認知症への恐れとその影響
どうもボブです。今日は久しぶりに介護の話をしたいなと思うんですけれども、
参考になるか分かりませんが、認知症の話をしたいなと思うんです。
で、この認知症、みんなですね、なりたくないなりたくないって言って、
僕の職場のケアマネージャーもですね、もう、なんかちょっと忘れ物をしたりとかすると、
あ、もう私も認知症に一歩近づいてるとかね、もう認知症かもしれんとか言ったりするんですよ。
利用者さんの家族とか、僕の親とか、結構ね、認知症にもう私も、
あと10年経ったら、なるからよろしくねとかね、結構そういうこと言うじゃないですか。
で、僕はなるべくね、なる前から言わないがいいよって言うんですけど、
そんな注意をしたってね、あの、もうやめられないんです。
もう、認知症にもうなるわなるわって、もうそれ恐怖なんですよね。
でも恐怖って思えば思うほど実現しちゃうんですよね。
カーナビ、車のカーナビとかに行きたい場所を設定すると、ちゃんと行きたい場所に連れてってくれますよね。
行きたくない場所を設定しても、行きたくない場所に連れてってくれるわけですよね、結局。
認知症っていう設定をして、そこにね、行きたかろうが、行きたくなかろうが、
そこが目的地だったら潜在意識は認知症しかわかんないんですよ。
になりたくないなんて言葉は潜在意識に入ってこないんですよね。
結局、設定、カーナビの設定は認知症になっちゃう。
そこに向かって行っちゃうんですよね。
先月8月にですね、福岡の方で八萩直樹先生、東京大学医学部の名誉教授さんです。
この方が、人は死なないっていう本を書いて、すごく有名になったんですけども、
その先生に質問したんです、直接。
認知症って一体何なんですかと。
この八萩先生が言うには、一つは、まずメディアがですね、
メディアとか、認知症っていう言葉そのものも、2000年ぐらいからできたわけですよね。
認知症がこれから増えていく増えていくっていう風なデータだったり、報道だったり、
いろいろとニュースでも見るわけですよ。
みんな、認知症増えていくのは当たり前だ。
私も認知症になるのかもしれないな、それだったらっていう風に、
当たり前にこれからもう認知症が増えていくことが当たり前なんだっていう風な
意識をそれぞれに植え付けていくことが、これは危険性をね、
みんなで予防しましょうっていう風にやってるんだけれども、
それが裏腹になって逆効果で、それぞれが認知症にもなるんだっていう風に
意識づけをさせてしまってる部分、あるかもしれないなって思うんですよね。
それによって意識が、そもそもそんな思う必要なかったのに、
認知症っていう方向に引っ張られていってしまう。
そしてちょっと物忘れしたら、ほらやっぱり自分が心配してた通りだ、
不安の力で強いんですよね。
メディアと認知症の真実
その不安に思ってたものが敵中するっていうと、
逆にちょっと安心感を自分に持っちゃうんですよね。
だからその事前にインプットされていないかっていう、
それをまともに真に受けて自分で信じてしまっていないか。
自分とは関係ないかもしれないのに、
あえて認知症っていうものをみんなが言ってるから、
データがそうだから、自分もそうかもしれない、
そういう風な固定観念を作ってしまっている可能性がある。
これはでも注意した方がいいんだっていうことですよね。
もう一つは、僕は何のメッセージがあるんですか、
この認知症というものにと。
そういう質問をしたんですね。
メッセージがあるとしたら一体何なんだと。
そしたら今をね、今を大切に生きるとか、
家族関係とかね、支えてもらうっていう、
そういう関係性を大事にしなさいよっていうメッセージかもしれないですね、
言ってたんですね。
で、認知症って今しかいけれなくなってるんですよね。
言ったら、先の予測とか今後のこととかってもう分かんないわけです。
認知症の方って。
過去のことだって短期記憶が抜け落ちてしまって、
過去と未来が削ぎ落とされて今しか生きれない状態になってますよね。
で、これ逆にメッセージとしたら、
今までそういう方って過去の執着とかとらわれで苦しんでたりとか、
もしくは将来の不安で押しつぶされていたりとか、
孤独、周りのサポート、周りからの助けを求めていたとか、
そういうことから今を生きれなかった人たちが病気となって、
今しか生きれなく逆になってしまっている、そういう状態かもしれないんです。
そうなった時に今、先の不安をね、ばっかり考えて、
今を生きる大切さ
認知症かも認知症かも、私にもう認知症になりたくない。
これってまさに先の不安ですよね。
人一倍認知症になりたくないのに、一生懸命精一杯認知症になろうとする行動をしてるんですよ。
だからね、こういった認知症とかにもうとらわれない、
それも一つの執着、こういった執着にとらわれないことが大事で、
今を、この先生は仲今ってよく言います。
今この瞬間をどう生きるかっていう、そこに全力集中すれば認知症になるかも、
とかいう気持ちすら起こらないはずなんです。
その不安になっている人たちは本当に今を楽しめてるんだろうかって思うんですよね。
恒例になったらぜひ皆さんにお勧めしたいのが、
家の外でできる趣味と家の中でできる趣味、両方を持っておくことが大事だと思うんです。
外で出てやることって、誰かサークルとか、
公民館での活動でもいいし、みんなで友達とお茶してとか、
あとは釣りだったりね、いろんなことあると思います。
散歩だったり、山登りだったり、そういう外でできることの楽しみも大事だけど、
同時に中でインドア的な趣味、囲碁、将棋、そういったのも好きな人もいるし、
裁縫だったり、目が悪くなったとしてもできるような家の中のこと、
そういったのも大事かもしれないです。
僕は最近、漬物を漬けたりするんですけど、
お花に水をやったりとか、漬物作ったり、家事を新たにやったりとか、
クッキー作ったりとか、そういった家の中のこと、両方がないと、
年を取った時に足腰悪くなった途端、外の趣味しかなかったら、
途端に楽しみがなくなっちゃうわけですよね。
テレビしかやることありません、みたいな。
そうなる前に、いろいろと自分で今を楽しむにはどうしたらいいかっていうのを、
どんどんやっておく必要があると思うんです。
そういう楽しみ、楽しいこと、夢中になるようなことをずっとやっていると、
もうそもそも将来の不安とか過去の悔やまれることとかに、
ずっと苛まれることないんです。
暇だからなるんです。
暇で何もやることないから、先の不安をずっと感じてみたり、
過去の嫌なことを思い出したりするんです。
そうじゃなくて、今を大事に楽しく生きるっていう風にするにはどうしたらいいだろう、
私の場合っていうね。
誰かと比べるんじゃなくて、自分だったら何なのかっていうのを見つけていくことって、
とっても大事じゃないかなと思います。
ということで、認知症の不安にずっと苛まれてる人っていうのは、
今も生きれてないかもしれないですよ。
その不安をずっと持ち続ければ持ち続けるほど、
ちゃんと向こうからカーナビに設定されて、認知症の方にたどり着こうと、
自らやっていることになるんですよ。
注意してね。
そういうことを他の方にもぜひ伝えていただけたらなと思います。
ではでは、ご視聴ありがとうございます。