自立の本質
どうも、ボブです。今日も介護の話をしたいんですけれども、自立っていう言葉がですね、この介護の仕事をしていたりケアマネージャーをしていると研修では必ず出てくるんですよね。
介護保険法においても、この自立を促していくことが一番の命題になってくるような。
その人が本人らしく自立した生活をっていう、そういった部分がとても大事ですよっていうふうに倫理として、専門職の介護支援専門員の倫理要望の中にもこういうことが書いてあるんですけども、
ただ、この自立っていうのが果たして誰のための自立なのか。
これが本当に本当に本人のための自立なのか、はたまたもしかしたらこの介護保険制度のためのとか、そこで支援をしている企業のためになっているような、そんな構図になっていたり、
サービスをやっている介護職のための自立になっているような、そんな違和感を感じることがたまにあるんです。皆さんそんな感覚ってありませんか?特に介護の仕事をしている方って。
もう一度自立についてちょっと考えようと思った時に、細かい言葉の意味とかそういったことは置いておいてですよ。あえて置いておいて、そもそもそんなにそんなに人って自立しないといけないんだっけ、みたいな。
そんなところで考えていけたらなと思うんですけど、もともと人はね、人っていう字は支え合うようになっているんですよ、みたいなね竹田哲也さんが言っているような、支え合うみたいなのが本来人ってあると思うんですよね。
で、終活、終わるかつの終活の話をした時だったり、あとエンディングノートを書きましょうという時だったり、思うのは、なんかおじいちゃんおばあちゃんたちって、今のね、このおじいちゃんおばあちゃんたちって、あんまり自立して自分の最後を終えようっていう意識ってあんまないですよね。
というか、家族にもうそこはお願いしよう、みたいなね。お墓はどうするだけは自分でちゃんと考えた上で、あとはね、もうなるようになるさ、みたいな、そういう感じありませんか。
で、本当に自立が必要であれば、代々ずっとそういう伝統ってあったと思うんですよね。特に日本ってそういう伝統作ってたはずですよね。
でもどっちかっちゃ、亡くなった後って、その周りの家族がちゃんと見ていきましょうっていうのはすごくね、大事にしてるけれども、本人が自分で最後をね、どういう最後を遂げたいかとか、そういったのに重点を置いた伝統文化ってあんまないんですよね。
で、これじゃあ本来どうなのかな、みたいな。人間って、みたいなね、そういうことを考えた時に、何か依存するってことがすごく悪いことのようにね、こう言われているような気がしたんですよね。自立が良くて依存がダメみたいな。
で、フェイスブックとかでですね、僕最近ばあちゃん喫茶っていうの行ってきて、おじいちゃんおばあちゃんが自分の料理を作ってお客さんに提供して自立した生活をしていくことで、すごく生き生きしていたよっていう発信をしたんですけど、
その時に出た言葉が、何かね、こう、自立を強要するような、何かね、そういうものというふうに捉えた方もおられたようで、で、あと、その、実際障害を追っている方は自分にはね、もうそういう依存して、制度に頼って生きていく自分にとってはもうハードルが高いです。
みたいなね、そういう話も出たんですけども、その時にふと思ったのが、このばあちゃん喫茶っていうのも、全然その自立を促そうだったりとかいう、そういう発想がね、実際にこう、お会いして働いている方だったり、それをね、企画運営している方も、そんなおじいちゃんおばあちゃんをね、自立させようなんていう気持ちって多分、未人もなさそうなんですよ。
で、これはただ、それをやりたいっていう人に合わせたビジネスなだけで、それ以外の方もいていいんですよね。で、ただ一つの今の形が、たまたま喫茶っていう形で、やりたい、こういうのをやりたい人に合わせて作った。
ただそれだけのことで、どちらかというと、自立を促すというよりも、自分のなんか楽しみとかやりたい、こういうことに焦点を合わせているような、そんな感覚なんですよね。
で、その批判というかですね、その依存して生きていくということをやってます?私は?っていうような意見が出た時も、いや、それ、そっかと。それ何も悪いことじゃないよねって思ったんです。
で、なのに、なんかこうね、その方もこう悪いことのように、なんか自分はもう全然ね、ハードル高いですみたいな感じで言ってたので、あ、そうか、こういうことが今、なんかこう矛盾というかギャップとしてね、なんかあるなーっていう感覚を持ったんです。
人間の成長と調和
で、このもともとは、ある脳の研究している方が言っている話で、もともと人間って、右脳がずっと昔は右脳がものすごく発達していた。
だけど、いろいろね、あの状況が変わって、左脳が発展しだした。で、右脳がもともと発展していた時って、こうもう完全に委ねているような、もう自然と調和して、で、何というかもう頼り切った、もう完全に依存100%状態で生きているような、そんな感覚でやっていたのが、
左脳を使い出したと。で、左脳がどんどん発達してきた。急に、そうなると、完全な安全、安心のね、依存した状態から急に孤独なね、孤独と不安、恐怖が生まれて、で、その中で、その恐怖を克服するためにどんどんどんどんいろいろ物質文明が発展していた。
なので、今の社会を作っていくには、左脳の働きが必要不可欠だったんですよね。だからこそ、こういうふうに発展していった。だけれども、本来はもう完全に依存して調和した意識っていうのと、今のは右脳と左脳とありますけど、もうこれがちょうどバランスよく取れた状態が一番ね、こう人としての能力も、
発揮する。社会もね、いい方向に、いい方向っておかしいかな。本当に調和した状態で発展していく。そういうふうなことも言われているんですよね。で、育ってくると、今、この左脳的なね、物質的な、そういう根拠とかエビデンスとか、そういったものが、もうそればっかりが一人歩きして発展した状態だからこそ、
自立っていうのが偉い一番命題として求められているだけのことで、本当は依存、100%依存の安心安全の状態、自然と調和して周りとも調和した状態が本来の形でとしたら、自立っていう考え方さえも幻、ただの自分たちで作り上げた固定観念かもしれないなって、
思うんですよね。なので、バーチャン喫茶で思ったのは、料理したい。お店をして自分でお金を稼ぎたいっていう人がいてもいいし、そんなことしたくない。
本当にね、お世話されて、でもその中でのコミュニケーションとか、冗談言ったりとか、それで職員さんを笑わせたりとか、そんな感じでね、調和していくっていう、そういう生き方も、もうね、今の体になって、リハビリリハビリとかね、そんなはする気はないよと。
それよりも、もう今の体のまんま楽しんで生きていく、最大限楽しんで生きていく、そういうのを選ぶ、そういう方がいてもいい。そんなね、何かこう依存だろうが、自立だろうが関係ないよと。
みんながそれで、本来の自分を発揮するっていう形を取ればね、どっかピースがあってくるはずなんですよね。パズルのピースのように、このこう、ビッグバンで発展したね、この宇宙っていうのは、もともと一つで、それがバラバラのピースになって今分かれている状態としたら、そのピースを本来の自分の生き方とかにこう合わせていくと、
それがピースがはまっていくようになるんだ。今までは何か目標を持って、そこに向かって進んでいく、成長していくっていうのがもう大義だったような、そんな時代から本当にそれぞれがそれぞれの個性を最大限発揮することが、成長とかいうよりもその面白みや深みがね、広がっていくような、
そういう世界、社会っていうのがこれから求められてくるんじゃないかなっていう、そういう気もするんですよね。どう思いますかね。
今この、もともと誰のための自立っていう話から始まっちゃったんですけど、でも、なんかこう結局経済成長、福祉の業界も成長していかないといけないみたいな固定観念があるせいで、何かどんどんどんどんサービスを使わせないといけないとか、
もっと介護度が高い人がたくさん増えて、そして儲かるようにならないといけない。そんな風なね、もうおかしな構図が今出来上がっていて、その構図の中で僕たちは働いているので、結局のところ、良くなっていかない。
今のまんまでいいよ、が道徳的には言われていたとしても倫理的には言われているとしても、構造としては全然そうなっていないじゃん、そういう違和感を感じているんですよ。
口で言っていることの正義とかね、その正しさと、実際行っていることの行為が全く合ってないなっていう気がするんですよね。だからこういうのは全てじゃあ何が根幹なのかなって思ったら、その成長していかないといけないとか、自立していかないといけない。
そういう固定観念、今のこれからの時代に合わない固定観念がおかしくさせてしまっているんじゃないかなって思うんですよね。もう経済成長だって、もう行き着くところまで行ったんですよね。
もうこれからはどうしていくかってなってくると、利用者さん、高齢者のおじいちゃんおばあちゃんも個性を出していく。障害を持っている方だったりしても、個性を出していくっていうのが大事だよねって言われているなら、職員もそうですよね。職員も個性を出していく。
会社のただただ言いなりになって、前回も毎月10万円入居費が上がりますって言ったのを職員もみんなもう会社の決定だからしゃあないよねって言って、ただもう淡々とロボットのように伝えていく。そういうだけじゃなくておかしいぞっていう人がいてもいいんですよ。
会社ももうただただ利益だけを追い求めていくんじゃなくて、もうそこでの地域とかそこでの場所の役割をどう果たしていくかっていう、そっちの方が大事で持続可能な経営になってくるんじゃないかなって思うんですよね。一時的だと思うんです。
いくら経済成長ってお金利益が上がったとしても、そこの問題課題を解消するものじゃなければ続かないんだと思うんですよね。だから今後求められてくる世の中と今の会社の仕組み自体が会社やそのね、働く環境の仕組みがミスマッチだったら、
結局のところ、持続していけない仕組みになっていくんだろうな。そして高齢者の方に自立自立と言いながら、結局ビジネスのために自立させてくれない仕組みになっている。自立しちゃったら困るわけですよ。本心を言うと。
持続可能な介護の重要性
お客さんになる人がどんどん自立して減っていくんだと困るわけですよね。そうなったらなるために現場は頑張ってるんですよ。現場は頑張ってるんだけど仕組みがそうじゃないんだったら結局全体的に言うと増えていく。自立じゃない人が増えていく。依存を生む。
そういう意識でいる人たちが増えれば増えるほど、本当に職員も自立していない依存、会社に依存しているとか、そういう人が増えれば増えるほど、自立した高齢者も障害の方も出てくるはずないですよね。
だってその支えようとしている人が依存しているんだから。だから新しい時代に向けての何か考え方なりを持っていけたらなぁと思っていろんな方と関わってはいるんですけどね。僕もまだまだ全然わかってはいないんですけども、
何か今のこの自立だったりとか成長だったりとかそういったものにすごく違和感を感じていたもので、ちょっとシェアをさせていただきました。ご意見いろいろあると思います。僕の考えは決して正しいと思ってませんので、いろんな何かあればコメントいただければと思います。ご視聴ありがとうございます。