1. みやさんぽ【Miya's Walk&Talk Podcast】
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悩める時点で平和だよね。他/Just worrying is peaceful, isn't it? ,etc.
2025-03-22 29:43

悩める時点で平和だよね。他/Just worrying is peaceful, isn't it? ,etc.

【YouTubeで観る/ Watch on YouTube】

https://youtu.be/1dI4FQdKJJw


ども/Hi.

悩める時点で平和だよね/Just worrying is peaceful, isn't it?

ジャッジをしない/I don't wanna judge.

無知の知/Knowledge of ignorance.

歩きながら話すということ/Talking while walking.


散歩しながら1人しゃべりするのがおもろくなってきた男。

散歩しながら聴いてください。

youtube premiumに加入して最後の最後までながら聴きしてください。

内容大真面目やのにBGMめっちゃポップ。

ヒゲ汚くてごめんなさい。


A man who has become fun talking alone while taking a walk.

Please listen while taking a walk.

Join youtube premium and listen to it until the end.

The content is very serious, but the BGM is very pop.

Also, I'm sorry I didn't shave my beard.

感想

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00:00
どうも、みざきです。
大宮ゴルフコースっていう、近所のゴルフ場の道を歩いてます。散歩中です。
今日は3月の1日、土曜日。
15時に起きまして、飯食って、16時過ぎに家を出て、一服して、
そこから今17時過ぎ、1時間くらい、もしかしたら、散歩してるかもしれないです。
ちょっと時間は見てないんで、わかんないですけども、
ちょっと、適当に歩いて、適当に歩くっていう、無心で適当に歩くっていう、歩行瞑想的なことを、まあ意識してはないんですけども、
そんな感じ。
道が狭いんで、車1台、2台分通れないぐらいの幅で、車が通るとちょっと邪魔になっちゃうっていう。
ちょっと、生活が乱れて、もう生きてる心地がしないという、昨今。
ほぼ確実に昼過ぎ、もしくは夕方に1日が始まると、
もう落ちた瞬間に1日はほぼ終わりを迎えていくと。
これの繰り返し、これの繰り返しだともう、人生とは何なのかっていうね。
人間、人としての、なんだろうな、感覚が、もうなんか、
毎日この繰り返しだと、毎日何をしてるんだろうっていう、よく分かんなくなってくる。
誰とも関わらない。
1人夕方に起きて、すぐ夜になり、寝ると。
で、また翌日、次の日になったら夕方になっていて、夜になって。
だからもう、秒速で1日が過ぎていくと。
このまま30歳になるのかなっていう。
このまま、このままおじさんになって、このまま死んでいくのかなっていう。
このままだとね、このままだと、もうすぐ人生終わります。
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本当に。本当に。
もう、多分、普通に働いていて普通に生活してる人からしたら、この感覚が絶対伝わらないと思うんですけど。
本当に、僕はちょっと今ヤバいですね。ヤバい生活をしています。
人としての生活ではない。
ただ、こんなことで悩めるくらいには、現代に生まれたことがどんだけ平和かっていうのを、
最近、YouTubeで、戦争の時代の映像だったりとか話だったりとか。
もしくは9.11とかね。
アメリカ同時多発テロの映像をたまたま見て、
たまたまオススメに上がってきて見てた時に、
かなり詳細まで知らなかったんで、今まで。
調べたこともなかったし。
ただ、そういうテロがあった。
テロが2001年、14年前にあったっていう事実は知ってましたけども、
それがどういう意図でとか、どういう状況で、
どんだけの死者が出て、どんだけ悲惨な状況だったのかっていうのは全然知らなかったんですけども、
1個その9.11の映像を見てから、どんどん深掘っていってですね。
YouTubeなり、色々調べたりして。
かなり生々しい、悲惨な状況。
そことやっぱり無意識に自然と現代、今の自分の生きている環境、状況と自然と比較するようになるんです。
そうするといかに今、当たり前に寝床があったり、
当たり前に食事ができたりとか、
当たり前にどっか出かけられて遊べて、人と常に連絡が取れてみたいな、
その状況のいかに豊かかっていう、いかに平和なことかっていうことを、
その時代と比べるとね、それはもちろん一番ひどい状況と比べてるわけなんで、
もちろんそう思うのは自然なんですけれども、
今の当たり前の日常が決して当たり前ではないというか、
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感謝できるようになるよねっていう、今を生きていることを、
今のこの何も起こらない、基本的には爆弾も落とされないし、
殺されたことも基本的にはないというこの環境に生きているということだけで感謝できる。
それだけでも、どんな辛いことが今の状況の中で起きても、
それが別に会社でミスをしたとか、上司にすごい怒られてるとか、
人間関係がどうとかっていうことがちっぽけであるっていう、
ものすごい、そんな状況すらも幸せなんじゃねっていう、
そもそも怒られてる、会社で怒られてるとかミスをしたっていうことは、
でもそれって仕事があるっていうことだよね。
自分に仕事があってお金を稼げていて、
怒られたりとかミスをしたりとかしてるっていうのは、
それはでも人間関係の中には所属できてるっていうことでもある。
それは完全に一人孤独に生きてるよりはいいんじゃないとか、
まだいいんじゃない、その状況って。
それでミスをしたり怒られたりすることで、
それが成長につながったりとかするわけですよね。
再発防止策を埋めて、次は同じ失敗しないように。
次に失敗することを確率を減らせるってわけじゃないですか、
失敗をしたっていうことは。
なので全ては捉え方次第だと思うんですけども。
なので今生きてることだけで幸せなんだっていうことを、
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今生きているということを事実だけで我々は幸せなんだっていうことを
気づくための過去の戦争の歴史だったり、
悲惨なテロの過去があったりとか、
そういうのを今と過去の悲惨な出来事を相対化する、
比較をすることで過去の悲惨な出来事とか歴史と今の自分、
今の環境と今の自分を比較することで、
今どんなに辛いこと、辛い状況であっても、
その過去の当時に比べたら超ちっぽけなんじゃないか、
今の悩みとかって。
すごい平和な状況、平和な現代って平和な土台の上での小さい悩みっていうか、
そういう悩みが生まれること自体、幸せだからこそ、平和だからこそだよねっていう風に思えると、
ベースが平和とか幸せっていう感覚を持てると、
人生全体の幸福度が上がるんじゃないかなって。
そういう意味では、僕が夜更かしをして朝9時まで夜通しで朝9時まで見た、
9.11の様々な映像とかドキュメンタリーとか、
第二次世界大戦の戦時中の映像、
子どもたちの死体がバラバラに横たわっている映像とか、
広島長崎の原爆の映像とかを朝9時まで夜通しで見たことは、
もしかしたら今後の自分の人生全体の幸福度に寄与しているっていう可能性もありますので、
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決して朝9時までの夜更かしが無駄だったかというところは、
いろんな見方があると思います。
ただその代償としては、今の僕のように、
15時に起きて、16時から1時間以上散歩をして、
なんとか今夜早く眠りにつこうという、
こういうちょっとずれた生活を強いられているという代償はありますけれども、
これは一時的なものに留められれば、
この地堕落の生活が一時的なものですぐ戻せれば、
対して一日無駄にしているのかもしれません。
それ以上に朝9時まで夜通しで没頭して見てしまった9.11とか、
戦争とか3.11もそうなんですけど、
そういう映像をガッてまとめて朝、夜から朝9時まで見続けたことによる、
自分の中の感覚の変化、人生に対する考え方、
今後の午後、めちゃくちゃ仕事でミスったりとか、
人間関係の悩みとかがあっても、
それでもどんなことがあっても、
今、現代に生まれた時点でもう俺は幸せだなということを、
ふっと思い出せるというか、
ふっと感じられれば、
現代における悩みは全てが大したことない。
極論かもしれないです。
極論かもしれないですけど、
一つそう思える可能性があるということなので、
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その選択肢を持てたというだけでも、朝9時まで夜通して、
そういった過去の悲惨な映像を見たというのは、
すごく重要な時間だったとも言えるんじゃないかなという気もします。
これが楽観的すぎるのか、ポジティブすぎるのか、
自分を正当化するための言い訳なのかもわからないですけど、
どんな出来事も良い面悪い面があるということは間違いないと思います。
もしかしたら、15時に起きてしまうこの生活が、
基本的にはダメなことであると、悪いことなんだと、
必ず改善をして、こんな生活はやめなければいけない、
というのが考え方の基本路線だと思うんですけども、
それもまたもしかしたら捉え方次第で、どちらにもなるよねという、
別に良い面もあるかもしれないです。悪い面もあるかもしれないです。
ただ一つ一つこういった出来事とか行動とかに対して、
これは良い、これは絶対に良い、これが絶対に悪いことだという、
ジャッジをしないことはまず大事なんじゃないかなというのを、
昨日思ったんです。
それはちょっと今まであんまり、今までちょっと嫌いしてた、
嫌いというかなんとなくうさんくさいなっていうことを思って、
全然触れてこなかった、学んでこなかった心理学だったりとか、
精神世界、スピリチュアルみたいな部分を、
いまだにあんまり信じてないんですけど、そっち系は。
科学的にどうなのかというのが、結構どちらの意見もあるらしく、
それはもう自分で一回学んでみて、取り入れて、試してみて、
それで自分で判断すればいいって思ったので、
そこも僕の中では、スピリチュアルっていうワードのうさんくささみたいな、
表面的なものでジャッジをしたくはないかなっていう風に今は思ってますね。
今まではスピリチュアルってだけで、また非常の空論、占いとか、
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本当、科学的な根拠のない、ただの気休めというか、
現実逃避をして何かにすがるみたいな、神様にすがるとか、
それでいったら宗教もちょっと近いかもしれないですけど、
ただ宗教も世界的に見たら多くの信者がいて、
いろんな宗教、宗教というものが前提で生活や暮らしがあるとなりたくて、
と思うんですけども、そういう宗教の歴史とかもすごく歴史が長いと思うんですね。
本当に人類がホモサピエンスが誕生した本当に、
当初から多分文明として宗教という考え方があったとあると思うんで、
それが現代まで続いていると。
その宗教が発端となって戦争が現代も続いていたりするんですけれども、
だからそういう宗教の起源とか意味みたいなものを根っこから考えていくと、
多分もう本当に地球、この世の中は何なのかみたいなところ、
非常に抽象的で、分かりづらい、説明もしづらいみたいな世界になってくるので、
ちょっとまだ不勉強な僕の口からは何も話せないんですけども、
だからそういう一見、勉強しないままパッてワードだけ聞くと、
ただの、ただただこう、ただただうさんくさいみたいな、
スピリチュアルハイサギみたいな、宗教、オウム神秘教みたいなことでしょ、みたいな。
すごく表面的な言葉じりだけで、それがいいの、いいの、いいの、悪いとかをジャッジしない。
ジャッジせずに、まずは一回、
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まずは一度、それって何なんだっけ、それってどういうものなんだっけ、
どういう歴史のもとで今そういう概念があるんだっけっていうところを、
自分で勉強する、勉強というかちょっと調べてみたりとかした上で、
自分にとってそれが必要ないなら別にもう捨てればいいし、
ちょっと自分の今後のより良い人生にもしかしたら何か役に立つのかもしれないと思ったら、
一回取り入れてみて、ちょっと自分で試してみるみたいなことをする、
そういう姿勢が大事なんじゃないかなって思うんですよ。
ただ、そうは言っても世の中の大半は、
そういう表面的なワードとかだけでジャッジをしてしまう、判断をしてしまうんで、
こういう話を立って、短い時間で、短い時間でなんか簡単に話しても多分理解されないというか、
むしろなんかね、どうしたんだお前みたいな風に思われてしまうというこの民族性なのかわかんないです。
日本人がそういうよくわからないものをけぎらいする。
一回食べてみるっていうことせずに、テーブルに新しい食材が出されても手をつけないみたいな。
とにかくどけろみたいな。
これが日本人特有の性質なのか、人間というものがそういうものなのか。
新しいものを嫌う。
新しいこと、自分たちにとっての、自分たちの頭の中の概念として知識がなかったものというのを新しいものと定義すると、
新しいものを受け付ける。
一回こう学んでみるとか、一回ちょっと経験してみるっていうことじゃなく、
そこでよしよし、いい悪いをジャッジしてしまうっていう、そのもったいなさっていうか、
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その余裕なのかな。
そういう一回試してみるっていうことをできないくらい仕事で忙しくなってたりとか、
時間の余裕とか、精神的な余裕とか、
新しいものを自分に取り入れる時間とか、気持ち的な余裕がないみたいな。
暴殺されてる日本人みたいな。
分かんないですよ。
僕日本にしか住んでない。
日本人のことしか分かんない。
これもまた良くないと思っていて。
なので、今後6月、7月あたりにバックパックが東南アジアとかインドに行くんですけれども、
だから知らないことだらけだよね。
99.9%俺たちって何も知らないよねっていう前提が。
前提を持つと、いろいろと視野を広げる土台に立てるし、
まあ人生面白くなるんじゃないかなと思いますけど。
話がずれまくって、最初のスタート地点が分かりません。
ゴールも分かりません。
この散歩しながらこういう動画、適当に喋るっていうのは、
すごく話し始めるとどんどん繋がっていって、
自分の中で考えてることとか、すごく良いですね。
すごく良いですね。
この散歩しながら、歩きながらこうやって喋っている。
喋りだすと別に何のテーマも決めずに、
とりあえずなんか日記みたいな、動画日記みたいな感じで、
とりあえずなんか回してみるかみたいな感じで撮り始める。
撮り始めて喋り始めるんですけど。
やっぱり頭の中では常にいろいろ自分の中では考えていて、いろんなことをね。
日々いろんなインペットをしているはずなんですよ。
無意識も意識的にも無意識的にも。
それが自然と話しているうちに思い出したりとか、
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何かがフックになって、何かがフックになって、
その概念が出てきて、そこがまたどんどん
自分の考えとかもいろいろ混じりながら言葉になっていくっていう、
そういう感覚、そういうのが歩きながらこうやっていると何か出てきますね。
多分これ家で一人部屋で一人なんか座りながら喋ろうと思っても多分出にくいと思うんですよ。
それは歩いているっていう、運動しているっていう、体を動かしていることが脳の方にもつながって、
脳が回って、脳みそが回って、思考回路が動き出しているのか、
外という開放的な環境も影響しているのか分からないんですけど。
実際に対面して誰かと会話をしているわけじゃない。
ただ一方的に一人で自分のスマホに向かって喋っているんですけれども、
多分対話とはまたちょっと違う回路を使っているとは思うんですけど、
ただ何かしら喋っているということはアウトプットしているということなので、
一つアウトプットの訓練というか、
自分の頭の中にいろいろインプットした素材がたまっていると思うんですけど、
日々蓄積していっているものを自然とアウトプットできる一つの手段ではあるかなと思います。
30分話していて、特に結論もないので一旦終わります。
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