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こんにちは、人生加速コーチのなおこです。このチャンネルでは、私が会社員を辞めてライフコーチとして企業独立してきた過程や、これから企業復業を目指している方の背中を押せるような情報、考え方、マインドなどを発信していきます。
まず、冒頭にいつもの企画のお知らせです。本日最終日となっております、スタンドFM限定の通話企画を開催しております。
私がスタンドFMを始めて1年4ヶ月になります。明日から5ヶ月目ですね。放送がもうすぐ250ぐらいになるのかな。
いいねが1000件記念で始めたんですが、もう1500件以上ということで、本当に皆様いつも聞いていただいて、いいねまで押していただいている方、本当にありがとうございます。
リスナーの皆様とですね、もっと双方向で関わってみたい。放送を聞いてどんなことを感じていただいているのか、受け取っていただいているのか、ぜひお聞かせいただきたいなと思いまして、私とちょっと話してみたいなと思っている方はですね、
公式LINEまたはその他DM機能あるものからスタンドFMの通話企画を見ましたということで、連絡をいただけましたら、個別にアポを取りまして、15分から30分程度のミニセッションをプレゼントさせていただきたいと思います。
次ちょっといつやるかわからないっていうところと、あと今回ちょっとなかなか応募しにくいなっていう方も、公式LINEの方ですね、ご登録いただいていれば、ギリラ的な通話企画はまた5月中にもやると思いますので、ぜひそちら登録していただければと思います。
お待ちしてます。
昨日ですね、娘のバスケットボールチームの体験に行ってきたっていう話をしたんですけど、私は途中で抜けたので、帰ってきて、どうするって聞いたら、ぜひやりたいっていうことで、チームのスケジュール表とか送ってもらったんですよ。
結構土日ガチなんですね。噂には聞いてたんですけど、結構ガチだよっていうふうに聞いてたんですけど、土日がまあ練習試合だ、大会だって言ってありまして、私結構土日も既に予定入れちゃってて、これ全部親がね、対等しなきゃいけないわけじゃないんですけど、まだ始めたばっかりだし、フォローもいるかなと思って、
いやーこれ、私既にほとんど埋まってるわっていう状態だったんで、もうちょっと弟にもいろいろ協力をしてもらわないとなっていうところなんですが、弟で平日パンパンの中で土日も火事だったりとかいろいろやっていただいているので、
もうこれは結構ちゃんと話して協力し合わんと大変だなというところが見えてきてまして、いろいろ話し合っていかないとなと思っているところです。いい機会かなと思いますけどね。
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私娘も今までスイミングとかやってはいましたけれども、チームスポーツみたいなところは初めてなので、マイペースの娘がどこまでそういうところに食らいついていけるかはちょっと見物だなと思っています。
いろいろね、礼儀とか挨拶とか団体行動みたいなところをですね、鍛えてもらうにはいいかなとは思っているんですけど、1年から3年と4年から6年で部が分かれてて、合同練習もあるんですけど、娘は3年生なので、3年生まではまだそれでもゆるいんですよ。
4年から6年になると平日の夜とかも練習があって、こんなにやるの?みたいなぐらいの感じなんですよ。
コーチの方もすごいなと思って、何してる人しかわからないですけど、普通にもしかして平日働いてる上でこれやってるのかなって思うと、相当な時間を投下してるんですよ。
部費が月1500円とかなんで、そんなにこうなんて言うんですか、安いと思うんですよってことは、そんなに報酬を多分もらってるわけじゃない、もちろん何十人とかいますけど、それでも、
その部費の中からね、いろいろ大会に出場、エントリーする時の費用とか、そういうものは全部払ってると思うので、そこからコーチの報酬に回す金額ってそんなに大した金額じゃないんだろうなって思うと、金額目当たりじゃないんでしょうね、きっとね。
本当に好きでやってるんだろうなって思って、いやすごいなと、本当に感謝ですよね。
あっ、ちょっとホットクックに忘れているのかなってリマインドされているので、ちょっと出してきます。
はい、戻りました。小松菜を茹でておりました。
娘もね、せっかく身長高いので、私も身長高いですけど、バスケかバレエやってたんですかってよく言われるんですけど、やっていませんので、娘はですね、身長を生かしてですね、体格も比較的いいので、全然高学年の子に負けない体格をしていますので、生かしてもらえるといいのかなと。
マミ子夫人ですか、大谷翔平の奥さんもね、バスケット選手なので、メンサー生、マミ子夫人的な感じで頑張ってもらえたらなと思います。
今日はですね、先日通話企画でお話しした方からリクエストというか、こういう話でも聞きたいですって言っていただいたので、他の皆さんが聞きたいかどうかわからないのですが、一人でも聞きたいと言ってくださっている方がいる話をしたいなと思うので、
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自分の過去について話してみようかなと思います。ちょっともうおいたちから順番に話してみようかなと思っているので、ちょっと1回で話しきれないかもしれないから、途中で何回かに区切ってですね、話そうかなと思うんですけど、最初に子供の頃というか、おいたちの部分から話してみようかなと思います。
まず生まれは1985年、昭和60年ですね。昭和60年で、昭和自体が確か64年が最後の年なんで、昭和生まれでありながら昭和の記憶はほぼないという昭和末期世代でございます。今40歳ですね。
生まれは東京都福生市というですね、あまり見慣れない地名かなと思うんです。福、幸福の福ですね。福が生まれると書いて福生と読むので、知らないと絶対読めない地名なんですけど、米軍の基地横田基地っていう米軍基地があるところなので、生まれた時に住んでた家が本当に横田基地の目の前だったので、
飛行機がバンバン来るんですよ。テレビ見てるとしょっちゅう飛行機に音をかき消されてですね、聞こえないっていうですね、いう環境でした。途中で防音工事が入って、結構窓閉めてれば音は聞こえるけど、テレビの音が聞こえないみたいな環境ではなかったんですけど、そういう感じですね。飛行機がバンバン飛んでるっていうのが当たり前の環境で育ちました。
米軍基地あるので、当然その基地に住んでいる方っていうのが近所に出入りしているので、学校の同級生にもそこのお父さんとかが基地の人で、みたいなハーフの子とかも結構いたりしたので、なんかそういうのが珍しく、当時としても珍しくなかったかなっていうのと、普通にその街中に白人と黒人が結構いるっていう感じですね。
あんまりそこの海外とか英語とか、私はそのおばさんもアメリカに住んでいるので、そこに関してアメリカっていう距離が、心の距離が比較的近かったみたいな、海外に対する違和感みたいなものはそんなになかったのかなっていう環境でしたね。
基地の、今も毎年やってると思うんですけど横田基地のお祭りみたいなやつがあって、その時だけこう一般の人も自由に入れるっていうのがあって、当時のコックピットの中とか見学できるようになってたりとか、あとなんかアメリカのクソ甘いケーキとか下の色が緑とかピンクになる謎の味のジュースとかですね。
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なんかそれはすごい記憶に強烈に記憶に残っているなっていう感じがしますね。
そういう感じで東京の西側の方ですね、奥の方で育ったんですけど、親は東京と東京なんですけど、父親はもともと文教区育ちのちょいおぼっちゃま、おぼっちゃままでいかないんだけど、いわゆる育ちのいい自称シティボーイなんですね。
都会の教育もちゃんと受けているって言ったらすごい変な言い方なんだけど、おばさんとかもその年代で大学出てる人少ないよねっていう世代ではあるんですけど、青学とか出てたりするので、割とこういいとこのお家ですよね。
おじいちゃんが日本橋生まれとからしいので、結構都会っ子ですよ。シティボーイ系列のお育ちで、逆に母親は同じ東京都なんだけど、日野原村という東京の西外れの一歩向こうで山梨県みたいな感じで、東京に村あんのって思うと思うんですけども、あるんですよ一個だけ。
そこの日野原村というところの育ちで、本当に電車も通ってないし、バスも30分1本ぐらいしか来ないし、小学校も1個しかないし、高校はないしみたいなですね。そういうところで育ったので、両親東京で私も東京生まれですって言いながら、結構東京って言ってもすごいグラデーションがあるなっていう感じなんですよね。
だから私今東京の三鷹っていうところに住んでて、ちょうど東京って東西に横長の長方形というかだと思うんですけど、その真ん中ぐらいに住んでるんで、なんか多分その都会的な要素と田舎的な要素の融合されたところがちょうどいいっていうのが多分そういう感覚もあって、今ここがすごくちょうどいいのかなって感じていると思っています。
純粋に実家に帰りやすいっていうね、アクセスがいいっていうところももちろんあるんですけど、そんな感じで育ちまして、割といわゆる寄生ってなると母方の方、日野原村の方が行くことの方が多かったので、
小さい時は川遊びとか、おじいちゃんがアルタで橋を作ってくれて、川行ってそこでバーベキューしたりとか泳いだりとか、そういうことをよくやってましたね。
火起こし、火遊びが好きで、おばあちゃん家で庭でゴミを燃やすっていうのがすごい好きだったんですね。何時間でも火と向き合っていられたんですよ。
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人間って火が好きなのかなと思うんですけど、それをやっぱり今でもおばさんとかからは、おばちゃんってずっとゴミ燃やしてたわねって、母の葬儀とかでおばさんに言われるみたいな、なんかそういう感じ。
自分でもそう思ってるし、周りから見てもそういう印象だったんだなっていうのが改めてわかるみたいな感じですね。
父親はサラリーマン、もう本当に大卒から定年までずっと一つの会社で勤めて、それなりの役職にも就いていたみたいな、もう本当にコテコテのサラリーマンですよ。
結構夜遅くまで働いてみたいな感じで、母親がほぼ専業主婦、一時ちょこちょこパートしたりみたいなことはしてましたけど、基本的に専業主婦。
兄弟は三つ上の兄がいるっていうですね、本当に典型的なあれですよね。フルタイム会社員のお父さんと専業主婦の妻と子供が二人みたいな、もうすごい典型的な世代だなっていう感じがしますね。
で、いとこの、いとこの母方の方がうちの兄弟プラス3人、あ、違う違う違う、父方の方が3人、母方の方が我々の兄弟プラス4人みたいな感じだったんですよね。
父親も母親もそれぞれ末っ子、末っ子同士、母親は3人姉妹、兄弟の末っ子、父親は4人兄弟の末っ子っていう感じです。
両親は10歳離れてるんですね。お父さんが10歳上なので、父方の方はやっぱり父も父が年上なってからの末っ子で、4人兄弟で一番上のおばさんが、この間話したアメリカに住んでいる88歳のおばさんですね。
いまだに世界中を旅行している88歳のおばさんが長女っていう状態なんで、やっぱりそっちが年離れてるんですよね。いとこが2回り年上みたいな、なんかそういう感じなんですよ。
母方の方は比較的年は近いんですけど、それでもいとこの中では下から2番目っていう感じなので、結構私は末っ子気質なんですね、基本的に。
1個下にいとこ男の子1人いたけど、それ以外は全部年上っていう感じなので、いわゆる末っ子気質っていう感じですね。
なので結構誰かがやってくれることに乗っかるっていうのはすごい上手の方だと思ってます。あんまりこう自分でバンバン仕切って、みんなの面倒を見てみたいな、
めくばりしてみたいなっていう感じではないかなと思って、どっちかっていうと上手に乗るっていう方が、誰かがこうやってくれたことに対して上手に乗るっていう方が上手なのかなっていう風に思ってます。
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しかも3つ上の兄がちょっと病気持ちだったところもあって、割とその両親も病院に結構連れて行ったり、ずっと通院をして治療していたので、
結構小さい頃は土日も通院に付き合わされるっていうか、くっついていくみたいなですね、いうのも多かったですし、割と兄に対してはちょっと過方だったところがある一方で、
私は健康的で、あんまりその大きな怪我とか病気もなかったので、割と放置までいかないけど、そんなに干渉されずに育った方なのかなっていう感じがしますね。
あんまり手がかからなかったっていうふうには言われているので、手がかからず、手をかけられすぎず、割と好きなことをしていたのかなっていう感じではあるんですけど、
子供の頃はとにかく人見知りでしたね。これも何かどっかで話した記憶ありますけど、
友達は少なかった。自分からあんまりそのガンガンいけない方ではあるので、気が合う小人数の子と割と一緒にいるみたいなことが多かったかなと。
あんまり自分からは誘えなくて、誘われたらついていくみたいな感じの方が多かったですかね。
でもそういう感じだし、あんまり自己主張できるタイプではなかったので、いじめられるまではいかないんだけど、
ちょっとこう、言い頭にされるというか、雑にされるというか、なんかこう、座見にしても文句言わないよね、この子はみたいなですね。
なんかこう、笑って許してくれるよね、みたいな多分空気があって、すごい覚えてるのが、何年生くらいかな。2年生か3年生くらいだったのかな。
友達がどっかに行ってきましたと。で、そのグループ、5、6人くらいのグループにお土産を買ってきてくれたんですよね。
で、多分色違い、物は一緒なんだけど、色違いかなんかだったのかなって思うんですけど、で、なんかどれがいい?みたいな感じでやるんだけど、
私、ナオって呼ばれてたんですけど、ナオは一番余ったやつね、みたいな感じで、最初から決められて、なんか別にそれでいいでしょ、みたいな感じだったんで、
なんかすごい、そういうことを言ってもこいつは大丈夫だ、みたいな、なんかそういうふうに扱われていましたね、結構。
で、そういうことを言われても、またなんか、なんかそういうことしないでよ、みたいなことも反論できないやつだったんですよ。
そういう感じで結構、人見知りとちょっとまた違いますね、これはね、でも結構顔色を伺うっていうか、ヘラヘラしてるっていうか、ニコニコしてるっていうか、そういう感じではありましたね。
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で、人見知りの話に戻ると、マンションに住んでたんですけど、住民の、これどっかの話だけ分かるんですけど、住民の人と顔を合わせるのが嫌すぎて、
普通にね、こんにちはとかって言えばいいだけの話なのに、それが嫌で、人の気配を感じたら隠れる、みたいなのをよくやってましたね。
誰とも会わないようにするみたいな。
そういう人の目を多分過剰に気にするタイプだったんですよね。
本当発表会とか、ああいう人に注目されるのもすごい嫌だったし、
小学生の時に、一時バイオリンをやってたんですけど、その隣の駅なんですよね、隣の駅にある教室だったんですけど、
そこにバイオリンを持って行く、そのバイオリンを持って出歩いて、人に、友達とかに会うのがすごい嫌だったんですよね。
あの子バイオリン持ってるっていう目で見られるのがすごい嫌すぎて、
高学年とかだったら一人で電車乗って行けるんだけど、母親にも送り迎えが大変だから一人で行ってくれって言われたんですけど、
そのバイオリンを持って出歩くということが嫌すぎて、車で送ってもらってたんですよね。
結局5年か6年ぐらいでも辞めたんですけど、
何を気にしてるの?みたいなことをすごい気にする子でしたね。
あとはすごい感覚的には結構男の子っぽかったんで、スカートとかワンピースを着させられるのがもうとにかく嫌で、
もうめっちゃ拒否してましたね。すごい拒否してた。
中学で制服でスカート、それも嫌だったんだけど、それは履かなきゃいけないじゃないですか。
今はね、女の子でもスラックス履いてるんですけど、
うちの娘が行く予定の中学とかも結構女の子でもスラックス履いてる子いるんで、超羨ましいなぁとか思っているんですけど、
当時はそういうのないわけなんで、いやいやスカートを履いて行ってたんですけど、
やっぱり小学校からの友達とかには、うわぁスカート履いてる!みたいな感じで言われるぐらい本当に履いてなかったんですね。
結構性格的にも内向的ですね。内向的なので、小人数か一人で遊んでいるのが好きっていう状態で、
その習い事もバイオリンとスイミングをやってたんですけど、
結局どっちも小学校の高学年でつまんなくなって、友達もできないし、行っても楽しくないから苦痛で辞めちゃって、
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5、6年生ぐらいは習い事も何にもやってない時期があって、
遊ぶ友達も本当に特定の友達みたいな感じで少ないし、
結構学校から帰ってきて一人で家でずっと部屋で漫画描いてるみたいな暗い感じでした。
それが別に嫌だとも思ってないというか、その方が落ち着くぐらいの感じでですね。
ただその時々遊ぶ友達で、休み時間とかも一緒に漫画描いてた友達がいるんですけど、
その子は今も付き合いがあるんですよ。
本当に3年生ぐらいの時に転校してきて、そこから仲良くなって、その子とは一番長いですね。
ストレングスでいう社交性が低くて親密性が高いっていうのが、子供の頃からですね、現れてるなっていう感じがしてますね。
子供の頃から結構動物は好きで、リカちゃん人形とかね、バービーとかね、人間の人形に全く興味がなかったんですね。
全然アイの欲しいって思わなくて、動物のぬいぐるみがめちゃくちゃ大量にあったんですね。
今、うちの娘も同じ状態なんですよね。
人間系のやつ全然持ってない。動物ばっかり。
その動物のぬいぐるみを全部出して並べて、なんとかごっことか、同じことやってるって見ててすごい思ってるんですけど。
動物はね、すごい好きでしたね。
ちっちゃい頃の写真で、うちの兄は結構ビビリなんで、全然動物触れないんだけど、
私はもう2歳くらいでも全然ビビらずにヤギに触ってるみたいな、そういう写真があるんですけど、
動物はだからすごい好きですね。
今ミルクちゃんがいてすごい可愛いっていうのも、動物愛欲が満たされてますね。
動物も結構変わったものが好きというか、
ちょっと今ミルクちゃんに倒されたんですけど、
動物園で狸の白犀の前から動かおうとしなかったりとか、離れ事すると泣き出すみたいなやつとか、
逆にいわゆるメジャーなパンダとかウサギみたいなやつには全然興味を示さなくてですね。
ちょっとニッチな動物は割と好きだったみたいですね。
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その親には、今だったらそういうことってあまり言わないと思うんですけど、
やっぱり当時の年代的な価値観だと、普通じゃないってすごいおかしいみたいな、
変わってるっていう言葉を、あんたは変だね、変わってるね、みたいなのを
ネガティブな意味で結構言われてたんですよね。
今だったらなんかすごい個性的だねとか、自分があるよね、みたいないう風にポジティブに捉えられるかなと思うんですよ。
自分の軸があるというか好きがあるっていう。
やっぱり当時の感じだと、親も昭和前半ですから、
なんか変だみたいな感じで、すごいそれを言われるのが嫌だったなっていう感じですね。
自分の価値観を否定されるわけじゃないですか、親に。
それは結構しんどかったですね。
あとあれですね、物、服もそうだし、物とかも結構、いわゆる女の子よーみたいなやつが苦手だったんですよ。
小1か年長か、年長の時に自転車乗れるようになったというか、逆か、自転車買って全練習したのかっていう順番かだと思うんですけど、
自転車を買いに行くってなって、いわゆる女の子デザインの自転車がどうしても嫌だったんですよ。
どうしても嫌で、ブリジストンの真っ赤な子供用のマウンテンバイクみたいなやつ。
これがいいって言って買ってもらった。
どうしても、私は私で絶対これがいいって聞かないから買ってもらったんですけど、
またそれも男の子みたいだ、みたいな感じで否定されるわけですよ。
親だけじゃなくて、やっぱり周りもそういう目で見るから、マンションの朝が正午入る前だ、年長の時ですね。
マンションの人数が多かったんで、割とお兄ちゃんの友達と一緒に遊んでるみたいなことが多かったんですよね、公園とかで。
そうするとほとんど男の子なんですけど、私がブリジストンのチャリで行って、
なんで女が男のチャリ乗ってんだよとか言われて、お兄ちゃんの友達にチャリ取られて乗り回されるみたいなんですね。
そういう感じでしたね。
なんですけど、うちの娘がブリジストンのマウンテンバイクに乗ってるんですよね。
やっぱりその辺のセンスは似てるのかなと思ってですね。
娘も初代のチャリはアナ雪だったんで、
お、これは?と思って、私が絶対子供の頃選ばなかったようなプリンセスのチャリを選んだわけですよ、3歳ぐらいの時に。
お、これは?って思ったんですけど、2代目乗り換える時はやっぱりブリジストンのマウンテンバイクになって、
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あ、やっぱそっちか、みたいな感じですね。
まあでもそれは全然私としては変だとも思わないし、やっぱそうだよね、みたいなぐらいの。
ぐらいの感じではあります。
あと変に冷めてるというか、なんかこう子供っぽくないところも、
なんていうかな、透かしてみせるみたいな感じのところも結構あって、
まあ親の影響もあると思うんですけど、
うちは子供の頃にサンタクロースが来ない家だったんですよね。
来ないから当然信じてないわけなんですけど、
幼稚園ぐらいからもう既に信じてないわけですよ、来ないから。
なんで幼稚園のクリスマス会というものが、でサンタさん来るじゃないですか、
あれがすでに演出、大人の演出だということに気づいているわけですよ。
嫌な幼稚園児ですね。
なんかあれ園長先生なんじゃない?みたいな感じで、なんかすごい嫌なやつだし、
小学校の低学年ぐらいまでは結構サンタさん信じてる子多いじゃないですか。
それでその同級生に、
サンタさんは絶対いるんだよとかっていう子に対して、
いるわけねえじゃんバカみたいな感じでなんか言って泣かしたみたいな、
嫌なやつって感じなんですけど、
結構父親は割と現実過ぎっていうか、
ドライだったので、そこら辺はこう受け継いじゃっててですね、
そういうのをまた言っちゃうから、
だから嫌われるんですけど、
っていう感じでした。
あと冷めてるで言うと、
さっき結構ないがしろにされてたみたいな話をしたんですけど、
一時そのグループから、いわゆるはぶられる、
無視されるみたいなことがあったんですよ。
急に入れてもらえなくなって、
無視されるみたいなやつがあったんですけど、
でもその時も冷めてるので、
ほっとけそのうち終わるだろうみたいな感じで、
特に多分親にも相談しなかったかな、
あんまりいじめられてる、はぶられてるみたいな感覚がなくて、
すっごい上から目線で嫌だったんだけど、
一時の子供のあれだから、
そのうち終わるかなみたいな感じで、
こっちが逆に無視してて、
無視というか気にしないっていう態度を取っていたら、
どれくらいの期間か忘れましたけど、
ある時、グループの一人が私の席の近く、
私休み時間に一人で席に、
多分漫画書いてて、
来たと思ったら無言で手紙を置いてたんですよ。
そしたらごめんねって書いてあって、
ああ終わった、みたいな感じで、
そこからまた普通に戻ったんですけど、
そういう上から目線の嫌なやつでしたね。
そんな感じですね。
あんまり幼稚園、小学校ぐらいまでは、
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それなりに楽しかったけど、
結構人間関係っていうか、
思いっきり子供らしく楽しめていたっていう感じが、
あんまりしないかな。
一番楽しかったのは、
おばあちゃん家でゴミ燃やしたりとか、
いとこのお兄ちゃんお姉ちゃんと遊ぶのとかは、
下の子も含めてですね。
すごい楽しかったけど、
それはすごい純粋に楽しかったっていう感じがするけど、
あんまり学校とかは、
その長く続いている友達以外は、
割としんどい感じの方が多かったかなという気がしますね。
ただ小学校はですね、
結構いろんな境遇の家庭の子ってやっぱいるじゃないですか。
本当に狭い地域で、
ただそこに住んでいるというだけで、
同じ学校に集まるわけですけど、
結構、なんていうかな。
貧しいお家の子だったりとか、
親がちょっと荒れてるみたいな感じだったりとかするので、
そこに対する多様性、
さっきのアメリカの話もありましたけど、
多様性に対する許容度は、
すごいそこの環境で育ったような感じが、
今思うという感じがしますね。
思い出した。
親がスナックを経営してて、
っていう同級生がいて、
昼間、そのお店開ける前に、
そのお店でカラオケで遊んだりとか、
そういうことをやってたりとかですね。
こういう世界があるのか、みたいなところですね。
その子は中学ぐらいからキャパクラでバイトしたりとか、
今はどうしてるのかな。
一回30歳ぐらいの時に会った時は、
歌舞伎町の山のバキュラみたいな感じになってましたけど、
あとは小学校の時に、
今でも仲良い子ともう一人仲良かった子がいて、
その3人でよく遊んでたんですけど、
そのもう一人の子の家庭環境もそこそこで、
5年生の時だったと思うんですけど、
お母さんが自死をしてしまったんですね。
っていう理由とかちょっとわかんないんですけど、
自死だということは聞いてるんですけど、
そこから結構中学生になってからとかも荒れちゃったりとかしてたので、
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普通の子だったって言ったらあれなんだけど、
そういうのも見てきたので、
人生っていろいろあんだなみたいな。
うちの家庭がすごい平穏というか平和というかいう感じだったんですけど、
いろんな家庭があるんだなっていうのは、
子供ながらに見ていたというかですね。
っていうところは結構多様性を受け入れるというか、
理解できるような素人になってはいるのかなっていう気はしてますね。
そんな感じの幼児期から小学生時代でしたね。
ここから中学という暗黒期に入っていくんですけど、
ちょっと今日また人に会うキャンペーンで、
この後も人に会う予定がありまして、
昨日も私明治神宮とか原宿にいたんだけど、
今日も待ち合わせ原宿というか表参道なんで、
2日連続原宿に行くっていうのはなかなかないんですけど、
そろそろ準備をしたいと思うので、
また続きを別の放送で話したいと思います。
本日も聞いただきましてありがとうございました。