連休明けの不安感
はい、現在10月14日の12時11分です。 鈴木げんとくです。
えっとですね、なんだっけ そう、あの3日連続ぐらいで録音してて、すごい録音するのいいなぁと思ってて
で、あの昨日まで なんだっけ
あのレコーダーを使ってたんですよ 自分はねえっと
なんだっけ h hd 6だっけちょっと名前なんだっけ
なんかねあのすごくいいレコーダーがあって 昔から大学生の時から愛用してるやつなんですけど
そう h 6っていうズームっていう会社のハンディレコーダーがあって これがねすごい手軽に綺麗な音質で撮れるんで
めちゃくちゃ重宝しててでモバイルバッテリーでも動くし めっちゃ便利だなぁと思って使ってたんですけど
それをねあの今日 そのハンディレコーダーを回しながら
すごく便利なハンディレコーダーですよっていう話をしようとしてたの そしたらねなんかすごいドンピシャのタイミングでこのなんかレコーダーが
あの sd カードを読まなくなっちゃって これちょっとハンディレコーダー側というよりもなんか
もう sd カードの寿命が来たのかなっていう気も若干してるんだけど その2日分録音したやつをファイルを動かして
あれこれした時に なんか多分 sd カードがちょっとおかしくなっちゃって
でも なんかリセットもできない感じになっちゃったから
ちょっと改めて sd カードを買い直さないといけないなっていうふうになりつつ でもどうしても
録音したいという 衝動なかったことにするのは良くないなっていう気がしたので
まあ半ば無理やり パソコン立ち上げて
今こうやって録音してます ただねあの音質はね絶対こっちの方がいいんだよね
パソコンにつないでるマイクが結構いい奴使ってて それこそあのポッドキャストをやる人専用みたいな
まあ結構 専門のマイクを使っているのもあるんで
まあでも自分の喋りの音質が良くてどうなんだっていうのはありますけどね まあなんで
これ喋り始めようかなと思ったのは自分が不安だからなんですよね まあ今日がねあの3連休が終わって
まあもう日付変わって今日ですけど寝て起きたら会社行かないといけなくて 仕事があるんですけど
なんか やっぱり子供の時と比べて
格段に この連休明けの
不安感とか ちゃんと
仕事をできるかなみたいなのが 大きくなってて
なんか 自分がちょっとそういう大学生ぐらいになった時とかに
その長期 休み明けに
まあ
中高生とか が
なんだろう まあ学校に行けなくなったりとか それ以上の不幸があったりとかっていう話を聞く時に
聞いた時に 正直大学生の時ぐらいはそこまで大きな
気持ちの揺らぎはなかったかもしれないけど 今はやっぱり
昔よりかはやっぱりわかる気がするし それはなんだろう
コーピングの重要性
時代の変化というか 自分みたいに
周りを気にする人が増えたっていう言い方もあるけど 周りを気にしないと
生きていきにくい 世の中になったっていうのも言えるし
やっぱりそういうのって連鎖反応というか 自分が周りを気にすると
周りに 何だろう
自分の身の周りに すごく
自分らしさを発揮している人に対して あれこれ
言ってしまったり 働きかけてしまう
抑えつけるような働きかけをしてしまう ことってあるだろうし
そういうなんか
まあ建前上はみんな個性がいろいろって言うんだろうけど そういうなんか実際は
空気読んでやっていかないと回んないよねみたいなのを なんかみんなが内面化している社会なんだろうなって
思う 別に昔からそうだったんだろうけど
今はもっと その
空気が強くなった なんか自分が
中高生ぐらいの時は KY空気読めないみたいなのが流行語になって
流行語になるってことはそれがちょっとこう ある種新鮮な響きを持って
受け入れられてたってことだと思うんだけど その段階をやっぱりとっくに
まあ過ぎて それが当たり前になったんだなぁっていうふうに
思った
で まあこうやって
話をする
のが何でかっていうと 多分一つの
コーピングになるんだろうって 思ったんですね
コーピングっていうのは自分今あの東肌カイトさんのカウンシュリングとは何か っていう心象を読んでるんですけど
それで見て そういやこんなあったなっていう
まあ一番最初に聞いたのは 何だろう自分のパートナーを通じてなんだけど
やっぱりなんか自分の気持ちが不安定になった時に
不安定かなんかあるいは あの本に書いてあったのはやっぱりこう
うーん マイナスな方向に自分の
思考が はまっていく
はまって抜け出せなくなるみたいな そういう状態の時に
まあ 割れを取り戻すみたいな
そういう時に 自分で自分に
介入するっていうこと 例えばなんだっけなあの氷を氷を触ってみるみたいな書いてあった気がするんだ
よな ちょっと今パッと見つけられないけど
なんかそういう 本当に身体的な
介入 自分で自分にそういうちょっと
自分をハッとさせるような ことを
させる そういう決まり事を作って
思い出したらやってみるみたいな なんかそういう
ものとはまぁちょっと離れるけど 自分はやっぱり
不安を感じたら それを人に話すと
結構落ち着く でそれは多分結構自分だけじゃないと思う
んですよ でも常に周りに
都合よく話をうんうんって聞いてくれる人がいるとは限らないし なかなか
ねえ
そうもいかないことも多いんで かといって一人ごとでブツブツ喋ってるのってそれは話してるっていうことに
ならんと思うんで そこのなんか一番都合のいいところを取ってるのが
こうやって録音して後から まあポッドキャスト
の形で公開するって言う ことだと思ってるんですね
まあ録音するのも実際まあめんどくさいことでは あるんだけど
でも逆に言うとやっぱりこれがなんか youtube とかツイキャストかで配信するとかだったら
やっぱりちょっと高配信開始ボタンを押すのにちょっとハードルがある感じがする 録音だと
まあ後からこれイマイチだなって思ったら まあゴミ箱に捨ててしまえばいいし
まあ実際してないんだけど なんかそういう気軽さがある
あと自分はの配信で一人喋りとかもしたことあるからわかるけど 配信ってやっぱり
来てる人を意識しないといけないし 人が来てないとそれだけでやっぱりシュンとしちゃうしそういうなんか
配信っていうはリアルタイムのものだから うまくいってるかいってないかみたいなのがリアルタイムに可視化されちゃうっていう
辛さがあるんだよね だからやっぱり自分の言いたいことを言って結構難しいし
配信ってまあ人が来なかったら来なかったで悲しいけど人が来てコメント来たら それはそれでやっぱりそこに答えていかないといけないわけじゃん
それはもちろん当たり前のことなんだけど それはねやっぱり
そういうコメントを返しながら自分の話したいことを話すっていうのは すごくなんだろうな
負荷のかかることで難しい大変なことなんだよね だからすごくね
この形っていうのは気軽で いいと思ってます
不確定要素への対処
自分が仕事とかを不安に感じるっていうのは まあ
やっぱり何が起きるかわかんないから不安なわけじゃないですか 自分が
一応 何だろう
まあ要は明日のこういう打ち合わせの時に
誰かが 自分の予想だにしないことを言って
自分の準備不足みたいなものが つまびらかにされて
まあ自分は 要は何だろうなまあつまびらかにされた時点で
その場に人に 怒られているというか
まあ なんだろう
欠陥のある人間だみたいな そういう
詮獄をされているようなものに受け取りがちな不死があるので 自分のメンタルが
あんまり調子が良くなかったりとかすると そうなりやすいので
だから まあ
仕事 平日に対する 不安感っていうのも大きくなりがち
だからやっぱり
不確定要素みたいなのを 避けよう避けようとしてしまうんですよね
それが
すごく 勿体ないことだったり
するわけですよ
それをね どうしていくのかっていうのが
まあゆっくり考えないといけないことかなっていう気はしてますけど まあでも現実に
めちゃめちゃ怒られたことが そんなにあるわけではないので
そこはね
念頭に 頭の片隅に置いておきたいなとは思うんですけど まあどうしたらいいんですかね
だから要は人に怒られるんじゃなくて 自分で自分を怒っちゃうわけですよ
別に なんか切れたりとかしてるわけじゃないけど
やってることは多分 一緒なんだよね
だから別に周りの人が何も気にしてないことも 自分は気にしてるし
周りの人が
まあ平常心で帰っていったとしても やっぱりあれが良くないこれが良くないって
考えちゃうんだよな
まああんまりここを掘り下げても 仕方ない気はするので
別の話をしますか
さっきねあの カウンシリングとは何かっていう変化するということっていうね
あの副題もついてますけど この本を読んではいるんだけどやっぱりね
坂口強兵の影響
メンタルの調子が完全に戻ってない時に あんまり読むべきじゃないなっていうことに気がつき始めて
要はカウンシリングの話って すごくこの本ってよくできてて
実際のカウンセラーさんとそこに
やってくる
患者さんっていうか クライアントとかいうのかな
の人のやりとりのまあ 例というか
まあちょっと小説的に その戸畑さんの経験を基にした創作みたいな感じで
いろんな例が描かれているんですけど やっぱそういうのを見て
やっぱりなんか刺さってしまう部分が あるようなので
やっぱりそういう時は 避けないとなぁと思いつつちょっと今日結構読んでしまったんですが
でも逆に今みたいな精神状態の時にすごいいいなぁと思ってる本があって それがあの坂口強兵創物日記っていうあのこないだ本屋で
見かけて買ってきたんですけど あのねー
まあ坂口強兵さんがやっぱり すごく影響を受けているんですよねあのこないだ
8南青山で
なんだ えっとさよならパステルっていうまあパステル画の
まあ古典あの展示会みたいなのをされててそれも見に行ってあのご本人にも あの会うことができたんですけど
まあなんかこの話をどこまで広げるか難しいけど 自分にとって坂口強兵さん知らない人もいると思うんで
いろいろまあ調べてもらったらいいかなぁって 思うんですが
まあいわゆるまあ草打日記っていう本が出てるっていうのもあって いわゆるまあ草打病8ちょっと今その正しい病名で言えればいいんだけどちょっと思い出せ
ないんで省略するんですけど まあすごく草の時期と打つの時期があってもうその2人2人っていうか2人って言っちゃった
けどその 草の時の自分と打つの時の自分がもう全然違う存在に感じるぐらいまで
まあ乖離している タイプの方で
それも含めて あのまあ生きづらい
経験をしてきている方 でそのまあ才能というか
まあ芸術的な才能の方でまあ作家 であのパステルとかも含めたいろんな絵を描いたりとか音楽を作ったりとかっていうので
生計を立てているっていう すごくざっくりまとめると
そうなっちゃうんだけど まあすごく
すごくセキュララに語る人で それがま詰まっているのがこの坂口強兵装打つ日記っていう本の中身なんですね
でこれがあのどこのどこの書店なんだろう どこどこのあれなんだろうなシリーズケアを開くっていう
まあどっちかっていうとこれはあれなのかな えっと
まあケアの 世界を探ります書いてあるけど本シリーズでは科学性専門性主体性といった言葉だけでは
語りきれない地点からケアの世界を探ります って書いてあって
なんかちょっとこう いわゆるまあそれこそカウンセリングみたいなそういう心理学的な部分
だけでは拾いきれないものを 拾っ
た ケアに関する
本のシリーズですよっていうもののうちの一冊としてこれが出ていて 医学書院
のシリーズですね で中身は別に一切
ケアの話を直接しているわけじゃなくて 坂口強兵さんが
まあ 総の時も宇都の時も
書いている日記 をただ
自己の経験と共感
載せてあるまあそれの 出力が圧倒的だからすごいっていう話なんだけど
まあ言ってみればそれだけの本なんですよ なんだけどそこに書いてある内容が
すごくやっぱり まあ悩み苦しみも含めて
セキララだから そこになんか
力をもらえる感じがする で
あの坂口さんのそういうタイプの本って えっと最近出ててちょっと取ってくるわ
えっとね自己否定をやめるための100日間ドリルっていう本が出ておりまして えっとこれもまあ持っているんですが
てかそれこそこれ自分今読まないといけないんだよなと思ったんだけど これも本当に
100日間 坂口強兵さんが宇都の時期からバーって書いてた日記みたいなのが載ってるんだけど
100日間分ではないのか多分50日分ぐらい 載ってるんだよねこっちの方はなんかまあ自分の読んだタイミングが悪かったからかもしれないけど
なんか あんまりこう素直に受け取れなかった部分があって
それは何でかっていうと この本を書いた時の坂口さんが自分の年齢から結構離れてるんだなってことに後から気づいた
でこの自己否定をやめるための100日間ドリルっていうのは 多分去年ぐらいに出たのかな
そうだねちょうど去年の10月17日だから本当に丸1年 もうすぐ経つぐらいの本ですけど
で一方で今自分が読んでいる坂口強兵創打日記 何回名前言うねんって感じですけどこれは多分ね2013年の末
に 出た本なんだって
だから 10年以上の
時間の違いがある 坂口さんの自分から見たら10年前の
12年ぐらい前の 日記
ってなると やっぱりえと一周分だから相当ねグッと自分と年齢的な距離が近づいて
なんだろうなぁ 坂口さんの
当時の今と比べたら まだ
未成熟かもしれない部分っていうのを 感じることができて
それがなんかすごく 自分の助けになっていると感じます
やっぱりこういう 自分
ある意味こういうのって何か ありがちと言えばありがちなんだと思うんだけど
まぁ共感するとか同じ悩みを持っているんだとか そういう本って
多分いっぱいあって そのくくりだけで言えばね
なんだけど やっぱりそういうのを読むときに大事なのって
自分と同じぐらいの なんだろう
あの 年齢
年の時に書いたものを読むっていう そういうことかなっていう
気がしました ということなんでこれからお風呂に入って
坂口共平創仏日記の ちょっと
内容 ちょっと読んで2ページぐらい読んで
あとは何も考えずに寝ようと思います なんか録音しているロジックプロが急に点滅して
なんかわけわかんない画面になったから録音できているか不安なんだけど なんかよくわかんないことが
たくさん起こりますね
まあ あんまり悪い方に考えないように今はやっていきたいと思います
ということでまたどこかでお会いしましょう