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2024-01-18 10:16

スピリチュアルと効果性【僕の違和感について】

#スピリチュアル #効果性 #問題解決 #違和感 #幸せ
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今日は、スピリチュアルと効果性【僕の違和感について】というタイトルでお話ししたいと思います。
スピリチュアルの、すごくスピリチュアルな好きな方で、スピリチュアルな世界にどっぷり使っている方で、たまに見るような気がするんですけど、
そういう人に対する僕が感じている違和感っていうのがあって、それをちょっとお話ししたいと思うんですけど、
なんか要は、何でもかんでもスピに結びつけようとする人に対して僕はちょっと違和感を感じるんですね。
例えば、石につまずいて転んだっていうのも、このことにはどんな意味があるのだろうかってすぐ考えたりとか、
あとは、なんか上がり性だっていうことに困ってたら、これの原因はかっこ税のカルマが産んたらかんたらみたいな、いきなりそっちの方向へ走っちゃう人とか、
そういう人たちに対してちょっと違和感を漠然と感じていたんですが、その辺を言語化したいんですけども、
僕が言いたいのは、より幸せになる。幸せになるのが僕らのやりたいことじゃないですか。
なので、より効果的に幸せになるために、あんまりスピスピで東北の方にまであえてその領域を広げなくてもいいんじゃないのかっていうような主張ですね。
これどういうことなのかっていうのをちょっと言っていきたいんですけど、
みんな幸せになりたい、幸せになるっていうのが目指すところだと思うんですよね。ゴールだと思うんですよね。
そのためにいろいろなことをやって行動したりしてると思うんですけど、
幸せになるって言ってもいいんですけど、別の言い方をすると、この波動の重い地球という惑星において、
結局人生というゲームの中で何をするかって言ったら、その多くは実際に結果的に問題解決っていうことになってると思うんですよ。
問題解決。つまり、現状困ってたり居心地悪かったり不満足な部分を改善してOKにするっていうことですね。
そういうのを引き込めて問題解決って言わせてもらうんですけど、この地球で動いてる、今人生やってる限りにおいて、
大半、ほとんどはこの問題解決っていう発想で事足りるというか、それで説明できちゃうというか、それでいいと思うんですよね。
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結構ね、最近スピリチュアルブームで悟りを求めてる人も多いと思うんですけど、結局なんで悟りを求めるかって言ったら、人生が辛いからじゃないですか。
辛いからOKじゃないから悟って、悟りを得てOKになりたいってことじゃないですか。悟りを求める人っていうのは。つまり問題解決なんですよね。
つまり、現状の問題を解決するための手段としてスピリチュアルがある、みたいな捉え方。こういう捉え方をスピリチュアルに対してもしてほしいっていうことなんですよ。
僕個人の場合で言えば、いきなりスピリチュアルには当たらなかったんですよね。
最初は心理学とか哲学とか、そっちの方向から始まったんですよ。僕人生がすごい辛くて、どうすれば幸せになれるのかっていうのを考えたときに、まずは心理学とか哲学とかそっちから当たったんですよね。
あと自己ケアとか。そこで別に満足できてればスピリチュアルまでには行かなかったと思うんですよ。
なんですけど、結果的にその心理学を調べても、哲学を調べても、自己啓発を頑張ってみても、自分がもう心の底から満足できるほどに人生を肯定するっていうところまでは行かなかったんですよね。
その答えを求めて、結局スピリチュアルにまで手を出して、そこでああそうかこれかっていう特診するに至ったみたいなことなんですけど。
だからこういう考え方、こういう発想で言えば、問題解決の一つとしてスピリチュアルっていうもののあり方があるっていうふうに言えると思うんですよね。
スピリチュアルってすごい抽象度が高いんですよね。人生っていう営み、人生というゲームを包含しているものだと思うんですよ。
要はスピリチュアルっていう視点から見れば、人生っていうのを俯瞰して見れちゃうってことですね。
だからそういう意味で人生をスピリチュアルは包み込んでいる、包摂しているとも言えると思うんですけど。
だから人生全般に対してスピリチュアルな視点とか方法でもって問題解決をするっていうのは、やろうとめばできるんですよね。
なぜなら人生より抽象度が高いからなんですけど。
だからやろうと思えばスピリチュアルをいくらでも引っ張り出して人生に適応することはできるし、全然間違いでもないんですね。
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そうなんですけど、そこに必要性があるかどうかっていうところが僕の違和感の正体だと思ってます。
適応しようと思えばできちゃうんだけど、その必要性もないのにいきなりスピリチュアルを何でもかんでも引っ張ってくるっていうのは、あまり効果的ではないと思うんですよね。
具体例で極端な例で言えばですね、例えば虫歯があって痛いとしたら、
いきなりヒーラーにヒーリングしてもらおう、電話で予約を取ろうみたいなことに走っちゃう人。
まずは歯医者行けよっていう話じゃないですか。
歯医者行ってダメならヒーリングっていうのも考えられることだと思うんですけど、いきなりそっち行っちゃうみたいな。
別に間違っちゃいない。もちろんヒーリングで虫歯が治らないわけでもないし、治ることもあると思うし、効果はあると思うんですけど、
でもまず手近な解決策を一回試した方が早くないですかね。
これちょっと例えるなら、何でも切れるからっていう理由で、ほんのちょっとしたフルーツくらいのものを切る時にも全部でっかい万能包丁を持ち出して使ってるっていう感覚なのかなと思うんですよね。
別に万能包丁でフルーツも切れないことはないんですけど、手元にフルーツナイフがあるんだったらそっちの方を使おうよっていう話なんですよね。
それ専用の道具が手元にあるんだったら何でもかんでも万能包丁で切るんじゃなくて、フルーツナイフで使って切った方が切りやすいし、効率的効果的と言えますよね。
たまにスピリチュアルにどっぷり使ったあまりに、日常生活の一切合切をスピリチュアルな視点からの見方とか視点とかその解決策で対応しようとする人がいるように思われるんですけども、
究極的にはそれもね、人生全部思い込みでできてるんで間違ってはいないんですけども、そうなっちゃうと逆にその人が視野強策に陥っちゃってる。視界が狭くなっちゃってる。
要はスピ的なそういう見方からしか物事を考えられなくなっちゃってるっていう意味で視野が狭くなっちゃってると言えるのではないかなと思います。
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別にそう、適応できないわけじゃない、解決できないわけでもないんだけどその手法で、わざわざそれを持ち出すに至らない問題にまでスピリチュアルを持ってきて適応させようというのは、何でもかんでも万能包丁で切るようなもんじゃないかなと思ってます。
そんなようなことでした。
今日はね、僕の漠然と感じている違和感をちょっと言語化させてもらってね。
だからまあ、要は幸せになりたいわけじゃないですか。
幸せになるための効果的な手段として、歯医者だったりフルーツナークだったりスピリチュアルのヒーリングだったり、何でもあると思うんですよね。
だからそこで一番効果的なものを選択していこうよっていう、まあ春秋当たり前の主張ですね。
はい、まあそんなことでした。
何かのね、これがご参考になったら幸いです。
では今日はこれで失礼したいと思います。
お聞き下さりありがとうございます。
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