穂志乃愛莉
もう1つが、それらを放置しておいても自然に良くなるということは決してありませんで、
むしろどんどんひどくなる、悪化していくという現実がある、この2つが分かりました。
その2つを踏まえていくと、子どものために離婚するのは諦めるというよりも、
むしろ子どものために離婚をする勇気を持っていく方が大事なのではないかというふうに気づきました。
そのために悩んでいる方にですね、そういった悪い環境から抜け出せる方法を一緒に考えてあげることということで、
このようなアフリーズというグループをつなげさせていただきました。
志田健一
モラルハラスメントやドメスティックバイオリンスのことですね。
穂志乃愛莉
はい、そうです。
そのようなと受けられたということなんですけれども、ご主人様のようなことなんですけれども。
モラハラとか暴力があったというと、ヤクザみたいに怖い人だったんでしょうとか言われることがあるんですが、
実は全然そんなことはなくて、今でも見た目は優しそうに見える人で、
結婚前もとても優しそうな人ということで、お付き合いをして結婚しても大丈夫かなといった印象がありました。
ただあまり自分の意見を言う人ではなかったので、どちらかというと、
これはどうしましょうかというと、いいよそっちで決めといてという、そういう感じの人でした。
ただ一つだけものすごく大きなこだわりを持っていまして、
それは自分の父親に対してなんですけれども、
実は夫の父親はものすごく高圧的な態度、威圧的な態度をする、
典型的なモラハラ夫、モラハラ父親だったんですね。
その父親のことをとても嫌悪しておりまして、
自分は絶対に父親みたいにはなりたくない。
母親が苦しんでいる様子を見て、同じようには絶対にならない。
これは決めているんだと、とても激しい口調で言うことがありました。
ちょっとそのこだわりの強さを逆にちょっと不安には思ったんですけれども、
ここまで言い切っている人だから大丈夫だろうと思って結婚をいたしました。
金銭に関しては意外に無頓着な人で、
自分が欲しいものは払うことを考えずに何でもポンポンと買ってしまうところがありましたので、
結婚当初は私が賭けを握っていたんですけれども、
支払いの代になるとカードの引き落としが5万、6万、7万ときて非常に大変だったので、
独身時代に貯めておいたお金をちょっとずつ削って固定したりということで、
非常に苦労した中、それでもなんとか子どもの名義の貯金だけはちょっとずつ貯めるというような生活を結婚当初はしておりました。
志田健一
結婚を絶えてから村原DVを受けたということですが、
志田健一
どのようなタイミングでそのようなことを受けるようになったんでしょうか。
穂志乃愛莉
最初は私が賭けを持っていたときはうまくいっていたんですけれども、
結婚5年目ぐらいのとき、突然家計費を私から夫が取り上げるということが分かりました。
子どもの貯金は少ないながらも一生懸命貯めていたんですけれども、
夫が自由に使えるお金が溜まっていないということで急に怒り出しまして、
家計費はこれから俺がやると思っていってしまったんですね。
それと同時に食費が使いすぎということでかなり食費を削られてしまうということが起きまして、
そこから経済的DVが始まっていたということです。
食費が極端に減らされましたので、しかも分けてくれるようになったりしたんですね。
10日間で5000円でやれとか非常に苦しい状況が続いておりましたので、
これではちょっとやりきれないというふうに申し上げると、
お前の買い物の仕方がおかしいと言って、じゃあ俺が買ってきてやるというふうになるんですが、
買ってきたものを見ると安かったからこれで1週間やれって見せられたものが、
大根が2本、じゃがいもが10個、ひき肉が300g、これで1週間作れというわけなんですよ。
とてもそれでは普通はできない状態なんですけれども、
結構真顔でそれでやれという状態だったんですね。
あまりにも家計費が苦しかったために、働かざるを得ないというようなことがありました。
働いて一生懸命働いたお金が入ったら、今度はそのお金もまた搾取される、
持っていかれてしまうということがあって、かなり困窮をしている時期でした。
最終的には実家に頭を下げて借金をしたりとか、
そういうような生活費を固定しておりました。
あまりにもこの時はちょっと悩んでいたので、大きな病気になってしまいまして、
入院手術をこの時に再建いたしました。
手術した後も結構長い期間入院していたので、
それを見かねた実家の母親がですね、うちのちっとの夫に、
ちょっとこれじゃあまりにもかわいそうだから、
もう少し世間の平均並みの生活費を渡してあげてほしいと入院時に懇願しましたので、
一旦はその時に生活費は人並みに戻ったということがあったんですが、
それも徐々に徐々にまた下げられて、
家を出る直前には最後の1年間は一戦も生活費をもらえないというようなことがありました。
志田健一
お腹や経済的DVを受けていたということですね。
他には肉体的なDVなど受けましたでしょうか。
穂志乃愛莉
そうですね、今経済的な話を中心にしてしまったんですけれども、
穂志乃愛莉
私は一生懸命、そんなことないよ、おにしょで濡れたから、
こちらに連れてきただけだよ、と、
シーツを買ってくれればお返しするよ、と言ったけれども、
それでもおにしょなんかしてるわけねえ、
俺から奪ったんだ、と言って蹴飛ばすことをやめません。
そして最後には末っ子のことを、
俺と寝るんだからこっち来い、と言って無理矢理私から連れ戻そうとしたんですが、
末っ子は、いやだ、ママがいい、と言って私にしがみついて離れることはなかったんですね。
それを見て、この野郎、と言って、今度は末っ子と私共々蹴飛ばし始めました。
かなりの勢いで蹴飛ばしていたので、
末っ子も大泣きで、かなりの修羅場だったと思います。
そんな様子の時に、長男がやってきました。
どうしたんだ、こんなお作業して来たんだけれども、
その時におにしょをして、濡れてたからママと寝てたんだよ、という話をしても、
パパをこんだけ怒らせたのはお前が悪いに決まってる、と長男が言ったんですね。
その洗脳の怖さに、ダブルでその時はショックを受けまして、
もうその時の末っ子の恐怖に赴いた顔を見て、
もうこのままでは絶対いけないと思って、
この次の朝にこの家を出るということを決意いたしました。
志田健一
ありとあらゆるモラハラDVを受けてこられたということですが、
穂志乃愛莉
早く離婚することはできなかったのでしょうか。
こちらはだいぶ私も悩みまして、実家の母などにも相談をしていたんですけれども、
実は私の父もひどいモラハラだったんですね。
ですので母はそれを耐えていたということがあります。
父の父もひどいモラハラで、母の父もかなり威圧的な態度をするということで、
まさに連鎖の中で出来上がっている過程だったわけなんです。
そんな中だったので、母はひどいモラハラで耐えていく中で、
離婚せずにいる中でですね、これぐらいは一般家庭にもあるものだと、
自分で思い込ませる必要があったようだったんですね。
なのでおかしいとは思わずに、これぐらいは普通だ、これぐらいの暴力や、
これぐらいの暴言は当たり前だからということで耐えてきたために、
私が母に向かって結婚生活こんなに辛いんだと打ち明けたときに、
これぐらいは当たり前の範囲じゃないのかという指摘があったんですね。
これぐらいどこの家庭でも我慢していると思うから、離婚するまでじゃないよという意見だったので、
なかなか離婚まで私も行けなかったということで、
周りにそれはおかしいから離婚しなよって言ってくれる人がいなかったのも非常に大きいことだと思います。