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こんにちは、はるままです。4歳の男性の男の子と、小学校1年生の女の子を育てています。
今日は、2021年11月10日、水曜日に撮ってます。
今日は、はるくん、雨なんですけど、行くのかな?
森に遠足に行くので、ちょっと一回り早めに出てきたんですけれども、
例によってまた、若干眠くなってきたので、しゃべりながら出ようかなと思って、録音ボタンをポチッとしました。
何の話をしようかなって思ったんですけれども、
この間、大変で、いろんな方とつながるようになって、
私の中の緩和ケアの意識量が変わったっていうか、
イメージが変わったっていうか、
ガンとかそういう肺病の週末期のイメージが変わったなと、その話をしたいなって思います。
私のお父さんも、仕方のおじいちゃんも、胃がんで亡くなっているんですよね。
お父さんは、がんが見つかってから1年くらいで亡くなって、
おじいちゃんは体調を崩して、年末に入院して、
1週間くらいで亡くなったんじゃないのかな。
最初、おじさんたちから、おじいちゃんががんだっていうのが隠されてたんですよね。
おじいちゃん体調崩して入院したけど、何で入院したかっていうのが隠されてて、
最初、おじさんたちから聞いてたのは、
胃肺炎だって言われてたんですよね。
胃肺炎って言われて、そうなのか、じゃあすぐ退院できるのかなと思って拾ってたんですけど、
おじいちゃんの点滴を見たらモルヒネって書いてるし、なんだこれは。
胃肺炎でモルヒネって書いてあるのかと思って、
後々、おじさんに聞いてみたらガンだったみたいな感じで、
3週間くらいで亡くなったっていうのと、
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頻繁に病院にお見舞いに行ってたので、亡くなる直前まで一緒に入れたっていうか、
見とることができたんですよね。
お父さんの死の経験とおじいちゃんの死の経験から、
死に対する恐怖心がすごいあったんですよね。
私が亡くなるときはおじいちゃんとお父さんみたいに病院の固いベッドの上で亡くなるのかとか、
自分の意思はないって相手には見えてる中、もしかしたら自分の意思はあるのかもしれない。
自分の意思と反した医療行為をもしかしたらやられてしまってるかもしれない。恐怖心とか。
おじいちゃんなんかは自分でね、立って歩いてトイレまで行って排泄したかったんですけれども、
参法師さんに転倒すると危ないから立たないでって言われて、おトイレ我慢してたとか、
そういう姿を見てたので、死に対する恐怖心がすごいあったんですよね。
お父さんのときなんかは、いよいよ脳に変異し始めたときに、
病院側から化学ケア的なことを勧められたものだったかな。
なんですけど、私も若かったし、お母さんのところもやってたし、
冷静な判断ができなかったっていうのと、
そのまま亡くなるし、思いたくなかったし思えなかったんだったね。
お父さんまだ60代生まれで59くらいだったので、
持ち回ってくれるんじゃないかなっていう期待と希望があったんですよね。
化学ケアってなった後、いよいよお父さんが亡くなる仕事を受け入れなきゃいけない、
事業を諦めるんじゃないかみたいな思いが私の中であって、
お父さんは家に帰りたかったんですけれども、
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家に連れて帰って、病態が急変したときに、確実な措置が私たちにできるかっていう不安もあったし、
私たちはお父さんに長く生きてほしかったし、回復してほしかったから、
大学でのケアに切り替えて、病態が急変して、本当は助けられたかもしれないのに、
私たちのせいで助けられなかったら、
それこそ、めっちゃ沈もうってしまうんじゃないかみたいな不安もすごくあって、
お父さんは病院に帰りたがってたけど、
家に帰りたがってたんですけれども、
そういう選択肢もあったけど、病院でケアしてもらうってことを選んでますよね。
でも何か、さつこさんの配信で聞く、
週末のケアがんの方の週末の話とか、
赤井先生のところで聞く、看護ケアの話とか、
先日森本先生の方の看護ケアの話をされていて、
本人が本人らしく生きれて、
自分を保ったまま亡くなっていけるみたいな印象を受けて、
ちょっとこの死に対する恐怖心が薄れたんですよね。
こういう環境であれば、今怖くないかなってちょっと思えるようになってきました。
だから、そういうスタイフル、
前はスタイフル戦ですかも、
トロッと弾いてまた効かなくなってボイシーに戻ったりとかしてましたけど、
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今年に入って森本先生の配信を聞くようになって、
そこからいろんなご縁でいろんな方の配信を聞くようになって、
すごい景色量も増えたし、良かったなと思って。
病院で亡くなることにすごく恐怖心みたいなのがあったんですけれども、
そういう在宅での見取りになったことを知ることができたので、
もし今後自分の身の回り、もしくは自分がそういうことになったとしたら、
私は在宅での見取りを希望するんじゃないかなっていう風に意識が変わりましたね。
あともうちょっとで幼稚園じゃない、保育園に着くので、
この辺で終わりにしたいなって思います。
最後までお聞き下さいましてありがとうございました。
それではまた。
でもあれですね、もしかしたら森本先生とか中江先生とか達子さんが特別なんだって、
もしかしたら県元の秋田の顔毛屋の状況は、
先生たちみたいな状況ではないかもしれないので、
ちょっとずつ情報収集しないといけないなって思いましたね。
同じようにやってもらえると言って、お願いして蓋を開けてみたら、
全然違ったってかっこいいというのも嫌なので、
まだまだ時間がたっぷりあるので、情報収集に上げみたいなって思います。
それではまた。