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2022-04-22 11:57

【介護150】高齢者をもっと自由に‼️型にはめた環境から解放❗️

ボブです。
何言ってるか共感得られないかもですが、ふと感じたことを話します。
#介護
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どうもボブです。最近ですね、ニュースとかツイッターで
仕事ができるデイサービスっていうのを見たんですね。 車の掃除をしたりとか
チラシを配ったりとかですね、何か作ったりとか、そういったことでデイサービスに行くことで、それが仕事になる
誰かの役に立つっていう、そういったのを取り組んでいるデイサービスがあるんですよね。
素晴らしいなーって思ったりはしたんですけれども、 なんかこうふと思ったのが、そこのデイの取り組み自体は素晴らしいんです。
でも、周りの風潮が急にそっちの方向に動くことって今まで結構あったんですよね。
例えば、認知症予防には運動がいいんだって言って、みんながみんな体操をしましょう、体操をしましょうって言ったりとかですね。
あと、またそれこそ認知症予防にアマニオイルがいいとか、ココナッツオイルがいいとかですね。
そしたらもうみんなこぞって、これを飲まないとっていう風になったりとか
あとなんかなぁ、ボールを使った体操がいいよとか、逆にレクレーションレクレーションばっかりじゃなくて、のんびりゆっくり過ごす、これがいいんだよっていうコンセプトでやってるデイサービスもあったりしますよね。
で、全部いいんです。全部素晴らしい取り組みだと思うんですけど、
なんていうか、こう、みんな、みんなこうしましょうっていう風な風潮にたまになることがあるので、それはもっとね、一律的な考えじゃなくて、もっと個別で、もっと自由でいいじゃんって思うんですよね。
高齢者にもっと自由にっていう風にするためには、若い僕たち自身も今全然自由な生活、自由な仕事ができてないんですよね。
みんなその考えのまんまいくので、高齢者も一律同じ曲を聴かされて、同じ昔の曲ならいいんでしょってことでね、あので動揺を聞かされたりとかですね、そういったのが未だにありますよね。
もっと私はこれしたいんだ、私はこっちの方が好きなんだ、そうやって選べるように、もっともっとなっていったらなぁと思うんですよね。
で、デイサービスを選ぶ時も、みんないろんな同じように、まんべんなくできますよっていうデイサービスが多いです。
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運動もできるし、認知症予防もできるし、そうじゃなくて、ここは運動、ここは認知症予防、ここはお泊まりができたり、外出行事が多かったり、いろんなデイサービスがたくさんあって、そこを複数選べるとかですね、いう風になれたらいいなぁと思うんですよね。
どうしても、制度的な部分だったりとか、あと人員的な部分でですね、もう一箇所にとか、一つの制度の中で、この中で選んでください、みたいな提案ばっかり、今ケアマネージャーとしてなっているなぁと思うんですけど、
もっと個人が大事だと思うんですよね。本当にその人その人の、ゆっくり過ごしたい人はそれでいいんです。ゆっくり過ごしたい場所で生活すればいい。みんながみんな、もうあのうちにいたい人はうちにいていいはずなんです。
なのに、いやいや、フレイルになったらいけない、サルコペニアになったらいけない、予防しましょう、予防しましょう、と言って引っ張り出すわけですよね。本当にそれでいいのか。いや、認知症予防にいいから、と言ってみんな同じように塗り絵させたり、ボールの体操をしたり、いや、したい人はそれでいいんです。
やりたい人はやりましょう。でもそう、うーんって思う人は別のことやりましょうよ。いろいろ選べるような介護の業界になったらいいなぁと思うんです。
高齢者に限らず、全体の秩序を保つことを優先しているような気がしませんか。全体の輪を乱さないようにしましょう。乱さないように、ちょっとしたことは我慢してくださいね。ちょっとしたことは我慢しつつも、その範囲の中で好きなことをやってくださいね。
みんなで出し合って作った介護保険制度の中で、あとこの街のルールの中でやっていっているので、このルールにのっとってやってくださいね。
でもそのルールの中に、その一人一人が望んでいるものが本当にあるのか、ない場合は、いやいや、それを使っていくか、使わされるかしないといけない、そんな状況がたまに見られます。
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でもそれはみんな、みんなその中にいるので、私だけなんかね、そのいやいや言ってたら申し訳ないとかですね、そんな風になっちゃうからみんな使っていくんでしょうけど、使うことが決して悪いんじゃないんですけど、もっと本来はもっと自由でいいんだろうと思うんです。
そして支援している僕たちも、そしてその若い人たちもみんなそういったルールの中で生活をしているから、これが違和感を感じないんだと思います。
全体のために個人がいるっていう風な考えを持ちがちなんですけれども、でも本来よく言いますよね、人生の主人公は自分だよって言います。
で、本当にそうだとしたら、自分が本当はこうやりたいっていうことをちゃんと主張してですね、それで周りが変わっていくっていう風になっていいと思うんです。
自分がこうしたい、こうしよう、これでいいんだっていうのをそのままオッケーってしてくれる、そういった環境がむしろ大事なんじゃないかなって思うんですよね。そういった自分を抑圧した、抑圧したその環境が認知症を引き起こしたり、うつ病を引き起こしたりしてるんじゃないかなって思うんです。
あらゆる病気、あらゆる問題は環境がそれを引き起こしてるんだろうと思うんです。あらゆる病気、あらゆる問題、これはまあ環境、そしてその環境が作った価値観や考え方ですよね。
よくこうしなければいけないんだ。周りがやっぱりこう思うから、周りのために自分がこうしないといけないって思っている人がいつも苦しんでるんですよね。いつもこう病気になったり、いろいろ悩んだり苦しんでいる。それを見ているとちょっと待って、この人そんなに悪いかなって思うんです。
この人じゃなくて、周りの環境と周りの固定概念、これがもう本人と合ってないんじゃないか、なんとなくどうでしょうかね。共感してくれる人がいるかわかりません。何言ってんだこいつかもしれませんけど。
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もっと自由で、自由な重なりがあってようやく
高齢の社会もですね、いい形に作っていけるんじゃないかなって思うんですよね。この人は
園芸が好きだったら、園芸が好きなデイサービスにそういう人たちが集まればいいんです、本当は。
みんなが標準化されて、特化してなくて
もうなんていうか、みんな同じようにどんな人でも受け入れますよっていうところが多いから
特殊性や個性が出せなくなってるんじゃないかなって。 高齢者だって個性があるはずなのに
今なかなか出せてないなっていうふうに見えます。 私は何も楽しみなくて
誰にも役に立たんし、このまんまもう何もせんでいいと、ただただお迎えが来るのを待ってます。
そういう人ばっかりなんです。 こんな
自分たちが高齢になった時、 これが当たり前でいいんでしょうか。
何が今悪いんだろう。悪いというか何が間違っているんだろう。 何がきっかけでこうなってるんだろう。
突き詰めると、なんかこういう型にはめる環境
それが 個人を
なんていうか、個人をどんどん小さくしているような気がする。 本当は個人はもっと大きいもので
それに合わせて周りが環境がどんどん変わっていくべきもの そしてどんどんどんどん全体が良くなっていくもの
が本来の形なのかもなぁと思うんです。 なのに
逆を今言ってるんですよね。そして子がどんどんちっちゃくなって、 年をとって最後の最後もっとちっちゃくなって
病気になって、そのまま亡くなっていく。 そんなレールもう嫌だなぁって思うんです。
どうにか、何かこう
変化を持たせることができないかなぁと 答えが出ないまままだ模索中です。
ケアマネージャーとしてその人のケアプラン、計画を作ります。 その中でもっと提案できることないかなぁ
また考えていこうと思います。 ご視聴ありがとうございます
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