自己表現の重要性
おはようございます。鈴木げんとくです。
今日は10月11日のお昼前なんですけど、朝ごはんも食べずに起きてすぐ、はちゃめちゃな髪の毛でこの音源を録ってます。
数日前に自分一人でしゃべるっていうのを久しぶりに録音して、結構楽しくて、
やっぱりなんか当たり前なんだけど、自分が何かを作って、それに対して自分だけの評価で、
これいいなってなっているときが一番楽しいかもっていうことにちょっと立ち戻れた気がして、
これはやっぱりなんかいろんな形で続けた方がいいなっていう気がしたので、だいぶ感覚としては短いんですけど、
やりたいと思ったときにやっとけと思って、2本目も録っていこうかなというそんな気持ちです。
今日ね、この間録った音源をListenにアップロードしようと思っているので、
それでちょっと久しぶりにListenにログインをしたんですけど、
ポッドキャストの配信プラットフォームのことですね。
なんか結構ね、再生されているというか、再生完了数も多いし、なんかすごいたくさん聴いてもらえているっぽい感じだったんで、
やっぱり自分のパートナー、増田のパワーがあると、彼女にしかできないしゃべりというか、
そういう雰囲気的なものも含めて必ずありますから、そこは間違いないことと思いつつ、
そこにまた繋げていくためにも、一人だけですけど、その繋ぎのポッドキャストというのもやれたらいいかなということで。
メンタルの調子
確かね、これやっぱりラジオ、自分はラジオが好きなんですね。
ポッドキャストというよりも、ラジオが昔から好きで、それで一人しゃべりしたりとか、友達呼んで収録したりとかっていうのも学生の時からやってたんですよ。
だからそういうラジオといえば、メール読み、メールを募集して送られてきたお便りを読んでコミュニケーションするっていうのが、
やっぱりラジオの人気の証みたいなところだと思うんですよね。それが成立するかどうかっていうのが。
だからそれは何とかぜひぜひやりたくて、確かツイッターで特定のハッシュタグを入れてもらうといけるみたいな。
特定のハッシュタグを入れてもらうと自分たちに届きますよみたいな、そういう感じのことを言った気がするんで、
たぶん書いてたんで、ぜひそこはやっていただけると嬉しいなっていうのと、
あと単純にリスンの方にもコメントを入れる機能があるっぽいんだよね。
なので、その辺はぜひコメントしてください。
コメントするようなことがあるのかっていう話もございますが、そんな感じですかね。お腹すいたな。
お腹すいたんで短めにいきたいなと思いますけど、
今日ね、朝起きたらね、スーパーサイヤ人並みに髪の毛が前髪が全部上に上がってたんですよ。
本当にめちゃくちゃ自己啓発読んだ前髪になってて、全てが上昇志向。
もう二度と下は見ませんみたいな感じで、重力に逆らって前髪が全部天を向いて、
背伸びをしてたんですけど、それになっている状態って要は爆睡したときで、みんなそうなのかな。
だいぶ最近はちょっと寝る時間が遅かったり、やっぱり平日とか日曜日とかって、
次の日仕事あるじゃないですか、次の日仕事嫌だなって思ったら寝たくなくなるんですよ、要は。
寝れる寝れないの話ももちろんあるんだけど、それ以前に布団に入りたくないって思うんですよ。
明日が来てほしくないみたいな。でもね、それってね、多分社会人だけじゃないじゃないですか。
自分はね、小学生でもそうやって思っている人いると思うし、中学生でも高校生でも、
自分はもう全然中学高校の時からそういうタイプで夜更かししては日中後悔するようなそういうタイプだったんで、
だからみんなそうなんだろうなと思いつつ、みんな髪の毛がスーパーサイヤ人になっているわけじゃないだろうけど、
とりあえずね、寝れなかったものが休みの日に寝れたっていうことは良いことだと思うんで、
同じ日同じ時に似たようなスーパーサイヤ人が日本各地にどんどん生まれてきているのであれば、
それはそれでいいことなのかなと思ったりしますね。
あとなんだろうな、数日前の収録なのでメンタルの状況があまり良くないという話をしたんですけど、
そこから数日経ってまたちょっと落ち込むっていうことはないです。
やっぱりちょっと調子が上向きにちゃんとなってきている。
なんか作ろうとか、こうやってポッドキャスト撮ろうとか、
自分って最近ノート、ブログみたいなやつのプラットフォームですね、文章書いたりとかっていうのもちょっとやる気が出てきて、
自分ってハンドフル撮って音楽、演奏ですね、演奏動画を撮ってアップロードするっていうのを昔からやってるんですけど、
それもちょっとそろそろ再開するかみたいな、ちょっとだいぶ1ヶ月今日お休みしてたんですけど、
逆にね、やっぱりハンドフルとの動画投稿はここ数年結構やる気持って、
次に2、3本ぐらいはショートと横動画と出しているぐらいのペースでずっとやってたんですけど、
それをちょっと急にやめたんですよ。
ちょっと1回お休みしようって思って、やめたのが逆にメンタルに良くなかったのかもしれないって思い始めてる。
まあ難しい話なんだけどね、自分って結構いろいろ、本当に元気な時っていうのは基本的にやりたいことがいっぱいあって、
それでどうしようどうしようってなっちゃうタイプ。
仕事の日にそうやってなってるんだったらまだわかるんだけど、休みの日にそれになるんですよ。
仕事の時って自分のやりたいことをどんだけできるかって言ったらね、
5%できればおんのじというかありがたいぐらいの世界だとは思うんで、
それは当然と言えば当然なんですけど、
休みの日は自分のやりたいことができますって言った時に、
あれもそれもこれもみたいな感じになって、
どうしようみたいな、どれからやろうみたいな感じになっちゃう。
あれやってたら今度はこれの時間ないしなみたいなね。
っていうことになってるっていうことは逆に言うと、
いろんなことに興味関心持ててるぐらいにはメンタルの調子が良くなってきたっていうことだと思うんで、
やっぱりそこも調子戻ってきたかなっていうふうに思います。
コミュニケーションの役割
上司にいろいろ自分がモヤモヤしてることの相談とか、
これまであんまりできてなかったんですけど、
いろんな人に頼らないといけないと思いましてっていう話から、
いろいろ聞いてもらいまして、
励みになるようなことを言っていただいて、
自分のやりたいことができるようになってきました。
励みになるようなことを言っていただいて、
とても周りに恵まれているなというふうに思いました。
この人のこの考え方は違うなって思うことはもちろんあるわけですよ。
それはこれはちょっと何とかしてよとかって思うこともあるわけですよ。
でもその前にある話として、
コミュニケーションの問題って人間関係の問題って言い換えてもいいけど、
やっぱりイーブンだと思うし、
例えば相手がコミュニケーションを取ってくれないっていう人だったら、
やっぱりこっちからコミュニケーションを取りに行くっていう選択肢が
イーブンであるわけなんですよ。
まあ確かに上長と部下っていう関係性だったら、
主導権が基本的には上長の方にあるっていう前提はあるし、
立場下の人からあれこれ言うのって言いにくいし、自分もそうだし、
そういう雰囲気を作っていかないといけない、
それが上長の役割だっていうふうに自分は思うけれども、
それでもやっぱり上長の問題っていうふうにするのは良くないと思っているので、
やっぱり自分からもコミュニケーション、自分が関わるコミュニケーションにおいては
自分にできることがある。
コミュニケーションのリスク
逆に言うと人のお悩み相談とか聞いてて、
今ちょっとこの人と仲が悪くてみたいな、
そういう第三者の話を聞いている分には、
自分がコミュニケーションとして関わっていない人だったら
どうしようもないっていうところは当たり前の話ですけど、
先引きするっていうのは大事かもしれないですよね。
そういう時にあんまり知らない人なのに、
あれした方がいいよ、これした方がいいよみたいな下手なアドバイスをすると
絶対こじれると思う、自分は。
それがよく知っている人だったら話は別ですよ。
二人とも目の前にいる相談してくれている人のことも、
問題になっている人のことも、
よく知っています、一緒に仕事しています、
よく飲みに行ってました、遊んでましたみたいな感じの人だったら、
この人はこうだから、ああかもねみたいな、
そういう話はした方がいいんじゃないかなと思うんですけど、
なかなか人のことを、この人はこうだからねっていうこと自体に、
やっぱり謝りのリスクっていうのは大きいと思うわけですよ。
なぜかというと、人は変わっていくものだからですよ。
仮にね、一年前とかの知識でその人をこうだっていう風に言っても、
そうじゃないかもしれないし、もっと言うと、
人って我々みんな、この人の前ではこんな感じで、
この人の前ではこんな感じだけど、
別の人の前ではこんな感じみたいな、やっぱり雰囲気も、
どういう場面とかどういう人と一緒にいるかで、
その人の性質みたいなものってちょっとずつ変わっていくわけですよ。
だからやっぱりそう考えると、自分が見えているものがやっぱり全てじゃない?
自分から見て、あんまりちょっとこう、
積極的なタイプじゃなさそうだなっていう人が、
例えばシチュエーションが変わって、
リーダーの役を任されたみたいなことになったら、
その人はすごい腹を決めて、リーダーとして、
もうなんていうんだろう、たくましく振る舞っていくかもしれないし、
それを見ているかどうかっていうのはまた別の話じゃないですか。
だからそういうことを考えると、やっぱり、
この人はこうだっていう決めつけを自分の経験ベースで言うっていうことは、
結構、本当は避けた方がいいかもしれなくて、
でも絶対必要な場面もあったりとかして、
そこを見極めるっていうのが、ある意味、
年を重ねた人の腕の見せ所みたいな感じになっていくのかなっていう気がしますけどね。
創作活動への意欲
何の話か忘れましたけど、
とにもかくにも、
ちょっと元気にやっていきましょうかっていうことですね。
なんかやっぱり、
創作的なことをやりたくて、
自分の文章、あんまり今まで書いたものを見返していいなって思えないタイプなんですけど、
いいなって思える文章を書きたいなと思って、
今、自分が出ている別のポッドキャストがあって、そっちでも話させてもらっているんですけど、
30歳に来年になるんで、
その30歳になって、
その30年間を振り返って、
自分詩、自伝みたいなものを書きたいと思っているんですけど、
実際、いろいろ書いてて、
書いたものを捨てて、今度は音声認識で、
交互帯、交互調で書いた方が読みやすいかなみたいなことを考えたりとかしてたんですけど、
もう一回見直してみようかなと思って、
なんていうんだろうな、
結局、誰に読んでもらうとか、
読んでもらってどう思ってもらいたいとか、
そういうことを考えると苦しいなって思ったんで、
自分の文章を書きたいなと思って、
自分がいいなと思った文章をそこに置くっていう風に、
もっとシンプルに捉えて作った方がいいなっていう。
やっぱり、できたものが、
別にこれあれなんで、
誰かに依頼されて書いてるわけじゃないんで、
自分の文章を作った方がいいなっていう風に、
別にこれあれなんで、
誰かに依頼されて書いてるわけじゃないんで、
自分が勝手に作って、作ったものを
ちょっと売ってみるっていうことをやりたいっていう。
それはお金儲けがしたいわけじゃもちろんなくて、
自分の作ったものを人にお金出して買ってもらえるっていうことがすごく大事だと思うんですよね。
自分の実存において。
だから、それをやりたいわけです。
っていうことなので、
それをやりながら、
このポッドキャストも続けていければいいかなという風に思います。
あとね、最近メンタルの調子を上向かせる上で、
いいなと思って読んでる本とかあるんですけど、
その辺とかはいいや。
またそのうち話しましょう。
うん。
じゃあまたそのうち。
よろしく。