埼玉発祥の伝説
埼玉県しりたがりラジオ、サイタマニアクス、パーソナリティーのこけと申します。
この番組は、埼玉県というコンテンツを様々な角度からいじり倒して、おもちゃにして楽しんでみようというコンセプトをお届けするラジオです。
埼玉県に馴染みのある方も、そうでない方も、この番組を通して、埼玉県だけでなく、身近な場所について考えてもらうきっかけになればいいなと思っています。
さて、今回も早速お話ししていこうと思うのですが、今回も再び、この方をお招きいたしました。
黒森さんお願いします。
黒森です。こんにちは。よろしくお願いします。
はい、お願いします。
お久しぶりというか、ごぶさた。1ヶ月、2ヶ月ぐらい空いてますかね。
そうですね。
そうですね、前回の解説、非常に良くてですね、今まで知らなかった場所のことを一気に知るっていうことができたので、すごく有用でした。本当にためになりました。
そう言ってもらえると嬉しいです。
ありがとうございます。で、ちょっと今回はですね、そんな黒森さん、本当に埼玉県の隅々まで行き尽くしてるっていうことで。
そんなことはないですけど。
埼玉県に関する知識っていうところも、もう完璧というかもう網羅しているということで。
はい。
ちょっと今回はですね、お互いにちょっと埼玉県のことを紹介していく、なんかそんな回にしたら、できたらなというふうに思ってるんですけど。
はいはい。
はい。で、今回やりたいのはですね、埼玉県発祥のものっていうのが、もちろんいろいろ埼玉県にもあるわけなんですけど。
そうですね。
はい。それをですね、ちょっとお互いがこんなもの実は発祥なんだよって言ったところを紹介する形でちょっと発表しながら、ちょっとお互いでそれについてコメントとかできたらいいなーなんて思っています。
はい。
はい。でですね、今お互い手元に3つずつ発祥カードがある状態だなと。
はいはい。
ちょっとそれをですね、まずはですね、誰でも知っていそうな、こんな発祥があるよっていうものをちょっとお互いに紹介できたらなというふうに思います。
はい。分かりました。
はい。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい。ではですね、まず、私の方からですね、ちょっとこれを紹介しようと思います。
おっ。
今回私が紹介するのは、東梁瀬です。
へー。
あ、知らないですか?
わらべ歌のやつ。
あ、そうですそうです。東梁瀬、東梁瀬ってやつですね。
はいはいはい。
はい。実はですね、この東梁瀬っていう曲が生まれた場所っていうのが、川越の、川越城の本丸の隣にある三好の神社なんじゃないかっていう説があるんですね。
へー。それは知らなかったかも。
ほんとですか。歌詞の中にですね、そんな場所を特定するような言葉っていうのがそんなに出てこないんですけど。
そうですね。
はい。ここはどこの細道じゃと、天神様の細道じゃっていうワードがあるかなと思います。
ありますね。
天神様の細道っていうのが、実はこの川越城の横にですね、川越城自体にですね、天神車っていう車があったんです。車っていうのはまあ城郭の一つのエリアみたいなもんだと思っていただければと思うんですけど。
はいはい。
その天神車って言ったところに三好の神社っていうのが位置してまして、そのことからお城の天神様っていう風に三好の神社呼ばれてたことがあるんですよ。
へー。
はい。で、まあそれだけだったら特に他のところもあるんですけど、歌詞の最後にですね、行きは良い良い帰りは怖いっていうフレーズが出てくるんですよね。
気になるフレーズ。
あーそうですよね。結構まあそれが何を表してるのかみたいなのは諸説あったりとかするところなんですけど。
はい。
このですね、川越城の三好の神社っていうのはですね、ちょっと特殊な神社でして、っていうのもお城の中にあった神社なんですよ。
はいはい。
なので、お城ってなかなか一般の人って立ち入りが難しいということがあって。
そうですね。
基本的には一般の人の参拝っていうのができなかったんですね。
はい。
ただまあそれなりに人気のあった神社だったということもあって。
はい。
ある特定の時間とか、そういう特別なタイミングだけ参拝できるっていうような仕組みを取ってたんですよ。
あーなるほど。
はい。で、そのお参りの方法がですね、普通に山道から入っていくっていう風なやり方はNGで、
ちょっと遠回りをして川越城の南側の大手門から入って、いろんな門とか矢倉とかを通過して、最後にちょっと細い道みたいなのを通って、
っていうまあ要するに結構回り道をしないといけないんですよね。
へーなるほど。
はい。そう。で、まあちょっと面倒くさかったと。
まあ要するに隠れて参拝するっていう体裁を取ってたんですよ。
はいはいはい。
はい。で、まあその一般のその参拝客に紛れて、スパイとかがもしかしたらその城の中に入っちゃうと。
あー。
そういう可能性もあるんで。
はいはいはいはい。
参拝した後にですね、結構敬語の人に厳しく取りしぶらべを受けるっていうことをされたんですよね。
なるほどねー。
はい。なのでまあ行きは良い良い、帰りは怖いっていうような言葉になって、まあそれが全国に広まっていったんじゃないかという、まあそんな説がございます。
なるほどねー。
はい。
生きては返さんぞと。
まあそういうことなんですよね。ただまあこれも実はその諸説あって、実は川越、この川越だけじゃなくて、小田原だったり、神奈川のそれこそ高津とかにも実はここが通り安生の発祥の地だよみたいなことを言ってる場所があるんですよね。
ほう。
だからまあ本当にあの一つの説だっていうことで、あのご承知いただければなっていうふうに思います。
なるほど。
ファミリーマートの起源
はい。といったところが通り安生の紹介でした。
いやー、それは知らないネタでした。ありがとうございます。
そうですね。はい。では黒麦さん、誰でも知ってそうなものを一つご紹介いただけますか。
はい。じゃあ私がご紹介する誰でも知っている埼玉発祥はファミリーマートです。
おおー。
まあ日本全国どこにでもある有名なコンビニチェーンですよね。
そうですね。はい。
これが実は埼玉発祥だというネタを。
結構しかもなんか大きな都市じゃないんですよね確か。
そうなんですよ。大宮とか浦和とかそういう名前の通った、って言うと怒られるかもしれないんですけど、そういう場所ではないところが実は1号店というお話をさせてもらえればと思います。
はい。お願いします。
ファミリーマート全国に1万6000を超える店舗を構えていて、誰でも知っている超大手なんですけれども、
これ実は1973年に遡って、今でもありますがセゾングループの中の声優ストアが埼玉県の鞘山市というところにコンビニエンスストアの実験店舗として出店したのが最初の店舗という風に言われています。
公式ホームページにも載っていることなんですけれども、そういう歴史が実はあるというお話ですね。
埼玉市というと、人口とか規模的には浦和とか大宮ほどではないんですけれども、埼玉市そのものはお茶で有名な町ですね。
そこが実は第1号店の場所ということでファミリーマート発祥の地ということになっています。
やっぱり埼玉茶の緑のイメージとファミリーマートの緑のイメージが合致したんですかね。
そう思うじゃないですか。
違うんですか。
違うんですよ。
その第1号店の開店当時の写真が公式ホームページにも載っていたんですけれども、ファミリーマートというとさっきも小池さんおっしゃってましたが、ロゴは緑と青のイメージじゃないですか。
実は真っ赤だったんですよ。
赤なんですね。
赤というかオレンジかちょっと赤系の一色でカタカナでファミリーマートって書いてあって、という看板でちょっとびっくりなところですね。
すごいですね。
そのままオレンジの店舗デザインというか、今の緑のところがオレンジに変わったような店のデザインでしばらく行っていたみたいなんですけど。
1992年だったかに現在のイメージに近いブルー基調のロゴになったということで、意外と最近青くなったっていうのが。
そうなんですね。
らしいですね。
そうなんだ。最初から緑というか、そんなイメージですけど。
そうなんですよ。どっちかっていうとファミマに吸収されたサークル系サンクスとかあっちのあたりの方が色のイメージは近いかもしれないっていう。
なるほどなるほど。
そこはあまり関係はないと思うんですけど、実は青じゃなかったっていうところも意外なポイントですね。
そうですね。
なぜ鞘山をチョイスしたのか問題もありますね。
そうですね。ちょっとそこまではごめんなさい、詳しくは知らないんですけど、西武線とかあっちの方の関係なんですかね。
確かに声優系列だからそうなのかもしれないですね。
かなっていう、これはちょっと根拠のない想像なんですけど。
ありがとうございます。やっぱりなかなか今ではコンビニの最大手っていうか、大手三社には絶対数えられるところがまさか埼玉からスタートしてるっていうのは、なかなか知らない人も多いですよね。
そう、あんまりどこ発祥って気にする人も多くないんでしょうけど、意外と言えば意外ですよね。
そうですね。
ちなみになんですけれども、ファミマはじゃあ埼玉が発祥だと。じゃあファミマ以外の大手三社のうち他2つはどこなんだっていう話がちょっと余談なんですけれども。
ちなみにセブンイレブンの1号店は豊洲だそうです。
なんか聞いてございますね。
大手っぽいとこに出してるなっていう話で。
もう1つのローソンなんですが、こちらはアメリカ出身のコンビニエンスストアらしくてですね。
日本1号店としては大阪府の豊中市だそうです。
大阪なんだ。
大阪、関西圏で最初に広まったコンビニらしいですね。
ちなみにもう1つ、このローソンが関東で最初に出店した場所が、これも実は埼玉県の川口市にある上屋置という場所に。
上屋置。
西川口駅からちょっと東に30分くらい歩く辺りのエリアなんですけど。
あの辺がローソンの関東1号店ということで。
こちらも地味に埼玉にゆかりがあるコンビニだったというオチでした。
せんびき屋の意外な歴史
そうなんです。それ知らなかった。
素晴らしい。ありがとうございます。
ありがとうございます。
いいですね。
そしたらその繋がりで、こんな意外なものもあるんだよっていうのをお互いに一つずつ出していけたらなと思うんですけど。
じゃあ今度はくのみじさんから何か答えますか。
わかりました。意外なものというところで企業繋がりになっていくんですが、次に私が紹介するのは、高級フルーツで有名なせんびき屋になります。
せんびき屋さんですね。
せんびき屋さん。メロンとか超高くて超おいしいっていうので有名なところですよね。
イメージとしてはやっぱり日本橋とか銀座とかその辺なのかなというイメージがあります。
そうですね。まさにせんびき屋というと日本橋総本店と京橋銀座あたりが有名なお店、店舗になってくるのかなと思うんですけれども。
日本橋がせんびき屋総本店となっている中で、当然東京というか江戸が発祥のお店なんだろうなって思う人が多いと思うんですけれども。
実はこのせんびき屋の発祥っていうのが埼玉県、当時武蔵の国ですね。1834年の武蔵の国、埼玉郡かな、埼玉郡かなのせんびきの郷っていう地名がありまして。
これが現在の越谷やレイクタウンの周辺らしいんですけれども。
ここにですね、創術、槍ですね。槍の至難の先生がいまして、この先生が大島弁蔵っていうらしいんですけれども。
その大島弁蔵という侍がですね、現在の日本橋人形町のあたりに水菓子、果物のお店を開いたのが始まりだと言われているそうです。
じゃあ人形町なんですね。
そうですね。最初の店舗が日本橋なので、東京発祥といえば東京発祥なんですけど。創業者が埼玉人だったっていうところが始まりで。
で、槍の先生がなんで果物売ってるんだっていう話になるんですけれども。
これ由来というか、元を調べたところ、どうも貧乏だったらしくって。
生活に困って地域というか地元で取れる果物を安く売って生活費を稼いでいたみたいな、そういうところから果物屋を始めて。
多分そっちの方が売れると思ったんでしょうね。
江戸に出てきて、果物屋を始めてっていうところで、それが発祥になったようですね。
確かに江戸の末期頃、末期でもないのか。
そうですね。1834年だから江戸の後期ぐらいですかね。
そうするとやっぱり剣術とかそういう武術だと、もう食っていけない人もちらほらと出てきたりするところなんですね。
やっぱり商売っていう方に目を向けないとっていう感じなんですかね。
そうですね。
意外に千引き屋って、千引きって千引きじゃないですか。
はいはい。
埼玉の果物屋の進化
動物が千引きとかの千引きなんで、そういうのと何か動物とか生き物とかと掛かってるのかなと思いきや地名なんですよね。
そう、元々当時は越谷の辺りが千引きの郷っていう集落というか地名があったらしくて、今でも確か草加高の方に千引きっていう地名がちょっと残っているらしいですね。
へー、なるほど。じゃあ今でもちょっと残っているような地名で。
そうですね。ちなみに貧乏で始めた果物屋がなんでこんな高級店になったかっていうと、江戸で果物屋を始めた大島さんが2代目になった時に、頑張って茶の湯の先生と仲良くなってそこで道が開けたみたいな。
へー。
結果的にあそこの店いいぞっていう評判が高くなって幕府御用達の果物屋になってっていう辺りでその高級化が進んだらしいですね。
はー、なんかわからないものですね。
そう、まあなんか頑張ればなんとかなるみたいな修正の話ですよね。
そうですね。江戸時代だとフルーツって言ってもその時代って何が主流だったんですかね。
あー、なんでしょうね。ちょっとごめんなさい、そこまではわからないんですけど。
やっぱり千引き屋って言うとどうしてもメロンとかのイメージがあるんで。
そうですね。
さすがにそこに手を出したのはだいぶ最近の話なんだろうなって思うんですけど。
でしょうね。江戸時代って言うと何でしょうね。柿とかかな。
あー、柿とかありますね。そういうやつは何かな。桃とか。桃でもあんまりかな。
あ、栗とか?
うーん。
なんかその辺に生えてそうなのでそんな感じで。
そうですね。でもそういう系なのかな。
へー、でも面白いですね。そういうところからやっぱり品を変えていきながら高級路線に走っていったっていう。
そう、結果的に現代では大体誰もが知ってる有名店になりましたからね。
しかもそれがなかなか埼玉出身だなんて誰も思わないですもんね。
そうそうそう。というお話でした。
Wacomとペンタブレット
はい、いやーめちゃくちゃ意外でした。ありがとうございます。
ありがとうございます。
そしたら私、なんかそんなに長くないんですけどショートで。
はい。
意外なものというか、知ってるか知ってないかもしかしたらそれ自体微妙なところなんですけど。
ほう。
ちょっと埼玉発祥の企業を一つ紹介しようかなと思うんですけど。
はい。
えーと、黒麦さんはWacomっていう会社をご存知ですか?
あ、名前は聞いたことあるかな。
何の会社だっけ?
なんかコンピューター製品とかだっけ?
はいはいはい、そうですそうです。
Wacomはですね、何で有名かって言われたらペンタブレットで有名なんですよ。
あー、はいはい。
いわゆる俗に言うペンタブっていうやつですね。
えー。
で、まあこれのシェア、国内のシェアは今94%とかの会社。
そんなに?
そんなになんですよ。
へー。
で、このWacomっていう会社がですね、実は埼玉県の阿部雄市で創業しているんですね。
へー。
で、創業したのが昭和58年、1983年ですね。
おー。
に創業してまして。
で、世界で初めてコードレスのペンタブレットを開発したって言ったところで特徴的な会社なんですよ。
へー。
はい。
で、ペンタブレットってそもそもなんですけど。
はい。
知らない人ももしかしたらいるかもしれないですけど、タブレットみたいなiPadみたいなものがあって、
簡単に言うとその上で絵を描いたりとか、デザインができたりとか、線の入力ができるっていうものなんですけど。
はい。
その1983年、昭和58年当時っていうのは、工業のデザインとか、いわゆるCADって呼ばれている本当に製品、機械製品のデザインですね。
はいはい。
そういうのでこのペンのタブレットっていうのがよく使われていたんですね。
へー。
はい。なので機械としても結構ごっつい機械っていうんですかね。
はいはい。
なんか本当に機械製品だよみたいなやつだったんですけど。
はい。
まず当時はペンがその機械につながっている形だったので、コードレスではなかったので、非常に使いにくいと。
そうでしょうね。
はい。で、なんでこれコードレスにならんのやっていうことで、創業者の方がこれコードレスにしたらいいじゃんということで踏み切ったら、
それが世界初のコードレスペンタブレットになったということなんですよ。
はぁはぁはぁ、なるほど。
で、コードレスになったことで機械があんまり大きくなる必要がなくて、だんだんコンパクトにできるようになったっていうこともあって、
徐々にイラストの分野とかですね、そういうところに参入できるようになってきました。
ほう。
はい。でですね、なので身近なところというか、実はって言ったところで言うと、プリクラのタッチペンの部分。
はいはい。
プリントクラブあるじゃないですか。
はいはい。
あれのタッチペンの部分が実はWacom製のコードレスペンタブレットの仕組みを使っていたりだとか。
ほう。
はい。あとはディズニーの映画で、美女と野獣っていう映画が、最近の?最近のっていうか、まあ昔か。
はいはい。
古いですよね。結構前の作品だったかなと思うんですけど。
実はあそこでそのディズニー側、ディズニーがその製作をするのに、Wacomさんのコードレスペンタブレットを使わせてくださいっていうことで、
製作ツールとして採用されたりして。
へー。
もうそこで結構その大口を獲得できたっていうことで、徐々にシェアを増やしていったりとか、
そのイラスト分野でもそういうのが活用できるんだよっていうのが広まっていって。
ほう。
先ほどのあの国内シェア94%に繋がっているというところなんですね。
なるほど。
はい。なかなか、今普通にペンタブ欲しいっていうと、ほぼほぼイラスト業界の人はWacom製しか選択肢がないと言ってもいいぐらい。
そんななんだ。
はい。もうそれぐらいもうWacomと言えばペンタブ、ペンタブと言えばWacomというような今状況になっているので。
へー。
イラストをやっている方にとってはすごく身近な会社だということで、意外にこれが埼玉スタートだったということで紹介させていただきました。
埼玉初の保健所
なるほど。普段絵を描く人なんかはこれが埼玉初だって多分考えたことないでしょうね。
まあ考えない。なんかWacomっていう名前もワールドコンピューターとかの略だったと思うんですけど。
あー。
だからあんまり何でしょうね、海外の会社かなって一見すると思うような社名だったりするので。
そうですね。
はい。私も知るまでは海外の会社だと普通に思ってました。
おお。そうですよね。
はい。なのでだいぶ意外だなって言ったところで今回ご紹介させていただきました。
いやー確かに意外でした。
うん。ありがとうございます。
そしたらですね、3つ目のカードとして今注目の埼玉発祥のものっていうのをお互い紹介できたらなと思います。
わかりました。
はい。じゃあまずは私から紹介しようと思うんですけど。
はい。
ちょっとこれずるいやつを紹介しようかなというふうに思ってまして。
お、ずるいとは?
というのが私が紹介するのは福原遥さんです。
ほう。
福原遥さん。
人間ありですか?
人間をちょっと出してみちゃったんですけど。
なるほど。
はい。ご存知ですか?ちなみに。
あんまり芸能人詳しくないですけど、名前と顔ぐらいは知ってますよ。
はいはいはいはい。
98年生まれってことなので、今24歳ぐらいですかね。
おー。
女優さんと声優もやってらっしゃる方ですね。
あ、声優やってるんだ。はいはい。
そうですね。プリキュアの。
あ、そうなんだ。
どっかの台の主要メンバーに実は肩を並べてます。
へー。
はい。で、この方がですね、ちょっと具体的な埼玉県のどこかっていうのはなんか諸説あるというか、公表はちゃんとしてないんですけど、
はい。
えっと、川越とか久喜とか、なんかその辺の出身だというふうに言われてまして、
ほう。
小学校、中学校も世野とか大宮の小学校にいたと。
へー。
小中科にいたっていうような話が実はあります。
へー。
で、彼女が一番最初に有名になったのが10歳の時、子役だった時なんですけど、
はい。
NHKの料理アニメ、料理番組ですね。
クッキンアイドルアイマイマインのマインちゃん役と。
はいはいはい。
それで一役有名になったんですよね。
はいはい。
で、子役を辞めたというか大人になってからは、高校は東京のいわゆる芸能コースとかがある高校に通ってたみたいなんですけど、
はい。
で、その後に先ほどあったプリキュアの主役メンバーの一人に選ばれたりとか、声優業界でも活躍するようになっていったと。
ほう。
はい。で、声優と女優という2足のわらじで活躍していて、今が旬という話で言うと、今年度下期のNHKの連続テレビ小説舞い上がれの主役を今やっているというところなんですよね。
なるほど。
はい。またNHKに戻ってきましたと。
なるほど。
はい、いうような形です。
で、しかもですね、この作品ってちなみに何か見てたりしますか?
テレビはちょっとあんまり意味ないものですね。
はいはいはい。これですね、ストーリーの大枠としては、女性でパイロットを目指すというようなストーリーになっているんですね。
はい。
で、ちょうど今はですね、学生時代に鳥人間コンテストに出場し終わって、それきっかけでちょっとパイロットを目指したいという気持ちが芽生えて、航空学校に通っていると。
ほうほうほう。
で、今は仲間たちと切磋琢磨していると。まあそういった今状態で、ここからどうなるのかなーっていったところなんですけど。
はいはい。
埼玉でやっぱりパイロットといったら、やっぱりもう一個発祥があるじゃないですか。
ありますね。
そうなんですよね。日本初の飛行場ということで、所沢陸軍飛行場、今の所沢航空記念公園ですね。
そうですね。
まあそういったものがあるなと。
徳川大尉。
ごめんなさい。
どうぞどうぞ。
それだけです。はい。
徳川ですか?
徳川。最初に飛行機に乗った人が徳川大尉っていう軍人らしいですね。
ご存知ですね。はいはいはい。そうですね。徳川大尉さん。
そうですね。初めて飛行機で飛んだのは所沢なんですけど、あれなんですよね。
その前にテスト飛行で代々木で一回飛んじゃってるんで、そっちが先なんじゃないかみたいな話もあるんですよね。
そんなオチもあるのか。
はい。そんな話もあって。
まあそんなことで、2つの発祥がかかってるので、ちょうど旬だしいい話題かなと思って、今回ちょっとここで取り上げさせていただきました。
なるほど。
はい。そんなところです。
ありがとうございます。面白いお話でした。
いい。では最後、黒木さん何か。
はい。じゃあ私の方で3つ目、今注目を浴びているものということで、ご紹介するのが保健所です。
保健、なるほど。確かに今話題ですね。
まあね、現在何とは言いませんけど、防感染症の関係で大変注目を浴びていて、職員の方も大変苦労されているということで有名な保健所でございますけれども。
はいはいはい。
今では大体どこの自治体というか都道府県とかにあっても当たり前な印象がありますけれども、実は発祥というか、日本で最初の保健所が埼玉県にあったということが今回の趣旨になります。
昭和12年ですね、1937年なんですけれども、埼玉県の所沢市に日本最初の保健所である農村保健館という施設が設立されています。
埼玉が最初という言い方をしたんですが、実はこの所沢の農村保健館だけではなくて、同じ時期に東京の京橋に都市保健館というものも作られていて、埼玉だけがっていうわけではないんですけれども、
同着で埼玉が1位でいいでしょうということでご紹介をさせていただければと思います。これは1930年にアメリカのロックフェラーという財団があって、これが日本の公衆衛生の発展のために寄与したりということで寄付なんかもだいぶしてくれていたようでして、
そういったところがこの農村保健館、都市保健館の設立に大きく寄与したというふうに言われているそうです。今も薬が何だとかワクチンが何だとかっていう話が出てますけれども、当時は今以上に医薬品とか医療も発達していなかったので、
保健所の歴史
当時、ハンセン病とか血核とかそういったところで亡くなるような方も今に比べるともっともっと多かったということで、そういった問題への対策というか問題意識があってのことだったのかなというふうに言われているそうです。
ちょっとそれるんですけれども、小池さん小学校の時に、多分学校で注射を何回か打っていると思うんですけど、BCGって覚えてますか。
BCG、はいはいはい。3×3のやつですね。
そう、あのハンコ注射でしたっけ。
はいはいはい。
そうそうそう。あれがですね、実は国内初のBCG接種がその所沢で行われていたっていうおまけもつきます。
へー、そうなんですか。
らしいですね。
へー。
で、ちなみに、はいはい。どうぞ。
BCGって我々の時代は3×3でしたけど、その前の世代ってもっとハンコ感ある丸一つみたいな感じだったみたいな話を聞いて、しかも今はBCGってもうああいう感じじゃなくなったんですよ。
らしいですね。
ハンコの跡がつかなくなったみたいな話が聞きましたと。
結構、いまだに何か腕にハンコの跡が残っている人いますよね。
全然私も残ってますよ。
あ、本当ですか。
はい。
私ちょっともうあんまり見えなくなったんですけど。
へー。
そう、あれも何か独特なハンコで、注射でしたよね。
いや、そうですね。何か本当に楽因ですよね。
まあ、接種した証明ではありますからね。
まあまあ、よく捉えるとそうですけど。
そうそうそう。
というお話でして、この農村保健館今どうなったかって言いますと、設立3年後の1940年に所沢保健所という風に名前が変わって、今風の漢字に既になっていまして、
さらに2009年に狭山保健所と統合されて、所沢保健所としては閉館をしたということなんですけれども、今でも西武鉄道の所沢駅のロータリーには保健所発祥の地という石碑が残されているとのことです。
へー。
ちょっと実際見たことはまだないんですけれども、今度行った時は見てみようかなと思います。
ほいほいほい。
じゃあ所沢駅のあの辺りだったんですね。
そうですね。さらにもう1個この石碑についてトリビアがあるんですけれども、この石碑、保健所発祥の地っていう漢字6、7文字かな、美しい字が彫られているわけなんですけれども、
この石碑の字を記号した、書いたのはこの農村保健館の初代館長さんらしいんですね。
で、この初代館長さんが誰なのかっていうと、佳人として有名な吉野明子の長男が初代館長だったというおまけのトリビアでございました。
はー。
という。
いや、長男か。
そう、長男ですね。
へー、それも知らなかった。
はい、というところで、埼玉発祥の誰でも知っている注目のものということで、保健所のご紹介でした。
埼玉の発祥とトリビア
ありがとうございます。素晴らしい。
ありがとうございます。
埼玉県知りたがりラジオ、埼玉ニアクス。この番組はAnchor、Spotify、Apple Podcast、Google PodcastとYouTubeで配信されています。
番組宛にご意見、ご感想などありましたら、番組説明欄にGoogleフォームのリンクがありますので、そちらから何でも寄せください。
YouTubeでお聞きの方は、チャンネル登録、高評価、コメントなどを残していただけると嬉しいです。
ということで、今回は埼玉発祥のものについてお互い紹介してきましたけども、いかがでしたか。
私結構知らないところというか、なかなか深掘りしていろんなことを知るっていうことがなかったので、表面だけでは知ってたけど、そんな裏事情があるんだみたいなところは、結構今回初めて知ったところが多かったですね。
そうですね、私もそうです。
発祥のもので言うと、結構本当にいろいろあったりとかして、過去チラッと話をした話で言うと、自転車とかも実は埼玉発祥なんじゃないかとか。
それも今回ネタに出そうかなと思ったんだけど、そういえば前回ちょっと触れてたなと思って。
そうですよね。あとは旅立ちの日にとかですかね。
それもちょっと出そうかなと思ったけども。
そういうのを結構意外に知らない話というか、まさか埼玉発祥じゃないだろうみたいなものが、埼玉から何かものが生まれるなんてありえないみたいなものがあるのかもしれないですけど。
埼玉的な。
ここから何か新しいものなんて出ないだろう。
あとは誰でも知ってるもので言うと成人式とか。
青年式から発祥のやつですね。
意外と国民健康保険とかも埼玉が最初らしいですよね。
保健所とかの絡みでその辺は一緒ってわけでもないのか。結構セットなのかなっていう気がしてましたけど。
そこはあんまり関係ないらしくって、これも多分しゃべりだすと長くなりますが、あれは甲子谷市らしいですよ。
全然別なんですね。
全然別県で始まったみたいです。
確かに保健絡みっていうか、医療系で言うと帝王石灰とかも最初日本でやったの、埼玉だったりしますしね。
あ、ですね。
結構医療系っていうのがもしかしたら埼玉強いのかもしれないです。
確かに三大臣の一人に医者もいますしね。
確かに。
よく考えたら、薬とかの輸出額とか埼玉県、確か県の中で結構上の方だったりとかしたので。
確か薬品美容系で1位じゃなかったっけ。
そんなんですよね、確か。
結構その辺は埼玉強いところなのかもしれない、意外かもしれないですね。
意外と面白いところで強いんですよね。
そうですね。小松菜だけじゃないんだぞって。
そうですね。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
たぶんこういう話というか、いろいろ深掘りしたりとか、他にもいろんなところで発祥のものとか、
埼玉スタートのものとかっていうのがいっぱいあるかと思うので、またちょっとそういう機会がありましたらぜひ紹介とかしていただけると思います。
はい。
はい。ということで、じゃあ今回は以上とさせていただきます。ありがとうございました。
ありがとうございました。