人間とは何か
なぜか、右手の怪我が絶えません。
りゅうちゃんの独り言
こんにちは、りゅうじです。
あ、おはようございます。
間違えた。
ま、いいや。
今日もよろしくお願いします。
改めて、考えてることがあって、
人間ですよ、人間。
人間って何なのかっていうのが、
僕の問いらしき問いで、
今日はちょっと今、最近考えてるというか、
見知った人間について話していこうかなと思います。
よろしくお願いします。
と言いつつ、
大学院で人間学っていうものを学んでて、
学んでてっていうか、
人間学の断片的なもの、
死について考えるとか、
死一歩手前について考えるとか、
あとは因果ですね。
因果、死刑とか因果応報とか、
決定論とか、
そういう哲学的なところもそうだし、
あとなんかカウンセリングとか、
あと動物倫理、
動物のこととかもちょっとかじったりとかしながら、
人間についてをひたすらレポートを、
課題をしてるんですけど、
どうですかね。
なんか分かってきてなくて、
全然分かってきてなくて、
でもこれもう少し深掘ったら、
人間分かるんかもなーとか思ったりとかは、
ちょっとずつしてて、
僕がそれなりにアンテナを張ろうかなっていうところは、
優勢思想だったりとか、
安楽死だったりとか尊厳死って言われてることだったりとかするんですけど、
その辺について最終課題も、
2年生の後に最終的に出す集論みたいなものも、
そっち方向で書こうかなみたいなところで、
今計画書を書き進めてるところでして、
どっかで言ったりとか、
ここでも言うかもしれないですけど、
レポートとかちょっとずつでも、
出せるところは出せれたらなーみたいなのは思ってるんで、
おいおい考えていこうかなと思います。
因果論の探求
最初は入学する前は、
もっとノートとかSNSとかで、
レポートのことバンバン言っていこうかなと思ったんですけど、
レポート書いたら書いたって、
もうそれでちょっといいかなーみたいな感じにもなってて、
しかもレポート書きながら思ったんですけど、
難しいですね、やっぱこう論理的に、
説明、レポート書くのって、
時数制限もある中で自分の考えを、
どこまで考えたのかっていうのを見せれる場なのかなと思ってるんですけど、
それがまたなかなか難しくてですね、
因果の、今因果関係について哲学的に問いを出して、
論じなさい、1200文字でぐらいの感じで言われてるんですよ。
それで書いて、1回出して、
1回返ってきてもう1回再提出するところなんですけど、
1回出したのがすごく僕が浅い感じに書いちゃっててですね、
そこをもう少し1個ずつ深めなよみたいな感じで、
レスポンスいただいたんで考えてるんですけど、
でもなんかすげー難しいなと思って、
因果関係について最初書いたのは、
哲学的に何を言われてるかって言ったら、
AはBである、Aが起こるとBが起こる、みたいな、
例えば僕が喋ったら、喋ろうとしたら喋るとか、
机叩いたら音が出るとか、そうやって因果関係があるけど、
本当にそれは因果関係なのかみたいなことをね、
ちょっと難しいんですけどね、言っててですね。
で、僕はそれをもう少し拡大解釈して、
歴史も因果関係っぽいところがあるよね、みたいなのを最初言って、
で、だから因果を1つ突き詰める、突き止めることはできないんやけど、
歴史的に見たら、歴史を学ぶことは意味がある、みたいな規決をしたんですけど、
もう少しそうじゃなくて、そうでもいいんやけど、
そうじゃなくて、もう少し因果の本質的な問いをもっと深掘れたらな、みたいなのを考えてて、
考えたら考えるほどよくわからなくなってくるんですよね。
それこそ因果って何?って話なんですけど、
遡れるっていうか、例えばマッチをつけたら火がつくじゃないですか、
これってマッチのヤスリのところに擦ったから火がついてるとも言えるんですけど、
これは例えば真空状態でマッチを擦ったら火がつかないじゃないですか。
つまり酸素があるから火がついたとも言えるというか、
もしくは僕がマッチをつけるっていう行為をしようとしたから火がついてるとも言えますよね。
もしくはマッチを火をつけてくださいと言われたのであれば、
そのマッチに火をつけてくださいって言われたことが原因になるんですよね。
だから何が言いたいかっていうと、原因を突き詰めていこうとすると、
どこに原因があるかどうかわかんないっていうのが因果の問題というか、とかね、一つは。
他にも言うと、因果っていうのは自然界にちゃんとあるものなのかどうかという問いもありまして、
さっきのマッチの例もそうですけど、
マッチを擦ったら火が出るっていうのを何回も何回も繰り返して、
ある時に黄色の火が出る可能性もあるというか、
ある時にピンク色、ある時に青色の火が出る可能性もあるじゃないですか。
でも、マッチを火をつけたら、
マッチを擦って火がつく、マッチを擦って火がつくって何回も繰り返していくと、
次もマッチ擦ったら火がつくって勝手に思うじゃないですか。
だから因果っていうのは自分が思っていることなのかもしれないっていうこともあったりとかね。
こうやって朝起きて太陽が昇る。
明日の朝も昇るだろうと思って寝るんですけど、
毎日毎日繰り返していくと、
じゃあ明日は火が昇るよねっていう思い込みがあるじゃないですか、こっちには。
だから、だから火が昇るんだって言えるというか、
こっちが思っているから火が昇るみたいなことも言えたりするというか。
そんなことを因果思いについてしまうと色々言えちゃうんですけど。
あとさっきもちょっと違ってた決定論ですよね。
因果の二大論理というか、もう決定してるんじゃないかと。
この世のことは全て。
で、そのままその通りに進んでいっちゃってる。
でも人間はそれがちょっとわからんからね。
次元的に、能力的にわからんけど、
なんかもう決定しちゃってることが着々と進んでいってるんじゃないかみたいな決定論で。
未来とか全部決まってると。
でもこれを反例というかね、覆すこともなかなか難しくてですね。
だってわかんないじゃないですか、未来がどうなってるかって。
過去はこうやってこう遡ってきたから、
これがあるから今こうなってるんだみたいなのはある程度言えるかもしれないですけど、
未来がどうなるかって誰にもわかんないから決定論も否定できないというか。
決定してしまってると言われたときに、そうかもしれないと思ってしまうところがまた面白いところで。
だって明日も日が昇ってくるじゃないですか。
それ決定してるって言われたらまあ決定してることっぽいですよね。
でもそうじゃない日が明日来るかもしれないじゃないですか。
回帰日食とかが来るかもしれないし。
もしくはもう太陽が一気に消滅するかもしれないし。
それこそコロナが起こるなんて誰にもわからなかったですからね。
でもそれが起こることがわかってた、決定付けられてたかもしれないし。
これはわかんないですよね。
決定論の難題
それはそうなってるのか。
何かの選択でそうなってしまったのか。
もうそれが起こることは決まってたのか決まってなかったのかみたいなのはわかんない。
そこに因果を求めるっていうのはすごく難しい。
コロナがなぜ起こったのかっていうのを突き詰めていくと、
まあその中国の武漢とかで発生したかもしれないですけど、
その前は他のところで地方でインドなのかアフリカなのかと思ってたものが中国にたまたま行って、
そこで感染しちゃって発生したかもしれないしね。
僕らが最終的にコロナをもらったときにも、
どこからコロナをもらったのかって突き詰めれないじゃないですか。
そこの因果どうなってるんだっていう。
ほんまにそこに因果はあったのかと。
感染したと思ったから感染したのかもしれないし、
ほんまに感染してたのかもしれないしね。
それ見えないしねコロナはね、僕らの肉眼では。
でもなんかこう体調悪いなと思ってしまったりとか、思い込みとかもありますもんね。
思い込みでしんどくなったりとか思い込みで熱中症が流行ったりとかするじゃないですか。
あれも不思議な現象。実際にはそう起こってないのに、思い込んだからそうなってしまった。
じゃあ思い込んだことが原因なのか。思い込ませるようなことをした何かがあったのか。
そんなこと言ってしまうとね、陰謀論とかにも派生していってしまって、
いろいろ政治的な話だったりとか、コロナの陰謀論みたいなのもあったりすると思うんですけど。
陰謀を突き詰めていくの難しいなーっていうのは、
レポート書きながらもそんなこと思ってるんですよ。
それをね、またこう戦略文字に、戦略って制御の中にこれの漢字を入れるっていうのもなかなか難しくて。
で、序論、本論、結論っていうのがあって、そこになかなか落とし込むっていうのがなかなか難しいものだなと思いながら。
ちょっと思ったんですけど、決定論をもう少し深掘るじゃないけど、
先生、レポート出した時の先生的には、決定論どう思う?みたいな感じで返信をいただいたので、
じゃあ決定論についてもう少し深掘ろうかなと思ってね、決定論だと思おうと思って考えてみたんです。
決定論かと思って。
これでも確かにさっきも僕自身が言ったんですけど、決定論を反例するというか、反対するみたいなの、なかなか難しいなと思って。
全部決まってるんでしょみたいな。確かにそう言われたらそうだし、そう言われなかったらそうだしみたいな。
自然現象は全て決まってる可能性もあるし、決まってない可能性もあるし、どうしたものかなと思っててね。
仮に決定論の何が肝かというと、全部の情報を手に入れることができたら、次の未来がわかるんじゃないかっていうのが仮説というか、決定論の中で言われてるところらしくてですね。
確かにいろんな情報、過去のすべて、今現在起こっていることのすべての情報を一つに集約させて、
それを処理してうまいこと暗算してアウトプットしたら、確かに決定論は叶えられる可能性があるんですよね。
だってすべての情報が入ってるんですから、すべての情報があるのに未来が読めないっていうのはなかなか、そうは言えない。
そうは言いづらいところがあるのかなと思ってて。
じゃあ、決定論を完璧に反対するには、すべての情報を入れた上で、はい、できなかったよねって言わないといけなくて。
これはなかなか、すべての情報を入れることも難しいし、どっちにしろね、決定論を信じるにしろ信じないにしろ、すべての情報をそこに一つに集約させるっていうのは、なかなか今の技術ではまだまだ難しいところはあるんですけれども、
それをどうするのかと。
でも仮に試行実験的にね、もう皆さん、聞いてくださってる皆さんが一つの体の中にね、決定論というかすべての情報、これまで過去に起こったすべての出来事、もうビッグバンからすべてですよ、から今起こってることを仮に入れてみましょう、考えてみましょう一緒に。
そしたらなんか未来わかる気しません?すべての情報があるんですよ、すべての情報、ほんまにすべて、自分の体の中も体の外のことも、空気の出来方とかもビッグバンからすべての情報が一つに考えられたときに、じゃあ未来わかるってなるじゃないですか。
そんな気もする、僕はね。
で、その全部の情報を入れるってこと、入れたとして、全部の情報を処理する能力が必要ですよね。処理して、それをアウトプットでこう、未来はこうなってる、そこに結構カードがあるんじゃないかなとは僕は思うんですけどね。
入れたとして、処理が難しい。処理したとして、アウトプットするのは難しい、と思う。
だからどうしたものかと思って。
仮にこの全部の情報を入れれた人、全能者っていう名前で置いたときに、全能、すべての情報を知った人だとして、なんて言ったらいいんかな。
決まってることを次の一手を打つわけじゃないですか。
将棋でいうと、いろんな盤面が何百通り、何枚だっけな、十の二十二帳とかな、それぐらいの数があるんです、手打ち手が。
将棋から学ぶ
を全部暗記したとして、じゃあ次の一手、相手の一手によって次の一手決めれるじゃないですか。
全部の将棋の盤面が記憶の中にあるのであれば。
そんな感じで僕は思ったんですね。
そうしたら全部の盤面がわかってるんだったら、次の相手の一手をさせる、次の相手が嫌なところをさせる、自分の勝ち筋の一手を置けるじゃないですか。
って思ったときに、将棋屋として世界が将棋屋、全然違うんですけど、世界が将棋屋だったときに全ての盤面を覚えてるものがおって、それを使って勝負に挑んで勝利していく。
最終的に勝利っていう将棋には最終目標があるじゃないですか。
最初に言った前能者の最終目標が何かあるわけですよね。
そのためにそれに向かって前能者は一手ずつ打ち進めていくわけなんですよ。
将棋で例えると。
だから将棋で言ったら勝利に向かって一手一手進めていくんですよね。
それと同じで、何かに向かって前能者も一手一手進めていってるはずだなって思ったんですよ、僕は。
そのときに、将棋は勝利に向かっていってる。
で、前能者は何かに向かっていってる。
ってなったときに、何かの法則が分かったら、僕らは法則があるのではないかなと思って。
将棋にも勝ち筋があるわけで、それの方向性というか、勝利の方向性みたいなのが前能者の一手にもあるかなと思って。
で、それを仮にですけど、良いの全ですね。
全能一手だと呼びたくなるというか、全だなとそれが。
その全能者の一手一手が全、ややこしいな。
全、全てが情報を集めた人が一挙手一投足進んで、この世を動かしていってるとしたときに、
その一挙手一投足が、おそらく社会とか世界の良い方向、前の方向に向かわせてると思うというか。
将棋の勝利のように、前能者の前がある気がする。
その前というのが何においての前なのかは、前能者においてなのか、世界においてなのかは、そこでまた議論が分かれるところかなと思うんですけど。
前の方向性があるんじゃないかなと。
僕らはその前能者になれないし、全ての勝ち筋、将棋みたいな盤面が全て分かるわけではないと。
けど、将棋って勝つ方向にプレイヤーは向かっていくじゃないですか。
前能者も一緒で何かの方向に向かって進んでるはずで、それが全世界なのか社会なのか個人なのかの良い方向に向かわせてるだろうっていう仮説は立てられるというか。
そうした時に、この決定論にはこの前っていうか、価値観みたいなところの話が入ってくるんじゃないかなみたいなことを思ったんですよ。
これはまとめようとしてるわけなんですけど、それは因果関係の中の決定論に、前っていうのは仮の名前で何か価値論的な価値がある方向に世界は進んでる的なことがあるんじゃないかなみたいなのが僕の思いついたことであるというか。
そういう可能性もあるなという決定論を進めるのであれば、全ての情報が分かっているのであれば、その分かった上でどう進めていくか、その進めていく方向性があるんじゃないかなと。
全ての情報は僕たちは分からんけど、その方向性が分かってきたらこの前っていう、それが方向性が仮に前位っていう言葉だとした時に、その前位っていうのは僕らが分かれば、じゃあその方向性が分かって、全ての情報を得られないまでもある程度のこの前位、良い方向性には進めれるんじゃないかなみたいなのは思ったっていう話をね、思いついたわけですよ。
これはこう、さっきも言ったんですけど、因果関係の言われてる中での決定論の中での話というか、決定論からまたちょっと離れてるんですよね。
決定論を論じないといったら、多分決定論の中をちゃんと論じないといけなくて、それから他の視点を持ってきちゃってるっていうのが、何か良いのか悪いのか分かんないなと思って。
まあでもここまで考えちゃったんで、一旦それで出してみようかなっていう気持ちではあります。
すごい変な話しちゃったな。本間はね、ハンター×ハンターの話したかったんですよ。
今、キメラ&編の最終局面まで見てて、すいません、なんかハンター×ハンターネタバレするし、これから2,3分ちょっとハンター×ハンターの話にちょっとだけ付き合っていただきたいんですけど、めちゃくちゃハマってて、ハンター×ハンターに。
それこそ全能者みたいな奴が生まれるんですよ。この前も話したかもしれへんけど、全能者みたいな奴が生まれた奴と、VS人間界のハンターの会長、ハンター界っていう、何だろうな、総理大臣みたいな感じですよ。
ハンターの総理大臣みたいな人と、生まれちゃった全能の生物との対決があるんですけど。
全能の生物が人とアリとのハイブリッドなんですよ。人とアリとか他の生物とのハイブリッドで生まれて、王って名乗ったって、王です私はみたいな感じでね、我が名は王ですみたいな感じで君臨してるんですよ。
それこそ将棋したりとか、軍儀って言って中国がどっかのボードゲームをするんですよね。それで、めちゃくちゃ軍儀のトップの人と王が勝負するんですよ、軍儀で。
それに全く王がかかってなくて、そこで人間の心が湧いてくるというか、ほんまは全部の生物を私が統率するっていうので生まれてきたんですけど、その軍儀をすることで人にも価値があるんだなと。
こんな私が全て、いろんな生物をハイブリッドした上で、人も含めの上での私が全ての生物を征服するって言って立ち上がったところで、ほんまに何もできない、軍儀しかできない女の子と対峙することで、こいつに勝てないのか、私は軍儀でってなって。
ハンター×ハンターの考察
勝ちたいってなるじゃないですか、王だから。けどこいつを殺すことはすごく絶やすいんですけど、でも軍儀で勝てない。勝てないまま殺す。それはもう負けってことになるので、勝てないんですよ、なかなか。
で、ちょっと人間にも価値があるんじゃないかな、みたいなのをそこで思って、そんなことがあって、最終的に王とハンター会の会長、ハンターの総理大臣みたいにちょっとバトるんですよね。
そこがもう何とも言えん感じで、幽霊動くんですよ、王も。人なのかアリーなのか、はたまた他の生物なのか。でも何とかそこの人に価値が、殺さなくてもいい人が私の中にはおるっていうことがわかっちゃったから、そのハンターの会長総理大臣とも対話をしようとするんですよね。
一旦話そう、みたいな。まだいけると。残す人とかもいろいろこう選ぼうみたいな感じでするんですけど、でもハンター会と人間側のほうが手を挙げちゃうんですよね。
それはハンターの会長総理大臣やっていうところの立場的なこともあるんですけど、それで何とも言えん感じで、結局バトルになって暴力になっちゃって、みたいな感じになってね。
これは因果論的にはどうなのかなみたいなのも思ったりとか、決定論だったのかとか。で、王も価値っていうのを知ったから、対話をしようと試みたけど、人間側が手を出した。
一番最初に手を出したのは王のほうなんですけど、手を出したみたいなところになって、すごく僕はめちゃくちゃな感じになっちゃったんで。
ハンター、ハンター語りたいわーっていう気持ちで今日は喉んだんですけど、ここまでにしておきます。
ということで、みなさん今日もお聞きいただきありがとうございました。
今日か明日かお元気で、もしよければハンター、ハンターもご覧ください。
くせつやめで行きましょう。よろしくお願いします。
ありがとうございました。