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こんにちは、しんりんです。 今日は久しぶりに、私と文化人類学について語ります。
今回のテーマは、大学院進学です。 大学に入学した時、大学院なんて全く考えていませんでしたし、
私の周りに大学院に行っている人っていうのを知らなかったので、 大学院というものが私の頭の中に全くなかった。
ところが、大学3年生の時から、ゼミの担当の先生の事務的なお手伝いをすることになって、週一ぐらい。
公正の手伝いをしたりだとか、先生にこれやってみたいなことを、週一ぐらいでお手伝いしていて。
お手伝いしている最中なのか前後なのか、先生とちょこちょこ話をする機会もあって、 私が文化人類学が大好きだっていうことも先生分かったんでしょうね。
ある日、ゼミがあった日だったんですけど、ゼミが終わった後、私にその日の午後、暇だったら研究室に来ないって言われたんですね。
で、なぜかっていうと、別の大学から大学院生が僕に相談に来るから、よかったらその話を聞かないっていう風に先生が声をかけてくださったんですね。
よくは分からないんですけれども、いろいろ興味があるというか、文化人類学は好きですし、知らないことは知りたいなって思うので、
じゃあ行きますって言って、本当に私は先生と大学院生とのやりとりをただただ聞いていただけだったんですけれども、
なるほど、学部語があったら、こうやって大学院生になる道っていうのもあるんだなっていうことをその時初めて知り、少し自分事となったんですね。
多分先生もそういうことを考えてて、私に進む道の一つとして大学院ってのもあるよっていうことを教えたかったんだろうな、そこは先生に確認はしてないんですけど、
だからその日読んでくれたんだろうなっていう風に思っています。
そこからなんとなくですけれども、自分が大学院に行くっていうことを考え始めて、何年かの機会で先生に相談をし始めたんですね。
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ちょうど私が卒業する前、確か私たちが大学4年生の時に私が行った大学にも文化人類学を学べる、専攻できる大学院ができたんですけれども、それはまあできたばっかりだから。
先生として私が大学院に進学するんであれば、その学部の大学の大学院ではなくて、同じ福岡だったらこの大学とかこの大学にある別の大学の大学院の方をお勧めするなって言われて、
よくわからないので、そうですかっていう感じで。
文化人類学の先生として、仲良しではないんだけれども、そもそも異文化研究をするっていうところもあって、先生たち自体の考えがとてもオープンマインドな方々が多いのか、私が大学院に興味があると。
その辺りの大学だったら大学院に行ったらいいんじゃないかっていうところで、その大学院の授業を見学できるように先生が別の学校の先生にサクサクと連絡を取ってくださいまして、私は2つの大学院を見学しに行くこととなったんですね。
後々よくわかったんですけれども、別に私のデビューの先生と、私が見学に行った先の先生方はめちゃくちゃ仲良しなわけではなさそうだ。
ただ、同じ福岡市にある大学院ですし、同じ文化人類学をやっているということで、お互いサポートするというか、お互いの生徒に対してとてもウィルカムな考えの先生方が多くて。
何度かそれぞれの大学院に見学に行き、その2つは全然違っていて、大学院ってこういう感じで授業するんだなっていうことを直に体験できたっていうことも非常に私にとって助かりましたし、
その過程で色々知り合っていく人も含めて、改めて文化人類学の魅力を感じるようになったんですね。
そもそも先生方もとてもオープンマインドだと、そして研究できるテーマっていうのがめちゃくちゃ幅が広いっていうのもすごく魅力だったんですよね。
エリアに関してもそうですし、テーマに関してもそうですし、別に自分がつく先生と同じエリアとか同じようなテーマにならなくても、全然みんな点でバラバラ。
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先生もそうですし、生きている陰性のテーマを聞いてもみんなバラバラで、その幅広い懐の広さみたいなところも私にとってはとても魅力で、知れば知るほど文化人類学って何をテーマにするかとか、どういうふうに研究していくかっていうこともめちゃくちゃ自由な学問で、
そんな自由な中で自分が興味あることを突き詰めて調べていけて、それを論文という形でまとめるっていうところが私にとって最大限の魅力で、大学院に進もうと決めました。
なので大学4年の時は、大学院で何をやっていこうかなーっていうこともなんとなく考え始めて、また学部のゼミの先生がいくつかアイデアをくださって、私としてはそのまま日本からの移民の研究をやっていきたいなと。
先生が一つ紹介してくれたところとしては、熊本の天草、ここも本当に山藍の島なので、本当に田んぼが少なく、自給自足が大変なエリアだったので、たくさんの移民が海外に行っていたと。
その熊本には実は古文書がたくさん眠っていると。
その古文書を読み解くと、なぜその地域から海外に移住していったのかっていうことが歴史も通して見えてくるじゃないかみたいな話になって、それはそれで面白そうだなと思って。
なので一回、大学4年の時に福岡から結構遠かったんですけど、熊本の天草までドライブし、何ヶ所か見に行きましたね。
そして、私はここをフィールドに歴史学的な研究も含めてやっていくのかなっていうことも想像しながら計画をしていました。
そういう感じで古文書があって、古文書とそれまで私の人生は接点がなかったので、古文書を読み解くってどんなことなんだろうと、はっきり言って外国語である英語以上に読めないし意味がわからないっていうこともあったので、
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そんなことを学部の先生と話をしていましたら、大学4年になって、どのタイミングだったんでしょうね、比較的早いタイミングで、私がいた大学には、私は人文学科ってところにいたんですけど、歴史学科っていうところもあって、
歴史学科のクラスの一つに古文書を読むっていうクラスがあって、私は大学院で古文書を読んで研究するであろうっていうことを想定していたので、学部のゼミの先生がですね、歴史学科の先生に連絡を取ってくださって、
1年ほど、1年くらいなのかな、半年くらいなのかな、古文書を読むというクラスを参加させてもらいました。古文書読み解き辞典みたいなのもあってですね、本当に難しい英語とか長い英文とかと比較にならないくらい難しくてですね、
英語っていうのは辞書を引けばわかるわけですよ、ある程度。単語で意味も想像ついたりするんですけど、古文書はですね、そもそも文字が読めない、判読できない、一体全体この文字は何なんだみたいに、
人によって書き癖もありますし、よく使う漢字なんてめちゃくちゃ省略されて、はーみたいな、っていう文字がたくさんあって、本当に進まない進まない、これほど古文書を読むのが大変なのかっていうことを体験しました。
はい、今では全く覚えていませんが、そんなことも経験し、ちょっとちょっと大学院に行く準備をしました。
最終的にですね、見学に行った2つの大学院が、自宅からも距離的にも通いやすいですし、大学院のゼミの雰囲気もまあまあいいなーっていうところでしたので、そちらの2つを受験することとなりました。
最初に国立大学の方の受験をし、受験がですね、3つのセクションがあるんですね。
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なので文化人類学という、自分が専門とするその学問に対していろいろ自分の考察を述べる、なんかこう説問があってそれに対して自分の考えを述べていく、まとめていくみたいなのが1つと、
あと英語の試験、英語も別に英文法とか単語というよりかは、その文化人類学的なことに対するやはりなんか英文が出るんですよね。
でそれに対して自分の考えなのか、なんかこういうことが述べられてましたよみたいなことを英語で文章で書く。
そして3つ目が面接ですね。
まあ試験はまんまかなっていう感じで終わって、面接が一番大変でした。
面接はまあ大学院に入ってこういうことを研究したいですみたいなものをこう文章でまとめて提出していたんですけれども、
それに対してそちらの大学院の先生たちからいろいろ質問を受け、それに対して受け答える。
こちらはですね、学部で3年間文化人類学の基礎を学びましたという程度のもので、
対する教授たちはですね、本当に東大とか京大とか博士課程を経て国立大学で教えているような教授にいろいろ聞かれるとですね、
全然答えられないわけですよね。
多分そんな先生方からすると、学部の先生なんてもう本当に棒にも箸にも引っかからないみたいな感じで、
今でも面接終わった後、ああこれ落ちたなっていうのがもう分かったぐらいでした。
でもなんかもうボロボロだったので、その日家に帰って学部の先生にメールをして、
そちらの大学院の文化人類学の教授3人、トリオが面接勧で、もう私はボロボロでしたと。
もう全くここの大学院に受かる気はしませんみたいな。
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なのでその次にある私立の大学院の受験を頑張ってこちらに合格してそっちに行こうと思いますみたいな感じで、
ただものすごい落ち込んだメールだったでしょうね。
珍しくゼミの先生からその日のうちに電話があって、大丈夫みたいな感じで先生に心配していただいたことを今でも覚えています。
スケジュール的にはですね、私立の大学院の受験の前に国立大学の合格発表がありまして、
なんと落ちていたと思いきや受かってまして、でも受かってたのは嬉しかったんですけど、
個人的にはですね、私立の大学のゼミの方が緩い感じだったので、
雰囲気的には私立の大学院に行こうかなって思ってたんですね。
けど、ゼミの先生とも話をして、ゼミの先生はですね、東京の慶応でずっと高校から博士課程まで行った先生でいらっしゃって、
もともと九州の人間ではないので、将来のことを考えるとあまり知られていないその市立の大学院よりも、
やはり国立大学の方が知名度があるので、将来何かあった時に国立の方が僕はいいと思うよって言われて、
まあそれは確かにそうだろうなと。個人的には私立の大学院の方が好みだったけれども雰囲気的に。
まあ国立大学の方も悪くはなかったから、いいかと。
そして国立大学はですね、とても一番魅力的だったのは、その当時住んでた家から一番近かったんですね。
もう自転車で15分かからずに行けると。
本当に面接の時、なんでうちの大学院を選んだんですかって教授たちに聞かれた時、
頭に浮かんだのは家から近いからですってパッと頭に浮かんだんですけどもちろんそんなことを言うことはなかったんですけど、
家から近いのはやっぱりいいなと思って、結局私立の大学院の受験はですね、受けずに、受験料だけは払ったんですけれども払っていったんですけど受けずに、
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そのまま国立の大学院に自転車で通うということに決めました。
いやいや人生は分かんないものですね、大学院に行く予定もなかったけれども。
いやーこんな楽しい学問で好きなテーマが選べて好きなように調査ができるんだったら、
もうちょっと大学院に行きたいというよりももうちょっとこういうことを続けたいっていう思いだけで、
はい、学校って上に進めば進むほど、なんかだんだん学ぶこと取り組むことが自分の興味があるとこに絞られてくるので、
そういう意味では上に進むというのは私としてはとてもおすすめですし、
私にはとても合ってたなと。変わらず突発的にその時の興味のままに自分の人生を選択していってるなっていうのは、
はい、この時の大学院の進学も全く同じでございました。
ということで次回は、では大学院で私が何を研究したのかってことを次回お話ししたいです。
実際には全然、くももとの雨草の古文書はあっという間に研究テーマが変わってしまいました。
またそのあたりも面白いなと自分では思っています。
今日は一旦ここで私と文化人類学その6終わります。ではまた。