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2024-05-16 11:14

【介護288】「終末期(看取り期)」がステキな時間であるということ

#看取り #介護 #ケアマネ
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どうも、ボブです。今日は介護の話をさせていただきたいんですけど、
ターミナルケア、終末期ですね、もう帰得状態で、もういつどうなるかわかりません。
そういう状況の支援をしたことがあるんですけど、その時に、ちょっと先生のね、訪問診療の先生が関わってくださっていたんですけども、
その先生がね、言われていた言葉がちょっと印象深かったので、シェアをさせていただきたいなと思います。
先生がですね、常に利用者さん、もうあとどのくらいかなっていう状況の方に声をかけていてですね、
絶対にね、元気になる。あなたは元気になるよって言ってるんです。
今ちょっとだけ病状が傾いてるけれども、でもあなたはね、きっと元気になるよってずっと言うんです。
本人は多分ね、もうわかってたりするかもしれません。
ちょっともうそろそろね、自分ももうあの世に行くかもしれないな、思ってるかもしれない、そんな感じの方なんですよね。
だけど、先生はね、常に元気にね、本人を励ます。
何というか、無理にね、こう、何というか、大丈夫だよって言ってる感じではないんですよ。
ただただ言葉で元気にさせるような、そんな感じの伝え方をされてるんですよね。
これはちょっと真似しないとな、真似したいなって思いました。
あと、常に家族本人に、もうね、ここでの、お家での生活を一番大事。
お家で、その利用者さんと家族の移行、希望が一番大切なんだよ。
そこに私たちはお邪魔させていただいているだけだから、何でも言ってください。
今日話し合いをしているけれども、ここで決まったこともどれだけでも変更していいからね。
だから、困ったこととか不安なことあったら何でも言うんだよって先生が言うんですね。
僕もですね、担当者会議の司会者として、ケアマネージャーとしては、同じことをですね、直前に言ったんですよ。
言ったつもりなんですよ。
でも、重みが全然違うんです。
届き方が全然違ったんです。
僕が話しても平べったくてですね、そうですね、みたいな感じでみんな捉えたんですけど、
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先生がちゃんと利用者さんの目を見て、家族の目を見て、ゆっくり大きな声で優しく伝えてですね。
で、主人公は利用者さんですよ、家族ですよ。
何かあったら僕たち助けるよ、何でも言ってね。
あの時の安心感、全然違いますね。
すごいなぁ。
あと、自然な形でね、もう無理な医療はするつもりはないんだよ。
最低限のことはさせていただくけど、なるべく自然な形で、自宅で今までいた環境で最後見送れるように、もしくは元気になれるように見守っていこうと思うから、
急にね、ご家族で慌ててしまって救急車呼ぶんじゃなくて、その前にここの番号に電話して僕たちに連絡してね。
そういうふうに先生伝えてくれたんですね。
これもまた僕も直前に同じようなことを言ったんですけども、全然やっぱ違いますね。
やっぱり訪問診療の先生、すごいなぁと思いました。
先生はやっぱりもう数多くの命を預かって責任を持ってやってきた重みって言葉に出るし、顔に出るし、表情にね、顔と表情一緒や。
でもね、目の力、目の力、安心感、優しい目、違いましたね。
やっぱり誰が言うかっていうのもとっても大事ですね。
こういう先生と同じぐらいの安心感と説得力で、僕もね、もうちょっと感力をつけて、もうちょっと経験と、あとね、年だけじゃないんだろうなぁと思います。
その思いですね、そういうのを深めていって、あんなふうにあの先生みたいに届けられるようになりたいなぁってすごく思いましたね。
なんかこう、とっても自分のなりたい理想像が目の前に先生として現れてくれたような、そんな気がしますね。
週末期ってなってくるとチームケアになってくるんですけど、なんかこう、連携連携って言ってね、なんかこう言いますけど、大事なのは本当になんかコミュニケーション。
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それぞれ支援者皆さんをなんかただただリスペクトして、ありがとう、助かった、ちゃんとこの方の状況をお伝えするねって言って、
みんなに連絡を取り合いながらですね、みんなを励ましながら、みんなを思いやりながら、そういう気持ちを持って話していく、伝えていく。
これだけで十分チームケアになるんじゃないかな。
そうしてくるとみんなが協力する気持ち、みんなの力を合わせるような、そんなマスターマインドっていうのかな、そういったのを作れるんじゃないかなって思うんですよね。
この利用者さんのために自分たち一生懸命やろうね、そういう優しい思いをみんなで共有していくような、つないでいくような、そんな形が作れていけたらとってもいいなって思いましたね。
本人に対してもご家族に対しても、大丈夫ですか?無理してないですか?
そして小さな発見を喜ぶ、小さな良いことをね、さっき昔の旅行の話をして本人が笑ってくれたんですとか、
今日はご飯をいつもより多く食べたんですとか、お腹空いたって言ったんですとか、
小さな小さな発見をみんなで喜ぶっていうことをできるのが、この週末期のケアだと思うんですよね。
なので、それをみんなで喜びながら、やったーすごいね、頑張って言いながら支援していく、とってもね、素敵な時間なんだと思います。
これを経験させてくれているこの利用者さんに、僕らも感謝しながら大切に大切に今を支援していけたらなーって思っています。
最近ですね、僕の親族でも、おばあちゃんなんですけどね、亡くなりました。
その時も一生懸命ね、家族みんな協力したり、最後集まってね、みんなでおばあちゃんの昔の話とかね、
おばあちゃんの良かったすごいところっていうのをみんなで語り合うような素敵な時間を過ごすことができました。
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なので、死ぬ、亡くなるっていうことが必ずしも、全部が全部ただ悲しいだけ、もちろん悲しいけれども、ただ悲しいだけの出来事じゃないんですよね。
人生の最後にとっても素敵なものを教えてくれる、気づかせてくれる、そういう時間を過ごす最後のね、ターミナルの終末期に過ごさせてくれる。
そして亡くなった後も、そういう思い出でとっても人生そのものを改めて振り返って教えられることがたくさんある。それが死だと思うんですよね。
なので、ただただ死は怖いもの、避けないといけないものってついつい考えがちかもしれないけれども、必ずしもそうじゃないんだ、そういうふうに思っていいんじゃないかなっていろんな方を見て最近思います。
前回も苦しいこととか悲しいこととかそういったものを悪いことを避けないといけないことっていうふうに捉える必要はないんだ、これとまた似たような部分になってくるのかなと思うんです。
この世に生まれてきたことそのもののね、そのものがプレゼント、全部がプレゼントなわけですから、それをどう味わっていくかですね、最後の最後もどう味わっていくかっていうことを最後どんな死を迎えるかで僕たちは学べることがたくさんあるんじゃないかなと。
なんかあんままとまらないですけど、なんかね今日感じたことをお伝えしました。ではご視聴ありがとうございます。
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