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2024-08-18 20:57

#12 インタビュー対談「アマラナの物語」

インドから届く声のお便り〜

『ShivaShakti』はインド在住のトーシャンが日々の気づきやタントラについてお伝えしているラジオ番組。

 

今回は、タントリックな死の講座に参加したアマラナの物語を聞かせてもらいました!

 

言葉では表現できない、自分のコアにアクセスできるようになった話してくれたアマラナの対談をぜひお楽しみにください♪

 

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はい、こんにちは。今日のゲストは、しばしゃくティーで大活躍中の男性のティーチャーのアマラナさんにゲストとしていらしていただきました。
こんにちは。
こんにちは。
はい、ちょっとエセ関西弁ですみません。
今日はよろしくお願いいたします。
よろしくです。
はい、収録前に話してた、まさに今話してたんだけど、このタントリックな詩って、私たちが、しばしゃくティーが初めてオンラインでリトリートをやろうっていう風にして、やったコースなんだけど、そこにアマラナは現れたわけなんですが、
アマラナがそこに現れたきっかけっていうのは、私も今ちょっと聞きながら思い返してるんだけど、そのきっかけストーリーをぜひ聞かせてもらえませんか。
ちなみに、私とアマラナっていうのは、もう20年来の古いタントラフレンズなんだけど。
そうだね。
ちょっと瞑想を離れてるときがあって、その間はほとんどFacebookを開いてへんくって、
瞑想としている人とつながってないっていう状態がしばらく続いていたから、実はまあまあ見つまって苦しい状態にあって、
そういうときに、なんか知らんけど、ふいにFacebookを開いてみたの。
そのふいにっていうのは全然前後関係なく。
全然関係なんもなく。ただスマホを見て、何かこれを押してみようと思って、Facebookのアイコンのところをピッと押して。
そしたら、父さんとうったむのしば尺のオンラインの案内が出てきてて、
こんなのやっててんやーって思って。
きっとこれはもう何年かやってるんだろうと思って、プチって申し込みをしたの。
そうやったんや。
その経緯本当に知らんかったです。本当に。
確かに天田とすごく今はちょっと離れてる感じやなっていうのが続いてたよね、しばらくね。
そうだね、そうだね。
天田は何か山奥で修行してるんやろうなみたいな感じやったから。
だから来てくれたとき、私もうったんもめっちゃ嬉しかったんだよね。
天田来てくれるんやーって言ってすっごい嬉しかったの、本当に。
俺もそれがすごく嬉しくて。
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なんかね、自分から離れてたから、また戻ろうっていう、
そういうのは実はいい顔されないんじゃないのかっていうマインドがずっとあってんけれど。
でも申し込むときには、きっとこの人たちなら俺を受け入れてくれるだろうっていう、そんなふうに思った。
受け入れるどころかも大歓迎でね、泣いて喜んでました。
俺もすごく嬉しかった。
だよねー、なんかね。
そうか、じゃあトピックにすごく惹かれたとかっていうこともあったの?
トピックは死のことについてやったから、それはものすごくヒットするものがあった。
そうなんだ。どういうの?
結構昔に和尚の死のアートっていう本を読んで、
それで自分が持っていた死っていうものに対する考え方がすごく変わったのね。
でも考え方が変わった後、死について瞑想ができたかっていうとそういうわけではなかったの。
で、それってすごく片手持ちやっていうのは自分では思っていて、
死に対する捉え方、考え方がちょっと変わった、本を読んで変わったかもしれへんけど、それについて何一つとして深掘りをした覚えはなかったから、
これはすごく、一番最初に自分がやればいいものかもって思った。
そうだったんだ。
で、実際やるとね、一つ一つ、自分の死っていうものに対するイメージを分解していくような感じの作業に僕には思えて、
それがちょっとずつ裸にされていってるような感じで。
得意なやつ。
得意なやつ。
でも確かに、私もオッタもすごい覚えてるのは、
一緒に瞑想してたり、講義の中で結構、アムラナがびっくりして驚いてる姿って言って、
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驚きがほとんどプチ悟りみたいな感じで、ケタケタケタケタが笑ってるみたいな、壊れた状態みたいな、
そういう姿を何回も見て覚えてる。見てっていうかね、オンラインだったから、画面上なんだけど。
本当にその通りで、すごくフィットした感があって、
自分のそういうコアのところにすごくアクセスができているっていう、そういう感じがあって、
すごい、言葉にすることがすごく難しい理解のところっていうのが、すごい起きた感じがした。
言葉にできない感じっていうのが何ともね、本当に確かにそうなんだよね。
ちょっとした生きてきた中で、今まで蓄えてきた根底の方にある誤解とか、そういったものが溶けていって、
楽になっていく、なんかそういう体験、深い体験をあの時はしたかな。
それで、その何か根底から死っていうものを見たり体験したり感じる、自分の知覚が全然変わったと思うんだけど、
何かそのコースを受けた後に、はっきりと違うみたいな体験とかってありました?
ある。
えっとね、僕は基本的に、あんまり働くのは好きではない方なの。
ちょっと違うトピックの方に行きそうなんだけど。
でも、そのとき仕事をするっていうことに対して、ものすごく前向きになって。
で、正直人生の中でそのときはだいぶ煮詰まってる感じがあってんけれど、
それがね、自分の死っていうものをすごくしっかり認識した途端、
この生そのものがすごい前向きなものに変わって。
で、実際、俺は今年51になるんやけれども、
残りの人生っていうものが、今まではただ単なる退屈で苦痛なものっていうふうに感じてたのに、
残りの人生が実はちょっと、それはお宝で、僕に対する贈り物やっていうような、
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なんかそういう感じがものすごくしっかり根付いたかな。
いや、なんか今それっきりでちょっとすごい、え、あの、そうだったんだって今知ったけど、すいません。
そうだね、なんかこのことに対してあんまり深くしゃべったことなかったもんね。
そう、だからあまらなとはずっと一緒にいるけれども、
でもこのトピックについてっていうのはね、なかったから。
そうだよね、でもそのやっぱりみんなこの、私もそうだけど、
まあ50年近く生きてきて、じゃあこっから先、ただい、変な意味だけど、
ただただ時間が過ぎていくのを、何かこう眺めていくのかっていう、なんかそのね、起点というか。
開け放ったあまらなちゃんになった。
本当に、だから、死を学ぶっていうことは、実は生を学ぶことなんやっていうことを、はっきりと知ったかな、これは。
それはね、他の参加した人からも、あのフィードバックで聞いたことがあって、
あ、これは死のグループなんだけど、実は生きるっていうことのためのグループなんだよねっていうふうに、
フィードバックもらったことあった。
それは本当にそうだと思う。
それは、なんか自分のあまらななりの解釈の中では、
そのなんていうの、パラダイムシフトみたいなのが起きたっていうのは、
その死に対する自分の中に深く何か新しい理解が入ったっていうことなのかな。
そうだね。
死っていうものは、
身近に感じること、自分がひょっとしたらこのまま行くと、
理不尽な死を遂げるかもしれへんっていうような、そういう体験は今までにしたことがあるんやけれども、
それはやっぱりネガティブな体験やったのね。
そこから戻ってきたときには、やっぱりこの世界はちょっと素晴らしく見えたの。
だけれども、それはネガティブな反面のポジティブみたいな、なんかそういう感じやったのね。
やっぱり死というものはネガティブで、だからこそ生がポジティブみたいな、なんかそんな感じやったんけれど、
このグループを受けて、生というものは実は贈り物で、
死っていうのは実はそんな恐れるようなものでもなく、
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いずれ訪れる、なんかちょっと素晴らしい体験がひょっとするとできるのかもしれへんっていう、
なんかそういう感じの理解に今なってるかな。
なんか死っていうものがもしかして素晴らしい体験かもしれないって思えることがすごくすごいよね。
そうだね。
すごく今さらっと聞いちゃうんだけど、さらっと聞き逃してしまいそうになるんだけど、
もしかしたらそれは素晴らしい体験かもしれないっていう、
それがあって、死っていつもね、いつ起こるかわかんないんだけど、
それってすごい軽くなるっていうか。
そうだね。
いろんな変化が生きることに対して、
ネガティブからのポジティブとか、
闇からの光とかじゃなくて、
こんなにすでにそこに楽しい、素晴らしいものがないんだっていう。
そこから今、ライブで最初に受けてから何年か経ってると思うんだけど、
それは自分の中でどんなふうに熟成してるっていうか、
その後どんなふうになってる?
その後ね、やっぱり人生の中で自分はさ、
こうしたいけれどもできないとか、やってないみたいな感じのことがいくつもあって、
今それもまだ自分は抱えてはおるけれども、
できない理由って実はないんかもなっていうふうに思っていて、
しばしゃくでヘルパーをさせてもらうようになって、
すごくはっきりと学んだんやけれども、
トータルに何かに打ち込むっていうこと、
トータルで自分がそこにあるっていうことが、実は自分の助けになって、
自分がこうありたいとか、こうしたいとかっていうことに対しての一番の答えなんかもなっていうふうに思えるようになってるかな。
マジで。
ちょっと泣いてもいいですか、ここで。
いやー、なんかめっちゃ嬉しいですよ、それは本当に。
だからね、なんかね、あれって確かティーチャーズトレーニングの一番最初にするやつやんね。
そうね。うん、そうそうそう。うん、しからね、やってこうねっていうことやってね。
だからそれがね、一番最初に来るっていうのが、ほんまに意味がわかるというか、
本当に素晴らしいプログラムの組み方やと思う。
ねー、本当になー。
そうじゃないところをずっとね、一緒にやってたもんね。
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そうやね。
いや、本当にでも、組み立てもそうなんだけど、やっぱりその死っていうエネルギーに崩るぐってところからスタートするのが、
いや、ここはもうキモやわっていうふうに。
ね、なんか私も自分でそうだし、一緒にずっと前からやってたアマラナを見ててもそう感じるし。
いやー、なんか、どんな人たちに来てほしいかな、どんな人たちにおすすめしたいと思います?今アマラナから。
俺はね、本当に幅広い人に役に立つと思う。
幅広い?
そう、例えばさ、僕なんかは瞑想やってちょっと年数が経ったって自分では思っていたのね。
だけどさ、これ根本やんって思って。
だからさ、瞑想何年もやってきた人に対してもこれはものすごく有効やし、
これから瞑想を始めようっていう人にタッチにとっても、これはものすごく有効やと思う。
死というものから入るからこそ、その後の深みが生じるんやと思う。
でもなんかちょっと、瞑想しようかなって思う人、これからね、思う人って、たぶんその人それぞれみんな違うと思うんだけど、
瞑想を始めるっていう世界観とかイメージしてる、見えてる場面とかっていうのがみんな違うんだけど、
でもそこに死っていうのは入ってない感じがするんだよね。
入ってない、入ってない。
なんかちょっと瞑想してたら、そのうち遠来として、死というものと無縁になるんかというような。
とかね、それからダウントラをやってみようと思った時の見えてる風景とか景色の中に、
私も始めた時は全く入ってなかったし、むしろカーテン閉めて、「はい、ないでーす。」みたいに、「そこは違います。」みたいに勝手にカーテンを閉じていたわけなんだけど、
ちょっといきなり死から、みたいな死っていうところから行くの、みたいなの、ちょっと不安とか微妙みたいに思ってる人たちに、体験したままだからメッセージをお願いします。
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例えばだけど、たぶん20年ぐらい前のトーシャンとか20年前の自分とかを想像してみた時に、その人たちに何て声かけてあげられるかなって思うとどうだろうね。
そうだね。20年前の自分に、もしメッセージを送るとすれば、まず死から入りなさいって言うと思う。
お告げだね、まさに。
死というものに本当にリラックスすることができれば、この生はパラダイスになると思う。
すごい格言が出ました。
死にくつろぐことができたら、この世はパラダイス。
今後使わせていただきます。
ありがとう。
そうだよね。だけど3日間一緒にみんなで迷走してたけど、すごく大変なグループというか、深刻なグループではなかったよね。
そうだよね。
楽しかったね。
結構楽しかった。本当にそのネガティブな死を学ぶというような感じは一切何もなくて、
自分が持ってる死に対するイメージを解体して、
くつろいで、新しい本当にちゃんとした理解がそこに入ってくるっていう、そんな感じのするグループだったと思う。
ポッドキャストでも広がっててほしい言葉がいっぱい散りばめられております。
最後にもうそろそろ時間なんだけど、
だからやっぱり素晴らしい生が待っているっていうことが伝わるといいよね。
これからスタートする人とか、何やろうみたいな思ってる人にね。
本当にこれはすごくいいおすすめのグループ。
ありがとうございます。
タントラを学ぶ学ばへん関係なく、もしもそれがビパサナに行きたいのであっても、
マインドフルネスがしたいんであっても、リクシャがしたいんであっても、PM瞑想がしたいんであっても、
まずこっから入ったらええと僕は思う。
盛り上げに盛り上げてくださってありがとうございます。
じゃあ、この辺で今日はありがとうございました。
ありがとうございます。
またいらしてください。
ありがとうね。
じゃあね。
じゃあね。
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