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2021-09-21 12:18

【介護110】敬老の日 認知症の祖母とお墓のあり方

ボブです。

敬老の日、お寺の納骨堂に行ってきました。

↑この写真は帰りに寄った「宇美八幡宮」

お墓ってこれからずっと先、どうある方がいいのか?
今の状況に少し疑問を感じてきましたので、個人的な感想を述べさせていただきます。

#敬老の日
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00:06
どうもボブです。
昨日は敬老の日でしたね。
僕は昨日、祖母に会いに行ってですね、
お墓参りに一緒に行ってきました。
お墓と言ってもですね、今もう墓仕舞をして、
墓仕舞って言うんですかね。
農骨堂の方に移動したので、正確にはお寺の農骨堂に行ってきました。
車で行かないと行けない場所にあるので、
祖母一人でも行くことはできないので、
毎回こういった時は連れて行ってるんですが、
僕の祖母が今までも何回か配信で話したことがあったんですけど、
認知症があるんですね。
前日におばあちゃん明日10時に迎えに行くからねっていうことで話してたんですけど、
やっぱり覚えてませんでしたね。
あら、今日行くんだったら行くって言ってくれたらいいのにって言いながらですね、
渋々準備をして、
バタバタお化粧をしたりですね、
ハツラ被って行った方がいいやろうか、洋服はこれでいいやろうか、
もういろいろ迷いながらですね、
これでいいと思うよ、これがいいと思うよって話をして、
もう1時間ちょっとかけて、ようやく準備ができて出発しました。
その車、移動するのもですね、片道40分ぐらいかかるんですね。
お寺に行くまでですね。
この片道40分往復80分の間、車の中でひたすら話すんです。
いいんだけど、もう喋るの大好きなんですよ。
で、ただ耳が遠いんですね。
耳が遠いんで一方通行で向こうからわーって話して、
こっちが言っても、は?は?って言って聞こえてないんです。
運転しながらなんで、なかなか後ろにそぼ乗るんでですね、
後ろ向いて話すわけにもいかないし、
なかなか会話が通じない、キャッチボールができない中で、
ずーっと話し続けるんです。
もうほんと間が全然ないぐらいマシンガントークで話し続ける。
こう疲れましたね。
しかも同じ話をひたすらするんです。
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同じ話が5パターンぐらいあってですね。
5パターンいろんな過去の、自分の小さい時の話だったり、
物を取られたっていうお隣さんに物を取られた事実とは違う話なんですけど、
そういった物取られの話だったり、他にもいくつかですね。
その話を初めて話すかのように毎回ずっと同じストーリーを話していくんですね。
すごいなぁと思いながらも、こっちも初めて聞いたかのようにですね、
ちょっとずつ反応も変えながら、
そうなの?って言って話したんですけど、
ただ疲れますね。ずっと話を聞くだけでも。
お寺に着いて、お寺に行く前にですね、ちょっとお供えする物を買って行ったんですけど、
買った途端、お供えする物買わんといかんね、どっかに寄らないかんって言うんですけど、
バッグ見てみてって言ったら、入っとるね、誰が買ったっちゃろうかって言ってですね、
さっき買ったばっかりなのにもう忘れちゃってるっていう。
そういうので、なんとかお寺にたどり着いて、お寺で手を合わせて、
おじいちゃん来たよ、久しぶりって言ってですね、手を合わせて帰ろうとしたら、
また今来たかのようにですね、
農骨堂どこやったかなって、また行こうとするんです。
今お参りしてきたからねって言おうと思ったんですけど、もう一度お参りしてですね、
次はもうまた引き返す前と思って、こっちからいろんな話を振って紛らわせて、
スーッとそのまま車に戻るようにしました。
帰りはですね、帰りも40分ひたすら、行きと同じような話をひたすら続けるっていう、
40分なかなか大変です。
で、寿司籠にですね、事前に予約をして、2人前の握りをですね、注文してたので、
それを取りに行って、お家で2人でですね、じゃあちょっと食べようかということで、
食べていろいろ話してました。
まあでも、久しぶりに農骨堂行って、おじいちゃんにもお参りしたって言って、
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すっごく喜んでくれてましたし、一緒に食べると美味しいねって言いながらお寿司食べて、
よかったよかったと思った1日でした。
今日は敬老の日だからねということで、ご馳走するよって言ってですね、
あら、ご馳走なんて申し訳ないねって言いながらもですね、
それをまた同じ話をもう5、6回しました。
で、こう、ふとですね、今後の話もいろいろしたんです。
この農骨堂をですね、誰が維持していく?とか、
あとこの家、これから誰も住む人いないよと、
おばあちゃんはどうしたい?っていう話とか、
で、あと、今足腰元気だからいいけど、
おばあちゃんもね、いつまででも不死身じゃないんだから、
足、歩けんくなったり、今よりも体ちょっと衰えてきたら、
どうしたい?っていう話をですね、いろいろ話しました。
ですけど、もうやっぱり、いやもう、早よ死なないかんねえとかですね、
あと家もあんたがもらってくれたらいいけどとかですね、
いろいろ話はしてくれるんですけど、
でもやっぱり、所詮孫が話す、孫と話してるだけなので、
やっぱりこの場にですね、実の相続人となるような娘、
自分の子供がいないと、ここで話したってやっぱり意味ないなって思いましたね。
こういったお盆とかお彼岸とか、そういった時に、
やっぱり家族で集まって、今後の話をするっていうのも大事だなと思いました。
あとそのお墓についてなんですけど、
もう仏壇で僕ですね、行く前におじいちゃん行ってくるよって言って、
お寺に今からおばあちゃんと行ってくるねって言って、
お寺についてのこつ堂でもですね、おじいちゃん来たよって言ってですね、
お参りしたんですけど、見守っとってねって言って、
どうなのかな、これからお墓の考え方はと思ったんですね。
誰がどうやって、今の少子化の中ですね、
働く場所とかもいろいろ県外に行かないといけないかもしれないし、
これから福岡のこの場所でずっと見ていくっていうのは、
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本当に今後可能なのかな、僕の子供、孫、みんなそうやってやっていけるんだろうかと思ってですね。
このご先祖様の、自分たちのルーツを知るっていう意味でもいいのかもしれないんですけど、
よくよく見たら、せいぜい明治ぐらいまでなんですよね。
ご先祖様大事、お墓が大事っていうことであれば、
もっともっと前からあってもおかしくないんですよね。
なんで明治、明治までのご先祖様どうするのって思うんですよ。
なんで途切れてんの。
本当ならもう天照大神まで繋がっとってくれよって思うんですけどね。
本当はちゃんとご先祖様にしっかり手を合わせて、
供養する気持ちが一番本当は大事だと思うんですけどね。
それを形にするっていうことも今までは大事だったんでしょうが、
今後もずっと形を大事にし続けていいんだろうか。
お墓もまたここがいっぱいになったら、
濃厚通路がいっぱいになるときは絶対来るんですよ。
じゃあまた増やすのか。
本当にそれをずっと続けていくんですかって思うんですよね。
ただそれに関してはやっぱり自分の家族もみんな、
いやいやとにかく今お墓守ってもらわんと困ると。
なんというかこう、
じゃあそのずっとずっと先についてはどう思うって言ったら、
そこに関してはもう分からんと。
とにかく今はっていうことなんですよね。
お釈迦様も決してお墓を残してくれなんて一言も言ってないらしいですね。
そして新蘭上人は自分のお骨はもう川に流して、
もう魚たちの栄養にむしろしてくれと言って、
言い残してこの世を去ったそうですね。
今のその当たり前のようにしているそのお墓っていう制度は、
今後なんかちょっと考えていかないといけないんじゃないかなと思った一日でもありました。
ということで、
とはいえ敬老の日、やっぱり自分のおじいちゃんおばあちゃんに喜んでもらう、
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そういった大事な日として今後もおばあちゃんに会いに行こうかなと思いました。
ご視聴ありがとうございます。
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