中秋の名月の楽しみ
皆さん、こんばんは。ボブです。
今日はですね、中秋の名月って言われてますね。
もう満月。
とっても福岡県の糸島市っていうところから僕見てるんですけど、
すごい綺麗ですね。
こっちは晴れて、皆さんのところはどうでしょうか?
とってもね、こっちではいい天気で、
今日仕事から帰ってですね、子供たちと一緒にお団子を縁側で食べてですね、
今、アパートから引っ越しをして一軒家で今住んでるんですけど、
縁側があってですね、そこでテーブル持って行って、
子供たちもなんか特別だねって言いながら、
お団子をお母さんと一緒にコネコネ、子供たち一生懸命作ってですね、
みたらしのタレも作って、
もうお父さんが帰ってくるのを待ってたみたいで、
早く食べたい、早く食べたいって言って、
公園に行ってすすきを取ってきて、それも飾って、
一生懸命ね、待ってた。
僕が帰ってきた途端、早く食べよう、早く食べようって言って、
一緒に食べました。
皆さんいかがお過ごしでしょうか。
月の影響について
とってもね、美味しかったんです。
特別だねって言いながら、
こういった満月の時と真月の時とありますけど、
皆さん、お月様の流れで何か行動を変えたりとかしてますか。
僕あんまり全く気にもしてなかったんですけど、
何も関係ないじゃんって思ったんですが、
やっぱり出産とか、子供が生まれる時とかで、
月のサイクルって、女性の方ってすごい大事ですよね。
やっぱり何かしら影響を与えてるなっていうのは思ってたんですけど、
こういったお月様って、
地球の海の波も月の力で、引力で動いてるわけですもんね。
これ初めて知ったんですけど、
海の水って地球上で一番質量が重いらしいですね。
全部合わせるとなんですけど、
その一番地球上で重いものを持ち上げて波を作ってるって、
とてつもないことですよね、お月さんって。
地球上で一番重い物質を持ち上げて波を作って、
ということは人間の体で、
大人だったら6割か65%くらいは水って言われてますもんね。
人間の半分以上を水が満たしている。
その水にも影響を与えないはずがないですよね。
そういうふうに考えると、本当だなと。
それは女性の生理のサイクルだったりとか、
そういったのも何かしら影響があって、
あといろんな地球上の生物も月だったり星の動きで、
ちゃんと朝昼晩だったりとか、
いつ、この時期にこれをするみたいな、
カメが冬眠するとかね、
そういうのも何でかカレンダーも見てないのに、
動物ってわかるわけですよね。
セミだってなぜか土の中にいるのに、
夏になったら出てくる。
気温だけの問題じゃなさそうですよね。
これって全部、
宇宙からというか、月だったり星だったり、
いろんなのの電磁波が届いてるんですね。
それを人間だったら消化体が受け止めていると言われてるんですけど、
電磁波を捉えて、
赤ちゃんとかもお腹にいるときって、
どうやらこの電磁波を受けて、
どんな電磁波を受けるかによって乱活の仕方が変わってくるそうです。
卵が分かれていく。
その分かれ方がちょっとずつ違うそうなんです。
そうやってその人の人格、性格も含めて、
変わってくるから、
アレクサンダー大王は帝王節快と言われるように、
この日に産むというふうに決めてまで、
お腹切って産ませるまでこだわったわけですよね。
だからやっぱり月の動きってすごい大事なんだろうなーって、
最近思うようになりました。
新しい始まりのタイミング
昔の旧暦のカレンダーって、
僕は知らなかったんですけど、
必ず1日が新月で、
15日が満月っていうふうに作ってあったそうですね。
昔の日本人もそれが分かっていた。
月の動きっていうのはすごく大事なんだよっていうのが、
ちゃんと分かっていたんですね。
なのでそういうのを知ってからは、
いろいろ一流万倍日とか、
大安だったりとか、
そういうのは何も関係ないじゃん。
結婚式の時とか仏滅とか、
そのダメだよって、
ともびきだったっけ、
ダメだよとか、
何も関係ねえわって思ってたんですけど、
いやいや結構大事なんだなーって思ってきました。
そういう一つ一つの節目節目みたいなのが、
日本の行事の中で大事にされてきたけれども、
旧暦ベースで考えないと、
日にち全くただの行事で終わっちゃって、
そこの本当の意味っていうのが、
分かんなくなっちゃってるんですよね。
そこら辺を改めて、
僕たちちょっと修正していかないといけないんじゃないかな、
っていうふうに最近思います。
こういった月の動きだったりっていうのって、
先生術とかやってる人はすごくね、
詳しい方多いんじゃないかなと思うんですけど、
僕は全然そこら辺は分かんないんですね。
ただ今までこの5年間ぐらいですね、
ちょっとずつこういうのに興味を持ち出して、
終文読とか当時とか、
旬文下誌、そういったタイミング、
節目節目をどういうふうに過ごすかっていうのを、
結構大事にしてきたんですね。
途中から、その5年前ぐらいから。
そうするとやっぱりなんとなく、
この節目節目で流れって本当に変わってきてるんだなって、
今感じるようになってきたんです。
というのも、
節目でちゃんと玄関とかお部屋を掃除して、
塩を撒いてそれを払ってとかね、
そんなことを節目節目でやるようにしていたらですね、
いつの間にやらいつの間にやら、
いい方向に、自分がこうしたいなっていう方向に、
進んでいけるようになってきた気がするんです。
こういうタイミングで、
僕はこの満月の時とかって、
ちょっと新しいことを始めたりとか、
新しい人と出会ったりとか、
こんな風になりたいなってイメージすること、
こういうのをやっていくといいんじゃないかなと思って、
今までもそういう形でやっていってたんですよね。
満月っていうのは、もう分かんないですけど、
成功して達成したみたいな、
そういったイメージをしっかりイメージした上で、
寝るとかね、そんな風にしていくと、
ちょっとずつイメージがどんどん形になっていくんじゃないかなって思うんです。
こういう時にいろんな人に自分の思いとか、
自分がこうしたいんだっていうのを、
話していくといいんじゃないかなと思うんですよね。
今日は僕はですね、いろんな、
普段は介護のケアマネージャーの仕事をしてるんですけど、
来年何か独立して、
やっていきたいなって思ってることがあるんですけども、
それを存分に話せるような会に出席をさせてもらって、
いろんな介護保険以外の慈悲の支援の人たちと交流をたくさんして、
17名ぐらいですね、いる中でいろいろと話をさせてもらいました。
とっても貴重な機会をいただいてありがたいなと思うんですよね。
それも自分が望んで、こうしたいなって思って、
それがタイミングよくこういった満月の日、
十五夜の日に出会わせていただいたんですね。
DJおゆきさん、こんばんは。
ありがとうございます。
もう一人語りをしてたつもりだったんで、嬉しいです。
今日は満月ですね、十五夜。
僕もお団子を食べたりとか子どもたちと過ごしてました。
あと、自分のこれからこんなふうになりたいなとか、
そういったイメージを語ったりする機会を今日いただいたので、
いろんな方とお話をさせてもらってました。
DJおゆきさんはいかがお過ごしでしょうか。
僕は普段は介護のケアマネージャーの仕事だったりとか、
あと別でですね、悩みとかストレスとか、
そういったものを解消するためのセラピーをやってます。
介護職なんですね、おゆきさん。
純夜勤、終わり。
お疲れ様でした。満月見てました。
そうですか。
介護の方、現場の方、特に夜勤とかしてる方って、
生活リズムなかなかね、つかめず、
体調、コンディション難しいと思います。
アーカイブではいくつか聞かせていただいてました。
ありがとうございます。もう感謝感謝です。
なかなか聞きにくい話かもしれないですけど。
ライブ初めて入ります。そうですよね。
あんまりライブ最近してなかったので、
ライブ下手くそなんですよ。
何話したらいいかわかんなくなっちゃって。
あと時間帯が遅くなっちゃうんで、
子供寝かしつけた後だったんですね。
嬉しいです。聞いていただいててありがとうございます。
介護の人たちからしたら、
僕の話は役に立つのかなってちょっと心配だったりするんですけど、
介護の話と最近ちょっとメンタルとか精神とか、
ちょっとスピリチュアルっぽい話ばっかり
最近しちゃってるなーって気がしたんで、
もっと現実的な話も混ぜていかないとなーと思ってるんですけどね。
でも介護の仕事、ケアマネージャーをしていても、
高齢者の認識を変える重要性
とても興味深いですよ。ありがとうございます。
なんかですね、普通に介護のこうしたらいいよみたいな、
そういったアドバイスとか情報とかって、
他の方が十分反応されているでしょうし、
そこはもうなんか僕あんまり今は関心が薄くてですね、
よくないことかもしれないですけど、
それよりもその人たちがどんな思いで、
この利用者さんたちがですね、どんな思いで生活してて、
そしてその思いはどこから来たのか、
みたいなのにすごい興味があるんですよね。
なんであんなすごい時代を生きてきた方で、
今は若い介護職とかにため口聞かれたりとかするような、
そんな状況でもなんか穏やかにしている方もいますし、
プンプン起こる方もいるんですけどね。
それでもなんかこう、僕たちにはできないすごい時代を生きてきた人たちで、
仕事ばっかり一生懸命家族のためやってきた人たちがですね、
今こんな状況になっているのか、それを見ているとですね、
最後の最後、これで本当に最後まで終わっちゃうのかって思う時があるんですよね。
もう余計なお世話なんですけどね。
でもその人たちもどうしたいかもうわからない。
もうこれでこうやっていくしかない、みたいな。
そういうふうになんか半分半ば諦めのような感じで生きている方が、
在宅の介護していても多いし、
施設にいる方のケアマネーでも担当することあるんですけど、
施設だとなおのこと、ある程度制限されてますからね、当然。
本当はこうしたいことがあるんじゃないかと思っても、
いや特にもう何もないです。
自分の中で完全にもうこれ以上できることないって決めてきてるような、
そんな感じで、本人の意向とかケアプラン作る時も考えるんですけど、
聞いても聞いても何も出てこないんです。
それがね、本当はあるはずじゃん。
もっと手前で、もっと体が動く時に考えることができれば、
もっと手段があったんだろうけど、
どうしたらいいんだろうっていろいろ悩むんです。
同感です。ありがとうございます。
そうなった時に、なんかちょっとでもその人たちが、
なんていうのかな、過去の、体は動かなかったとしても、
過去自分の感じてきた感情、感情の積み重ねが自分の歴史なので、
今までの認識、自分はこうだって思ってた認識が変わると、
その人の歴史そのものが変わるっていうような感覚があるんですよね。
こういった超媒体としたカウンセリングみたいなことをやっていると、
あんまり大々的にはこっそりやってるんですけど、
生活歴を聞く中でちょっとずつコーチングみたいな形で話をして、
その人の確信に迫っていくような、
そんなことを試し試しやっていってるんですけど、
でも本人の認識が変わった途端、
今の自分に対する固定観念とか、
自分は所詮こうだ、じゃあもうこれ以上何もできない、
っていう状態からちょっと変わるんですよね。
そんな瞬間があるし、
みんながみんなじゃないんだけれども、
今なんか一瞬変わったなっていうような時があるんですよね。
そういうのがもっともっとできればいいなって思いながら、
今中途半端な状態です。
これが最大限、僕がコーチングみたいな形で聞いていってるのを、
プラス、調心セラピーっていうお腹にいろんなストレスとか、
過去のトラウマとか感情が溜まってる部分を癒すっていう方法があるんだけれども、
怪しいって言われちゃうんですが、
そういうのをもし仕事の中じゃそんなことやっちゃったら迷惑かかっちゃうんで、
会社とかにもこいつ詐欺だとか言われたらいけないんで、
それが大々的にちゃんと自分でセラピストとして別でできるようになれば、
もうちょっと解決できる方法もあるんじゃないかなって思ったりするんですけれども、
ただもうセラピーとかそんなことしたいわけじゃなくて、
単にその人たちの認識、自分に対する認識を変えるっていうことが、
結局やりたいことなんですよね。
もう体も動かない。
そして自分のやりたいことも見つけられない。
それであればもうできる手段は何なのかって言ったら、
その人の認識、今の認識さえ変われば、
今見てる光景さえも意味合いが変わってくるっていうことがあるんですよね。
じゃあ認知症の人は、自分のことがもう分かんない、
家族も分かんないってなっちゃった人はどうするのってなったときは、
家族に対してのアプローチなんですよね。
家族自身がその人単体で決して生きてるわけではなくて、
その人プラス同居してたりしたら、
同居の家族も含めて人生の状態なんですよね。
この個人を一生懸命何か変えようと思ってもできなくて、
結局世帯単位で何か問題があるわけですよね。
世帯単位での課題、問題があって、
それに対してのアプローチをすることが大事だったりするなって思ったりするんですよね。
家族の方の認識が変われば、
認知症の方の周辺症状って変わってくる可能性が十分あるなって思っているんですよね。
だから一杯一杯になっている家族にどれだけ寄り添って、
その娘さんなら娘さんとお母さんお父さんとの関係性ですね。
そこらへんまで踏み込んで、
同じ共通の何かしら課題を必ず持っていると思っているんです。
その課題が解消できれば、そこの場の空気が変わるんですよね。
家族の認識が変われば、本人に対するマイナス的な感情が変わってくると、
本人も行動が変わるはずなんですよね。
そんなことができる可能性がまだまだあるはずだというふうに信じて、
いろいろやって気づきを発信しているところです。
介護制度の改正と影響
全然まだまだ僕はできる状況じゃないんだけれども、
でも何かできる気がするという確信だけあって、
ちょっと虚しさも半分抱えているんですよね。
何にもできない自分。
この高齢者の方々を、認識を変えたくていろいろ話したとしても、
その人自身が変わる気がないという状況をたくさん目にしているので、
ああもう無理なんかな、みたいな。
もう天国行くまで何もできることってないのかな。
この苦しい状態をただただ寄り添って、ただ横から見とくだけ。
もうそんな状況をずっと10年間繰り返していて。
10年間どころじゃないか。
ケアマネになって10年なんですけど、
介護の仕事を始めて16年くらいになるんですが、
まだできることってあるのかなってなったときに、
無なしさとてもよく分かります。ありがとうございます。
いやでも、介護職ってみんなそうなんじゃないかなって思うんですよね。
この無なしさの中、でも今できることはこれだから一生懸命やっている。
でも人不足でプラスアルファできる余裕がない状況で、
みんな必死で頑張っているんですよね。
ただこれをひたすらずっとやり続けていっても、
これから2027年の介護保健園の改正で、
要介護1と2が本当に切り離されるということが十分あり得るんですよね。
もう散々サービスを使わせるだけ使わせてきた国も、
ここに来て要介護1と2を切って、
どうするのと、事業所もバタバタ潰れていくんだろうな、
利用者さんもどんどん今まで使わせてくれるからサービスとか言ってたのに、
急に使えなくなる。回数減らされる。
どうしてくれるんだ。それで生活がようやく成り立ってたのに、
こんなおかしな改正がこれから起こってくるわけですもんね。
いろんななんちゃら難民が増えてくる。そんなふうに思っているんですよね。
ケアマネージャーも今まで無料だったのがおそらく有料になるだろうと思います。
そうなってくると、介護って一体何なんだ。
サービス提供の現状
しかも今介護を受けている人たち、本当の本当の介護の支援なのか、
はたまた家族がもう一人に本人を家に留守番させておけないから、
デイサービスに行きます。
これも十分介護かもしれないんだけど、
でもそういうのの積み重ねで今財政厳しくなっているわけですよね。
それに代わるサービスが何もないから、それしか選択肢がなくてデイサービスに行かせよう。
ケアマネに最初新規の依頼が来るのはだいたい、
ヘルパーさんで料理作ってほしいとか買い物行ってほしいだったり、
デイサービスに週3回ぐらい行かせてほしい。
もうサービスありきで最初から来るんですよね。
でも本当にこの人の生活で何が必要なのかっていうのを見ていったら、
決してデイサービスが必要とは言えない。
割と自分で自立してるじゃん。
でも家族いない時間帯はちょっと心配だねっていう。
じゃあ必ずしもデイサービスじゃないわけですもんね。
でも家族としては一番安泰屋のは風呂も入れてくれるし、活動もできるし、
デイサービスがいい。
結局家族が言うままにサービスを組むことになってしまう。
組んだ挙句、国から切り離される。
なんじゃこりゃと思ったりしてるんですよね。
じゃあこれから何をするのか。
高齢者支援の新たな視点
本当に必要なものだけが残ってくるっていうふうに思っているんですけど、
本当の本当に必要なものじゃなければ会社も潰れるし、
サービス自体もなくなっていくっていうふうに思えば、
根本は一体何なんだろうなって思ったりはするんですよね。
根本は結局家の中でできることとか外に外出をできる方法だったり、
そういったのがどんどん手段が増えてくれば、
必ずしもデイサービスに行かなくても生活をしていける。
だって自分でできるようにさせるようなものじゃもうないですもんね。
デイサービスに行っている方でも大半は、もちろんデイサービスに行くことで
できるようになることとかどんどん増えることもあると思うんですけど、
でもデイサービスに行ったからといって、
家のお風呂に入れるようになりましたっていう例はほとんどない。
デイサービスに行ったからって、運動機能は維持できてるけれども、
でも生活で電子レンジ使えるようになりましたっていうわけじゃないですもんね。
だからもっと生活に即した、一人でも生活できるように整えるっていう、
そういった支援がもっと必要になってくると思うんですけど、
でもヘルパーさんはどんどん高齢化で、どんどん事業所もなくなっていく。
そんな中でどういうことができるのかなということで、
今日、慈悲サービスの人たちとZoomでいろいろ話をさせてもらったんですよね。
これからもっと介護保険も結局お金が上がるってなってくると、
じゃあ必要な時だけ慈悲サービスっていうものがもっともっと増えてくると、
しかも使いやすい金額帯の慈悲サービスが増えてくるだったり、
そういうのが介護保険とプラスアルファで協力しながら支えていくっていうのも大事になってくるのかなって思ってます。
今日は満月の話をいろいろしてたところだったんですけども、
この月の満ち欠けのエネルギーというのも、やっぱり水を持ち上げる力がある。
このお月さん、海の波も月の引力によって動いてるわけですもんね。
人間の体、あと思考、マインド、そこら辺も影響がないわけではないはずなんですよね。
人間の体も6割は水なんですから。
そう考えると来年だったりこれからの介護だったり、自分の人生も含めて、
こんな風になったらいいよなっていうようなイメージをこの満月の期間にいろいろしていくのっていいことかもしれないなと思うんですよね。
今これがおかしいよね。これでうまくいかないよね。
じゃあこういうふうに、こういう世の中になったらいいんじゃないっていうそんなイメージをしていくいい機会になるのかなって思うんですよね。
なのでみんながお金がない状況だけれども、必ずしもお金ばっかりが資産じゃないですもんね。
何か高齢者自身も自分のできることとか、それをお金や何か価値に変えてその価値を交換できるような、そういうのができる地域づくりみたいな。
そういったののヒントが地域通貨になっているんですけどね。
腐るお金っていうのを扱っている。この糸島にもそういったのを扱っている人たちがいるんですけど、僕もそれに参加していて。
そういうので循環していくようなもので子どもも高齢者も使える。
みんなでスキルやできること、知識、今までの経験をシェアしたり交換したりできるような、そういったことができれば高齢者も何か役に立つ。
自分たちはもうお荷物だって自分で思っている。そうじゃなくて、いやいやまだ暇子の子たちにまだ残したいことがあるんだよ。そんな思いも持っているんだよ。
それを出してもらえる場所があるんだったら嬉しい。そういうふうに思っている方もいるかもしれない。
だから、まだまだその人たちの気持ちだったりとか、人それぞれだろうけども、いろんな方の思いを聞いて、それが価値として交換できる可能性を見つけていったりとか。
あと、僕自身もね、何か自分の持てるスキルだったり経験で役に立てるようなことってないかな。きっとあるはずだな。
そういうのをちょっとね、今日明日明後日くらい、いろいろ思いをふけていこうかなと思っています。そのためにね、だらだら話しちゃってるライブをやっちゃってますが、ちょこちょこ聞いてくださってる方がいてありがとうございます。
地域通貨と価値の交換
ということで、今日はね、この中秋の明月、地球で一番重いもの、水ですよね。この月の引力を活用して自分の思いを形にする、イメージする、そういう日にぜひしてみてもらいたいなと思います。
ということで、今は誰もいないかな。このくらいで終わらせていただこうと思います。では、ありがとうございました。