なるほど。いつからとかあるんですか?
いつからなんでしょうね。
いつからなんやろう。社会人になってからかな?
僕もめっちゃあって、それが何者でもない感。
なんかしなあかんけど、焦り?焦燥感が常にあって、
僕そのほんまにここ1ヶ月2ヶ月くらいそうなんですけど、
本読んでてもそれに集中できないというか、読みたい本のはずなのに、
読みたい本のはずなのに、他に頭がいっちゃうみたいなのがめっちゃあって。
そうなん?意外。
そうなんですよ。なんか無理くり読んでるみたいな。
無理矢理ねじ込んでるみたいな時もあるんですよね。
それは何かって言ったら、今本を読んでていいのかと。
他にもやることあるんじゃないかなとか。
みたいなことを思ってて、すごく集中できない。
こうやって誰かと話す時も、やっぱり作業を進めるのって、
結局一人の時間とか自分の時間の時に仕事なり作業なり将来のことなりを進めるわけで、
こうやって話してる時さえもそこに集中できなかったりとかする時があって、
それって結局本末転倒の日も頭ではすごくわかるというか、そこですよね。
そう。なんかめっちゃとらわれる時あるよね。
なんか、これすごい波があるような気もしてて、自分の状態によって。
そういうタイミングの時と、これから逃れられましたみたいな感情になる時とか、私の場合はある。
多分それは自分のやるべきことができてる時なのかできてない時なのかが結構関係してきてるような気もする。
余裕の有無みたいな。
りゅうじくんの今の状態は?
一周回って、今やることをやるしかないなぁみたいなのは思ってはいます。
でもそれはなんか、頭ではわかってるって感じですね。
常に。
1個思ってるのは最近の、やっぱりその、みーちゃんもさっき言ってた通り、社会人になってからそれがあるなぁみたいなのは言うじゃないですか。
僕もそうやなと思うんですよ。
何かって言ったら、資本主義とか経済合理性を求めてるんですよね。
その土台の上で考えちゃうというか。
これがお金になるかどうかとか、これが将来に繋がるかどうかをフィルターに1回通して、何かやりたいことなり、今やろうとしてることを考えてるんじゃないかなと思って。
自分の生きていくことと関係があることだからって感じ?
そうですね。好きって言っても、一旦その経済合理性の土台の上で好きがあるかないかを判断しちゃうみたいなのがあるかなと思って。
そのみーちゃんの記事を一瞬読ませてもらった時にも、成果物とかみたいなのって、おそらくその成果物が出て相手に渡るとか自分に戻ってくるとかがあると思うんですよね。
それを求めてるってことは、この先のお金になるとか、誰かのためになるとかを考えてしまって。
好きも、ほんまに内発的な好きじゃなくて、結局外発的な好きになっちゃってるみたいなのがあるんじゃないかなとは思ってて。
そしてその好きの正体もさ、結構ややこしいなと思っていろいろ考えると、結局その自分の好きっていう感情って、もう外部の何かの事象によって自分が反応して好きが生まれてるから、
自分の中から湧き上がることはないんじゃないかって言ってる哲学者が結構多い。
でもその中で意思があるかどうかみたいな話をするときに、意思がある派と意思がない派がいてて、意思がない派の方の理論の方が、あ、なるほどなって腹に落ちるのだけれども、
でもそれでも意思はあるよねって言ってるのが、この私が今リュージックに読んでもらった記事の中で書いてたハンナ・アレントがそうやって言ってる。
けれども、好きでさえも結構周りに左右されることがあるんだったら、結局社会活動をしている限りというか、自分が家にこもって自給自足して何かをしない限りは、
もうそれに影響され続けるというか、それが人間なんやなぁと思うんやけど、
なんかその社会人になってからそうなってるなって思うことの一つに、お金の話が絡んでくるっていうのは、リュージックが今言ってくれた通りやっぱりあるだろうなっていうのは思って、
で、そのお金の話と合わせて結局、これで役に立つの話がまた出てくるんじゃない?もしかして。
確かに確かに。昔そこ絡めて考えてますね。
そうやんね。なんか役に立つからお金が発生する。で、自分の好きが役に立つ状態になったらいいけれども、役に立つことに時間がかかったりとか、
なんか、まあ役に立たないこととかもさ、もしかしたらあるかもしれなくて、役に立つボリュームとかもあるだろうし、
それによって自己肯定感が左右されてる可能性がすごい高いなと改めて思って、
ボリュームと、あとはまあ、そのそれによって得る自分の報酬みたいなこととかに左右されてる可能性もあるなぁ。
でも一方でなんか純粋な好きを貫ける芯もあるなと思って、それはその、そういう社会に対して役に立つ状態の仕事と役に立たない、
もう自分が中に閉じこもってできることとの分離とかも、まあしようと思ったらできるなぁみたいな。
で、でもそれって、なんか長くなるけど、持続性が結局担保されない好きでもあるんじゃないかなと思って、
まあ、なんだろうな、私がすごいマニアックなお茶を作ったとして、それがいろんな人が、
いやもうこんなのいらんみたいな、苦すぎ!みたいな人がアタックするやん。
で、私はでもその苦いのが好きなんやけど、みたいな、たぶん自分のエゴで、すごい自分に閉じた創作なんやけど、
でもそう、自分の中に閉じた創作って結局、自分が興味・関心を失いやすいものでもあるなと思って。
他のアテンドがなかったら、なんか。
他からのフィードバックというか、反応とか。
そうそうそうそう。なんか、そう、反応がなかったら、わからん。
いや、どうかな。それでも好きなものはできるかな。わからんけど、なんか持続性はない気がする。
そこにお金もかかったりとか、時間もかかるだろうし、とかはあるかなって思ったりはするな。
今話聞いてて、おそらくたぶん、みゆちゃんはみゆちゃんなりの、僕は僕なりの好きだったりとか、
好きを出した先の、なんかこう、それこそ反応が欲しいとかもそうだし、も含めて好きとか、
出すことが好きだけでいいのかとか、その辺の、なんだろうな、人によって、
どこまでを好きと呼んでるのかが、たぶん違うんだろうなって思ったのが一つと、
いい気付き。
と、なんだっけ、持続性があるのかないのかの話は、
だからちょっとポッドキャストしてるんかなとも思ってて、僕は。
マジで何になるかわかんないんですよ、これが。
ポッドキャストが?
ポッドキャスト自体が、僕が一人で喋ってること自体が、好きかって言われたら好きですけどみたいな。
ずっとやってますけどみたいな。
けどなんか別に目標があるわけでもなく、反応もあるっちゃあるけど、
でもらえたときすごく嬉しいけど、ないことの方が多いというか、
ない日常がほぼなわけで、けどやり続けてるところに、
これなんか僕の中でも謎なんですよ。
ほー、面白い。
最初は友達に誘われたりとか、もっと聞いて聞いてってなってやったんですけど、
それが週1配信だったり週2くらいの配信があって、週間化になったりとか、
出すことが自分のルーティンに入っちゃってるとか、
それが好きかって言われたら、好きやけどみたいな。
やらないことのダメージの方がでかいからなのかな。
週間化してるってこと。
でもね、もうやめてもいいかみたいな思うんですよ。
そうなん?やめんといてや。
毎週毎週、今週くらいいっかみたいな思うんですよ。
結構ギリギリに撮ってるんですよ。日曜日に撮ったりとかもする日があって、
今週さすがに無理やなみたいな時も一応、
日曜日にそうなるなってなったら土曜日に撮ったりとかで調整したりとかするんですけど、
この調整するのとか何?とか思うんですよ。
誰からの、今みゆちゃんから続けてよって言ってくださったんですけど、
それがほぼないわけで、でもそれをやり続けてるっていうのは、
好きとかの次元でもない気もするというか。
それって何に分類されるんだろうね。
分類不能なんやけど、今のところ。
なんだろう。でも歯磨きとかって近いのかな?
うーん、そう。
歯磨きとかってあれ、磨かんかったら気持ち悪いし虫歯になるし、みたいな。
やらんかったことによる悪い未来が想像しやすいというか。
りゅうじくんの場合も、なんかもう200、あれ?100?
130ぐらい。
もう続けてて、続けてる財産。
これなんかあるよね。
あるか。
なんか続けてきたことを失うことの数値化みたいなのがあるよね。
それないんすよ、僕たぶん。
そうなの?
別にやめてもいけるんですよ。
いいやけど続けてる。
なんでやろね。
これはちょっと面白いなと思いながら僕も続けてるんですけど。
面白い。
なんか、じゃあ、今なんか私の中でその自己肯定感に紐付くものが
意気と使命みたいな話をあげてるけど、
りゅうじくん、そのポップキャストはちょっと第三なる何かが。
好きっちゃ好きですよみたいな感じですけどね。
それで言うと、その2つで分けるのであれば。
感情としては何に結びついてんの?この行動って。
感情?思考じゃなくて感情としてについてるか。
感情か。
まあでも、そうやな。
100回とか100なんかやった上で、
一人ごとでも話すことで、
発散されてる感じはあるというか、整理されてる感じはあるっていうのがあるというか。
それで言うと、もったいないみたいなのがやっぱりありますね。
僕の思ってることとか考えてることをそのままプルーしちゃってるとか、
流さない、誰にも聞かれないみたいな。
データに残らないみたいなのが、もったいないなみたいなのは多分ちょっとありますね。
それで言うと、使命になる感じですね。
アーカイブしていくことによって、
誰かに時間をかけても届くんじゃないかとか、
自分の中に残されていくんじゃないかとか、
そういう感覚ってことか。
公開日記みたいなのもあるかもね。
確かに。
りゅうじくんが前ラジオの中で、
この時自分はこう思ってたんやなみたいなことが見返せる良さがあるみたいな。
めっちゃ良いと思って。
それは、私もちょっとラジオやってみたいかなっていう気持ちになって、
絶対始めてないけど、
そういう感覚にもなったの。
公開はできないけど、音声日記はたまにやってて、
それはちゃんとやろうって思った。
残すことの大理想。
そうですね。
思考って残っていかんこともあるよね。
そうですね。全然ありますね。
去年とか一昨年とかできてたこととか考えてたけど、
ルージュ君の何者かの話はそういう話ではなさそうやね。
僕はもうそこは年齢のやつは切り捨てた。
切り捨てないやん。
どうやって切り捨てたん?
年齢は関係ないなーっていうのが思ったというか。
だって60になっても70になっても新しいこと始めてる人多いじゃないですか。
そういうことをポッドキャストで聞いてたら、
40で結婚しました、子供生まれましたっていう人がおるし、
まだ全然いけるなーみたいな。
いずれになっても最初から切れる?こっちの気持ち次第で。
こっちの気持ちがあればです。
だから年齢でリミットリミットを考えるんじゃなくて、
こっちの気持ちにリミットがあるかないかで。
そこに行ったとき、僕が仮に30になったとして、
23、24くらいの僕が30のときにこうなるだろうなって思ってただろうなってことを
ふと30の自分が思い出したときに、
ほんまにそれをやりたかったらそれをやろうと。
こっちのエネルギーがあればね。
やったらいいなと思うし、
それが別に今はそっちじゃなくて、
30になったからこそのやりたいことがあったりとか考えがあって、
できないこともあるし、できることがあるみたいなことを思うんで。
確かに。
30とか40とか切り捨てましたね。
そっか。今自分ができてないってことをやらなくていいって
判断を自分がしてるんやなっていう割り切りってことやね。
それもある。
めっちゃクリアやな。確かにそうかも。
言い訳でもありますけどね。
言い訳でもあるか。
でも全部が全部できるわけじゃないし、
確かにその中でやりたいことやれてるって思うんだったら、
やれてないことに目を向ける必要もないよなっていう話ではある。
ほう、通りです。
いい話を聞いた、それは。
いや、わかんないよって。
そんなことできてないんですけどね。
なんか死ぬかもなって焦りが結構ずっとあるな。
今死んだら嫌ですか?
いや、どうかな。
そう言われると絶対いいかも。
全然いいかも。
ほなもう、死ぬのそれは。
そうか。
そうね、今死んでもいいっていう感覚は1年前ぐらいから結構芽生えてきてて、
それはありがたいことというか好きなことができてるからのようなって思うけど、
なんかだいたい死ぬ年齢ってさ、
明日死ぬかもしれんし今日死ぬかもしれんけど、
わかるけど、
親の年齢とか、おじいちゃんおばあちゃんが亡くなった年齢とか思ったら、
6、7歳まで生きれるかなどうかなみたいな感じだったんだけど、
そこまでに自分がやりたいって思ってることを全部やりきれるかってちょっと、
どうかなーとか、
焦りはすごい。
でも前よりかは亡くなってきそうな気もするけど。
あるなー。
そうないよ。
ある?
ないです。
え、そうなの?
だってね、
本好きですよね。
読むのも好きですよね。
全部の本読めないじゃないですか。
確かに。
ないものねだりってこと?
僕も1日1冊読めたらいい方ですよ。
ほんまに3日かけて1冊ぐらいはマックスのペース。
でもそれって本に限らずかもしれないけど、
本も早く読めばいいってわけでもないじゃないですか。
そうね、確かに。
ゆっくり1行ずつこの一文を心を込めて読んだ時だったりとか、
山で読んだ時とかの感じ方とかに
意味というか感動があるじゃないですか。
拍手。
なるほどね。
めちゃくちゃ素敵な比喩?
比喩というか。
え、いいね。
僕も本棚とか本に囲まれて暮らして1つずつ読んでいきたいとは思うんですけど、
それ叶わないだろうし、
どの本を選んでもその時に最適だろうなって思うし、
どこの場所でどのタイミングで読むかによっても本の感じ方も違うだろうし、
やりたいこともそれに合わせたとしたら、
やりたいことも無数にあるじゃないですか。
それを今手に取ったものがその時の最善だろうと思うし、
それを取れなかった時はそこに至らなかったかもしれないし、
取らない選択をしたのかもしれないし、
なったら今手に取っているものをどう読むか。
はー。
だからそこまで僕はそこに対しての焦りというか不安みたいな。
やっぱ結論的には今をどれくらい味わい尽くせるかってことに尽きるってことなのかな。
そう思うんですけど、僕はそう思いたいって思うんですよ。
すごい素敵な話ですね。
本当ですか。