正しさの呪縛
どうもボブです。今日はですね、「正しさ」という呪縛から逃れるには、というお話をしたいなと思うんですけども、
健康に気をつけている方って結構、重曹・クエン酸水って本当にいいの?とか、糖質制限って本当に良いの悪いの?っていうね、
こういう二言論で、どっちが良い?どっちが良い?どっちが正しい?どっちが間違い?みたいな話になりがちだと思うんです。
今の時代、YouTubeとか、本とか、Kindleとか、あとチャットGPとか、いろいろあるわけで、自分でじゃあその
科学的にどっち良い?みたいなのを参考までに調べて、じゃあ自分はこう決めようってすることは良いことだと思うんですけど、
ただそうじゃない方で、もうどっちが正しいので、情報に振り回されてしまって、混乱して疲れ果ててしまって、もういいやってなるような方
おられると思うんですよね。どちらもわかるんです。 ただその後者の方、調べてみたけど、もうわかんない。もうどっちが正しいの?僕もその状態になってはいたんです。
この人の言ってたこと、このYouTuberのこと、信じてたのに嘘だったじゃんとか、 これが良いって言うからやってたのにダメだったとか
それでいろんな感情が出たりとかするんだけども、 よくよくこの正しさとかどっちが正しいのって言って、外に何か答えを求めようとすればするほど、
こういうドツボに陥るっていうような気がするんですよね。 どれが正しいの?で外に何か答えを委ねる、求める方っていうのは
何か今まで自分が聞いたことのあることだったり、 一般的に言われていることの範囲内で、
範囲内の答えが返ってきたときはそれを信じるんだけれども、それ以外のその外側の考えに触れたときは全然受け入れられないっていう
そういうことがあったりするしがちだと思うんですよね。 正しい間違いの判断基準でいつも考えてしまう方っていうのは無意識に
何か自分の中でこうある程度の枠を決めてしまって、そこでジャッジをしてしまう。 善悪の判断をするっていう、そうじゃないとね判断できないですもんね。
ある程度の自分の物差しがないと 判断ジャッジというものはできないので、なので何でもいいよ
どっちでもいいよって言われると困るんですよ。 いやもうこれは直感で決めた方がいいよって言っても困るんですよね
かといって、どちらでもいいんだからこっちでってこっちに決めたらって言われても 何か明確な答えがないと
そっちって思ってくれない そんな状況だと思うんですよね
でもなんでこのどっちか決めて欲しいとかそういうふうに思ってしまうのかって言ったら そういうふうに自分が生きてきたからだと思うんですよね
そういう部分ってあるんじゃないかなと思うんです で
今まで 誰かにジャッジをされてきたとか誰かに
イエスかノーかみたいなその二択で考えるように迫られてきたとか そういうのの積み重ね
いろんな人にジャッジされて判断されて自分が来たから自分がもうそういうマインドになって 相手にもそれを求めてしまうそして自分ではもう決めない
自分を見失う過程
相手からジャッジされてきたからこそ自分で自分のことを決めるっていうのがもう 無意識にできなくなってしまっている
そういう部分って自分ではね決めてるつもりなんですよ 決めてるつもりで自分で考えるんだけど
でもその答えって 誰かにとっていいこととか誰かのためにっていうことだったり
そういうね価値基準 自分のためとか自分で本当にこれだって思うことというよりも誰かが誰かが喜ぶこと
それをずっとやってきた結果もう どれが自分の決断で
相手に委ねていることなのかとかもう区別がつかなくなってしまっている そして無意識に何かイエスかノーか白か黒かじゃないと気持ち悪いっていう状態になって
しまう そしてそういう答えは自分では決められなくて周りに決めてほしいっていう風になって
しまう そんなことってあるんじゃないかなと思ったりするんです
でもずっとこれやってると ジャッジされることとジャッジすることとに
常に振り回されてで結局自分軸から離れて他人軸で生きてしまっているっていう状態 これが一番の根源だと思うんですよね
なので正しいか間違いかなんてことから離れる もうそこのそこでこねこねこねこね考えることからもう離脱するっていう世界に自分で
シフトするっていうことが大事だと思うんですよね こういう方は科学的根拠とかの方が好きかもしれないんだけども
どっちかっちゃ自分の体の感覚に委ねるっていう そういうことからスタートするといいのかもしれないなって思うんですよね
同じ 重曹クエンさんだったとしてもどのメーカーがいいのかなぁとかですね
比べるときもまあ裏面のねラベルは見たとしても でも最終的にどっちかわからん
でもなんとなくじゃあこっちっていうのをえいって選ぶ そんな風に
なかなかわかんないんですけどねわかんないけど何か商品を選ぶときに あれかなこれかなーってぐるぐるぐるぐる迷ってしまうっていうよりも
えいって自分でなんとなくで選んで選んでみる それをあえて訓練として繰り返していくことって大事かもしれないなって思います
それをやっていくことで自分が選んだものが最善なんだっていう世界線にね 行くことがいいのかもしれないなって思います
自分が今無意識に選んでいるものでさえ もし体に悪いものを選んでいたとしてもこれがあなたの今の価値観にとって
あえて体を悪くすることがあなたのためになるんだよ なんていう潜在意識からのメッセージってあったりすると思うんです
僕もそのお腹の感覚を感じ取ってそこから選んでいくっていうことを 調走診断でねやっているんですけれども
明らかにお腹の反応が何か訴えている反応が出たとしても 本人全く気づかないっていうことがあるんですよ
こういう時って潜在意識は本人に気づかせないようにしている っていうふうにね説明されるんです本人に今ここの感情は今癒すべきじゃないよ
この人にとってその感情は大事なんだからそういう場合があるんです なので何でもかんでも反応が出たところを癒せばいいっていうものではなくてですね
その人にとって何かちょっと不都合な出来事だとしてもこれはこの人に大事な 大事だから怒っているんだよっていうお腹からのメッセージもあるんですよね
なので 今選んだものがすべて良いものでも悪いものでも
自分にとって今最善のものなんだっていうことを あえてね信じるっていうことは大事かもしれないです
逆に言うと自分のことを今まで信じてこなかった人なのかもしれないんです
自分の信じることよりも相手の信じること 周りの大人を信じることを優先してやってきた人なのかもしれないって思うんですよね
だから 周りの大人のジャッジを聞いてそれのイエスノーで自分の行動を決めてきた
でもそれはもう子供の時の話だったかもしれない それがずっと積み重なって今に至ってるのかもしれない
でもあくまでその時はその 子供だったわけです今はもう大人なわけですよね
大人で自分で考えることができるちゃんと判断ができる だからもうそこから抜け出しませんか
もうそこからそこにいる必要はない 自分で自分の信じることを決めていくことができる
ジャッジなんかに委ねる必要がないんです 自分の体自分の
頭じゃなくて直感の方がこうだって思ったことを改めて 信じてみませんかって思うんです
そのために一つ調走診断というのは面白いツールにはなるんだけれども それより何より何か選ぶとき何か考えて判断するとき
なんとなくもうこっちっていうものもうどっちになったって大丈夫なんです どっちを選んだとしてももう致命傷にはならない
自己決定の重要性
だから 自分の感じたままを選ぶっていうことを意識的に日々やってみませんか
それを積み重ねることで自分の本当の自分が 言うこと聞いてくれた
やっとこの体の主は自分の本当の自分の声を聞いてくれたんだっていうふうに 認識してくれるようになるんです
今まではもう一人の自分とズレが生じていたのかもしれない そのズレが合わさってくるともっと迷わずにもっとシンプルに
物事が考えられるようになるのかもしれないなって思うんですよね どっちかなあっちかな
いやでも今の自分はこっちがワクワクするな こっちの方が何か好きだなそれを選べばいいだけのシンプルになってくるんですよね
で間違えてもいいじゃんなんです もし
思ったようなものじゃなかったとしてもそれがあるから次選ぶものが本当に信じる ことができるようになるんですよね
本当に確信を持つことができる 正しい方を選びたいっていう裏側には
間違っちゃいけない間違いたくないっていう感情が隠れていると思うんですよね なんでそんなに間違っちゃいけないって思うのか
今まで間違っちゃいけない失敗したことで嫌な心の傷があるんですよね でもそこから脱するもうそれは過去の話であって
今とはまた別なはずなんです だから
今を生きるっていうことを もう全力でやった時にそういう過去の記憶っていうものはもう関係なくなるはず
なんです本当は 腸内細菌の善玉菌悪玉菌みたいに悪玉菌なんてかわいそうなもんで勝手に
悪玉菌の役割だってちゃんとあるはずなのになんか善と悪で分けてしまっているような こんな状況ってありますよね
そこからもうね脱しませんかということです 何が悪とか善とかじゃないんです誰かにとっては悪で誰かにとってはそれは善かも
しれない だからいちいちもうどっちかにジャッジして決めて切り離すんじゃないんです
どっちもいいよ人によってはいろいろ状況によっては違うけれども でも
だから 今自分がどんな状況かによって違うんだったら
自分が今決めるしかないんです本当は だから
このジャッジからもう解放されよう 自分で決める自分の体と直感で決めるっていうそんな生き方を改めて提唱したいなぁと思っているところです
ではではご視聴ありがとうございます