00:15
こんにちは、翔平です。
こんにちは、ゆかです。
ローテナントの読書会第4回、始めていきます。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
この番組では、毎回一冊の本を取り上げ、2人で感想などを話していくのですが、
考えさせられましただけで終わらず、
何をどう考えたのかをしっかり言語化していくことを目標にお届けします。
よろしくお願いします。
2人でお互いに3つずつ話したいことを用意してきています。
今回の課題図書は、
近藤幸太郎著、『アロハで猟師、はじめました』です。
もともと僕を知らなくて、ゆかちゃんが紹介してくれたんだよね。
そうだね。結構1年くらい前に紹介したかなって思って。
そんな前に?
そうなの?
結構前だった気がする。
ごめん、それは覚えてないです。
嘘なの?覚えてないの?
この読書会で、次これやろうよって言われて、それねって感じで僕は引き取ったから。
そうなんだね。
この本を知ったのが、結構去年か一昨年かくらいに知ってて、
1回読んだことあったんだよね。
面白かったから、電話で話したときに、
こういう本読んでさ、みたいな、ちょっと軽く話したことはあったのか。
ごめん、じゃあ覚えてなかっただけか。
僕らは今回これを読んできたんだけど、
読んでない人向けにあらすじをまず紹介します。
お願いします。
朝日新聞の記者である記者さんが、ある時から畑を持って米作りを始めて、
さらに畑をあらす害獣を駆除するという目的で狩猟免許を取得して、
さらにそこからカモとかシカとかイヌシシを飼って生育していくということまでできるようになっていて、
そういった過程を通して、社会の仕組みとか人間の生き方について気づいて考えを巡らせていくっていうエッセイだね、これは。
そうだね。
だからもし今の聞いて、読んだことない人は、読んでみてからこの先を引きたいなって思ってくれたら、
ここで止めてもらっても構いません。
ネタバレありで進むからね。
そう、この後はね。
というかさ、有名な本じゃないじゃん。
前回の歌詞日本語1と比べてもさ。
そうだね。
その前の朝日料とかも絶対売れてる本とかと比べると、有名な本ではないと思うんだけど、
ただこの近藤幸太郎さんという人は朝日新聞のコラムとかでそこそこ有名らしいね。
僕は知らなかったんだけど。
03:00
あ、そうなの?
これ以外の本を何冊か出してて、
僕、別の友達からこの近藤幸太郎さんの別の本を紹介されたことがあって。
どれ紹介されたの?
三条でうつ。
知ってんの?
いや、知らないけど、コピーライターの本かなって思った。
そうだね、記者さんだからそういう感じはあるよね。
他に読んだことあんの?
ないです、これだけ。
この本だけ。
ないのに他にはあって聞いてきたのね。
でも本の中にさ、ちょっと自分の作品引用したりとかしてるじゃない?
だからそれとかだったのかなって思って。
そしたら全然違うやつが出てきて。
じゃないね。
じゃなかったってなりました。
じゃあここからお互い3つずつここを考えてみたっていうのを話していこうと思うんだけど。
じゃあゆかちゃんからお願いします。
私からで。
1個目。
スーパーに並んでいるお肉って綺麗だよねっていう話で。
ここで言う綺麗にはカッコつきの綺麗なんだけど。
この近藤さんが漁師を始めて仕留めた獲物を自分でその場で羽を剥いで、血抜きをして内臓を取り出してみたいな。
そういう風に綺麗に肉の塊に仕上げていくっていうことも書かれてたじゃない?
その描写が結構生々しいなって思っててやっぱりグロテスクだし。
仕留め損なった時の獲物の足掻き用とかも結構リアルでちょっと読んでてきつくなるぐらいの感じ。
そうだね。苦しむんだよね。
苦しむし、最後の力を振り絞って逃げようとするし、足も曲がっちゃってでも暴れるみたいな。
そんな感じ。
だけどそういう過程を経て最終的にお肉として綺麗に仕上げて、お裾分けしたりとかそういう風にしているっていうことも書かれてたかと思うんだけど。
お肉ってでもそうだよなって思ったんだよね。
スーパーに並んでるお肉はやっぱり綺麗に加工されてて、パックされてて、で、私たちが見るのって値段とか原産地どこかなとか。
そういう綺麗になったお肉としか触れ合えないわけですよ、私たちは。
はい、そうだね。
でもその裏側では量で捉えたお肉っていうのは市場に回ってこない。
だから要は工場で生産されたお肉が市場に回っているわけであって、で、工場でもやっぱり動物たちが塗札されていて。
06:10
で、その塗札の方法とかも結構、なんだろう、マスエなしで塗札したりとか。
これもその結構グロテスクなんだよね。
そうなんだ。
そう。ヨーロッパとかアメリカとかもかな。
アニマルウェルヘアって言って、動物愛護の観点から工場で生産される肉を作る過程でその動物を塗札するときにちょっと動物にあまり苦しまないようにっていう方法が取られてたりするんだよね。
アニマルウェルヘアが尊重されてるんだけど、日本はどちらかというとそういった法律とかの整備っていうの遅れていて、で、本当にコスパ重視だからマス一台も節約して。
はいはいはい。コスパ重視っていうのは的確だね。
そう。アニマルウェルヘアよりもコスパっていうところ。
っていうのを何かの本で読んだことがあって、そういう本を読んだらさ、やっぱりスーパーに並んでるお肉って綺麗であるっていうことにさ、違和感を覚えるようになったわけよ。
はいはい。
ってなったときに、何が言いたいのかって言ったら難しいんだけど、そういう風に綺麗に加工されてるお肉がここにたどり着く背景にはこういうことがあるっていうのを自覚しておいた方がいいんじゃないかっていう風に思うようになったのね。
うんそうだね。
当たり前じゃないじゃん。
そうそうそう。スーパーに鶏肉と豚肉と牛肉と並んでるけど、この本で書いてある鶏の肉をさばいたりとか、血抜きをしたりとか鮮度を保って食べれる状態に持っていくっていうまでの過程がすごく大変さがわかるじゃん。
うんわかる。
そういうのを読んでいると、スーパーの肉のラベルを見たときに、100gが100円とか200円とかそんなもんなのって思ったりするんだよね。
あー安すぎないっていうことだよね。
そうそうそうそう。
それは安いことは生活する側の身としてはありがたいんだけど、
そうだね。
でも100円200円とかってこんなに並んでるけど、どうなってんのって思ったりはする。
そう、安いよなって思ったりとかする。
ってなった時に、またちょっと話ずれるんだけど、あのね、バンドマサコさんっていう作家さん知ってる?
知らない。
その作家さんがもう亡くなってるんだけど、この人も新聞でコラムを書いてて、そのコラムが大炎上したことがあって、
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私は子猫を殺しているっていうコラムを書いて、それで大炎上したのよ。
で、まあその過激なタイトルなんだけど、要は何をしたかって言ったら、
飼っている、猫を飼っていて、で、その猫を否認手術をしていなかったのね。
というのも猫から生殖行為の楽しみを奪いたくないっていう感じで、
でもそしたら子猫が生まれてしまうと。
でも放っておいたらその子猫、またネズミ式にどんどん増えていくから。
ややこしいな。
子猫がネズミ式に増えていくっていう。
動物を動物で例えるみたいなね。
でもまあそれで、子猫を崖から落としてるっていう風に書いたのかな。
で、えーってなるじゃん。で、うわーって炎上して大バッシングっていう風になったんだけど、
それに対して、そのバンド雅子さんが亡くなった時に、作家の東野圭佳さんが追悼文を書いていて、
実は子猫を殺していなかったってことが判明したのね。
どういうこと?
で、どういうことって思うじゃない。
要は子猫を殺してるっていうのは表現の一つであって、
実際はその子猫を捨ててはいたらしいのよ。
世話しっきりないから捨ててはいたんだけど、
もうなんでそういう風にやるかって言ったら、
もともとバンド雅子さんが考えてることに、
人間が動物のお肉を食べるなら、その動物は自分の手で殺すべきだと思っていて、
生きていくために大切な命をもらってるということを自覚するためにそうするべきだっていう風に考えて、
それで最近になって鶏を自分で占められるようになったから鶏肉は食べるけど、
牛や豚はさすがに無理なので食べないようにしてたりっていうような考えを持って生活してたらしいのね。
そんな思いの延長線上からさっきのこの子猫殺しのエッセイが生まれたらしいのよ。
だから責任を持って始末しましょうっていうことが言いたかったんだと思うんだけど、
私が言いたいのはバンドさんが言うように、
人間が動物のお肉を食べるならその動物は自分の手で殺すべきだと思うっていう考え方が、
まさに近藤さんもそういうようなことを本の中で書いていて、
それがやっぱり一つ筋が通っているのかなって思ったんだよね。
屠殺の現場を知らないでお肉を安さだけで選んで買うっていうよりかは、
12:05
裏側の方を自覚しているっていうことが、
せめてもの償いじゃないけど、そういうことを知っているっていう方がやっぱり大切なんじゃないかなって思ったっていう話なんだけど。
でも自分でそういうドキュメンタリーとか屠殺の現場とかって自分から調べないと目に入ってくる機会とかないから、
だからこの本はそのきっかけになるんじゃないかなって思ったんだよねっていうのが1個目でした。
ちょっとごめんわかんないのはさ、バンドさんとまさこさんはなんでこの猫を捨ててたの?
つまりさ、動物の肉を食べるなら自分たちで殺すべきだって思うバンドさんが、
子猫を捨てたりしてそれを殺しているって表現したその理由が僕はあまり理解できないんだけど。
そうだよね、ごめんごめん。
なんかね、子猫が生まれてそれをほったらかしにしていたら猫だらけになってしまって、
それはちょっと地域に迷惑をかけることになると、このままにしていたら。
で、それを避けたい。
で、悩んだ末に生まれた子猫を始末するっていう道を選んだんだよね。
じゃあ殺したの?
ポイって捨てたらしい。
だから殺してはいないんだけど、子猫がこの親猫がいない状態で捨てられたら殺すも同然だと。
この子猫は自分では一人では生きていけないから。
で、殺したも同然なんだけど、この殺したも同然だっていう風に書いたら、
エセで書いたら自分の意図が伝わらないって思って、私は子猫を殺しているっていう風な書き方をしたらしい。
でもそれを食べてるわけじゃないよね。
食べてるわけではない。
だから動物の肉を食べるなら自分で殺しなさいっていう話とどこで繋がるの?
繋がりって言ったら難しいんだけど、
もともと考えとして自分の手でどうにかなる範囲でしか、
鳥を占められるようになったら鶏肉を食べたりとかいう風にしてたんだけど、
この人?
そうそうこの人は。
なんでだろうね。
15:01
だからその人の生活が鳥を自分で捌いて食べてたってことなんだ。
いや、そこまでは書かれてなかったんだけど、
ごめん分かってない僕。
ごめん私の説明できてない。
猫の話と動物の肉の話が繋がらないの?
確かに繋がらないよね。
私はなんとなく感覚で納得しちゃってるんだよね。
自分の手で殺せるようになった動物のお肉は食べるようにしているっていう、
この考え方の延長線上に子猫殺しというのがあって、
その間が何段階かあると思うんだよね。
そうね確かに急にはならないよね。
子猫殺しにはならないように。
なるほど分かった。
でも自分の一貫共通点があるから、
自分の思い出があるから、
自分の思い出があるから、
自分の思い出があるから自分の思い出があるから、
なるほど分かった。
でも自分の一貫共通点としては、
自分の責任の及ぶ範囲で動物に関わっていきたいっていう、
そういうことなのかなっていう。
ごめん、ふわっとしかまとめられないんだけど。
ちょっと調べておきます。
ごめんちょっと飛躍しちゃった。
じゃあ僕の1個目。
死が消えたっていうことについて話したんだけど、
人はそうやって動物を自分で殺めたりするっていうことがないじゃん、
僕らの生活にはほぼ。
この本の中にも、
死が身の回りから消えたっていう話が書いてあって、
ちょっと前の時代までは人は家で死んでたし家で生まれてた。
だけど今は病院で生まれて病院で死ぬことが多いから、
生と死があんまり身近じゃなくなっちゃってるんだよね。
っていうのを前にこの読書会じゃなくてローテナントラジオの方で
来たメール、コメント、メッセージで、
昔の人は生と死の苦労さも普通のものとして体感してきたけど、
今は全部病院でやってくれてるから見えなくなってて、
たまにその死を目の前にしてしまった時に、
その怖さから例えばそれを人が死んだ場所のことを
自己物件と呼んだりしてるんじゃないのっていうメッセージがあって。
確かに僕らはそういう人もそうだし動物もそうだし、
生と死っていうのをあまり見ないままでも
18:03
当たり前に暮らしてるっていう状態だなって思って。
確かにそうね、言われてみればそうかも。
昔の人はそうか、家で生まれて家で死んでたのか。
そうそう、生まれる時も死ぬ時も例えば血がたくさん流れたりとか、
そういう今の僕らの感覚からするとあまり見て気持ちいいものじゃないことがあるわけなんだけど、
それってでもちょっと前の時代まであったことなんだよね普通に。
そうやって、このコメントにもあったんだけど、
例えばトイレとかも昔は便所にずっと溜め込んで溜め込んでしてたわけじゃん。
小枝芽があったわけじゃん。
はいはい、ポットン便所みたいなやつ。
そう、そういうのもあったわけじゃん。
それが今はもうレバー一つで一瞬で流れていっちゃうっていう。
汚いものを見なくていいし触らなくていいっていう状態を。
どんどんどんどん嫌なものから目を背けて背けてきてるなっていうのを感じてて。
確かにすごい快適な暮らしだよね、今はね。
そうそう。
綺麗な生活だよね。
そうそう。
そういうのでいいんだろうかって思ってるっていう感じ?
うん、それだけです。
なんだっけな、ちょっと待ってね。
それはこの本の中でイノシシを捌くときにさ、
イノシシはやっぱり獣肉だからすごい匂いがするっていう。
イノシシとか豚もそうだけど匂いがすごいはずなんだよ。
そうね、本来は。
それがさっきのゆかちゃんのスーパーの肉の話にも繋がるけど、
そういうものを僕らは何も感じないまま食卓まで持ってこれるようになっちゃってるんだよ。
例えばイノシシ肉もそうだし、鹿肉も羊の肉も臭みがどうこうみたいなの言うんだけどさ、
臭いのは実は当然なんじゃないのかって思ったりする。
なるほどね。臭くない肉の方が不自然ってなだけで。
そうそうそうそう。
もともとそういうものだったんだけど、
この食べやすさのために臭みを全部取って、まさに綺麗な状態に繋がってくるんだけど。
だからたまにでいいからそういうのを見たり体験する機会を設けたらいいね。
ああ、この命の授業みたいな。
そうそうそう。そういうのを見たり体験する機会を設けたらいいね。
そういうのを見たり体験する機会を設けたらいいね。
ああ、この命の授業みたいな。
そうそうそう。映画とか本とかではたまに見るけど、実際に目の当たりにすることはあまりないからさ。
そうなんだよね。
じゃあさ、鶏のとさつ体験ができますっていうワークショップみたいなのあったら参加する?
21:02
うん。僕たぶん何?身近なところでやってくれたら見たいっていうか直面しておきたいっていう感じだね。
ああ、直面しておきたいっていう表現いいね。
何それ?
私も見ておきたいって思ってたから。
知らないまま僕が死んじゃうとちょっと罪悪感があると思う。
難しいけどね。
難しいね。
自動文学の肺谷健次郎さんの本で、小学生を連れて学校の先生がそういう鶏のとさつを見に行く、体験しに行くっていう話があって。
自動文学でね。タイトル忘れちゃったんだけどね。
で、子供たちが体験したことに対して大人たち、親とか地域の人たちがすごい怒ってるっていう話があったんだけど。
怒ってる。
だから子供にそんなもの見せるんじゃないみたいな。
でも子供のうちから知っておくことも大事だなって一方で思ったりはするよね。
まあそうね。難しいよね。何歳ぐらいになったら見せたらいいんだろうかっていう。
まあそれは人にもよると思うんだけど、そういうのを全然小っちゃい頃に見ちゃってトラウマになる人もいるだろうし。
でも確かにどうやってね、自分が食べてるお肉が食卓に並んでるのかっていうのは子供のうちに知っておいた方がいい気がする。
確かに。
そんなもんがあるんだね。
なんかこう、お互い1個目を発表したところで暗くなってるよね。
命に関わる内容だからそうね。
深刻モードになっちゃう。
そうそう。だから1個目にする話じゃなかった気がしてきた。
だから、ゆかちゃんの2個目をお願いします。
2個目は、逃げるのではなくばっくれるということ。
はい。ばっくれる。
ばっくれる。
あったね、この話に。僕もね、ばっくれるのとこは先引いてる。
あ、ほんとに?
いいなって思った。
いいよね。ばっくれるっていうさ、表現もいいしさ。
このばっくれるっていうことを、逃げるとはまた別のものと定義して、本の中で紹介されているんだけど。
ばっくれるって何からばっくれるかって言ったら、多分都会暮らしからばっくれるっていうことだと思うんだけど。
いや、この人が書いてるのはそんなレベルじゃなかったでしょ。
なんだっけ、問題からばっくれるみたいな感じだっけ?
24:03
自分の手に負えない問題から。
そう。それはもう都会とかっていうものじゃなくて、いろんな種類の煩わしさからばっくれてるっていう話だよ。
そうか。狩猟生活をすることでばっくれられるっていうような書かれ方がしてたと思うから。
狩猟生活をすることでばっくれるっていうことは、狩猟生活の反対、都会暮らしからのばっくれかなってなんとなく思ってて。
狩猟生活の反対は経済活動なんじゃないの?
あ、そうね、経済活動。ごめんごめん。都会暮らしっていうのは、貨幣と交換して成り立つ経済圏っていうことだよね。
あ、そうそう。貨幣と交換している世界の煩わしさからばっくれるためには、領主になって自分で獲物を打ち取って、
そのお肉と大裾分けして、またお礼をもらってっていうブツブツ交換の世界っていう生き方もあるよっていうことが紹介されてたかと思うんだけど、
逃げるのではなくてばっくれるっていうことを言ってたんだけど、
なんかすごいね、ばっくれるっていう態度がすごいいいなって思っていて、
近藤さんの言い方で言ったら、逃げるとばっくれるの違いは何かってなった時に、
真面目さ、真剣さだっていう風に言っていて、
敵に背中を向け、狩ると180度方向転換。ダッシュするのが逃げる。逃げるやつは真面目である。
逃走するときさえどこまでも一生懸命だっていう風に言っていて、
でも逃げると追われるし、逃げると目立つと。
それなりの代償を払わされるっていう風に書かれていて、なんとなくわかる気もしてるんだけどそれは。
ってなった時にばっくれるのはどういうことかっていうと、不真面目なのだっていう風に言っていて、
逃げる素振りなど見せない。みんなと同じ社会に、同じゲームに参加して生きていますよというシグナルを送りつつ、
なんとなくヘラヘラ笑って生きている。私はあなたたちの味方です。同類ですよという風な雰囲気を出しつつ、
そして後ろ足でそっと後ずさる集団を出てしまうっていう風になってて、
そういう肩の力抜けた感じっていうのかな。そうやってしれっといなくなったら、
たぶんなんでお前逃げてるんだよみたいなそういう衝突みたいなのも起きないやろうし、
何か自分の手に負えない問題があった時に、それを解決しようってやっけになって頑張るっていうだけじゃなくて、
27:05
それもうちょっと自分の力じゃどうにもならないなっていう時に、ばっくれるっていう選択肢があってもいいんだろうなって思って、
自分の中でこの選択肢を引くか一つ増えた。
そういうこと?
そういうことしたことがあるわけじゃなくて、これからしようって話。
これからしようって話。これからばっくれようって話。
まさに今日さ、これ録音してるのは仕事納め、年末なんだけど、仕事納め、
仕事納め、今日して、お客さんがね、挨拶しに来たの。
お客さんが夕方挨拶しに来てくれて、今年もお世話になりましたって言って、毎年の方なんだけど、
で、僕ともう一人会社の人が対応したわけね。
で、そのお客さんが一年早いねって言ったの。
そしたらその会社の人がどういう年でした?みたいな感じに話をしたの。
で、その一年短いね、どういう年でした?みたいな会話から、どうせ何も生まれないじゃん、この後。
まあまあ、そうね。
ただ時間だけが過ぎていって、僕がしたい作業ができなくなるから、しれっとその場から離れたよ。
おお、まさにばっくれたわけか。
うん、今そのばっくれるの話聞いて、ああ、僕今日やったなって思った。
ばっくれてたのね。
そう、だからそういう感じよね。
なんかその、ばっくれ、なんかその、なんやろ、義務感感じて別に参加しなくてもいいっていうかさ、
飲み会だって嫌だったらばっくれればいいし、
私もじゃあちょっとばっくれる練習をしたいと思います。
今までは嫌だったら嫌だって言うべきだと思ってたんだけど、
それだとなんで嫌なの?どうしたの?とかなっちゃうから、それがだから逃げるんだよね、それはまさに。
そうね。
しれっと、ああ、なんかね、つって離れていくっていう。
しれっとが大事だよね。
だからあれ?いないけどみたいな。
なんか私も問題があったら解決するために努力するべきだみたいな考え方がどちらかというとあって、
例えば職場とかがあんまりなじめないようだったら、なじむために努力するべきだっていう風にも思っちゃう感じなんだけど、
30:01
まあまあ合わなかったら全然転職してもいいし、
そうね。
だから別にばっくれることって悪いことじゃないっていうのがすごいわかりやすく書かれてる感じがして、
なるほど。
いいなーって思った。
じゃあ僕の2個目。
オソワールドに金をかけない。
うん。
これどのシーンかわかる?
違う気がする。
違うんだけど。
ごめんごめん。
近藤幸太郎さんが畑仕事をしてると、その周りにいる後輩の汽車とか地元の人とかと仲良くなって、
なんか私塾みたいな感じで、いつもこの若者たちが自分のところにやってきて酒を飲んで飯を食らって帰っていくみたいなことがあって、
今の時代、上の人が下の人にこうしろこうしろって言うとパワハラだなんだって言われちゃうと。
で、それが種類になっちゃったから上の人が下の人に対して物を言えなくなってき始めてるし、
でも下の人は下の人で何も教わらないと何もできないんですけどっていう感じはあるわけ。
だから今はもう教わる側が自分から学びに行かなきゃいけないよねって書いてあって。
その教わるっていうのは僕はいつもなんとか教室みたいなものを思い浮かべちゃって、
どうしてもお金を払って教えてもらうみたいな。
お金を払うから良い情報が得られるっていうのはもちろんあると思うんだけど、
その一方でこの近藤さんが書いてるのは、それは学校の場合でしょっていう。
学びじゃなくて習い事はお金を払って習ったらいいんだけど、ピアノとかもそうだよ。
でも深めていくための学びっていうのは、お金を払わないで自分から教えてくれって言いに行くもんだっていう。
僕にメモしたのは、いわば生徒力を磨けって書いてある自信があって、近藤塾に人が集まってくるじゃんか。
この話が僕なんかいいなと思って。
つい最近ね、つい先週の話なんだけど、
大学卒業してからしばらくぶりに大学の時のゼミの先生に連絡取ったの。
本当に久しぶりなんだよ。
で、今なんかいろんなこと考えて、ちょっとこの先生と話したいなって思い立った瞬間があって、
もしこの瞬間を逃すと、もうこっちから連絡しにくくなるなっていう思いもあって、
もう今しかないじゃんっていう気持ちでメールの文章を考えて、
で、もう一回調べて調べて、大学のサイトからその先生のアドバイスを調べて、
33:04
もう一回送ったら届いてたらしいんだけど、
お、良かった良かった。
返事がもらえたんだけど。
良かった良かった。
で、もう一回調べて、もう一回送ったら届いてたらしいんだけど、
本当に、
え、
え、
本当に
よかったよかった
それでつい先週この前
Zoomで久しぶりにお話したんだよ
これがまさに
お金払わないで学ぶってこういうことだなと思ってて
話してみたら先生は僕のことも覚えてくれてたし
だから本当にこれがもう10年とか絶対覚えてないじゃん
そうね
今が絶対チャンスだったんだよね
本当に話をしながらいろんなヒントとかもらえたし
これを読みながら
やっぱり今ここで先生とつながっておかなければっていう気持ちになった
確かに先生と最初は授業とかで先生のことを知るけど
授業で教えてもらう内容とかよりかは
一緒に飲みに行ったりとか
カフェでご飯食べたりとかそういった時に話す内容の方が
結構その後ずっと覚えてたりとかするのは多いかもしれない
前にゆかちゃんのゼミ大学の先生と一緒に
僕混ぜてもらったことあるよね
あったね
スタバで行っておしゃべりした記憶がある
スタバじゃないよ
居酒屋かなんかで焼き鳥食べたんだって
あれそうだったっけ
ああいう先生といろんなことを話して教えてもらって
あの時間がすごいいいなと思って
あれってやっぱり大学に行って得られるものの上位にあると思う
学生時代はちょっと分からなかったじゃん
そういう時間もあんま取れないし忙しいし
本当は忙しくないんだけど変な忙しさがあるじゃん大学生って
確かにそうだね
バイトも行かなきゃいけないし宅のも行かなきゃいけない
課題とかもあるし
そう課題あるし
でなんか就活とかも考えてるじゃん
なんかわけわからない忙しさが大学生にまとってるんだけど
本当に大事な時間ってあそこだと思うんだよね
先生と話す
たわいもない話から何かの心髄にたどり着くみたいな話が時々あるから
36:04
その生徒力みたいなところを
もっと僕だからいろんな人に教えをこうてみようと思った
教えをこうっていうのがなんか生徒力って感じがする
確かになんかこの前の会社の飲み会で上司と一緒に飲んでたんだけど
やっぱりそのセクハラパワハラはすごい気をつけているっていう風に言っていて
そうそうだからなんか飲み会誘うのも
なんか実はちょっとこうなんだろ遠慮しちゃうみたいな
断られたらちょっと切ないしみたいな話もしていて
だからその私の方から誘ってもらったらすごくやりやすいっていう風に言っていて
そうそうただなんかちょっと今のコロナっていうのもあるし
誘いづらい雰囲気みたいなのが出てるみたいで
だから下の子たちの方から来て来られたらいいよねっていう話をしていて
ちょっと私も誘おうって思った
そうだねそういう行動欲って言うほど大きな話じゃないんだけど
でもまあ行動を起こすことで自分にプラスになること多いよね
そうねしかもそういう飲み会の話にまたなっちゃうんだけど
結局なんか仕事術とかもそういった時に教えてもらえたりとかするし
だから会社のデスクで面と向かって話すことじゃないけど
結局仕事に繋がる話ってことだったよね
そうそうそうそんな感じ
生徒力大事だね確かに
じゃあ3つ目
3つ目は野菜を育てるなら多めにね
はいはいはい
っていうことなんだけど
本の最後の方で人間は交換することで生きているっていうことが書かれてたかと思うんだけど
交換っていうキーワードがさ
全部読み終わった後にもう一回一からざーっと見直してみたらさ
結構序盤から交換交換って言ってんだよこの人
世の中は交換で動いてるってことをずっと書いてる
だから最後にそこにたどり着いただけじゃないんだなって思って
確かに最後に文化人類学者のレビストロースの思想として
人間は交換する生き物だっていう風に書かれてはいるけど
確かに序盤から交換の話はちょいちょい出てきてはいるよね
そうだよね
近藤さんも自分で仕留めたお肉とかをさ
39:03
東京の編集者さんで送ったら
巡り巡って仕事が舞い込んできたっていうようなことも書かれてたりとかしてさ
人間はそのもらいっぱなしじゃいられない
書かれてたし
おさそわけすることでつながりが生まれてくるっていうようなことが書かれてたかと思うんだけど
前に見た映画で狼子供の雨と雪っていう映画
あれも畑仕事をする映画だよね畑を作っていくんだよね
そうそう畑作っていて
主人公の人と子供2人とで3人暮らし
自分たちが食べるために畑を作って
おじいちゃんみたいな人に教えてもらってたりとかしてたじゃん
おじいちゃんがこの野菜を植えなさいみたいな感じで
種をくれるんだけど種が結構多かったんだよね確か
その主人公の人が私たち3人暮らしなんてこんなにいれませんみたいな感じで
遠慮するんだけどいいからいいからみたいな感じで育てさせるんだよね
その育ったものを自分たちが食べる分と残りはおさそわけする分っていう風にしていて
おさそわけして近所の人たちからお礼もらったりつながりとかが生まれてて
あれやんと思って
あれはアニメの中の話だったけど
実際に近藤さんはやってるんだっていうね
歴史とした考え方文化人類学的に成り立ちもあったんだなと思って
ちょっと面白かったそれが
私ももし畑をするってなった場合はちょっと多めに育てて
商品におさそわけしたいと思います
ありがとうございます
だからお礼ちょうだいね
見返りを求める
近藤さんは見返り求めないって書いてある
近藤さんは見返り求めないけど私はもう期待する
いや違う違う期待をしたら間違いの元だって書いてなかった?
そんなことも書かれてたっけ
そこからこんだけやってあげたのに
あなた返してくれないじゃないかっていう
トラブルが生まれちゃうんだよね
だから期待はしてダメなんだよ
見返り求めずに
作りすぎちゃったんで
でも思えば
お正語とかお中元とかも雑用だし
お宗儀とか公伝返しとかも雑用
42:04
それが
僕は結構これを読みながら悩んだところで
それはでもお金が動いてることじゃん
僕も今回最近
いとこに赤ちゃんが生まれて
お祝いを送ったりしたけど
やっぱりそれって
お金を出してお祝いを用意してるものだから
この近藤さんがやってる
自分で作ったとか自分で取ってきたとかとは
なんか違うんだろうなと思う
でもレビストロースが言う
人間は交換する生き物であるっていうところは
要はでもそういうこと
それはそうだよ
うちの子供が生まれた時もたくさんいただいてるから
お子さん生まれてよかったねっていうような
お互いの思うしさ
確かにそうか
義務っぽさはあるではあるよね
もらったらお返ししないといけないっていう
でも近藤さんが言うお裾分けっていうのは
見返り求めていないやつだから
堅苦しさは確かにちょっとないのかもしれない
そうそうそう
だから価値がいくらでも変動するって書いてあったじゃん
そうね
AイコールXだけどBイコールXだっていう
でもAイコールBではないみたいな
でもそのページでさ
例えば酒代何千円がカモ1羽とか
原稿料何万円がカモ1羽っていう風に書かれてて
カモを送ったお礼で色々と手に入ったものとか
なった時に
カモ1羽であらゆるものが手に入っていて
カモの可能性じゃないけど
すごいなって思った
えっかちゃんさ
大草原の小さな家は
見たことない
知ってはいる
嫌いって言ってたっけ
うーんどちらかと言えば好きじゃないあんまり
嫌いって聞いたことある
よく覚えてるね
そう今思った
あれってでも
アメリカの西部開拓時代の
小さい田舎町の話だから
家の屋根を修理してもらうから
代わりにうちの食べ物持ってってよみたいな
もちろんあの時代もお金はあるんだけど
お金はあるんだけど
物をやり取り
わりとそんな物物交換もあるような感じの時代だったんだ
そういうシーンは結構あるよ
そうなんだ
45:00
大草原の小さな家
なんで嫌いなの
嫌いなのが
大草原にポツンとあるじゃん家が
なった時にさ
家が例えば泥棒とか強盗とかに入った時にさ
助けをさ呼びに行こうとしても
近くに家がないから
助け呼びに行けないじゃん
警察とかもさ
そんなちゃんといるかわかんないし
っていう謎の閉塞感がすごく苦手で
それだけ言葉の響きだけでいいんじゃない
なんかさちょっとさ
母親が好きで
なんとなくチラッと見る機会とかはあったのよ
でやっぱり隣町に行くにも
馬車とか何かで移動してるよね
タクシーじゃないよ
馬車とかで移動して
こんなの強盗に入られたら終わりだって思いながら
すごいちょっと眺めてた記憶が
逆じゃない
それこそさゆかちゃん今見た方がいいよ
強盗が来ないように
隣近所の人と親しくしてるわけだし
強盗が来た時のために
隣近所の人たちが助けてくれるわけじゃん
あのお家って隣近所あるの?
あるよ
だから大草原の小さな家っていう
言葉のイメージに
ゆかちゃん踊らされすぎてないかって思う
ポツンと一軒家みたいな
ポツンと一軒家の方が怖いよそしたら
ポツンと一軒家的な環境がすごく苦手
苦手意識があるから
大草原の小さな家はそうなのね
ちゃんとコミュニティがあるのね
家族と町の人とっていう
人と人との関わりの話だから
そうなんだもうちゃんと見てなさすぎて
なんかもうイメージで
イメージで嫌いまで言っちゃって
危ないね
良くないですね
良くないですねこれは
でもよく覚えてるね私が嫌いって言ったの
だって僕好きだから
僕が好きなものが嫌いって言われたから
それは申し訳ない
じゃあ僕3つ目
無の時間
これさ本に書いてないことなんだけど
近藤さんはさこの本の中でさ
さっき言ったみたいにさ
動物を殺すことによって
食肉とは何なのかってことを考えたりとか
あと銃を撃って命を奪うっていう体験をして
48:03
最初のカモを取るためにもさ
もう本当に矢部の中をずっとずっと
みんなでボロボロになりながらも
隠れて隠れてそっとそっと
カモを追い詰めていかなきゃいけないわけだから
泥だらけになりながら
その姿を泥だらけになりながら
銃を構えてるって
これは兵士だっていう風に書いてるじゃん
そっからだから戦争とか
兵士が敵を撃つ
っていうことまで考えるじゃんか
とかあとさっき言ったみたいに
交換
物と物との交換から人類はお金を発明して
お金の交換を通して
物とかサービスを手に入れるようになったとか
って考えるじゃんか
これだけこの本を書くぐらい
いろんな方向に話を考えている
いろんな社会のあれこれについて
思いを巡らせるっていうのは
なんでかなって思ったら
カモをじーっと待ってるだけの時間とか
ひたすら田植えを一個一個
この人の田植えは機械を使わずに
手作業で全部やるっていう田植えだから
ひたすら田植え作業するじゃんか
そういう時間が
頭の中のモヤモヤを
整理していく時間になってるんじゃないかっていう
なるほどね
ふうに考えて
これは前回の読書会の
歌詞451度のクラリスが
みんな忙しそうにしてるけど
私は空の雲を見つめてるのっていう
あそこに通じるんじゃないかと思ってて
よくジョジングがいいよとか今でも言うけどさ
いろんなものが入ってくる状態を
一回無くして
頭の中身を整理する時間っていうのはあることで
本当に頭の中空っぽなわけじゃなくて
それまで自分が蓄えてきた知識が
整理されてって繋がってって
そうかこれってこのためにこうなってるんだってことが
だんだんわかってくるっていう
この人は田植えとか漁夫をしながら
そういう時間になってるんじゃないかなって思ったんだよね
なるほどね
今の話聞いてて
サウナとかが流行ってるのもそれなのかな
もしかしてるとそう
そうだよね
サウナに入ってる時って
スマホとかもいじれないから
そうだねそうだね
そうそうなんかいろいろあれこれ考えて
最終的に整うっていうことになるのかな
僕は苦手なんだけど
僕はもともとサウナすごい好きな人
サウナあったら必ず入る人なんだけど
今サウナブームになっちゃって
51:00
そっから僕あんま言ってないけど
サウナに入るに並んだりしなきゃいけないとか
サウナの中でちゃんとルールとかマナーを守ってくださいとかって言われちゃうと
もう怖い僕は
今から
そんなに僕は今サウナ道とかを極めてる人
の中に入っていく自信がないから
もともと好きだったのになーってなってるから
そうなんだそこまで極められないみたいな感じ
時間があればサウナに入りますみたいな人に
僕は慣れてないから
もともと好きだったのになーっていう
いいとしてでも確かにあの時間ってちょっと考えない時間
ふっと何か浮かんでくる時間になりやすいんだろうね
でもサウナの中にテレビあったりするよね
そうなの?
あるとこもあるよ
そうなの?
あれよくないね
そうだね
整わないよねきっとね
確かに寮とかしてたら待ってる時間長いし
タオルとかもひたすら単純作業だし
あーなるほどな
そういう時にそう考えがつながっていく
自分の体験と自分の知識がつながっていくんじゃないかなって思った
夢の時間っていうのは
瞑想してる状態みたいなとこで
そうまあ瞑想に近いよね
ってなったらやっぱりなんか私たちが今
普通に生活してたらそういう時間って取るの難しい
そうそうそう
前回も話したけど僕なんか本当にラジオ消せない人だから
ラジオ聞きながらYouTube見るみたいな感じのこともしてなかった?
そんなことは
一時期
昔はしてた
ね
してた
今はしてない
今は掃除とか料理とかしながらラジオ流してるとかはあるけど
瞑想始めてみようかな
やりたいの?
なんか良さそうだなって今話聞いてた
すっきりしそう頭の中が
だから近藤さんがこういう本を書けるのはそこなんじゃないかなって思ったんだよね
本当にねいろんなことに話飛んでるもんね
そう
じゃあこんな感じでいいですか?
はい
じゃあ近藤幸太郎さんのアロハで漁師始めました
もうタイトルがさ特徴的だよね
そうだね
え?どういうこと?ってなるよね
知らないもん
この人のアロハ札の姿は知らないから
あの人ねってならないからさ
この人は何アロハ札で有名な人なのか
最初に書いてるよね
いつもアロハで過ごしてるって
書いてたのに見落としてました
じゃあこんな感じで
54:00
もしじゃあアロハで漁師始めました本に関して
もっと感想がある人はメールなど送ってください
はい受付メールアドレスは
rotenantradio.com
綴りはlowtnantradio.comです
あと今後の読書会で扱ってほしい本のリクエストなども
ここに送ってもらえると嬉しいです
はいよろしくお願いします
よろしくお願いします
で次回もう5回目だよ
おー
次回の課題図書はミヒャエル・エンデ・チョ・モモです
読んだことある?
モモ読んだことない
ない
けどドイツの作品?
ドイツの作家ですミヒャエル・エンデ
子供向けのお話
自動文学です
っていうなんとなくのイメージしかないので
いいねいいね
真っさらな状態で読んでみたいと思います
いいねはい
もし興味ある人は読んできて
一緒に感想を楽しみましょう
はい
ということでローテナートの読書会第4回
近藤幸太郎アローハで漁師始めましたの回でした
ありがとうございました
ありがとうございましたさよなら
さよなら