1. シンの木工家ラジオ
  2. #53 【ゲスト回】南京鉋のス..
2024-01-20 52:41

#53 【ゲスト回】南京鉋のスペシャリスト「大久保ハウス木工舎」編(1/3)~知られざる歴史・Gallery senとの関係~

木工マニア度★★★☆☆ 長野県松本市で制作している木工作家「大久保ハウス木工舎」の大久保公太郎さん。 プロの料理研究家から、日々キッチンに立つ老若男女までが太鼓判を押します。 南京鉋のスペシャリストであり、毎月500 本、年間6,000 本、これまで3万本を削っているという大久保さんと奥様の修子さんをゲストにお迎えしたエピソードとなります。

知られざる歴史やGallery senとの関係はとても面白かったです。

「木は対人最適マテリアル」。「人前で涼しい顔して3ミクロン出しやがれ」。「大久保流削り語り」。「一人の店主の後ろには100人、1000人のお客様がいる」。いろんな名言が出ました。


大久保ハウス木工舎

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Gallery sen

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00:03
皆さん、こんにちは。シンの木工家ラジオ始まりました。この番組は、かぐやの花太郎とアルバイトのこーぐちくんがお送りする木工バラエティーです。こんにちは。
こんにちは。
1年ほど前に、出ていただければいいなーみたいなことを話しましたよね。
そうですね。
2023年度中に達成されると。
達成されてしまいましたね。山原さんに続き、2回目の達成。
聞いてみるもんですね。いいですね。
いや、本当に。
というわけで、本日は大久保ハウス木工社のお二人にゲストに来ていただいております。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
じゃあ、ざっくっと僕からのプロフィールの方を紹介させていただきます。
大久保ハウス木工社の大久保幸太郎さん。名古屋県の松本市出身で富山大学の卒業。
京都に木工修行された後に、尾上松吉さん。12年くらい前ですかね。
入学されて、2012年に松本市で大久保ハウス木工社を立ち上げ、現在木べら、サジ、パン皿など手道具使って調理道具を数多く製作されているということで。
本日は奥様も出ていただいております。
大久保幸太郎さん。僕と同い年なんですよね。
そうです。
60年生まれということで。
京都出身で、ただいま松本市在住。高校と大学と美術系のところに行って、出会いを聞いたら大学の時に。
出会いは沖縄の医療持ち島なんです。
医療持ち島なんですか。
そうなんです。
そうなんですか。
キャンプ場で。
キャンプ場で。
そうなんですね。
自分が大学卒業して、普通に会社員やってたんですよね。
3年で退職して、その後バイクでブラブラ旅しながら、当時寒い松本から脱出しちゃって。
もっと暖かいところで暮らしたいって言って、沖縄行ったりとか九州とか回ってたりして。
そんな時に医療持てキャンプ場で一人でキャンプしてたら、大学生4人組くらいの女子がキャーキャー言いながら現れて、それが今の奥さんと初めて出会った時でした。
そうなんですね。寒いところを脱出しようと。西に西に行っていたらいい出会いがあったという。
そうですね。
帰ってきちゃったね。
偶然のきっかけだったんですけどね。
そんな出会いもあって、当時彼女が京都の大学生。
自分も京都に惹かれて、京都で暮らしてみたいって言って、しばらく暮らすようになったのがきっかけですね。
そうなんですか。
そこで木工の道にも入ることになったんですけど。
京都ではたて具屋さんの修行が主だったんですか?
そうです。短絡的と言いますか、20代の当時の自分が京都で暮らすんだったら職人とかかっこいいなとか、本当に単純にそんな思いで。
拾ってくれたのが公務手にある木工部でした。
もともとはたて具を中心にした木工部だったんですけど、当初は据え付け用のフラッシュの家具だったり、店舗も入るし、文化財の修繕。
そんなのもやるんですね。
まいこさんの控室を化粧台作ってみたりとか、本当に何でもやってました。
すごいですね。文化財に関わるのって京都なら平和ですよね。
03:04
だと思います。
まいこさんとかいうのもここら辺にはない仕事だなってちょっと思ったんですけど。
まいこさんいないからね。
フラッシュだったらフラッシュみたいな、大工さんだったら大工さんみたいな感じですけど、いろんな多岐にわたる仕事が。
そうでしたね。もともとは工務店で大工さんがいて木工部にもすぐにいるっていう、そんな10人くらいの職人の環境だったので。
大工事、木工事にも借り出されるし、たて具の仕事もあるし、あとあれですね、建築士とって現場監督なんかもやったりもしてました。
そんなことやられてたんですか。
お前大学出てるから取れるだろって言って。
すごいですね。
受けてみろって言われて2級取って、その後京都の八丈口の宮古道っていう。
ちょうどオープンするときだったんで、5件くらい入札取ったから、お前監督してこいって言われて。
すごい京都時代ですね。
もう本当ハードモードでした。
ちょっとこの間お話聞いたときには京都時代にはほぼ休みがなかったみたいな。
そうですね。京都って一般的によく言われたのが修行期間は5年だって言われました。
5年の間は犯人前として勉強しよう。
なのでまず5年進歩してみようって徐々に思うようになって、出会った仕事はなんでもやろうみたいな感じだったんですけど。
休みは週に1日日曜だけ。
お盆と年末年始とか本当にそんなぐらいで時間とお金がほとんどない状態でした。
京都ではどれくらいの期間修行されて長野県に来ようかなと思ったんですか。
5年。
修行期間5年終えたときに当時付き合ってた。
当時付き合ってた彼女と話して長野県にはお休みの間に山登りに帰ってきてたりしてたんですよね。
自分が松本出身なんで実家に顔出しがてらってすぐお互い行くみたいな。
そういう感じだったんですね。
松本もお互いに。
私が住みたかったんで。
そうなんですか。
奥さんの方が松本住みたい。長野県住みたいってなって。
マジかって思ったけど。
まあまあいいなって思って。
寒くて出たのに帰ってきて。
Uターンしてしまった。
いきなり長野県で暮らせるのかなっていうのも仕事の上でもそうだし冬の寒さとかもあって。
ずっと関西で暮らした彼女がこの環境でいけるのかっていうのを試す意味でも1年。
あげまつぎせんで1回こう体験してみようっていう。
そういう意味もあって2000年の1年はここでやっていけるのか。
そういうのを考える時間でもありました。
そうなんですか。奥さんの方から松本というか長野県に住んでみたいなって気持ちがあったんですね。
京都から出たことなかったんで。
なんて山の景色って美しいんだろうって思っちゃったんですよね。
そこに惹かれたんですね。
山登りとかも一緒にされてとかって感じなんですか。
付き合ってる時に白馬に連れて行かれて。
連れて行かれて。
何するかもよく分かってなかったけど行ったらすごい綺麗で。
しんどかったけど。
夏のお花畑の季節で。
それが良かったから1回住んでみたいっていうのと。
06:00
京都って良くも悪くも何でも揃ってる。
文化もあるしちょっと都会的でもあるしぼんやりしちゃうっていうか。
そうなんですね。
学生時代を過ごすには良かったけど自分で取りに行かなくても向こうから面白いことがどんどんやってくる。
そうか。
ちょっと自分で取りに行ってみたいなみたいな。
そうなんですよね。
ハングリーな感じが。
もうちょっと生きてる実感じゃないけど。
生の実感みたいな感じですね。
それで長野県に帰って来られて1年お試し期間みたいな。
それがアゲ松木船の時代という感じですかね。
そうですね。
アゲ松木船したきっかけも本当偶然だったんですけど。
長野県に家具の学校があるっていうのは直前まで知らなくて。
そうなんですか。
たまたまそういう学校があるよっていう話を教えてもらって。
そういう意味でもすごくちょうどいいなって思って。
行ってみたら本当に結果すごい良い1年でした。
アゲ松木船行くまでクラフトウェアの存在すら自分は知らなかったんですよね。
そうだったんですね。
そこでたくさん知ったことが今に繋がる。
本当第一歩だったなって思ってます。
なるほど。
アゲ松木船の時がいくつぐらいの時だったんですか。
31とか2とか。
そうなんですね。
31だ。
31くらいです。
その時代に帰って来られて入られて。
奥さんも一緒に入学されたわけではないんですよね。
1年遊んでたんです。
1年遊んでたんです。
それもいい時代だったんですよ。
主婦って一緒だよね。
隣のお家のおじさんがちょうど退職された直後で
暇を持て合わせてるから遊んでくれて。
おじさんと仲良くなって。
おじさんと仲良くなって。
3歳通りに山行ったりとかしてたじゃん。
いいですね。場所を教えてもらったりとかしながら。
で、長野県はどうだったんですか。
いざ住まわれてというか。
それが楽しすぎて。その1年が。
ずっと競うでもアゲ松でもいいかなと思うくらいには楽しくて。
独立して今後商売していくにあたって
ちょっと出にくかったりとかっていうところもあって
松本近辺で探したんですね。
お試し期間はバッチリ楽しくて。
アクセスの件もあって
松本に戻ってこようかってなった時に
いきなりここ見つかったんですか。
そうですね。アゲ松時代に独立を決めたのが夏ぐらいだったのかな。
結構早いですね。
それまで結構迷ってたんですよ。
1年後には確実に卒業があって
その後なんとか生きていかなきゃいけないっていう
不安というか焦りはすごい自分にはあったんですよね。
同級生にいろいろ教えてもらって
個人工房作家っていう存在がいて
そういう働き方があるっていう
そんな話を聞いて
週末の旅とか先輩の工房とか訪ねさせてもらって
話聞かせてもらって
そんなことやっていくうちに
京都で5年修業してたら
もう君は弟子入りとかそんなことをするべきではないって
どこにも行くとこがない
自分でやるしかないんだよって言われたんですよね。
その先輩の木工家というか独立したり
そうですね。それがすごい頭身と響いたというか
覚悟を決めて独立するしかないのかなって
09:00
携帯はその頃は本当に輪郭すら見えてない状態でした。
職人なのか作家なのかとかそんなのがなくて
ただこう自分が手にした技術
木工で生きていくそれだけを勝手にというか
とりあえず独立しようって言って
秋ぐらいから工房を探すようになりました。
最初はイナーとかミナーとかスワーとか
不動産もあったんですよね。
だけどお金全然なかったんで
少しでも家賃安いところ
予算3万円以内でとか
20坪ぐらいのないですかとか
だいたいないんですよね。出てこないし
出てもなんかすごい広い工場跡みたいな
家賃20万とかで無理だと思って
そんなことやってて
一旦不動産無理だと思って
実家とかを頼ればいいんじゃないか
せっかく地元なのに
親とかに聞いて
親戚とかにも聞いてもらって
これこれこうで
なんかそういういい場所はないかね
って聞いてもらった時に
紹介してもらったのがこの場所だったんですよ。
それまで何件も夫婦2人で見て回ってたんですけど
本当に来た瞬間に
松本とアルプスが一望できる場所に
すごくピンときて
ここで暮らすイメージが完全に一致したんですよね。
以来ここで12年間やってます。
その12年の中で
最初はちょっとやることが作家なのか職人なのか
みたいな感じで始められたと思うんですけど
今のスタイルに固まってきたきっかけというか
なってきた流れっていうのはどんな感じなんですか?
徐々にではありましたが
最初は住宅関係の仕事してたんだよね
家具建て具
なんか僕大久保さんが建具とか階段とか作ってたの
なんとなく覚えてる
そうなんですか
ここら辺で始められた方がいるって
SNSを見てて
階段作ってるとか建具作ってるとか
歯を研いでて奥さんに怒られてるみたいな
仕事を収めなきゃいけないのに歯を研いでるこの人
みたいな投稿もありましたよね
スンパチ打ちまくってた
最初は京都で覚えた建築関係の末付けの家具だとか
キッチンとか玄関とか下駄箱みたいな
ああいう仕事をもらえるようになって
そもそも一番最初は地元の同級生の新築で
家建てるんだって言うから家具建て具やらせてよって
それでやらせてもらって
それでなんとか1年目しのぐというか生きながらえて
やっていくうちに
家でヘラ欲しいってなったんだっけ
だから独立した初年度に
家で使うヘラは作ってもらったんでしょう
そうなんですか
まずそういうところから
クラフトヘラとかでヘラとか見てたもんね
木べらとかスプーンとか
当時はクラフトヘラとか行くと
みんなカッティングボードとか木のヘラとか
カッティングボード全盛期だった
よく作ってたね
ヘラとか見てたから
みよみまで自宅用だし
なんとなく見た覚えで作ってみて
それがほんと1本目だったかな
そうやってマルシェとかクラフトヘラみたいな
そういったのに出すようになって
12:00
でもそれでも最初全然売れないから
建築でなんとかしのいで作った金と時間を使って
ヘラ削ったりとかカッティングボード作ったりとかね
いろいろ思いつくものやってみて
その間にクラフトヘラに出た時に
出会いというか
今松本にアルプスご飯っていう食堂があるんですけど
そこの店主である金子健一さんっていう方が
クラフトヘラに来て自分が作ったヘラを見て
自分木べらマニアなんですってこう
直ってきて
これのヘラちょっと使ってみたいって言って使ってくれて
その翌年かな
つまりギャラリー戦をオープンさせた時に
すぐ来てくれて
マイヘラを10本以上バラッと
持参して見せてくれて
そうなんですか
そう
1年使ったオークバースのヘラも
ここがこうでよかったとか
プロならぬような使い方とか
そんなの感想を教えてくれて
そんなん聞いたら次作る時に改善案として
作るのに盛り込みたいとか
そういうのが始まったのは
独立して3年4年
それぐらいでしたね
そこら辺から徐々に自分で
カンナで削って今のヘラだったりサジを作る
っていうスタイルに移行していった
そうなんですね
じゃあ初めて2,3年目までは
食べるための仕事として
一応建築関係の仕事があってたりして
ただ並行してヘラとか調理器具の方もやられたのが
だんだん比重が
3,4年目くらいで大きくなってた感じですか
2015年に決めた部分もあるよね
決めたという
割合が大きくなっていった後
どっちでいくのかみたいな
任天をやらせていただく機会があって
やっぱりこっちに注力しないと
時間がやっぱり取れなかったりとか
中途半端なものにもなっちゃうから
小木工一本でやっていくっていうのは
わりと明確にシフトしたよね
そうね
お店の人とかにも当時は
独立3年目くらいかな
二足のわらじじゃないんだけど
そういう状態っていう認識だったんで
二人展とか古典のお話をいただいた時に
腹決まったかみたいな感じで
そうなんです
会話してた時に
こっちにもっと専念してみようかなって思ったのが
その辺りでしたね
それまでは本当に自分ができること
自分が覚えた木の仕事っていうので
建具作ったり家具とかも楽しかったんですよね
何かを作れるのがすごい楽しくて
和菓子屋さんの看板を木彫りで彫ってみたりとか
そんなのもやられてたんですね
そうですね
あと地域の超過創の仕切り板作ってみたりとか
何年もやってましたね
人に喜ばれるというか
必要とされてという部分もありながら
自分が培った技術で
そうですね
それで対価としてお金もらって暮らせるっていうのに
すごい手応えというか
そういった感覚がありましたね
最初から今の形
ヘラだとかスプーンとか
作りたいとか
そういうビジョンを持って始めたというよりは
自分ができること
縁がつながったことに従って
日々やってた中で今に至っているのかなって思ってます
15:03
何となく最初からそうやって
調理器具って決めてたのかなっていう部分もありますけど
できることやってた中で縁がいろいろ結ばれてって
そう思います
さっきは金子さんとの出会いだったんですけど
それをきっかけに
友達のプロの料理家とか
本とか書いてるんですけどね
その読者の人とかに紹介してくれて
そんな人たちがたくさん使ってくれるようになった
本当にご縁になって
職にまつわる人たちと関わるようになって
そうするといろんな使い方とか
いろんなリクエストみたいなのがあって
そんなの話に答えてみたいというか
それを形にするのはこっちの得意分野じゃないですか
それをやってみると感想が返ってくる
その会話のキャッチボールみたいなやり取りが楽しくて
そうやっていくうちにいつの間にかね
そればっかりやるようになって
選んだっていうよりは
優先順位やりたいやってみたいっていうのを
やるようになったら他のものがだんだん
フェードアウトしていった
そんなような印象でしたね
深井・そうか
深井・そうやって心出して
聴目校で行くぞってなってから
8年ぐらいっていう感じですかね今
それぐらいだと思います
もう少し経ってるような気がするけど
まだ8年ね完全に
なんか結構僕らから見て多方面で活躍されてる
大久保夫妻なんですけど
いろいろ聞いてみたいことがね
僕らだけではなくて
いろんな人が気になってる
いろんな目校やってる人が気になってるであろう
でも初対面だと聞きにくいみたいな質問を
この機会にせっかくなので
僕らの方からちょっと聞きたいと思うんですけど
いいですか
何でも聞いてください
じゃあ小口君は割とこう
同じ小目校やってる身として
色々気になることはありますか
気になることあります
有名な雑誌に取り上げられてらっしゃるじゃないですか
大久保ハウス目校者として
有名人とかも来られて
アフィエムの加州家さんとか来られて
実績が終わりじゃないですか
そういう話は一体どこから
舞い込んでくるのかなっていうのがありまして
最初は誰かからの紹介だよねきっと
基本的には人づけというか
人とつながってっていう
その流れでそういう講演に
つながったんだなって考えてます
さっきの料理家の人が紹介してくれた時は
雑誌天然生活とか
いわゆるものを掲載してる時に
おすすめ道具とか
使ってる道具とかで紹介してくれたりとか
その編集の人たちのつながりもあるし
お互いに見てるんだと思うんですけど
それをきっかけに別の人が
声かけてくれたりだとか
別の人っていうのは別の編集者から
そうですね
そんなのがつながって
著名な方がレポーターみたいな役で
来てくれたりだとか
そんな形でしたね
最近はウォークバース目校者への
取材依頼ではなくて
ギャラリー船に対して
取材をいただく機会も増えてきて
高橋一生さんが
ギャラリー船の取材だったんですよね
途中から来た人が
大久保さんもみたいになって
一生さんと自分と奥さんと
ツリーショット
写真になりました
あれ何か目校者おいしいなみたいに
18:00
あれ船の記事なのに
一応そこは分けて考えてらっしゃって
船の方に来た依頼だけど
大久保ハウス目校者としても
ちょっとかめたというか
そうですね
船に依頼が来たら
ヘイラ紹介してよって言ってるのに
全然違う作家を紹介したりとかね
目校者は?ってなる時とかありませんか
あくまで我が家は独立した関係なんですね
そうなんですね
ちょっと認識が違かったかもしれないです
完全に奥さんは奥さんで
小太郎さんの方は小太郎さんで
関係性をなあなあにしないというか
割ときっぱりと分けて
仕事を受ける時とかも
じゃあこれはギャラリー船で
好き勝手やらせてくれみたいな感じなんですか
だからお互いの仕事結構知らない
そうなんですね
けど私は
大久保ハウス目校者にも一応所属してるというか
サポートしてるんで
私は知ってることが多いけど
小太郎さんはギャラリー船のことは
知らないことがほとんど
ああ
今度からこの作家さん取り扱うんだ
へえみたいな
そうです
なんか品物増えてるんだ
へえみたいな
そういう感じですか
いついつ誰のどこに行くとかね
完全にギャラリー船は
妻が独立して経営してる状態ですね
なるほどそうなんですね
お取り扱いも一応卸しで
そうなんだ
毎月生産が
一作家として
そうです他の方と同じ扱いです
同じ扱いですね
面白いなここ
面白い
僕はおかげで財布三つあるんですよ
目校舎とギャラリー船と家計の財布です
ああ大久保系
そうです
なるほど
だからお互い目校舎とギャラリー船は
自己完結してるというか
じゃあお互いの取引先になってる感じなんですね
そう
月一生産して卸し価格下台もらってます
そうなんですね
そういう感じなんですね
そう独立当時経済的に貧しかったというか
たくさん我慢することも多かった
けど今お互いにある程度自立して
政権も立てられる状態になったおかげで
自分にお金を使ったり服買ったりとか
罪悪感はないし
精神的にすごい今健全な状態だなって考えてます
そうなんですね
今のはすごい面白い話でしたね
そうなんで
なかなか旗から見てると
二つくっついてるのかなっていう感じもする
そうですね
個展に行く時とかも
しゅうこさんも一緒に行かれて
接客とかお手伝いされてると思うんですけど
僕らの認識だと割と二五一感というか
でもあれは一緒に接客してるのも
ボランティアじゃなくて
お給料を設計してます
サポート役として一応こう
公衆が発生してますね
そうなんですね
サジの漆塗ってるのも害虫です
そう
害虫 今すごいいい笑顔で
多分京都の修行時代が
自分の中でブラックだったっていうか
やらされてる感ってよくないなって
認識がすごいあります
独立して気に入ってるのも
誰のせいにもできないっていうのが
一番いいなって思ってます
最初誰かのせいにしたくて
誰がこんなにつらいのは誰のせいなんだ
俺のせいだって
もうめちゃめちゃわかりますね
もうあの内でボコボコにする先輩がいない
とか思って今の状態は
それがないというか
お互いに共通するのは家系の方で
一緒にやって
やら理性も目光者も基本的には
21:00
自由に振る舞ってほしい
そうなんですね
向井 私取材以来も自分で決めた後
いついつどんな人が来るんだ
っていう話はするけど
じゃあもうそれは
自己報告として
向井 そうですね大体
そうなんだ
ちなみに僕にも取材以来は
たまに来るんですけど
地域の情報室がそういうレベルなので
それが限界目光家の
限界目光家
限界目光家はそういう話
で来るのは後は
広告出しませんかっていうのが
来る
某出版社の下請けで
記事書いてるところから
いついつに雑誌が発刊されるんですけど
今回はこういう特集で
この雑誌の広告のページを
8分の1ページいくらから書きますみたいな
1ページだといくらですみたいな
でそれで雑誌の名前の知名度によって
記事の値段が違うと
でなんかいついつまでに原稿書くので
今ならなんとこの価格で
やらせていただきますみたいなのが
メールで結構頻繁に来る
それが限界目光家
奥羽ハウスさんも
せんさんも取材させてほしいみたいな形で
来るわけですもんね
でも一個たぶん
乗り始めたら呪術なぎみたいになって
どんどん行く気は
しますけどね
らしいですよ香口さん
最初の一つのきっかけを
掴みに行くという
雑誌作る人たちも
常に探してるんだなって思いました
これはお店の人たちも
そうだし対象として
誰かいないかなそれは自分たちが
何かを探すときの行動と本当に
一緒になるかなって思いました
他のまだ編集者が手をつけてない
フレッシュな情報を
いつもアンテナ立てて探してるみたいな感じ
なんですかね そういう人もいるし
乗ってるものに対して安心感があって
まず入り口としてその人の
リストに入りやすいとか
というふうに思ってます
テレビマンの人から聞いた話だと
テレビマンの人も
雑誌から情報を吸い上げるらしくて
やっぱ雑誌というのが一番
信頼できるメディアというか
でやっぱりジューズつなぎに
行くらしいです
あと僕がですねすごい個人的なんですけど
高山みやこさんすごい大好きで
そうなんだ
ずっと言ってるよね
高山みやこさんのラジオ聞いて
すっごい濃い人だなと思って
でもラジオで濃い人って
そんなになんだよなと思って見てみたら
めっちゃかわいいと思いながら
で高山みやこさん
銀座手仕事市
銀座手仕事直売所
アンバサダーを3年間されていて
一応今年で区切りだったみたい
なんですけど
3年って決まってたみたいで
それきっかけでいろいろ使って
くださるようになったんだよね
そうですね初年度に高山さんが
木のヘラを使ってくださって
2年目に1年間使った木のヘラを
見せてくれて
こんなに使いましたって
実演してた時にはお直しもやってるんです
その場に持ってきてくれたものを
その場で1,2分で削り直しはできますから
そんな早いんですね
そう高山さんが1年使ったやつで
擦り減ったところとかそのの直して
また1年使ってくださいって言ったらすごい喜んでくれて
3年目にはまた持ってきてくれて
24:00
そんな形で木のヘラ使ってくれて
メンテナンスもできるっていうのを
体験した
すごいたくさん使ってくれててよかったです
今年のインスタでも今度は
今年はこれ買っちゃいましたみたいなのを
あげてたような気がしますけど
そうそう削り直しもされてて
すごい喜ばれてる感じで
やっぱヘラ見るとこの人こういう使い方
してくれてるんだなとかやっぱ使い方も
少し想像できたりするんですか
わかりますわかります人によってヘラの
育ち方が違うんですよね
その家のカラー
その家色に染まるというか
それはなんか
具体的に言うとちょっとこう
痛め物が多いのかなとかそういう
そうです油たくさん使ってるのかな
しっとりしてるとか
この人すごいゴシゴシ洗ってるんだろうな
木が少しうずくりになってる
あとフライパンにカンカン
ってやってくっついたの
取ったりとかしてるのかなここへこんでる
確かにこうやってカンカン
一箇所だけめっちゃへこんでるみたいな
お直しのいいところは使い方が
伺えることあと痛みやすいところが
確認できること
自分の知らない使い方を
されてる人っていうのは結構
あったりするんですよね
ヘラだったら先端
右利きのヘラだったら先端がちょっとカットしちゃうんですけど
そこでひき肉を
崩したりするのによく使うとか
それは自分たちの意図の
外だったんですけど使う人が
教えてくれました
そうやって削り直してピアリングというか
すごい時間でもあるんですよね
使ってくれてる人は
今削りっぱなし無塗装で
出してるんですけど
ソリッドの木の状態から使って油を吸って
経年変化した状態
削るだけでキーってリフレッシュ
っていうか木は削っても
またキーですから
新しくなるというかまた使えるんだね
それを目の前で区役することで
キーっていう素材に対する理解というか
怖くない
キーって全然使えるじゃんって
そういうのを感じてもらえるっていうのが
お直しのすごいいいなってことです
結構今のものって傷つけたら終わり
そうですねなんとかなるっていう
大丈夫だよっていうのを
直すっていうサイクルを持つことで
素材感を得してもらえたらいいなって
確かに
お客さんからしたら新しい発見みたいな感じ
僕らは当たり前だけど
一般で使ってる人は全然知らなかったりしますからね
そうだよね
もうちょっとタフに使っていいんだというか
ガシガシ信頼して使っていいんだという
高山さんも最初は
ちょっと持ち手が焦げてしまって
とかって申し訳ないって感じだったんですけど
直して使えるっていうのが分かったら
すごい使うのが楽になったって
言ってくれて
手で削って出来上がりっていう
シンプルな繰り物の
木工品になるんですけど
それ上に直すのも簡単だし
その状態は今自分の木工としてすごく気に入ってる
確かに
お直ししたりとかしてこういう使い方するんだ
みたいなことを新しい製品というか
フィードバックで
活かしていったりもするんですか
直して目撃したことを次に
作る時には必ず思い出してますから
それがマイナーチェンジの
きっかけになります
27:00
個人公募作家の良いところは
マイナーチェンジが高速に出来る
共同試験とかを経ずに
世に出してるわけなんで
完全に保証された実質もつかない
そんな不完全な状態で
使ってくれる人に共犯関係というか
共犯関係って
物と自身作家の成長を
感受してもらいながら変化していく
自然素材のものを
お互いに楽しんでもらえたらいいな
そういうのに甘えながら
高速に
マイナーチェンジを繰り返しながら
なるべく完成に近づきたいなって
今は考えてますね
あと銀座とかだと名物のキベラタワー
あれすごい
やってらっしゃいますよね
古典の依頼を受けた時に
在典するらしいというのを
最初知って
お店に行って作って回すみたいな感じで
普通に立ってたんですよね
何喋っていいかわからなくて
すごく手持ち不足だった
そのあと削り板持って行って
実演するようになったら目の前で作ってると
本当に作ってるんですねって
お客さんの納得
説得力に感じてもらえるようになって
依頼在典する時は
必ず馬刀、鉋刀、砥石
陶器を持って
実演しながら在典するようになりました
銀座テシコと直売所は
会計が1週間ありますので
どれくらい作れるんだろうって
100本削ってみようって思って
やったんですよね
それが100本できたぞってなって
2年目、3年目とかに
150やってみようかなって
やっていくうちに
200本ぐらい削れるっていうのがあって
依頼だいたい200億アベリエスとして
200本やると
ヘラを濡れてる木なんで
イゲタ状に積んでいくんですよね
乾かす工程でもあるんで
それ1週間だとだんだん
1メートル超えて
積み上がる
それを見た人がヘラタワー派だって
そういう感じだったんだ
毎日1週間いるんで
どれくらい建築されたかなって
見に来てくれる人とか
面白かったのがヘラタワーの構想会が
上に行くほどヘラの売れ行きが
良くなるっていう
後半はヘラが売れるっていう
うちのブースだけはそうなんだよね
オークボケジンクスができました
他の作家さんとかはやっぱり初日が一番売れて
そうですね
物量が減るじゃないですか
1週間の会期だと
そこまで持たない方
人気作家さんとか
持たない人が多いけど
うちは投入してる点数がそもそも
多いっていうのもあるし
ヘラを削れば削るほど
タワーも積み上がればクズも下に
もしゃもしゃになって
結構もしゃもしゃになってますね
数みたいになるんですよ
百貨店では見えない光景になってますよね
1週間で銀座を2畳くらい
そうですね
オークボのクズの中で
削ってるみたいな感じ
コロナの後
アクリル板
アクリルパネルみたいなのが
目の前に建てられたことがあったんですけど
1週間目くらいにパネルにだんだん
削りクズが降り積もってて
30:00
膝くらいまでありましたね
そうなんですよ小学校のやったアリの巣の研究みたいになってました
パネルのこちら
クズの中に削ってる人がいる
すごい
見せ物みたいな感じになってます
めちゃ見せ物でしょ
でもいいですね削れば削るほど
売り上げも上がるっていうジンクスが
すごいな
しかもなんとなく制作側としては
在留をしてる期間に仕事が止まらないという
向井 次の仕事をただ進めているだけっていう
かつお客さんからは説得力が
この人が実際に作ってるんだ
っていうのがあって
一石二鳥どころかみたいな感じが
あとお直しできる環境もありますしね
パッと持ってきていただいて
パッとそこで
今年だんだんお直し持ってきてくれる人が年々増えてきて
今年は80本ぐらい直しました
そんなに
向井 今年だから初めてタワーがタワーにならなかったんだよね
そう削ってるより
直してる時間が長かったので
なかなかね
ヘラタワーは伸びなかったね
なんかお直しに持って来られる
客層年齢層そういうのって結構
バラつきがあるんですか
めちゃくちゃ幅広い
女性もみたいな感じなんですか
本当に5年6年前は
クラフトとか手工芸
人芸とかそういうの好きな女性の方が
一番多かった
けどコロナとか最近になって
本当にいろんな客層の人が
料理、木のヘラを選んでくれるようになったな
って思ってます
男性増えたよね
そうなるとね使われ方も結構違ってて
それもね
こっちとしてはすごい面白い
性別と年齢で
使い方が若干ずつ
違ってくるという
娘さんがお母さんにプレゼントしてくれたり
逆にお母さんが使ってるのを
大学で一人暮らしする娘さんに
取られたから買いに行きたい
とか送りましたとか
そんな風に親子二代で使ってくれたりとか
そうやって徐々に徐々にね
使ってくれる層がクラフト好き
木工好きなんだけじゃなくて
一般的な人がどんどん使ってくれる
とても嬉しいです
僕らも1年ほど前に
大久保さんの軟筋ガンダムワークショップで
木べらを自分たちで
作らせてもらって
未だに使ってるんですけど
ついなんか
脳死しますか
今日持ってくればよかった
はなたらさんこの辺の削りが
とか言われちゃうかもしれない
僕らが削ったから
そもそもの出来が
ちょっと違うけど
でも金属の中にあってもついなんか木のものを
取ってしまうというか
なんか不思議と
手が伸びますよね
オーラがあるのか分からないですけど手に取りがち
それはあれだよね
言わなきゃいけないことが
それあれですよ木が
人にとって一番最適な
素材って自分は
確信というか信じて
やってるんですよね木が対人
最適マテリアルって考えてます
色んな素材を
選べるじゃないですか
エラだったら樹脂だったり金属だったり
だけど昔印象的だったのが
33:00
昭和の頃に戦時中だったのかな
機関銃の模造品で
木で作ったやつ
古道具鉋とか探してる時
骨董とかで何度か
見たことあったりして
色んなものを木で作ってた
木は常に器を
守る箱だったりとか
主役じゃないんだけど
サポート役として木ってのは常に
どんな歴史の中にも
存在してた人間である以上
すごい神話性の高い素材
それが木なんだなって
そんな風に考えてますね
僕らにも人としての何千年何万年の
血が流れていて共存してきた木を
選びがち
DNAに刻まれた何かがあるのかもしれない
重さとか硬さとか
加工性とかちょうどいい
そういうものなんだなって
考えてます
そうですね肌感としてちょうどいい
冷たくないし
近い感じがしますね
この大久保さんのやってるのは削りの実演なんですけど
実は限界木工作家の僕も
真似てやってみたことあるんですけど
クラフトフェアとかで
見ました見ました
スクエアでやったんですけど全然うまくいかない
マジびっくりするぐらい
うまくいかないから
大久保さんマジすごいなと思って
どっちにも集中できないんですよ
削る方に集中しすぎると接客できないし
人が来て接客すると削れないじゃないですか
だからどっちもうまくいかなくて
これどっちかに専念しないと
いけないなと思って
もしやるならね
でも削るにしてもいつもと違う環境で削るし
光の当たり方とか違うじゃないですか
僕は外でやってたんで
削ってる途中にカンナの台が
痩せてきて
スカスカになっちゃったんですよカンナの歯が
いつもの感じで全然削れなくて
これもう全然ダメだなと思って
大久保さんマジすげえなと思って
思いました
だからみんなね自分もできると思って真似しようと思って
すぐにうまくいかないと
経験があるから大久保さんあそこまで
タワーができるまで削れるっていうのが
僕もちょっとやってみて
大久保さんの凄さを感じましたね
深井・皆一回真似してみたらいいって感じだね
あれマジすごいな
あれ大久保さんが削られてる時は
奥様が接客されてるってことですか
大久保 基本的に接客してて
ただ今言われて思ったのは
光太郎さんは削りながら
すごいよく喋る
削りながら
大久保 上手に喋ってるよね
そうね喋りながら削れる
マジっすか
人前で削ってるっていうのは凄いきっかけがあって
カンナのこととか
削ろう会でたくさん勉強させてもらったんですよね
削ろう会の有名な大久さんが
誰でも自分の工房でコソコソ
台打ちしたり研いだりして
削れるのは当たり前なんだって
人前で涼しい顔して研いで
削ってぴゅーっと3ミクロン出しやがれ
みたいに言ったんですよね
誰だろう
人前でできて1人前って言われたんだよね
それがすごく心に響いたというか
それもあって
人前でできてこそっていう思いがずっとあったんですよね
実演したのもそういう
後押しもやるようになりました
確かに僕らがラジオの収録で来て
大久保さん削られてて
36:00
削られたまま喋ってたよね
本当そうそう
だからその時もすげえなって思ってた
僕絶対できないどっちかしかできない
喋るか削るかどっちかしかできないって
削りながら喋るっていう脳がどうなってるんだと思って
最初から削りながら喋れって言ったんですか
いやもう徐々にですよ
最初はできない
本当こうギュッと
これ多分ね楽器やったことある人だったらわかると思うんですけど
最初ギター練習するじゃないですか
ギター弾きながらボーカルするっていうのが
多分最初できないのと同じ感覚だと思うんですよ
削りながら喋るっていうのは
ギターしかできないか歌うしかできないみたいな
弾き語りなんだ
あれ弾き語りだ
大久保流の弾き語り
だと思ってました
奏でてたわけですね
削り語りで
そうは言っても
語るって言っても自分が話せるのは
作ってるもの道具のこととか
具体的な話しか
自分はできないんですよね
逆にヘラとかそういうのを説明するのは
妻のほうの
役目というか
一応私は本業ですから
接客業が
店主だから本当にそこはね分担
持ち分というか自分は木について
ヘラについて素材について
作ってる背景についての話はします
使って感想
良いところ悪いところは
妻のほうが使い手として
店主としても説明する
そういう役割分担で
店頭に立ってますね
でも一人が作るプラスそのことを語るで
売上につなげてくださる方が
傍らでサポートしてくれるのは
大きいですよね
そうだと思う 中古さんがあって
それだけ売れるんじゃないかなというのは
僕はなんとなく思うんですけど
店頭に立ってるのは一年に一回
銀座手仕事直売所ぐらいで
普段はそれを各お店の
方がやってくださる
っていうやり方なので
あの時だけだよね
二人で一生懸命やるのは
むしろ手仕事直売所の一週間
大久保家夫婦二人が一緒に立ってる
っていうのはその一週間だけの
ちょっと特別な状態です
基本的には
直販してないんですよね木工廠は
必ずお店に卸して
そして販売してもらってる
あるいは個展だったりそういう再寺
みたいなのでやってもらってる
あくまで自分は作る方に
なるべく専念
ほとんど松本の工房にいる
時間の方が長いです
持ちは持ちや
販売だとか紹介したりだとかは
お店の人がプロですから
だとお店によってお客さんも違う
年齢も違うし
カラーも違う紹介
気に入ってるポイント店主の好みも違うし
そこらへんは全て
委ねるというかむしろ
自分でそっちに口も出さない方が
いいんじゃないかなって考えてます
自分で売ろうと思ったら
自分の好きな人にしか届かない
そう思うんですよね
だからあらゆる店いろんな場所で
置かれることで自分の思いも寄らない
ような人に使ってもらえたりだとか
思いも寄らない使い方
してもらったり
されてしまったりとか
39:00
そういうのもあるおかげで
フィードバックくれますから
作りながら次のマイナーチェンジの
ターンになるんですよね
それを高速に回すことで
自分は自分の作ってるものは少しでも
良くしたいなって
そんな感じでやってます
奥さんにもすごい
良いとか悪いって言われますから
良いところもダメ出しも
かなり
一人の店主の後ろには
100人とか1000人のお客さんが
いらっしゃるってことだから
その一つの声はすごく
やっぱり重要で
それを取り扱い店が増えるにつれて
すごい自分たちでも
意識できるようになったから
そこは自分たちだけで届けるんじゃなくて
基本的にお店に任せて
あと自分料理しないんですよね
ヘラ作ってるのは
そうなのにと言っちゃいけないけど
たまに言われるこんなヘラ作ってるんだから
料理もとっても上手なんでしょうね
ってやらないんですよ
だから自分は
自分のためじゃなくて
料理をする自分以外の人のために
ヘラ作れるんですよね
だから自分の側が入らないというか
だから奥さんの言うことも全部聞ける
素直に入ってくる
でもそれを言い訳にされてる気もしますけど
料理をしない
言い訳に
じゃあ料理は奥様の担当で
そうです
なので我が家はねテリトリーを分けないと
上手くいかないんです
キッチンととかってことですよね
キッチンすると喧嘩が始まる
イライラするからね
ぶつかるね
流派がありますからね
そう逆に全く違う趣向性だからこそ
違った出来事が起きて
それを隣でギャラリーで見たり
してるとすごいそれが面白い
自分の周りでは起こらないことは
彼女の周りでは起きてる
それはお互いに相乗効果として
に影響があるのかなって
そんな風に今考えられるようになりましたね
以前はちょっと
もうなんだってなりますからね
最初は
いいですね奥様に出ていただくの
旦那さんだけがいい格好
できないという
このスタイルいいですね
一方妻目線では
意見全然違ったりしてる
話と違うだろ
あんた格好つけてへんっていう感じ
そうそう
聞きたかったことがだいぶ今の話の中で包含されてて
そうですね
理由とかもさっきしてもらったし
接客してる時の話とかもあったし
あと聞きたかったことで
アメリカのワークショップの話
今年アメリカ行かれてましたよね
アメリカの
アシュランド ミシガン州
ウィスコンシン州の
アシュランドっていう五大湖の一番上
スペリオロコのほとりの
街なんですけどカナダの国境線が
すごい近い
アメリカの中でも北の北部のエリアでしたね
そこで現地の
木工家のジャロットダールさんが
主催するスクールに
講師として招いていただいて
3日間のプログラムでワークショップ
で自分もやってるナンキングアンナー
42:00
を使ってヘラだったりスプーン
作ってみようっていうのをやらせてもらってきました
そのジャロットさんから
オファーが届いたんですか直接というか
そうですね
イギリスでスプーンフェストっていう
グリーンウッドワークのフェスみたいのが
あるんですよねみんなで
ヨーロッパとかアメリカとかから
グリーンウッドワークの愛好家が集まって
1週間自然の中で木陰とかで
スプーン削ったりとか
有名作家がやっぱ
いるんですよ英国圏の
メジャーな作家さんがいてその人が
講師としていくつかワークショップの
プログラムとかやったりする
そういう流れに日本で森林文化アカデミー
で先生されてる
靴羽さんだとか
日本でもグリーンウッドワークを見た人
始めてる人たちがいてその関係性の中で
アメリカのグリーンウッドワーカー
あるジャロットさんが靴羽さんに
彼を知ってるかオークボット
知ってるかってなってそれで
繋いでくれたのが始まりでした
それもコロナ前の
南京フェス
2019年に
サジフェスありましたね
森林文化アカデミーで南京フェス
サジフェスの日本版の
バリエーションとして南京フェスに特化した
そういうのをやってくれて
その時にジャロットさんが正式に
それスプーンフェスの時だわ
そこら辺だね
アカデミーでやったグリーンウッドワークの
イベントでコンタクト
してもらって何ができるか
分かんなかったけど直感的に
アメリカ行きたいって思っちゃって
行きますやりますって言ったんですよ
でもその2020年
で一回ちょっとそういう話が
全部できなくなっちゃって
それが今年ようやく実現した
っていう形です
なるほどそういう流れだったんですね
そうですね一番最初インスタグラムを目撃
してくれたのがきっかけだったって言ってました
やっぱり各地で
大熊さんワークショップとかもやられてるじゃないですか
だけど海を
越える際に気をつけたこととか
何か注意したこととか
湿度とか気温とかも結構違うわけじゃないですか
なるほどなるほど技術的な
心配は特にありませんでした
自分のやってる今の
ランキングアウトでヘラを作るとか
そもそもグレートワークに近い状態
生木も近い状態なので
剃ったりだとか乾燥とかを
ある程度許容できる
デザインというか姿になってます
グレートワークでやるんだったら
生木で削るのが生木の姿
乾燥剤を使うのは
乾かしてからやりたい姿
刺し物だったり剃っては困るとか
そういう事情があってやり方に
着地してると思うんですよ
今の自分のやり方は生木に近いので
環境は割と大らかに
対応することができます
それ以上に飛行機代大変だった
ちょっとお金の話を聞きたい
アメリカのワークショップの時の
そうですね
まず8月ということで
高かったんだよね
そう夫婦2人でアメリカ行きたかったから
2人分のチケットですよ
2人で合幅50万近く
もうちょっとかかったよ
1人30万近かったもん
結構高かったよね
まずそれを何とかね
45:00
叩き出さなきゃと
そこら辺は自分持ちで
コンタクトしてくれた時に
ホストであるジャワットさんから
チケット代はこっちの参加費
何かで賄いたい
っていうのを示してくれて
あと講師代としてどれくらい必要か
とかそんな細々した
ミーティングをズームとかで重ねながら
最終的にそれをベースに参加費を
設定したりだとか
足りない分は作品を持ってきて販売して
何とか賄おうや
そんなのもひっくるめて
あとそれより道具も持ってって
アメリカの現地の
動画に買ってもらいました
自分のが軟禁ガンナーは
母は鍛冶屋さんに直接頼んで
図面とか書いたりして母は打ってもらうんですよね
最初はそれを自分で代打ちして
軟禁にすげて使ってた
数年前に杉田創作さん
軟禁ガンナーを作りたいって
言ってくれる杉田さんに代を依頼するようになって
その都度もっとこうしてほしい
とか逆に今度
こっちからリクエストしたりとかして
だんだん大久保スタイルみたいな
軟禁ガンナーになってきて
アメリカでは大久保式の軟禁ガンナー
と同様に一緒に
作らせてもらったダイヤモンド砥石
これは京都で
ダイヤモンド砥石を個人で製作されている
エネスケ工業さん 後藤さんという
親方が一人で自分で調合とかして
できるんですよね
これ結構話してみるとすごいことで
普通の砥石屋さんってその調合師みたいな
人がほとんど丁寧退職しちゃっていない状態
いないんだ
現状が多い中で
個人でどんどん調合できるから
そういうクエストも答えてくれて
そうやっていくうちに大久保版の
ダイヤモンド砥石みたいなのを作って
同時にスプーン用の
サジノミですね
兵庫県三陸市の高田さん 高田波紋製作所
列あずらいで作ってもらったやつを
ずっと使ってたのをサジノミとして
用意してもらって
アメリカの参加者ワークショップ参加者にも
希望を取って購入希望書には
購入してもらって
それも渡航費の足しにするっていうので
最初アメリカ行って帰ってきたら
赤字浄土みたいな
そういう認識があったんですけど
日本一出展する人とかも
一応宣伝目的だから
そこで黒字化して帰ってくるっていうのは
前提としてないっていうそんな話を
共有してたので
だけどせっかく行って帰ってくるんだから
なんとか黒字化したいっていうので
参加費含めて
自分のものとあと道具
それでなんとか赤字にならずに
購入してもらいました
インスタとか見てて
大久保さんの大久保スペシャルが
海を渡ってるみたいな
そうあれ杉田さんがノリノリで
シグメチャーモデルですねって言って
フェンダーのギターの写真展示してきて
こういうことなんですねわかります
って言って大久保幸太郎って
レーザーで名前入れてくれて
入ってた入ってた
そう恥ずかしいけどわかりやすくていいのかなって
でもあっちで大久保式って
言われているかもしれないですね
そうそう参加してくれる人がね
グッドツールとか言って大久保幸太郎って
名前が入った何件自身の
インスタとかに上げているのを見るとね
うおーってなってる
48:00
嬉しいような恥ずかしいような
あそこら辺の道具事情にはそういった
渡航費用の云々感の現実的な
そうですね
向こうの人が欲しい
というリクエストもありましたし
それとこっちの需要が一致した
状態だったと思います
トイチも結構重いですけど何丁か売るために
持っていかれたりとかしたダイヤモンド
スーツケース夫婦二人で
スーツ持っていって
体重計乗って大丈夫かなとか
ダメだって入れ替えだとかやったりして
なんとか飛行機乗って
無事大丈夫でした
そういうアメリカのワークショップも
インスタで見てるだけだったから
実際にこうやってお話聞けて
良かったですね
あと意外だったのは住人に
3日間ずっとぶっ通しっていう
プログラムだったんですけど日本で3日間のワークショップ
というとすごい長いなって思うんですけど
向こうでは結構一般的なのが3日
3日ぐらいが
割とよくあるポピュラーで1日とか
ショートバージョンでむしろ少ない
長いのは1週間とかもっとロングなやつがある
って感覚でしたね
3日のワークショップだと
仕事の3段付けないといけないなとか
1日だったらいけるなとか
思っちゃうんですけど
そう自分たちの感覚だと同日2日
みたいな感じだったんですけどアメリカの場合は
プロの木工家っていうのが
ほとんどいないって話を聞きました
ほとんどの人が兼業作家
の状態
他にメインの仕事があったりして
森市の木こりの人だったり
色んな職業様々でしたけど
木工も好きでライブワークとしてやってる
もちろんたまに売ったりしてる人もいたりだとか
みんなちゃんと技術もとても高くて
あとすごいね
好きでやってるなってのがよくわかる
ランキングアンダーとかこっちのやってることに関しても
すごい質問も常にね
止まらないし
知りたいっていうねそういう熱がすごい強い
っていうのを感じました
日本の木工家の環境が
世界的に見ても結構特殊
な環境なんだなっていうのを
この木工家とやり取りして
分かりましたね
特殊というのは具体的に言うと
プロがいるっていう状況ですか?
個人工房作家の存在は日本固有に近い
ガラパゴスというか
そうですね
日本の市場の恩恵というか
結局マーケットがあるんですよね
日本には
作っても売る先がある
そう環境違うんだって思いました
木工だとそのメーカー所属の
ワーカーさんみたいな形になるってことですか?
そうですね木工に携わる人は
ワーカー勤務者と
あとクリエイトワーク
人たちは割と兼業であることが多い
専業の場合も自身の作品を売って
生計を立てるというよりは
講師としてワークショップやったりだとか
自分で本
執筆したりだとか
そういう人が自分が知り合った人には多かったですね
日本みたいに物を作って
それで食っていくっていうのは
海外的にはすごいレアケース
アメリカの事情ではあるけどね
そう
ハンドメイドの物はアートっていう市場に
カテゴライズされることが
一般的であって
クラフトっていうマーケットが非常に小さいから
どうやって売っていけばいいのかっていうのが
悩みだっていうのが向こうのウッドワーカーの
51:00
共通の認識だったので
そこは意見交換してる中で市場の違いなんだなって
そういう感じなんですかね
樋口くんとも日々話してる中で
アメリカって
アナチュアな人が多いイメージが
ちょっとあるけど
その間の個人工房作家の
プロみたいな人が
すっぽりアメリカだと抜けているような
感じなんですね
日本でもDIY好きな人とか
ガレージにルーターのピット
100本ぐらいある人いるじゃないですか
プロのこっちからすると
すげえ環境って
贅沢とか思うんだけど
それに近い環境の人もいるのかな
そうですよね
良さそうだな
好きだからこそ時間も作るし
それに対しての対価としてお金も
かけられる
そういう人が多いのかなって思いました
割り切ってやっているというか趣味性を
そう楽しくやってる
そんな人が多いなって思いました
面白いな
ちょっとタイムが
1時間以上経ってますよね
休憩しましょうか
次の話に行きましょう
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今回もお聞きくださりありがとうございました
52:41

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