はい、10月もね、いろんなイベント盛りだおしですが、
これからの時間は、
私、福崎さとみにお付き合いください。
さっき、ちびっ子たちがいっぱいいたのに。
10月もイベントが多くて大変ですね。
楽しいけど。
さっき大堂に行った時はやっぱりすごい人でしたね。
すごいんですよ。
皆さんも行きましたか?
私もね、毎年初日に全郷目行くんですけど、
今年初日がノーマップスとぶつかってしまって、
まだまさかの1回しか行けてない。
いや、なんか食べるまで時間かかんかなって、
いっぱい並んでるから。
うーん、なんかできれば平日の昼間行ったほうがいいけど、
なかなかね、週末は激込みでしたけど。
そう、週末だから混んでたんだなと思って。
そう、ちょっと諦めちゃいますよね。
いや、今もうちょこっと行けたなーとか思ったりして。
様子を見て。
冷たいか、でも赤でもいいかなと思って。
冷たいか、でも赤でも冷えてたりするかな。
どうだろうね。
今日は何かなー。
なんか昼だからオレンジとか白だと嬉しいなーって言ったりして。
いつも前の丸山さんからワインをいただいていて、
今それが何かなって話してました。
ゲストの方もね、飲みながらやりたいって、緊張するからって。
この後のゲストの方も言っているので。
でもちゃんと飲んでたら最後の結構フワフワしてくるんですよね。
ちゃんと酔っ払ってくる。
エルムガーデンの、もうやってないのかな?
ホタルを見る会みたいな。
やってると思うんですよ。
イベントあそこすごくて、皆さんね、いろんなアイディアもすごいし。
大変だと思います。
流しそうめんとかホタルとか、映像と食を楽しむとか。
流しそうめんとホタル行きましたね。
ホタルは行ったことないんだよな。
行ったことないんだよな。
雪は氷のところでバー作ったり。
やってました。
冬は行ってないな。
でもホタルいいですね。
見えました?ちゃんとホタル。
見えました。
なんですけどお料理食べてて、それで薄暗くて、
白い塊があって食べたらお塩の…
あー!はいはいはい。
わかる。
ノーマップスのコラボディナーも暗いところにロウソク立ててたので、
何食べてるかわからなかった。
さて改めまして、福崎さとみのビシュビショク。
担当する私、福崎さとみについて話していきたいと思います。
現在私はポロコの統括編集長というのをしておりまして、
このスタジオの前にも置いてるんですが、こんな雑誌を作ってます。
でもずっと北海道にいたわけではなく、実は幼少期は熊本にいて、
その後朝日川とか小樽とか札幌、いろいろ来ました。
子供の時になりたかったものね、ゲストの方にいろいろ聞くと、
子供の時から料理になりたかったとか、結構強い思いを持ってる方が多いんですが、
私大した何も考えておらず、
なんかテレビ見てたらテレビ出てる人かっこいいなとか、
なんかCAさんになっていろんなところ飛び回りたいなとか、
雑誌のことはあまり考えてなかったんですが、
でも子供の時からずっとただただ本が好きだった。
大学が小樽だったんですけれども、
結構素敵なカフェとか石造りの素敵なご飯屋さんがあるので、
なんかこういうことを仕事にできたらいいな、
カフェ巡りとかいいな、
今のようにインフルエンサーとかもなかったので、
でもね、こんなことを仕事にするのは無理だろうなと思ってました。
あとは大学時代に学校祭のパンフレットを買って、
ちょっと本が好きっていうことも相まって、
なんかちょっと興味を持ってきたっていう感じで、
雑誌を作り始めました。
統括編集長ってどんな仕事かってよく聞かれるんですけれども、
編集長っていうののちょっと上なので、
編集長を束ねてると思っていただければと思います。
あとポロコのほかに、
北海道生活っていうのをうちが発行してまして、
それぞれ編集長がいるんですけれども、
束ねていたり、
あと営業のスタッフたちを束ねたりしております。
ポロコのほかに札幌の美食店とか、
札幌カフェボンっていう本もあって、
そちらの編集人でもあります。
なので、いつどのタイミングでどんな本を出そうかとか、
どういう企画なのかとか、
あと予算とか、
どこで販売するかとか、
そういうことも考えたりしますが、
実際私は、
本を出す時に、
どこで販売するかとか、
そういうことも考えたりしますが、
実際私も素材に行ったりとか、
美味しいものを見つけたりということもしています。
やっぱり、
またいろいろ新しいものが札幌、
続々と立っているんですけれども、
そういう新しいことに触れられるのが、
この仕事の醍醐味で、
新店とか、
新しい商業施設、
誰よりも早く入っているのは約束だなと思います。
ただ、その代わり、
毎月締め切りに追われたりとか、
今、売上を立てるのに、
雑誌を売って立てるだけではなくて、
いろんなことにチャレンジしているんですけれども、
例えば、
ウェブとかイベントをやったりとか、
そういう売上を考えなくちゃいけないということとか、
結構大変なことも実はあります。
あと、
今、紙媒体っていろいろ変革期に来ていて、
皆さんスマホで情報を取るような時代になってきていると思うので、
アプリとか、
あと、
ウェブサイト、
インターネット、SNS、
あと、
職に関するアドバイザーなど、
様々なことをやらせてもらっていて、
前よりも本を作るよりもやることが多岐に渡っていて、
大変なんですけれども、
この年になっても新しいことをいろいろ挑戦できるので、
楽しいなと思っています。
ただ、私はそうは言っても、
紙の媒体がまた大好きで、
雑誌はやっぱり、
ネットだと調べたらピンポイントの情報が入ってくると思うんですけど、
雑誌って見比べて、
調べた以外の情報も入ってきたりとか、
あと、紙の手触りが良かったりとか、
一応、紙もリニューアルするたびにこだわっているんですよ。
ツルツルにしたり、ザラザラにしたりとか、
そういうのは楽しいし、
あと、一冊、二冊したら消せないじゃないですか。
ネットの情報と違って。
なので、やっぱり、
私だけじゃなくて、
いろんな紙媒体は信頼性が高くあるように
努力しています。
あと、一冊の解読率も高いので、
たくさんの人に手に取ってもらえるように作っています。
ポロコは、
札幌で9割ぐらいの人が
発売されているんですけれども、
北海道全域で発売されていて、
私自身も札幌が大好きなんですけれども、
大好きな札幌、北海道の
食と暮らしの魅力を
一生懸命探したいなと思って、
うちのスタッフたちと一緒に
いろいろ日々駆け回っています。
さらに、見出すだけではなくて、
新しい価値を作るとか、
人と街をつなぐということを
していきたいなと思っていますので、
ぜひ、これからもポロコに注目していただければ
と思います。
そして、きょうの
びしょびしょくのゲストは
二首、
ゲスト一人目は
丸山のエルムガーデンの
総料理長、
小林雅一さんです。
こちらは、神奈川出身で、
横浜や札幌のお寿司、
あと、海石料理店で経験を積んだ後、
エルムガーデンで今、腕を振るっていて、
2014年から総料理に
参加しております。
そして、
2014年から総料理長になられている
小林雅一さん。
16時代、
二人目のゲストですけれども、
SOCブルーイング代表取締役の
坂口のりばささん。
この方は、なんと、
平島出身で、
栃木県のゴルフ場勤務を経て、
北海道にいらしたそうです。
2002年、
今のSOCブルーイングの前身となる
カナディアンブロアリーで
創業されて、
今は、
ノースアイランドビール。
皆さん、知ってたり飲んだ人も
多いんじゃないかなと思いますが、
ノースアイランドビールを
製造・販売しております。
このSOCのプロフェッシャルの方、
二人をお迎えして、
ここでしか聞けないことを
伺いたいと思っております。
そして、なんと、
今日、4時半過ぎですね。
4時40分くらいかな。
プレゼントが当たる、
じゃんけん大会があるんですよ。
今日のビールは、
3種類の味のビールがあって、
その3本セットになっておりますので、
4時半過ぎ、
ぜひ、じゃんけん大会に参加して、
プレゼントをゲットしてください。
では、一曲おかけした後、
大きな違いって何かあるんですか?
大きな違いはほとんどないんですね。
やっていることも自分たちとも変わらないんですけども、
ただクラフトって手作りじゃないですか、
なのでうちの工場も1000リッターではあるんですけども、
ほぼほぼ全ての工程が手作りでやっています。
漠画を粉砕したりとかするのは機械なんですけども、
どれだけの量を入れて粉砕する大きさ、
どれくらいするというのは全部職人が調整しているので、
アナログというかマニュアルで。
へー、なるほど。
クラフトビールという言葉ができてから
わーっと増えたようなイメージがすごくありますね。
ありますね。
現在坂口さんはどういうような仕事をしていますか?
仕事はですね、どちらかというと私も創業の時から
ビールを作るという仕事はしていないんですよ。
先ほどちょっと言った、料理はもともと好きなんで、
もし知っちゃうと、いろんなことを職人さんの方に
言っちゃうのが大体分かっていたので、
ビール作りは職人の皆さんに任せると。
私はどちらかというと、皆さんがビールを作る環境を作るのが
自分だというのと、あとは営業で卸さんとか、
そういうちょっと大きめな百貨店さんと接触するのが
私の仕事ではあるんですけれども。
でもやっぱりできたものに対して、アーダ・コーダーの意見は?
アーダ・コーダーって感想を言いますけれども、
こうしろあしろというのではなくて、
ただ彼らはそれは自分たちの責任の中で、
お客様に喜んでいただけるものではなくて、
自分たちじゃないときにはちゃんと連絡きて、
当初の頃はよくありましたけれども、廃棄処分に何回もしました。
やっぱり自分たちが美味しく感じないものを、
お客様に片目つぶって出すようなことはしないと。
それはもう創業の時からやってますね。
それは素晴らしい。それがあるから、
クオリティと人気を保っているんじゃないかなと思います。
やりたいことは皆さんのおかげですね。
では、まず一曲挟んでお話を聞いていきます。
そうなんだ、作る方はやらないというイサギオさん。
札幌に来るのもイサギオイって。
札幌に来たときもみんなに反対されて、
まだ話してないんですけど、さっき一緒にやろうよって言って、
誘ってきてくれた友達が、実は1年3ヶ月後にいなくなったんですよ。
彼が社長をしてたんですけど。
それでなかなか意見が合わない部分もあって、
具材になるわけですよ。1年3ヶ月で。
それから自分がもう一回社長になるということで、
変えて今22年になりました。
その時は前の会社の職場のメンバーがあれだけ止めて、
友達同士で商売やったら大体失敗するよというのを
みんなに注目されてて、
俺たちは大丈夫ですからって言って、
たんかきって栃木から出てきたんだけど、
1年3ヶ月後にやっぱりねって。
早かった。
すごい言われて、
諦めて早く帰ってこいと言われたんですけど、
もともと頑固なんで、
家に帰りませんということで、
もう一回3人でリスタートするということで、
料理ができるアルバイトさんが入ってもらって、
もう一回やり直すということで。
すごいよ直接。
わーって言ったけどその後。
よくそれでね、今ここまで長く過ごして成功されてるのはすごい。
成功かどうかわからないですけど、長くはね。
あっという間に23年になりますからね。
今もオータンフェスに出させていただいて、
長めで。
広島弁出てないですね。
これはですね、もう一人誰か広島人がいたらすぐにチェンジする。
大阪の人とかもそうですもんね。
方言は相手がいないと話せないですよ。
あと私さっきゴルフ場でフロントとかの業務やってたんで、
先輩方に当時入社した時に、
その広島弁どうにかしろって言われて、
それでフィルタリングをかけるっていうのを覚えて、
そこから広島弁が、通常の会話では出ないんですけど、
誰か一人いるとポロポロって。
へー。
いやなんか昔広島出身が数人いたので、会社。
そこでやっぱり一人全然抜けない人がいました。
3人中2人は標準語と使い分けてたんですけど、
一人ずっと広島にいた人がいて。
一人ずっと広島にいた人がいて。
そういう人もいるんですよ。
ちょっとバリバリ。
バリバリ。
なんだか邪気みたいな。
ちょっと怖く聞こえるっていう。
そうですね。本人たちは自分たちも、
そんなに別に喧嘩を売ってるわけではないんですけども、
みんなにちょっと怖いって言われることはありますね。
当時もね。
なんかもうちょっとしたらジャンケンの呼び込みですかね。
そうです。
みんなジャンケンに来てくれて。
呼び込みをしてもらう。
BGに変わったら。
ふわふわしてきた。
そうですね。結構ロイスキャラにワイン飲んで。
そうなんです。もう私2人目だから。
2回目。
いい感じですね。
そこの人たち呼び止める。
ジャンケンしようって。
ジャンケンしようって呼び止める。
ジャンケンしたらビール当たるかも。
欲しいんだけど、いいんですよ。
そういう人もいるし、物によって。
日本酒とかね、お酒は結構みんな欲しいわけです。
あとホテルの県とかはすごいわけですよね。
ほっといても来る。
商品でみんな選ぶっぽい。
これも付けるってことですね。
あ、付けるの?
はい。付けたら結構。
自分の声聞こえるんで付けてください。
なるほど。はい。
この時間はSOCブルーイング代表取締役、
坂口森政さんをお迎えしてお話を聞いております。
いろんなね、うよ曲折あって北海道に来たというお話を聞いたんですけれども、
SOCブルーイングは今やっているのはビールの製造販売で、
さっき言ってた体験とかも一切やっていないんですかね。
そうですね。体験の機械自体は手放してしまって、
今大きい設備に変えたので、今体験はやっていないんですけれども。
そうですか。さっきちょっと曲が流れている間チラチラ聞いてたんですけど、
坂口さんは2代目の社長ってことですか。
厳密にはそうです。
厳密には1代目、そういう2代目の社長っていうか。
そうですね。1年3ヶ月後に2代目の社長になりましたね。
だから1代目は別の方が社長さんだったんですかね。
そうですね。前の前職の友人と創業したメンバーが最初彼が社長をやっていたので、
残念ながらいろんな意見の相違もあって、1年3ヶ月後で彼が退職して、
それで自分が改めてリスタートということで社長になって、今22年が経ちますね。
そこでね、そういうことがありながらも自分がもう一回やるぞって、
ちゃんと奮い立たせることができたのは何でなんですか。
なぜかというと、やっぱりちょっとさっき話したんですけど、もともと自分は頑固だと思うんですよね。
なんですけど、やっぱり1回決めたらもうやるぞと。
あとは戻りしないというその頑固さで進んできたというか。
やっぱりもうだいたいね、えりさんさんもそうでしょうけど、諦めたら終わりじゃないですか。
けど失敗じゃなくて、そのプロセスなんでという捉え方ですよね。
じゃあ全然落ち込まず頑張るぞという方向で他の残った方々と突き進んできたんですかね。
そうですね。ただ人間なんで落ち込むことはありますけど。
落ち込んだら、その落ち込んだ時にどうやってリスタートをかけるかというところが大事かもしれませんね。
なんかね、やっぱりうまくいかないと、広島に戻ってやるぞって思いそうなところですが、
ちゃんと北海道でも20年以上やっているということで、
今SOCブルーイングの会社のコンセプトみたいなものはあったりするんですか。
コンセプトはやはり自分たちが好きなビールなんですね。
みんなもうやっぱりビール職人になるということは、私も含めてビールが好きな人が集まっているので、
なのでお客様にも喜んで当然本当にいただきたい。
ただその前に自分たちがやはり胸を張っておいしいと言えるものっていうところを
楽しみながら作って、本当に今日も実はお土産で持ってきたシンクピンクっていうビールは
16周年で作ったんですけども、
へべつさんのイチゴを使ったビールなんですよ。
ちょっとイチゴの香りがするぐらい。
フレーバーというかアジトよりも香りがするぐらいのものなんですけども、
コップを使っていないビールっていうちょっと変わったものなんですけども、
それも今日、後からね、ジャンプしてもらいたいと思います。
それも今日、後からね、ジャンケン大会あるという。
私も飲みたい。
なるほど。
だから結構、坂口さんだけではなくてビールを作っている皆さんも
品質に対してはすごく真摯にいいものを作って、
みんなに楽しんでもらおうというところで。
そうですね。うちもいべつでビール作らせていただいて、
田口工場の近くで直営店もやらせていただいているんですけども、
そこでもやはりおいしいビールをお届けして、
お料理のほうも、例えば既製品のものをそのまま出すとかというのを
異性せずに料理長が本当に力を仕込んで手作りでやっているという。
そうですね。さっき今ちょっとお話に出ていました、
田口工事でやっているお店は、先ほどもお伝えしたんですけど、
札幌、北海道、札幌フービーバルですね。
10月3日から始まる札幌フービーバルに参画いただいていますので、
ここに行ったらオリジナルのビールも飲めるし、
おつまみもあらかると一品食べれますので、
普通でも行っていただいてもいいし、
このフービーバルでもぜひ行ってみてほしいと思います。
今、ビールってちなみに何種類ぐらいあるものなんですか?
今はだいたい10種類以上はキープできているというか、
10種類!?
それはなぜかというと、5種類のレギュラービールを
毎年ずっと出し続けているんですね。
それはいつも定番であるんですけども。
5種類が定番。
そして1年間12ヶ月を6回に分けて、
2ヶ月ごとに新しいシーズナルビールを毎年同じ時期に
同じものを出すというシーズナルビールを出しているのが
またひとつのカテゴリーです。
あとは毎月1種類から2種類、一期一会のビール。
本当に一回こっきりというようなビールをまた出し続けているんですね。
そうすると、5種類プラスシーズナルが2つぐらい被って
限定ビールが3つ、4つ被ると、だいたい10種類ぐらいが
弊社のビアバーでも飲めるという。
10種類ビアバーで飲めるんですか?
多い時は12種類飲むんですけど。
すごいですね。シーズナルビールで今回だけと思ったのに
もうこれ定番にしちゃえってなったりしないですか?
そういう声もあったりするので、一期一会のビールなんですけども
第二弾が出たりするものもあります。
なるほど。10種類ですもんね。
そうですね。それが生ビールで飲めるという。
そしてまた飲み放題プランもあったりするので。
生ビールで飲めるのはタヌキ工事のお店だけですか?
そうですね。直営は。
弊社のお客様がお取引いただいていて、そこの飲食店様で
ビールを注いでいただいているところはたくさんあります。
もうすごいワイン飲んでるけどビールめっちゃ飲みたくなってきました。
高口さんが社長になって大変なこととか、逆に社長になって
こういうところが良かったな、助かったなとか何かありますか?
そうですね。自分の中ではやっぱり元々先ほど言った頑固というのがあるんですけど
頑固ってある意味必要かもしれないですよね。自分の思いを持ち続ける。
ただ、頑固すぎると人の意見を聞かないという部分も出てくるじゃないですか。
そのバランスって難しいと思うんですけど。
私も21年くらいですね、朝の勉強会に通わせていただいて
そこでの学びが大きくて。
朝の勉強会?
臨業式会。
臨業式会で去年の8月まで北海道の会長もさせていただきました。
そうですか。会長さん。私ちょっと1回だけお伺いしたいんですけど
お邪魔したことがあります。
さっき聞きました。厚別じゃなくて清田。清田の幹事さんと偶然会ったんですよね。
そうですか。そこは経営者の方が集まりつつ、いろんな心の持ちをとか。
そういうところと、あとは医療指向料もできるということで。
そこで私も21年くらいですね。
今も行っては会長ではなくなったけど。
会長ではなくて、今度は全国に行く方になっちゃったみたいな。
東北とか中心に行ってますね。
あれは朝6時くらいからですよね。
6時とか6時半とか会場によってなんですけど。
全国に7万3000社くらいの会員さんがいらっしゃる。
北海道でも今2100社。
だから夜だと結構接待があったり忙しいけど、朝だからそういう学びの時間。
眠いけど学びの時間としては経営者の方も作れるってことですね。
そうですね。そこで行くことによって、先ほどの自分のわがままであったりだとか、
偏った捉え方とか、その辺が変わっていったというのがありますね。
なるほど。北海道に来ていただいて、ここまでみんなが知っている、
育てていっていろいろご苦労はあったんじゃないかなと思いますが、
今まで20何年もやってきて、今後職の仕事に就きたいと思っている人にアドバイスってありますかね。
そうですね。職の仕事もそうですし、すべて職に通じるものだと思うんですけども、
私がすごくお世話になった知事やホームの知事やポーゾーさんがですね、
当時の私、日本時間の会長でもあったんですが、
知事やポーゾーさんがいつもおっしゃっていたのは、使命感だと。
使命感ってそのままですけど、命を使うじゃないですか、使う命の感ですよね。
その使命感で、その仕事を通じていかに社会に貢献できるかということをまず考えた上で、
その会社の経営を考えなさいと。
例えばどれだけの売上がるとか、いくら儲かるとかっていうところは後からついてくると思うんで、
その前に自分たちの使わせていただいている仕事ですね。
仕事をしているんじゃなくて、させていただいているという感覚なんですよね。
それを教えていただいて、だからそういう使命感を持って、
例えばおいしい料理をお作りしてお客様に喜んでいただくとか、
例えば素晴らしいソフトを開発して世の中に貢献するだとか、
そういう使命感、自分は何ができるのか、
そういうのを考えて仕事をするというのが大事だよと教えてもらったので、
私もいつもそれを念頭に置いて動いているという。
いやそれでもね、職に関することだけじゃなくて、
どの仕事をするにも生きてくる言葉ですよね。
なるほど、使命感ね。
私もそこで北海道で、来てないと土屋幸三さんと会えてないじゃないですか。
それが北海道の会長と幹事長という間で、3年間も直に教えてもらえたので、超ラッキーですよね。
こうやって引き寄せられてきたっていう感じですよね。
ほんとそうですね。
ありがとうございます。
最後に坂口さんの今後の夢は何かありますか?
夢はですね、自分も先ほどのクラフトビールですね。
ビール業界を通じていかに社会に貢献できるかということなので、
今やはりインバウンドの方たくさんいらっしゃると思うんですけれども、
それよりもまたさらに北海道にも全世界からいらっしゃると思うんですよね。
なので全世界の方たちが北海道に来る一つの理由になるぐらいのクラフトビールをお届けする。
そして来ていただいて飲んでいただいて、やっぱり生は違うねということで。
そして来ていただいた方がこの地域に来ていただくことによって経済のグローブじゃないですか。
北海道、そして日本という形で。
クラフトビールを通じてどうやって貢献できるかというところを考えていますね。
そこにはあとどれぐらいでいけそうですか。
自分はいつまで現役でいるかというところもあるんですけど、
ただ材料もですね、今ほとんど海外のものを使っている状況ではあるんですけれども、
今ヘベツのアミュスファームさんという農家さんのところでコップを作っていただいて、
フレッシュコップラガーとかフレッシュコップエールが今まさしくタンクの中で発行している。
もうすぐじゃあ出せる。
出せる予定なんですけどね。
それは一つの足が上がりで、これからどんどんまたさらに農産のものを増やしていく。
農産の原材料を増やしていって、最終的に全世界から北海道に来ていただけるようなそういうビールを作っていく。
そっか、だから北海道で作っているだけじゃなくて、ちゃんと原材料も北海道のものにしていくということですね。
というふうに転換していって、いろんな塾で教えてもらったんですけど、
100年先に、私はいないですけど、100年先にうちの企業はどういう状況になっているかということを考えながら、
次世代の人にバトンを渡していくということを意識しながら教えていただいたということです。
すごい深い、いろんな業界に通用するような夢でした。
北海道に来る人に喜んでもらうというところまで考えてビールを作っているというのはすごい。
ということで、ちょっとちらほらいるかな。