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どうも、ボブです。今日は、モノには魂が宿るのかなぁ、というお話なんですけれども、
あの、僕がですね、もう小さい時、小学生の時かな、幼稚園の時もそうですけど、
ぬいぐるみと遊んでたんですね。恥ずかしいですけど。
姉が二人いたもんで、年も離れてるので、もう遊ぶもんがないんですよね。男らしい遊びがない、遊ぶものがないもので、
ぬいぐるみで遊んでたんです。最初はスヌーピー。スヌーピーがもうボロボロになって、その後はケロケロケロッピーがあったんですね。
ケロケロケロッピーが大好きになって、いくつかあったんです。一つのケロッピーと一つのケロッピーを戦わせて遊ぶみたいな。
そうやって寂しく一人で遊んでたんですけれども、しかも隣の部屋で大人や姉に見られないようにですね、こっそり遊んでたっていう、そういう子供でした。
途中から姉とか親がケロッピーを雑に扱うと、ポーンって投げてそこらへんに置いてたりすると、もう痛いって思うんです。
ケロッピーの気持ちになるんでしょうね。ポーンって置かれたらもう痛ってなるんです。
片手でつまむように持ったら痛そうだから、必ず両手を添えて持つとかしてたんです。
グイって思ったりしたら怒ってましたね。ある時ボロボロになってですね、さすがに緑色の綺麗な色じゃなくてちょっと黒ずんできて、洗濯しようってなった時に洗濯機回したらもう生地もボロボロになってるんでビリビリに破れちゃったんですね。
大泣きしたのを覚えてます。ケロッピーが死んじゃったーって言って叫んだような気がします。
その後も捨てることができず、多分今も実家の奥の方に眠ってんじゃないかなと思うんですけど、
小さい時本気でもしかしたら動くんじゃないかなって思ってました。もしかしたら喋る時が来るんじゃないかなって思ってました。
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ほぼほぼないと思うけどある時ボロって喋ってくれるような気がしてました。
さすがに高校生とか大人になってからはそんなことを思ってないんですけど、でもなんか今思うとですね、
物には魂が宿るっていうのはあながちなんていうか間違いじゃないというか、思うのは魂が宿ってるっていうような気はしないんです。
自分の、例えば可愛いって思ってる気持ちがそのものから跳ね返ってくるような思いを寄せた波動がそのまんまケロッピーを通して自分に跳ね返ってきて自分もいい気持ちになるような、
そういうものなのかなというような気がします。
別に僕スピリチュアルじゃないので全然確信めいたことも何もわかんないんですけど、経験上そんな気がするという思ってるだけです。
ぬいぐるみだから変な感じはするんですけど、例えば大切な万年筆とか大切な財布とか、
大事に大事に毎日磨いてるバスケットボールとかグローブとか、そういったものにはやっぱり自分の念が念をかけた分、
自分に何かこう勇気を与えてくれたりとか、ちょっと一歩前に踏み出していけるような力をくれたりとか、何かやっぱりあるんじゃないかなという気がします。
でも旗から見ると、別の人から見るとなんてことないものだったりするんですよね、もちろん。
自分に自分の念が跳ね返ってきてるだけなので、第三者には何にも影響しないと思うんですね。
なので、だからこそ簡単に周りの人は大事なものなんてわかんないんで、簡単にポイポイ捨てられてしまうかもしれない。
そうやってたくさんケロッピー達は捨てられていったんですけどね。
一番大事にしてた初代のケロッピーだけは実家に奥底に眠っているかと思います。
これもうどうなんだろう、お祓いして何かこうした方がいいのかなってもうちょっと心配になるぐらいですけどね。
未だに子供が家にあるぬいぐるみをポンって投げたり、顔のところをガシッと掴んでブンブンブンって投げたりするのを見ると、未だにあいたたたたって思ったりしますね。
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もうやめてあげてってかわいそうって思ったりします。
でもどんなものにも思いが宿ると思ったらいい念をかけていきたいですね。
今日はなんでしょうか、ふと思ったんです。
思ったから配信しちゃいました。
ものには念が宿るんじゃないか、魂が宿るんじゃないかというお話でした。
あくまで僕の100%主観です。
以上です。ご視聴ありがとうございました。