DogsorCaravanのインタビュールームでございます。
今日は、南圭介さんです。
南さんのお名前に、3年前ぐらいから、トレーランニングの世界でもいろいろ伺う機会が増えてきましたけれども、
すごい挑戦をされているということで、今回は映画『Chasing South』が公開間近ということで、
その主演と言いますか、主人公ということで、南さんが登場していらっしゃるということで、
そのお話をぜひ、私のDogsorCaravanでお届けしたいなと思いました。
映画の方は、4月の11日の札幌を皮切りに、札幌、福岡、東京、大阪と翌週まで4カ所でフィルムツアーが行われますよね。
その直前に今、お話を伺っているんですけれども、
このGR-10、GR-DISというのかな、フランス語では。
そちらのFKTが主題となっているんですけれども、これ、またとてつもない挑戦だと思うんですけれども、
どんな挑戦なのか、あるいは何でこれを始めようと思ったのか、南さんからご紹介いただけないでしょうか。
このGR-10で、この距離が900キロとかそれぐらいあるんですけど、
それはロングトレイルっていうカテゴリーに入ると思うんですよね。
最初僕がトレイルランニングを始めたきっかけが、
昔、走る前に僕は旅を結構してたんですよね。
世界中のパーティーとか、そういう音楽のフェスとかをずっと回ってて、
それを目的に旅をしてたんですけど、
その旅も少し違うなと思ってきて、日本に帰ってきて、
つい最近までも大笠原にいたんですけど、毎年冬、大笠原で仕事をしてるんですけど、
そこで環境保全系の仕事をするようになって、
それで次の旅の目的だったり、何をしようかなと思ったときに、
環境の負荷が少ない旅で、もっとダイレクトな旅を僕はしたいなと思ってて、
それでパッと思いついたのがトレイルランニングだったんですよね。
で、その思いついたっていうか、大笠原で仕事中に怪我をしてしまって、
で、地元帰って手術します。
で、手術して、その日麻酔から冷めて、痛みで全く寝れなくて、
で、夜中中ずっと起きてたんですよね。
で、その時に何気なくテレビつけたら、
BSのグレートレースっていうのをやってて、
その時の特集がイギリスのスパインっていう山脈が400キロぐらいあって、
それの真冬のノンストップレースをやってたんですよ。
で、トップ選手は休憩とか睡眠を削ってひたすら走ってる。
で、なんかもう幻覚は見るし、幻聴が聞こえるってしたり、
インタビューされながら、もう走りながら倒れちゃってる選手とかもいて、
すごい世界だな。
で、僕は今までフェスとかパーティーとかそういうものに行ってたのも、
そういうパーティーとかって、夜通し24時間ほぼノンストップで音楽が流れてるんですよね。
それが一週間で起きるところだったら、一週間とかあったりとかして、
なんか踊り続ける。
昔、僕が小学校の時に、どっかの多分Amazonの部族だと思うんですけど、
ずっと何日かも踊り続けて、なんか覚醒して神と行進するみたいな。
そういうのは僕好きな子供で。
で、それと、なんかあとは漫画も好きで、
なんかドラゴンボールとか、で、なんかスーパーサイヤ人だったりとか、
そういう、もう人知を超える能力っていうところとかにもすごい興味があって。
最初に札幌、えーと、ルスツでしたっけ?
で、行われたレースの方に参加されて見事優勝と。
あー、そうですね。
花話デビューがそこにあったという風に伺いましたけれども。
ですよね。
で、そのトレーラーニングを始めて、
で、最初に、なんか北海道のレースで何かで、
なんか1位になりたいなって始めるからには、
ちょっと目標を掲げてやりたいなと思って。
で、探してたら、
そのルスツのレースの歌い文句が、
北海道で一番きついレースって書いてあったんですよ。
あー、じゃあもうこれで決定だなと思って。
それに向けて、それが9月の終わりゴールだったと思うんですけど、
で、手術してリハビリが終わったのがゴールデンウィーク秋ですね。
5月末ぐらいにリハビリ終わって、
で、そこから走り始めて、
えー、ちょっと。
4ヶ月ぐらい、
はい、ひたすらトレーニングしました。
ということですよね。だからびっくりするような、なんていうか、
ちょっと漫画みたいになっている人失礼かもしれないけど、
なんかそういう形で全く走ることに関心がなかった、
もう音楽、トランス、ミュージックにもうどっぷりのめり込んでいた人が、
突然走り始めたというか、まあもちろんトレーニングの期間があったわけですけれども、
レースで最初にもういきなり優勝してしまうというような、
そういう劇的な、ドラマチックな、
トレーニングランニングとの出会いということなんですよね。
でもそれまでもバックパックを20代中盤から30ぐらいまでやってたんですけど、
やっぱ20キロとか、重い時は20何キロとか背負って旅してたんで、
まあ体力はないといけないなと思ったんで、
その基礎的ななんか腹筋とか背筋だったりとか、
軽いジョギングとかは5キロとか、
そういうのは走ったりとかはしてましたね。
で、踊るのも体力がすごいいるんで、
それで体力作りで体を動かすのも好きってこともあったんですけど、
運動はちょこちょこしてましたね。
知らず知らずのお家というのか、
まあ私たちランニングの世界からすると意外な感じがしますけれども、
旅すること、あるいはダンス、音楽に合わせて体を動かすというようなことが、
ランニングにつながっていたと、体力作りになっていたということなんですかね。
ただ、そこからですね、
そのGR-10っていうのはかなりすごい距離というか、
そこからもまだすごい距離があると思うんですね。
そして僕変わったのは、
南さんはヨーロッパとか国内とか100マイル、
あるいはもっと長い距離のレース経験されてますけれども、
このいわゆるFKT、一人でこの長い距離を、
間奏を目指して、しかもタイムも意識して走るというようなことを、
今回で言えば914キロ、5万メートルを超える累積標高差を、
ここからここの角、10日以内ということでですね、
間奏されたわけですよね。
これはすごい大きな挑戦だと思うんですけれども、
ここは何かこう、心境に変化があったということなんでしょうか。
まずそのFKTだったりロングトレイルを挑戦するっていうのも、
その旅をしたいと思って始めたんですけど、
そういう街を繋いで走る、
今井野さんがやられてるような感じのことを最初イメージして始めたんですけど、
トレイルランニングレースだったりトレーニングして、
山によく行くようになってから、
何かちょっと違うなって思ってきて、そのスタイルは。
旅はしたいんですけど、
旅をしながら、世界中のこういうGR10だったり、
そういうロングトレイル、山の中で何日間も、
自分のそのFKTっていう数字の目標を掲げて、
分かりやすいところを掲げて、
自分の限界点でそれを目指すっていうところに、
トレーニングとかトレイルランニングをしていく過程で、
なんかそんな風に変わってきましたね。
なので、FKTをしたいっていうのは、
徐々にそういう気持ちになってきました。
これは一番最初というか、
やっと始まったなっていうところがすごい僕の気持ちではあって、
そのFKTっていうかロングトレイルを挑戦できる、
やっとそういうスタート地点に立てたなと思ってて、
本当は僕が最終的な目標は、
今のところはグレートヒマライアントレイルって、
ネパールのアッパールートっていうのがあるんですけど、
3000から6000メートルのところを1700キロ走る、
それを目指していきたくて、
その一番最初900キロのピレネ山脈プラス、
バックパックしてた時も、
よくヨーロッパに行ってたんですよね。
北半球が夏の時はヨーロッパにいて、
また季節変わったら南半球はブラジルとか行ってたんですけど、
そこをずっとひたすらぐるぐる回ってたんですよね。
馴染みもあるところで、
一番最初は数年前からヨーロッパのレースもよく出てたんで、
ってなったら、
やっぱりヨーロッパのロングトレイルを一番最初にチャレンジしたいなって、
少しいろんな友達とかに聞いてたら、
どうやらGR-10っていうのがピレネ山脈っていうのがあるらしいって聞いて、
で、GR-10のFKTを一番最初の僕のチャレンジにしようと思って決めましたね。
そうか、そうすると、
一番最初にはダンスにあげてくれた日々から、
トレイルランニングに出会ってというお話伺いましたけど、
今回このFKTっていうのは、
さらにもう一段階というのか、
次のステージというか、
イナビさんとの待ち見せというか、
そういうものにとっても大きな意味を持つ挑戦だったということなんですね。
その舞台は、
音楽に打ち込んでいた時代、
ダンスに明け暮れていた時代に馴染みのあるスペインというか、
ピレニーの場所を選ばれたということなんですね。
ただ、そうは言っても、
1700キロが今ね、
ヒマラヤのアッパートレイルですか、
そちらの方が大きな、
これからの目標についていらっしゃるということなので、
そうですね。難易度が多分全然違いますね。
そこからすると914はまだその半分ぐらいということになるかもしれないけれども、
ただ、相当大変な挑戦、
しかも10日間というところで、
普通のトレーラーニングでやってらっしゃる方、
これ聞いてくださっている方多いかもしれませんけれども、
どう頑張ったって言われたら難しいんですけど、
とにかく自分でその約束を守るっていう一点だけでしたね、最終的には。
もちろん周りのサポートクルーだったり、
ハイカーの人もオフシーズンだったからそんなにはいないんですけど、
そのハイカーの人たちも、僕がFKT挑戦する前に、
このピレネア300の9割5分くらい使ってやるレースがあるんですよ。
トランスピレネアって。
そのオーガナイザーのシリルっていう、彼にインタビュー取りに行ったんですよ。
一番最後、別れ際に言われたのが、
とにかく気持ちを強く持てって、ロングトレイルはそれしかないって。
彼ももう何年やってるのかな、7回、8回くらいレースをやってて、
いろんなランナーを見てるって。
とにかく気持ちだけは強く持てって、
いう言葉もすごく励みになりましたね。
で、彼がフェイスブックのコミュニティがあるんですよ。
GR10をスルーハイキングするハイカーが、そこで情報を得たりするところに、
僕が挑戦するっていうことも載せてくれてて、
だからほとんどのハイカーがすれ違う時とか、僕に声かけてくれて、
うまいか、日本人はって。
で、すごい励ましてくれましたね。
それもすごく力になったし、
その気持ちを前に持っていく助けにすごくなりました。
なるほどね。
まず、映画の私も見たシーンの中でも、
何時間足を動かしてるはずなのに全然進んでないっていう、
南さんおっしゃってるシーンが何度も出てきて、
体がもちろん痛め疲れていて、筋肉が疲労しててっていうこともあるんだろうけれども、
それが、表向きはそういうことなんだろうけれども、
本当に自分を前に進めているのは自分の決意というか、
自分との約束ということか、なんですよね。
たぶん同時に、映像も少し見せていただいたので、
綺麗な、というか本当に雪から、
牧草地とか、のんびり牛が草をはんでたりとか、
すごく広々とした風景だとか、
そういうところにすごく印象に残ったんですけれども、
景色とかいうところは、南さんの自分との約束を助けてくれるような方向に働いたんでしょうか。
あるいはもちろん厳しい気候は、それをくじく方向にも働いたと思うんですけれども、
事前に予想してた範囲の出来事だったんですかね。
その辺の景色とか気候とか、その辺はいかがだったでしょう。
もちろん、ピレネ山脈って4つのエリアになってるんですよね。
僕がスタートした、大西洋側、アンダイエっていう街がある方は、バスク地方っていって、
だいたい200キロから300キロごとにエリアが分かれてて、
バスク地方はちっちゃい山で、丸い可愛い山がポコポコポコポコあって、
牧草地の走りやすい山なんですよね。
だから、羊がいたりとか、動物がいたりとかして、
で、ちょっとのどかな感じの山で、
で、次にハイピレネっていうエリアが始まって、
で、入って作るぐらいなんで、もう徐々に標高も高くなって、
で、あとは岩場だったり、枯れたところとかもすごく多くなってましたね。
で、世界観があったり。
で、次はアリエージュっていうエリアがあって、
アリエージュは、登って下って、
で、舗装道路に出たと思ったら、もう10メートル先に登山口があって、
また四八百とか千何度とか登んないといけないので、
もうひたすらこう、ずっとアップダウンが繰り返す場所。
で、最後の大西洋側の地中海側のエリアなんですけど、
そこも結構アップダウンが、徐々にはこう下がっていくんですけど、
標高とかも結構アップダウンが引きつかったり、
がれてるところが多かったりとかして、
で、そういう見た目も結構違ったり、
湖が真ん中ら辺のピレネの山脈は、
湖がいっぱいあったりとかして、すごく綺麗だったっていう印象もあるんですけど、
その景色が助けてくれたっていうのもあるんですけど、
僕が一番その景色っていうところで印象に残ってるのは、
4日目に大つぶれしたんですよね。
あのトレーラーの映像でも、
どうでしょう、その最初のFKTっていうだけでも、
かなり自分にとっては準備だったりとか気持ちのプレッシャーとかいろいろあるとは思うんですけれども、
それを今回そのパタゴニアの映像のシリーズというか映像のバックアップを受けて、
映画としてこれを収録しようと撮影しようということ、
これもなかなかそれを一緒に行きましょうというのも、
ランナーにとってはちゃんと走らないといけないなとか、
絶対間奏しないといけないなとかというプレッシャーとか、
人によっては感じると思うんですよね。
なかなか一緒に撮るということ自体大変なこと、
選手にとっても撮影するから大変だと思いますけれども、
ランナーとして車体になるということも大変な経験だと思うんですけれども、
その辺は三上さんの今回の調整に何か大きな影響を与えたと思いますか?
もちろんすごいプレッシャーでしたよ。
僕なんかでいいのって思いましたけどね、本当に。
絶対辞められないなとかはそんなには思ってないんですけど、
でもこれの映像を残してこういうチャレンジをいろんな人に見てもらったりとか、
これで勇気をもらっていろんなことに挑戦してもらいたいなっていう思いの方がすごく強かったんで、
僕自身もこのフィルムを残したいって強く思ったのは、
トモさんのメインクエストを見てからっていうのも大きいんですよ。
トモさんが挑戦する姿を見て、僕ももっとやれるだろうとか頑張ろうっていうふうにすごく思わせてくれたんで、
僕も僕の挑戦だったりそういうものを見て、
一歩でも今少し迷ったりとか、ちょっと一歩踏み出せないなとか、なかなか続かないなとか思ってる人に少しでもモチベーションになればいいなと思って、
その思いを届けたいなって思ってやったんです。
プレッシャーはプレッシャーだったんですけど、すごくいい意味のプレッシャーをかけてくれたなっていうのはすごくありますね。
自分の感想に導いてくれる力にも、この映画の制作っていうことがなってきましたね。
私も申し上げたように、ざっとこの作品を見せていただいたんですけれども、あんまり細かいことを言うとネタバレになってしまうんですけれども、そこですごく思ったのが、
この映画はミノミさんにとって、この若い頃から、少年の頃から人生を振り返るっていうことでも含んでると思うんですよね。
その過程で、この映画自体がミノミさんがこれまで苦しんだことだったりとか、心に抱えていた葛藤だとか、そういうものはある種さらけ出してるっていう面もあると思うんですよね。
この辺りについては、そういうふうにしないで映画を作ってもらうというか作るという選択肢もあったと思うんですけれども、
多分ミノミさんも同意の上で、そういう作品にすることを選んだということだと思うんですよね。
この辺りについては一つ大きな、自分をさらけ出すっていうようなところは大きな決意があったんじゃないかなと思うんですけれども、
いかがでしょう。その辺がこの映画のテーマであるこの解放とか、苦しいところからの解放っていうようなキャッチコピーっていうんですかね。
このテーマにつながってるのかなと思ったんですけれども、ミノミさんはこの辺はどういうふうな考えを持たれてますか。
もちろんそのフィルムで語ってたようなことは別に表で出さなくてもいいことだと思ったんですけど、
でも僕の中でもすごく整理したいっていう気持ちもあったりとか、
もしかしたら方向は違うかもしれないですけど、そういうことで悩んでる人とかもたくさんいるんじゃないかなって思って、
今回僕の人生というか、そういうところを語らせてもらって、
僕の大切な人との約束っていうものも、今回のFKTを完走するっていうかやりきる上でもすごく大きなポイントであったのは間違いなくて、
その人の約束も守りたいな。
あなたの約束プラス自分との約束を、それを破りたくないなっていうふうな思いで、
自分の中のものを出したっていうのはすごくあります。
なるほど。
なかなかこれはぜひこの映画を見て、皆さんもこの今の三上さんの言葉を見た上で聞いていただくとまたちょっと重みが違ってくるという気がしました。
私は今深かってそんな思いがしましたね。
今回挑戦されたFKTですね。
こういう挑戦自体に今、日本のランナーの方、映画をご覧になるランナーの方、このこと自体に憧れる人もすごく多いと思うんですけれども、
この成功に導く上ではトレーニングだったり装備だったりとか、サポートの体制とかいろんな準備が必要だったと思うんですけれども、
もちろん気持ちの面もあったと思うんですけれども、
これはどんな点が準備されていく上では大変だったんでしょうね。
まずは900キロ以上っていう距離を走り切る体を作らないといけないなと思ったんで、トレーニングもすごくやりました。
それはヨーロッパの200マイルのレースもGR10のFKTに向けての練習っていう位置づけで走ってましたね。
それのおかげで足は本当にたまに動かなくはなるときはあるんですけど、全体通したら割と動いてた方なんじゃないかなって。
完全に足がつぶれたっていうことはなかったんで、トレーニング的にはしっかり詰めてよかったなって思います。
ウェアとかもGR10やる10日前ぐらいですかね、ヨーロッパ寒気入っちゃって、
1500メートルぐらいの標高で20センチぐらいとか積もっちゃったんですよ、雪が。
そういうのもあったりとかして、撮影のクルーがヨーロッパに来るときに、
ちょっともしかしたらマイナスとかになるかもしれないから急遽ウェアとか追加で頼んだりとかして、
結局それはすごくよく吹雪いたりとかもしたんで、すごい正解だったなって思いました。
ウェアとかもしっかり揃えてたなってところはありますね。
補給食とかそういうところは、僕は基本的に何でもあったものを食べるっていうスタイルなんで、
特にピザが好きで、ピザ一つだけ食べてましたね。
そうなんですね。映画のシーンの中でもね、食べるシーンっていうのがすごく印象的っていうか、
実際にいろんな場面あったと思うんですけども、結構しっかり食べるというか、
ジェールとかそういうものではないローカルなものとか、
アリガト中のレストランとかで出されたものとかをすごくおいしそうに食べてらっしゃるのが、
この映画の裏手はというか、一つの見どころというか、
南さんの生きる力の強さというか、食欲というか、
それを見ていて、見てる方が気持ちいいというか、おいしそうだなというふうに単純に思いましたね。
食べるのが大好きです。
そうですか。それはやっぱり大事な、長い挑戦を続ける上では大事なことですよね。
この映画を見る際にも、見た方もきっと同じ感想をいただいていただけるんじゃないかと思います。
これから見る方はぜひその辺も注目していただければと思いますけれども。
いろんな話題が尽きないんですけれども、この南さんの自身のことについて、
もう少し伺えればと思うんですけれども、
今、トレイランニングと同時に、冬の間は小笠原での環境の活動とかされているというようなことを伺っているんですけれども、
トレイランニング以外でされている活動のことを、ぜひこの場でご紹介できればと思ったんですけれども、
例えば小笠原ではどんなことを今なさっているかご紹介いただけますか。
小笠原では環境保全系の仕事をしていて、一つは父島っていう横に兄島っていう無人島があるんですよね。
そこに保護エリア、固有地を守る保護エリアがあって、
その保護エリアの周りに外来種が入ってこないように侵入防止策っていうのを施行してます。
グリアノールっていうトカゲがいるんですよ、中南米のほうの。
それが固有地を食べちゃうんで、エリアに入らないようにグルッと柵で囲うっていう仕事を一つしてるのと、
もう一つは現地NPO法人で海洋ゴミの清掃だったり、レクチャーだったりとかそういうことをしてますね。
それと一緒にスポーツも絡めて、僕はトレーラーニングをやってるんで、
トレーラーニングをしてゴミを運んで、それを一つのレースにして子どもたちと学生対象にとかでやってますね。
ただ拾うんじゃなくて、体も動かす、ゴミを拾うだけでもすごく体力がいるんですよね。
体力づくりっていう面でもすごくトレーラーニングはいいんじゃないかなって思いますし、
秩父島にロードレースっていうのがあるんですよ、細道路を走る。
それみんな結構嫌いで、走るの嫌いって言ってるんですけど、
一定で淡々と走るっていうのが子どもたちっていうかあんまり向いてないんじゃないのかなって。
僕もそうなんですけど、ロードを走るのがあんまり苦手なんですけど、