1. エンジニアトーク「ROLE MODEL」
  2. #10 テスト自動化サービスの世..
2020-09-18 23:37

#10 テスト自動化サービスの世界展開を目指すエンジニアのストーリー


ソフトウェアエンジニアとして日本、シンガポール、サンフランシスコにて10年以上ソフトウェア開発に従事。
2016年にAutify, Incを米国にて創業。
2019年1月米国トップアクセラレーターAlchemist Acceleratorを日本人として初めて卒業。

テスト自動化サービスは多くの企業がチャレンジし失敗した領域、その中でAutifyは着実に成長している。
その成功の秘訣はなんなのか?米国アクセラレーター等での、
テックカンパニーの成長ストーリーをお届けします。

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長かったっちゃ長かったんですけど、とはいえ、目標に対しては着実に前に進んでるとは、どのタイミングでも思ってたし、どのタイミングでもやっぱり充実してたし、
もうちょっとその15年を縮める方法もあったとは思うんですけれども、全てのタイミングに意味があったし、そういう意味では、僕の人生はこうなんだなという感じですかね。
割と遅咲きタイプだと思うんですよ、僕は。
そう話すのは、今回のストーリーの主人公、近澤さんです。
こんにちは、ナビゲーターの熊谷陽子です。
ロールモデルは、エンジニアのキャリアストーリーを紹介し、エンジニアとしてのキャリアプラン形成に役立つ情報を伝えるポッドキャストです。
今回は、アメリカで起業したエンジニアのストーリーを紹介します。
彼はいかにして今のキャリアにたどり着き、どのようなものを開発しているのでしょうか。
オーディファイという、AIを用いたソフトウェアテスト自動化のプラットフォームを開発している会社の代表をしております、近澤と申します。
巷ではバーニング近澤と呼ばれることもあったりするんですけれども、
これは僕が顧客のバーニングニーズを解決するという記事を書いて、それがバズったので、バーニングニーズ近澤からバーニング近澤みたいなプロレスラーみたいなリングネームを与えられたりしていて、
僕はもともとエンジニアとして10年以上、実際、高度顧客開発に携わってきまして、特にウェブのフロントエンドは長かったです。
アメリカ、サンフランシスコとシンガポールと日本の3カ国で働いて、エンジニアをしてきたという経験から、ソフトウェアのテストがどの国においても非常に課題が大きくて、
グローバルな課題、かつエンジニアにしか解けない課題であるというところで、このOTIFYを始めるに至ったという感じです。
そんな近澤さん、どうしてエンジニアの道に進むことになったのでしょうか。
ずっとギターやってて、大学の時は音楽付けでバンドを組んでライブしてレコーディングしてみたいなことをずっとやってて、
ただ、大学ではプログラミングをやっていて、フラッシュというのも個人で趣味でやってて、音楽ってやっぱり僕の才能が足らなかったっていうことでありますけれども、
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バンドでやっていくのには複合的な要因が多すぎて、なかなかお金にもならないし難しいなというのがあって、
この曲を出したらやべえだろうみたいな、そういうものを作っているときのワクワク感ってあるじゃないですか。
エンジニアとかもそうだと思うんですけど、このプロダクトやべえだろうとか、この機能を出したら世界変えられるんじゃないかみたいな、そういうワクワク感が味わいたかったですよね。
ものづくりの魅力に取り憑かれたという近澤さん。卒業後はDNAに入社します。
DNAだから行った理由は、エンジニアとしての総合スキルも学びたかったし、
ビジネスの面でもすごい成長している会社だったので、そういうビジネス的なマインドも身につけたかったっていうのがすごいあって、
そういう意味ではすごいいろいろ達成できましたね。今までってFlashしかやってなかったし、FlashとWebのフロントエンドのJavaScriptしかやってなかったけども、
バックエンドとかまで深く関わって全体的にやれたし、ビジネスとしてもDNAのカルチャーってエンジニアだから作っとけみたいな感じじゃなくて、
全員がその事業の企画に参加して、どういうものを作ったらいいかっていうのをディスカッションするので、そういう意味でもその感覚がすごい描けたし。
ちょうどスマホへの移行期でもあった当時、ゲームの開発事業にも関わりました。
海外に関わりたかったので、海外のプロジェクトにアサインしてくださいっていうのを掛け合って、そこで海外事業のチームに移って、
最終的にブラッドブラザーズっていう、それがDNAの実写の海外のタイトルとしては、その当時一番大きく成功したタイトルで、
世界33カ国で、Googleがプレイストアで1位になったりとかして、そこの最初の主にフロントエンドの設計っていうところをリード取らせてやらせてもらったりとかいう感じで、
自分の強みとかやりたいことみたいなのはすごい活かせたし、達成できた良い環境だったなっていうところですかね。
DNAで近沢さんが得たものとは?
やっぱり伸びている事業で、その事業について考えてトライアンドエラーをするっていうのが、やっぱり何よりも得がたい経験だったんじゃないかなと思っていて、
伸びている環境で、こうやれば上手くいくって、それが上手くいけばすごい良いし、上手くいかなくても学びがすごい大きいわけですよね。
結果が出るか分からない状態でもがくっていうのはやっぱり苦労というか辛いというか、ついついまでにこれを作って出さなきゃいけないっていうのって、
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ある程度の仮説があるわけじゃないですか。その仮説通りに上手くいくかどうかも分からない中で、そのハードな目標に対してコミットし続けるっていうのは大変ではありましたよね。
DNAで花々しいキャリアを飾った後、彼はシンガポールに渡ります。
Wikiという会社にプロダクトマネージャーとしてジョインしました。
主にやってたのは、Wikiってどういうサービスかっていうと、ネットフリックスみたいな動画の配信のサービスなんですけど、その字幕をユーザーが翻訳するんですね。
アジアのコンテンツがメインなんですけれども、特に多いのが韓国ドラマとかなんですけど、韓国ドラマって世界中にファンがいて、それをユーザーが翻訳するというのが一番大きな特徴で、翻訳コミュニティに対するツールを開発してました。
実際にシンガポールで、日本人本当に楽天が買収した会社だったので楽天から何人かいらっしゃってたりはしてたんですけど、本当に同僚は全員非日本人で、僕は現地で採用されて、ただ一人の日本人エンジニアとして働いてたので、全部当然英語でやるんですよね。
っていうのが初めての環境で、ミーティングもやっぱり最初全然ついていけなかったですし、みんな何言ってるかわかんねえみたいな、急に話題振られたけど俺何言ってるかわかんねえみたいなのがあって、最初の1年ぐらいやっぱりその英語がうまくやっぱり使えなくて、すごいなんていうかパフォーマンス出し切れてないなみたいなのは苦しかったですね。
そんな状況をどのように打破していったのでしょうか。
シンガポールって国自体が3割が外国人とかだったりするので、美希自体もシンガポール人っていうのがあんまりいなかったんですよ。みんなだから英語は別にネイティブじゃないんですよ。
っていう中でいろんなみんな英語好き勝手に話すっていうのが、それもそれで大変だったんですけど、逆に言うと僕が言うしっちゃかめっちゃかの英語もやっぱり汲み取ってくれる、そういう許容力があった。
あとだからわかんないことはわかんないって言いましたね。だからちょっとミーティングでこれさっき何言ってたのみたいなのを後で同僚に聞いたりとかして、ちょっとわかんなかったんだけどこれ何言ってたのみたいなのを聞いて、できる限りわかんないことはわかんないって正直に言って助けてもらうみたいなのは心がけてましたかね。
こうして迎えた2年目のことでした。
2年目ぐらいから自分をプロダクトマネージャーとしてミーティングをオーガナイズしたりとかし始めて、ある程度自分が言いたいことは言えるようになったし、場をそれなりにまとめてみたいなこともできるようになってきて、自分のエンジニアリングというバックグラウンドがありつつ英語もある程度できるようになって、
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その時点で怖いもんなくなったなと思って、世界中どこ行っても仕事がないことは絶対にないし、世界中で世界どこに行っても勝負できると思った。だから日本にずっといると、世界のエンジニアリングレベルってどうなんだろうとか、自分ってどういう位置にいるんだろうみたいなのってわかりにくいんですけど、
実際働いてみて、フロントエンドの領域とかだったら、それなりにいけてるぞ俺っていうふうに思えたし、日本のエンジニアリングレベルって非常に高いですし、別に海外のそれと全く引きは通らないと思うんですよね。
自信をつけた近澤さんは、さらなるキャリアアップを求めてシンガポールを離れる決断をします。
最終的にはサンフランシスコというかベイエリア、シリコンバレー、サンフランシスコのベイエリアで働きたいというゴールがあったので、まずはシンガポールという形でシンガポールに行った。
ビキンの中でサンフランシスコに行かせてもらえればすごい良かったんですけれども、サンフランシスコの方からエンジニアが撤退しちゃったので、全員シンガポールで行くというふうに決まったので、そこの道が閉ざされちゃったんですよね。
どうやってアメリカに行こうかなというのを考えて、いろいろ可能性を模索して、最終的にサンフランシスコに行く機会があったので、その時にまたいろんな人と話をして、アメリカに行きたいんだけどどうしましょうかというので、いくつかオファーをありがたくいただいて、
その中の一つとして、ビキンのファウンダーのアラズミックという人から、それだったらうちに行きなよと。そこはまだ立ち上げ期で、その当時でまだ社員が10人もいなかった感じですね。だから最初の5人、6人目ぐらいのところにエンジニアとして入って、いろいろやってたという感じですね。
しかし、ここで働くうちに近澤さんに迷いが出始めます。
なんでこの街にいるのに俺は起業してないんだろうなみたいな。
ちょうど実は妻が妊娠をその時していて、子供が生まれるタイミングになったんですよ。子供生まれていろいろ学校に行き出したりすると、なかなかチャレンジできないじゃないですか。
なんでアイデアもあって、そういう環境とかネットワークもあって、自分のプライベート的なタイミングでもこれがラストチャンスかな、やろうと決めて、そのままそこで登記して、その翻訳のビジネスを始めて、スッタモン出して、さっきの話につながってオーディファインディアが出て、今に至るという感じですね。
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こうして起業した近沢さん。滑り出しは順調だったのでしょうか。
そこは全然順調じゃなかったですね。
一番最初のプロダクトを出して、ウェブサイトの翻訳をコミュニティでやっていくツールだったんですけど、ロッキーっていうサービスを作って、プロダクトハウンドとかに出して、プロダクトハウンドとかで盛り上がって、そこからユーザーとかどんどん来ましたけど、結局思ったように活用されなくて。
ここで思い切った決断をします。
翻訳の延長で何かできないかとか、ドキュメントを作るところからやって、CMSっぽいものを作ろうみたいな、そういうのもトライしたし、いろいろやったんですね。
ただ最終的には翻訳をやめようというので、テスト自動化をやろうというところにたどり着いた感じですね。
なぜテスト自動化をやろうと思ったかというと、自分は翻訳とはエンジニア向けのツールを作っていたし。
翻訳事業からは撤退し、テスト自動化事業への挑戦を決断します。
参考にしたのはこの頃出会ったスタートアップアクセラレーターでの教えでした。
エンジニアの課題はよく分かっているし、逆に他は分からないので、エンジニアが困っていることを解決しよう。
なおかつ翻訳のツール指示は小さかったので、スタートアップとして登る山を間違えるとチームがいくら優秀でも絶対に伸びないので、
登る山を適切に決めるというのはものすごい大事なこと。
でかい指示を狙えと。でかい指示を狙ってそこのバーニングニーズを解決すれば、やり方が間違っていても変えてなんとか成功させることができるということが言われて、
でかい山を登るというのってものすごい大事だなというのはその時すごい痛感したんですよね。
こうしてテスト自動化への道を進み出します。
ここで今までとは違った角度からのセールスを試みます。
作っては売れない、作ってないということを繰り返している。
中で作るのは最初にやめようと。最初にセールスから入らされたんですよね。
B2Bのアクセラレターなので、顧客に対してもとにかくそのコールドメールを大量に送って、
アポ取れと。でアポ取ってニーズヒアリングして何が欲しいのかを探り出せと。
それに対して開発をしていけというのが一番最初のアドバイスで、
僕のやっぱり今までやってきたことと完全に逆。
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しかもだから周りの同期たちはもうガンガンそうやってセールスをしていってアポ取ってどんどん契約取っていくわけですよ。
やべえやらなきゃってなって、俺は今日からエンジニアじゃないと。
それまで僕はエンジニアだったんですよね。その日からとにかくメールを送りまくると。
大量にコールドメールを送りまくってどんどんアポ取って、
というのでヒアリングをしまくって、その時も100社ぐらいやっぱりしてたので、
それをインタビューノート見返して、その中で言われてた課題、
こういうの困ってる、こういうの困ってるってやつ。
課題を何が欲しいじゃなくて課題を抜き出してスプレッドしてバラバラって書いていって、
何回言及されたかみたいなのをカウント取って、そのカウント順に相当して。
相当すると結構同じことが言われてたんですよね。
1個はテストを自動化するときに、そもそもやっぱりスキルがいるし、
スキルがある人取れないので、自動化そもそもできないよねみたいな。
っていうエンジニア不足っていう課題があって、
もう1個は1回自動化したとしても、アジャイルなんでメンテナンスしきれないっていうのって、
ほとんどの組織で言われていた。
逆にこれを解決するソリューションがあれば、
めちゃめちゃこのビジネスでかくなるんじゃないかなっていうところ。
それを見つけたその晩に、その課題をスライドの中に入れて、
こうやって解決しますと。
ノーコーディングで誰でも自動化できます。
AIがメンテナンスします。こういう感じですっていうデモの動画を作って、
持ってったら買いますってなったんですよね。
というので、そこで実際にプロダクトない状態でケアが取れて、
そこから急ピッチで開発を始めて、
それで2019年の3月にオーティファイのベータ版を出して、
10月に正式版を出したんですけれども、
そういうところでオーティファイに行き着いたという感じですね。
実際にプロダクトがない中での契約。
本当にそのプロダクトが作れるのか、不安はなかったのでしょうか。
技術的にできるできないっていうのははっきり分かるんですよね。
そこがエンジニア経営者の強いところかなと思っていて、
僕はその確実にやれるっていうのは、
自分も作れって言われたら時間があれば作れるのは分かっていたので、
あとお客さんも当然不安に思いますよね。
ただそこは僕がエンジニアとしてこういう実績がありますとか、
アルティミストアクセラレーターっていうところ卒業したきちんとしたスタートアップですよとか、
あとは僕の知り合いのネットワークとかで営業したりとかもしたので、
この近澤っていうエンジニアとしてちゃんとある程度実績も出してる人間だし、
大丈夫だよねっていう信頼を獲得するっていうのも、
一つプロダクトがない状態で契約を獲得する上では
すごい大事なポイントの一つかなって思いますね。
テスト自動化は多くの企業がチャレンジしている分野。
近澤さんたちオーティファイはどういった技術で差別化を図ったのでしょう。
うちがダイレクトに競合だと考えている会社は2社ありまして、
そこに対してうちはどういう差別化を図っているかというと、
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うちは本当にいいエンジニアでも使えるよというところが一番大きくて、
セットがある程度取れているからゆえ、
要はこのくらい知っているでしょうみたいなそういうインターフェースなわけですよ。
海外のサービスって。
とはいえ、だからそういう会社ですよ。
割と進んだトップテックの会社とかだったらアメリカでもそうですけど、
とはいえそうじゃないところもいっぱいあるので、
日本とか特にそうだし、
エンジニアの知識がないと使えないツールってやっぱり最終的にはスケールしないと思っていて、
僕らも本当シンプルにいいエンジニアの人でも誰でもその日から簡単に使えて、
クロスブラザーでテストできてAIがメンテナンスしますよというところは、
お客さんも比較していただいてもそういうところオーティファイ強いよね。
やっぱり使いやすいのでオーティファイ使えますみたいな
言っていただけることは多いです。
こうした努力ができたのもこれまでのキャリアがあってこそでした。
そのトライアンドエラーってなかなか経験したことある人って少ないですよね。
だからフロントエンドとかもやっぱりすごい基礎が分かってないと作れない。
なんでこのブラザーってこういう挙動してるんだっけみたいなのって、
本当になんかそのW3Cの仕様を知らないとなんか思いつかないようなこととか起きたりするんですよね。
だからうちは結構このフレームワーク使えますとか、
こういうアプリ作れますみたいなスキルってあんまり見れなくて、
どんだけこの人ファンダメンタル知ってるのかなみたいな話で、
真の実力を測る感じになってますね。
すごい技術的チャレンジも多いし、なかなかだから作れないというところで、
努力を申し上げたら面白いですけどね。
面白いと思ってやれる人だったら面白いと思うんですよ。
僕は面白いと思うんですよ。大変です。大変で面白いですという感じですね。
このテスト自動化は徐々に広まりを見せています。
正直まだまだ日本の顧客としては日本が多いです。
ただ海外の顧客が突き始めていて、
多いところだとUnityとかも使ってくれてるんですけど、
そういうところで顧客が今拡大しているという感じですね。
将来的には海外との売り上げは7,3とかにしたい。
7が海外ですね。3が日本。
少なくとも半々。多くて7,3みたいな感じの比率にしていきたいなという気持ちではありますね。
ここに至るまでに15年の年月を重ねた近澤さん。
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今ご自身のキャリアを振り返って何を思うのでしょうか。
難しいですね。長かったっちゃ長かったんですけど、
とはいえ目標に対しては着実に前に進んでるとはどのタイミングでも思ってたし、
そういう意味ではどのタイミング切り取ってもすごく充実しているし、
今ようやくスタートラインなのでこれからまだまだロングジャーニングが待ってると思うんですけど、
どのタイミングでもやっぱり充実してたし楽しかったし、
そういう意味ではもうちょっと15年を縮める方法もあったとは思うんですけれども、
全てのタイミングに意味があったし、そういう意味では僕の人生はこうなんだなという感じですかね。
割と遅咲きタイプだと思うんですよ、僕は。
そんな近澤さん、今後の目標とは。
会社の目標になっちゃうんですけどね。
会社としてはもう本当にどでかい市場の中で正しい課題にアプローチできているので、
本当にマジでユニコーン作るぞというのが長期的な目標ですね。
具体的には2026年までに100ミリオンのARを達成すると。
こういう戦い方は僕は正直得意だと思うんですよ。
長いスパンに対してちまちまと実績を積み上げていって、
大きい目標に達成するというのはもう僕の人生そのものなので、
2Cサービスでドーンと当てて、2、3年で上場してとか、
バイアウトしてイエーイみたいな、そういう人生じゃないので、
本当にここから10年とかかけて、
しっかりと実績積み上げていって、
どでかい会社を作っていくぞというのは、
僕も得意とするところかなと。
全然これから知らないことたくさんありますけれども、
そういうやり方自体が自分の生き方にあっているので、
本当に長い年月をかけて、しっかりと事業を成長させて、
大きくしていくということをやっていきたいなという感じですね。
技術で世界と戦いたい、という近澤さん。
今後のさらなる活躍に注目です。
この番組は、ポッドキャストプロダクション、
ピトパのオリジナルコンテンツです。
番組の感想、リクエストは概要欄のリンクよりお待ちしています。
それではまた次回お会いしましょう。
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