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こんにちは、しんりんです。 私と文化人類学③です。
今日はですね、私が 自分でどんなテーマを設定していたのかっていうところの
最初の頃 お話ししたいなと思います。
私が所属していたゼミは、先生も学生も3年間、2年、3年、4年と全くの持ち上がりでした。
で、まあこういう文系、文化人類学という学問なので、まあ卒業論文は書かなくても卒業はできたとは思うんですけれども、
ゼミの先生から、まあこういう文系だし、こういう学問なので、できれば全員に卒業論文は書いてほしいという希望が伝えられました。
で、まあ3年間ゼミがあるということで、結構早い段階からなんとなくでいいので、自分がどういうテーマで卒業論文を書きたいかっていうことを
少しずつでもいいから考え始めてほしいというのが先生の思いでした。
なので、2年の中間か後半だったのか、3年の始まりぐらいだったのか、各自ですね、自分の卒業論文のテーマとして、なんとなくでいいのでどういうことに興味があるのかっていうのをゼミでシェアしてほしいと言われました。
で、私としてはですね、高校生の時に留学をしていたので、なんか人が異文化に暮らして、考え方だったり文化だったり、なんかどういうふうに変わっていくのかみたいなところに興味がありますみたいな、本当にそういうざっくりとしたことしか言わなかったと思います。
で、先生そんな感じでゼミ生の関心を聞き、で、2、3週間後ぐらいにそのゼミ生それぞれに先生がこういうのはどうだろうねということでトピックと、あとおすすめする本を1、2冊紹介してくださるっていう時間がありました。
で、私に先生が紹介してくださったのテーマとしては2つで、1つが帰国史上、で、もう1つが日経移民だったんですね。
で、なんかおすすめの本をメモして、で、私としては帰国史上っていうのはなんとなくこう自分がやってきたことにかなり近しいので、あんまりだからなんか興味が持てず。
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で、日経移民ってなんか全然考えたことはなかったんですね。
なんとなく日経人ってのは聞いたことがあるけれども、よくよく知らないっていうことで、最初に読んだのは日経人の本でした。
で、なんかありがたいことにですね、私まだに卒業論文とその後書いた修士論文を一部ずつ持っていたので、一体全体どんな本だったかしらと思って、はい、あの、論文の参考文献を見ましたらですね、はい、ブラジル移民の本をご紹介されたんですけど、タイトルが日本は降伏していない。
ブラジル日経人社会を揺るがせた10年抗争っていう本でした。
最初にこの本をとってすごくショッキングだったんですね。
これっていうのは第二次世界大戦中にブラジルの日経人というか日本人コミュニティがあって、そのコミュニティの中で日本は
勝っていると、連合国に対して勝っているっていうふうに考えている、信じているグループと、いやいやいや日本は連合国に負けてんだよっていうふうに考えているというか、
連合国側の情報をラジオなどで見聞きしているグループとに分かれたんですね、日本人コミュニティが。
それを負け組×勝ち組っていうふうに呼ぶんですけれども、なんで日本人コミュニティがその2つのグループに分裂しちゃいまして、
最終的には日本人コミュニティの中で殺人まで起こってしまうぐらいになっちゃったんですね。
一方は勝ち組の人たちは連合国のラジオなどを聞いているので、実際に日本が負けているっていう情報を知ってて、
負け組の人たちっていうのは日系人といってまだ日本人で、本当に日本から来た人たちなので、気持ちは日本人というか日本人なんですね。
それで日本が勝っていると信じたいと思っている。
なのでその信念の違いっていうこともあって、それが殺人までいっちゃうんだなっていうのがびっくりでしたし、
私がそれまで太平洋戦争って聞くとアメリカとの戦争とか、太平洋とか太平洋とかアジアで起こった戦争みたいなことについて話を聞くっていうことはあったんですけど、
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そんな遠く離れたブラジルで、それも日本人がいて、2つに分かれて殺人まで起こるんだみたいなところがすごくびっくりしたというか、知らなかったことだったので。
私はその一冊の本、一冊だけまず本を読んで、もう私はテーマは日系人にしようっていうふうに決めるぐらい、私にとっては思い出深い本でした。
結局先生からお勧めされた帰国支度の本は、読んだのか読んでないのかすら覚えてないぐらいです。
そこから私は日系人の研究をするっていうのをその後ずっとやっていました。
そもそもあんまり、私もそうだったんですけど、勉強を始めるまで日本からの移民ってことを考えたことがなくて、まずは最初に日本人の移民の歴史みたいなところから始まりました。
少しばかりトレビアとしてお伝えできればなと思うのが、そもそも日本から海外に集団移民っていうのは明治元年に始まったんですね。
あるアメリカ人が153人ほどですね、あっせんしまして、ハワイのプランテーション、サトウキビプランテーションの働き手として農場で働く人間が足りないということで、
153人をハワイにあっせんをしていったというのが日本からの集団移民の始まりです。
今でこそ移民って言うんですけれども、行った人たちっていうのは別に移民しようと思って行ったわけではなく、感覚としてはでかすぎなんですね。
こうやってハワイに行けばいくらいくら儲かりますよみたいな感じの振り込みがありまして、じゃあそれで行って、
加勢でまた日本に戻ってこようということなので、今でこそ移民っていうふうに読むんですけれども、当時の人たちはでかすぎに行って、契約期間が終わったら帰ってこようみたいな感じで行ってました。
歴史的になんですけれども、この人たちは明治元年に行きましたということなので、元年者と呼ばれるみたいなところもありまして、その後基本的にですね、まずは最初に日本からの移民はそういう感じでハワイに行きます。
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ハワイはプランテーションが盛んで、サトウキビプランテーションが盛んで、でも働き手が少ないということもあって、どんどんどんどん日本からハワイに移民として、でかすぎで行くんですけれども、そのうち徐々にですね、アメリカ本国に渡っていったり、アメリカ本国に移民をしていくと。
なので最初ハワイにどんと行き、やがてその波っていうのがアメリカに行き、どちらもですね、なんか移民がたくさん増えると、なんかあんまり良くないんじゃないかちらってこう受け入れる社会としては思うわけですよね。
なのでハワイにおいてもどんどん日本人が増えます。そうなると日本人増えすぎなんじゃないってなると、じゃあ今度はって言って本土に行くと。で本土に行きます。で本土にどんどん送られていき働くんですけれども、そうするとやっぱりまた今度、あの日本からの民増えすぎなんじゃないって言って、やはりこう移民っていうのは別に日本どこに限らず、やはりこう、なんか異質なものとして受け入れられる。
それは今でも一緒なんでしょうけど、なのでだんだんアメリカの移民も厳しくなって、それこそ法律で規制されるようになって、そこから最終的には南米にたくさん移民が行くようになるっていう風な流れです。
なので私たちがよく聞く移民っていうのはだいたいハワイ、アメリカ、南米、南米も多いんですけどね、特にブラジルなんかは国土も広かったっていうこともあって、多くの方々がそのあたりに移民として行かれたということで。
実際に明治元年に始まった移民がですね、なんか調べるまで知らなかったんですけれども、結構戦後も長く続きましてですね、今でいうとこのJICAっていうのが日本移民局っていうところがもともとあって、
でそちらのあっせんで、昭和48年、1973年まで国も関わってその移民をしていた、移民を送っていたっていうところがあります。
なので1973年の3月に日本から最後の移民船ということで日本丸というのに乗って行きましたよっていうところで。
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でトータルでだいたいどれぐらい行ったのかって言われると、まあ諸説あるんですけど、まあその明治元年から1973年までで約103万人ぐらいが海外に行ったと。
で同じ人が何回か行って、で出稼ぎとして行って日本に帰ってきた人もいますし、何回も行った人もいますし、そのまま出稼ぎに行った国で定住しちゃったっていう人もいてということで、その総数として約103万人というふうに言われています。
はい、そんな感じで私は海外で働いたことはないんですけれども、そうやって出稼ぎに行ってそのまま結局移住しちゃったって人たちがまあ結果的には移民になったっていうところになっています。
そんな感じで今日の私の学生としてのテーマは結局最初から最後まで日系移民でしたっていうところで、まずその始まりを本日はお伝えしました。
ではその3これにて終了とします。