ライターになろうというセミナーに行ったんですけど、そのセミナーに行ってそういう人に出会えたことはあったんですけど、
セミナー自体での学びっていうのは全く当時の自分としてはなかったんですよね。
へー。ほうほうほうほう。
やっぱりそこに行ったときに何が良かったかというと、人々に出会えたことだと思っていて、
で、実はですね、編集プロダクションを紹介してくれた方とは別に、そこで知り合った人が一人いて、
その人は非常に僕のやってることとかですね、考えてることとか、当時から、ちがうさんタウルスとかって覚えてます?
あのー端末ですかね。
そうそう、シャープの。
うんうん、わかりますね。
ああいうのとかを昔から好きで使っていてね、電子手帳とかって呼ばれるジャンルなんですけど、
で、そういうのを使って、読んだ本の記録とかメモとかっていうのを取ることによって、どうだこうだとかっていう話を当時から好きでしていたときに、
同じような興味を持ってくれる方がいてね、その人とセミナーなどの懇親会で話をして、盛り上がったんですよ。
うんうんうん。
で、安原さん、今の芋みたいな話面白いからまたお茶しましょうとかって言われて、
で、これは単純に交流ですよね。
で、その人に気を攫めて会いに行ったんですよ。
で、そこでまた、たぶんね、3時間か4時間くらいお茶してたと思うんですけど、
結構ですね、うんうんうん。
だけど別にそれで何もなかったんですね。
うんうん。
で、別に僕も何の期待もしなくて、単純にだから同行の詩が得られたというか、ちょっと年上の男性の方だったんですけど、
それで会ったんですけど、で、そこからですね、半年後くらいですね、ちょうど派遣会社経由のマニュアル制作の仕事が落ち着いてですね、
うん。
契約が終わったんですよ。
うん。
で、契約が終わったタイミングで次どうしようかなというふうに思われたところに、急に電話がかかってきて、
で、電話主がそのさっきのお茶した人なんですね。
あ、はい。
で、お茶した人が、大橋さん、英語とアクセスとか得意ですよねとかっていうふうに言われてね、
はいって言ったら、ちょうどね、その二つを活かす仕事の話があって、どうですかとかって言われて、
で、そこから次の職場が決まったというね。
で、これはもう完全に派遣会社ではなくて、その会社が受注した仕事を僕に振るっていう感じで、
ま、そういう意味では業務委託ですよね。
で、だからその会社は手すりを抜いて僕に払うみたいな。
うんうんうんうん。
で、そこで別の仕事が見つかって。
へー。
っていう、ま、そういう繰り返しだったんですよね。
その独立して1、2年間。
うんうんうん。やったことないことばっかりですよね、そして。
そうですね。なんですけれども、会社で学んでいたスキルとかっていうのは活かせる仕事だったので。
そうですよね。うんうんうんうん。
だから、半身ですね。つまりこの半分自分のスキルを活かしつつ、もう半分は新しいから。
うんうんうん。
何かを提供しつつ、何かを学ばせてもらうみたいな感じですかね。
うんうんうんうん。
ね、なんだろうな。100%になってからじゃなくて、本当にプロになってからじゃなくて、こうあるものを使ってさらに新しいところに行くっていう。
そう。これなんか半歩ずつ進んでいくイメージなのかなと思うんですよね。
結構やっぱり大事な姿勢だなと今聞いてて思って。
やっぱりどうしてもこう、今とかね、副業とかも流行ってるけど、要は仕事を変えるってすごく大きなことなような気がすると思うんですよね。
もしくは何か学びとか。だけど結構できることは持ってて、何か自分がすでにできることと自分がしたいことの間。
うん。
勉強だけが埋めるんじゃなくて、何か経験で埋めれるというか、経験しながらする勉強、止まってする勉強じゃなくて動きながらやる勉強で結構埋めていけるものあるよなっていう。
うん。
大垣さんのその受けてみる力、わかりましたって言ってみる力って結構大事。
多分その2つの道があって、1つは当時は今ほどじゃないんですけど、そのいわゆる人材派遣会社みたいなところで仕事を探すという方法と、
もう1つは、まあ僕はこれはたまたまなんですけれども、何かたまたま知り合った人からの紹介とかね、依頼とか。
僕の中ではですね、一般的に開かれているそういう検索するところで見つける仕事っていうのはコモディティだと思っていて。
うんうん。
つまりそれはこういう仕事でこういう形があって、だからこういう金額ですよというふうにパッケージ化されている仕事なので入れ替え可能じゃないですか。
つまり僕じゃなくてもできる人がいて、そこに自分がたまたま条件がはまれば入れると。
けどその校舎の人から人手に入ってきた仕事って、たまたま僕がそこにいたからっていうのもあるけど、みたいなスペックの人が必要だからというちょっとこう、ならでは感というかね。
そういうのがあるので、そうするとですね、交渉ができるんですよね。
この仕事だったらこれぐらいですねっていうのを金額で交渉できると。
でも最初は向こうのいいねで仕事をしていたので、そこはできなかったんですけど。
最初はね、交渉できること自体もまだ知らないですからね。
そっから2回目のその仕事をですね、最初の仕事よりもちょっと高かったんですね。
具体的な金額は控えますけれども。
この金額をどうやったら高くできるかなということをやっぱり思うわけですよね。
そっからじゃあこういうことを提供したらいいんじゃないかとかですね。
そういう工夫を始めるので。
そういうところもですね、やっぱりこうマニュアルのない世界だったわけですよね。
だから自分の仕事はマニュアルをすることだったんだけど、自分の仕事はマニュアルにならないという感じで。
ただとはいえですね、その紹介された仕事もこれは結構長かったんですけど、2年ほどかな。
2年ほどで一応契約が終わって、また空白ができたんですけど。
ところで思ったのがですね、ちょっと気づいてしまったというかことは、
最初の派遣会社に紹介してもらった会社にしても、それから人から紹介してもらった2つ目の会社にしても、
9時、5時とか2つ目の会社は10時、6時かな。
平日拘束される仕事だったんですよ。
でね、あれこれ会社員と一緒じゃんと思って。
しかもメインの売上の会社は一社だから、メインのクライアントがなくなるたびに探さなきゃいけないなということに気づいてしまって。
で、これはまずいなと悩んでたんですね。
そしたらまたね、その過程で知り合った方から、お前さんこういう仕事あるんだけどっていうまたねオファーがあって、
それはマーケティング会社だったんですけど、そのマーケティング会社でITの業界にいたね、
IT造形のある人っていうのを探してるんだよと。
僕としては当時からですね、なんとなくこのマーケティングとかどうやったら自分の商品として売り込めるかとか、
そういうとこに関心があってそういう本を読み始めてたんですけど、
勉強みたいなことを始めてたんですけど、
でもこれ本を読むよりもそのマーケティングの仕事をした方が早いなとかね、
思い始めていたところにそのマーケティング会社のオファーがあったので、
それで行って面接したら、もうすでにその時は法人課していたんですけど、
日中はそのうちの会社の仕事を正社員としてやって、
夜と休日は自分の法人の仕事をしたらいいじゃんとかっていう、
全く副業OKみたいな感じの中小企業だったのね、社長に言われて、
そこから11ヶ月だけ正社員やったんですよ。
その間は自分の法人の仕事をしつつ、
会社員としてマーケティングの勉強をさせてもらったという。
それが2004年だったんですよ。
2004年の1年弱やった後にまた再びその会社を辞めて、
一人戻ったんですけど、その時に仕事棚を作ったんですよ。
その時になんで仕事棚を作ったかというと、
会社員自体はウェブマーケティングの仕事をしてたんですね。
ウェブマーケティングをしてると、
まだ当時は2003年、4年の頃っていうのはまさにブログのぼっこきで、
そのブログをどういうふうにすればマーケティングに使えるかみたいなことを、
クライアントに提案しなきゃいけないので、
まず自分がブログを書くみたいな、いろいろブログをやってて、
そうするとこれブログやればいいのかということで、
その会社からヒントをもらった形で独立して、
再独立というか、再び一人に戻ってブログでやっていくと。
その時にもちろん初めからブログで食えないので、
ホームページを作ると。
ウェブサイト制作っていうのも一つ事業として作って、
これはでもね、2、3社しか作ってないと思うんですけど。
でも2、3社作られたんですね。
そうですね。
作った時に、いやでもこれ自分じゃなくてもいいよなっていうかね、