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2025-11-22 17:12

雑談はグルーミング


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サマリー

雑談はグルーミングの代替手段として重要であり、社会的な絆を深めるコミュニケーション手段とされています。特に、人間の進化における雑談の役割や、文化による社会規範の形成についても考察されています。このエピソードでは、人々が集団の外部者をどのように認識し、共感がどのように影響を受けるかを探ります。特に、集団内での社会的協力やナショナリズムの影響について考察されています。

雑談の重要性
はい、どうもしらいです。今日もずっと話している本について、進化を超える進化ですね。からちょっと面白かった部分を見ていきます。早速いきます。
今日は、最初は雑談についてですね。
私たちの親類である霊長類にとって、グルーミング、毛づくろいですね、は時間のかかる作業で大きなコミュニティーでは、その負担は大きい。一方、人間は大きな社会でうまく暮らしていくために、雑談という方法を編み出した。
中略して、おしゃべりっていうのはある程度グルーミングの代わりになるというふうなことが言われています。
ちょっとした会話や冗談のほとんどは、相手と仲良くするための社交事例であって、その内容は重要ではない。
転向について話すことで、社会的な絆を維持し、欠縁者でない人々と協力しやすいようにしているのだ。
相手の気分を良くして、自分のことを好きになってもらうのが目的。
だが、そのような世間話は学習によって身につける技術であり、幼い子供は往々にしてうまくこなせない。
彼らは調子はどう?などという質問に正直に答えてしまう。
雑談を交わすうちに相手との共通点が見つかる。その共通点を足場として居心地の良さと経験の共有が導かれる。
そして雑談によって相手との絆は一気に深まるが、同様の絆を共同作業によって深めようとしたら何日もかかることだろう。
つまり雑談は、社会的絆を深めるのに必要な時間とエネルギーを削減するのだ。そして人間は雑談を好むように進化した。
文化と社会規範
面白いですよね。
こういう一つの説だとは思いますが、こういった因果の流れがあって雑談を好むように進化したんじゃないかというふうなことが話されていて面白かったですね。
社会的絆を深めるのに必要な時間とエネルギー削減のために雑談してんのか?ってなって、
そう思うと雑談にも進化人類学的意義を感じますねっていうのを思ったんでちょっとここは読んでみました。
意見や情報を共有すると脳の放出中枢が活性化し気分が良くなる。
人間は幼少期が長く寿命も長いので生涯において他者の助けが必要になることが多い。
したがって家族以外の信頼できる人との関係を築くことはプラスになるというふうにされていて面白かったねちょっと見てみました。
あとはこれはどこの文脈だ?
習知心か罪悪感か?
これはここの部分で日本人と英語圏の文化がちょっとあったんで読んでみます。
多くの社会は習知心を利用して人々の行動をコントロールしようとする。
例えば日本の文化は恥の文化であり、他者にどう見られるかが罪悪感より強く行動に影響する。
一方アメリカなどの罪の文化では恥をかかないことより、良心に従い罪悪感を回避することの方が重視される。
道徳心の根拠として習知心と罪悪感のどちらが重要かは、その社会の噂話のネットワークの緊密さによって決まるようだ。
そういう研究があるらしいです。
社会的絆が永続し、匿名性が低く、結束が強い社会、例えば人々が噂話をよくする村などでは、
人は人を評価しがちで、社会的格差を性格の良し悪しのせいにすることが多い。
性格が良いから社会的格差が高い、性格が悪いから評価が社会的に低い身分みたいな感じですかね。
そのような集団では、習知心は人を社会的にコントロールするための重要な手段となり、人は習知心ゆえに集団のルールに従う。
日本的というか、日本の村社会的って感じですかね。
社会的絆が永続、匿名性が低い、結束が強い。
なるほどって感じ。
しかし都市などの個人主義の社会では、人々は孤立し、繋がりが希薄で、個人は一つの集団ではなく多くの集団に依存するため、噂話が人の評価に繋がることは少なく、習知心の効果は弱い。
そのような社会では、当人の罪悪化に訴えた方が効果的かもしれない。
ここはしさ深いですね。
ここはね、まあでも宗教的な部分も多文に含まれているとは思うので、完全に、
でも端の文化って言ってるからな、文化、罪の文化、文化はまあ、宗教的観念も包括している気がするので、
そこから導き出されているというか、影響を受けている気がするので、そこもありつつのこういうことなのかなっていうふうには思いますね。
他は何かあるかな。
物理学では対称性の破れ、無秩序な状態に方向性が生まれることと呼ばれる現象だ。
どれ、なんでこれあれしたんだろう。
どういう文脈なんだろう。
うーんと、ちょっと前の文脈読んでみると、
自明のことわりとされるものが文化によって異なるのであれば、社会規範はどのようにして生まれるのだろう。
どういう文脈、なんでマーカーを引いたんだろう。
社会規範から部族主義へ。
ちょっと待って。
性別は生物学的に決定されるが、ジェンダーは文化が発明したものであり、しばしば偏っている。
例えば、芸術の大半は男性の視点に立っている。
また世界の主な宗教は、過不調性の社会規範を支持している。
農耕民族社会のほとんどは、女性の体を隠すことから一族に恥をかかせた女性を殺すことまで多岐に渡る規範によって女性の主体性をコントロールし抑圧している。
この辺は、男女の不平等に関しての部分ですね。
これはちょうど古田さんのジェンダーギャップのやつを聞いたから、すごくタイムリーだなって思いますね。
人間の行動すべてを生物学的原理によって説明し、人間を縛っている社会規範、文化的に進化した変化し得る動機や行動を無視するのは危険で、個人や集団から平等な機会を奪う恐れがある。
本当におっしゃる通りというか。
これは本当に大事な部分ですね。
マーカー引いてというか、ハイライトをしてシェアしよう。
これ大事ですよね。大事な部分ですよね。
人間の行動すべてを生物学的原理によって説明し、人間を縛っている社会規範を無視するのは危険で、個人や集団から平等な機会を奪う恐れがある。
偏見に満ちた社会規範がより公正なものになることもあるが、その逆も起こり得る。
肌の色や性別で人を差別するという社会規範は多分だが、アメリカではこの数年間で大統領が率先してそれを容認するということが起きた。
合意形成のプロセス
肌の色や性別がその人の道徳性や知性に社会規範よりも強い影響を及ぼすという通念に科学的根拠はない。
これは重要なポイントだ。というのも、個人や集団に課せられている社会規範は人々の行動や生態を変え得るからだ。
いやーこれも本当におっしゃる通りっていう感じですね。
これもちょっとハイライトをやって、ちょっとタイミングを見て、シェアだ。
なぜタイミングを見る必要があるのかはちょっとわかんないですが。
そんな中での自命の理とされているものが文化によって異なるのであれば、社会規範はどのようにして生まれるのだろう。
よくある誤解は集団を統率するために一人のリーダーあるいは中央集権型のメディアによって作られるというものだ。
実際には社会規範は様々な社会で自然発生的に生まれるようだ。
子供の名前の流行に関してオンラインである実験が行われた。
独名のプレイヤーがランダムにペアを組み、一方がもう一方にある名前に賛成かどうかを尋ねる。
次々に別の人とペアを組み、その度に様々な名前を提案し相手の合意を得ようとする。
当初合意はほとんど得られないが、わずか数ラウンドで全員が一つの名前に合意した。
この例と同じく規範についての合意は何もないところからランダムな相互作用を通じて自然に形成される。
物理学では対照性の破れ、無秩序な状態に方向性が生まれると呼ばれる現象。
プレイヤーが24人でも48人でもあるいは96人でも結構同じだった。
このことは規模を無限に拡大できることを示唆し、また国家のような非常に大きな集団においても社会の慣習が自然発生的に形成され得ることを物語る。
この実験は公共在ゲームと同じくプレイヤーの相互作用に手を加えることで合意形成のプロセスを操作できることも示した。
すなわちソーシャルネットワークに簡単な変更を加えるだけで人々がある社会規範に自発的に同意する可能性が高くなるのだ。
つまり私たちは同調するのが好きなのだ。
なるほどね。
そこからさらにヒップスター効果とかがなんかあれやこれや話されてる。
トレンドの流れみたいな。
これはとても示唆深い部分ですよね。
あれやこれあってこれが部族主義の起源だ。
社会規範を多く共有すればするほどあなたは相手の行動を予測しやすくなり、その人が自分の利益のために行動してくれるかどうかを判断しやすくなる。
これにより人と人との交流や相互作用の無駄を省くことができる。
私たちは誕生した時から意識的にも無意識的にも自分が属する集団の社会規範を学び続けるので、
ある集団に生まれそこれ育ったというだけで自然にその文化に帰属すると。
あーなるほどね。
集団と共感のメカニズム
さらにあれですね。
めっちゃ省略して。
私たちはよそ者を見分けることで自らの集団のパラメーターを明確にし自分の立場をより確かなものにする。
同じ集団のメンバーが痛い思いをしていると人は共感し脳はその痛みに反応する。
それは繋がりを感じているからだ。
しかしその人が例えばスポーツのライバルチームのファンクラブなど別の集団のメンバーだと知らされると共感はストップする。
脳はスキャンするとよそ者を見る。
時のニューロンの発火ボタン。
脳をスキャンするとよそ者を見る時のニューロンの発火ボタンは人ではなく物体を認識する時のパターンに似ていることがわかる。
これはねほんとすごいことですよね。
だからもう自分と他者、相手、部族外の人ってなるとものを見るような感じになるってことですよね。
これは恐ろしいことです。
つまり認知レベルで相手の人間性を奪うのだ。
人格の支障とかって言われるやつですね。
他の研究では人が同じ集団のメンバーと交流する時にはオキシトシンというホルモンが多く分泌されて理他的な行動が促進されるが、
外部の人と交流した時はオキシトシンはそれほど増えないことがわかった。
部族内での社会的協力の前提となっているのは血縁でない人が自分のために行動してくれると信じられることだ。
したがって集団にとって最大の脅威になるのは誰かが共同作業をサボっているとか、あるいは誰かがみんなが思うような人物ではないといったことだと。
これはね、本当にしさ深いところです。
で、このね、ライバルチーム見た時とか別の集団知らされると共感ストップするっていう点においては、
これはね、えーっと、誰だっけ、アダム・グラントか、シンカー・ゲイン。
で、同じようなレッドソックスと、あれなんだっけ、野球チームレッドソックスとヤンキースか、確かあそこすごいライバル関係でめっちゃお互い憎んでるんですよね。
で、そこで書かれていたのが、確かレッドソックスのファンにヤンキースを応援する時、応援する場合、どんな時が考えられるっていう風に聞いたら、
ヤンキースの相手がテロリストだった時なら応援してやってもいいかなみたいな、そんぐらい敵対してるみたいな感じなんですけど、
じゃあそれをどうやってこう解消するかみたいなところで、確か、えーっとね、自分が相手の、結局相手の立場になるみたいな感じだったんですけど、
シンプルにこう、じゃあ自分が今生まれた、そう、ヤンキースとレッドソックスっていうのは本当本拠地とかがあるから地域に根差してるんですよね。
だからもし自分が相手の、例えばレッドソックスファンだったら、ヤンキースが本拠地としている街に生まれていたら、あなたはそれでもレッドソックスのファンになりましたかっていう風な質問を投げかけられると、
シンクワーキンですよね、考え直す。その、まあ確かに、ヤンキース、レッドソックス、ファンじゃなかったかもしれないなみたいな、風に考え直せるみたいなところがあったので、そこですよね、そこに何かヒントがある気がするなーって思ってました。
というわけで、今回はとりあえずこれぐらいですかね。
ナショナリズムと社会的分裂
あとなんか、でもこれぐらいですかね。
ナショナリズム。ナショナリズムの対等は、自国に脅威が迫っていることを示唆し、それがフィードバックループとなって国民は自国や、自国が移民や近隣諸国からの脅威にさらされていると確信する。
しかし実際のところは、それらの国に対する脅威は外からではなく、むしろ内部の社会的分裂と不平等から生じているのだ。
いやー、なるほどねーって感じですね。
あ、同じ流れの中での話か。
ふんふんふん。
面白いですねこれ。
集団が最も団結するのは危険が迫っていると感じる時だ。
危険が迫っていると集団が最も団結すると。
で、5歳の子供でも自分が属する集団が脅威にさらされている時には進んで協力しようとする。
ホモサピエンスすごーって感じ。
ふんふんふん。
っていう感じですねー。
っていう感じですね。どういう感じなんだろう。
それぐらいか、でもだいたい話すことは話した気はするが、
あとはパラパラと。
うーん、まあいいか。
パラパラと喋って終わりかな。
はい、というわけで今回はとりあえずこれぐらいですかね。
終わりまーす。
バイバイプー。
17:12

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