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2024-08-20 23:47

#13インタビュー対談「ヤショダの物語」

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インドから届く声のお便り〜

『ShivaShakti』はインド在住のトーシャンが日々の気づきやタントラについてお伝えしているラジオ番組。

 

今回は、タントリックな死の講座に参加したヤショダの物語を聞かせてもらいました!

 

保育園に通う娘からの死に関する問い、死の対話を通して自分自身の変化を感じるようになったというヤショダとの対談をぜひお楽しみにください♪

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インドからお届けする声のお便り。こんにちは、そしてこんばんは。
シバ・シャクティのトーシャンです。
今日もよかったらどうぞ、最後までお付き合いください。
はい、じゃあ今日は、娘ちゃん、当時4歳だった娘ちゃんと、
時々一緒に講座を受けてくれたヤショダのお話を聞かせていただきたいと思います。
ヤショダ、こんにちは。
こんにちは、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今こうやって収録する前に話をしていたんですけれども、
うん。
懐かしいですね。
懐かしすぎますね。
私も思い出したんだけど、娘ちゃん本当にまだ幼稚園というか保育園の時だったから、
それでも時々一緒で、あの時ステイホームだったんだよね、コロナでね。
保育園に行ってなかったんだっけ?
行ってた。私は預けて受けて迎えに行ってみたいな、
そういう日常の講座がごちゃごちゃだった。
その忙しさの中で受けてたって何回言ってたね、娘を保育園に送って、
座を受けて、またお迎えに行ってみたいな、ご飯作って。
ご飯作って、ご飯食べて、夜のセッションに間に合うみたいな。
すごいね、まさに日常の延長の中での参加だったね。
そうなったんですよ。
そうだったね。
だからあの時、じゃあ父さんとうたむがこんなのやりますよみたいなお知らせが来た時に、
受けてみようと思ったきっかけみたいなのは特にあったの?
きっかけっていうか、そうね、何でもよかったんですよ、テーマは。
テーマは何でもよかったんだ。
その前か、梶原宝も行って、なんかこう、もっと知りたい、父さんとうたむからもっと知りたいなっていう、
なんかこう、もっと学びたいなとか、もっと一緒にワークしたいなとかっていう、
そういう気持ちはすごいあって、だからテーマは何でもよかった。
そう、まさに梶原宝に来た後もすぐ、インドはロックダウンになったしね。
そうか、それで娘ちゃんと忙しさの中で、日常をほとんど変えない状態で死のコース。
そう、思い出してきた、なんか朝ダイナミックはやったのかな、やった気がするのはやって、
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その後、たぶん子供の支度して、保育園行って帰ってきて、セッションを受けて、
くんだりんには受けられなかった気がするんですね、その時間に迎えに行ってみたいな。
そう、くんだりんの時間に安田は保育園に迎えに行って、それでまた夜ご飯の支度して、
ホワイトローブに2人で出てくるみたいな感じだったね。
そうそう、そんな感じでした。
保育園の子は聞いている間に、彼女はちょっとおねんねしたりみたいな感じだったね。
おねんねしたりね、息があった。
でも夜のホワイトローブが終わって、夜の9時くらいかな、寝る前のやつがお一人で出てたんだと思うんだよね、たぶん。
そうだと思う、イヤフォンでそっと履いていたような記憶をしています。
懐かしい、今はね、一人タイムを過ごせるようになったのでね。
というのと、自分の好きなパートだけ彼女は一緒に来て、もう飽きたら一人で去っていくっていう、そういうスタイルになったのでね。
今はスタイルがなんとなく確立したんですね、2人の中で。
確立しました、3年も続けるといい感じのところに落ち着いてますね、今は。
娘ちゃんもやっぱり、お母さんはパソコンの前に座って瞑想したりしてるみたいな、そういうのがわかってきたのかな、日常として。
でもそれは、3年前もわかってるんだけど、一人では居られないから一緒に居てほしいっていうのがあるんですよね。
ママは瞑想してるけど、私もそこに一緒に居るっていう感じ。
でもそういう忙しさの、ほとんど日常を変えない状態の中で受けて、何か受けた内容はもし忘れているとしてもですよ。
受けた後、死っていうテーマが嫌だって、前すごく言ってたと思うんだけど、その死っていうものに何か関して、何か変化はありました?ゴース受けてみて。
いや、ありましたありました。
ありましたありました?聞かせてください、よかったら。
死って私すごい怖かったし、自分では扱えないものっていうか、踏み込めない領域だったんですよね。
だから積極的にそこに働きかけていくなんてことはしたこともなかったんですけど、
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まあ何か、テーマしか、何て言うか、すごい遠巻きにはいって言ったにも関わらず、すごい何かやっぱ触れるものはあったから、
ゴースが終わった時は、何て言うの?すごい大きな変化をそこで感じたわけではない。
私たぶん、すごい痛い痛いって言ってた3日間だったんですけど、
痛みの状態から、今はすごい死が怖いとか、そのところじゃなくて、何て言えばいいの?
何にせよ、死んだらどうなるの?とかっていうのを、子供と普通に話せるようになったのがありがたいなって思ってる。
お前だったら死んだらどうなるの?って聞かれて。
それすごいよね。
私も答えられないっていうか、そのテーマ触れないでみたいな感じだった。
どうなるんだろうね?みたいな、よくある、何だろう、星様になってみたいな、
そういうところでちょっとごまかすぐらいの、それぐらいでも私はそこから触れたくないっていう感じだったけれども、
今はそれを普通に話せるっていうのが、全然大きな違いかなって思いますね。
今、娘ちゃんは何歳なんでしたっけ?
今ね、7歳。
小学校1年生。
小2だね、小2。
小学校1年生、小1?
小2。
小2か、そうだね、7歳だもんね。
でも小学校1年生、2年生の子供とお母さんが死について、
普通のマックのメニューを選ぶみたいに話せるっていうのはすごいことだよね、本当に。
そうですね、だから彼女は全然、私は死が怖かったんですけど、
死が怖いものだとあまり思ってなさそうで、私が見るからにはですけど、
何かこうなるんだよね、こうなるんだよね、でまた何かどこかでママと会えるからみたいなことを言ってるんですよね。
何かその当時、4歳だった時の彼女と母の会話を今見せてもらってるんだけど、
今その時はね、ヤショダにママ死ぬの?って聞かれたら、ママは死ぬよって。
あ、死なないよって。
えーやだ怖い、ナルちゃんは死ぬの?って。
本当の本当のナルちゃんは死なないよって。
本当の本当のナルちゃんって、じゃあ何?って。
母、魂って答えてるよね。
でその後、肉体はなくなるけど魂は永遠だっていうことを子供にお話ししてからの、
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ナルちゃんはどこから来てどこに行くの?って。
ママは聞いたら、お腹の中から来てお腹の中に戻るの。
ぐるぐる回ってるのって。
ナルちゃん死ぬの怖くないよ、死んでもまた生まれてきて、またママと会えるから。
死んだらしばらくお腹の中にいて、またお腹から出てくるんだ。
どうやって思い出した?すごい会話なんですけど、この母とこの。
えーこれ私。
4歳の娘と母の会話。
びっくりです、今これ私も見て、あんなこと書いてたんだと。
でも今もやっぱりお母さんとまた会えるっていう感じなのかな。
そう、今も会えるって感じだし、その魂の感覚がね、
この時よりも今すごい彼女の中にある気がしてて、
こういう話してるのもあれですけど。
してください、してください。
魂の話中かなんていうかあれですけど、
これは友達にはできないんだけどママにはできるとか言って、
ベラベラ喋りだすのが面白いです。
ベラベラ喋ってる。
なんかまさに新世代、新世代キッズって感じですね。
魂の話になるとすごくおしゃべりしてくれる。
そうなんですよ、なんか見えない友達もたくさんいるらしいですよ。
見えない友達がたくさんいるの?
そう、見えない友達がたくさんいて、
それがたまに現実なのか、どっちなのかって私がちょっと混乱するぐらいリアルなんですよね。
見えないお友達がいるんだね、いっぱい。
こんなこと喋ったら私は怒られちゃうんで、もう見えないですけど。
ここから先はオフレコということで、
じゃあ矢正太自身のことにまたトピックを戻したいと思うんだけど、
矢正太自身は3日間受けて子供とすごく詩について話せるようになったしっていうことを言ってたけど、
じわじわすぐに変化はなかったけどって言ってたけど、
例えば何かきっかけっていうか、終わった後に多分、もうすでに何年も前になってるんだけど、
なんかこの詩っていうものに対して自分の知覚とか感覚が違うなっていうふうに感じたときっていうのはなんかある?
違うなって感じたとき。
あるいは何か出来事があったとか、子供ちゃんが捕まえてきて生き物が死んじゃったとか、
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そういうイベントとか出来事みたいなのがあったりとか。
私にとっての出来事はやっぱり彼女からの問いですね。
彼女からの問いね、まさに。
それに私がどう答えるかっていうところで自分の変化を感じるかなっていう。
今は娘ちゃんに死ぬの?って聞かれたら、ママ死ぬの?って聞かれたら、何て答えるんだろう?
何て答えるんだろうね、ママは。
まあ、肉体は死ぬけどね。肉体はなくなっちゃうけどねっていう。
魂は生きてるんだよねっていうことがなんかこう、魂は生きてるって表現も変ですけど。
何だろうね、それを喋ってる時に私自身に、前は例えばそれを喋ったとしても、
その先にある真っ暗闇にどうしても恐れがあるっていうか、
怖いとか冷たいとか、やっぱなくなっちゃうっていうイメージがすごいあったんですよね、それを喋っていたところで。
でもなんか今それ同じこと喋るんだけど、そこにすごい温かみがあるっていうか、
同じ暗いんだけど、暗いんだけど光ってるみたいな。
何だろう、そこがこう、
暗いんだけど光ってるとか。
なくなるところじゃないっていうのがなんか違いかな。
なくならないっていうのが私にとっては結構すごい大きなこと?
自分がなくなっちゃうんじゃないかっていうことにすごい恐怖心があったんだけど、
元からないのかなくならないのかその辺を置いたとして、
なくならないっていう感覚があるんだよねってことがすごい大きい。
なくならないっていう感覚で生きるし生活していくっていうのは、
すごく深いくつろぎでいうかね、ポジティブって言ったら変だけど、
なくならないっていうのがすごくヤショナンの中にとってはすごく大きな、
なんて言ったらいいんだろうね、こういうの。
すごいなんか、私は生きた証を集めなきゃいけないってずっと思っていたから、
どうやって自分が生きてきた証を後世に伝えるかっていうことに必死だったっていうか、
だから夢は情熱大陸とかに取材されることみたいな。
どうやって情熱大陸に出演するかみたいな。
それにすごい必死だったけど、そんなこと考えなくてもいいじゃんっていうところにいる、
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今はすごい楽です。
楽だね、そうだね、楽だね。
その楽っていうのは、今はこうやって笑ってるけど、
その楽な感じっていうのは、すごくすごく楽っていう二文字では表せないほど楽だと思う。
そうなんですよ。
この感覚が、いろんなところでの私の、
亡くなっちゃうとか、壊されちゃうとか、
引き離されちゃうとかっていう、現実でいろんなところでくっついてる私の感情の大元が、
この多分、死とかにあるから、そこが楽になってくると、
関係性とかだったりとか、
誰かとの中で感じてる、私のどうせまたみんないなくなっちゃうんだね、みたいな、
そういうところの感覚も、やっぱりすごい変化があることがすごいなと思う。
なんか、どうせいなくなっちゃうとか、どうせ亡くなっちゃうとか、
そこが楽になったっていうのが大きいね。
楽です、とても。
それはその楽になったことで、
例えば同じダイナミック瞑想をしたりとか、同じダブルアーマーをしたりとか、
同じように和尚の瞑想をずっとね、前も後もずっとやっていると思うんだけど、
自分の瞑想のプラクティスの中での変化みたいなものを感じ取れることはある。
これはどう結びついているか知らない、わからないけど、
なんていうか、9に行くことが楽になったっていうか、止めないよね。
それをなんだろう、なんか私、そこに行くまでの間に抜けなきゃいけないのがいつもあって、
そこを越えられないとその先へ行けないっていうゾーンがあったんですけど、
なんかその越えなきゃいけないゾーンがね、どんどんちっちゃくなっている気がするんですよ。
例えば、ナタラジ瞑想は踊り手が消えるよね。
ダンサーは消えて、ダンスだけがあるっていう。
例えばね、その消えていく、溶けて消えていくっていう、
今一番イメージしやすいのはナタラジ瞑想だと思うんだけど、
なんかそこで何かつい、ウォッチングしちゃう、鑑賞しちゃうみたいな癖は私たちにもみんなあるんだけど、
こんな風に踊っている自分を見ている奴がいたりなんかするんだけど、
そんなのにも何か変化。
なんか没入するやつはしやすくなりましたね。
やっぱ考えているところにいるときは何も起きないんだよねっていうところの、
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その考えるのストップが、ずっとそれがブレーキを押してるんだけど、
そのそれが外しやすくなってる?
まあいいや、ちょっと違うけど、
なんかそのダイナミックな、第三ステージとかもそうですけど、
ストップかけなくていけることは増えた。
自分で自分をストップしなくていい、なんていうの。
そっかそっかそっかそっか。
制限をかけること、その先に何が、
その先は別に怖い世界ではないっていうことを知ったっていうことがすごく多くて、
その先に行って、自分は別に壊れるわけでもないし、
なくなるわけでもないし、ここは未知になるわけでもないってなったときに、
あとはお任せしますっていう、そこの領域に行きやすくなりました。
お任せ、お任せがOKになった。
今ね、うんうんって、浸ってました。
ごめんごめん。
そうですね、すいません、浸らせてしまった。
いや、死から旅を始めるっていうことって、今改めて思うと、
すごい、そこから始めるんだねっていうことに、今改めて納得してるっていう、そんな感じです。
そこから始めた。
このダントランのね、旅を死からスタートしようかどうか、
思い悩んでる人とか、マジかよって思ってる人もいると思うんだけど、
で、その後、死っていうところから入って、その後次はね、お金、
セックス、愛とかっていう、そっちにパワー、そっちに続いていくんだけど、
旅はね、死で始まって、死で終わるわけではないんだけど、
死から始まって、行く旅をずっとしてきた安原としては、
そこから、これからスタートしようかな、できないでしょ、
もしかして、なんかちょっとどうしようと思っている人たちに何か、
伝えてあげられることが、
なんかね、損はないですって。
え?
損はないですっていうこと。
すごい、今すぐ何かを受け取らなかったとしても、
受け取れなかったとしても、受け取らなかったとしても、
それが知らないうちに入ってきてるっていうか、浸透してるっていうか、
それはすごいあるんじゃないかなって、私は思っていて、
例えば、死の体験をするとか、
そんなこと日常生活送ってたらありえないわけなことをグループでやって、
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やるよって言われたからやってるんだけど、
そうやってでも、その体験をしたことっていうのが、
やっぱり自分の中での変化のすごい大きな源になってるなっていう感じはしていて、
そんなのやんの?みたいなところを、
ジャンプできない人にはジャンプすることをお勧めしたいんだけど、
これを何と言ってお勧めしようかなと今思ってたんだけど。
あと、ビデオ講座になったおかげで、何回も見れるっていうのはすごい良いことだなと思うので、
1回目見てもさっぱりわからないことが何回か見ると、
そういうこと言いたかったのとか、その時によって受け取ることって違うんですよね。
だからすごいリアルで1回だけの会場でやるっていうのもやっぱすごい意味がありますけど、
ビデオはビデオのすごい良いところがあって、
何回か見れるっていうのは私はすごく良いところだなって思っています。
なんかこう巻き戻したりとか、もう1回ここみたいな感じで見るとかね。
引き流しに使ったりとかね。
あと瞑想、なんか瞑想したい。
何が瞑想したい?でもちょっともう60分は今日無理みたいな時とか、ガイド瞑想してくれたりがある。
そうだね。ガイド瞑想は1時間もやらないからね。
あと夜寝る前とか、すごい激しい日だったみたいな時に、
すごい落ち着いて寝るための時間を持てたりとか。
そうだね、そういうビデオ講座ならではみたいなのがあるね。
今日はこれやろうかなみたいな。
じゃああっという間に時間が経ってしまいましたので、
この辺でお話を伺うの、また次回ね、どこかのタイムでまた聞かせてください。ぜひ。
はい、じゃあ今日はありがとうございました。
ありがとうございました。
今日のトピックはいかがでしたでしょうか。
この番組ではリスナーの皆様からの質問や感想、大歓迎しています。
よかったらメッセージを送ってください。
今日も最後までお付き合いくださって本当にありがとうございます。
それではまた次回、皆様にお会いできるのを楽しみにしています。
じゃあね、See you!
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