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2024-09-13 33:33

結局「埼玉古墳群」って何がすごいの?【サイタマニアクス#29】

埼玉県しりたがりラジオ『サイタマニアクス』

#29「結局『埼玉古墳群』って何がすごいの?」 パーソナリティ:こけ お相手:うおのめ さん 埼玉出身の小中学生には、わけもわからず行田に連れられ、古墳という名の丘を眺めるイベントが待ち受けているんです。 バスに揺られ揺られてやっとこさ辿り着いた行田。眼前の小高い山。That's all。 当時の私にはピンとこなかった「埼玉古墳群の凄さ」を、数十年の時を経て歴史マニアのうおのめさんに語っていただきました。 埼玉古墳群のここがすごい! ▼当時の中央と地方の関係性がわかる! ▼当時の埼玉の重要性がわかる! ▼150年間の東アジア情勢の移り変わりがわかる! #行田市

この番組は「埼玉県」というコンテンツを様々な角度からいじり倒して、おもちゃにして楽しんでみようというコンセプトでお届けするラジオです。

埼玉県に馴染みのある方もそうでない方も、この番組を通して埼玉県だけでなく、身近な場所について考えてもらうきっかけになればいいなと思っています。


■番組についてのご意見・ご感想・コメントなどは是非下記フォームからお寄せください。 https://forms.gle/a6oCJfuuFUQ8vCYy9

音声素材:⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠CoeFont⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

BGM:⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠トーマス大森音楽工房

サマリー

埼玉古墳群は5世紀から6世紀にかけて、埼玉の有力者たちが墓を作り続けた歴史的な場所です。この古墳群は当時の東アジア情勢や大和朝廷の体制を理解する上で重要であり、埼玉県の歴史に対する独自の視点を提供しています。埼玉古墳群は、大和朝廷との関係を示す重要な遺跡であり、出土品には地元のものと朝鮮半島からの品が混在しています。これにより、当時の国際関係や埼玉の独自性が考察されます。また、埼玉古墳群の重要性や特徴について詳しく語られ、地域における親子関係や古代国家とのつながりが探求されます。特に、埼玉の酒文化の歴史にも触れ、その魅力がリスナーに伝わります。

埼玉古墳群の紹介
埼玉県しりたがりラジオ、サイタマニアクスのパーソナリティーのこけです。
早速ですが、今回のお相手をご紹介します。
初登場のうおのめさんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。うおのめです。
よろしくお願いいたします。
初登場ということで、よくもこんなよくわけわからんラジオに来ていただいてありがとうございます。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
めちゃめちゃ緊張してます。
収録なんでNG発言とかいくらしていただいても、私がNGだと思ったらある程度カットするんで、全然大丈夫ですよ。
よろしくお願いします。
どんどん過激な発言いこうと思います。よろしくお願いします。
どんどんお願いします。盛り上げてください。
ということなんですけど、うおのめさんは何者って言ったらいいですかね?何者ですか?
何者?ただ者ですかね。
ただ者ですか?ノーマルピーポー?
その辺にいる一般の人ですね。ちょっと人よりも歴史が好きなぐらいな。
素晴らしいですね。学生の時もずっと文系って感じですよね?
そうですね。文系って言ってもひたすら数学ができないから文系を選んだみたいな。
そのパターンで文系を選んだ人結構多そうですけど、中でも結構歴史よりって感じなんですよね。
そうですね。
いいじゃないですか。ちなみに、埼玉県とうおのめさんはどういった関わりがあるとか、ご関係はどんなご関係なんですか?
もう育ちがずっと埼玉で、高校までずっと埼玉にいたんですけれども、
大学で一回関東の外に出て行って、それから大学を卒業して就職する時に埼玉に戻ってきたというような感じになりますね。
やっぱり埼玉が忘れられなかったって感じですか?
埼玉しか就職先がなかった。
そうなんですか。
就職の時は他のエリアというか地域も考えたというか検討はしたんですか?
そうそう。就職自体は青森から宮崎まで日本全国。
素晴らしい。
ちょっと特殊な職業に就いてますんで、その職業に就きたいっていう一心で青森から宮崎まで各地を受けて回りましたね。
なるほど。それで引っかかったのが地元でもある埼玉県だったと。
結局戻ってくるのかと思いましたね。
じゃあ自分でも結構思いも寄らないというか。
そうですね。
そうなんですね。
なんなら大学を過ごしたところに骨を埋めようかなぐらいなところまで考えてます。
なるほど。
でもなんだかんだ育ちの埼玉に戻ってくるんだなと思って。
なんとも巡り合わせが素晴らしい。
せっかくだから埼玉のことすごく勉強しようと思って。
いいじゃないですか。なのでその勉強した埼玉の知識をちょっとここで存分に発揮していただければなというふうに思うんですけど。
もうそのための場と思っていただければ全然いいんで。
私は逆にずっと理系人間で過ごしてきてるので、歴史の勉強は基本的には中学の日本史ぐらいしかちゃんとは勉強してないんですよね。
なので大人になってからあれこれってどういうことなんだろうみたいな疑問がふつふつと湧いてきて、
ちょっと調べるんだけどちょっと基礎知識がなくてちょっと抜け落ちちゃってるなぁみたいなところもあったりするんで。
ちょっとこのあたりをですね、宇野めさんの力もお借りして保管できたらなというふうに思ってまして。
そんな歴史大好き、歴史マニアの宇野めさんをお呼びしたので、
今回はその埼玉の中でも歴史的に重要なスポットの一つでもあると考えられる、
埼玉古墳群っていうのをテーマにして、ぜひお話をさせていただきたいなというふうに思います。
古墳群の重要性
もうすでに結構濃い目の話になりつつある気がしますけども。
本当ですか?歴史の1ページ目、埼玉の歴史1ページ目にそんな感じのことが載ってそうだなと思って。
はい、まったくその通りですね。
本当ですか。じゃあ、もうその埼玉古墳群とは何ぞやってたところから、
ぜひ深掘りしつつお話できればなというふうに思うんですけど。
正直私の中で埼玉古墳群って、何か知らんけど、社会科見学とかで、
ちょっと行田の方まで運ばれて、古墳があるよっていう、古墳という名の丘みたいなものを見せられて、
ちょっと博物館で県みたいなやつを見せられて、これがすごいやつなんやでっていうふうに言われた。
正直そういうぐらいの場所なんですよね。
まあそうですよね。
これ何がすごいんだっていうのは正直あんまりピンときてないんですけど、何なんですか、埼玉古墳群っていうのは。
埼玉古墳群っていうのは、5世紀とか6世紀、今から1500年ぐらい前から、
だいたい150年間ぐらい、そこに埼玉の一番トップの人たちがお墓を作り続けたっていう。
それだけだったらぶっちゃけどこにでもあるような古墳群っていうやつなんですよ。
まあそうですよね。
ところがこれの一体何がすごいのかっていうと、
納められているものもそうだし、この場所に古墳群があるっていうこともそうだし。
もっと言うと、古墳群があることによって、
その出土品から当時の東アジア情勢みたいなものまで見えてくると。
埼玉から東アジアが見えてしまうと。
そうなんですね。
当時の大和朝廷の体制の在り方っていうのも見えてくるし、
当時の東アジア情勢っていうのも見えてくる。
もちろん日本書紀とか古事記とかあるんだけれども、それはやっぱり中央から見た歴史なんですね。
そうですよね。
ところが古墳の中に入っているものっていうのは、
その当時の埼玉県から見た東アジアとか、埼玉県から見た大和朝廷とか。
そういったものが見えてくる。
その辺のものがもう150年間分一通り揃ってるよっていうのがすごいところなんですね。
なるほど。
あの古墳群っていうのは本当に150年間ちょっとずつちょっとずつ作られてって、
あの規模になってるっていう感じなんですね。
そうそうそう。そうなんです。
当時って言ったら大和朝廷、私の少ない知識だと奈良とかその辺とかが中央だった時代ですよね。
はいはい。
そういうところが中央だった時代に、そこからかなり離れてる埼玉っていう場所がどういう場所だったのか。
そこから見た中央の状況がどういうことだったのかが分かるような出土品もいろいろ出てる。
そうですね。
そうなんだ。
そういう古墳群って逆に言うと、埼玉古墳群以外ってあんまりないもんなんですか?
地域文化とその影響
例えばね、一基だけあるとか、前方高円墳は一基だけドーンってやって、
そのままにちっちゃい円墳とか方墳みたいなのがザラザラザラって並んでるみたいな。
そういう古墳群は結構あるんです。
あーなるほど。
群馬にもあるし、茨城にもあるし、千葉にもあるし。
ところが100メートルとかちょっと180メートルとか、そのクラスの前方高円墳がザラザラザラっと並んでるっていうのは滅多にないですね。
あーそうなんだ。
それはやっぱりあの場所がそれなりに重要な場所だったみたいなことの裏付けだったりするんですか?
とっても重要な場所だと思います。
まじっすか。何が重要なんすか。
関東平野って大和朝廷にとってはどういう場所だったかっていうと、
もし半島とか大陸のほうから北陸に何か上陸されちゃったとかそういうときに、
関東から邸体を出すための軍事的なバックボーンの点とか、人的資源というか、
帝力の供給源なんですね。
あ、あのあたりが?
そうそうそう。ところが関東は関東で、
ちゃんとあの関東に昔から住んでる人たちってのがやっぱりいるわけですよ。
例えばそれは代表格が群馬県の人たちだったりするんだけれども、
でもやっぱりそういう人たちって、東北の方の恵美市とかも付き合いは全然あるから、
大和朝廷からすれば、在来の人々いまいち信用できねえなっていうところもあるわけですね。
あーなるほどね。
当時の大和朝廷の敵対していた恵美市とかと仲いい関係性っていうのもちょっと朝廷が分かれると気に入らないというか。
最前線だから、確かにうちの一家に属してくれてるよって群馬県人は言ってくれてるけど、
でも超昔からある国だし、ちょっといまいち信用しきれねえな。
じゃあそういう人たちを抑えるじゃないけれども、監視するというか、見張るというか。
そのために、埼玉の行田、埼玉の津っていう港があるところに人を送り込んでおこうかっていう。
あそこ港あったんですか?
埼玉の津っていう港が、川の港があったんじゃないかっていう。
あーなるほど。
えーと、古代橋公園ってあるのご存知ですか?
あーはいはい、存在は知ってますよ。
古代橋公園の隣に行田の浄水場があるんですけれども、あそこがいわゆる埼玉の津じゃないかと。
へー。
いうふうに一応推測されてます。
はいはいはい。
でも、あれ、ちょっと当時の川の流れがあんまりわかってないですけど。
あーはいはい。
今でいう東京湾方面に流れる川っていうイメージであってますか?
あのー、利根川ですね。
あーはいはいはい。
利根川が、一番縄文時代とかの古い時代は、今の荒川に流れてるんですよ。
あーなんだっけ、太井川とかそういうやつだっけ。
あーそうそうそうそう。
あーはいはいはい。ありましたね。
そういうのが、利根川がだんだんだんだん東のほうに流路を移していく中で、行田に通る時代があるんですね。
なるほど。
その行田を通ってる時代が古墳時代にちょうどぴったり来て、
その行田の浄水場あたりが結構湖みたいになってる。
そこに川の港があるんだと。
なるほど。
だからそこから人とか物資の移動とかもしやすい、いわゆる拠点的な場所になってるんで、
そのあたりが一帯がちょっと発展していったっていう経緯がある。
そうそう。千葉とか茨城とかの東関東にも通じることができるし。
あるいはもちろん川を下っていって東京の方、足立区の方までずっと繋がることもできるし。
あるいは川尾峰山で北を向けば群馬帝国があるわけですね。
なるほど。そういう意味だと群馬とはちょっと敵対しているというか対抗しているような状態?
対抗とまではいかないけれども、ちょっと抑えをしておくというか、蓋をしておく。
なるほど。だから朝廷の証でもある、前方高円墳みたいなのが結構残ってたり。
あるし、あとは先玉古墳群で有名なのに鉄拳ありますでしょ。
鉄拳ぐらいしか正直先玉古墳群といえばは出てこないですよ。
あの帽子の付いてある鉄拳がさ。
はいはいはい。
あれに何が書いてあるかっていうと、
大明の御美っていう、大明っていう人が、要は大王の審栄隊長みたいな人だったよと。
その審栄隊長みたいな人が稲荷山のここに眠っているんです、みたいなことが書いてあるんですね。
稲荷山古墳寺ってことですね。
そうそうそう。要は大王の側近中の側近なわけですよ。
大王っていうのは大和朝廷の大王。
大和朝廷の大王。
本当に大和朝廷の代理人みたいな勢いで御美に来てるわけですね。
もともとね、埼玉っていうのは、
埼玉地域っていうのは群馬色が結構強い地域なんですよ。
もともとは。
もともとは群馬文化が結構強くあるような地域。
ただ、完全に群馬ではないのね。
使っているものの種類とか、あるいは家の建て方とか見ても、
基本群馬っぽい文化なんだけれども、ちょっと違うよぐらいの感じ。
そういうところに、いきなり群馬の中心に大和朝廷の超偉い人ですみたいな人が来ても、
並風立つだけだから。
群馬との関係と戦略
群馬の影響強いけど群馬じゃないなっていうところに人を送り込んで、
そこに埼玉の中心みたいなのを作ってもらうという戦略があったわけですね。
なるほどね。
それも群馬とは当時は、
あれ?その当時も鳥川を挟んで群馬と埼玉みたいな感じですかね。
そうそうそう。
なるほどなるほど。
そういうことなのか。
ちなみに今、大王の側近みたいな話があったと思うんですけど、
鉄拳に刻まれているワードとして、若竹の大君でしたっけ。
そうですね。
それが言ってた当時の大君っていうことなんですよね。
大和朝廷側の大君だそう。
なるほど。
正直そのワードが有名っていうことぐらいしか、重要っていうことぐらいしかあんまりピンときてなかったんですけど。
なるほど。側近が眠ってるんだ。
大和朝廷から派遣されてきたような側近の人ですね。
しかも審栄隊長だから、結構軍事寄りの人なんだね。
あーなるほど。
政治家とかではなくて、どっちかって言っても本当に軍人みたいな人がこっちに来てるんだと。
なるほど。
確かに江西とか北の方に攻めるには、埼玉その辺りって一つの拠点として良さそうですけど、
北陸の方って山越えたりしてちょっと大変そうだなとか、そこから軍事派遣しても結構大変なんじゃないかとか、ちょっと思ったりとかはするんですけど。
大変なんだけど、やっぱり抜けるルートがあるわけですね。
長野に行くにしても、新潟に行くにしても、山形とかの方に行くにしてもルートがある。
そのルートをがっちり抑えて管理してるのが群馬なわけですよ。
あ、そういうこと。
そうそうそう。群馬だったり栃木だったり。
なるほど。今で言う中専道的なルートだったり。
そうそうそうそう。
埼玉古墳群の重要性
そういうことですよね。確かに東山道とかちょっと残ってたりするんですもんね。
そうそうそうそう。
なるほど。そういうルートは確かに群馬に集中してるイメージはありますね。
そうだからその街道でないけど、そういうルートをがっちり抑えちゃえば、もう内陸貿易でウフハウハなわけですよね、群馬としては。
うーん、なるほどね。
そっか。いやでもまあ確かにそういうところのちょっと手前のところで、
まあその頂点と親しくしてる人たちをそういったところに置いておくっていうのはまあ確かに戦略としてもありな気はしますよね。
なるほどね。
まあとはいえ、とはいえですけど、
先玉古墳群が特別史跡みたいになってるじゃないですか、国の。
そこまで重要なのっていうところはどこにかかってくるのかなっていうのはちょっと思ったりするんですけど。
それがね、先玉古墳群っていうのが、石室の中までも見れてりして、出土遺物がいっぱいあるわけですね。
あーなるほど。結構いろいろ出てきてるんだ。
そうそう、王様と一緒に治められていたものっていうのがもうわかってるんだけれども。
はいはいはい。
で、その王様と一緒に治められていたものの構成を見てみると、地元っぽいものも入ってるし、
大和朝廷から多分これもらったんだろうなーっていうものも入ってるし。
はいはいはい。
あと面白いのは朝鮮半島のものが入ってるのね。
ほうほうほう。
朝鮮半島の、しかも南の方の、今で言うと金平とか三重とか千住とか長門とかその辺ですかね。
一番南の端っこのところ。
あー今韓国の地名の話ですか。
そうそうそうそう。
全然ピンとこない。あーそうなんだ。
日本史で、美馬那とか茅野ってならないませんでした?
あーのー、はいはいはい。美馬那、茅野ってなんかちょっとちっちゃい国があったみたいなのありますよね。
そうそうそうそう。
はいはいはい。
甲区里と白城と九太郎があって、その間に茅野っていうちっちゃいのがあったんだよっていう。
あります。茅野諸国みたいな。
そうそうそうそう。
茅野諸国でしたっけ。
そうですそうです。
はいはいはい。ありましたね。
で、そのちっちゃい茅野諸国のものに非常によく似ているものが出てくるんですね。
ほーなるほど。
はい。
ってことは、朝鮮半島ともやりとりがあったんだろうと。
うーん。
で、ここからが面白いんですけど、
茅野と取引があったっていうのは、稲城山古墳。
先玉古墳郡の中でも一番古い古墳では、三間田と取引があるんですよ。
あーそっから出土したものでわかるってことですね。
そうそうそうそう。
ところが、ちょっと時代が後になって、将軍山古墳っていうのがあるのね。
ほうほうほう。
将軍山古墳ってところから出てきたものを見てみると、
茅野っぽいものもちょっとあるんだけれども、
それ以上に白城のものが入ってくるようになる。
ほーなるほど。
白城っぽいものがどんどん出てくるんですね。
はいはいはいはい。
で、それはどういうことかなって考えると、
ちょうどその時期に白城は茅野を攻めるんです。
はいはいはい、なるほど。
白城は茅野を攻めて、茅野もう本当に滅亡寸前ぐらいみたいになっちゃう時代が将軍山古墳の時代で。
ってことは、先玉を治めてる人たちも、もう軍事系の人たちだから、
あ、こりゃ、茅野に今まで肩入れしてたけど、仲良くやってたけど、
茅野どうもダメっぽいなと。
あーなるほど。
これからは白城と仲良くした方が良さそうだぞ。
って言って白城と仲良くし始めるっていう。
あーちょうどその過渡期だったんだ。
そうそうそうそう。その変化が見える。
なるほどね。
それはつまりもう東アジア情勢、国際的な変化が見越して、
それをその大和朝廷主導じゃなくて、
埼玉の人たちが独自にやってるっぽいぞっていう。
あ、そういうことなの?
そうそうそうそう。
てっきりそこは、でもその辺って大和朝廷としても、
大和朝廷としても、茅野ダメそうだから白城と仲良くしようねって方針とか、
きっとあったと思うんですけど。
そうそう、そらくね。
それをその埼玉の、あそこの人たちが独断でやったっていうような方向性に。
完全に独断ではないかもしれないけれども。
その可能性もあるんだ。
そうそうそうそう。
それはなんか、じゃあ逆に言うと、当時そこの軍事的な意味では、
だいぶその一帯にいる人たちが力を持ってたっていうことになります。
力を持ってたし、大和朝廷っていうのがそんなに拘束力強くなかったんじゃない?
あー、なるほどね。はいはいはいはい。
当時の大和朝廷ってもうVV機じゃなく、VV機って言っていいのかわからないですけど、
なんかもう、どんどんエリア拡大していこうぜキャンペーンみたいなの、
多分最初やってたと思うんですよ。
前方後衛分離とか。
とりあえず、大和朝廷一家って名乗ってくれよっていうふうにみんな言ってるわけですね。
うーん、そうですよね。
で、それが終わったら、
お前たちにこう、名字を与えてあげるからこれを名乗るように。
はいはいはいはい。
拡大集会を整えていこうかなーって思ってる状態くらいの感じですね。
あーなるほどね。そっかそっか。
じゃあ一旦拡大キャンペーン終わって、ちょっと次のフェーズへーって言ったところのタイミングで、
まあそんなこと言ったってみたいな。
そうそうそう。朝鮮半島ちょっと気なくせえなどうしようっていう。
はいはいはい。
あーなるほど。
逆にその埼玉くんだりの人、埼玉の人たちは、
ちょっと難しい質問かもしれないけど、
どうやってそんな朝鮮の情報みたいに仕入れていくんですか?
どうなんだろうね。
やっぱり日本海側って半島とかめちゃくちゃ取引があるんですよ。
まあそれはありそうですよね。
半島だけじゃなくて大陸の方ともいくらか取引があるし、
はいはいはい。
そういうところ自体に情報が入ってくるんじゃないかなと。
あーまあそういうことか。
あとはやっぱり朝廷からの情報とか。
あーまあそれも一定ありますよね。
そうそうそう。
まあなんていうかさ、ちょっと危ない話をすると、
その当時の組織って、今でいうヤクザみたいなものを思うといいと思うんですよね。
なんとか一家みたいな。
はいはいはい。
親分がいて、子分がいて、
親子関係って名乗ってるけど血縁関係はなくってみたいな。
で、大和組の参加の埼玉組があるけど、
で群馬組と一応兄弟杯を交わしているっていうことにはなってるけど、
だんだんあいつなんだこの野郎って思ってたりとか。
なるほど。
あるいは埼玉組の親分死んじゃったけど、
まとめ争いどうするんだとか。
あーはいはい。
そういう世界なんですね。
割と人気無き世界。
うーん。
だからその内側でのなんだろう、
構想みたいなのもそれなりにまだ残ってるんでしたっけ。
そうそう。
少しの国、岩井の乱とか。
はいはいはい。岩井の乱ね。
そうそう。武蔵国蔵の乱とか。
武蔵国の宮津湖でもいいんだけども。
そういう反乱があったりとかして。
確かにあったな。あったかもな。はいはい。
武蔵国蔵の乱なんてまさにあの、あとめ争いなんですよね。
あーそうなんだ。
そうそうそう。
あとめを争って、笠原の尾見っていう人と、
はいはいはい。
小銀ねっていう人が、あとめを埼玉の、
埼玉組の組長の座を争うわけですよ。
うーん。
片っぽは、俺には群馬のおじきがついているんだって言って。
はいはいはい。
そういうことするんだったらって言って、
本家の方に頼ろうとしたりとか。
本家の方。
そこは、本家の大和組の力を借りる。
あーなるほど。
言ったりとかして。
そういうか、まあ確かにそういう時代だと、
ちゃんと自分たちの身の回りのことは、
ちょっと自分たちでちゃんと判断してやろうね、
みたいな意識確かに強そうなんで。
そうそうそうそう。
一応上下関係ではあるんだけれども、
一次団体二次団体みたいな。
上下関係ではあるんだけど、
それぞれの組は独立してますよっていう。
なるほどね。
ぐらいの感じですね。
はい。
だからそういう海外との付き合いみたいなものも、
出土品から見えるって言ったところが、
そうそうそうそう。
やっぱり重要視されてると。
そうですね。
一つの古墳群だけじゃなくって、
古墳から見える国際状況
150年間の出土品をちょっと見ていくことで、
日本国内の情勢とか、
見ては東アジア情勢も見ることができるっていうのは、
すごいところですと。
なるほど。
稲荷山の鉄拳にさ、
うん。
私の名前はオワケで、
はい。
一番先祖は誰々、その子は誰々、その子は誰々、その子は誰々っていう文が
ずーっと続いてるんだけど、
ほうほうほうはい。
あれ実は全然血縁の親子関係とか、
実際の親子関係じゃないっぽいっていう。
ほう。あ、そうなった。
のがある。
要するに、
そのファミリー内の上下関係とか、
埼玉古墳群の重要性
そういうことを表してる。
例えばなんか先代の誰々みたいな。
はいはいはい。
今でも、それこそいつもヤクザの話すると思うんですけど、
組長のことを親分って言うじゃない?
はいはい。
親なんだよね。
うーん、はいはいはい。
それが続くんじゃないかっていうのは、
例えば、
その鉄拳にある一番最初の神父親の名は
大彦であるっていう風に書いてあるんだけど、
はいはい。
日本書紀なんか見てみると、
大彦っていうのの子孫は誰々って書いてあるんだけど、
大彦の見事の中にこの武蔵国蔵、
武蔵の国のトップの人の名前ってのはないのよ。
あーはい。
別の人の子孫の中に
武蔵の国の。
あーそうなんだ。
そうそうそう。
だから多分実際の親子関係とは別に、
政治的な意味で、
うちの一文の言及をたどっていけばこの人だよっていう。
はいはいはい。
のをアピールしたいからそういう風に書くっていう。
あーなるほどねー。
っていうのがあるんじゃねーなーっていうのは
最近は言われるようになって迷いましたね。
じゃあやっぱりその地域の中では、
いわゆるファミリーの中での親子関係、
親分子分の関係のほうが重要視されていたりとか。
そうそうそうそう。
そういうことになってた。
うーん、なるほどねー。
多分それは全国的なもんで、
ほいほい。
これはちょっと後の時代だけれども、
形態天皇っているじゃない。
いますね、はい。
形態天皇って、
北陸方面からやってきて天皇になったって言うんだけれども、
そこに元からいた大王の系譜とは全然関係ない人だね。
あーはい。
5代とか6代とか前に分かれた文家の子孫だと。
あーそういうことか。
だから親の親の親のって辿っていけば元は同じだけれども、
元は同じだよっていうふうなアピールをしているわけだよ。
直接的な親子関係っていうよりは、
俺たちは先祖を共有しているんだよっていうアピールのほうが、
割と大事だったんじゃないかなっていう。
あーなるほど。
今直近の、直属の親というよりは、
先祖として繋がっているっていうのが大事だ。
そうですね。一問の親分親分を辿っていくと、
繋がっているんだよっていう。
なるほど。
お聞き逃しなくなると思いますので、よろしくお願いいたします。
ということで、今回は初登場のうおのめさんに登場いただきまして、
埼玉の酒文化
先様古墳群についていろいろとご説明いただきました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ちなみに、全然台本とか作ってないですか?
作ってないですね。ほぼ3倍ぐらい作りましたよ。
マジやばいっすな。
さすがですね。
実験に書いてあるワードとかも空で言ってるってこと?
割と…
すごいっすね。
ありがとうございます。マニアです。
いや、すごいな。これもうなんでも喋れちゃうってことですよね。
いろいろネタは持ってますんで、これからも読んでいただければと思います。
ちなみに、よりこの辺りのジャンルだったら、
いっぱい喋れるんだけどみたいな、得意ジャンルみたいなのあるんですか?
埼玉の酒屋さん。
おー。
江戸と明治の酒屋さん事情とか。
はいはいはいはいはい。
いや、めっちゃ気になりますね。
だって埼玉って今、全然酒どころじゃないじゃないですか。
いやいやいやいやいや、とんでもない。
確かにそう言っちゃうのはあんまり良くないかもしれないですけど。
結構ね、飲み屋さん向けに出してる酒屋さんが結構あって、
今でも埼玉って結構な酒どころなんですよ。
おー、なるほど。
なんかこう、一般的なこう、なんかダッサイとか。
まあね。
なんか謹慎みたいなそういうかっこいい日本酒ではない、
飲み屋とかに行くと日本酒ってだけ書いて出てくるような。
あーなるほど。
ああいうのを結構作ってるんですね。
あー、あのノーネームな日本酒は実は埼玉産だったりするんだ。
だったりするんですよ。
あーなるほどね。
この言流が江戸とか明治にはあるよーっていう話がしたりとか。
あーめっちゃ気になるから、ちょっとそれは今度ぜひまとめてお話を聞きたいなと思う。
はい、また次の機会に。
あーもうそういう小話をずっと聞いていきたいんですけど。
はい。
ちょっと時間もあれなので、
じゃあ、はい。
次のタイミングとかでぜひまたお話聞ければなと思います。
引き続きよろしくお願いいたします。
またよろしくお願いします、呼んでください。
はい。
はい、ということで宇野めさんでした。ありがとうございました。
ありがとうございました。
バイバーイ。
バイバーイ。
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