1. Run the World, by DogsorCaravan
  2. #010 数川純子・ガンを克服し..
2020-04-04 1:10:46

#010 数川純子・ガンを克服して100マイルを完走、アメリカのウルトラランニング界に勇気を与えたレジェンドのこれまでと今

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数川純子 Junko Kazukawaさんは札幌の出身で1988年に渡米。デンバーでスポーツトレーナー、ランニングコーチとして活躍しながら、自らもマラソンに取り組んでいました。転機となったのは42歳で乳がんを患ったこと。抗がん剤治療や手術を経てがんを克服した数川さんは闘病生活にピリオドを打つために再び走り始めます。2011年には地元コロラドの名レース、レッドビル100 Leadville Trail 100で100マイルのトレイルランニングレースを初完走。2014年にはレッドビル100に加えて、レッドビルで開催される6つのトレイルランニング、MTBのレースを同じ年に全て完走してレッドウーマン Leadwomanのタイトルを獲得。翌年には二度目のレッドウーマンに加えて、アメリカの4つの伝統ある100マイルレース(ウェスタンステイツ、レッドビル、ワサッチ、バーモント)を同じ年に完走するグランドスラム Grand Slam of Ultrarunningを達成。人生の危機に立ち向かい大きな目標に挑戦したことが多くの人にインスピレーションを与えた、として2016年に地元コロラド州のスポーツウーマン・アワードを受賞します。この間、数川さんは多くのアメリカのメディアで紹介されました。

今回のインタビューでは数川さんがアメリカ留学を志した理由、軽い気持ちではじめたランニングに熱中するようになった経緯、100マイルを走ることになったきっかけといった話題をじっくり伺うことができました。

00:01
DogsorCaravanプレゼンツ、Run the World
ポッドキャスト番組、Run the Worldへようこそ。
DogsorCaravanを運営している、Koichi Iwasaです。
このポッドキャスト番組では、さまざまなゲストをお迎えして、
プレイラーニングを中心に、さまざまなトピックについて、お話を伺ってまいります。
さて、今日のゲストは、和川純子さんです。
和川さん、おはようございます。
おはようございます。
おはようございます。
おはようございます。
おはようございます。
おはようございます。
おはようございます。
おはようございます。
さて、今日のゲストは、和川純子さんです。
和川さんの名前、日本の方でご存知、
多分、アメリカのトレーンラーニング、ルトララーニングの話題を
フォローしていらっしゃる方であれば、きっとお聞きになったことあると思いますけれども、
まだご存知ない方もいらっしゃるかもしれません。
日本のご出身で、コロラドにお住まいでいらっしゃって、
ガンに打ち勝って、ルトララーニング挑戦を始められて、
2014年にレッドビルシリーズというのがあるんですけれども、
マウンテンバイクであるとか、トレーンラーニング、100マイルのレース、
100マイルのバイクライド、こういうものを1年間のシリーズ、
夏の間のシリーズ全員があるんですけれども、これを完走。
そして2015年には、そのレッドビルシリーズを2回目の完走を果たされて、
同じ年にグランドスラム、グランドスラムオブウルトララーニングですね。
4つのウルトラ100マイルの伝統あるレースを完走するという、
これ女性で初めてというふうに伺ってますけれども、それを達成されたと。
2016年にはこのことが評価されてですね、
このコロラドのスポーツマンオブコロラドという名誉ある賞にも選ばれていらっしゃいます。
アメリカのいろんなラーニングであるとか、新聞であるとか、
メディアであるとかっていうのは、かずかさんの前に結構取り上げられてですね、
コミュニティの間では非常に大きな話題になったことを、
私も日本からそういった記事を見ていて、記憶しています。
今回は、かずか純子さんにゲストとしてお話を伺います。
かずかさん、今日はどうもよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
ということで、私もずっとお名前をいろいろ伺っていたかずかさんとお話できるということで、
03:00
ちょっと緊張気味なんですけれども。
とんでもないです。
私はあまり日本では全然無名というか、あまり知らないので。
それがね、意外というか、私たちの努力不足もあるんだと思うんですけれども、
私も日本語で検索してみたけど、
ちょっとあまりかずかさんの話題って取り上げられていないんだなと思って。
そうですね。ないですね。
ですよね。
だからこの機会にというか、むしろ私の方がこれがきっかけになって、
まだ何かあればいいななんていうことも思うんですけれども。
今、かずかさんはコロナの電波にお住まいでいらっしゃる。
私お話しさせていただいているのも、今電波にいらっしゃるかずかさんとお話しさせていただいている。
はい、今電波でございます。
足元の話題でいうと、新型コロナウイルス、COVID-19の話題、
日本でもアメリカでもすごい話題になっていて。
今、電波はもうロックダウンというような状態ということなんでしょうかね。
そうですね。先週というか3月の17日ぐらいにレストランですとかパーですとか、
私が勤めているヘルスクラブというかチーム、
そういうサービス業的なものは全部強制的に締めることになって、
ロックダウンは24日からですかね、不要不急でない限り出てはいけないと。
ただ、エクササイズで外を走ったりするのはOK。よくランナー見ますけどね。
そういう意味では、かずかさんのお仕事にもかなり影響が応援できているということですよね。
はい、大変です。
日本も半歩遅れてというか一歩遅れて、週末は外出の自粛という話が出てきましたけれども、
そういう中で、私のほうはレースの話題とかを日頃フォローしていることが多いんですけど、
レースも軒並みご存知のとおりでなくなって、かずかさんにとっても同じだと思いますけれども。
もう既にレースもキャンセルになったのが何個かあって、
夏から気にかけてやるのがまだキャンセルというふうに聞いていないんですけども、
これも時間次第かなって思っています。
こういう時だからこそ、お伺いのお話もあるかと思いますので、今日はお時間いただきました。
かずかさんについてのどこからご紹介していくかというとなんですけれども、
06:07
お年のことを言うとあれなんですけど、1963年生まれ、56歳でいらっしゃるというふうに伺っています。
今はランニングのコーチ、トレーナーとして活動、活躍されていらっしゃるんですけれども、
その過程はかなりいろんなことがあって、
ランニングに関して言えば、ランニングはやっぱり昔から、子供の頃からとか学生時代から続けていらっしゃったんですか?
実はね、私は子供の頃は運動が嫌いでというか、運動が好きじゃなかったんですよね。
どっちかって言ったら本を読んだりするほうが好きで、
体育の授業なんかですもん、1から5までありますよね、成績が。
大体いつも2ぐらい、下から2番目ぐらいでちょろちょろってやってる感じの子だったんですけど、
ちょっとあったときを機会に、これではいけないと。
成績がね、2から1に落ちちゃったんです。なぜか知らないです。
体育の成績がですか?
体育の成績なんですよ。
ちゃんと授業をサボりもしないし、ちゃんと出てたんですけど、そんなに私は運動神経が悪かったって、
まあ良くはないかったですけど、そんなに1に落ちるほどではないと思ってたんですが、あるとき1に落ちてしまったんです。
それを見たときに、え?と思って、これではいけないっていうか、ちょっと先生にチャレンジしようと思って。
小学生とか?
中学の1年か2年ですね。1年生かな?それで、もうなんで?と思って、そこからちょっと奮闘しまして、
一応バスケットボールにいきなり入ったんですよね。
たまたまバスケットボールを授業でやったときに楽しかった。
中学校に部活にいきなり入って、やり始めて。
そしてイメージっていうのもありますよね。
あの人運動得意じゃないってイメージがあると、やっぱりそれもいけない。
そこから頑張り出しまして、中学校の3年の引退試合にはちょっとだけ出してもらって、
そこから負けん気があったんでしょうね、少しは。
それで高校に行ったら一からやり直そうと思って。
それで高校に入ってからバスケットも最初から入って、そこからスタートした目になって、
バスケットにちょっとハマっていって、
高校生の時に丁寧山マラソンっていうのがありまして、
札幌のね。
09:01
丁寧マラソンっていうのがあって、
必ず部活やってる人を走らなくちゃいけないんですよね。
山なんですけど。
それを走ったのが初めて大会みたいに出たっていう感じですかね。
それで一応大会系なので、運動系なので一応プライドもあって頑張りまして、
ちょっと覚えてないんですけどね、
トップ50ぐらいが舞台に上がり、ポーディアムに上がったんです。
その中に入ることができて、
それであれみたいで、
高校卒業して短大に行ったんですけど、短大おてる、短大生の時かな、
札幌、千歳マラソン、ハーフマラソンですね。
それで初めてハーフマラソンっていう距離を走って、
すごい辛い思いをして、
その後はですね、痩せたいとかダイエットとか、
そういう意味でちょこちょこ走ってた程度ですね。
だからマラソンやろうとか山を走ろうとか、
そういうあれはなくて、
ただ自分の体重を減らそうとかフィットネスとか、
そういう意味でちょっと走ってた感じですね。
それでアメリカに来てから、
ある時、私はたくさんグループフィットネスみたいな、
エアロビックスとか当時教えてたりしたんですけど、
その時にメンバーさんの一人が、
私ボストンマラソンに出るのって、
ボストンマラソンっていうのはクオリファイされなきゃいけないの?
っていう話ですね。
初めて聞いたんです。
えーそんなのがあるんだって。
1年のタイムを満たした人だけが参加できるという、
いわば市民団内にとってはある種の名誉というかね。
そうですね。
ボストンに出られるっていうのは、
それだけ頑張った人だと。
頑張った人が出れる。
それで、えーそんなのに出るんだって、
私もやりたいっていうことになりまして、
それでクオリファイしに、
アリゾナのマラソン、ツーサンっていうところにマラソンに出て、
それが初めて42.195キロですか、
それを走ったんですよね。
それで、走った時にクオリファイされたんですよ。
すごいですね。
やったー!みたいな。
それで、そこからすぐにまたボストンマラソンを走るようになって、
その時、ツーサンマラソンでクオリファイされた時のタイムが、
3時間27分くらいで走ったんですよね。
それで、自分的にはよくあれも分からないで、
ゴールを目の前にして、
このままゴールできるか倒れ込むかどっちみたいな、
そんな感じで全力尽くして、
3時間27分。
それの後に、もっと練習すれば、
12:00
きっと3時間15分目指せるとか、
その当時、日本で言ったら女子国際マラソンとか出るためには、
3時間15分を切らないといけないって聞いてたんで、
これで練習すれば、3時間15分もできるな、きっと。
そんな軽いことを思ってたら、全然できなくて、
3時間27分のタイムからPRを出すのに、3年くらいかかりました。
走っても走っても、
3時間35分とか38分、33分の行き来で、
いかに長距離のレースが難しいかっていうことを身をもって体験して、
そこでハンブルーになりましたね。
面白そうと思ったことには、熱中するような性格の持ち主でもある。
一方で、そこからフィードバックを受けて学ぶというか、
よく言うように、そういうふうにして成長というか、
経験を積み重ねることによって自分自身が少しずつ変わっていくという。
何度も何度もトライしても、3時間27分も切れなくて、
友達にいいタイムじゃんとか言われても、もうなんか嬉しくない。
すごい泣きたくなる。
なぜ3時間27分切れないんだろうって、
やっぱりできないものに対して、
もうちょっとだからってやめられなくなってしまうんですかね。
やっぱりアティクトになって、そこからですね、やっぱり走り出したのはたくさん。
話も前後するんですけど、
日本にいらっしゃる頃はあくまでファンランというか、
今風に言うとファンランというかですね、
日本語で言うと、あくまで生活を楽しむように、
フィットネスをね、自分が健康になるためにというぐらいの意識でしかなかったけれども、
アメリカで行ってすごく刺激を受けられたと。
ただ一方でまた、私と伺ってるところでは、
アメリカに行かれて、そちらの大学院でキネシオロジーとか、
運動の整理学とか運動力学とか、そういう学問で修士号を取られてらっしゃいますよね。
そういう風な道を歩もうと、そういうことを勉強しようと思われたのも、
やっぱりご自身の走ったりとか、バスケットもそうかもしれませんけど、
そういう経験がやっぱり影響してたんですか。
そうですね。やっぱり日本にいて、
高校単大出たくらいにバスケットとかやりまして、
ちょっとやっぱり健康ですとか、自然の山とか、そういうのに興味を持ち出したんですよ、あの頃からね。
15:01
健康食とか、そういうのにも興味があって、
体と健康と運動と、そういうことについてもっと勉強したいなって思って、
アメリカに一回20歳の時にホームステイで行ったことがあるんですよね。
その時に自分がいかに喋れない。
いくら高校とか単大学校で勉強しても、いかに聞いたり喋ったりできないかっていうのに、
すごい行き通り覚えたっていうか、何も使えないんじゃないかみたいな。
それでそこから、やっぱり独自で単大、そうですね、単大のゴルフなので、
2、3年ずっと、独学っていうか、聞きながら、映画を見て聞きながらとか、
歌の歌詞を見ながら発音を聞くとか、
自分なりの勉強法で英語を学び出して、
学校で教わることだけじゃなくて、
アメリカでホームステイで勉強された時の経験をもとに、
あれを理解できるようにはどうしたらいいのかと、自分で考える程度。
考えて、勉強し始めて、その時にちょっと決意をして、
自分で働いてお金を貯めて、アメリカに行くぞと。
行くのには、英語を学ぶのに行くのではなくて、
英語を話しながら、他の何か自分の興味のあることを学んで、
そうすると英語も自然と話せるようになる、一石二鳥。
そういうことをちょっと思い出して、
それから短大出てから3年半ぐらい、
すごいフルタイムのお仕事をしながらアルバイトをしたり、
とにかくお金を貯めて、自分でどこに行きたいかとかも調べて、
まずは英語学校で自分の英語の実力を試して、
それから大学に入って、
そういうのを全部自分で決めて、自分でやろうって決めて来たんですよ。
すごいバイタリティー。
その当時はやはり、家族にお金を出してもらうとか、
そういうあれもなかったんで、自分でやるしかないと思って。
ちょっとやっぱり意地を張ってなきゃいけなかったね。
絶対にやる。
やっぱりその当時、私もう56歳ですよね。
その当時、大体女性は高校出て短大に入って、
2,3年働いて就職して、それで結婚して、
そういうのが普通だったんですけど、
18:00
ちょっと冒険をしてみようと思い出して短大に参りました。
私はちょっとかずかさんより少し世代が下の世代ですけれども、
当時の年風とかを見ていると、
まだバブルの盛んなりし頃だから、
多分おっしゃったような短大卒業して、少し仕事されて結婚してっていうのは、
多くの人は人生設計に迷いはなかっただろうけれども、
かずかさんはそれを良しとしなかったと。
かなり少数派ですよね。
そうですね。これなんかやろうと。
たぶんバブルはね、私アメリカに来て直後ぐらいかな。
私手元にあるデンバーに行かれたのが88年というふうにあるんですけど。
そうですね。12月末ぐらいですね。
そのバブルの頃ですね、やっぱりね。
今は時代変わっていろいろ海外で勉強しようという感じの方も多いけれども、
たぶんその当時はまだまだ今以上に少数派の険しい道をと思われていなかったかもしれないけれども。
特にウエストコースね、西海岸、秀地海岸とやっぱりそういうところが多かったんですけど、
デンバーはたぶん日本人がいないだろうと思ってきたんですよね。
そういうふうにも考えられていますね。
山もあるし。
一方でデンバーは、私もちょっとトランジットとかで行ったぐらいなんですけど、
やっぱり自然というか山のマウンテンスポーツというかですね、
自然にはすごく、どこもカリフォルニアも恵まれてますけれども、
ロッキー、その後走るようになるような山々とか、
より本格的な山のスポーツアクティビティが恵まれている場所ですよね。
そうですよね。高い山も多いですしね。
自然的にはすごい良いと思いますよ。
そうしてランニングを始められて、いろいろ拝見した記事なんかだと、
ほぼ毎年、だからシーズンに2回、3回とマラソン。
そうですね。
ウルトラマラソンとか、またマウンテンバイクも走れるようになって、
というようなことを発見しました。
そうですね。トレイルランニングにはまる前はですね、
やっぱりマラソン、ロードのマラソンをずっとやってて、
1年にマラソン5回ぐらい走ったり、1ヶ月ぐらいまた走ったり、
そういうのが続いているうちに、100マイルなんて。
お友達の関係でトレイルに連れて行っても、すごい楽しかったんですよ。
21:01
もともと山登ったりするのも好きだったので、すごい楽しくて、
これは辛い、チャレンジングだけど、すごい楽しくて、
これは山が好きだな、走りたいなってそこでちょっと思って、
それから少しずつトレイルの方に送ったっていうのがありますね。
そこからマラソン1年に5回やってたのを、
50マイルっていうその域に入りたいと思って、
初めて50マイル走って、腹が鳴りました、足も痛いし、
それ初めてやって、1回か2回ぐらい走ったのかな、
その後にブレストキャンサー、乳がんに初めてなったんですけど、
その前に50マイル走った時にレッドビルっていう街があって、
そこで100マイルのマウンテンバイクレースもあるし、
100マイルを走るっていうのを聞いて、はぁ?って思ったんですよ。
誰が走るの?みたいな。
マウンテンバイクのレースをやったことがあって、
1回、2回ぐらいやったんですけど、
そのコースって、同じようなコースを走るっていうこと自体、
はぁ?っていう感じで、
誰が一体そんなの走れるんだろうって、すごい不思議に思ったんです。
いつかやりたいっていうかね。
練習とかトレーニングとか重ねなきゃいけないけど、
絶対にやってみたいって頭の中に思ってて、
そこで乳がんになってしまったんですね。
なるほど。
体調を崩される前に、
もうすでにそういう目は自分の中に少しずつ芽生えつつあったということですね。
そうですね。
最初に乳がんに診断されたのが2005年のことだというふうに。
そうですね。
その後治療されて、また2009年の生発ということでしょうか。
そういうことがあったと。
これは大きな人生の転機というか、
まだ40代になられたばかりの頃ですよね。
そうですね。
乳がんというのは、いろんな方になられてるんでしょうけど、
かなり全く想像もしないよう、
自分にそういうことが起こるとは全く想像されてなかったような、
そうですね。
若さですよね。
家族の歴史にも、というかファミリーヒストリーですね、
そういうのもなかったですし、
うちの家系にはなかったですし、
24:02
それに自分がすごい健康代だったんですよね。
なぜというか、何ががんなのみたいな、
すごいやっぱりちょっと腑に落ちなかったですね。
なぜ私がみたいな、思いましたね。
やっぱりそれは、
今、後から見れば乗り越えていらっしゃったわけですけども、
やっぱりその後は100万円のレースを次々走るような挑戦をされるようになったんですけども、
それは少し自分の中で乗り越えるというか、消化するというか、
もちろん治療の方も並行して進められるんでしょうけども、
気持ちの上でそれを乗り越えるには、かなり時間がかかったということでしょうかね。
そうですね。1回目から2回目の間は、まだマラソンを走ってたね。
頭の中で100マイルやりたいなと思ってたけど、
まだマラソンをやったり、マウンテンバイクの100マイルをやったり、
そういう感じでね。トレイルも50マイルとか50キロとか走っていて、
まだ100マイルに手を出してもいなかったんですよね。
2回目になった時に、わーっと思って、またかーみたいな。
これ、人生何が起きるかわからないと。
明日に何があるかわからない。
だからこの際、やろうと思った時にやらなきゃダメだなって思ったんですね。
それで2009年の化学治療、放射線肝セラピーが終わって、
髪も抜けて、すぐに肝セラピーが終わって、髪がない時にニューヨークマラソンを1ヶ月後に走ったんですよ。
それも拝見してすごいなと。手術もなさっていたというふうに伺いました。
今は満身創痍と言ってもいい、そういう言い方が正しいかどうかわからないんですけど、
それでその体でニューヨークシティマラソンに行かれたわけですよね。
そうですね。
周りが止められたりしたんじゃないですか。
止められたらね、お友達がついてきてくれたりしたんですけど、ギリギリまでね、
エントリーをしてあったんですね、ニューヨークマラソン。
それもクオリファイで走ったんで、ずっと前にエントリーしてて、
エントリーもしたし、キャンセルできないし、走るって言ってね。
肝セラピーの最後4回やったんですけど、その4回目終わって、
1ヶ月後ちょうどニューヨークマラソンに行って、
27:03
ギリギリまでお友達にね、ちょっとここ座んなさいってね。
ちょっと早すぎるんじゃないみたいな。
具合悪くなるかもしれないよ、途中でとか言われて。
ただ私は、いや大丈夫、具合悪くなったら、
これはね、今回はタイムを競って走るんでもないし、
自分のベストを出そうというわけでもないし、
ただ完走して楽しみながら、遠藤の人にキャンディとかもらったら食べて、
楽しみながらみんなに電話しながらコースの中で、
それで走るし、具合悪くなったら地下鉄がどこにでも走ってるんで、
お金も持ってるし大丈夫。そういう感じで行ったんですよ。
もうギリギリ。楽しむって、クロージャーですね。
このキャンサーをクローズするために。
自分の中でこれに区切りをつけて新しい人生というか、
進んでいこうという決意と。
そのつもりで走って、結局完走して4時間半ぐらいで走って、
それで楽しくみんなに電話しながら、本当に楽しく走ることができた。
そこからですね、そこから少しずつ100マイルというのをやらなきゃいけない。
自分の中で絶対に今はどうなるか、人間明日どうなるか分からないんでやりましょうって。
9月、2009年11月に走って、次の10年、1年半ぐらいですね。
その間いろいろちょっとずつ走って、輪郭悪いって。
それで2011年のレッドビル100マイルですね。
一応レッドビルはクオリファイとかしなくても走れるレースの一つなんですけども、
ローカルでもあるしね、自分にとって。
ただ標高が高いからフィニッシュできない人がたくさんいるんですよね。
富士山より高い。
3800メートルでいうと全部がそういうコースですもんね。
そうなんですよ。
だからチャレンジングなんですけど、自分の地元だしコロナだしやるしかない。
それでもやっぱり100マイル走るのってね、自分でやったことの未知の世界なんで分からないですね。
できるかできない。
でもこれをやるしかない。
ちょっと自分にプレッシャーをかけるためにチャリティで皆さんからお金をドネートしていただき、
その集まったお金をブレストキャンサー、乳がんの研究の機関に全部渡すと。
それでスーザン・コーマンのレースシリーズでお友達がいて、彼女もブレストキャンサーをした方で、
30:13
その人の手伝いもあって、ウェブサイトとか立ててもらって、
ドネートしてもらって、温度計がポーンって行くようになって、
ゴールの金額が2000ドルだったんですけど、そこから5000ドルになって、
そしたらもう6000ドルくらい貯めました。
チャリティーしてくれて、そこからやっぱりチャリティーみんなお金出してくれたんだから、
これはフィニッシュしないわけにはいかないと。
ちょっと自分にプレッシャーをかけまして。
でもね、それもたくさんこの仲間がいて、
チームじゅんこを作って、みなさんサポートとペーサーと全部、
でも彼ら全部、最初のチームじゅんこは全部日本人のお友達がここに住んでる。
やってもらって、無事に完走しまして。
やっぱりそれ完走してからですね、またアディクトしたというか。
そういう達成感があったってことなんですね。
大きな病気の後ですよね。
フィジカルにも相当なお苦労を乗り越えられたっていうことなのかなと思いましたけど。
いやーそうですね。なんか元々健康なんですよね。
そういう大きな病気の時にすごい健康で、怪我もない。
こんなに走っても、膝とかこの年で膝たくも悪くないし、全然大丈夫なんですよね。
そこで膝とか腰が痛いとか、ヒップが痛いとか、そういうメカニカルなイシューが一切なかったので、
それがすごい助かったと思うんですね。
あとはPSと食べ物とか飲み物とかで乗り越えてスローダウンしながら、
100枚で乗り越えていけると思ってはいましたけど、
ただやったことがなかったので、一応タイムチャートみたいに作りまして、
最初スタートからAステーション、最初はAステーション、
Aステーション2、3、4っていう風に折り返して大体何時間くらい行って、
そのペース表に沿って、一応30時間がカットオフなので、
28時間から30時間の間にフィニッシュしたいってことを決めて、
そこからも忠実にやっていって、28時間38分とかそんな感じだった。
ちょっと上手くいったという感じで。
私はレッドビルを走ったことがないんですけれども、
33:04
30時間っていうタイム設定、
かずかさんが観測された28時間台っていうのも相当早いというか、
日本で100マイルっていうと山のウルトラマウントフェジとかだと40時間台、
45時間とか6時間とかっていうタイムなんですけど、
山っていっぱいあるとかっていう違いはあるんですけど、
多分そういう感覚ではなかなか観測できなくて、一生懸命走るというか、
ちょっと違う厳しさがある100マイルだから、
その30時間って決して容易なことではない中で相当大変なことだったと思うんですけれども、
そういう刻んで予定通りこういうふうに計画して計画して、
それに自分をコントロールするってことに長けていらっしゃるんですか?
いや、そうでもないです。最初に飛ばして後で死ぬ方なんですね。
私もそうです。
どうしても何度走っても何年走ってもそれはなかなか直らないですね。
やっぱり不安なんですよね。ここまで最初にそんなにスローダウンして最後大丈夫かしら。
それがあったんで、本当にペースアウトクルーの方に助けてもらって、
私、日が沈むと眠くなるんですよ。たったその1日のことなんだから夜、徹夜で走るって。
それができないんです。日が沈むと眠くて眠くてフラフラになりながら、
模様描写のようになって、でも転ばないんですよね、私の場合。
転ばなくてこんなになりながら、動き続けて、
動き続けていたっていう、そこが多分、28時間で完走できた、あれなんじゃないかなって思いますね。
そこで大きな達成、成果をあげられたんですけど、そこでは満足されなかった。
さらに旅は続いたということで。
そうですね。
2010、私の手元だと次の大きなメルクマールとか、マイルストーンっていうと、
レッドビルシリーズの完走っていう、2014年にされたっていうふうに伺ってるんですけど。
そうですね。その2014年、レッドマン、レッドウーマンですね。
はい。
まず6月にマラソン、レッドビルシリーズ。
42キロのトレーニングランニングですよね。
そうですね。マラソン。上がって下がって、一番高いところは富士山以上かな。
1000メートル近い、14000フィートとかそういう世界ですよね。
36:00
そう。そこ行ってガッと帰ってくる、アウトアンドバックのコースで。
それを6月にやり、7月にシルバーラッシュ50、50マイルがあるんですよ。
バイクが土曜日で、全く同じコースを日曜日に走るんですよね。
それどっちかをやればいいんですよ。両方やってもいいんですけど、どっちかをやればいいんですけど、両方やったんです。
両方ですか?
いや、やらないです。それを両方やるとシルバークイーンというタイトルがもらえます。
ただ、自分はマウンテンバイクが得意じゃないっていうか弱いので、やっぱりバイクを常に常にトレーニング。
このレッドマンをやるためには、バイクを常にトレーニングしないと100マイルが一番心配してたんですよ。
フィニッシュできなかったら困る。結構カットオフが厳しいんですよね、女性にはね。
12時間で100マイルをフィニッシュしなきゃいけない、マウンテンバイクね。
結構それ難しいので、私は本当にバイクの技術がないので、エンドロイアンスなくて体力だけで乗るタイプなので、
それの練習のためにも50マイルバックとバックでサタデー3名で、バイクでその次に走ってとやって、それで50マイルですね。
その後、レッドビルマウンテンバイク100が8月の1週目ぐらいのウィーキングにあって、12時間カットオフでフィニッシュして、その次の日に10キロ走るんですよ。
フラットですけど、チープロード10キロのレース。マウンテンバイクで次の日に走る。
それで1週間後に最後に100マイルの走るのがあるんです。
それを全部シリーズでフィニッシュしたら、レッドマン、レッドウーマンというタイプトレーバーもらえる。
そうすると、始まりが6月から、最後の100マイルのレッドビルトレイルが8月、2ヶ月ぐらいの間に。
そう、ボンボンボンボンですね。レッドビル、レッドビル、レッドビルですね。
2014年に私、マウントフジ走ってるんですよね、100マイル。
ちょうど2014年は春でしたよね。
そう、天気がすごい良かった。
素晴らしい時期でしたね。
ベストイベントの僕らと今の私。
それが4月の日本の連休の直前にあって。
そうですね。
今おっしゃったレッドウーマンになられる前に、もうすでに100マイル、日本で走ってらっしゃった。
確かそうですよね。
マウントフジの前に、ボストンマラソンを走って。
39:06
あんまりあったんですね。
ボストンマラソンは月曜日なんですよね。
月曜日なのでボストンマラソンを走って帰ってきて、3日後ぐらいに日本に行って、マウントフジを走る。
それをやっぱりみんな、周りの人にはやめなって。
ちょっとね、マウントフジ100マイル甘く見るんじゃないよとか。
アメリカ人の友達とかに言われてたんですけど。
まあまあまあ、みたいな。やってみるよ、みたいな感じで。
でもね、その時にボストンマラソンで会った日本から来た女の子がいて、
彼女もボストンマラソン走って、すぐ日本に帰ってマウントフジを走る。一緒の。
仲間が見つかった。
同じ人がいた、みたいな感じで。
すごい、私だけじゃないって、ちょっと嬉しかったですけどね。
そういうとこに集まるんでしょうね。
そういう気持ちを持った人が、強い人が集まるんですね。
でもマウントフジは辛かったですね、やっぱり。
すごい辛かったです。
その時はマウントフジ走ったとは、これが生まれて初めて一番辛かったって思った。
今までで一番辛かったと思う。
天使山地が半端なく続いていて、すっごく眠くなって、遠隔をずっと見てて、こんなの初めてだなって。
最初の何山だったかな、忘れたんですけど、
誰かが転んだら怪我して、すごい渋滞になったんですよね。
それで渋滞になって止まって、動けない状態で、そこでカットオフがすごい、2個目ぐらいのカットオフがすごい近づいてて、
これはやばいって飛ばして、ダウンヒル、私ダウンヒル好きなんですけど、
飛ばして、すぐに足やられちゃって、
だから天使山地は明るいうちに登ったんですけど、そこから足がボロボロ、体中どこを押しても痛い。
腕を押しても痛い、体中が痛くて、どこのエジェステーションだったか忘れたんですけど、
結構大きなエジェステーションがあって、そこで髪に取れるようになってて、
私サポートもクルーもいなかったんで、上がり込んでガーッと寝たんですよ。
15分寝ようと思って目覚ましをかけたんですけど、なんかスヌーズしちゃって、ハッと35分経ってて、
42:03
それで起きて、これは行かなきゃと思って、すっごい眠たいし行きたくないんだけど、
熟睡したので、そこから起きて、そしたら体の痛みが全部取れてて、
さすがやっぱり、そこは身内の健康力というか体力というか回復力。
足の痛みも取れてて、そこからすごい生き返ったようになっていました。
じゃあ、母国日本のトレイルでまた一つ強くなったというか、自分の強さがわかったと。
そうですね、その感じがしましたね。
けど、ちょっと安心したという言い方が変なんですけど、
かずかさんのような方でもやっぱりウルトラトレイルマウントじゃ辛かったんだと聞いて、ちょっと安心したというか、
またちょっとね、私も少ない経験ですけど、またちょっと日本のトレイルラーニングとアメリカのトレイルラーニングね、
それぞれちょっと特徴というか、日本の方がね、よく言われますけど、
こうフラットに走れるロードセクションとかもありながら、
おっしゃった停止サーチみたいなものすごいアップダウンの連続みたいな。
そう、険しい。
こうウエットな感じとかね、またちょっと雰囲気がね、違いますよね。
そうですね、全然違いますね。
日本の話を伺いましたけど、2014年のレッドビルについて、その翌年がいわば、またさらなる高みに挑戦されたわけですよね。
やっぱりそれは2014年のレッドウーマンでは、レッドウーマンでは満足されなかったのか、
あるいはまだまだ私やれるという、どういう思いで翌年はグランドスラム、
もう1回レッドウーマンになられて、さらにもグランドスラム、グランドスラムオブウルトララーニング、
4つの伝統あるウエスタンステイツなどをはじめとする4つのレース、
アメリカでウルトララーニング界の頂点というか、1つのピーナックルというかね、
それに挑もうという、やっぱりもうかなり決意は堅々ということなんですか、どういう経緯がそこに。
だいたいウルトララーニングをやる人って、100マイルやる人って、
まずはウエスタンステイツのラトリーに行って、当たったらもうやろうって考えると思うんですよね。
もうウエスタンステイツに入れなかったらできなかったんですよ。
今ね、状況変わって、ウエスタンステイツに入ったから全部入れるっていうわけじゃなくなってしまったんですよね。
ここ何年か前に。ただ私の時は、ウエスタンステイツに入れた時点で、
グランドスラムをやろうと思えば、バーモントとレッドビルとワサッチは、
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レースディレクターにお願いしてすれば、融合してもらえる。
グランドスラムのフィーみたいなのがあって、それを払ってやりたいと言えば入れてくれるっていう、そういう形だったんですよね。
だからウエスタンステイツだって滅多に当たらないんですけど、当たったんで、これはもうグランドスラムやるしかない。
そこがキーになった、フックになったということですね。
日本人の有名なプロの方とかの名前とかは知らないですよ。アメリカのプロの人は何人かは知ってますけど、
もう皆さんすごい知ってるので、びっくりしちゃうんですけど、私あんまり太いんですけど、
日本人で2人グランドスラムをやった方がいたんです。石川さんですか。
2人でやったと思うんですね。私がやったら3人目だと思って。
女性はまだいない。
それも自分でそういうふうに思ったわけじゃなくて、誰かがそう言うんですね。
私はあんまりリサーチしないのでわからないんですけど。
ジェンコさんがやったら3人目ですよって。
女性はまだいませんよ。
それは頭の後ろに置いておいて、ただやりたい。
その時にたまたま私がヘアスクラブでパーソナルトレーナーをしてるんですけど、
クラブに来てるランナーで、彼もすごい安いと思うんですけど、
グランドスラムをやるって言ったら、レッドウーマンやらないの今年?って言って、
彼もレッドウーマンをやるんですよね。
前来2014年にやってて、
じゃあレッドウーマンやらないの今年?って言って、
レッドウーマンとグランドスラム一緒にやった人、たぶんいないと思うよね。
男も女もとにかく誰もやってないよって言うんですね。
それで、え?って言って、じゃあやる?って私が言ったら、やんなよ!みたいな。
その彼だけが、やれやれって言うんですね。
じゃあやろうか?みたいな。
でも考えてみたら、レッドビルの100のランニングがオーバーラップしてるんですよね。
一応そこでリンクしてる。
リンクしてるから、余計にやらなくてもいい。
品調を見てみると、全部うまく合ってるんですよ。
重なってなかったんですね。
一番最初のレースが、ウェスタンステイトの100にトレーニングを合わせれば、
あとはリカバリー、リカバリー、リカバリーでいけば、
48:01
とにかく体をそこまでに作ってしまえば、
あとはリカバリーしながらフィニッシュすれば、
マウンテンバイクだけを心配しながらやればいいかなって、そういう感じで。
でも周りにいるアメリカ人のお友達なんかには、
こう呼ばれて、純子ってね、グランドスラムを甘く見るんじゃないよ。
うまいんだった方がいてね。
彼女はすごく早いんですよね。
グランドスラムで1位だったかな。
私も1位だったかな。結果的に。
でも私の場合は違うんですけど、違う意味で1位になってしまったんですけど、
彼女はすごく早いんですよね。
それでグランドスラムを甘く見るんじゃないよって。
どっちに肘を置くの?みたいなことを言われて、
レッドウーマンは去年やったからいいじゃんみたいに言われたんですけど、
私の第一パイオリティはグランドスラムだけど、
レッドウーマンは去年やってるから、
もし体が疲れてダメであれば捨てるから心配しないでみたいなことを言いながら、
やめるわりもなくやってやろうじゃないかみたいな感じで望んでいったんですよね。
でも結果的に皆さんすごいところ言うんですけど、
6月までに体を作ってしまえば、その後は走ってリカバリして、
バイクは少しインパクトが少ないでしょうね。
そういう感じできちっと食べて寝てってやれば、
体のメカニックは膝が痛いとかそういう怪我がなければできないこともない。
その辺はまさにお仕事のトレーナー、パーソナルトレーニングとか、
ご自身もトレーナーとかされてる経験から得た、
そういうのもやっぱり大丈夫っていうような自信につながってたっていうこともあるんでしょうね、きっと。
でもこの50%、50-50のところをやるのに、
できるかできないか半分半分だなっていう時に、
そのチャレンジの楽しさっていうか、あるなって。
それを楽しんで、そのチャレンジをね。
一個一個楽しんでやってましたね。
見せるとか、1位にならなきゃいけないとか、
そういうことは一切なく、自分の中でそのチャレンジを
フィニッシュしたいっていう、しなきゃいけない、したいっていう、できるっていう、
それだけが楽しくてやってた、あれですね。
けど多分想像するに、さっきチーム巡行っていうこともおっしゃったし、
また翌年にはスポーツマンオブクロラドっていうような形で注目も浴びるっていうことは、
多分ご自身はそういうふうに自分の思いつきというか、何かのきっかけで始まったことだけど、
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だんだんいろんな人が助けてくれたりとか、応援してくれたりとか、
取り上げて話題に知らない人が声かけてくれたりとか、
多分いろんなことがあって、だんだん自分だけの話じゃなくなってったみたいなこともあったと思うんですよね。
自分の中でどんどん大きくなってきて、これは楽しいぞみたいな。
でもなんかこう、できないんじゃないかなっていうのはあまり思わなかったですね。
できるかできないかわかんない、本当に未知の世界ですけど、
できないっていうふうにネガティブなことは一切その時は考えてなかったです。
プレッシャーは感じることがなかったっていうことですね。
プレッシャーはない。自分の中でのチャレンジ、やってやるぞみたいな、頑張るぞみたいな。
すごい楽しかったです、その時。今考えれば、本当に。
いろんな人とお友達になれたっていうか、東海岸の方にたくさん日本人のウルトラランナーがいるんですよ。
そういう方たちとたくさんお友達になれて、今はずっと。
ブアーモントとか、地理的にアメリカをもう西から東へ疑ってるから。
助けてもらったり、こっちに彼らが来た時は一緒に助けたり、
いいお友達関係ができたっていうのもあるし、すごい楽しかったですね。
プレッシャーっていうか、一つ私の場合は、私はエリートランナーでもないし、スポンサーされてるわけでもないし、
ローカルなランニングショップのチームに入れていただいて、
シューズをもらったりする程度のアンバセダー的な存在なので、
例えばプロで100%スポンサーされてるとか、お金いただいてるとか、
そういう早い、勝たなきゃいけない方とのシチュエーションが違うっていうところも、
なんとなく楽しめてるっていうところの違いだと思いますね。
私でもカズカさんのお名前をいろいろ知るようになったきっかけっていうのは、
グランドスラム、レッドウーマン、ダブルとか、そういうところでか、
メディアでもいろいろ話題になって、いろんな人の口に昇るようになってきたっていうことがあったと思うんですけど、
やっぱりそういうのは、ご自身でも、それで自分の走りが、生活が変わることはないのかもしれませんけど、
同じ走る上でも、周りの声を受けて挑戦を終えた後、
2016年から今に至るまで、何か自分の走り方、生活とか変わったって思うことはありますか?
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あるいは何も変わらないですかね。
そうですね。基本的に自分の中ではあまり変わってないですけど、
ちょっとでもやっぱりね、雑誌のインタビューが来たり、
ちょっとストーリー載せたいんだけどとか、話が来ると、「え?」とか、ちょっと嬉しい。
プロの方とかって、やっぱりそれが仕事じゃないですか。
私は仕事じゃ、レクレーショナルなランナーなので、
そこでそうやっていただけると、ちょっと注目されてちょっと嬉しいなみたいな、もっと頑張ろうとか、
そういうような意気込みはありますけど、
でも基本的に私、例えばレースとかに行っても無名だし、
あまり何も自分で頑張るだけで、
最近何年くらいかわからないですけど、やっぱり100マインドか走ったらね、這いちゃうんですよ、途中で。
よくありますよね。私もよくね。
そう、そういうのもね、本当に未熟だなと思いながら学ぶことが多いので、
もう本当に自分の中では未だに、ベテランって言えるかどうかも分からないというか。
まだ初心者じゃないけど、まだまだ。
方法があったら教えてちょうだいみたいな。
今年になってから、アンバセラーにちょっといろいろ出してみようと思ってお願いしたら、
今入っているローカルなランニングチームの中の人たちとかすごい協力してくれて、
すごいよくしてくれるんで、そういうのはすごいありがたいなと思って。
いつも観察しながら、私なんといろいろいただいたりして。
カタゴニアの映像、あれも去年の秋でしたかね、公開されたのは。
そうですね、びっくりしましたね。
あれはかなり見た人多かったっていうか、大きなウェブライブだし、そんなことないですかね。
アメリカでは結構、ソーシャルメディアで出してみんないろんな人がシェアして、
私も話をしてたんで、フィルム撮るんだっていう話をしてたんで。
でも日本でもいきなり、ちょっと日本人の方で日本に住んでる方で、
レッドビルのレースに来たときに、ちょっとお世話した方がいきなりメッセージで、
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カタゴニアのウェブサイト見てたら純子さん載ってたとか言って、
えーって思って見たら、日本語にちゃんと訳してて、
ちょっと嬉しいって。
昔からカタゴニア好きなんですよ。
ほら、着てますけど。
着てらっしゃいます。
私も一応古いやつですけど。
カタゴニアの服が大好きなんで、すごい話したときには、えーなんてすごい嬉しかったです。
ちなみに私もグランドスラムの後の純子さんのリザルトとか見てたんですけども、
2017年は100マイルとかそういうのだけ見ても、レッドビルもしっかり、
ウルトラフィールド、アルテンジン、
ビッグホーン、2018年のユーレイ100、ヘルゲート、去年はビッグホーン、
でまたレッドビルトレイルド、100マイルとか100キロだけを取り上げただけで、他も多分いっぱい走ってらっしゃる。
全くそういう意味では挑戦続けていらっしゃるんですけれど、
これから、今は足元はちょっとコロナウイルスの話もあって、しばらくね、なかなか走るには厳しい環境ですけれども、
こんなことしてみたいとか、あれも一回走ってみたいとか考えてらっしゃることってありますか?
そうですね。
このウルトラフィールドですね、パタゴニア、このレースはまたちょっとユニークでね、
かぶらぎさんが走ってらっしゃるよね、あのビデオを見たんですけど、
この年だけ私が走った時、天気が良かったんですよ、また。
そうなんですか、ラッキー。天気がもうひどいっていうイメージが、そういう意味で有名っていうレースですよね。
100マイルが100キロになったり、それずっとしてたのに、私のレースが行った時は100マイルちゃんと走れたんですよね。
すごいユニークっていうか、言ってみたら膝まで来るような泥の中をひたすら何マイルも何マイルも走る。
道標もあまりよくわからない、迷い症になった時もあったし。
でももう一回ぐらい走ってみたいなって将来思う。また戻って行きたいなみたいな。
コースがちょっと変わってるみたいなんですよね。もう一つピークが出てきたみたいなことを言って、この時に女性で2位になったので、
結構向こうのオフィシャルの方からまたいらっしゃいとかいろいろ言ってくれて、
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一応プロモーションするのもこっちでセミナーみたいなスライドショーみたいなのをしたので、
ちょっと愛着が少しあるかなみたいな。将来思ってるんですけど。
ものすごい厳しければ厳しいほどなんか惹かれるものが。そう聞けば興味が出てくるみたいな。
そうですね。
それもまだ頭の後ろにあるんですけど、今年またUTMBをまた走るんですけど、レースがあればの話ですね。
もちろん。
これね、私一応3回目なんですけど、1度目は完走して、2度目にこのUTMBこの一つ、
唯一のDNFだったんですよ。この2018年か。唯一のDNFだったんですね。
雨が降ってて吐き気が25マイルでスタートして、そこから飲まず食わずで75マイルまで行ったんですけど、ちょっとダメだったんですよね。
その唯一のDNFが頭に引っかかってるので、どうしてももう一回やって綺麗にしたいなと。
だから今年また走れなかったらまたやらなきゃいけないかなみたいな。
あとね、去年の秋に私トルデジアン200マイル、初めてのトルデジアン200マイルっていう距離を走る予定だったんですよね。
ところが本当悲しい話なんですけど、母が8月の終わりに倒れまして、
日本に行ったり来たり、それでトルデジアンも行かない方がいいのかなと思ったんですけど、一応行ったんですよ。
日本から帰って行って、ジュネイブの空港から車で移動する予定だったんですけど、
ジュネイブに着いた時点で、やっぱり母が来てくれたって言うんで、そのまま日本に帰ってきて、結局DNS、Did Not Start、捨ててしまったんですけど。
だからいつか、あまり年を取ってしまわないうちにもう一回絶対に行きたいなと。
トルデジアン、それは本当に母が亡くなってしまって、今すぐ走るかったら走れないと思うんですけど、そのうち気持ちも整理がついて、やっぱりもう一回戻って、もう一度走りたいなって思いますね。
あとやっぱり世界中のトレイルを、いろんな綺麗なところを走りたいなって将来思っているんですけど、なかなか海外に行くのって難しいでしょ。仕事もやすい。
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ただ、それをもっとリサーチして、同じところばっかりやるのもいいんですけど、ちょっとまた海外に行って、もう素敵なところを走ってみたい。
それがやっぱり一番トレイル、100マイルとか走る、それも足で入っていくっていう、そういう素晴らしさをね、もっと満喫したいなと思うし。
あと、アカンカグアに登りたいんですよ。南アメリカ最高峰ね。登りたいっていうあれもあるんで、去年、一昨年か、U-10Bにフィニッシュできなかったときに、モンブラに登って登頂して。
登頂されたんですか?
登りました。
すごいな。
次はアカンカグアかなって思ってるんですけど、キリマンジャルは昔に登って、エビレストとかはとてもそんなレベルじゃないですけど、アカンカグアは登れるかなって思って、それも一応タイミングを見て、あんまり年取らないうちに。
ちょっと時間があまりないんでね、私の場合。
水平移動じゃなくて、垂直移動もまだやりたいんですよ。そっちの方向を極めたいと。
そうですね、今100マイルを18個完走して1個GNFAなんで、本当に200マイル走ってみたいですよ。今年も本当はMOABの240にサインアップしたかったんですけど、もうトレイルランニングワールドはすごいですね。もうソールドアウト。すべてがソールドアウト。ちょっと躊躇したらもうないです。
なるほど。
そのときの気持ちの決意というか、お腹に立ったらすぐポチっとやっとかないとっていう。
今ちょうど足元のことで言うと、コロナウイルスのことがあって、ロックダウンとかシェルターインプレスとかいう話があると、たぶんじゅんこさんのクライアントの方なんかでも、直接はお話できない、どういうふうに家の中で何したらいいんだとか、
いろいろなこととか聞かれたりとかアドバイスされたりすることあると思うんですけど、例えばそういう状況でやる人、多くの人はそうなんですけれども、どんなこと、ウルトラランナーとしては、こんなことしたらいいよとか、こんなこと気をつけたらとか、もしアドバイスいただけたらと思うんですけど。
1:06:08
そうですね。一応、ロックダウン、ステイホームオーダーが出たんですけど、エクササイズのために外に出るのはOK、許されてるんですね。そちらもそうですよね。
そうですね。人混みを避けてね。自宅から出て走るのには。
やっぱりそれを利用してですね、ランニングは常に今続けてます。でも家の周り、あとちょっと私の場合はラッキーで、ちょっと車で10分くらい行ったら結構トレイルがあるんですね。
そういうアクセスもあるので、そういうアクセスがあると、やっぱりある方はそういうところでちょっと走ってね、エンデュランスとかそういう意味でいいと思いますし、あとやっぱり自宅の中になると、やはりバディウェイト、自分の体のウェイトを使ったスクワットですとか、ランチですとか、あとヒップのエクササイズ、体幹のエクササイズですね。
そういうのにフォーカスして、ここの今のこのね、家にいなければいけないっていう時間を使って、そういうのを徹底的に鍛えたらいいんじゃないかなってみんなにアドバイスしてます。
それでフェイスタイムとかZoomとか使って、クライアントとサイバートレーニング、バーチャルトレーニングをしてます。
そうなんですね。
そういうふうに今お話してるみたいに。
これで何回やったとか、今何やってとか。
そういうのを最近やったり、あとパーク、公園で待ち合わせて、やっぱりそのソーシャルディスタンスって言って、6フィート離れましょうって。
グループではなくて1対1、2人なら離れながらも、何だろう。
声をかければ届くぐらい。
そう、フワッとしたり、ちょっとディスタンス話しながら、そういうトレーニングをもしてますね。
なるほどね。
だからできるだけクリエイティブになって、Zoomを使ってね、何人かをインバイトして、コアのクラスを作っていくとか。
そういうこともできるんですね。
そういうこともね。
5人とかいて、じゃあこれやって、これやって、あなたももうちょっと低くしてとか、そういうことに。
こういうのもできますしね。
やはりこのテクノロジーを使って今何でもできますよね。素晴らしい。
ちょっとテクノロジーにやっぱり疎いので、年も年だし。
だからもう本当に教えてもらいながら、そういうのを活用して、皆さんにトレーニングを続けていただこうと思って、今必死で頑張ってます。
私のフェイスブックとかインスタグラムの中で、1日1個くらい、1個か2個くらいエクササイズのビデオのクリップを載せてるんですよ。
1:09:12
そうなんですね。
見てもらって、このエクササイズやったことないとか、ちょっとアイディア的に、そういうのを見て家でやってもらえると嬉しいなと。
なるほど。
それどんどん、この2週間、3週間、いつまで続くかわからないんですけど、その中でそういうのをどんどん投稿していこうと思ってやっています。
このポッドキャストの中で紹介させていただきます。リンク貼らせていただきます。
分かりました。ありがとうございます。
すみません、話、私盛り上がってしまって、いろいろありがとうございます。
どうもありがとうございました。またこのお店にいらっしゃることがあったら、ぜひ連絡ください。
ありがとうございます。
このポッドキャストの番組としては、ひとまずここで終了したいと思います。
今日お話しがかかりましたのは、コロラドオフィシュー、ネデンバに今お住まいでいらっしゃる、カッカージュンコさん、アメリカのウルトラランニング界のレジェンドの一人と言っていいと思いますけども、カッカージュンコさんとようやく私もお話しさせていただくことができて、いい時間を過ごせました。ありがとうございました。
ありがとうございました。
01:10:46

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