00:07
ここ数日の間で、お一人、90歳、100歳近い方が亡くなったんですね。
ケアマネージャーとして、ずっと支援をしてきた方なんですけれども、もう本当に浪水、大王女だったんですね。
やっぱり、この方に色々と教えられたことがあるなぁと思って、ちょっと振り返りのつもりでお話をしたいと思います。
実際のエピソードと少しあえて変えます。個人情報なのでですね。
ですけど、おおよそ言いたいことが伝わるように話をしようと思うんですけど、
本当、100歳近い女性の方でですね、一人暮らしだったんです。
一人暮らしで、ずっとね、趣味を色々持ちながらやっていってたんですけれども、
本当はね、お友達がたくさんいるんですが、コロナであんまりね、もうみんな立ち寄らなくなって、完全にちょっと一人で寂しいっていう状態だったんです。
でもね、病気が癌だったんですね。癌だったんですけど、もう進行も緩やかで、ずっと前からね、もう末期って言われてたんですが、
もう長いこと、そう言われてからもう1年以上、何事もなく過ごしていってたんですね。
で、ほんのもう2週間ちょい前までは、もうピンピン動いてたわけです。
今まで通り動いてたんですけど、急にガタッと悪くなってですね。
で、ずっとね、訪問看護の方も入ってたし、ヘルパーさんもどんどん状態に合わせて増やしていってたので、すぐ動くことができたんですけど、
家族にもね、ちょっと動きが悪くなって、体調もグッと悪くなった。
もしかしたら、もう今年の間にどうなるか分かりませんよっていう話をね、先生からしてもらって、
で、家族もね、近くじゃないんです。遠方から来てくれて。
で、家族もね、何か食べさせたいとか、いろいろ気持ちがあって、いろんなものを買ってきたんです。
でもやっぱり、どんどんどんどん進行が早くてですね、
もう口から来た頃には、食べ物はね、口からもう入れることできませんっていう状態だったんです。
03:05
逆にね、そうすると体が無精、園芸とかもできない状態で危ないと。
で、先生がですね、すごく家族に対していろいろ提案したり、話したりね、意見を伺ったりしてくれる、とってもいい先生だったので、
どうしますかと。今からね、点滴をしたとしても、何をしたとしても、ちょっとね、寿命が長くなるだけかもしれないけど、
それだけならいいけど、水分が、体はね、もう天国に行く準備をしようとしてるんだとしたら、水分を体から出してね、
徐々に徐々に干からびていくように、体を整えていく、準備をしてるところに、
下手に水、水分とかね、高カロリーなエネルギーを点滴とかで入れてしまうと、これは体に逆に負担かけてしまうんだよということで、
どうしますかと。でも家族がね、何かしたいと。ちょっとでもね、頑張っている姿を見たいというか、頑張ってほしいと。
一日でも長く思うんだったら、これはこれでね、家族の気持ちなので、そういう対応しますよと、いろいろ話してくれたんです。
そうすると、家族は、いや、もうね、自然に任せてくださいということで、そっちの方向を選びました。
そうすると、もうね、もう丸2週間、何にも食べない。そして点滴で水分も入れないから、何にも飲まない。
とてつもない断食。すごいですよね。もう1週間持つかなとかね、いろいろ言ってたんです。
すごいね、まだ、最初はガクッと落ちたんだけど、ずっと横ばいで来てたんですね。すごいね、すごいね。
1回ガクンと落ちた後に、家族が来て、すっごい喋ったんです。もう最後の力を振り絞らんという限り。
夜中中、家族とお話をして、もう寝たきりの状態ですよ。寝たきりの状態でいろいろお話をして。
とても良かったです。話せたんですって言って、家族もね。その後またガクンと、次はもう話せない。ちょっとね、うんとか、うんとか、そんな状態で1週間過ぎて。
06:09
そろそろどうかなって言いながらですね、家族も長くなって、お正月またがったらどうしよう、帰らないといけない状況なんだけどなとかね、いろいろ家族の都合もあったりしたんですけど。
でもね、その前の段階で、本人もね、徐々に徐々に状態は落ちてはいってたけれど横ばいで、急にね、ストンと脈があんまりね、もうあんまり脈も振れなくなってきたね、血圧ももう測れなくなったねって言ってね。
看護さんも判断して、じゃあもうそろそろかなということで、その日もうやっぱりスッと天国行きましたね。呼吸がピタッと止まって、全然やっぱ苦しむことなく、自然な、いくらもともとの病気は癌だったと言っても、自然な亡くなり方だったね。
なんかね、病気だから苦しむっていう、そういうふうに思ってたんですよ。
でも、必ずしもやっぱりそうじゃないんだなって思いましたね。
最後の締めくくり方って、やっぱりとっても大事だな、こういう穏やかな、家族も2週間、ちゃんと話す機会も作れたし、たくさん心配したりね、たくさん触れたりすることができた。
そして、しっかり見届けることができた。
いやー、なんて素晴らしい最後だったんだろうなーって思いましたね。
なんか、どんなに病気があったとしても、まあ、癌だからこそっていうのもあるかもしれないです。
ある先生によってはね、僕が亡くなるなら、癌がいいなって言ってる、そんな捉え方によっては、けしからんっていう言い方かもしれないんですけど、
先生が言うからね、やっぱりある程度の予明がわかるっていうこと、その間に準備ができる。
で、その亡くなり方も自然な形でできるんだったら、もう上手にね、薬も上手に適度に使いながら、自然な形で亡くなることが癌だったらできるって言ってる先生もいるわけですよ。
09:08
そんな本があるわけですよね。
肺とか、そういった病気だったら、もう呼吸だから苦しいかもしれないんですけどね、そういう意味では、
その癌でじわじわっていう場合だったら、いいかもしれない。
でも、これは100歳近くの方だったからこそ、またそういった進行の具合でよかったんでしょうね。
若い時の癌だったら、またもう苦しんだりね、痛いとか、そういったのが多いだろうから、一概にはとてもとても言えないです。
今回のこの方に関しては、家族も本人も、本当に自然な形で送り届けることができたんだな、そういう姿を見て、
こういう形でみんなが上手に最後をしまうっていう、そういった形ができれば一番いいなって思いましたね。
逆に、そういう方をあんまり見ないんですよ。見ないからこそ、もう顔も見れずに、
今だったらコロナとかの感染対策があるから、病院で報告だけを待ってるみたいなね、
最後もう本当ギリギリのところでしか呼んでくれないとかね。
じゃなくて、心の準備をずっと整えて、目の前で触れて、声をかけて、その反応があって、
そういった形で最後息を引き取るところまでずっと見守ることができていたっていう、
これは本当に残された家族にとっても大事な経験なんだろうな、生きている人が残せる、最後に教えられることなんだろうなって思いましたね。
ということで、最近の出来事だったんですけれども、ご自宅で大幼女、本当に最高の見取りができたなっていうお話でした。
それではご視聴ありがとうございます。