないかという気持ちになってきた。
そうだよ。
そっち?
そうだよ。
そのフィルター。
なんだけど、例えばスポティファイ上の見え方だったら、
なんか例えば今のポッドキャスト的な尺度で言うと、
なんか200人ぐらいしかフォロワーがいないポッドキャストなのかもしれないが、
その200人聞いてる人っていうかなりフィルタリングされた人が、
例えばその半分、50%の100人集まってるなんかオンラインサロンみたいなものって、
なんか良さそうじゃないみたいな。
それは1万人集めた人形が1000人集めてしまったなんかうぞうむぞうのなんだか品のないオンラインサロンよりも、
その100人みたいなものの精度って、僕ら自体も興味持てるような何かなんじゃないかなって。
で、実は今ってお金とかじゃなくてみんなが欲しがってるのってそういう居場所なんじゃないっていう。
そうですね。それは明らかにそう気がする。
僕のゼミが持続してるのは明らかにそれだなって思いますね。
そこは値段設定だったりいろんなそのフィルタリングってあるんだけども、
僕らのこういう会話のこういうコンテンツの良いところって、
僕らのこの語ってる雰囲気だったり人格だったりっていうその自分のこの看板、
見えているポートフォリオじゃない部分を感じ取った人たちが続けて聞いてくれるってことは、
イコールなんかその域みたいなものが見えてるはずでっていう。
だからそのフィルタリングの精度を言ってるんだよね。
だからそこがイランと全く違うっていうか。
いっぱいビッグデータを集めたとこから浮き出るの真猫みたいなものなんじゃなくて、
すごい網目の細かいところを通ってきた流度の細かいものっていうのがポロポロポロって落ちてきたものに現れるの真猫的なものの方が、
今のWeb3っていうのは分かんないけど、今の時代のネット的な活用の仕方みたいな。
メイチクロさん的にはそれが×N社会にあったら素敵だよねみたいな。
そうそうそうそう、そういうもの自体は繋がってはいないんだけども、
そういうものがいっぱい増えていって、それが塊としてさっき言った2万人だったり100万人だったりっていうのが、
国家とか家族とか宗教とかよりもなんとなくそこを超えるなんていうかユナイトしてる隣人だよね。
要は僕らが同じ民族だとかっていう繋がりじゃなくて、すごく良い隣人が集まってるエリアみたいな、その設計がなんじゃないっていう。
なぜなら国家とか今まで信用の軸とされてたものがすごく崩れる時代だから、
じゃあ僕って何人なのっていうことすら脅かされたりとかする時代だからこそ、
なんかそのコミュニティ同士の隣人っていうのがなんとなく信用できるねっていうのってそういうことなんじゃないっていう。
なんかそんな感じ。
いや、びっくりはします。
でもポッドキャストへの過信がすごいって。
すごい。
すごいと思いましたね。
本当にすごい。
すごいんだけど、なんかほら、俺言うてここポッドキャストのために生きた人間でもなかったからさ、
いろんなものを渡り歩いた結果、なんかここの空き地っていうのが、今のなんていうのかな、忘れされてるからこそ、
なんか新しくオルタネティブなものが生まれやすいなと思ったきっかけではあるのだが、
ちょうど今時代性とマッチするのってそういう部分なんじゃないって、
所属欲求の時代になっちゃってるからこそ、その所属っていうものを再定義するというか、
そういう場に使いやすいっていうか、誰の監視も起きないんでこの場って、
それこそ前守さん言ったんだけど、スポティファイのダニエル・エッグによって僕らの場っていうものをバンできないんですよ、
ポッドキャストって。
なぜならスポティファイには置いてはいるけれども、基本的にはRSSによってどこにでも置けるので、
でもYouTubeも近いっちゃ近いんだけど、あそこっていわゆるYouTubeの意向によって、
その人の集めた数十万人のフォロワーごとバンすることができるじゃない。
彼らってYouTubeから動いちゃったら全然その活動ができなくなるので、結局はYouTubeに縛られるじゃない。
Twitterだってそれこそイーロン・マスクの意向によって、いくらでもあの場っていうものは変えられてしまうけど、
ポッドキャストってそこが権利を個々人のクリエイターに持てるんだよね。
で、今インターネット上でそういうのができる場ってほんと減ってて。
空き地として活用できる場所って減ってて。
で、いくと今言った所属の場所っていうのを新たにオルタネイティブに作るっていうのは構造上やりやすい。
で、勝手に俺がこじつけてこういうこと言ってる。
いやでも説得力は大変あります。
で、しかも現象はちっちゃくていいっていうさ、
消費者とクリエイターの役割
別にそれを証明するのって1個のすごくいい50個のコミュニティが生まれるだけでも、
それだけでも証明できちゃうんで、別に世の中を動かす必要がないっていうか。
いや今の話聞くと、ラジオのRSSをちょっとスポーティファイ外に移行したくなりました。
RSSを。
別にエイクがやるわけじゃない。
だからさ、突然スポーティファイが例えば倒産したり閉鎖したとしても、別にあなたは引っ越しできるじゃない。
まあそうです。
データも含めて、お客さんとつながってるので。
確かに。
別に一瞬は見えてるフォーマンスは減るかもしれないけど、
別に引っ越しした先で同じことはできるじゃないみたいな感じもする。
意外とないよね。
そうですね、意外とない。
意外とないし、意外とないですね。
そう、なのでまあちょっとなんとなく離れてったんだけど、
今の、さっき言った昭和平成、いわば80年代ぐらいから0年代ぐらいまで、
全員が共有していた消費者層というものの次の姿のところでなんとなくまとめていきたいんだけど、
僕は今仮、仮定として、さっき消費者クリエイターって言ったものを揶揄してる言い方なんじゃなくて、
発信者でもあるし、お金を払って需要する側でもあるのだが、
それが意味を持つんじゃなくて、
さっき言った、自分が参加してる場に対するその意気、僕の言い方だと、
意気っていうものに対する責任みたいなものと、
あと、プラス影響力っていうものがすごく力を持つ時代になるんじゃないかなと思っていて、
っていう意味でいくと、たぶんこれを聞いてる人や僕らも全員共通して、
全員が担う参加できる資格でもあるし権利でもあるんだけど、
一方でその責任でもあるみたいな、この感覚ってどうなんだろう?
参加の意義と責任
お二人こんだけ今話してみて、そこの感覚って負に落ちる?
感覚は負に落ちますけど、やっぱエリティズムだなって思いますね。
だからやっぱ排除、パイアージされるっていう仕組みが必ず潜まれてるよね。
潜まれてるし、で、その特に今のメリットクラシーというか、
その学歴主義みたいなとか能力主義みたいなものと違うのは、
なんかキャッチアップの難しいところだからだと思う。
センスみたいなものって、本当にそのセンスできるかどうかっていう、
その感覚できるかどうかになってしまうから、
感覚できない人が、じゃあ後から話だけ聞いてキャッチアップできるかって言って、
すげー難しいと思う。
難しいよね。
と思うんで、できた人だけみたいになるなーみたいなのはすげー思いますね。
なんか危険、例えばその可能性が高まってるってことは成功率は上がってるんだろうけれども、
当然そこからこぼれ落ちる、その失敗、それを享受できない人が、
かなりの量生まれるみたいな、なんかそういうイメージ。
そうですね。で、僕は別にそれ悪いことだとあんま思ってないんだけど、
それあんま思ってなさみたいなのが僕の中の自己矛盾なんですけど、
だなーって思いますね。どう?
なんかある?
まあでも、少しだけ似てるところはありますね。
なんか、もちろんそういった豊かなコミュニティみたいなのは作りたい気持ちはありつつも、
まあ排除もしたい、よくはしたくなるような人物も全然目の前に現れてくるんで、
まあ、感覚的なところはね、言葉にこうですとは言いにくいですけど、
まあなんか、ラジゴ単位では許容するけど、
谷本司としては許容できないみたいな、なんかそういう、なんかちょっと曖昧。
はいはい。
わかると思うんだけど、なんかそんな境界線かなみたいな。
確かに。で、ちなみにさっきの、いわばこういうメリット暮らし的な、
いわばすごくハイコンテクストなものを理解してないと入れないものがいっぱい増えるっていうイメージだと思うんだけども、
僕の言った場のイメージって。
なんで僕が不安に思ってないかっていうと、
そもそもムロさんの存在にも近いんだけども、
僕ら自体が排除された側だからっていうか、
その、要はこういう場からこぼれ落ちる人っていうのっていうよりも、
そもそもこういう場を求めてる人たちって今のマスっていうか、
大きな流れっていうものの居心地が悪い人がそもそも集まってる。
そこでまずフィルタリングされてるから、
その人たちが居場所をこうくっついていくみたいな設計なので、
そもそもそこのパージっていうことをあんま考えなくていいような気がするっていうか。
そうですね。
で、ポッドキャスト以前の音声の世界って、
要はクラスからこぼれ落ちたり、心地の悪い子たちを深夜救う深夜ラジオだったのね。
あれって救済の役割だったから、
そこにおいてはこういうことやっちゃいけないんだけど、
今のポッドキャストって救済とかっていうのはもう十分いろんなサービスで、
ある世界だと居心地の悪い人イコールちょっとエリートっていうか、
何か頭で考えることがすごく好きな人だったりとか、
意味を考えちゃう人みたいな人たちが、
そういう共感とか救済のコンテンツにちょっと居心地悪くなって、
さまよって集まってる。
だからそのハイコンテクストだったりメリットクラシー的なものって、
むしろそっちの方が心地がいい人たちの方がすごく多いように、
僕が観測する限りは見えている。
それは決してアカデミアの人だけじゃないし、
研究者だけじゃなくって、
普通のカルチャーの人とかでも同じく、
所属欲求と新たなコミュニティ
わざわざポッドキャストを今聞いてる人たちって、
ある意味そういうハイコンテクストなものが好きな人たちで心地いい人たちだから、
意外とこの設計って暴力にならないなって思ってるというか。
すごい。オチが綺麗すぎて。
さっき塚田さんがおっしゃったことで、
確かにそうだなと思ったんですけど、
もともとコンテンツの側っていうか、
意見を言う側っていうのは選別されてるから、
実は双方選別なんですよ。
そうそうそうだね。
だから別に、なんていうかな、
すごくミクロに見ちゃうと、
こっち側がすげえ選別していて、
すげえパワフルに見えるかもしれないけど、
本当はこの大きなマスのマーケットから見ると、
我々の方が選別されて、
大して見られてないみたいな話があるから、
双方なんでっていう。
あと双方、もう一つ今思ったのが、
消費者もしくは消費者クリエイターの所属欲求について、
1時間2時間話をしましたけど、
あれ待てよって思いました。
僕自身の所属欲求を、
僕ラジゴで満たしてるんですよ。
はい。
完全に。
それ、この5分前ぐらいまで気づいてなかったんですけど。
だから家族なのか、
友人なのか、何なのかっていう、
社会的定義じゃない何かっていうものを、
ラジゴによって。
そうです。
僕7年間ぐらいやってるんですけど、
長い、すごい。
長くて、ほとんどこういう関係が、
生まれのきっかけがラジゴになっちゃってるんです。
なんかいいのか悪いのか本当に分かんないんですけど。
すごい。
死ぬほど居心地いいんですよ、僕の中から。
僕が発信する、会いたいって言ってくれるんだったら、
アンチじゃん。
つかさアンチじゃない。
バルニーだけ好きみたいな人じゃない。
で、僕のプライベート、僕の全て、
ちょっと言い過ぎですけど、
ある程度どういう人か分かってくれてる。
で、会いたいとか、僕が会いたかったら、
ぜひみたいな言われたらもう、
得しかないんですよ。
だからもう、所属欲求も超満たされてます。
だから、つかささん自身の所属欲求を満たされた上に、
それを与えてるつもりじゃないんだけど、
勝手にそこで集まった人たちが、
所属欲求を満たすことを自発的にやり出すわけじゃん。
それってすごくね?って感じ。
いや、すごいし、なんか、
ラジゴ屋さんごっこやってることに対して発信力持って、
でもいろんな特権あるとか言ってましたけど、
ラジオ屋さんごっこやってること自体が一番の特権。
それをやってることによって、
まあ7年間っていうことはありますけど、
もう人にめちゃくちゃ会いやすいし、
最高って。
どっちかっていうと、そこで有名になったつかさが、
世間的な名声という名の承認欲求を満たす、
その民たちの力を使って自分の欲求を満たすんじゃない、
承認欲求を満たしてんじゃなくて、
つかさの所属欲求を満たしていて、
そこの場によって人の所属欲求を満たしてるっていう、
なんかそのすごさ。
そこまで美化しちゃいますね。
そんな良いこと言っちゃいます。
ポッドキャストやってる人たまにはいるけど、
ソーシャルネットワーキング的な振る舞いする人ってほぼいないんだよね。
自分が何者かになった喜びっていうのをひけらかしたいとか、
その承認欲求をベースにしたなんかをしてる人ってすごい少なくて、
やっぱりこの場の方が大事っていうか、
の人の方が多い。
まあ確かに、そんな人は確かに浮かばないですね。
めっちゃわかりやすい例でちょっと個人名挙げて、
その本人にはちょっと謝って言うんだけど、
つい最近小学館の編集者の千代田さんっていう方が、
あの地の編集者をやってる人が、
ちょっと前までものすごく露出してたんですよ。
で、それって編集者っていう旧来の規範の中でいくと、
まあみんなタブーだったっていうか、
要は作家が作ったものであって、
作家がすごいのであって、
編集者っていうのはその職場でしかないみたいな、
まあ実際いろんなその人がいないと、
その成功みたいなものはないのだが、
ただやっぱり会社に所属して、
そこの被害を受けた存在としての編集者っていう立場と、
むき出しで戦う作家っていうものっていうのは、
責任の量が違うので、
そこの名声みたいなものっていうのは、
作家に集めるべきなんだけども、
彼は多分プロモーションの効率だったり、
世代だったり、
あとは純粋な承認欲求だったりってもの全部くっついて、
地を編集してる俺だっていうことによって、
自分を美しく見せたりかっこよく見せたり、
影響力を持たせる活動をわーっとやったのね。
この間突然辞めますって言ったの。
で、僕からすると当たり前。
なんだけれども、
多分すごくピュアなものも、
いろんなものも含めて彼はやったんだけど、
辞めましたと。
で、それはそれでYouTubeとか、
表の世界で起きた現象なんだけど、
彼はそれを自分のポッドキャストで独白したんですよ。
俺やってんなーってやっぱ思ったっていうのを、
自分のポッドキャストで語ったの。
えー素敵かも。
ね。
だから、それを言える場ってすごくねっていうさ。
なるほど。
当然そこに対する、
僕はいろんなそういう業界を見てきてるので、
あ、やってんなーって見てたんだけども、
彼のその意見や気持ちっていうものをポッドキャストっていう、
彼の場を覗くことによって聞くことができるみたいな。
なんかこれって、
そういうことです。
新自由主義的な振る舞いをした人たちがパージされたとした時に、
そこの世界からこぼれ落ちたとした人が救済されてる場じゃんみたいな。
なんかそこの話って美しくない?
はいはいはい。
居場所の話。
かつなんかその、
やっぱり、
例えばツイッターでやめますだけと、
はいはいはい。
ポッドキャストでちゃんと時間かけて、
承認欲求と実行実現欲求の関係
何を、自分がどう思ってたのか、
何でこれをしたのかって、
何で今はやりすぎたなって思ってるのかって聞くのって、
やっぱり全然違くて、
その人に対して違うだけじゃなくて、
まあおっしゃってる通りですけど、
メチクロさんのような第三者がファンとかが聞いて、
あ、そっか。
なら、
ポジティブな感じになれるっていうのが大事。
だから実行実現欲求のピラミッドからちょっとパージされた人は承認欲求のとこにいて、
承認欲求、さっきの話ってさ、
承認欲求界ではね、
ソーシャルネットワーキングサービスというのは、
承認欲求界からちょっとパージされた人が、
所属欲求のとこでは話せるみたいな。
で、それがXでの発言だと承認欲求の世界で弁明することになるので、
多分そこって自家中毒を起こす。
なるほどね。
分かりやすいですよ。
そういう感じ。
めっちゃ分かりやすい。
ね。
だから僕らも受け手なのか送り手なのかっていうものが解けてればっていうところで、
こういう音声を選んでる気がすごいするっていうか。
まあそうですね。
っていう奇麗事で締める。
いやでも十分、
そろそろまとめ力が発揮されてますね。
ポッドキャスト最強っていう。
っていうのはね、最初に言っちゃうっていう。
なので、まあちょっと今後の話もしたいんだけど、
こんな感じで、なんか一つのトピックとかテーマを掲げながら、
そこのディティールをこうやって三者で話しながら、
で、ある意味ちょっと刺激的な分断点みたいなところを軸にしながら、
なんか今僕らがやってることを肯定するような話が延々繰り返せれば、
僕ら気持ち良すぎるみたいな。
っていうイメージ。
楽しみ。
面白そうですね。
はい。
じゃあそんな感じでちょっとまた次回やれたら。
楽しみ。
ていうかこれちゃんと定期更新するつもりなんで。
はい。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
聞いてる人いるのかな。
場外乱闘だけはなく、喧嘩するならここでやろう。
もうここからこぼれ落ちたら所属する場所僕らにやろう。
ポッドキャストの可能性
独白はここでやろう。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
楽しみ。
55:39

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