1. そろそろ美術の話を...
  2. #026 戦争と美術・画家の生き..

板橋区立美術館学芸員 弘中智子さんをお迎えして、板橋区立美術館や池袋モンパルナスについてお聞きしました。

https://sorosoro-art.vercel.app/ep/026 番組の感想は、#そろそろ美術の話を でお願いいたします。

Notice

  • 板橋区立美術館は、緊急事態宣言を受け、4月26日(月曜日)より5月11日(火曜日)まで臨時休館中です。
  • 今後の開館情報はHPまたはSNSをご確認ください。

Guest Profile

  • 板橋区立美術館学芸員 弘中智子 (ひろなか さとこ)
    • 一橋大学大学院言語社会研究科博士課程単位取得退学。板橋区立美術館学芸員。「新人画会展」(2008年)、「福沢一郎絵画研究所展 進め!日本のシュルレアリスム」(2010年)、「池袋モンパルナス展」(2011年)、「東京⇔沖縄 池袋モンパルナスとニシムイ美術村展」(2018年)などを担当
  • 主な論考に「井上長三郎の1930年代 シュルレアリスムと社会への意識」(「武蔵野美術大学研究紀要」47号、2017年)。2018年、一橋大学より博士号(学術)取得。
  • 共著『超現実主義の1937年——福沢一郎『シュールレアリズム』を読みなおす』(みすず書房、2019年)、共編著『さまよえる絵筆――東京・京都 戦時下の前衛画家たち』(みすず書房、2021年)。

Show Notes

  • 山口県立美術館
  • 丸木位里・丸木俊について | 原爆の図 丸木美術館
  • 地平線の夢 昭和10年代の幻想絵画 | インターネットミュージアム
  • 難波田龍起 - Wikipedia
  • 長谷川利行 - Wikipedia
  • 吉井忠 - Wikipedia
  • 靉光 - Wikipedia
  • 山之口貘 - Wikipedia
  • 沖縄県立博物館・美術館
  • 松本竣介 - Wikipedia
  • 香月泰男 - Wikipedia
  • 太田記念美術 渡邊晃さん出演回
  • 浮世絵の少年ジャンプ的側面 - そろそろ美術の話を...
  • 浮世絵×JAZZ - そろそろ美術の話を...
  • 2019年10月5日 館蔵品展関連企画「ヤギを描こう!」を開催しました|板橋区立美術館
  • 超現実主義の1937年 | みすず書房
00:10
はい、始まりました。アートテラー・とにのそろそろ美術の話を。この番組は、私アートテラー・とにがアートに関わる方をゲストにお迎えして、
トークを繰り広げるポッドキャスト番組です。今回も前回に引き続き、板橋クイズ美術館学芸員、
ひろなかさとこさんをお迎えして、ご自身や作品の話をしていきたいと思います。
ということで改めて後半もよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
なかなかひろなかさんとも知り合って長いんですけど、意外と聞いてなかったなと思って、
いつから美術に興味を持っていましたか?というご経歴の部分というか。
いつから美術に行っているのが、固い意味でのあれなのか、それともなんとなくみたいな。
なんとなくみたいな。美術館には結構行っていたのですか?
そうですね。親が好きで、小さい時から行っていたし、画集とかも家にあるので、
割と暇があると見るみたいな感じでした。
お住まいはどちらの出身ですか?
生まれて育ったのは山口県です。
山口県ってあんまり美術館は。僕のいとこが山口出身なので。
山口市に住んでいたのはすごく小さい時で、山口県立美術館があったので、
割と県立美術館に小さい時から行っていて、
私がまだ小学校入らないぐらいの時にピカソの展覧会をやっていて、
それを見に行った記憶もビジュアルで残っていて、
山口県立美術館を退任された方にその話をしたら、
それは僕が企画した展覧会だとおっしゃっていて、嬉しくなったことがあります。
そのままず美術としてお仕事にしようと思って、
美術の研究をしようとか、美術系の学校に行こうとか、どこでなったんですか?
そうですね。
美術の仕事があるということにしばらく気づいていない時期があって、
本格的にやり始めは大学に入ってからです。
大学に入ってから考えるんですか?
大学に入る前に高校に入るのではないんですか?
そこはあまり近いです。
違うことを目指していた時期があるという話です。
大学で美術に行こうと思ったきっかけはありますか?
将来の方向、高校の時からはっきり決められれば一番かっこよかったんですけど、
そうもいかなくて違うことを考えていた時期があって、
いろいろ可能性を考えていくうちに、やっぱり美術が好きだったんじゃないか、
みたいなことに気づき、
美術も勉強していたんですけれども、
03:01
その一方で、特に戦争と美術みたいなことに関心があって、
ただ何か絵ではなくて、
時代とすごく絡み合った感じで紹介できるようなことができればいいなというのを考えています。
大学時代からあったんですか?
そうですね。大学院とか大学の学部ぐらいから、
何か絵が紹介したいが、その絵の中でも何が好きなんだろうか、みたいなことは考えていました。
小学校でピカソ展に行って、中、高、美術館には結構コンサートに通ってはいたんですか?
そうですね。家族の用事として美術館に行くが、たまに織り込まれている家庭だったので行っていましたし、
後々思い返してみると、戦争と美術みたいな考えるきっかけとしては、
山口県は、わりと早い時期に広島の原爆の話を聞くことがあって、
さらに小学校の見学旅行で原爆資料館を見ていくのが、わりと早い時期なんですね。
行った時に、今も原爆資料館を改修して、違う展示方法になっていますが、
その当時はマネキンで被害に遭われた方の様子とか、
その当時の様子を描いた市民の方の絵とかがあって、
さらにマルキーさんの原爆の図もあったと思うんですよ。
マルキー・イリさん。
イリさん・トシさんの原爆の図もあったと思うんですけど、
イリさんの見た時に、こういうことがあったっていうことと、
それを絵で残すっていうことの衝撃があって、
多分それをずっと引きずっている部分っていうのがあるんだね。
大学の時には、西洋美術とかじゃなくて日本美術、洋画というか研究というか。
大学院の時に研究していたのがジャコメッティなんですよ。
西洋なんですけど。
でもジャコメッティって細くなっていくっていう経験が、
戦争で人が、戦争という状況の中で人とすれ違った時に、
人がすごく細くある時から見え始めたっていう経験があっての細い人になっていくんですけど、
だからやっぱりこの時代っていうものと、
画家の目っていう社会状況っていうものがすごくリンクしている作家の一人ではあるので、
そこをやってたんですけど、
それと同時に、実はその辺りから東京国立近代美術館のガイドスタッフの第一期生というのに選んでいただけて、
06:04
それで国立近備の作品、
あいみつの目丸風景とか、
いったものと割と向き合いやすくなってきたっていうこともあって、
日本の近代の洋画のことをやってます。
それは学生なんですか?
委員を卒業した後ですか?
いや、学生です。
ボランティアガイドスタッフの方って、
その一期の時ってさまざまな方がいらして、
会社をリタイアした後の方もいますし、
現役で働いてるっていう人もいましたし、
主婦の方で子育てがひと段落した人とか、子育て中の人とか、
いろんな人がいて、
20人いたんですけど、
20人いる中で3人だけ学生がいて、その学生も一人でした。
そうだったんですね。
じゃあそれで、それもやりつつ、卒業してもいた場所?
卒業してもなくて、在学中なんです。
大学院の博士課程にいるときの1年目に板橋に入ったので、
長いんです。板橋オンリーですか?
そうです。私は他に就職したこともなくて、一ヶ所目です。
板橋に池袋モンパルナスの作品が多いっていうのも知ってて、
公開になってたんですか?
そうですね。
学生の時に見た地平線の夢っていう展覧会があるんですけれども、
それ板橋でやってたんですか?
いや、国立近代美術館でやっていた。
ボランティアでいつも国立近代美術館に通っていたので、
この中で今展示している作品なんですけど、
南波多達沖のビナスと少年っていう作品があるんですけど、
その地平線の夢を見ているときに、
ビナスと少年で板橋区立美術館像ってキャプションが付いていて、
あ、板橋区立美術館っていうのがあるんだって知るのもそこなんですけど、
あ、そこで知ったんですか?
知るし、あとこんな良い作品をお持ちなんだ。
へえ、すごいなっていうのが出会いのきっかけとなったのが、
南波多さんの作品だったんで。
ちょうどその時に募集はしてたんですか?板橋区立美術館。
いや、それよりもずいぶん後に募集が出て、
で、南波多さんのあれも売っているところだみたいな感じで受けた。
へえ。
そうです。
いやでも、結果転職のような場所って終わったんじゃないですかね。
そうですね。
だから収蔵庫でまた再び南波多さんの作品を見たときに
ああやってにしちゃったやつだみたいな感動もありましたし、
割と収蔵庫に行って楽しい気持ちです。
これちょっとどう言っていいのかなと思いながら、
ちょっと気になったこの部分が、
やっぱり戦争のテーマというか、
池袋モンパンさんの作品って結構重い作品も多いじゃないですか。
どっちかというとつらいというか、
見て楽しいというよりは頭芯とくるものが多いだと思うんですよ。
楽しいのもありますけど、
09:00
それは研究しているときに落ち込んじゃったりはしないんです。
楽しい絵を研究している人は楽しそうだ、勝手な意味ですよ。
でも研究対象がやっぱり戦争で亡くなっちゃう作家もいたりすると、
やっぱり研究しているときに頭芯ときてしまう。
他のジャンルに浮世絵の楽しいのとかと比べると、
ひろながわさんの専門分野ってすごく、
そこはどうなんですか、研究中。
落ち込むことはないんですけれども、
逆にやっぱり彼らがいた状況をすごく知らなきゃいけないなっていう責任感があって、
だからもう一通りの時代の見方じゃなくて、
いろんな方の手記だとか小説だとかいろんな視点で、
彼らの生きた時代ってどうだったかっていうのをとにかく知る責任を感じてますね。
だからそれを読む分は全然なんとも思わなくて、
彼らの作品を紹介するためにやることとして何の抵抗もなく読んでますね。
例えば手記を読みながら、こんなことを考えたんだっていうので愛らしく感じたりとか、
人柄を触れた時に、こんなことを考えたんだこの人とかいう時に、
逆にテンションが上がったりとかはあるんですか。
それはしょっちゅうありますね。
ちょっとしたエピソードで楽しい気持ちになるんですけど、
私はわりと好きなエピソードが、今展示している吉井忠さんの日記が残っていて、
毎日毎日すごく詳細に日記つけてる人で、
モンパルナスだとこの人だけじゃないかなっていうぐらい非常に詳細につけてるんです。
日記マナーですね。
そうなんです。
その中で結構面白いなと思っているのが、少し年上の中で長谷川俊幸について、
あいみつにどんな人だったかを聞いてみたっていうので、
吉井自身も長谷川俊幸と縁は交流はあった人なんですけど、
あいみつとの関係っていうのが知りたかったんだと思うんですけど、
立ち話で聞いたら、何かいっぱい語るけど容量を得なかったって書いてあって、
多分あいみつは思いがすごく強くて、
一生懸命説明をしたと思うんですけど、ちょっとわからなかった。
あいみつの説明がわからなかったってことですか?
わからなかったらしいんですけど、
その後書いてあるんですか?
書いてあって、そこがあいみつが一生懸命頑張ってる姿が何だか想像もできるし、
吉井さんが聞いて、頑張ってるっていうのを聞いてる様子もわかりますし、
長谷川俊幸っていう画家自身がすごくエピソードの多い画家で、
なかなかに破天荒な部分があったので、彼のつかみにくさみたいなのもわかって、
ごっこみたいな人説明される人ですね、長谷川俊幸さんって。
12:03
そうですね、家持ってないとか、絵が売れたお金は全部後輩に乗せるとか、
最後のたれ人で板橋区で亡くなるんですけど、
板橋区で亡くなってるんですか?
そうなんです。板橋区の区役所のそばに、健康長寿医療センターっていう名前の建物があって、
今はその名前なんですけど、昔、養育員っていう名前で、今話題の渋沢栄一が作った施設なんです。
それはお金がなくて治療が受けられない方だとかを、医療を受けさせるっていう施設で、
長谷川俊幸はお金がない上に道で倒れてたんですよ。
胃がんの末期だったらしいんですけど、そこに板橋で保護して、最後晩年。
晩年って言っても40代になくなるんで、あれなんですけど、最後の日を板橋で済んだんです。
そうか、そういうドラマとか日記とかで見つけるとするじゃないですか、エピソード。
これはどういうふうに広めるんですか?
例えば、面白いエピソードある、これ展覧会で紹介したろうなのか、
まずは知り合いの学芸員さんとかに、なんか面白い発見あったよ。
発見したエピソードって、どうまず広中さんって発信するんですか?
そうですね。今のあいみつに理工のことを聞いたエピソードは誰にも特に発表してなくて、
吉井さんの日記を書き起こしているので、カタログの中で読むことはできるという状態なんですけど、
何か一つの絵についてのエピソードなんかも出てきて、それなんかはカタログに、
この絵については、こういうふうに吉井さんが述べているみたいな感じで、文章に活かしたりはしますね。
これってどんどん発見できるジャンルのものなんですか?池袋モンパラって、掘れば掘るほど。
掘れば掘るほど何かが出てきますね。
やりながら、これ展覧会があるな、みたいなことってあるんですか?
ありますね。
ちっちゃなエピソードじゃなくて、これちょっと展覧会にしたの?みたいな。
はい。そういうことあります。
例えば過去でいうと、いろんな展覧会やってきたと思いますけど。
そうですね。
池袋モンパルナス展をやった前後あたりから、例えば沖縄にもアトリエ村があって、
そこでは池袋モンパルナス周辺で若い時過ごした人たちがいたっていうことなんかも知って、
それで2018年の池袋モンパルナスと西杜美術村っていう展覧会につながったりはしますね。
これ多分前に広中さんと、結構展覧会ごとに遊びに来てるじゃないですか。
はい。
確か池袋モンパルナスのあたりにありましたら、沖縄料理屋が多いことに気づいて、
それから広げていったみたいな話を聞いた気がするんですけど、
15:01
そういうふうにおっしゃってましたよね。
そうですね。
池袋の駅前に沖縄料理屋っていうのが昔からあったっていうのもありますし、
あと詩人の山の口ばくもあの辺をうろうろしていたりもするっていうのもあって、
前からわりと寺田さんだとかいろんな人の階層の中で、
池袋の宮があったみたいなことはよく書かれていて、
沖縄の画家も住んでたっていうことはやっぱり階層の中でも出てくるので、
あとそれと同時に、沖縄の県立美術館っていうのができるのは、
わりと全国から言うと遅い頃なんですけど、今12年目ぐらいなんですけど、
県立美術館でも池袋モンパルナスに縁があるっていうことを調べていらして、
こちらにも問い合わせがあったりっていうご縁ができていて、
この展覧会のときも沖縄県立美術館さんにすごくご協力いただいてできてきたので、
連携しながら、やっぱり美術館同士つながりながら深めていく部分っていうのがありますね。
フィールドワーク的に街を歩いたりするのも研究のひとつだったりするわけじゃないですか。
発見したことも展覧会にフィールドワークしていくわけですね。
そうですね。街で見つけたり、誰かから聞いたりなどいろいろあらゆることを皆さんにしていきますね。
それこそ前半のお話になりましたが、ご子息の方だったりとか配婚者の方がまだ御存命だったりするじゃないですか。
ということは結構いろんな人にお会いしています。
そうですね。私よりも多分10個か20個ぐらい年上の方だったら、
寺田さんだとか古澤さんだとかに実際会って、先生そのときどうでしたって聞くことができたと思うんですけど、
私の年代だとちょっとそれができないんですけれども、
配婚者の方とかお子さんだとか、でかにお父様、ご家族の姿を見てどうだったかということは貴重な証言として聞いています。
インタビューな感じで聞くんですか。家とかに行ってザックバラに聞くんですか。
両方ありまして、ザックバラに最初お話を聞いて、
ちょっとカタログに載せましょうみたいな話になったら、ちゃんとインタビューの方式で聞いたりします。
結構の方お会いしていますか。
そうですね。展覧会ごとに結構会うので、いろんなところにも東京の方もいらっしゃいますし、
その後地方に引き込まれる方もいるので、他の地域で知りたりということもします。
今ちょっとコロナだからありますけど、コロナなかった頃は結構日本全国出張というか取材というか。
そうですね。出かけて行って、ご家族に話し聞くというのもありますし、
画家が育った場所に行くと、わりと一番私が思うのは松本駿介なんですけど、松本駿介育ったのは森岡なんですね。
18:08
森岡に行って、森岡の空とか緑とか川の色を見ていると、やっぱり松本駿介の色ってこれなんだなということが気づけるので、
やっぱり画家が育った場所に一回行ってみるというのがすごく重要だなと思っています。
絵に表れるんですか。
そうですね。
故郷の色みたいな。
そうですね。それを意図しているんじゃなくて、もしかして自分にとってというのでも癖みたいなものなのかもしれないんですけど、
どうかというのも松本駿介の絵は思いますね。
ちなみに山口に関わる池袋モンバランス作家っているんですか?
ひろなまさんの地元の。
探しているんですけど、今のところ特にいらっしゃらない。
見ればやりたいなって感じで。
そうですね。やってみたいですし。
あと山口の地元ゆかりの画家で、私もずっとそういえば、さっきお話し忘れたんですけど、
学生時代からずっと見ているのは、和木康生がすごく好きで、シベリアシリーズで知られる和木康生の絵は、
高校生の時とかはわりと夢中で見てました。
高校生ですか。
高校生にも見てました。
シベリアに抑留されたのをフィードバックした作品だから、暗い作風じゃないですか。
暗い作風なんですけど、何かすごく訴えているなと思って、高校の帰りに、
県立高校だと学生証でタダで見れるんで、見てました。
ちょっと全然ビジネス離れますけど、その頃って漫画とかアニメとかって何見てたんですか?
そっちは堅い暗いですけど、暗い少々ではない?
漫画とかアニメはあまり関心なかったんですけど、お笑いがすごい好きなので、
しかも西日本だと、探偵ナイトスクープとかは毎週見ないと浴室話がついていけないので、
ああいったものは見てましたし、あと九州の吉本のお笑い番組とかも見てたので、
高田花丸大吉さんが前の芸名の特集とかは見てました。
そんなにお笑いがガッツリ出てたんですか?
見てました。
なのに、研究というか美術の方は暗い方が好きですか?
そうですね。お笑いはお笑いですよ。
でもそれ覚えてます。この番組に出ていただいた渡辺明さん。
渡辺さんをご紹介して、こういう人なんですよって言って、
平仲さんも参加してくれたんですよ、ツアーから。
初めて平仲さんとツアーやるときに、平仲さんは渡辺さんのような面白さを、
トニーさんとやる以上、そうやらなきゃいけないとすごく思い込んだらしく、
すごいその会話、楽しくみんなでやれたのに、反省のメールが来て、
21:03
渡辺さんのように笑いが取れなかったら申し訳ありません。
結構な反省のメールが来て、
いやいや、学芸員さんにそんなものを求めた渡辺さんが特殊なだけなんですよ。
渡辺さんはすごいですよ。
やっぱり変なタイミングで猫を追っかけるとかすごいですよね。
しかも自然っていうのが本当にすごいなと思って、
渡辺さんでショートムービーでも撮った方がいいんじゃない?
でも研究とかがもう第一級なので、
そこもギャップがすごいっていう。
あとジャズピアノも一回見に行きました、ライブ。
行きました?
行きました、随分前ですけど。
どうでした?
特に名乗らずにそっと座って見ていたんですけど、
まずやっぱり圧倒されますね。
腕はね、しかもこの番組でも流してるんだよね、大きいの。
あと、ひろなかさんって覚えてるのが、
去年ですよね、
とにかくヤギをスケッチするからなんでって言われて、
よくわからないまま来て、
ヤギスケッチして帰った日があったんですけど、
あれ何でしたっけ?
あれはうちの七目向かいにお住まいのおじさんが、
改修工事中に急にヤギ買い始めたんですよ。
地元の方?
地元の方がヤギ買い始めて、
バス君っていう名前なんですけど、
可愛いっていうので、
みんな今も休憩時間とかバス君と遊んだりするんですけど、
それで去年展示したコレクション展の中で、
うちのコレクションの中でヤギ描いてある作品が2点あるんですよ。
なんでヤギの絵を持ってるかというと、
1点が寺田雅明の黄昏にヤギが行こうっていう作品で、
1900年、それこそ戦時中の作品で、
野っ腹にヤギが半分寝そうになってるっていう絵で、
多分どっか出かけて描いたのかなと思うんですよ。
もう1点が古澤彩美のヤギを描いたデッサンで、
それは古澤さんは戦後素婦なんですけど、
お家でヤギを飼っていて、
多分ミルクをとるためだと思うんですけど、
そういうのもあって2点展示したんです。
展示するにあたっても、
うちヤギの絵なかったっけと思って、
私が探して展示したんだと思うんですけど、
それでもヤギの絵を展示しているし、
斜め前にヤギいるから、
ちょっとヤギを描くっていうのがどういうことかっていうのを
やってみようっていうことになって、
おじさんのところにすいません、モデルとしてとか言ったら、
いいよいいよ喜んでみたいな感じで、
バス君がすごく土で遊ぶのが好きらしくて、
土に体をすりすりするから、
大概茶色いんですよ。
だけどおじさんがデッサン会の直前に真っ白に洗ってくれていて、
お水がすごい嫌いなバス君なのに、
お水耐えてバス君もきれいになってくれて、
デッサン会の当日を迎えることができた。
24:01
そうだったんですか。
僕は当然白いヤギを描いたんですけど、
懸念はあったんですね。
白くないかもみたいな。
そうなんです。
そのとき一緒にいたスタッフと一緒に、
ちょっと白くなかったなみたいなことは思ってたんですけど、
なんかね、イチオラを着るっていう感じで、
スーツ着るみたいな感じで、
真っ白いヤギになったんです。
白滝潮できたみたいな。
本当です。
白いヤギになってたと思って。
今もまた茶色いですけど。
あれワークショップって形ですかね。
そうですね。
ワークショップでヤギの作品を見ながら、
ヤギを描こうっていうイベントだったんですけど、
まあ動きましたねヤギ。
そうそう。
みんなで十分に、
二十人くらいいましたね。
そうですね。
みんなで紙持ってグラーってヤギを描こうと思うんですけど、
ちょろちょろヤギが動くから。
こんな描きにくいとはっていう。
だからそれを描いた上で、
やっぱり作品を見ると、
やっぱりプロの方ってすごいなって思いました。
そうですね。
骨格とかもちゃんとプロの方って掴めてて、
そのとき参加された方の絵が趣味で描かれてる方なんかは、
やっぱりうまく描けてましたよね。
どうしても素人だと、
頭から描こうかなとかやっちゃって、
どうもうまくいかないんですよね。
広中さん自身は描かないんですか?
いや、高校の授業までしか描いていないので、
描いてないです、本格的に。
今ちょっとワークショップの話出ましたけど、
ワークショップは、
やっぱり学園さん考えるのはお仕事の一つ?
そうですね。
プランニングまではするんですけど、
そのヤギのワークショップのときは、
一緒に働いていた同僚が、
美大で画家として活躍されている同僚がいたので、
彼女が指導者役というか、
それをやってくれたんですけれども、
美術館でワークショップを主催することはたくさんあるんですけど、
プランニングまでは私たちで、
実際はプロの方に、
絵本展のときのワークショップなんかも、
プロの絵本作家さんにお願いするんですけど、
プランニングはこっちです。
これまでいろんな展覧会の中で、
このワークショップは、
ちょっと自分なりに面白かったなと、
印象に残っているのってあります?
そうですね。
講演会もたくさんやりましたし、
ワークショップもたくさんやってきて、
全部は思い出せないんですけど、
なかなか面白かったのが、
やっぱり寺田実さんが講演会されたときに、
人が押し寄せすぎて、
後でやってきたお客さんが、
この前に座るのでいいですっておっしゃっていて、
最前列に退屈割りされていて、
寺田さんが苦笑されていたっていう。
普通は立って聞くんでいいですですよね、
後ろの方で。
立っている人もいたんですよ。
立っている人もいたけど、
27:00
座ってでも最前列で、
退屈割りの女性が何人かいました。
多少話しづらいですよね。
そうでしょうね。
そんなに人もたくさんいたら、
リアル人がゴミのようだと、
心の中でもしかしたら言っていたかもしれないですよね。
ちなみに展覧会論ってやられていたと思うんですけど、
一番最初の展覧会って覚えていますか、自分方。
最初は、
最初は池袋モンパルナス展という企画展からでしたね。
企画じゃない、コレクション展。
それはどうでした、最初の自分の一発目展覧会って、
やっぱり印象深いものなんですか、デビュー戦みたいな。
そうですね、勉強になりましたし、
実は池袋モンパルナス展をするということ自体は、
私が採用される前に、
その時いた学芸員が、
新しく来た人にはまず最初にこの展覧会、
このタイトルでコレクション展をやってもらおうと決められていたので、
それになったんですけど、
やっぱりコレクションを知る上ですごく勉強になる展覧会だったと思います。
コレクション展ってことはあれですよね、無料。
無料だったんですね。
田橋さんは結構無料でやりますもんね、コレクション展の場合は。
その時のこだわり。
今考えると、やっぱりあそこはもっとこうした方が良かったなんていうのはあるんですか、
やっぱり成長された10年たち。
そうですね、そういうのあると思うんですけど、
コレクション展よりも、やっぱり企画展の方が
記憶に残ることとかがたくさんあって、
初めてやった企画展は2008年の新人画会展なんですけど、
その時やっぱりいろんな画家さんのご家族の方との付き合いが
ほぼ初めて始まって、
その時できるベストのことまではやったと思うんですけど、
やっぱり今見るとズロフとか結構恥ずかしいものがあるなって。
ちなみに新人画会ってのはどういう会なんですか?
新人画会は1943年に
あいみつとあそうさぶろうと
いとぞのわさぶろうと
おうのぼろうと
てらだまさあきとつるおかまさおと
まつもとしゅんすけと
一人忘れている。
あれ?8人なんですけど、
いのえちょうざぶろうを言い忘れちゃった。
はい、あいみつ、あそうさぶろう、いとぞのわさぶろう、
いのえちょうざぶろう、おうのぼろう、つるおかまさお、
てらだまさあき、まつもとしゅんすけっていう8人の画家が
その当時出品してた大きい団体は別々なんですけど
学生時代に知り合いとか
あといろんな展覧会の出品で知り合ったとか
そういう縁をもとにして組んだグループで
選挙中なんで3回しか展覧会できなかったんですけれども
それぞれが戦争画の一色の時代の中で発表した絵を
画廊がちっちゃかったのに
ちっちゃい絵しか発表できないんですけど
持ち寄ってささやかな展覧会を開いたっていう
これって記録として何が残ってるんですか?
例えば展覧会であれば記録とか残るじゃないですか
30:01
でも画廊ってことはDMとかが残ってるんですか?
そうですね、DMが2回分だけ
寺田さんの遺品でうちの館にあったので
それを展示することができたんですけれども
出品作品リストみたいなのが
第1回展だけしか残っていないので
あと2回3回とかって何出したかっていうのが
分かってないんですよね
でも画家の階層の中で何年の展覧会にこれ出した
みたいなのが少し残っていたりもするので
その中でこうじゃないかじゃないかっていうのを推測して
その作品があればその作品で
なければその時期の似たような作品を集めて
どうにかこうにか展示したっていう展覧会です
これその新品画会は当時何日くらいやってたんですか?
それぞれ大会で
4日間とかですよ
そんなもんだ?
そんなもんです
多分さっきの話ともつながるんですけれども
画廊が閉鎖されていった時期なので
借りたいっていう人は集中するんです
その空いてるっていう人
画廊を借りたいんです、そっかそっか
そうなんです、それもあって多分
4日間とかしかできなかったんですよね
それはいろんな展覧会があったわけですよ、当時は
新品画会っていうのは
それでも美術界にとっては相当重要な会
やっぱりポップメイキングだというか
そうですね
その当時はやはり日にちも少なかったし
ちっちゃい画廊でやったので
どのぐらい人が入ったかっていうのは
分からないんですけれども
やっぱりそこで発表されていた作品っていうのは
今も非常にこの時代を象徴する作品として語り継がれるし
戦争が一色の時代に新品画会っていうものがあったっていうことが
いろんな言い方で
一つのささやかな抵抗だったっていうふうな言われ方もあるし
当たり前に絵を発表するっていうことができた
唯一の会だっていうふうにも言われていて
滝口周藤なんかは戦後の言葉なんですけれども
戦後美術の出発点っていうふうに
新品画会のことを言っていますね
あれがあったからみたいな感じなんですか
そうですね
そういう言葉を見つけてこなきゃいけないっていう
言葉っていうのも変ですけど
例えば今だったら
そんな多くの研究者いないかもしれないですけど
例えばなんとか展がすごい人気あったなって
インターネットとかで調べられちゃうじゃないですか
この展覧会すごいバズって
いわゆるバズってるなって
でも当然のとおり
口コミなんかは可視化されてないわけじゃないですか
ってなると探すの大変じゃないですか
だって山ほど展覧会ある中で
どうやって探すの
それはやっぱ誰か
例えば武口修造とか
やっぱり当時の美術評論家の言葉とかを頼りに
すごい大海から砂
砂漠から砂を拾ってるような作業のように
ちょっと思えちゃうんですけど
そうですね
資料
しっかりした資料って本当に少なくて
展覧会表なんかも
33:00
大きい展覧会だと割と探しやすいんですけど
すごく小さな展覧会表を
いくつか発見するっていう程度のもので
やっぱりその当時って
戦争版の展覧会の展覧会表が多いし
グラビアでこの作品展示したみたいなのも
戦争版のものが多いので
ちょっとだけ出てきたやつを
一生懸命探すっていう感じですね
ちょっとパーセンテージ作るのは難しいと思うんですけど
研究して
いろんな調査とかしてって
形になることというか
これ見つかったみたいなのって
何割ぐらい作業に対して成果がある
広中さん的には思いますか
自分の中で
かなりケースバイケースって感じはしますね
やっぱり
新人画界の作家の絵の探しにくさみたいなのっていうのが
戦争でその後焼けちゃったっていうことが起きたり
焼けた人が多いですね
この10年
2011年って
僕のバルナフ展から
新人画界展が2008年じゃないですか
この12年13年の間に
作品が発見されたみたいなことはあるんですか
ないと思ってた作品が見つかったみたいなこと
ありますね たまに
それが持ち込まれたものだったりすることもありますし
うちにこんなのあるんですけどみたいな
あれだみたいな
場合もありますし
他の館の方から聞いたりとかもありますし
たまたま発見することも
やっぱりそういうのはテンション上がるんですか
そうですね
すごいと思って
驚いて
人に伝えたいっていう気持ちになって
そこが多分展覧会の原動力になるんだと思う
ちなみになんですけど
他の美術館 展覧会と
最初にも伝えちゃったけど
重い作品とかも多いわけじゃないですか
そうなると例えば
お客さんからの反応で
展覧会見てすごく心が洗われましたとか
楽しい気持ちになりましたっていう感想じゃない感じがすると思うんですよ
そういうときに今までいろんな反応で
一番嬉しかった反応というか
池袋モンパルナスのお客さんの反応で
こういう反応あるんだみたいな
印象残ってるのってあります
放送できるかどうかわからないんですけど
ちょっとその方がどうされてるかがわからないんですけど
モンパルナス展を新進学会かどっちかなんですけど
やったときに
展覧会で勇気をもらって
脱サラしてコーヒーショップを始めましたっていう人がいました
その後どうされたかもわからないし
ちょっとそれをおっしゃられて
私も返信してなくて申し訳なさすぎて
これはもしかしたら放送できないかもしれません
それはメールできたんですか?
36:00
名刺がある日置かれていたから
誰かが受付の人か誰かがもらって
私に置いてくれたんだと思います
でもそれどうしよう
使えないエピソードかもしれません
その方にお返事してなくてごめんなさい
このばっかりでいいんじゃないですか
そうですね すいません
お返事ができていなくて
そこまで動いてくださってありがとうございます
でもそういう勇気を与えられる展覧会でかもしれないですね
絵そのものでっていう生き様というか
でもそういうところはやっぱり惹かれるんですか?
しろなかさん自身もちろん絵そのものとか
絵そのものの素晴らしさもあるんですか?
そうですね 画家たちの生き様だとか
その姿勢というものはすごく共感することが
学ぶことが多くて
それだからこそ彼らを紹介していきたい
というものは強いですね
面白いんだからもっと知ってほしい
やっぱり日本の近代洋画って残念ながら
まだ知られていないものが多くて
好きな方は誰ですかといったときに
なかなかこのあたりの方を挙げる方って
いらっしゃらないなと思うので
もっと知ってもらえるように
頑張りたいなというふうに思います
スポット当たらない理由というのは何かあるんですか?
見るチャンスが少ないからというのは
あるんだろうなと思うので
もっと展示しなきゃなという感じですね
そういう意味では今年前半のお話になりましたけど
ちょっと池袋のモンパルナスが
フューチャーされるのが増えてきたので
ちょっと風向きは変わってきたなという
そうですね 変わってくれるといいなと思う
ちょっと話が変わるんですが
美術以外の趣味や楽しみとかってありますか?
本当に美術の調査ばっかりやってるようで
ばっかりやってるというかないんですけど
趣味的なものってあるんですか?
多分展覧会の準備なり
人に会うとか
結構人の話聞くのが好きなんですもともと
だから作家の遺族の方に
その型の型の話だけじゃない話とかも聞くときがあって
飼ってる動物とかいろんなこと聞くんですけど
それも含めて話聞くのが
割と好きなんですっていうのと
あと多分
あんまり面白くないことかもしれないんですけど
美術以外の趣味や楽しみがあんまりないのかもしれないです
休みの日もやっぱり展覧会見に行ってしまうし
本屋さん行って
これ次のネタになるかなと思ったり
街を散歩したりとかしてみても
こういうものの配置きれいだなとか
そういうの思ってしまうので
あんまり面白くないですね
趣味やればよかったな
いやいやいや
でも実は僕もないんですよ
よかったです
僕も結局なんだかんだアートテラーのことばっかりやってるから
なんかそうなっちゃう
安い業種というか
39:01
それなのかなと思ったり
この前とある美術関係者
美術館勤めてる方が
急にゴルフ始めたって言われて
お兄さんもどうですかって言われたんですけど
どこにゴルフやる時間があるんだろうと思った時に
学科の皆さんでゴルフやってる人とか
キャラリストさんでゴルフやってる人って何人か知り合いいるんですけど
学院さんでゴルフやってる人って
みんなやっぱりあんまり長期取られる色んな趣味を
持ってる方っていない気がするんですよね
多分この番組見てくれてる人は全員
スポーツ系の趣味とか
野西はサッカーやりますとかも多分
さわやかでいいですよね野西サッカーでもできれば
だからないですよ
でもテレビとかは見たりするんですか
最近のものを
見たりしますよ普通に
それこそちょっと後に戻すのかもしれないですけど
池袋モンパールの若い学生の力みたいなところがあるわけじゃないですか
そうすると今の経済の学生の展覧会見に行ったりとか
若手の展覧会とかは見に行ったりするんです
若手の展覧会機会があれば見るっていう感じで
結構古いものもやっぱりまだ出てるんですよね
作品としてガローさんとかでも出てたりするので
まだ若い今の元気の方の表現までは
まだ十分見に行けてなかったりはしますし
あと結構私これは面白かった
これは良かったなと思うことの一つで
この美術館に就職しなければ
多分江戸時代の絵画あんまり見なかったと思うんですよ
江戸時代の絵画を見る面白さみたいなのにも気づいてしまったので
江戸時代の作品とか見に行ったりしてます
伊丹橋ならではですね
そうですね
他の美術館のサントリーとかネズ美術館さんとか
ああいうの見に行って面白いなと思って
ただのファンとして
でもそれをどこかで結びつく方はないんですか
意外とこういうところに会うと
美術は難しいかもしれないですけど
でも結びつきそうなものはあるなと思ったりはします
まだ全然展覧会になりそうだとか
なんとかっていうのはないですけど
なんかあるんだろうなと思いながら
美術見に行く時には一ファンとしていってる感じですか
そうですね
一ファンであったり
あと美術館の運営というか
全体として子ども対策こうしてるんだとか
キャプションってこうすると見やすいよねとか
そういうことはチェックしないんです
そのご自身が担当者で池袋モンバランスの近代洋画のジャンルって
日本のいろんな美術館のいろんな学園生がいらっしゃると思うんですけど
研究してる人は少ないほうなんです
そのコミュニティとして考えたら
少ないほうなのかもしれないですけどね
そういう人たちでみんなで情報共有とか情報交換とかは
なんかあるコミュニティみたいな
42:02
なんかお互いに聞きたいときは
連絡し合うみたいな体制はありますね
なんかすごい発見したときに連絡とか来たりしたりはある
ありますね
そういうことなんですね
割と他の分野がどうなのか分かりませんけど
みんなでここら辺盛り立てたいみたいな気持ちはあるので
あと海外の研究者から問い合わせ来たときに
これだったら何々さんかもみたいなことで
何々さんこういう連絡あるかもよみたいな
お互いに連絡し合うみたいな
その得意分野みたいな
そうですね
広中さんは池袋モンファルナスは結構得意
なんか結構池袋モンファルナス特殊だと
広中さんに連絡いきますよね
そうですね ご連絡いただいて
資料とかも結構長く私が着任する前から
集めたりもしてるので 作品もそうなんですけど
なので割と揃えてきてるかなという感じがします
それこそ 池袋モンファルナス さっき話も出ましたけど
研究大変だなっていう話だったじゃないですか
ほかのもんじゃないですか
ちょっと数字で言うのは難しいかもしれないけど
自分なりに今 池袋モンファルナス
どれぐらい把握したなと思いますか
多種多様な池袋モンファルナスだけど
2、30パーセントぐらいじゃないですか
多分もっとあると思うんですよ
多分文学関係とか冊絵とか彫刻とか
それこそ日展展々系の方とか
まだ終えてないので
まだやらなきゃなみたいな気持ちですし
今ちょうど池袋モンファルナス展で
豊島区の学芸の方とずっと割とタッグを組んでやってるんですけど
なかなか終わりがないよねみたいな話をしてます
そういうもんなんですね
またこの後知られざる作家が見つかることとかもあるよね
あると思います
あと多分留学生もたくさんいたと思うんですよ
留学生ってすごく多いにくいんですけど
ちょっとどうにかして探したいなと
それはやっぱりアジア圏の方が
そうですね アジアの方ですよね
韓国圏の
そういうのはいずれ展覧会になるんですか
何かまとまって紹介できるボリュームがあれば
できるかなと思ったりもしますし
今さまよえるFで前半でもお話ししましたけど
東京京都の政治家の全家が立ち上がってますけど
今後の展覧会も仕込んであるというか
準備中のものはあるんですか
ありますね
これをやりながらもこれもあるよねみたいな感じで
考えているものもありますし
今回さまよえるFでは
京都文化博物館の清水さんと一緒に準備したんですけど
清水さんとはこの準備しながらも
これから先こういうのもできるよねみたいなことを
いくつか話したりもしていますし
今回の出品作家の中のお一人を取り上げた展覧会
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他の地域の美術館の方とちょっとやりたいねって話をしたりはしています
じゃあまだまだやりたいことだらけ
やることだらけなんですね
やりたいというよりもやらなきゃみたいな
やらなきゃみたいですね
やらなきゃみんな必死で描いてきているので
やりたいという気持ち
やっぱり愛おしい感じなんですか
皆さん 池袋
そうですね なんか仲間みたいな
勝手にもう勝手な親しみで仲間
応援団
そうですね 応援しなきゃっていう気持ちです
でも池袋モンパラダンスじゃない点なんかやりたいもないんですか
たまには別のジャンルも取り上げて
池袋モンパラダンスってテーマではないんですけど
やっぱり池袋の作家とか
やっぱりあの周辺ですね
のことで今仕込んでいるというか
考えているものは割とこの中の人が絡んでいるものばかりです
それはもうあれですか
ぜひ田橋県立美術館で今後見れる
はず
ぜひ田橋県立美術館のホームページをチェックしていただけたらなと
だから池袋モンパラダンス系だなと思ったら
もう博中さんが担当していると考えていただいて
そうですね
大丈夫ということ
今やっぱりコロナはあるから
調査というのはなかなかうまくいってない
そうですね
今回のサマイル絵筆展も
いろんな作家さんのご家族の方にお話聞きたかったんですけれども
ちょっと難しかったので
1,2回しかできなかったし
あと京都の学芸員ともほとんどオンラインでやり取りで
半年の間に1回ぐらいしか会ってないみたいな
これがもう少しちゃんとやりたかったなというのもちょっとあるんですね
ありますけど
逆に発見だったのが
オンラインでできることって意外にあるんだねっていうのと
オンラインで2人で話す呼吸がすごいあってきたんです
タイミングで話す
最初はあっみたいになるんですけど
それがなくなってくるんですよ
なかなか気持ちがいいですよ
そういうのもあるんですね
なるほど
ということであっという間に5時間がやってきましたけど
他にこれだけ話したいみたいなところは話しておきたいとか
そういえば趣味の話のときに
言っておきたかったことで
宣伝みたいになるんですけど
研究会みたいなのをやったんですよ
福沢一郎さんのシュールレアリズムっていう本が1937年に出たんですけど
本を誠読するっていう研究会を
何年くらいかな5年弱くらいかけて
いろんな間の学芸員の方と横の連携でやって
それを一冊の本にまとめたものがありますので
超現実主義の1937年っていう本で
水津書房さんから2年前に出した本なんですけど
これもなかなかみんなの熱い思いが
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木下の福沢一郎記念館の学芸の伊藤さんだとか
皆さんいろんな第一線で活躍されている方が中心となって
私もいくつか書かせてもらっている本がありますので
そちらもよろしくお願いします宣伝的に
宣伝はしていただいて
趣味の欄ではなかったんですよね
趣味みたいなもんです
研究会も
みんな普段の学芸員としての館での仕事と
またみんな違う気持ちで楽しく作画していて
飲み会をしたりとかもあったし
楽しいよねみたいな
途中お菓子を食べたりもするんですけど
楽しいなみたいな感じで過ごしていました
福沢一郎記念館でやったんですか
福沢さんが使っていいよ
一郎さんのことをやるんですし
みたいな感じでお借りできたので
だから絵の具の一郎さんが使っていたアトリエの跡を使いましたし
福沢さんの蔵書も見せていただけたので
その本はこれですねみたいな
本棚から出てくるみたいな
非常に贅沢な研究会をしていました
ぜひ興味ある方は福沢一郎記念館にも行っていただきたいですよね
僕もあそこですごくお世話になって
今はないんですけど
数年前までシフォンケーキを出した
おいしいですね
奥様が作って
あるとき行ったら
僕まだバイト役の時代だったんですよ
だから一人一切れなはずなんですけど
若いんだからいっぱい食べなって言うと
半分くらい食うよシフォンケーキ
シフォンケーキってまあまあ腹溜まるなと思いました
すごく温かい方で
作家さんのご家族に本当に温かくしていただくことを
本当にありがとうございます
みんな温かい方が多いんでしょうね
そういうのもちょっと人柄も含めて
影響力の高めます
楽しんでいただけたらと思います
そして板橋美術館では
今ちょうどさまよい霊符でやってますけど
今後もいろんな展なんかやりますので
それも含めて楽しんでいただけたらと思います
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