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  2. #67【元Jリーガー 荻野賢次郎..
2026-02-17 58:00

#67【元Jリーガー 荻野賢次郎】無名高校から日本代表、セレッソ大阪へ。香川真司らと過ごした日々と「宇宙の荻野」チャントの真相|異色のサッカー人生を歩んだGK(荻野賢次郎・前編)

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「#サカたび」5人目のゲストは、元プロサッカー選手の荻野賢次郎さん!

Jリーグ、シンガポール、カンボジア、JFL、地域リーグと、国内外の多様なカテゴリーを渡り歩いた異色の経歴を持つ守護神。今回はその波乱万丈なサッカー人生の【前編】をお届けします。

京都の無名な公立高校から、なぜU-18日本代表に選ばれ、セレッソ大阪へ入団できたのか?
香川真司、乾貴士、清武弘嗣など、後に日本を代表する選手たちと共に過ごした日々で感じた「圧倒的な差」とプロの厳しさ。

そして、試合出場経験がないにもかかわらず、なぜサポーターから愛され「宇宙の荻野」という伝説のチャントが生まれたのか?

サッカーファンはもちろん、キャリアや人生の選択に思いを巡らせるすべての人に聞いてほしい、知られざる物語です。

🗣️ ゲストプロフィール
荻野 賢次郎(おぎの けんじろう)
京都府出身、1991年生まれ。
京都府立峰山高校を卒業後、セレッソ大阪へ入団。
2013年にアルビレックス新潟シンガポールへ移籍し、3シーズンを過ごす。その後、MIOびわこ滋賀(現:レイラック滋賀FC)で1シーズンプレー。
続いてカンボジアへ渡り、アジア・ユーロ・ユナイテッド、アンコールタイガーFCでプレーするなど、海外でキャリアを重ねる。
帰国後はFC徳島に移籍し、4シーズンにわたって在籍。2019年から2022年にかけては全国地域チャンピオンズリーグにも出場し、2022年に現役を引退。

⚽️ 経歴
2000–2003 野田川少年サッカー少年団
2004–2006 与謝野町立江陽中学校
2007–2009 京都府立峰山高等学校
2010–2012 セレッソ大阪
2013–2015 アルビレックス新潟シンガポール(シンガポール)
2016 MIOびわこ滋賀
2017 アジア・ユーロ・ユナイテッド(カンボジア)
2018–2019 アンコールタイガーFC(カンボジア)
2019–2022 FC徳島

✍ 今回のトークテーマ
・ゲスト紹介:荻野賢次郎さんの「気づいたらプロになっていた」サッカー経歴
・無名の高校生がU-18日本代表へ。スカウトの目に留まった「身長と身体能力」
・まさかの大抜擢!代表正GK2人の体調不良で掴んだスタメンの座
・大学進学かプロ入りか。人生の岐路とセレッソ大阪入団の決意
・香川、乾、清武…スター軍団セレッソで味わったプロの洗礼と挫折の日々
・杉本健勇選手の「世界の健勇」に対抗?伝説のチャント「宇宙の荻野」誕生秘話
・なぜ試合出場ゼロでも愛されたのか?今も続くサポーターとの心温まる交流
・Jリーグからの戦力外通告、そして海外(シンガポール)挑戦への序章

🌸 荻野賢次郎さんのチャントはこちら
https://www.youtube.com/watch?v=vkezeRRC2Us

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🎙️ 今回の放送で出てきたキーワード
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🗣️ パーソナリティ
✅️ 村中 翔一(むらなか しょういち)
旅×サッカーをこよなく”愛”する39歳。サッカー業界10年(東南アジア6年・日本サッカー4年🇸🇬🇲🇾🇰🇭🇲🇲🇯🇵) 。 妻と婚前・新婚世界一周旅・日本一周・東海道約500キロを徒歩など。2024年から静岡県富士市に移住。

✅️ 若林 玄樹(わかばやし げんき)
愛知県出身。33歳。心のクラブは名古屋グランパス。2011年に東日本一周、2014-15年に世界一周の旅を行う。サッカー以外では映画とモータースポーツが好き。メンバー唯一の真っ当な会社員。

✅️ 岡田 浩弥(おかだ ひろや)
サッカーと旅を軸に越境してきた37歳。シンガポールでは6年間、プロクラブの広報・マーケティングや代表チームのプロモーションに携わる。帰国後は国内でクラブ運営やスタジアムを拠点としたまちづくりに従事。現在は妻と多拠点生活を送りながら、岡田伝記株式会社の代表として“サッカーと旅の可能性”を探求中。1999年から清水エスパルスを応援している。

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00:05
聞くと旅に出たくなるサッカーを見たくなるサカ旅 この番組はサッカーを愛する3人がサッカーと旅について
だらだらと語り合うポッドキャストです。 私パーソナリティの若林です。
パーソナリティの岡田です。 村中です。
はい、よろしくお願いします。 よろしくお願いします。
今日はですね、ゲスト会をやりたいと思います。 なのでですね、ちょっと早速ゲストに出ていただく方に登場していただきます。
ゲストの荻野さん、今日はよろしくお願いします。 お願いします。
では早速なんですけれども、ゲストの荻野さんの経歴を簡単にご紹介をさせていただければと思います。
荻野健次郎さんは1991年、京都府出身の元プロとサッカー選手になります。
京都府立峰山高校を卒業後、セレッソ大阪へ入団。 その後2013年にアルビレックスに委員がったシンガポールに入団。
3シーズンを過ごした後に三尾碧子氏が、現在のレイラック氏がですね、1シーズンプレイした後にカンボジアへ移籍。
アジアユーロユナイデット、アンコールタイガーFCでプレイし、その後FC徳島に移籍し4シーズンプレイ。
2019年から2022年には全国地域チャンピオンズリーグに出場し、2022年に現役を引退されております。
荻野さん、本日はよろしくお願いいたします。 お願いします。
今回、荻野さんにゲストで出ていただいたんですけれども、
荻野さんとは村中さんと岡さんが、ルビーシンガポール時代に一緒に仕事というか、
被っていたところもあったので、お声掛けさせていただいたというところもあるんですけれども、
そうですよね、岡さんと村中さん。
そうだけど、僕は1シーズンかな、荻野が入団したときに1シーズンお友達でした。
自分は3シーズンずっと一緒。
そうですね、○○は僕だった。
○○と一緒で、荻野がセレストからやってくるときのリリースのやり取りからずっとやってたから。
難しい。難しい。
ちなみに、お声掛けさせていただいた理由が、
こうやって村中さんと岡さんのつながりというところもあるんですけれども、
視聴者さんのお便りからメールいただいて、地域リーグでプレーする選手のリアルというか、
そういったところの話を聞きたいなというところもあったので、
今回お声掛けさせていただいたというところもあるので、
ぜひぜひそのあたりもお話聞いていければなと思いますので。
はい、ぜひお願いします。
Jリーグでももちろんやってたし、それで東南アジアでもやって、地域リーグでもやってっていう、
03:02
それぞれやってる選手ってなかなかあんまり多くないと思うんで、
各カテゴリーとか国の違いとかをいろいろ聞けたらいいなと思ってます。
そうそう、このサッカー旅のコンセプトがサッカーと旅っていう、
サッカー選手で旅しながらいろんなプレーできると思うけど、
扇野で何か特殊なサッカー選手経歴あるじゃないですか。
多分特殊ですね、これは。
そういうところもね、ウィキペディア情報が合ってるのかどうかとかも含めて、教えてください。
そうなんですよ、ついに元Jリーガーに出ていただくっていう。
もう15年ぐらい前。
そういう人たちなんですわ。
僕らとしてもちょっと嬉しい限りですけど、そこは。
そのあたりのところとか、いろんなところちょっと比較できたお話を、
比べた感じたことの話とかを聞けるんじゃないかなと思うので、
ちょっとそんな感じでやっていこうと思いますので、よろしくお願いいたします。
ではまずですね、いつもの通りですが、
11個事前に質問をご用意させていただいておりますので、
まずはちょっとその1問1答をしていただいて、
答えたいただいた後に深掘っていければなと思っておりますので、よろしくお願いします。
お願いします。
ではまず第1問ですね。
自己紹介と簡単なサッカーの経歴のご紹介をしていただければなと思います。
小木野健次郎です。
1991年の9月14日生まれて、小学校3年生の時に地元のサッカー少年団、
周一ですけど、それで遊びでサッカーをしてまして、
中学校に地元の中大連に入りまして、
そこから地元の高校の普通の大大連のサッカー部に入りまして、
そこからなぜかアンダー18日本代表にキョイッと選ばれて、
気づいたらスイス大阪に入ってたという、
もう意味のわからないサッカー人生でした。
気づいたらまたシンガポールにおって、皆さんと出会って、
1回日本に帰って、次もう1回カンボジアに行って、
また日本に戻って引退したという、
ほんまにザクッとですけど、簡単な紹介になります。
ありがとうございます。
続いてですね、世代別の代表とかが選ばれてたという話を今いただきましたけど、
簡単なプロ入りするまでの経緯というか、
06:00
どういった経緯で入団したかって教えていただけますか?
たまたま京都の京都府の試合を、
京都のサッカー協会の人か誰か知らないですけど見てて、
そこで身長が188センチくらいあるんで、
そこで面白いキーパーがおるぞということで、
1回京都の中ではベスト16だったんですけど、
たまたま優秀選手11年に選んでもらって、
そこから大学の練習参加だったりさせてもらって、
その時にたまたま相手チームがサンフレッジのユースだったかな。
その選手たちを代表のスタッフが見に来てて、
その大学側にも面白いキーパーがいるから見てねっていうのを
大学の人に言ってもらって、そこで目に留まって、
面白いから1回甲府キャンプ呼んでみようということで呼んでもらって、
僕もそこでホットで落ちるかなと思ってたんですけど、
そこからも継続的に呼んでもらって、
気づけばアジアの一次予選、スタメン、僕は出てました。
ちなみに何年生の時ですか、それが呼ばれ始めたんですか。
おだしょー 高3の6月とか夏ぐらいから呼ばれて、
夏過ぎてセレストランスカウトの人からも声かけてもらって、
そこで本当にトントン拍子でプロになったっていう感じですね。
自分では本当に意図せずっていう感じで、
みんながプロになりたいと思う中頑張っているところで、
僕がホットでプロになってしまったっていう、
ちょっとまた深掘りしてもらう時に話すんですけどそこらへんは、
気づいたらもうプロになってたっていう感じです。
分かりました、ありがとうございます。
次に第3問なんですけど、簡単なんですけれども、
セレスト大阪に所属していた時の時代を振り返っていただいて、
どういう感情だったのかとか教えていただければと思います。
おだしょー 当時のセレストって、香川選手、井上選手、
与太木選手、阿都角天選手、
他にも山口補太選手だったりとか、日本代表常連の選手だった。
同年代なんで、ほんまに。
その人たちと一緒にサッカーできて、ほんまに上手いなっていうか、
09:00
自分も不思議な感覚でしたね。
この日本代表の人たちと僕がプレーしてるっていう、
不思議な感じでずっといたのと、
ただでもやっぱり簡単にプロになってしまったんで、
ほんまにみんなと違って下詰めがない状態だったんで、
ほんまに苦しかったですね。
やっぱりそこら辺の競争社会も生きてこなかったですし、
そこで毎日毎日挫折の繰り返しで、
ほんまに楽しかったというよりかは、
ほんまに苦しかった悔しかったっていう記憶しかないですね。
今振り返っても。
なるほど。ありがとうございます。
第4問なんですけれども、セレッソ時代にちゃんとがあったんですけど、
作られた経緯とかもし作ってもらって見て感じたこととか、
覚えてる範囲で教えていただけると。
僕、セレッソのサポーターの人たちと今でも交流があって仲良くて。
そうなんですか。
当時からファンスターだったりサポーターとの交流は大事にしてて、
試合に1試合も絡めてはないんですけど、
顔つきの横断幕とか作ってもらったり。
そこで、杉本謙勇っているじゃないですか。
僕も一個後輩なんですけど、
後輩だけど僕に対しては絶対みたいな感じでしてきてたんですけど、
世界の謙勇って言うて、
やっぱり高校の時からいろいろアンダー代表を選ばれて世界と戦ってきた謙勇に対して、
じゃあ俺は宇宙やって言うて。
俺が宇宙のオギノやっていうことで、
そしたら宇宙のオギノっていうちゃんとみんなが作ってくれて。
なるほど。
そういうことなんですね。そういう経緯があるんですね。
そういう経緯がある。ほんまは1試合も絡んでないような。
電池には入れさせてもらったりしたんですけど、1試合も出てないような僕にそんなちゃんとまで作ってくれて。
お弾幕もシンガポールにまで送ってもらって。
そうだったんですね。
ほんまに今でもこういうがあるっていうサポーターの方とは、ほんまにありがたい。
すごい話ですねそれは。
特殊だと思います。
プロになった経緯もこういうところも特殊だと思いますね僕は。
分かりました。ありがとうございます。
これはYouTubeで実はオギノさんのちゃんとが上がってたりするので、
その概要欄に貼っておこうかなと思いますので、聞いてる方もしよろしければ聞いていただけると。
お願いします。
12:00
じゃあ次第5問ですね。
シンガポール、カンボジアに行った経緯とか行こうと思った理由とかって教えていただけますか?
シンガポールのときはセレスト3年で契約までクビになって、
ほんまにどうしようかっていうときにあるじゃないですかトライアウトが。
トライアウト受けて当時はまだJSGもない時代ですし、なかなか声がかからない状態でして、
そこで一番先に声をかけてもらったのが、RBXによるシンガポールということで、
一番先に声をかけてくれたし、行きますっていう。
もうやっぱりさっきも言ったんですけど、なかなかフクロウでうまいこと日本Jリーグで行かなかったんで、
いろんな海外の経験もした方がいいかなと思って人間的に。それで決めました。
カンボジアなんですけど、カンボジアは一回シンガポールから日本に帰って、
そこでもうJFLでアマチュアでやったんですけど、
JFLでも数試合しか出れなくて厳しい状況だったんで、
ここでやっぱりもう一つアクセント、自分の人生経験をプラスするんだったらカンボジアだということで、
まだここら辺は深く後で説明させてもらいますけど、
自分はどちらかというとサッカープラス人生経験というところで海外に選びました。
なるほど、ありがとうございます。
続いてですが、カンボジアサッカーと日本サッカーの環境やプレースタイルの違いはどうでしたか?
またどうやって適合していったのかというところなんですけど。
カンボジアは今となってはだいぶSNSみたいな感じはよくなってきてるんですけど、
まだ僕がいた2017年というとき、
僕はたぶん村中さんたちが想像しているカンボジアリーグの面影がまだ残ってて、
上位と下位の差が激しい、10-0とか。
当時はアフリカ人、ナイジェリア人3人センターフォワードにおいて、
みんな後ろからロングキックを蹴って、みたいな大味のサッカーでしたね、ほんまに。
でもスピッパーなんで、
例えば空中戦キャッチした後にアフターでここに蹴られちゃうとか、
ポイントの下で蹴られちゃうというのも何回もありましたし、
ほんまに戦ってるって感じでしたね。
カンボジアリーグですけど、ほんまに戦い。
アフリカ人たちとの戦いっていう戦場って感じでしたね。
日本はやっぱりパスティナがあるじゃないですか。
4年前くらいから、ちゃんと丁寧にサッカーしていこうねって家庭も大事にしてたんですけど、
15:05
東南アジアあるあるの大話なサッカーでした、当時は。
なるほど、ありがとうございます。
ちなみにあれ村中さんが、あれカンボジアには何年にいましたっけ。
村中 うんとね、小城のがいつ入ってきた。
カンボジアの… 村中 シンガポール、シンガポール。
シンガポール2013。 村中 で14だ僕。
真っ直ぐ行きました。 そうか、かぶってはないんですね。
村中 かぶってない、たぶんカンボジアじゃない。
なるほどなるほど。はい、ありがとうございます。
じゃあ次の質問いきたいと思います。
はい、じゃあ第7問ですね。
海外生活で良かった思い出や苦労したことなどを教えてください。
村上 まあ楽しい思い出ばっかりって言ってられるけど、
やっぱりね、みんなも分かってるよね、
あったかい国って結構陽気な人たちも多いんで、
まあシンガポールの時も、
アルフィレックス新潟、シンガポールって日本人ばっかりのチームだったんですけど当時は。
ただ僕はそれでも終わってから、
近所のおじさんたちと一緒に飯食ったりとか、
気づいたらいろんなもんを送ってもらったりとか、
カンボジアでも一緒で、
だいたい住んだところの近所の人とは仲良くなって、
すごいっすね。
村上 また一緒に飯食ったりとか、
そんなことばっかりしてたんで、サッカー以外のとこ。
だからそういうのが僕は、もちろんサッカーもなんですけど、
サッカー以外の面で、僕はやっぱりローカルな人たち、
日本語が通じない人たちと、
英語だったりボディーランゲージで、
カンボジアだったらフメール語でコミュニケーションとって、
それでいろんな一緒に飲み行ったりとか、
一緒に近所で飯食ったりとか、
で、シンガポールのときも近所のおじさんたち誘って、
試合見に来てくれたりもしたんで、
近所のローカルの人たちに、
ちょっと明日試合だから来てくれよって。
そしたらスタッフさんのスタンドみたいなのを追って、
オゲノオゲノ!みたいな感じで応援してくれたり、
そういうところが僕は楽しかった。
でも逆に難しかったことも多くて、
カンボジアのときにやっぱり、
アフリカの選手たちとのコミュニケーションって難しくて、
自分の意見を言わんかったら、
向こうの意見がズバズバズバ言われて、
そこでこっちがソリソリって言ったら、
だからお前オゲノが悪いんだろうみたいな。
日本だったらとりあえず先輩に何か言われた人はごめんって謝ったり、
18:00
すいませんでしたって言ったらいいと思うんですけど、
それをアフリカの選手たちにすぐ謝ってしまったりしたら、
なんかまあ、俺だからオゲノが悪いんだろうみたいな。
特にキーパーなんで。
そういう責任を結構、なせつけられたわけじゃないですけど、
ありましたね。そういうところの難しさはあって、
途中からだから、明らか自分が悪くても、
俺は悪くないよみたいな。
そういうときもありましたね。
そこが難しかった、やっぱり。
なかなかその意見の主張の文化の違いっていうところが。
たぶんいろんな海外でやってる人が言うと思うんですけど、
何を言われて謝っておいたらいいけど謝ったらあかんみたいな。
それは難しかったですね。
なるほど。ありがとうございます。
じゃあ続いて第8問なんですけれども、
ウギノさんJリーグやJFL、地域リーグや東南アジアでも
それぞれプレーされたと思うんですけども、
結構いろんなサッカーの違いを感じられてると思うんですけど、
そのあたりのところをちょっと教えていただけたらなと。
サッカーの違いもですけど、やっぱりその人たちのサッカー間の違いとか。
なるほど。
サッカーの違いっていうのがやっぱりJリーグ、JFL、地域リーグは難しかった。
Jリーグの時ってやっぱりみんな活躍して日本代表になりたい。
お金が欲しいじゃないですか。
それがプロとして当たり前だと思うんですけど、
JFLだったり地域リーグっていうのはそこのベクトルが違って、
例えばもう自分はプロにならなくてもいいから、
このレベルでサッカーが続けて楽しいんだっていう選手もいるわけですし、
Jリーグ終わって、あと数年ちょっとアマチュアでやろう。
だからもう僕は選手としては上目指してないけど、最後ここでやろうっていう選手だったり、
若手はここからプロになりたいから、俺はプロになるんだっていう、
サッカーに対してのベクトルの違いっていうのはほんまに難しかった。
身に入った時は僕はやっぱりどうしても上に行きたい、上に行きたい。
だけどやっぱり30代のベテランの人らはもう別に上を目指すとか、
あとは自分のサッカー、人生を全うするっていう、
そこら辺のような難しさはほんまありましたね。
逆に地域リーグに行った時は僕はもう上目指してなかったんで、
Jリーガーになりたいっていうよりかは、仕事をしながらサッカーがしたい。
ある程度のレベルでサッカーがしたいっていう。
でも若手の中では、やっぱり昔の僕みたいにギラギラしてプロになりたいっていう選手もいるし、
21:03
そういうギラギラした人からしたら、僕らみたいに対してやっぱりちょっとなんでそんな。
昔思ってたんだよね。
そこら辺の難しさはほんまにあると思いますよ。
なるほど、なるほど。
サッカー間の違い、ベテランの違い、ただでも目指すところは勝利っていうとこ一緒なんですけど、
そこは難しかったですね。
サッカーっていうよりはサッカー間っていうのが難しかったです、僕は。
なるほど。
わかりました、ありがとうございます。
第9問ですね。
この地域リーグの現状を教えていただきたいなっていう話をいただいてたんですけれども、
最後地域リーグでプレーしてたときのことをちょっと教えていただきたいんですけれども、
それまでいろんなところで積み上げてきたキャリアの中で最後地域リーグ移籍して、
プレーしてたときの地域リーグに対しての印象とか思ったこととか感じたこととかあれば教えていただきたいなと。
地域リーグ、上から考えたらJ1、J2、J3、JFL、JGL、5部ですね。
今となっては、僕がいたときもですけど、結構元Jリーガーが増えてきて、
当時だったら近い、今もJ2に上がったJKCITYだったりも、JFLに上がったBONDだったり、
実際クリアされた新宿だったり、そういう元Jリーガーがいるところっていうのは本当に、
言うたら悪いですけど、地域リーグというのも本当にJFL力が強いんじゃないかっていう。
関東リーグや関西リーグっていうのは、でもカティと僕がいた四国リーグは、当時は本当に10対0とかもざらにありましたし。
地域リーグっていうのは本当に、地方と関東とかで言ったら運ゲーの差があると思います。
流石に関東で10対0の試合とかないと思う。
そうですね、今年の結果でもなかったような気がしますけど。
四国リーグ当時は本当に、スポーツユニットとかJFLが上がってからは本当にFC徳島の日強で、
地域リーグじゃなくて練習時代を頑張るみたいな。
やっぱりレベル差っていうのが、地域CLに行くと痛感しますね。
地域CLとかで僕らはレベルの高いチームと試合をするんで、そこのギャップをどう埋めるか。
それに飲まれて初戦で地域CLとかでパコンと負けてしまうと厳しいよっていう。
24:02
これは地域CLの、関東リーグとかは積み上げていったものがあるけど、
現在の四国リーグだったり、中国リーグっていうのは難しいですよね。
福山シティも苦戦してますけど、FC徳島も苦戦してますけど、そこは難しさだと思います。
常にハイレベルの中でやってないと、いざとなった時に厳しさはありますよね。
特に、僕は当時も30歳くらいだったんで、いろんな経験をして、そこらへんのギャップっていうのは全然できるんで。
ただ、大学卒業した選手と来た子達っていうのは、一発勝負のレベルの高い試合とした時にどうしてもパフォーマンスができなかったり。
クラウドでやっぱり栃木シティの選手だったり、ボンズの選手だったり、クリアさんの選手っていうのは、そういうのに対しては安定して力を出してましたよね。
栃木選手は難しいです、ほんまに。
なるほど。ありがとうございます。
じゃあ、次に第10問ですね。今までのサッカー選手のキャリアの中で印象に残っている試合、特に印象に残っている試合があれば教えてください。
CNAでは出ることができなかったんですけど、セレストの時の首が決まってて、天皇杯に対して、8分くらい前に残ったのかな。
最後の試合が大阪ダービーやって、ベンチには入れたんですけど、CNAで言ってないけど、その時はサッカーの試合で初めてかな、負けてしまって大阪ダービー。
もうセレストの一員じゃないんだなと思った時に、基本サッカーは泣くことはないんですけど、試合とかで勝っても、その時だけは泣けてきましたね。
これはほんまに試合には出てないですけど、印象に残ってますね。
どういう感情?寂しい的な感じのほうが面白いですか?
まだまだやれるっていう。あと、首になってるっていうのを分かりながらベンチに座ってるっていう大切な気持ちがありましたね。
あと、自分が試合に出たんだったら、かもこちゃんの時の広角争いですかね。
1年目のチームが前年度最下位のチームに入りまして、そこでラスト3試合か、ラスト何試合かに広角争いのチーム3年戦。
27:02
負けたら広角っていうか消滅みたいな。そこで負けたチーム1チーム消滅してました。
そこで負けたらチームがなくなってしまうっていうプレッシャーはめちゃくちゃありました。
で、しかもやっぱりゴールキーパーなんでね、1つのミスがあって、僕のせいでチームがなくなったり。
めちゃくちゃ緊張しましたね、その時は。
さすがに負けたらチームがなくなるっていうシチュエーションって、なかなかないですよね。
基本では。それがね、当時のかもこちゃんではあったんですよ。
確かにそれは緊張しますね。
あれはめちゃくちゃ緊張しました。何対1対1分けでギリギリ持ちこたえて。
その時のうちの順位が1個下だったチームはほんまに消滅しましたね。
なるほど。ありがとうございます。
じゃあ最後第11問で、引退を決意した、比較的若い年齢で引退したような印象なんですけれども、
引退を決意した理由っていうのはどういったところにありますか?
引退はやっぱり、さっきもちょっと言ってたけど、僕はXG徳島に行った時に、個人的にはJリーグを目指してなくて。
だから今の経験をこのチームに還元したいっていう思いでサッカーしてたんですけど、
やっぱりチームがJリーグを目指すっていうのを掲げた時に、やっぱりサッカーの練習がめちゃくちゃ頻度が増えて。
やっぱり僕は正社員で働いてたんで。
FC徳島の時に?
FC徳島の時に正社員でフルタイムで普通に働いてからサッカーしたんで。
サッカーと仕事のバランスが取れなくなったっていうのがやっぱり僕の一つの理由ですね。
サッカーをし直さなきゃいけないっていうところと。
そこで僕最後の1年めちゃくちゃ葛藤がありましたけどね。
今までやってきたことやめるんがええんかって、その葛藤でちょっと僕も気持ちも病んでて。
そんな僕でも本当に、その2020年の最後のシーズン、2回ぐらい出たって言ってますからね。
どちらかというとメンタル的な問題で。
へー、そうなんですね。
仕事、家庭、サッカー、この3つのバランスがグッと崩れてしまって。
もちろん結婚もしたんで、養わなきゃいけないですし。
30:02
かといってサッカーも後ろにサッカーも背中にあるし。
キャプテンも養わしてもらった当時。
それでほんまにその3つが一気にバランスが崩れてしまって。
自分の中ではもうこれはサッカーやめなあかんなあっていう。
そうですね。僕にとっての大事だったのが、
サッカー、家庭、仕事の3つのバランスを重要視してて、
エクシート福島に入ったんで。
やっぱりチームがJリーグに行くってなるときに、
僕みたいな言うたら、サッカー以外のことを重要視してる選手ってのはもういらんのかなっていう。
チームとしては行くよって言ってくれたんですけど。
はいはいはい。
やっぱり自分のモヤモヤした中で、
後輩たちにサッカーができないっていう。
ので僕はもうやりました。
なるほど。ありがとうございます。
なかなか大井野さんぐらいタフなサッカー人生を経験していても、
やっぱりそこで大変な思いがあったってことですよね。
そうですね。やっぱりありましたね。
気がしましたからね。
メンタル的なもんで。
やっぱり難しいですね。続けるという意味は、出会いってこと。
やっぱりサッカー地域、アマチュアなら出会いと思うんですけど、ここら辺もほんまに。
まあそうか、そうですね。
サッカー選手の違い、サッカー界の違いっていう、何に重きを置くかっていうところで。
わかりました。ありがとうございます。
はい、11問答えていただきました。ありがとうございます。
じゃあこの後はちょっと1問ずつ振り返らせていただければなと思うんですけれども、
ちょっと11問聞いてみて、村中さん、岡さんどうでしたか?このタイミングですけれども。
このタイミング急に言ってくるんだ。
面白い。喋ってみたほうがいいかなと思って。
知っていることもあれば知らないこともあるし、
そうだからちょっと小木曽からも聞いた話もあるし、深掘っていくところでちょっと聞きたいこともあるかなって思いました。
岡さん的にどうでした?
村中さんの話が今終わったのか。ちょっと全然終わったつもりじゃなかったんだけど。
ちゃんとは知ってたけど、まさか杉本健佑選手からできたっていうのは初めて知ったから、
それはそれでちょっと意外なエピソードというか、初耳のエピソードでちょっと驚きました。
じゃあちょっとそんな感じもそういったところもちょっと深掘っていければなと思いますので、よろしくお願いします。
33:03
第1問のところですね。もうサッカーの経歴のお話でしたけれども、
結構品質ワードで出てきたんですけど、気づいたらサッカー選手になっていたっておっしゃってた。
これが良くもあって悪いところでもありますね、本当に僕の。
逆に高校の時はプロを目指してサッカーをしていたって。
そういうプロを目指してたってわけではないんです。
なるほど。
勉強とサッカーが両立できるような普通の公立高校。
で、インターファイ予選終わったら3年生の引退して受験勉強頑張ろうかなと思ったんで、ずっと。
そんな中でほんまにたまたまトントン拍子っていう、ほんまに気づいたら日の丸を背負ってたっていう。
いやそうだ、これさ、大木のほうからも聞いたことあったんだけどさ、どんなところが世代代表になってプロになれるのかな。
それもさ、セレストとかさ。
よくわかんないよね。
よくわかんない。
よくわかんなくない?
ってなると、全国の高校生でそうなってる人って、スカウティングとかだけど、本当に無名のノーバーク選手だったってことでしょ?
だって僕、東都府のトレー選とか関西トレー選、一回も選ばれたことないですよ。
えー、そうなんですか。
京都のそんなトレー選には選んでもらったこともないですし、ほんまの地域の、ほんまの地域のしか選ばれたことない。
逆に小木野さん的に、国校が良かったから、自分のプレーの国校が良かったから選ばれたのかなって思ってるところはあります?
やっぱりこの身長の割に動けるっていうところ。
身体能力だけで言ったら大きいですし、セレスト入った時も、そこだけは間違ったなと思いましたね。
へー、なるほど。
ただ、小学校とかやっぱり練習してこなかったんで、サッカーの。
そうなんですか。
そうなんですよ。週一のサッカークラブだったんですよ。サッカー少年団だったんです。日曜日から12時だけの。
ただやっぱり、そこら辺の技術っていうところがほんまに皆無だったんで。
ほんまに身長と能力だけでやってた。俺らってほんまに。
そう、これさ、世代別代表の時も3番目ぐらいのキーパーだった。で、セイゴールキーパーとかフックツーでとかなんか言ってなかったっけ。
なんですか。
AFCのアジア選手。
AFCのアンダーリングファイトカップあるじゃないですか。
その一次予選。
一次予選の初戦なんですけど、インドネシアだったんです。
36:01
で、みんなJユースの選手たちもいたんですけど、なかなか多分インドネシアで生活したことがみんなないじゃないですか、こんな高校生の時に。
で、ホテルのご飯だったり、インドネシアの水っていうところで、1番手と2番手のキーパーが隊長不良になりまして。
なかなかないですよね。
で、康二3番手盛り上げ役だったけど、僕は。
で、ホットでの自分なんかが生きていくには、そういうチームの盛り上げ役というか。
僕誰とでも話せたんで、ほんまに今でもですけど。
なるほど。
そういうのがあって選んでもらったと思うんですけど、あと伸びしろと。逆に何も教えてもらってないっていう伸びしろ。
そういうのもあって選んでもらって、たまたまさっき話戻すんですけど、石原2番手が、福津が高熱夜を出して。
で、ほんまにミーティングのたぶんちょっと前でしょうね。ミーティングの紙に名前書かれてるんですけど。
はいはい。
張り替えれるって小木野って書いてましたからね、そこだけ。
紙をペタッて書いて小木野を引っ張り取ったんで、ほんまにミーティングはちょっと前に僕が出るって決まったんでしょ。
なるほど。
で、4対0か5対0で勝ったんですけど、アジア一次予選だったんで。
で、これもなんですけど、それより前にSBSカップっていうのがあるんです。
ああはいはい、ありますね。
静岡の。あれも優勝決定戦になぜか僕が出まして。
なぜか。
その戦は最後の10分くらいだとしてもあって、2戦の第2戦は僕もベンチで行ってまして、2勝して次フランスだったんですけど。
フランスに勝てば優勝。
なぜか僕がスターメンで出まして。
そこでマスカーのPK戦で勝ちましたよ。
そういうのもあったんだと思いました。でも舞台に強いっていう。
なるほど。
なかなかやっぱり上手い選手でも代表合宿とかで選んでもらっても、そこで見せられなかったり、何かいいところをアピールできないというのはやっぱり難しいじゃないですか。
そうですね。
それは上手だったんかなって思いますね。いろいろと自分の良さを出す。
本番に強いベンタリティもあるし、チームとの円滑できるコミュニケーションもあるしと。
39:03
ありましたね。
なるほど。
その時の高校3年生の大木野君は絶好調だ。いろいろ持ってた部分があったってことだよね。
めちゃくちゃ持ってますよね。
持ってるんですけど。
これ今インターネットで当時のメンバー、トレーニングキャンペーン見てるけど、大木野の出身国ってサッカーはどうだったの?
普通?
京都の中でもベスト16に行けばいい方。今はもう人がいなくて。
そうなんですか。
単独でチームは作れないぐらい。
その出身高校で初めてのプロサッカー選手?
もちろん。
ちなみにあれですよね。一番有名なのは野村監督ですよね。
野村柏さんの出身国です。
著名人は排出してるってことだね。
当時のメンバーの中で大木野の所属先だけが特殊というか、ユースとか共合校だけど名低いよね。
そうなんですよ。その中でホットでの人って多分萎縮して、自分の良さで出せないと思うんですけど。
僕はそこでみんなと仲良くなって。
すごいよな。代表選ばれた時はプロ入りは決まってた時ですか?
決まってないですよ。
そこからプロになるまでっていうのはスカウトに声かけられて、あれキャンプに参加されたって言ってましたっけ?
正式に言ったらセレスのほうが代表より早かったんですけど。
でも代表のキャンプだったり、合宿も見に来てもらってて。
そこで最終、予選前くらいかな。セレスに声かけて決まりましたね。
なるほど、ありがとうございます。
次の質問はプロ入りするまでの経緯の話だったので、そこの踏まえても聞いていけたらなと思うんですけれども。
プロ入りするまでの経緯っていうところで、後産の春が過ぎた頃にセレスに目をつけてもらったって感じですかね。
はい。
それ、身体能力的なところに惹かれてっていう話をされたりとかするんですか。
そうですよね。身長があって動けてっていうところと、そこに技術をつけたらもっと良くなるよっていう。
それはオファーを受けたときはどういう気持ちだったんですか。
いやもうほんまにマジかって感じで。
42:02
ほんまにプロ目指してる皆さん失礼ですけど、マジかよってほんまに。
自分でも驚いたんですね。
多分周りもみんな驚いてましたね。
その代表活動で、自信とかそういうものになったって感じではないんですか。
やっぱり次元になったとレベルが違いすぎたんで。
そこは自信になったってわけじゃないですけど、全然ほんまに実感がなかったですね。ほんまに。
ちなみにもしプロに行かなかったら大学に進学とか。
大学に進学予定でした。
じゃあ受験勉強もし始めしてる感じでしたよね。
3年生始まった頃にはそうですよね。いろんな若項目だったり。
そういうなんかあるじゃないですか。
実験みたいなのとか、そういうのを受けたりはしてましたよ。ずっと。
結構セレスに入るのは迷いました?それとも即決でした?
若干やっぱり迷いましたけどね。やっぱり。
やっぱ大学っていうのも試合には会いましたし。
まあやっぱりあれじゃないですか。実際僕も3年でクビになってしまったんですけど。
そこで通用するんかなっていうのもあるじゃないですか。
ただまあ行ってみればわかるじゃないですか。
もちろんそうですね。
というところでとりあえず行こうっていう最終的には親とも相談して。
ちなみに両親はどっち派だったんですか?
全然プロで。
そうだったんですね。
それはもう多分そんな経験というのはできないと思いますし、なかなか。
まあ確かに。
相対的に慣れるものではないんで。
実際こうやって活躍はできなかったんですけど、この経験のおかげでいろんな影響もさせてもらいましたし。
実際に。
なかなか聞かないシンデレラストーリーですよね。このレベルの。
あれなんですよ。プロの研修ってあるんですよ。プロサッカー選手になった時に最初。
はいはいはい。ありますね。
あの時に、京都の同期って森岡亮太。
はいはい。
一緒に会しましたけど。
はい。
彼が同期なんで京都で。
はい。
彼はもう福井とかもう昔から有名で。
うん。
で、なんでお前そのどっかプロになれたんやみたいな。
そんな話だよ。
まあまあわきあいあいとしながらですけどね。
だから京都のサッカーは不毛の地なんですよ。ほんまに京都の日本海側って。
あ、そういう意味でってことですね。そういうことですね。
なんでそんなどっか。
あ、なるほど。そういうことか。
そうなんです。
45:02
ほんとそれぐらいなんかあんまりサッカーとの縁のない土地だったんですね。そういう意味では。
そうですね。縁がなかった。
縁のないって言ったらあれか。
縁のないって言ったらあれですけど、そこまでやっぱり盛んではね。どちらかというとやっぱり野球?
うーん。
プラカッターさんだったり。で、あの僕の今出身の地域で糸井義夫さんも同じ町なんで。
あ、そうなんですね。
へえ。
どちらかというと野球。
あ、そうなんですね。
で、まあまあまあサッカーが僕だけっていうところなんですけど。
はい。
わかりました。ありがとうございます。
はい、続いての質問ですね。第3問ですね。セレス大阪時代、所属していた時代を振り返ってくださいというところで、やっぱり日本代表、その後に日本代表になっていく選手もたくさんいたというところで、不思議な感覚というところもおっしゃっていただいてますが、やっぱり競争社会というところで結構苦しかったっておっしゃってましたけれども、それはやっぱり技術的なところっていう感じですか?
技術的なところですし、やっぱりみんなと培ってきたその違い。
みんな小学校から毎日サッカーして、競争で勝ち上がってきた選手。
例えば僕が田舎のたまたまポットプロになりましたっていう中で、やっぱり勝負にこだわったりとか、先輩にきつく言われても負けへんっていう気持ちだったりとか。やっぱり当時は僕が言われたらちょっとジュンってなったりもしてましたし、先輩後輩関係なく勝負の世界なんでね、そこは。
もちろん技術もだし、メンタルもだし、使ってきたことのすべてで僕はその人と比べて負けたんだなっていう。
そこはやっぱり感じましたね。
それこそ多分大宮さんが入られたセレストは、今はもうプロですけど、キム・ジンヒョン選手だったりとか、絶対的な多分守護神でいたと思うんですけども。
そうですね。
やっぱりそういうところとも、戦っていくっていうところはやっぱり難しさを感じてたってことですよね。
やっぱり難しかったですね。僕は能力はあったけどやっぱり技術がなくて、本来能力だけがサッカーやってきたんで。
そこはやっぱりみんなと違いました。みんなそれにプラス技術があって、メンタルもあってっていうところで。
やっぱりなかなか、言ったらあれですけど楽したサッカー選手になっちゃったっていう。
3年在籍したっていうのは、最初高校卒業だったので3年契約だったんですか?
そうです。3年契約。やっぱり言っても年々良くはなっていったんですよ。
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自分でもそこは練習したり、練習試合出たりしてできるようになってきたし、ちょっとずつプロの厳しさにも慣れて自信もついてきたかなと思って。
来年ちょっともうちょっと成長できるかなと思ったときに、クビっていうところで。
そこで厳しさを感じましたね。ほんまに勝負の世界なんだなって。
結構やっぱり練習後に一人でグラウンドに残ってちょっと悔しすぎて、やっぱ涙が出るからそんな見られたくないしっていうことでクラブハウスに行かずにグラウンドに気持ちをつかしたりとかもしてましたからね。
特に大阪なんでね、みんな口も悪いんで。
これ京都の人からだと感じる部分はあるんですか?
特に僕田舎なんで思うんですけど、やっぱり先輩が大阪の人たちもいましたし、やっぱり関西の人も多かったんで結構ズバズバ言われて。
なるほど。
オリのキーパーだったらボーナスやみたいな。
そういうのもやっぱり、勝ったらもちろん悪くもなかったりするんですよ。
でもそういう何気ないことでも僕は気持ちが弱かったりとかそこで面体崩れて、簡単なシュートが入っちゃったりとか、今まではできてたようなことができなくなったり。
そういうのは本当に経験しましたね。
なるほど。
自民党にレンタルとかそういう話とかはありなかった?
ないです、もうないです。
あ、なかったんですね。
そこもシビアでやっぱりもうなかったんで。
まあ見切りをつけられたってことですかね。
メンバー入りは何度かはしたこと?
メンバー入りはないんですけど、当時のナビスコカップと天皇杯というところはベンチに何回かは入りました。
その前年チェレストがJ2だったんですよね。
J2でJ1が上がって3位ですからね。
そうなんですよね。チーム的にもやっぱりすごい上がってて、いい選手がどんどん入ってきて。
そうですね。
より競争が厳しいタイミングだったのかもしれないですよね。
そうですね。やっぱり今でこそチェレストブランドっていうのはあるかもしれないですけど、J1も定着してきて。
当時はJ2が上がってきたばっかりで、どうしてでもいいからJ1定着っていうところと、
今クラブハウスも大きくなってるんですけど、当時はまだ小さかったですし。
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どちらかというと小さいクラブがやっていくには、選手も順番に回していかなきゃいけないし、いらんもんはクビにされなきゃいけないしっていう。
実力の世界なんでやっぱりそこは厳しいところがありましたね。
やっぱりキム・ジンショの壁はすごいですか?
やっぱりすごいですね。身長192くらいなんかな。
やっぱり動けますし。
要は日本人のキーパーより韓国人キーパーの方が大きいし、シュッと見えるっていうところ。
あるじゃないですか。やっぱり。
Jリーグのいる韓国人キーパーで、まさしくそれで。
キック力もあるし、攻撃の利点にもなれるし。
そうですよね。
やっぱり。
なるほど、なるほど。了解です。ありがとうございます。
続いてですね、セレッソ時代のちゃんとについてっていうところだったんですけれども、今でもセレッソのサポーターと交流があるとおっしゃってましたけど。
ありますよ。その前も12月か11月くらいにお会いしましたし。
すごいですね。
定期的に僕が大阪行ったら会ったり、こっちの方来てくれたら声かけてもらったりとか。
徳島の時もCMに来てくれたし、またはカンボジアの時も来てもらったし。
カンボジアの結婚式じゃないですけど、婚約式。私の妻はカンボジア人なんですけど、婚約式にも一人。
すごいですね。
もちろんシンガポールの時も来ていただきましたし。
ちなみにセレッソって選手のちゃんとって全員作るチームなんですか?それとも。
当時は全員なかったんじゃないですか。
その中で作ってもらったって相当愛されてたってことですかね。
そうですね。ありがたいですね、ほんまに。
天皇陛下の時とかも歌ってくれたりとか。
これはやっぱりウインドさんが交流を大切にしてたからこそみたいな。
だとは思います。やっぱりファンサービス、先制し無理じゃないですか。
ダブアウト言っちゃったり。
やっぱり僕はそういうの出来なかった。そういうのじゃなくてやっぱり。
プレイで見せられへんのあったらそういうところでも見せるなと思って。
それが今も続くっていうのは相当サポーター側からかもしても心が通じ合ってたんだなっていう感覚があるからこそなんじゃないかなと思うんですけど。
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ありがたいですね。毎年何人の方にも会いに来て。
タフォーの時なんかほんまに毎回大阪でいろいろと。
地元に帰る前には大阪でみんなでちょっと報告会みたいなのしたり。
今年はどういうシーズンだった?だったり。
正直聞いたことないですよね。
試合出場経験のない第三、第四キーパーで。
それも特殊だと思いますよ。
十何年も経ってて交流があるっていうのは。
全然今でもほんまにありますし。
なんか100ポイント出てて変ですけど、ユース出身の選手だったらとかわかるんですよ。
ユース出身の選手ってみんな思い入れありますもんね。
やっぱりちっちゃい子の感じで行って。
僕らはポッと出たモンマネ選手なんで。
やっぱりそれはおぐのさんのキャラクターのなせる技なんじゃないかなと。
だから思うんですけど。
ほんまにありがたいです。
これちゃんとの話だったんですけど、
杉本謙裕選手と会話の内容が反映された感じのチナトだったわけじゃないですか。
会話の内容というか。
謙裕が正解だったら俺は宇宙だ。
謙裕より上を行くぞっていう。
それなんですか、サポーターの人と話して決まるんですか。
こういう話の経緯があったってことですか。
そんな感じですよね。
いや俺は宇宙だ。
初めて聞いた時とかどうでした?
僕の歌ある、ちゃんとあると思って。
しかもオーダーマークに珍しく顔写真ついてたんですよ。
いや珍しいですよね。
なかなか日本とかでないじゃないですか。
いや見たことないです。
え、岡田さんあれ今どこありましたっけ。
シンガポールに来たオーダーマークってあれどうなったんだっけ。
シンガポールでさ、だってあれセレストバージョンも顔写真ついてたってこと?
セレストバージョン、あれってシンガポールバージョンも顔写真ついてました?
ついてたと言ってた。だってシンガポールバージョンはシンガポールの個人写真くださいって言われたかわかんないけど渡して、それをオーダーマークに入れてくれてたと。
すごいな。
そうか、セレストバージョンもシンガポールバージョンもどっちも顔写真ついてるわじゃあ。珍しいですね。
そういう人なんですよ僕は。
作ってくれたの知ってたんですか。
知ってましたよ。
知ってたんですね。じゃあ次ベンチ入りした時とか試合出る時とかに歌うよみたいな感じがあったわけですね。
なるほどなるほど。ありがとうございます。
57:00
ちょっとお時間になりましたので、第5問以降は次の回でお聞きしたいと思います。
小宮さんまずは第1弾ありがとうございました。
ありがとうございます。
引き続きこの後もお話聞いていきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。
お時間になりましたので今回はここで締めたいと思います。
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それでは次回の配信をお楽しみに。聞いてくれた皆様ありがとうございました。さよなら。
ありがとうございました。
58:00

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