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私と文化人類学②:マリノフスキー
2026-07-23 16:55

私と文化人類学②:マリノフスキー

オススメです!

国立民族学博物館@大阪府吹田市

 → クラ交換についてのみんぱくの記事「みんぱくのオタカラ

国立歴史民俗博物館@千葉県佐倉市

#文化人類学

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00:00
スピーカー 1
こんにちは、しんりんです。 私と文化人類学②です。
今日はですね、マリノフスキー先生について 語っていきたいと思います。
文化人類学大好き人間にはですね、
まず最初に、文化人類学に接するときに読む本として、
このマリノフスキー先生の「西太平洋の遠洋航海者」 という本を最初に読むのではないでしょうか。
文化人類学のクラスでは、 まずこれを読むというところからスタートします。
なぜなら、このマリノフスキー先生が、 文化人類学の父というぐらいの存在だからなんですね。
スピーカー 1
なぜ彼が文化人類学の父と呼ばれるかといいますと、
文化人類学の手法で参与観察という言葉があります。
参加するの参に、与は与えるという参与観察。
彼が三予観察をした、日本語ではフィールドワークとも言う、
日本語じゃないな、三予観察、別名フィールドワークとも言うんですが、
フィールドワークを最初に行った学者さんだからです。
フィールドワーク、三予観察とは何かというと、
自分の興味のある研究対象とするエリアやコミュニティに行き、
そこで一定期間暮らしながら、
そのコミュニティの人たちの行動を観察したり、
社会や文化や価値観について観察したり、話をしたり、
インタビューをしたりということで理解をしていき、
それを論文にまとめるという手法になります。
このマリノフスギーさん、もともとはポーランドの人らしいんですけれども、
この調査をした時というのは、
1915年から1918年の2回に渡って調査をしまして、
スピーカー 1
約2年間、トータルで2年間調査をしたそうで、
行った場所はオーストラリアの北にあるパプアニューギニアという国の
03:06
スピーカー 1
メインの島から離れたトロブリアント諸島というところに行きまして、
そこでクラ交換、
これもマリノフスギーといえばクラ公館みたいなセットで覚えられるんですけれども、
このクラ公館のことを非常にまとめた本が、
ほぼほぼ先ほどの西太平洋の援養公開者の本に書かれています。
このクラ公館、クラはカタカナなんですけど、
スピーカー 1
クラ公館って何だというとですね、
だいたいそこに島が諸島なので島が18個ぐらいあると。
この島の中で2種類の貝で作った宝飾品、
1つがネックレスもどきで、1つが腕輪もどきなんですけれども、
その2種類のものが1つは時計回りにこの18の島をぐるっと回り、
もう1つのものが半時計回りに回ると。
これを島から島に渡っていき、
だいたいですね、時代が1900年代の初めぐらいですので、
島と島の距離も40キロ、短いところで40キロだし、
遠いところだと100キロぐらいあって、
当時なので通信網も何もないですし、
船というかカヌーも人力だけですので、
このネックレスや腕輪がいつ来るかというのは分からないわけですよね。
なので一周するのに数年で一周するときもあれば、
10年以上かかることもあったという感じで、
いつ来るか分からないという、なかなか不思議な交換システムです。
で、実際にこのネックレスや腕輪には何ら実用的な価値はないんですね。
で、ただこの交換をするその18の島のコミュニティ、
スピーカー 1
大きく言うとこのコミュニティの中で、
そのネックレスや腕輪が交換されるということには別の意味があると。
で、大きく分けて3つあって、
スピーカー 1
一つはそういうふうに交換をしていくわけですから、
敵対関係になることを防げるし、平和的な関係が維持できると。
だってそんな交換とかしなくて、
なんか遠くから自分たちの島に船で何隻も船がやってきた、
06:08
スピーカー 1
カヌーがやってきたとしたらですよ。
なんか隣の島から襲われるのかなみたいに思うかもしれないじゃないですか。
いつ何時に襲われるかもしれないんだけれども、
クラ交換で隣の島を訪れるっていうことがもう儀式になっている、
習慣になっていれば襲われるっていうふうには思わないでしょうし、
もしそこで何らかのいざこざがあったりすれば、
その18の島からなるコミュニティ、大きな意味でのコミュニティから
自分たちが外されてしまうっていう危険性もあるわけですよね。
なので、このクラ交換をするっていう仕組みの中に、
システムの中に入ることで、平和的に近隣の諸島と関係が保てると。
無駄な争いもしなくていいっていうのが一つありますし、
あと二つ目には、ネックレスだったり指輪だったりっていうのが
それぞれの方向から来るんですけれども、
それを持ってくるときに一緒に結構実用的なものも持ってきて、
例えばAという島では作られないものを
隣の島から持ってきてもらって、
自分の島の特産品とかと交換すると。
金銭ではなく物々交換をする、
貿易とまではいかないんですけれども、
そこでお互い実用的な交換システムというのもできると。
スピーカー 1
なので、ネックレスや指輪には実用性はないんだけれども、
実用性のないものを運ぶという意味というか儀式があることで、
ついでに実用的なものの交換もできるというシステムにもなっていると。
三つ目っていうのが、本当にこれは社会性的なもので、
歴史が語られたり、ストーリーが語られたりする。
つまり、前回この指輪が来たときはね、みたいな感じで、
そこの島それぞれにいろんな話があると、
こんな珍しいものが手に入ったんだよとか、
スピーカー 1
この商品とこれぐらいの交換をしてめちゃくちゃ得をしたんだよとか、
そういう昔話もできるでしょうし、
また近隣の島から島に物が渡ってくることで、
09:05
スピーカー 1
近隣の島々の最近の情報とか噂みたいなものだったりだとかもそうですし、
そういう近況がわかるみたいな、
そういう社会的な側面もあったというふうに言われています。
で、こういうことをマリノフスキーさんはですね、
2年間ここに住んで、まずは現地の言葉は全然わからないわけですから、
まず最初はもう言葉を学び、信頼関係を作り、
そしてこの蔵っていう交換について学び、
蔵交換のためにどんな準備をするのかということも見たり聞いたりして、
いろいろ学んでいったっていうことが、
このとても有名な本に書かれています。
結局のところ、やはり何かものに対してもことに対しても、
文化ごとに私たちはいろんな意味付けをしているわけであって、
でもその意味付けって文化が変わると理解されないとか、
あまり意味を持たないってこともあるんだなってことがわかりますよね。
だって私たちが持っているお金、1万円ずつだって、
このパパはニューギニアに行けば、
それは特にパパはニューギニアのこんな遠く離れた島に行けば、
この1万円というお金には1万円という意味を持たなくなるわけで、
これはあくまでも今日本において、
みんな1万円というものの価値を、意味付けをちゃんと理解し、
信頼しているからこそ意味があると。
スピーカー 1
そういうところに、結局文化ってそういうもんなんだなっていうところが、
まず第一歩、このマリノフスキー先生の本から学んだことです。
実際にですね、この倉庫館に使われたネックレスと指輪をですね、
指輪じゃない、腕輪は日本で見ることができます。
それはですね、大阪水田にあります国立民俗学博物館というのがあるんですね。
民俗の俗はですね、なんとか俗、
例えばニュージーランドのマリオ俗とかアフリカのマサイ俗みたいな、
12:00
スピーカー 1
民俗を表す方の民俗学なんですけど、
こちらに行きますとですね、ちゃんと置いてあります。
初めて民泊って言うんですけど、
民泊に行った時にですね、この倉庫館を見て興奮したのを今でも覚えていますし、
こんな話をしていたらまた行きたいなって思う。
とっても楽しいです。
私だったら1日ここ民泊入れますっていう感じです。
参考までにですね、関東にも似たような博物館がありまして、
これは千葉県の桜市なんですけど、
こっちにはですね、国立歴史民俗学博物館というのがあります。
スピーカー 1
こっちの民俗は人弁の方の民俗になっていまして、
こちらどちらかというと国内の民俗学についての資料がたくさんありまして、
ここ若干桜駅から歩くんですけれども、
こちらもおすすめです。
というところで、まずはですね、
マリノフスキー、やはり文化人類学といえばマリノフスキーは欠かせない。
というところで、ちょっとマリノフスキー先生について語りたかったので、
記録に残しておきました。
あ、最後にそうです。
ただ、フィールドワークって特にこのマリノフスキーの時代、
現地の情報って今のように簡単にネットで調べてみたいなこともできなかったですし、
ロンドンだったり自分のふるさとだったりにいる人たちとのコミュニケーションというのもほとんど取れなかったわけですよね。
なので本当に行って2年間、1年1年ぐらいいたのかな、
その間というのは、もう彼ある意味一人ぼっちでもあるわけですよね。
もちろんコミュニティの中で人間関係ができていくとはいえ、
なかなかイギリスとパープワニューギニアの離れた島の生活ってめちゃくちゃ違うし、
言葉も違うし、文化も違うし、本当に大変だっただろうなって思います。
で、マリノフスキー先生はですね、
スピーカー 1
日々の産業観察で明らかになったこと、分かったこと、気づいたことをたくさんメモを取っていたんですが、
同時に日記もつけておりまして、
日記をつける危険性の一つとしてはですね、
亡くなった後にその日記が公開されてしまうんですね。
15:01
で、マリノフスキーさんもまさか自分の日記が公開されるとはなーって思ってなかったと思うんですけど、
公開されました。で、公開されて本人もだったんですけど、
スピーカー 1
そこにはですね、不満、不平、たらたらみたいなこともたくさん書かれていたというふうに言われています。
こっちの方は私も読んだことはないんですが、やはり島でのストレスもあったり、
スピーカー 1
ちょっと差別的な言葉もあったりみたいな感じで、
いやーどっかに吐き出したくなるでしょう。
で、なんかそれが発表された時はなんか非難されたらしいんですけど、
私としてはそれも含めとても人間らしいなって思います。
スピーカー 1
やっぱり、同じ国にいて同じ文書けて同じ言葉喋ってても、
なんか不平不満はあったりするわけですから、
それが全く価値観が違う、言葉が違う、
で、自分はよく最初はその言葉がよくわからない、
スピーカー 1
なんかもう社会もよくわからないってところに飛び込んだわけですから、
そりゃいっぱいストレスもあっただろうなって思います。
とても自然なことだなと。
スピーカー 1
はい、ただ日記はどうなんでしょうね。
なんかあんまり本人が望まない限りは発表してあげないのほうがいいのかしら、
なんて今ふと思った次第です。
スピーカー 1
ということで文化人類学その2、終わります。
16:55

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