みんなでサウナ。
えー、今週は、とくさしけんごさんに来ていただいております。
はい、あの、とくさしけんごでございます。
よろしくお願いします。
本当に似てますよね。
似てます。本当に似てらっしゃる。
似てるんだね。
いやね、すっごいトークするんで、やっぱり。
うーん、一緒に。
そうですね、一緒にトークするんでね。
月何回ぐらいですか?
いや、もうそうですね。月何回って言うから、1回が長いんですよ。
長くしゃべる。
どっちとも帰ろうとか言わないんで。
ずっと、ただやっぱりおめむの時間が。
2人とも早いんで。
そうかそうか、とくさしとも同じような。
そうですね、彼も早いですね。早朝派なんでね。
とくさしけんごとして聞いていただいてもね、師匠はないんで。
言うてることそんな変わらないし。
まあ、同じような話してますよ、どこでも。
はい、お願いします。
いや、なんかね、そう、だから、前回ね、その人々の生活が、やっぱりその、
フィジカルだったり、体の方にやっぱり戻ってきてるんじゃないか。
で、若い人の健康意識も高まってたりするっていうところが、やっぱりその、
どっか精神性みたいなところ。
例えばサウナも巻き終わって入るっていうのは、
今まで便利な世の中にテクノロジーによってなったが、
それもいいけれども、やっぱり自分の体を使ったり苦労したりするようなことによって得られることの快楽だったり、
喜びみたいなことっていうのが見直されているんじゃないかと。
いうようなことに、僕も最近すごく興味を持っていて。
社会的なテーマですね。
たまにそういうのもいいかなと思う。
みんなでサウナってサウナの話してもいいけど、
ちょっと社会的なテーマに切り込んでみようと。
切り込んでみようという感じでね。
土井さんなんかどうですか?そういうところ。
感じたりすることは確かに私もあるんですけど、小笠さんほどそんな深く考えたりはしてなかったんで。
だってほら、不健康な時代がね、やっぱ長かったから。
我々ともそうですよね。
やっぱり昨今のキャンプブームからサウナブームもそうですしね。
やっぱりこの身体性というか五感ですかね。
五感で何か感じるっていうことに関して、
やっぱり積極的にやっていきたいなというムードが出てきたなとは思いますけどね。
遠くなりすぎてたんですかね。ちょっとやっぱないがしろじゃないけど。
あと五感っていうものがそこまで重要視されてなかった。
それよりも利便性とか、スピーディーなことがすべて効率だけを求めていたけど、
今はそうじゃないことを良しとする。
全部が全部そうではないと思いますけど、そういう価値を見直すみたいなことっていうのはあるんですかね。
それも多分あるとは思うんですが、
やっぱりテクノロジー側がすごい進化したからっていうことがあると思います。
そっちから、まず手元ですべてが終わるというか、得るための手のひら。
なんか出かけるにも、例えば登山してても通じるとかね。
やっぱりそうなってきたんで、どこへでもまず行けるぞってなったのかなと思うんですよね。
昔はやっぱり物が欲しかったら、体を使って探しに行くっていうこともそれしかなかったので。
動くしかないですもんね。
だからエンタメでさえ体使わなくて良くなってきたっていうこともあると思うんですよね。
ほっとくとずっと動かさなくても成立する時代が今来たっていうことだと思うんですよ。
確かに。
そうなった時に、やっぱり想像力たくましい人は、この先体ヤバいでって、メンタルヤバいんじゃないか。
そういったことに考えが及ぶと思うんですよね。
そうなってきてるのが今なのかなと思います。
それは本能的なところもあるんですかね。
要は動物的本能としてやっぱり体を動かさないことっていうのは、本質的に多分劣化してくるじゃないですか。
そうですね。
それに対する本能的なヤバいぞっていうものもあるのか。
本能的なヤバいぞっていう脅迫だけではなくて、やっぱり興味もリアルなものがおもろいなっていう。
例えば子供の頃やったらね、私たちって子供の頃やったら普通に釣りしたりするじゃないですか。
ああいう機会が今ないのかな。
たこ揚げとか釣りとかね、今ないじゃないですか。
本当に積極的にやらないと体ごとのエンタメっていうのが得られないんで。
やっぱりそれをやっぱり今は新鮮に感じていただいているのかなっていう感じがします。
サウナもそうだと思うんですよ。
トトノウっていうのは体に起こる変化ですからね。
こういう体に起こる変化っていうのをやっぱり子供の頃に一回すっとばすと、やっぱりもう一度取り戻したいような気分になるのかなって思いますけどね。
確かにそう。
だってサウナのトトノウとかいうので、私たちは多分普段子供の頃にあった体験やと思うんですよ。
例えば川っぺりに行って、冷たい川入って、石の上で休んでいるときって、トトノってたと思うんですよ。
でもそんな体験がないと、いきなりサウナでこんなことになるのかってなると思うんですよね。
私たちはどっちかっていうとサウナのトトノウは追体験じゃないですか。
ああいうことって普段子供の頃にあったんですよね。
知らず知らずトトノってたっていうことって普段はありました。
だから近い人が最初にトトノウってこういうことなんだっていうゼロイチみたいな。
初めての。
ゼロベースで感覚の楽しみがやってきた。
火に直接当たる、もうやってないじゃないですか。
僕ら当たり前だったんでしょ。
だから暖炉とか追体験なわけですよ。
でも暖炉とか薪割りとか、ああいう火を起こすっていうこと自体が実はすっごいエンタメやし。
常に変化しますからね。
人間に本当に現象的な体験なんで、絶対面白いですよね。
あんなことが実は山ほどあるぞって。
そこでやっぱり森に入ったり山登ったり川行ったり今しだしたんかなって思いますけどね。
やっぱ積極的に鳥に行くっていうムードが出てきたんかなと思いますね。
それはやっぱり楽しいからやと思うんですよ。
その楽しいからっていうのはやっぱりかつきさんのらしいなと思っていて。
あと一方何か意味を求めたい気持ちもあるが。
じゃあ例えばその精神的に鬱屈してしまう。
やっぱり外に出ないっていうことに対してそれに対する発散だったり、それを防止するというか。
精神的に追い込まれた時に浄化する装置としてみたいな道筋というか。
そういう考え方もあると思うんですけど。
一方で割とかつきさんはそれもあるが、どちらかというと楽しみとして浄化していくという風な。
楽しくないとまず続かないだろうし、没頭できないかなと思うんですよね。
やっぱり没頭する時間自体がやっぱり今価値なのかなと思うんですよ。
なかなか例えば好きなことやったらいいやんってちょっと今難しいんですよね。
好きなことって何とかなる。
なりますよね。
なりますよね。
昔は圧倒的に好きなことができなかった時代があったと思うんですよ。
今多様性とか言われて好きなことやったらいいって一番難しいと思うんですよ。
そんな難しい世の中にいきなり放り込まれた時に、この身体や五感が感じることがとにかく正直者でいれる瞬間だと思うんですよね。
ここだけはやっぱりゴカさんのおっしゃる通り嘘がない。
その実感に基づいて生きていきたいってなった時にやっぱり身体ってなってくると思うんですよね。
そこから何か始まっていく。
この身体の気持ちよさを共感したお前は仲間だって言えると思うんですよ。
例えば昔はエンタメでも感情が揺さぶられるじゃないですか。
笑いなんていうのは引きつけぐらいきますよね身体に。
笑いとか私はバラエティーは結構身体的なことやったと思うんですよね。
それを共感できる。
同じ笑いを笑い合えるっていうのはかなり身体的なことで、そこからやっぱり友達になれるっていうか。
同じ笑いを笑い合えたら何かそこが出発点になるっていうのはあったと思うんですよね。
あまりに皆さん別のものを聞いて別のものを見てる時代が来ちゃったので、共感の場がすごい少ないですよね。
だからその同じ私の推しはこれってこの推しを持ち合える仲間はその話題がおそらくある程度の範囲においてはしゃべれるじゃんっていう。
サウナもそういうとこあると思うんだけども、サウナの話題ということだと。
だからこんだけ推しっていうか表明できる。
私はこれ好きだって表明できる場所としての推しっていうのがあるんだろうなと思うんですけど。
わざわざ推しって言わなかったじゃないですか昔。
それはほっといても共感する場所がたくさんあったからやと思うんですよね。
でも今はあんまり似たようなんで、共感する場所にわざわざそこをつぶ立ててる時代が来たなっていう感じするんですよね。
エンタメという言い方っていうのがどんどん感覚的なもののことを言い出すのかなっていう。
なんかちょっとそういう想像してるんですが、私たちのエンタメっていうのはコンテンツだったじゃないですか。
でもだんだんコンテンツはコンテンツでひとまとまりあって、それはもう手のひらに収まっちゃって。
心を揺さぶってくるようなものっていうのがやっぱり感覚を通してやってくる。
互感を通してやってくる。
そのことをエンタメって言い出すのかなってなんとなく思ってきてるんですけれども今は。
それは非常に面白いですね。
なのでコンテンツとエンタメで分かれていくみたいなね。
コンテンツっていうのは映画とか本とか手のひらのこと。
主に思考の分野。
感覚の分野のことでやっぱり満たされていくのかなって思うんですよね。
便宜を2つに分けましたけれども、多分混ざり合うんだと思うんですよね。
本の朗読とかいうのも、あれも意外と身体的なこと。
読書会とかしてのも圧倒的に増えてる感じが。
これも感覚でしかないけど、だいぶ効くようになったな、朗読会みたいな。
やっぱり映画の最初の頃も考えるとあれも感覚入りですから。
やっぱり最初でっかいSLが来るのを見たらしいですよね、映画館で。
そしたら本当にSLが来ると思って逃げたっていう。
SL機関車が来ると思って逃げた客がいた。
そういう感覚的なエンターテイメントから映画がやってくるっていうね。
そうやって考えると、もともとエンタメっていうのは身体的なことがかなり含まれてたのかなって思う。
それが音楽もそうだったんです。
音楽もやっぱり空気を震わして全身で聞いてましたよね、私たちの世代っていうのは。
大きいスピーカーで。今はやっぱり耳になったわけですよね。
だから感覚的にはなんか一個になってきた時代が今来て、なのでフェスがこれぐらい増えてると。
春フェスも夏フェスも、音楽がやっぱり身体を取り戻したっていうね。
だからそういうものをエンタメって言っていくのかなって。
そうですね。レコーディングされたものはスポットファイトとかで見れるテレビの中のコンテンツ。
消費されるもの。
そしていつでもアクセスできるもの。
体験とはまた違うんですね。
だからやっぱり音楽体験、映画体験っていうふうになって、そういう価値になっていくのかな。
結局そこも映画体験ってなっていくと、映画館でしか味わえないようなものの映画の作品じゃないと。
あとはサブスクで見ればいいやってなっていくという。
それはそれで、我々としてはなかなか厳しい時代だなと思うんですけど。
でも多分そういうことなんだろうなという。
植物を持ってきたりして抽出機で抽出して、さらに自分で抽出した質の高い香りを楽しんでもらいながらサウナを楽しんでもらうっていうね。
そういうことも考えてますし。
だから香りをその場で作るっていうようなことですね。
それめちゃめちゃ面白い。
めちゃめちゃ面白いです。やりたい。
そのめんどくさそうじゃんと利便性のいいポイント、クロスするポイントっていうのが見つかると、それが弾けそうな気がするというか。
本当にめんどくさいことをやるっていうこともいいと思うというか、それの体験価値もあるんですけど、そこまで全員が全員いくのかっていうこともあると思うんで。
そうですね。
いいですね。香りっていうのは僕も一時期行動の仕事してたんですけど、映像作る香りの道。
やっぱり香りって本当にその映像で伝える、めっちゃ伝えるの大変なんですよ。
そうですよね。
本当。
メディアで香りって一番伝えづらい。
スマホから香り出ない。
出ないですからね。
音声は出るからポッドキャストのこういう番組はできる。
映像ができるから。
音声はできるけど、香りだけはできないっていう。
確かに。
だからバズってるコンテンツみたいなものは香りにはあんまり見受けられないし。
なるほど。
だから面白いと思ったんですよ。
だからそれはサウナスで、それで自分が持ってった香りで、
帰りにちょっと花屋で買った香りで作ったアロマ水とかを、
家のサウナとか家のお風呂とかにアロマディフューザーとかに入れたりできたら、
本当は楽しいっていうか。
そうですね。
より身近にね。
より身近になりますし、香りの解像度が高まると実生活が豊かになるんでね。
そうなんですよ。
やっぱり楽しみが増えていくんで。
季節も分かってくる。香りが分かると季節分かってきますからね。
季節感って見直されるんじゃないかなって。
季節感がガンガンこれから来るんじゃないかなと思いますね。
あと季節による祭事ってあるじゃないですか。
あれもこれからガンガン来るんじゃないかなと思いますね。
そうですよね。
なんかただの儀礼とかただの形じゃなくて、
やっぱりその祭事に関わる意味合いとか簡単に調べられるじゃないですか。
そうですよね。
参加も結構簡単にできると思うんですよね。量も増えてますから。
そういうの一回やるとね、毎年いけるじゃないですか。
そうなんです。
またこの季節来たなとかなるんで、
やっぱり生きてる実感の色合いが関わってくるっていうね。
そうですよね。
気持ちはそっちにいくのかなと思いますね。
僕も天宮の台所っていうドラマをやってるんですけど、
あれもすごく人気になって支持をしていただいてるんですけど、
やっぱりあれは1年間通して里山の古民家で、
その季節の食材を使った料理を天宮の祭がするっていう話だったりするんですけど、