キクと旅に出たくなるサッカーを見たくなるサカ旅。この番組はサッカーを愛する3人がサッカーと旅についてダラダラと語り合うポッドキャストです。
パーソナリティの赤林です。パーソナリティの岡田です。村中です。はい、よろしくお願いします。お願いします。お願いします。今回もやっていきたいと思うんですけれども、今回はですね、なんと第3回目のゲスト回となります。
いつもダラダラ喋るんですけども早速ゲストを呼びしてお話ししたいと思いますので呼びさせていただきたいと思います。今日のゲストはですね、現在フィンランドでプレーをする現役のサッカー選手内山竣太さんに来ていただいております。内山さんよろしくお願いします。よろしくお願いします。ありがとうございます。
今はフィンランドからつないで出ていただいてるんですけど、フィンランドって今何時ですか。今は昼の2時半ですね。日本とは実は7時間で。7時間ですね。良かったです。早朝とかじゃなくていい時間帯で良かったです。僕にとっては最高の時間です。ありがとうございます。早速なんですけれども、まずは内山さんの経歴をご紹介させていただければと思っております。
内山竣太さんはですね、北海道室蘭市出身の現在28歳になります。北海道の名も室蘭大谷高校。現在の北海道大谷室蘭高校って今ちょっと名前変わったんですよね。
卒業後愛知学院大学に進学。卒業後福山市TFC鎌倉インターナショナルFCでのプレーの後、2022年からフィンランドに活躍の場を移し、フィンランド3部リーグのEPSなどのチームを経てまして、現在はフィンランド2部リーグのPK35でプレーをしているサッカー選手になります。内山さんよろしくお願いします。よろしくお願いします。
初めて現役のサッカー選手をお呼びして話していければなと思ってるんですけれども、内山さん今回お呼びさせていただいたところはなぜかというと、お母さんが鎌倉インターナショナルFCで勤めてた際に、かぶってたというか、私ですよねお母さん。
一緒に一シーズンだけだったけど、なんかあんまり一シーズンだけだった気もしなく結構濃い1年ではあった気もするから、なんかあんまりもうちょっと長い一緒にいたかと思ったら意外と1年だったっていう感じかな。
それはどういう意味ですか。結構いろいろあったから、いろいろというか別に悪い意味じゃなくていろいろあったみたいな感じですか。
コロナ禍だったから結構他にやることがある意味ないというか、サッカーに結構コミットしたシーズンな気もして、でウッチーがいた時にみんなの後サブレスタジアムができたっていうのもあって、そこでウッチーも試合バンバン出てて、すごい印象に残るシーズンだったなっていう記憶はあるけど、気づいたらフィンランドで大活躍してて驚いたっていう。
気づいたらフィンランドにいました。
なるほど。
ちょっとそのフィンランドに行った理由とかもちょっといろいろ聞いていこうかなと思います。まずこれいつも定番なんですけれども、サッカーにちなんで10個質問を用意させていただいておりますので、まずその質問に答えていただいて一つずつ内山さんのこと深掘りできたらなと思っておりますので、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、では第一問あります。簡単なんですけれども自己紹介と経歴のご紹介をお願いします。
改めまして内山俊太です。現在28歳でフィンランドでプレーしています。出身は北海道の室蘭市で、高校卒業まで地元の北海道大谷室蘭高校に所属して、大学進学と同時に愛知県、愛知学院大学に行きました。
大学卒業後に当時広島県二部だった福山市tfcに所属をし、1年後に当時神奈川県二部リーグだった鎌倉インターナショナルFCに移籍しました。
2022年からフィンランドに渡航しプロサッカー選手になることを目指しながら現在までプレーすることになっています。現在はフィンランド二部リーグ所属のpk35というクラブで3シーズンを終えて来シーズンに向けてチームとともにトレーニングをしているという形になります。
ありがとうございます。じゃあ続いて第2問ですね。日本でのキャリアの中で海外に行こうと思うようになった理由ってどういったところでしょう。
多分僕みたいに日本でプロになれなかった選手が海外でサッカーをする理由ってシンプルだと思うんですけど、やっぱり日本でプロサッカー選手になりたいって思ってても現状自分の実力だったりが伴わずなれない。でも諦めきれないみたいなような状態がちょっと続いてまして。
神奈川県二部リーグに最後所属したときもモチベーションとしてはプロになりたいと思ってたけど、実際現状と理想がけっかけ離れてていう中で実際その当時一緒にプレーした選手たちの中で海外経験のある選手だったりもすごく多くて、そういう選手たちから話を聞いていくうちに自分にもチャンスがあるんじゃないかと思って海外に行けば。
で、いくつか選択肢を絞ってエージェントともお話をした結果フィンランドに渡航することになる現在に至ります。
なるほどありがとうございます。続いてですね日本国内のサッカーの経験で特に印象に残っている出来事を教えてください。
いくつかあるんですけど、実際僕が日本でプレーしてたときに全国大会の物体でプレーしたのが一試合のみで、でその試合っていうのが高校サッカー選手権の当時僕が2年生だった頃の選手権2回戦、全国大会2回戦のvs理性者の試合が多分僕がプレーした中でもっともお客さんが多かったりっていうような環境の試合だったんで、
それがまあ試合としては一番印象に残ってて、出来事としては当時広島県2部に所属していた福山シティ時代に全く試合に絡むことができずシーズン前半戦を終えてた。
でその中でまあ比較的メンタル的にもすごい弱ってて、っていうような経験があったりして鎌倉に移りでその後フィンランドに移りっていうので、日本での挫折の経験が現在フィンランドでプレーし続けられている要因にもなっているので、その経験というのがすごい今の自分には生きているかなと思います。
ありがとうございます。続いて第4問ですね。フィンランドに初めて着いたとき最初に驚いたこととか印象に残っていることは何でしょうか。
最初に着いたときに空港で夜ご飯を買おうかなと思って立ち寄ったらすっごい物価が高くて。
で当時神奈川県リーグ所属しながらアルバイトとかしてた自分にとってはもうめちゃくちゃ物価が高い国だなっていうのがもうファーストインプレッションで。
で意外にも寒さは自分北海道出身だったので大丈夫で、とりあえず物価が高い国だなっていうのでこれからどうやって体調管理しながらいい食事食べながらっていうのですごい考えてましたね。
なるほど。今もやっぱ物価高いなって感じます。
今はその当時よりも多分1ユーロ換算で20円ぐらい高くなってて。
なるほど。
その当時はユーロ収入が全くなかったんで、逆に今はユーロでの収入が少なからずあるので物価は高くなってるけど生活水準としては落ち着いてきてるかなっていう感じです。
なるほど。日本で今物価高い物価高い言われてますけど。
フィンランドでも同じですね。
そうなんですね。
分かりました。ありがとうございます。続いて第5問ですね。フィンランドのサッカーと日本のサッカーで一番違うと感じる点はどこでしょうか。
これもおそらくいくつかあるんですけど、大きな違いっていうのが日本人だと多分皆さんもイメージにある通り本当に規律守り、攻撃チームで守備をするっていうのが当たり前。
逆にフィンランドだと多分そういう思考にシフトしつつあるけどまだまだ結構個人での打開だったり守備が求められてて。
日本のストライカーは守備をするのが当たり前だけどフィンランドのストライカーは守備をしないとか。
サイドハーフも守備陣にも関わらずすごいワイドに張ってて真ん中縦パススカスカ入れられたりっていうのがあったり。
自分サイドバックなんでそこのコミュニケーションが本当に難しくて。
あとはやっぱフィンランド人は多分世界でも有数に体格のいい国民なんで、サイズ感っていうのも全然違うんでそこは大きな違いかなと思います。
なるほど。ありがとうございます。ちなみに内山さんって身長何センチですか?
僕は169センチです。
そしたらやっぱりチームだと中でもなかなかもちろん低い方だと思うんですけど。結構差出ますよね。
ピッチ内で僕が一番精緻って選手になることもよくあるんで。逆にだから多分対戦相手とか僕めがけてボール蹴ってくることもありますし。
あーなるほど。
マッチアップするストライカーがたまに195位とかもあるんで全然。そこはもうどうにかどうにか頑張ってる状態です。
なるほど。わかりました。ありがとうございます。続いて第6問ですね。生活面の部分でこれはフィンランドならではだなと感じた習慣や文化とかはありますか?
フィンランドやっぱり皆さんサウナがすごいイメージつくと思うんですけど実際こっちに来ていくつかのアパートだったり家に住んでるんですけど
アパートの部屋ごとにサウナがあったりその一般のアパートに居住者専用の共同サウナがあったりっていうのが本当に当たり前で
本当に生活の一部だなみたいな。日本のバスタブみたいなイメージをしてもらえばいいと思うんですけど。
なるほど。バスタブに入る文化ってあるんですか?
バスタブはないです全く。今ちょうど奥さんと二人でアパートを探していたりもするんでいろんな物件見るんですけど
たまに本当に50件に1件とか本当にそれくらいの割合でバスタブついてる物件は見つけるんですけど。
50件に?すごい割合ですね。
全くないですねバスタブは。
ああそうなんだ。なるほど。わかりました。ありがとうございます。
続いて第7問ですね。現地で苦労したことやそれをどうやって乗り越えたかっていうところをちょっと簡単に教えていただけると。
サッカー面ではもちろん苦労はしたんですけどたぶんサッカー面よりも言語にめちゃくちゃ苦労して。
で僕が渡航してきた当時はなぜか知らないけど英語を話せる自信があったんですよ。
というのも高校時代に一回オーストラリアにホームステイした経験があって修学旅行で。
でなぜかわからないけどそこでコミュニケーションがめちゃくちゃうまくいって。
っていうのでまあ言語には困らないだろうなと思ってフィンランドに渡航した結果もう初日の空港でのエージェントの挨拶からもう一切何も理解できずに。
なるほど。
これはやばいと思ってそこで初めて危機感を覚えてどうにか勉強を始めて。
でも当時お金もなかったんでひたすらその有料アプリの無料トライアル期間が駆使しまくって。
それでどうにかベーシックなもの身につけてもうチームメイトと話す話す話すっていうのをどうにかトライした結果も現在ではコミュニケーションぐらいだと本当に不純なくって形で。
なるほど。
分かりました。ありがとうございます。
続いて第8問。フィンランドでのお気に入りの場所や気に入っている景色ではありますか。
フィンランドだと皆さんもしかしたら一度は見たことあるかもしれないんですけど社会の教科書などで載ってる白いでっかい教会とかヘルシンギツオミオキルコっていうらしいんですけど。
何て言いました今。
ヘルシンギツオミオキルコ。
そうフィンランド語ですよね。
そうです多分大聖堂ですよ日本語だと。ヘルシンギ大聖堂。
なるほど。
日はオフの日とか天気がいい日だと何も用事ないのにそこに行ってボケーとしたり。
あと奥さんと犬とかとカフェ行ったり森の中散歩したりサウナに行ったり本当に典型的なフィンランド人みたいなことは一応趣味として。
なるほど。ありがとうございます。
分かりました。じゃあ最後第11問ですね。今後の夢目標は何でしょうか。
今28歳でサッカー選手的に多分適齢期を迎えていて、もちろんまだその来期に向けた具体的な契約自体はないんですけど、今のチームと契約交渉することになったと仮定したときに、再来シーズンの1部昇格っていうのはチームとしても個人としても目指していって、年齢的にその年が30歳になる予定で、
現実的に外国人としてフィンランドで暮らしていくのって思った以上に難しくて、っていうのも含めるとサッカーももちろん人脈形成だったりコミュニティーに所属するって意味でめちゃくちゃ大事なんですけど、サッカーを辞めた後もいわゆるセカンドキャリアみたいなのも徐々に考えてて、
そういった意味で一応社会の教育免許を持ってたり、奥さんが学校の先生だったりもするんで、そういう教育的な日本語をフィンランド人に教えるのもいいですし、英語を日本人でもフィンランド人でも教えるのもいいですし、そういう教育関連の分野に何かしら携われればいいかなと思ってるんですけど、
でもまだやっぱりサッカーと二刀流で頑張っていくのは自分的にちょっと難しいんで、そこは本当に考えながら頑張っていきたいなと思ってます。
ありがとうございます。11問答えていただきましたけど、ありがとうございます。パッと答えてもらいましたけど、奥さんどうですか?
なんかそもそもフィンランドでプレーしている選手の話を聞くのは初めてだから、すごく初めて知ることばかりで面白かったというか、このゲストも基本今まで東南アジアで経験のある人に入れてもらって、自分たちも村中さん含め東南アジアのことは結構わかってるけど、
ここまでいくと、そもそもどんな環境で生活してるかも想像つかないから、あとウッチンはノートも書いてて、結構いつも面白い記事を更新してるから、なんかそのあたりもこれから深掘りできると面白いなと思ってます。
ありがとうございます。じゃあすみません、1問目からいろいろお話聞いていこうと思いますので、ジョンさん改めてよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、1問目ですね。自己紹介と経歴というところで、北海道出身で、その後室蘭大谷高校卒業、愛知学院でサッカーをされてたと。ちなみに僕と村中さんも愛知県出身で、愛知学院といえばサッカー選手もたくさん輩出されてる大学ですけど、同じ世代というか被ってた世代ってどういった選手いたかって。
高級生だと、レーリーグに行った選手とかいなくて、地域リーグに行った選手が何人か。逆に高下だと現在日本代表でプレーしてる安藤智也。
一応一緒にやってて、3年間一緒にやってて。僕が1年生の時に、当時4年生に、現在橋間アントラーズでプレーしてる知念系選手がいたり。っていうので毎年Jリーガーを輩出するっていう環境ではないんですけど、数年に一度そういう選手が出てくるような環境でサッカーをやってました。
なるほど。これ大学卒業して、社会人のチームでプレーされるわけじゃないですか。なぜというのもあれですけど、どうしてそういう選択肢を選んだのかなと思って。
大学在学中、もちろん幼少期とかもそうなんですけど、ぼんやりとプロサッカー選手になりたいなと思ってて。これと言って具体的な目標はなかったんですけど。で、当時4年生、大学4年生の時に、周りが就活してる中、自分も一応就活をやりつつ、そういう道を模索してて。
で、当時、北信越一部リーグだった福井ユナイテッドにトライアウト1週間くらい行って、トライアウト最終日に杖原金沢と練習試合をしたりして、パフォーマンス的には良くて、チームとしてもポジティブな回答を得られて、でも監督が決まってないとのことで、
決断は待ってくれっていうのが、たぶん11月12月くらいまであって。で、もちろんJリーガーになれる気はそもそもしなかったんで、そういった意味で地域リーグ以下のチームを模索してて、で、その中の一つが福山知事FCで。
で、当時広島県2部だったんで、広島県2部に行ってどうJリーガーになるのかっていうのは正直、自分でも不透明だったんですけど、なんかそのSNSを駆使する感じだったり、ビジョンがすごい引き付けられるものだったり、っていうのでトライアウト行って、そこで無事合格をもらえて、で最終的にはそこしか選択肢がなかった。
で、今すぐ僕が首を縦に振れば加入できるっていうチームはそこしかなくて、っていう経緯で福山知事FCには加入してっていう感じですね。
なるほど、ありがとうございます。これ次、その福山知事でプレイされた後は鎌倉インターナショナルマホーさんと一緒に働かれたというかやっていたということなんですけど、ここに移籍をしたっていうのはどういうきっかけというか流れだったんですか。
ここも簡単に言いますと本当に最後は鎌倉しか選択肢がなかったっていう状況ではあって、というのも福山知事FCに所属してた時に当時広島県2部リーグだったとはいえすごいJオチの選手だったり、JFL地域リーグ経験者が集まってきてて、
で多分シーズン始まって僕がケガ勝ちだったっていうのももちろんあるんですけど、それ以上にレベル的に試合に絡めることが本当に少なくて、最後終盤9月とかになってからベンチに入る、でたまに試合出してもらえるくらいになって、でその時にはもう僕のメンタル的にも正直ちょっとやってられないみたいな感じになってしまってて。
で合同セレクション、おこしやす京都が主催した合同セレクションに行ったり、あと各チームがそれぞれやってるセレクションみたいなのに応募をしたりして、っていうのでそのうちの一つが鎌倉インターナショナルFCで広島県から北海道に帰省する途中に関東を経由してセレクションを受けて帰ってみたいなことをして。
でそこでも合同セレクションでもいくつか興味を示してくれたチームもあったんですけど、そこまで僕が今すぐ行きたいってなるような感じではなかったり、で逆に予定してた関東リーグのセレクションとかを僕の体調不良で欠席してしまったりして、で選択肢が最終的に鎌倉インターナショナルFCのみになって。
で結局そのタイミングで、関東では異例のグランド建設を自分たちでしようという動きだったり、でその当時監督として決まっていたのが川内一真さんっていう人で、その人も僕がSNSで以前から拝見してた人ですごい変わってる人というか。
なんかそのいい意味で一緒にやれたら僕の人生でも何かしらプラスなことが起きるんじゃないかと思ったり、まあそのカテゴリーは神奈川県2部だったにしてもいろんなポジティブ要素があって、で加入を決めさせていただいたという状況でしたね。
なるほど、これもう一個変な質問になっちゃうんですけど、村中さんとか岡田さんも含めてなんですけど、地域リーグのサッカー選手の移籍って、なんかどういう要素で、基本的にはお給料もらってない方が多いわけじゃないですか、どういう要素でチームを決定するのかなっていうのは、
なんか例えばプロだったらあれ話ね、年報が一番じゃないだろうけど、来るわけじゃないですか、なんかどういう選択肢の要素があるのかなと思ってちょっと気になったんですけど。
なんか僕の場合広島県2部と神奈川県2部だったんで、地域リーグって呼べるのかちょっとわからないんですけど、もちろんお金は両チームともゼロでしたし、その中で先ほどもお伝えしたように何かしらぼんやりとプロサッカー選手になりたいなとは思ってて、
っていう気持ちはありつつ、僕の場合オファーとかももちろんなかったんで、最終的に自分が望んだ熱量でやれるサッカーチームを探した結果鎌倉になって、正直その選択材料っていうのが僕の場合比較できるものがなかったんで、もうそこを選ばざるを得ないというか。
結果的にそれが海外サッカーにつながったんで、僕の場合良かったんですけど、もしかしたら。 そうですよね、ブログとか見させていただいて、鎌倉インテルの一緒にプレイされた方とかその経験がすごい大きかったんじゃないかなっていうのをなんとなくちょっと見てて思ったところなんですけど。
僕の場合間違いなくそうですね、本当に結果的に鎌倉に行けて良かったなと今だと思いますし、多分その日本で言うたらJ8とかJ8、7とかから海外で一応肩書上多分サッカーでお金もらえて生活できる人間ってそんなに多くはないと思うんで、それが含めて僕はその当時できる一番いい決断したのかなと今では思います。
なるほど、ありがとうございます。じゃあちょっとその流れにもなってくるかなと思うんですけど、第2問で日本のキャリアの中で海外に行こうと思った理由は何かというところで、当時鎌倉に所属したっていうところが大きかったのかなと思うんですけれども、結構その当時鎌倉インテルには海外でプレーした選手が多かったっておっしゃったじゃないですか。
そうですね、僕8と同じようなタイミングで入団した選手の中で、これから海外に行きたいんだっていう選手も何人もいましたし、もうすでに所属している選手の中で、例えばアメリカサッカーリーグの経験があったり、オランダもそうですし、それこそヒロヤさんとかが東南アジアでの経験があったり、
あとドイツでサッカーやってた子もいましたし、もちろん北欧はいなかったんですけど、そういった意味でサッカーの裾野が広いヨーロッパ、海外でサッカーやれば自分が思い描いていたプロサッカー選手に近づけるのかなっていうような刺激は受けて、