クビになりかけたエピソード
こんにちは、コーチングとデザインで7つの仕事を清掃中、複業ライフナビゲーターのさいかです。
今日は、図書館までの歩いてる時間を使って収録を撮りたいと思います。
今日は、3回クビになりかけたけど、自分の身を置く場所を変えただけで、有能扱いされたよということについてお話ししたいと思います。
この放送は、会社員辛い刺激を求める繊細技術の私が助けられた複業の魅力と本音をシェアしています。
はい、ということで、結構刺激的なタイトルかなと思いますが、私はですね、3回日本で、2回オーストラリアで、1回クビになりかけています。
全部仕事で、アルバイトですね。
原因が、素行不良とか、あとは自分が態度悪かったとか、そういうことではなくて、全部に共通することがあるんです。
それが、マルチタスクができなさすぎて、クビになりかけるということですね。
パッパッと、すぐ覚えて、すぐやってください、みたいなことが私にはできないし、
例えば飲食、最初のアルバイトが飲食だったんですけれど、居酒屋だったんですが、
そこで接客しながら、料理を作りながら、お片付けしながらというマルチタスクですよね。
それが本当にできなくて、それでマスターにですね、もう次から来なくていいからって言われたんですよ。
もう、19歳の私は泣いちゃいましたね。
わあ、仕事って厳しい、みたいな。
私、おそらくですね、何か仕事をするときに、与えられた仕事に対して、
どうしてこの仕事を今する必要があるんだろう、必要というか、自分がこれをすることによって、
どういうふうに仕事の流れがみんなに回っていくんだろうというのを考えながら仕事をするタイプだと思います。
なので、皆さんよりワンテンポ遅いのかなと思います。
パッとやってって言われたことに対して、多分考えてからやっているので、慎重なのかな。
それで多分マルチタスクがすごく遅いんだなって思います。
ですが、その最初の飲食のアルバイトに関しては、その1年後にはそこでリーダーになって、
仕事を辞めるときも辞めないでほしいってマスターに言われたので、
もう自分の中ではですね、そこはかなり成長できた1年だなって思っています。
それがまず1つ目です。
1つ目ですが、私は東京駅で販売の仕事をしていました。
そのときもレジをしながら、品出ししながら、接客しながら、お客様に物をアピールするみたいなことを同時並行で、
店内を見ながら自分の手元の作業も集中するみたいな、こちらもマルチタスクですよね。
これに関してはですね、私最初の頃は仕事ができなくて当たり前かと思うんですが、
半年後ぐらいにですかね、仕事向いてないんじゃないって言われて、上の人から。
私はその仕事は、扱っているものは大好きなものだったんですが、
オーストラリアの経験
その販売という仕事自体は初めてだったので、本当に勉強になりました。
その年にですね、接客のコンクールみたいなのに、毎年1人出ないといけないみたいなことで、
私の出番が回ってきて出たんですけど、
私はね、もともと内気な性格で、人前で何か自分の接客のロープ量を見せるとか、
そういうことって絶対にできないような人間だったんです。
ただ、その時に関してはもう出ないといけないということが決まっていたので、練習してそのコンクールに出ました。
結果はですね、なんと受賞しました。
私はもうびっくりで、自分の中にですね、自分が本番演じているときに何かが憑依したような感覚で、
自分じゃない何かが演じているみたいな感覚でですね、
はきはきと喋って接客をするというコンクールに出たことがあります。
その仕事も20代仲間にしていたんですが、
ずっとこの仕事をやっているわけもいかんなと思って、その仕事は辞めました。
最後に私が首になりかけたエピソード3つ目ですが、
オーストラリアで私は31歳の時にワーキングホリデーに行き、1年間滞在して、
そちらの現地でもお仕事をしながら、日本の仕事をリモートワークしていました。
海外で現地で仕事をするって、やっぱり英語力が求められたりとか、文化の違いとかでハードルはかなり高いんですよ。
私はオーストラリアで3つの仕事を同時並行でやっておりました。
オーストラリアの現地のアルバイトって、結構ダブルワークをしている方が多いので、
例えばカフェで仕事をしながら、別の日はホームセンターで働いているとか、
シフトって柔軟に対応してもらえるので、
そうやってダブルワーク、トリプルワークをしている方が現地の方でも多かった印象です。
この頃から私の副業スタイルは、結構作られていたんだなというふうに振り返れば思います。
私は英語力がそこまで高くなかったので、やっぱり最初はとても自信がなかったので、
日本人の方が経営されているジャパニーズレストラン、通称ジャパレスで働いていました。
ジャパレスでは主に2つ役割があって、
接客をするホールの係とキッチンハンドといって、
厨房とか料理のところで野菜を切ったり調理をする方で、
キッチンハンドというところで私は仕事をしていました。
たった1ヶ月しか仕事をしていなかったんですけど、
この時は私は料理長の人に、
なんでそんなに仕事ができないんだってガミガミと怒られていましたね。
30歳過ぎてからこんなに仕事をできないことに対して怒られることがなかったので、
私に手が8本くらい付いていたらその作業できるんだけどということを、
高度なことを求められたため、
その後はもう向いていないから来なくていいよって言われて、
仕事がすごく悔しかったんですよ。
私は今までのさっきの2つの仕事も、
首になりかけてももう反骨精神なんですかね。
もういやいや頑張ると、そこで頑張ったんですよ。
だけど今回に関しては、やっぱり飲食無理だって、
自分の中でも経験があったから、スッて辞めれました。
私、オーストラリアに来てまでバリバリと日本文化な職場で、
日本人に囲まれて働いているのもやっぱり変だよなっていうのもあったので、
その職場は1ヶ月で辞めて、
理想の職場を見つける
その後はオーストラリアでは家庭教師の仕事と、
あとはハウスクリーナー。
ご家庭に行ってキッチンとか掃除とかの手伝いをする。
これ全部英語なんですけどね。
あとはDJの仕事をしていました。
そんなコーナーで私の3つのエピソードをお話ししましたが、
自分が働く場所は自分で選んでいっていいんですよ。
これが自分の中では最適解で、
実際私が最近まで働いていた会社の方では、
かなり仕事ができる人間と思われて会社を卒業しました。
会社を卒業した後も、
業務委託で働いていただけますかって言っていただけるぐらいに、
自分と相性が良かったとか、
その会社に求められているスキルが私にはあったというのを、
自分はたまたまそこの会社に入ったけれども、
その中で見出していったし、
私は結構会社の中でアピールをしていきました。
もともとはハローワークで、
ジムのお仕事で入った会社だったんですけれど、
私はデザインができますとか、こういう仕事をしたいですとか、
こういうイベントに出させてくださいってお給料交渉とかもしていて、
自分の場所を確立していったような気がします。
今思えばそんな気がします。
なので、今会社を辞めたいけれど、
会社辞めれないなとか辞めたくないなって、
先が不安だなという方は、
一度怖いけれども置かれた場所を変えてみるとか休んでみる。
そして会社との契約の仕方が変わっても、
働けるようなやり方もあるかもしれない。
それは相談してみるといいのかなと思います。
無理に置かれた場所で、たまたま置かれた場所で、
咲かなくてもいいんじゃないかなっていうのは、
私の今までの経験上ですが、
時間も有限ですからね、
自分の短い命を削って、
嫌な環境に身を置いているくらいだったら、
自分には足がついているから、
足と考える頭がついているから、
自分でそこを開拓していって、
そんな理想の職場ってあるのかなって、
私もずっと思っていましたけど、
理想の職場なんてないんじゃないかなって、
結構20代の時は絶望していましたね。
だけども、たくさんの仕事をするという、
私の今の副業ライフで話しているような、
複数の仕事をするやり方もありますし、
一つの仕事をしながら、
サブで仕事をしてみて、
徐々にそちらの方が楽しくなったら、
シフトしてみるというやり方もあると思います。
ということで、そうこう喋っているうちに、
図書館に着きました。
私はここの図書館が大好きで、
この図書館に通うために、
今の家に引っ越してきたまであります。
家で読む読書タイムもいいですが、
たくさんの本に囲まれて、
静かな空間で本を読むのもいいですよね。
はい、ということで、
今日はですね、
私が3回クビになりかけたエピソードと、
私は仕事を7種類もしていて、
すごい器用ですねって言われることがありますが、
決してそうではなく、
マルチタスクに関しては、
本当に壊滅的ですけれど、
今はこうやって複数の仕事をすることによって、
自分のバランスを保っているんだよ、
ということが何か伝わればいいなと思って、
お話ししました。
長くなってしまいましたが、
ここまで聞いてくださり、
ありがとうございました。