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2023-11-30 51:40

049:U-18日本代表歴の元Jリーガー、近藤貫太さんが登場!プロサッカー選手のリアルインタビュー。知っている選手がいっぱい出てきますね…

近藤貫太さんの略歴 / ジュニアユースやトレセン時代 / 多感な時期っすよね / 当時の愛媛ユースってどんな感じ? / 野津田選手 / U-18 日本代表時代の話 / 当時のU-18 日本代表誰がいた? / 遠藤航のキャプテンシー / どの選手と仲が良かったか話 / 大学進学へ / 端山豪ワントップの武藤嘉紀と2シャドー / シュミット・ダニエルから大量ゴール / 当時の話をすると少し悲しさが / 怪我〜プロ入りまでの過程 / プロ生活 / プロ選手の1週間のサイクル / アウェイってホント大変 / 契約満了 / 大学に戻るときに相談した人 / 須田さんなくして自分はいない / Cチームからの再スタート / 就職 / 就職後のサッカーの違和感 / そして慶応BRBへ / 仕事どう? / 武藤嘉紀(よっち)は本当に尊敬する / 湘南サポが覚えているあのボールキープ / また話したいですね

サマリー

第49回のラジオ番組では、ゲストとして元Jリーガーの近藤貫太さんが登場いたします。彼のサッカーキャリアやU18日本代表の経験について話を展開しております。近藤貫太さんはU-18日本代表歴のある元Jリーガーであり、彼のプロサッカー選手としての経験についてもお話いただいております。また、大学でのサッカー生活から広告業界への就職、そして現在はクリエイティブの仕事を楽しみながら週末にはサッカーを楽しむという近藤貫太さんの人生についてもリアルなインタビューをしております。元Jリーガーの近藤貫太さんが登場し、プロサッカー選手としてのリアルなインタビューを行っております。

近藤貫太さんのキャリア
105×68mのフィールドには喜びと楽しさと悔しさが詰まっている。サッカーを愛するクリエイターたちの雑談ポッドキャスト、fm105。今日も渋谷からお届けします。
パーソナリティーは湘南ベルマーレサポーターのデザイナー田穂井と、渋谷シティFCサポーターのコピーライター竹パンです。
11月5週目の後半戦第49回目です。 今日はゲストの方に来ていただいております。
第3回目のゲストですかね。3回目のゲストは元fmxcでプレイされていた近藤貫太さんです。よろしくお願いします。
ただの後輩です。いろいろ経緯を聞いていきたいんですけど、近藤貫太君は今広告のクリエイティブをやっていて、それの後輩なんですけど、サッカーの上手さで言うと僕とレベル1なんで、リスペクトしてます。
ということで今日は色々聞いていきたいなと思います。 あとあれですね、週末のJリーグ見に行った話も優勝に立ち会って、その話も聞いていきたいなと思います。
ということでね、今スタジオにいつもの田穂井さんの事務所で収録してるんですけど、スタジオマイク2本しかなくて、今日3人なので田穂井さんと僕が同じマイクなので、田穂井さんいますけどちょっと遠い。
お風呂ボイスね。
お風呂田穂井と共にお送りしておりますが、ということで近藤貫太さんの経歴を紹介しますと、愛媛県今治市出身、タオルに車で生まれて、愛媛FCのジュニアユースを経てユースに昇格、高校1年でトップチームに入手登録され、マジ?
ありましたね。
これwikipediaすごい、愛媛FCユースの最高傑作とも評査があった。
高校3年時にはU18日本代表に選出され、AFCU19選手権2012の予選出場、そしてトップチームを昇格せずに慶應義塾大学に進学。
ここまではあるキャリアな気がしますが、ここからが多分唯一無二。
いやいや、2014年大学休学し、ユース時代を過ごしたフルス、愛媛FCへ入団。大学を休学してJリーガーになっている人はそんなにいないんじゃないか?
そうですね、当時は、今もかな?そんなにいないですね。
そこから2年間プレーされて、2015年をもって退団し、慶応義塾大学に復学しサッカー部に復帰という、聞いたことないキャリアを歩んでいますので、その辺聞いていきたいんですけど、もともとサッカーは何歳からやってるんですか?
僕は3歳とかですかね、いわゆる気づいたらっていうやつですね。
それは兄弟とかの影響とかですか?
いや、僕は小学校の友達にしんちゃんっていう子がいて、しんちゃんはお医者さんの息子なんですけど、しんちゃんに誘われて始めたと記憶してます。
しんちゃんはその後は?
しんちゃんは多分今頃医者になってるんじゃないですか。
医者のしんちゃん。そこからサッカーキャリアは順調なキャリアだったんですか?
比較的小学校の時に高学年の試合を混ぜてもらったりとかして、えひめのジュニアユースからオファーっていうか来たらどうだみたいな話になってて感じですね。
ジュニアユース時代は10番とかだったんですか?
うまくいかない時とかも全然ありましたし、一応地元では当時はJクラブ一つしかなくて、小学校の時の田舎ですけどのスターが集まるみたいな場所には一応なってたんで。
スター面ではありましたけど、別に絶対的って感じではなかったですね。先輩もいますし、中3とか。
中学年代の時とかもナショナルトレセンとか行ってたんですか?
行ってましたね。当時はもうあそこがゴールっていうかステータスだったんで。四国トレセンとかナショナルトレセンとかなんかありましたね色々。
誰がいたんですか?ナショナルトレセンは。
ユース時代からJリーグ入団経験
誰いたかな。中学生ですよね。西日本と東日本で分けてみたいな感じだったんで。
久保優弥さんとかはその時は?
行ったかな。力とかもいたと思いますけど、結構バッて何十人いっぱいいる感じなんで。
今を代表する選手たちと出会うのはU18の代表の時になりますかね。
その時はみんな地元で頑張ってて、当然中学校からグレちゃって、高校はタバコばっかり吸ってるみたいな子もいましたし。
ちょうどそういう本当にサッカーでやっていくのか、ちょっと不良に流されてしまうのかみたいな多感な時期ですよね。14、15歳っていう。
有名なところで言うと佐藤優斗選手とかね、一回中学でサッカー辞めてるんですよね。
チャラくなって戻ってきたっていう。
お兄ちゃんの方ね、来たとは真面目だけど。
そうですね。確かに今もなんかちょっと風貌でかっこいいですけどね。渋い感じの。
あれ生辞、源選手とかも一回辞めてるはず。
ガンバジュニアユースで結果出なくて中3ぐらいで一回辞めちゃって。
で、夜長来たの監督に呼ばれてまたサッカー復帰したみたいな感じだったと思います。
なんかそういう子たちもいるよね。消えた天才みたいな。
います、います。
で、そこからユースに上がって。
ジュニアユースからユースって何人ぐらい上がるの?
何人?でもちっちゃいクラブだったんで半分ぐらいは上がった気がしますね。
なので、よく覚えてないですけど14人ぐらいいて7人ぐらいは上がったんじゃないですかね。
他は外部から?
他は外部からです。
それぐらいの循環なんだ。
僕らのところで言うとサンフレッジユースに上がれなかった選手と、
中学校で活躍して高校サッカーを選ばずにユースを選んだ選手で、でもセレクションがあってって感じだと思いますね。
当時ってまだFMFCはそんなに歴史がない時期じゃないですか。
はい。
ユースからトップに上がった選手っていたんですか?
いました。いましたいましたいました。
結構毎年上がるみたいな?
毎年2年に1回か1人か3年に1人ぐらいは上がってたと思います。
でもそんなもんだね。
そうですね。
さすがにさユースの子たちがどういう気持ちなのかこれあんま分かんなくてさ、それぐらいの狭きもんじゃないですか。
進路っていうか高校卒業したらどうしようみたいなのはみんなどういう気持ちなんですか?
まあでもみんなプロになるためだけに来る場所なんで、当然高校もそれぞれ別の高校行ってますし、
ただ放課後になったらみんなが集まってそのプロになるためだけにそこでプレーをしてっていう感じなんで、
いわゆるなんか僕も大学サッカーで部活やって初めて気づきましたけど、みんなでこう力合わせて日本一取ろうぜみたいな、そういう温度感はあんまりなかったですね。
なんかこう俺がここで上に行くんだっていうのみ。
なんで先輩とか後輩とかっていうよりも自分が上に行くためにっていう感じだったと記憶してます。
仲良くはなるけど個人主義感はやっぱ部活よりは強い。
U18日本代表の経験
そうですね。
まあそうだよね、自分の結果出さないと生き残れないんだもんね。
そうですね。
なんかあんまり今はちょっとわかんないですけど、当時は本当にさっきも言ったようにみんながプロになるためだけに来てる場所だったんで、
なんかあんまり横との絆とかっていうよりは全員ライバルで隣のやつに勝たなきゃいけないという雰囲気はありましたね。
そんな中でU18の代表に選ばれると思うんですけど、愛媛からは1人?
愛媛からというか四国から1人で。
四国最高選手だ。
中四国から2人で。九州は確かいなかったと思うんで。
西中東で分けると当時は2人でもう1人がサンフレッチェの野津田くんでしたね。
あの野津田?
あの野津田です。
今の野津田?
今の野津田というか当時から野津田なんですけど。
野津田選手は1個下?
1個下です。
当時はこんな話してていいのかあれなんですけど尺的に。
成田しかなかったんですよ国際線が。
帰ってくるじゃないですか海外遠征とか。
そして僕と野津田だけ羽田空港に行って乗り換えがあって。
でも着いた頃にはもう最終便とかもあって、
僕と野津田であの2人で羽田空港で疲弊してたのを思い出しましたね。
そっか。
代としては1個下が野津田選手とかがいて、1個上とかに。
当時のメンバー見ています?
そうですね当時のメンバー。
当時のメンバー。今ね僕が見てるのSBSユースカップですけど。
SBSはいはいはい。
8月ですね。
SBS国際ユースサッカーをご存知の方。
このリスナーは多いと思うんですけど。
静岡県ではねテレビ休憩されてるんで子供の頃からずっと見てたんですけど。
謎に静岡でやってるU18日本代表と静岡ユースと、
あと海外のユースにチーム来てやる謎のサッカー。
僕の時はメキシコとオーストラリアでしたね。
めっちゃ覚えてますね。
あの大会は。
当時の学年がちょっとばらつきあるかもしれないですけど。
メンバーで言うとキーパーが
串引中村康介。
そうですね。
ディフェンダー。
相馬大輝選手と僕知らないな。
柏霊一大輝。
そして遠藤渉選手。
松原健。
山中亮介。
川口直樹。
岩波拓也。
上田直道。
大島亮太。
新野拓也。
熊谷アンドリュー。
坂木翔太。
橋本健人。
上田大輝。
深井和樹。
南修徳がいる。
高原茂樹。
近藤寛太。
久保優弥というメンバーでしたね。
僕何やってるんですかね。
すごい食べるのがリアルです。
何やってるかで言うと今立派だよ。
言ってあげなさるのがリアル。
今立派ですよ。
今バリバリJリーグで活躍している選手もいるし、
海外でプレーしている選手もいるし、
Jリーグでは最近何してるんだろうなみたいな選手もいるしね。
南修徳選手とか懐かしいなと思いましたね。
山形にいましたよ。
あれ今も。
今戦いましたから。
土曜日に見てきましたから。
いたいたと思って。
熊谷アンドリュー選手とか千葉にいて、
坂木翔太選手はボンズ1あるじゃないですか。
そうかもしれない。詳しいですね。
マニアックなんでね。
そんなメンバーでしたけど、アジアの大会の方も似たようなメンバーですか?
基本的にはそのメンバーが中心だったと思います。
ただそのSBSで静岡県代表に負けて決勝で僕たち。
それが雷で中断した後に石げにミドルシュートぶち込まれるっていうので、
0-1で負けて確か。
その後そのまま片ある遠征だったんですけど、
石げ急遽呼ばれたかなんかでそのゴールから。
僕たちはすごいどんよりした感じで静岡から成田かな。
2バスで向かってる中浮き浮きの石げが来たみたいな感じだったと記憶してます。
その世代がU20のワールドカップに行ってるメンバー?
目指すメンバーですね。
この時行けた?
行けなかったです。
行けなかった年なんだ。
なるほど。
どこで負けちゃったんですか?
確か最終予選だったかな。
僕1次予選出たんですけどその後怪我しちゃって、
メンバー入れなくなっちゃったんですけど。
準々決勝でイラクに。
イラクだった気がしますね。
U-18日本代表時代
その時矢島真也がいますね。
そうですね。
カンタ君の代わりに行ったのかな?
結構時間経ったんでメンバーも1次予選から変わったかもしれないですけど。
でも同級生ですねそのあたり。
日の丸背負ってたんだよな。
すごいね。
一時期だけですよ一時期。
当時遠藤渉選手が学年で言うと1校上だけど。
1校上の早生ですね。
ここにいますけど。
キャプテン?
キャプテンでしたね。
同時はセンターバックかな。
そうかそうか。
湘南時代はセンターバックでしたもんね。
渡るって全世代でキャプテンやってますね多分。
そうですね確かに。
キャプテン顔だもんね。
キャプテン顔ですね。
顔が。
あんまりいっぱい喋るタイプじゃないですけど、
でもなんか安定感やっぱありますよね。
真面目なキャラ。
真面目でなんか監督とも対等に話せるイメージがあります。
キャプテンらしいって感じがあるんですね。
特に僕らの代理では1校上から来てて、
でもすでにJリーグもデビューしててっていう感じだったんで、
もうどう考えても渡るくんだろうっていう感じでしたね。
監督は真面目じゃなかった?
僕はまあ中間ぐらいじゃないですか。
結構やっぱ18歳の時の日本代表って各地のオールスターたちじゃないですか。
それぞれのチームの中心選手たちなんで、
まあ尖った選手もいますし、結構真面目だなっていう人もいます。
ちょうど中間ぐらいですかね。
大島亮太さんとかはどうなんですか?
亮太くんとかは超真面目で過目ですよね。
必要以上には喋らない。
この早生まれ1校上メンバーは過目そうだね。
ケン君もそうですし、串引き2人いたんですけど。
キーパーの方の串引き、青森山田。
あんまり喋ってるイメージない?
まあでもそのメンバーで並ぶと喋ります。
喋る方ですね。
串引き選手は勝手なイメージだよ。
内弁系な人のイメージがあって、仲良い人とは喋るけど、
あんまり知らない人と喋らないっていうイメージがあります。
いや僕らの時はそんなことなかったですね。
結構みんなにスタバをおごってくれたりとか。
後輩に強いタイプ?
はい、そういうイメージあります。
ちょっとこれただの悪い話なんだけど、
SIMSでセイゴールキーパーだった時期があって、
先輩にあんまり物を言えないタイプなんじゃないかなと思って、
指示の声聞こえないなと思っていたんだけど、
アンダー代表を見るとめっちゃ指示出してるから、
いや清水でもやってよって。
なんでだよって思ってて。
これただの悪口です。
届くといいですね。
やだやだやだ。
思ってました。
すげーなすげー話だな。
仲良かった選手とかは誰なんですか?
でも橋本健人とか、
あと原川力輝は山口なんで、
だからさっき2人とかいましたけど、いましたね。
でもあれか、チームは京都サガだったんで。
力輝は。
なんで所属してたチームでは僕と野津田だけだったんですけど、
力輝とか、
あと1個下の深井和樹っていう、
今世通り札幌でこの前8回目の膝の動きがしましたけど。
手が多いイメージですね。
1個下の台も多かったんで、
岩波拓とか上田尚道とか、
でもみんな仲良かったですよ。
あんまりこの人とこの人がっていうのはなかったですね。
そこから、ユースからね。
FMFCに上がるオファーあったんですか?
はありました。
高校1年生から日出登録させてもらってたんで、
おまけで高2の柏レイソル戦かな?
でベンチ入れてもらったりとか、
なんかいろいろやってたんで、
KO大学時代の経験
クラブとしてもいろいろやってきたし、
上がるでしょうみたいな感じだったと記憶してます。
それはどういう決断があったんですか?
大学行くっていう決断ですか?
僕は当然プロ行きたかったですけど、
親と話し合いになるじゃないですか。
僕自身はどうしても行きたいっていう話だったんですけど、
人生はそんな短くないぞと。
サッカー何歳までやれんねんと。
いう話して、僕もなんとなくそういう感覚はあったのはあったんで、
じゃあ1回大学行ってからっていうのもあったんですけど、
とはいえ、ただ大学行くだけというより、
せっかく行くんだったらちゃんと勉強もっていうか、
学べるとこ行きたいなっていうことがあったんで、
KOに行きますっていうことで、
クラブに話して、KO側にも話して、
そこから入試に向けて準備をしたっていう感じですね。
それは大学からオファーみたいなのが来てたってことなんですか?
いや、大学からオファーとかはないです全然。
大学側も当然プロ行くもんだと思ってるんで、
僕から捨てって言うとあれですけど、
たまたま愛媛県出身の方が女子部の監督やられてたんで、
その人にコンタクトして、
じゃあこっちでできることはっていう話で、
KO入試の準備を始めたっていう感じです。
じゃあ自分でKO選んだんですね。
そうですね。
当時KOって強かったんですか?
当時は強かったです。
僕の入れ替わりの台で4人、5人ぐらいプロ行ってて、
そんな台多分後にも先にもないと思うんですけど、
今で言う川井洋介君の台がちょうど入れ替わりなんで、
川井君の台が多分3位とかそれぐらいの、
一部で3位とかそれぐらいの高成績だったと思うので、
強かったですね。
それで大学進学を決めて東京に出てくると、
ここまではね、ここまではあるんですよ。
ここまではある。
そういうサッカー選手いるよねっていう感じですよね。
こっからね、マジわけわかんないですよね。
ちょうど今週の前半戦の放送でお便りをいただいてたんですけど、
サッカーユーチューバーのリゼムの森安圭吾君が、
大学時代の話をしてたYouTubeの中で、
りゅうけいと慶応の入れ替え、リーグ戦の最終戦とかなんかがあって、
話をした時に、武藤義則選手が慶応にいて、
今度カンタがいてっていう話をしてて、
1年から出てたっていう話が出てたんですけど、
慶応でサッカー部に入って普通に試合には出てた?
そうですね、試合にはずっと出てました。
1個上が武藤選手?
1個上が武藤選手ですね。
当時どういうフォーメーションだったんですか?
僕が覚えてるのは、早間豪一トップの、
武藤義則・近藤勘太のツーシャドウだった試合があったなっていうのは覚えてます。
それが確か、中央大学との試合で、
総理大陣配の準決勝みたいな、超過密日程でやるんですけど、
もう守備とかできないぐらい疲れちゃうんで、
でも攻撃力強いんですよ、お互い。
7対5で勝ちました。
当時の相手のゴールキーパーがシミット・ダニエル君で、
ダン君に7点入れたチームは僕たちだけなんで、
7対5で勝ちましたね。
めちゃくちゃ面白いですね。
もうみんな守りとかできないですよ、疲労溜まりすぎちゃって。
夏とかにやるんですか?
もう真夏です。
すごい。
自分的に、だから早間剛さんのトップの僕、よっちの2シャドウだった気がしますね。
早間剛さんの話も後で出てくるかもしれないですけど。
面白い。7対5面白いのは見たいね。
その時点取ったの?
点取ったと思います。
先制ゴールだったかな?
シミット・ダニエルから点を取りました。
7点取りましたと。
その時は総理大陣配優勝ってことですか?
その後、あれなんだったかな?試合の立て付けがあんまり思い出せないんですけど。
覚えてないこと多いよね。
覚えてないこと多いですね。
なんか準決勝だった気はしてますね。
すごい。その試合を経て、なんか出てきました7対5の試合。
出ました。
間違ってないですよね。7対5でしたね。
7対5ですね。先制してますね、近藤勘太。
2点目がダンの選手ですかね。
いやいや、チーム名ですね。
羽山、岩田、武藤とか。
多いよ。
美中和裕介。
中央大学ですね。
そうなんだ。相手にいたんですね。面白いね、メンバーもね。
そうですね、これ準決勝ですね。
ですよね。何の準決勝ですか?関東タイトル?
総理大陣配全国大学サッカートーナメント出場権をかけたアミノバイタルカップ関東の決勝ですね。
そうですね。
これね、おととしぐらい僕見に行ってます、関東の決勝。
凄いです。
リュウケイとワセダの試合。
まだレギュレーション変わらずその感じでやってます。
その感じでやってますね。
はい。
いや、すげえ面白い。
得点者数めっちゃ多いもん、この試合だけ。
12点入ってますもんね。
訳わかんない書き方になってますからね。
はい。
それが1年の時?
はい、1年の時ですね。
どこで大学からプロにみたいな話になるんですか?
僕1年の夏前に大怪我しちゃって、皮骨の打球骨折って言ってたんですけど。
1年の夏?これね、6月8日?
だからその後ですかね、多分。
え、もう1年の6月に試合出てんの?
はい。
えぐい。
いや、開幕から出てましたよ。
一番僕、先週末もよっちのお父さんとお母さんと会ってご飯食べてたんですけど、神戸で。
そっか、優勝したし。
来る予定だったんですけど、彼も。
いろいろあるじゃないですか。
お父さん、お母さんと近藤勘太で飯食ってんの?
いつもすごいよくしてもらってるんですけど。
他の親戚の方とかもいたんですけど。
それであの時のことはまだ覚えてるわっていつも言われるのが、第何節かわからないんですけど、前半戦の明治大学戦で、僕前半でハットトリックしたんですよ。
それがすごいみんなの印象に残ってるらしくて。
その時は大物ルーキーとかなんとかいろいろ言ってもらいましたけど、その時の話は結構いろんなところでされますね。
そのために悲しい気持ちになる。
なんか勘太君が昔のサッカーの話を聞く時にちょっと悲しさを感じるなって。
そうなんだよね。
いやまあでもそれはリアルなんで、このラジオではリアルを語っていきたいと思いますけど。
で大怪我すると。
そう、関東戦発、全日本戦発か関東戦発かなんかの戦後会みたいなのがあって、そこで怪我しちゃってって感じでしたね。
怪我とプロになるまで
でそのタイミングで、実はU18の活動の方で南アフリカの遠征があって。
でそっちにちょっと監督と話してちょっとそっちには行かずに今回は大学の戦発の方に参加しようってなって怪我しちゃったっていう感じだったんで。
まあたられ場じゃないですけど。
まあちょっとその時は結構落ち込みましたね。
なんかその間に代表との距離も離れるんだろうなっていうのもありましたし。
まあ実際離れたんですけど。
で怪我なかなか治らないしっていうので、なんかすごい激動の1年だったことを覚えてますね。
そっからどういう変化があってプロに行くんですか?
まあそっから怪我は何とか復活してボール蹴れるようになって2年生を迎えて。
1年生の間に復帰したのかな。
それもなんかでもボールが本当30メーターぐらいしか蹴れない。
20メーターぐらいしか蹴れないのに試合に出るみたいな。
痛み止め飲みまくってみたいな感じだったんで。
結構自分的にはちょっとなーと思ってたんですけどなんかただゴール前に待ってたらこぼれ玉来て押し込むだけみたいなんで。
結果は出るみたいな感じで。
監督としてもまあじゃあ出ろみたいな感じでやったんですけど。
2年になってプレーしていく中でプロ行きたいという思いはずっとあったんで。
夏ぐらいに決断して行こうって決めたんですけど別にどっかからオファーがあったとかっていうわけではなかったんで。
タイムが先でした。
そういうタイムなんだね。基本自分で決めて何とかしてくんだね。
そうですね。もう辞めてそっからチーム探しって感じで。
だから無所属の期間が半年強あったと思います。
俺みたいなことしてるじゃん。
竹田さんのこと言えますよ。
会社辞めちゃいます。
とりあえず辞めてくれ。
いやまあでもなんか自信があったでしょうね多分。
まあそれ今思えば傲慢ですけど。
でもまあそっからプロには行くっていうかその先からが勝負と思ってたんで。
あんまりそこを辞めるってことに対しては。
大学的には大問題でしたけど。
でもまあ僕としてはそんなに行きたいですっていう感じでしたね。
どうやって探すんですか?プロのチームそういう時って。
いやもうそれも要は代理人っていう人がいるじゃないですか。
その代理人に探してもらうっていうパターンもあるんですけど。
なんかその代理人をつけるっていうこと自体大学生でいる自分にとっては結構グレーな当時。
グレーというか前代未聞みたいな感じで。
そもそも大学っていう組織があってプロっていう組織があってプロからオファーを出して。
じゃあ大学から卒業していきますっていうのが通常ルートなんで。
結構苦戦しましたそういう意味で言うと。
まあでも結局それでまあいろんなチームの練習参加結果的にさせてもらったりとか。
まあ最終的に愛媛も行って拾ってもらったりとかっていうことだったんで。
まあなんか基本的には東京に居ながらちょっと自主練習しつつって感じですね。
でもなんか町の公園に行ってボール蹴ってたのとかありましたよ。
本当に裏の坂道ダッシュとか。
なんかさっきwikipediaを見たら海外みたいな書かれてたんですけどそれは嘘ですか?
それはね嘘ですね。海外は行ってないんですね。
海外挑戦を決意しサッカー部を退部って書いてあります。
それは嘘でした。
wikipediaは結構嘘ありますよね。
結構ありますね。
誰が書いてんだろこれ。
嘘ですよこれ。
時を同じくして慶応サッカー部で言うと武藤選手ももう途中でプロになってますよね。
なので武藤選手とはプロ同期なんですよね一応。
2年で辞めて入ったのと3年で辞めた。
僕が2年で辞めて3年で。
まあヨッチはもう4年生だったんで多分プロやりながらも単位取れるぐらいは単位取ってて大学生でありながら
当時日本代表で左足ミドルを突き刺すっていう感じでしたよね。
じゃあそこから一旦愛媛に戻るわけですね。
そこからプロ生活。
プロ生活の難しさ
どうでしたプロ生活は。
いやー難しかったですよね今ここにいるっていうことは。
まあそうですね難しかったですよ。
っていうのも結構自分がこれまでチームの中心でやってきた選手だったんで僕自身が。
なんかコマにならなきゃいけないじゃないですかどうしても自分がプロで絶対的な力がない以上は。
でなかったんでならなきゃいけないんですけどあんまりそれをやったことがなかったんでこれまで。
なんかこう糸口が見つからないまま時間だけ過ぎていくみたいな結構悶々とした時期を過ごしましたね。
契約的にはC契約から。
もちろん全員C契約からなんで。
出場時間満たないと上限が外れないっていうのは同じでしたね。
1年目がリーグ戦13試合1ゴールです。
覚えてないかも。
いやもうなんかすごい昔のことに思いますね。
まあそれは良いことなのかもしれないですけど。
ありましたね。
普通に試合にも出てそこそこ出てたって感じなのかな1年目にしては。
いや全然出てないんじゃないですかもうほとんど出てない記憶ですよ。
途中出場ちょっと出るぐらいな。
じゃあ結構自分の中ではうまくいってないなっていう。
かなりありましたねそれは。
プロの生活ってどういう感じなんですか。
J2は日曜が試合なんで日曜試合を基準に試合から行きましょうか。
試合があります。月曜に練習試合。
試合出なかったメンバー外の選手とか途中交代であった選手が練習試合する。
で火曜オフですね。
水曜日から練習が始まって水木金練習して
アウェイだったら土曜の朝練習して移動して
で止まって日曜試合して帰ってくるというイメージなんで。
1日のスケジュール自体はそんなにハードじゃないんですけど
1週間データで見ると移動もありますし。
まあまあハード。
でも基本練習は午前中で終わって
午後はケアとかなんで。
その時に僕メンバーベンチとかだったんで
もうそこでアピールするしかないじゃないですか。
だからまあ結構危機感を感じる毎日を過ごしてました。
ちょっとした余談なんだけど
愛媛だと全パクするアウェイってどこまでが全パクなの?
大体どこに行く時も全パク?
全パクです。全パクしないアウェイはないですね。
今だと今治があるんで今治はしないんじゃないですかね。
徳島ぐらいでも全パクする?
します。徳島してた気がしますね。
そうなんですね。
一番遠いところで札幌でしたね。
札幌はもうめっちゃ遠いですよ。羽田で乗り換えですよ。
飛行機乗り換え帰りね。
もう着いた頃にヘトヘトですよね。
やっぱりアウェイの遠征って大変なんだね。
ですね。大変ですね。
四国内ぐらいなら当日入りかなと思ってた。
いやホームでも全パクする選手とかいますよ。
家族とかいると夜寝れないみたいなのあるじゃないですか。赤ちゃんとかいると。
なのでホームでも全パクしてる選手とかはいましたね。
大学に戻る決断
で当日帰り大体。
はい。当日帰りですね。
その移動も大変だよね。夜試合終わってとかね。
たまに新幹線とかで会いますけどね。選手たちとね。
大変だなと思って。
試合の帰りとかね。
でも清水ぐらいがちょうど移動できちゃうから大変なんじゃないですか。
愛媛とかだともう要はナイトゲームとかだと絶対その日帰れないんで。
飛行機ないじゃないですか。
なんで紅白なんですよ。間違いなく。
でも清水とかだと新幹線があれば帰れちゃうじゃないですか。
前に仙台のアウェイ見に行った時に帰りの新幹線選手たちと一緒で。
で東京駅で俺は東京帰るから降りて。
でも彼らは東海道線乗り換えたんだけど。
終電が三島までしかなくて。
これ三島からみんなどうやって帰ったんだろうなと思って。
そっからバスなんだろうなと思って。
大変と思って。
確かに。
そういうのもね、永遠性ありますね。
あと天皇杯とかも絡んできますからね。時期になるといろいろありますね。
でも俺カンタ君の話好きなのは車の話なんだけど。
なんですか車の話。車乗ってたんだよね。
車乗ってましたよ。
サッカーフェスとか。
その話しましたっけ?
その話は中古車の話の時にもしてたよね。
いい話としてしてたよ。
でもサッカー選手っぽい車乗ってたんだよね。
そうなんですよね一応。
21とかでしょだって。22とか。
そうですね21とか。
原付乗ってましたよ俺。
スクーター、中古のスクーターに乗ってた時代。俺が。
いやまあそうですね。
2年間やって大学に戻る決断だと思うんですけど。
その時はチームから契約満了?
そうですね。はい。
その時に決断っていくつかパターンあるじゃないですか。また他のチーム探すっていうのも。
それってどうしたんですか?
最終的にはもちろん満了なんですけど、
その前に教科部の方とどうするかっていうか、どういうふうに考えてるんだみたいな話をした記憶があります。
僕はもうその時はこのレベルにいたら到達できないなって思ったんで感覚的に。
なので大学に戻ろうっていうこと自体は決めてて、そういう話もしたんで。
トライアウト的なやつも行かなかったですし、
もういわゆる引退っていう形を決めて大学に戻ろうって言って戻りましたね。
まあしがみつこうと思えば何か道はあったかもしれないけど、
それだともともと目指してた高みのところには行けないという。
そうですね。当時のことはあんまり鮮明に思い出せないですけど、
なんか自分の中ではちょっとこう生活全体にというか、
まあそれは自分のサッカーの生活が充実してなかったからでしかないんですけど、
一日終わった時に充実した一日だったなって思えない日が2年間続くわけじゃないですか。
まあちょっとこれは自分のその実力とか努力次第なんですけど、
なんか結構耐えられないぐらいきつかったのを覚えてますね。
大学に戻る時に車を売るんですよね。
その話はちょっと後で話します。
車を売る話を。
車を売るんです。
そうなんですよね。
はい。
で、大学に戻ると。でもここが結構難しいですよね。
そうですね。ここが多分一番難しいっていうか一番きつかったですね。
あと聞いたことない。
なんか変な話。大学側からはちょっと問題になるようなやめ方をしてるというか。
そうですね。
監督は後のインタビューで喧嘩別れって言ってましたけど。
まあそうですね。
大学時代の挫折と再スタート
で戻ります。大学生に戻るのは別に副学するだけだから戻るとして、
サッカー部に戻る。
はい。
それはどういうやり取りがあったんですか?
いやこれはまずヨッチに相談しました。
ああ。
で、えっとまあいろいろ全部知ってたっていうか相談を当時からしてたんで。
まずは監督に電話をしろと。
謝りなさいと。
っていう話だったんで。
まあ当然2年半ぶりぐらいなんで話すのも嫌でしたけど会話して。
その時にサッカーどうすんだっていうふうに言われて、
いやもうやりませんと言ったんですけど、
いやなんかそれ別に一緒にやろうよもう一回みたいな。
へえ。
言ってもらって。で僕その時さすがに涙出ましたけど。
その時は大学に戻るけどサッカー部には戻らないってつもりでした?
つもりでしたよ。で、いや一緒にやろうよもう一回みたいな。
でなんかその時じゃないですけどなんか後のインタビューで別になんか悪いことしたわけじゃないし、
また教育の場なんで大学サッカーっていうのはなんで受け入れましたっていうことを言ってくれてましたけど、
まあ須田さんなくして僕の人生はないなって本当に思ってますね。
ただ条件的には結構周りからの、それは須田さんだけの意向じゃなくて、
大学サッカーは歴史あるクラブなんで、
そんなやつを受け入れていいのかっていう問題は当然出てくるわけで、
そうなんでCチームの1年生待遇からっていうので、
それは結構きつかったですね。
だって1年生の最初はAチームだったわけでしょ?最初の本当の1年生って。
そうです。で、プロ経験した大学3年生でCチーム。
しかも1年生の。
1年生で毎日トイレ過ごし。
だから当時白Tって言って所属チームと名前とみたいなの書くんですけど、
みんななんかなんちゃら高校とかなんちゃらユースみたいな。
僕だけはトップチーム。
Aチーム、トップチーム、混同ガンダみたいな書いて。
それ着て、しかも一番いい時間はトップチームが練習するって、
朝6時半とか日が出る前から。
だからもうトイレ掃除してるのとか5時半とかですよ。準備もある。
水汲みとか準備もあるんで、5時半からトイレ掃除して、
6時から水汲みして、6時半からみんなと練習開始みたいな。
早起きでしたね。
それってCチーム1年生大学から始まって、
それでどうなるんですか?その先。
半年ぐらいだったかな。半年ぐらいしてトップチームに挙げてもらって、
そっからはもうトップチームとしてやったって感じです。
普通に大学で試合に出てって感じですね。
大学のサッカーが最後の大会が終わったタイミングで、
そこはもう別に就活もしてたって感じですか?
してました。
当時の新聞でインタビューみたいなしてもらった時に、
就活やってますみたいなことを言ってたんで、
もうプロは目指さずに就活やってるって感じでしたね。
その時って2年年次がずれると同級生には誰がいるの?
社会人としてのキャリアとゴルフ
大学サッカーですか?全然わかんないな。
誰だろう?
でもミトマとは試合しましたよ。
でもミトマは多分下だと思います。
僕のその2個遅れたのより下ですね。
1個下か2個下ぐらい。
KOは誰がいたんですか?その当時の復帰したチームで言うと。
誰もいないですよ。
プロいった選手はいなかったですね。
そうなの?
その時カント一部?
一部です。僕の4年生の時で2部に落ちました。
ここカットでお願いします。
なるほど。就職をすると。
広告の世界に入ってくることによって僕と出会うんですけど、
だいぶ経ってからだけどそこから。
その先ってサッカーって今も続けてるは続けてるじゃないですか。
どういう気持ちなんですか?今プレーしてるのって。
引退してそれこそ入社した1年目とかも
wikipediaに載ってるんですけど
セルベッサっていうチームでプレーをしてたんですけど
全然乗り気じゃないっていうか
サッカーを何て言うんですかね
これみんなぶち当たる壁だと思うんですけど
要はお金もらってやってた仕事じゃないですか
今度は例えばみんなでやるってなったら
口頭費みんなで割ってじゃあ1人いくらねみたいな感じで
払ってプレーするっていうことに
すごいなんか今思えばあれですけど
なんていうか悔しさみたいなのを感じる部分があって
なんかすごい嫌だったんですよ。
なんかそれも就職に対してお世話になった先輩がいて
その人がやれっていうことでやってたんですけど
僕そういう恩はすごい感じるタイプなんで
その人が言うからやってたっていうのもあったんですけど
なんとなくちょっともうこれは
さすがにきついなっていうタイミングでやめました1回
何年か経ってもう完全にそういう気持ちがなくなって
社会人でももう頑張ろうと思った時に
今KOのOBチームなんですけど
からやろうぜっていうことで話もらって
今はもう楽しくやってるって感じです
なんかサッカーとの向き合い方が今は割とこう
いい立ち位置みたいなのに慣れてる
そうですねまあいわゆる普通にサッカーが好きで
週末サッカーをやってるおっさんっていう感じですね
この間言ってたのが週末サッカーして平日働いて
健康的でいいですよって言ってたのを覚えてます
健康的な活動として
楽しいですしもちろんプラス健康っていう
BRBの試合見に行ったんですけど
なんかねめちゃくちゃ振りの早いシュート打ってましたよ
見えなかったいつ打ったのか見えなかった
殺し屋のやり方ですね
そこで今も一緒にやってるのが早山ゴーストさん
KOの最初の同級生
後にJリーグでもかなり試合に出られて
早山さんも引退して
まさかの我々は同じ会社でした
早山ゴーコンドーカンタがいて
武田もいるという状態でした
僕あれなんですよカンタ君と話す前に早山さんの方が先に話してる
そうなんですか
会社のイベントで
会社としてパラスポートを盛り上げていこうみたいなイベントがあって
パラアスリートを何人か支援してるんですけど
そのイベントに僕と早山さんがスポーツ詳しい人として呼ばれて
登壇して喋ってたのが最初なんですよ
見ましたねそういえば
それが僕Jリーグ経験した人と生まれて初めて話した機会だった
で思ってたら今年は
コンドーカンタと仲良くなる
現在の目標と武藤義則選手について
渋谷でも宮崎大輔さんとか
岩沼信介さんと結構仲良くなったので
今年やたらと元Jリーグと話したなっていう
来年はさらにじゃないですか
そんなきっかけだったんですけど面白いね
今人生の目標みたいのはどんなところなんですか
それこそ武田さんにいつもいろいろ教わってますけど
広告の業界で最初の方はさっきも話しましたけど
結構社会人というもの自体を楽しんでた時期もありましたし
社会人というもの自体を苦しんでた時期もありましたし
不安定な日々を送ってたんですけど
やっと仕事の中でやりたくない仕事もいっぱいありますけど
やりたい仕事もそれこそ武田さんと一緒にやらせてもらったりとか
学びがあったりとかなので長期的な目標というよりは
今やってることにいろんな角度で向き合って
いろんな見方をして成果を残すっていうことに
注力したいなと思ってるんで
その成果の大きさでたぶん後々やっていく仕事とかも決まっていくと思うんですけど
今は与えられた仕事を全力で頑張ろうっていう感じで
いいモチベーションでやれてるなと思いますね
特にここクリエイティブでまた世界っていうのがあったりもしますからね
いろんな僕らの中にも戦いがあるので
今どのロールされてるんですか仕事では
コピーライターとかデザイナーとか
それで言うとプランナー兼コピーライターみたいな感じで
いわゆるコミュニケーション設計から考えさせてもらう時もありますし
コピーを軸にいろいろ考えていこうとか
チームで動くこと多いんで終わり振りしながら
ここのコピー書いてくださいみたいなのとかはありますね
あと実業務というかバナーの制作したりとか
そういう動画作ったりとかそういうこともやってます
なんかねすごい面白いキャリアでしょ
あとゴルフ頑張ってるよね
ゴルフそうですね
ゴルフ頑張ってます
この前も女子ゴルフ見に行ってきました
ゴルフ見に行ってるんだよね
サッカー見に行かないでゴルフ見に行ってる
サッカーやってる人ゴルフハマる人多いよね
ゴルフやる人は多いですけど
ゴルフ見に行ってる人は他に知らないです
僕も知らないです
でも学びがありましたねゴルフもやっぱ見に行くと
あともう一個だけこの間の先週の神戸
はいはいはい
どうでしたか
感動しましたもう一言で
なんか
まあ
武藤義則くんですけどまた
同じタイミングでプロに入って
日本代表になって
ドイツ行ってイングランド行ってスペイン行って
日本帰ってきて
Gリーグでまたこうギア入れ直して
若い選手たちと切磋琢磨して
日本一取るって
やっぱちょっと尋常じゃないなっていう
そのモチベーションとかも含めて
第2回は武藤義則を語る回にしたくらい
エピソードがいろいろありますよ
本当かっこいいですね
かっこいい
ほとんどなんていうんですか
要は見えない部分じゃないですか
でそこをまあ
僕ですら全然知らないですけど
少し知ってるだけでも
こんだけやってんだなっていうのがあるんで
こんだけやっててうまくいかなかったら
何の後悔もないよなっていうぐらいやってるんで
間違いなく
本当に努力の人だなと思います
日本歴代トップのフィジカルを持ってる人のイメージ
ヤバいっすよ
コーナー際でこう手で棒を押さえてるやつとか
あれそれこそ湘南戦じゃないですか
そう
湘南戦か
見てましたよ
目の前で
目の前で
何あれってプレーじゃないですか
かしまってる時のね
そうそう
あんなボールキープあるんだっていう
まあ半端じゃない量の体幹トレーニングと筋トレの結果が
あの何秒じゃないですか
そういう世界なんで感動しましたね
いやーすごいいいもの見てきたね
そうですね苦労もしてますし
海外から帰ってくるとかね
そうですね
近藤貫太さんが登場!
考えてうまくいってないだろうなって
そうですね
いやーいい話ですね
神戸の札幌の人もね
東京札幌はどういう感情か難しいところあると思いますけど
そうですねその話はやめといておきます
神戸の札幌の人も聞いてくれてたら嬉しいけど
はい
という感じでめっちゃ面白いね
いやいやいや
やっぱり
僕もなんか途中から全然ただこのマイク忘れて
雑談みたいな感じでしたけど
またやりましょう
でもやっぱ僕の話はやめましょう
なんかちょっと暗い時間ありましたね
でもこういう風にサッカー選手って
プレーの部分しか僕ら見えないじゃないですか
そうじゃないところでキャリアってこういう風にやってるし
いろんな道もあるし悩んでることもあるし
それがすごい空気でも伝わったし
聞いてた人たちにはぐっとくる
笑ったんじゃないですか
ちょっと長い時間ありがとうございました
いやいやこちらこそありがとうございます
まだ聞きたいこといっぱいあるなー
第2回誘ってくださいよ
やりましょう
現役の選手や引退した選手の悩み
武藤芳典じゃなくてそのセカンドキャリアとはみたいな話でもいいし
結構みんな現役の選手で悩んでる選手もいますし
引退して悩んでる選手もいるし
僕もその一人だったりもするんで
こういうものを通して発信するのは
こういう機会だけ与えてもらえればできるんで
そういう風にちょっとでも現役の人なり
引退した人なりの知恵となり
ちょっとわかんないですけど
お力になれればいいなと思いますね
ありがとうございます
では今週もFM105お聞きいただきありがとうございました
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カンタさんはプレイオフ決勝は行かれるんですか
ちょっと別の予定が
番組的にはね
じゃあまた次回の放送をお楽しみにしててください
今回はありがとうございました
ありがとうございました
51:40

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