ちょっと保険を賭けにかけて始まるんですけど。
あんな強いこと言ったときに。
そう。言った後不安になっちゃったよね。
以前の収録で、僕らみたいなプランナーとかコピーライター、つまり言葉側の人間がデザイナーさんと組むときに。
ここで結果が出たりいい仕事ができるパターンって共通点があるよねっていう話をしまして。
はい、してましたね。
で、ポッドキャストを聞いてくれた方からそれについて詳しく尋ねられることがあったんで。
この場でちょっとより詳しく谷口さんと深掘りして話してみようかなと思って、お話ちょっと持ち出してみました。
以前話したデザイナーさんとのチームアップが成功するときのある意味黄金率みたいなものっていうのが。
まさにこのコピーライターがデザインを作って、デザイナーさんがコピーを考えたときだったということの話をさせてもらいました。
これを痛感したのがですね、僕がアートとコピーっていう宣伝会議さんがやられている広告クリエイターの養成学校、養成クラスに通ってた時期のことなんですけど。
一応この講座はですね、電通のコピーライターの安倍幸太郎さんという方が主催されてて。
そのコンセプトが、デザイナーとコピーライターが2人1組で組んで、課題や広告書に挑戦するっていう感じのものだったんですよね。
僕はその時コピーライター側として参加してたんですけど、その中でですね、月1回の課題が出るんですけど。
その時に全体で40人くらいなので20組くらいのペアを組んで、その課題に挑んで、また次の課題になったらペアを解散して別の方と組んで。
っていうようなタイクルを半年くらいやったんですけど。
職域が違って、クリエイティブで大事にしているものがまるっきり違うデザイナーさんっていう立場の人と組んで、
1つの作品を作るっていう感じなんで。
これってやっぱり1人でやるのって訳が違うじゃないですか。
そんなチームで広告を作るっていうことのPDCAを高速で回すっていう経験の中で、割と上手くいくパターンっていうのがまさに決まってたっていうところなんですけど。
その講座では毎回ペアを変えて違う課題やるんでしたっけ?
そうです。絶対に同じペアで次の課題にやるってことはない。
それなんか熱いですよね。講座としても。
そうなんですよ。
いい感じになった人とじゃあまた会おうぜみたいな感じで別れるみたいな。
そうなんですよ。それが面白くて。
以前組んだ人も今回も頑張ってほしいんだけど、でもライバルだから次は倒す相手になってるみたいな。
で、なんか自分が片思いしちゃいそうでなんか想像するにこう、めっちゃいいと思ったけど自分よりいい人いたらなんか自分よりそっちの人と今後組みたいってなっちゃうからみたいなジェラシーが燃えそうな。
あ、そう。その気持ちもね、めっちゃありました。
そう、あのー本当に、なんていうのかな。
自分と組んだ時に上手くいったとしても、次自分が上手くいかなくて相手だけが上手くいってたら、あ、じゃあ相手の方が良かったって言葉もかみたいな感じになっちゃうっていう。
引っ張り上げてくれただけで。
そうそうそうそう。っていうことにもなっちゃうから。
まあでもそういういろんな人とやってみる経験ってなかなか実務とかだとないから、それでこうなんだろう、自分の足りない部分とか得意な部分とどう交わってなんかこうものづくりが出来上がるのかみたいなプロセスをいろんなチームでやるってめっちゃいい経験ですよね。
あ、そうなんですよね。まさにまさに。固定チームじゃなくて、あえて解散するっていうことが結構いい刺激になってたんですけど。
このチームで広告を作るっていうことのPDCAを高速で回す中で、まさにこのコピーライターの僕がアイデアの持ち寄りの時に絵を出しまくるっていうことをやってたら、結構上手くハマってたんですよね。
っていうのがなんか結構不思議だったんですけど、このパターンに味を占めて、その後広告コンペとか仕事とかでも使ったら、不思議と結果に繋がって賞をもらえたりとか、提案が通りやすくなるっていうことが多くてですね。
なので、この話を黄金率なんじゃないかということで、仮説として持ち出してみましたと。
一応その典型的な話として、僕がこのコピーライターとしてデザイナーさんと組む時に、最初の目線合わせで一つ宣言をするということをしていて。
それがですね、僕コピーライターなんだけど、そもそも自分、言葉なんて全然読まないし、言葉ってそもそも絵としての引きも弱いじゃないですか。
だから、この絵の方が情報として映えると思うんですと。なので、この言葉がなくても通じる企画が僕は一番強いと思ってるんで、なるべくコピーのないアイデアを持ってきますねと。
で、どうしても言葉がないと伝わらないなって思った時だけ渋々書きますっていうことを宣言してから、チームを組むみたいなことをやってましてですね。
たぶんここはもうかなり谷口さんとは真逆なところが出てるんじゃないかなと。
そうですね。
ちなみにチームアップの時の擦り合わせみたいなのって、最初の目線合わせとか、自分が何作りたくてやってるかみたいな話されたりします?
僕は結構コンペとかもずっと同じ方とチームを組んでやってるパターンなんで、あんまりいろんなADとかアートディレクター、デザイナーの方とそんなにいろいろやった経験値っていうのはないんですよ、実は。
実務ではいろんなお付き合いの中でもちろんあったんですけど。
っていう意味で言うと、そういう仕事も通じて相性が良さそうだなっていう人をくどいて始めたんで、そこをいろいろやってみてどうかなみたいなことはできてないなって思うんですけど、
それゆえにベースがある程度同じような広告が好きだよね、いいと思ってるよねみたいな、そういう価値観が合いそうな人とやってるんで、ある意味それをめちゃくちゃ言語化して最初のマインドセットを整えてからやるみたいなのはやってなくて、
ただ共通点があるとしたら同じで、僕もコピーライターですけど、コンペに関わる時の立場役回りとしては、でもやっぱりアイディアは絵でもっていくこともありましたし、逆にやっぱりデザイナーの人からこういうコンセプトがいいんじゃないかみたいなのもらって、それを僕がライトしていくみたいなこともあったりしたので、
コピーライターだからコピーを考えて、コピーだけを提案して、デザイナーにどんな絵があるっていうことじゃない関わり方を知るっていうところは共通ではあるかなと思って聞いてました。
ちょっとそれ意外だなと思ったんですけど、谷口さんとは以前から何度か話してるんですけど、クリエイターのタイプを分ける上での一つの軸として、ある種、資格優位で物を考えるビジュアル進化と言葉優位で物を考える言語試行者で分かれるよねっていうことって結構言ってきたと思うんですけど、
割と僕はめちゃくちゃビジュアル進化で、谷口さんが言語試行者寄りだなっていう話をしてたじゃないですか。結構言語試行者寄りだなと思っていても、絵で提案するっていうことも結構あったりするんですよね。
絵だけっていうのはもしかしたらあんまりないかもしれない。そこが違うのかもしれないですけど、このコピーとこういうビジュアルでこういうことを伝えたいっていうことを案出しの時点で出して、それをデザイナーの人にこのシチュエーションじゃなくてもいいけど、こういうことを伝える上での一番いい絵を考えてみてほしいみたいなことを投げかける上で、
目指したい方向性を提示する最初のアクションとして、自分に思いついている絵はこれですっていうのを一回見せるっていう意味で出しているっていうのが近いかも。
なるほどね、なるほどね、そうかそうか。確かに確かに。言葉を最初起点に考えてたとしても、ちゃんと絵の領域まで踏み込んで、自分の中のイメージっていうのは共有しているっていうことなんですね。
確かにそういうことなんだろうなっていうふうにまさに思ったんですけど、今、種口さんが言語志向者寄りだとすると、僕はかなりビジュアル進化寄りだなっていうふうに自分でも。
さっきの発言がもう、それ以外の何者でもなかったですね。
そうなんです。デザイナーさんの発言。
絵しか出しませんみたいな。コピーは渋々書きますよ。そんなコピーライターアッサンしたくねーわみたいな。人によっては。
そう思うながらで、結構恐る恐る言うんですけど。
でもすごい良いですよね。アイデアを持ってくるところのパワーが強い企画を僕は持ってくるよっていう宣言でもあると思うんで。
あれもそうですね。逆に言うと、言葉がいらなくても伝わる企画を持ってくるからって宣言しちゃってるから、それは絶対やらなきゃいけないっていう責任感がそこで生まれるじゃないですか。
そこを何とか自分のモチベーションに変えてるみたいなところもあるのかもしれないですけど。
自分に楔を打ってね。
そう、楔を打って有言実行しなきゃいけないっていう。
ビジュアル進化としては、人が自分の書いたコピー、言葉を読んでくれるっていう実感が、自分が読まないから全然抱けないんですよ、そもそも。
もちろんこれ良いコピーが書けないからっていう、自分の実力不足なところの問題はめっちゃ大きいんですけど。
それはあえて棚に置いといて話を進めると。
あえてね。
このアイデアを持ち寄る時って、自分たちの言いたいメッセージを表せそうな、ある種画力のあるモチーフ、絵字からなるモチーフとかデザインっていうのを、拙いながら素人のことを自分で作って、それをもう絵として持っていくっていう案が僕はめちゃくちゃ多いんです。
そこにもう言葉が載ってることは結構少ないっていう。
その中でデザイナーさんが、「いいっすね、これ!」っていうふうに反応してくれて、その場でさらっとデザイナーさんが資料上に仮で言葉を置いてくれたりするんですけど。
一旦こういうコンセプトだよね、みたいな。メモ書きみたいな。
そうですね。まさに解釈、受け手としてデザイナーさんが感じた解釈を言葉で一旦載せてくれるみたいな。
それがもうめっちゃコピーなんですよ。
めっちゃコピーやんと思って。僕はそんなこと思いついてなかったんだけど、デザイナーさんがさらっと載せた言葉が、もうコピーすぎて、それでいきましょうみたいな。
っていう感じで決まることがとっても多かったっていうのがありましてですね。
このアートのコピーの講座の中でも、この進め方ができたからめちゃくちゃスムーズだったし、実は全部高評価をいただいたっていう。
以前受賞させていただいた賞で言うと、アサヒ広告賞とかメトロアドクリエイティブアワーみたいな、ちょっと絵が重要になってくる賞とかも、もうのきなみこの感じというかですね。
アサヒ広告賞の例で言うと、以前ちょっと入選に入れた自分たちのチーム団で、ポンジュースの広告会でありまして、これがまさに例だったんですけど。
一応作品について少しお話しすると、卒業の筒ですね。卒業の筒をモチーフにした作品で、筒がポンと抜けてるというか、っていう絵を使って、そこにポンジュースのポントでポンっていう風に置いてあって、
卒業の筒をポンって外すような状況をモチーフに作って、左側に小さくロボットコピーが置いてあって、その押さえのコピーが卒業したくない味っていうキャッチコピーなんですね。
っていう作品でアサヒ広告賞に入選をいただいたんですけども、これもですね、アイデア出しの時にビジュアルの案を僕がパワポにバーって貼りまくって、それを相方のデザイナーの竹内さんという方に見せてたんですね。
で、その一つにスライドにこの卒業の筒のフリー素材を本当に貼っただけのものっていうのをペラッと見せたのがあって、僕はそんなに引っかかってなかったんですけど、デザイナーの相方の竹内さんが、それいいですねっていう風にこの案を引っ張ってくれて、
次の打ち合わせの時に卒業したくない味っていうコピーを仮案みたいな感じで置いてくれたんですけど、それ見てもうめっちゃそれやんみたいな。その言葉を見て、これ繋がったやんみたいな。僕も、コピーライトの僕も感じてなかった。
ジャンプアップみたいなものを見たというか。で、こういう体験を経て、なんでこのフローだと成功率が高いのかっていうことを考えた時に、言葉として映えるアイデアと絵として映えるアイデアってそもそも違うじゃないですか。
そのどっちもの針の穴を通る案って、これ意外と出しづらい。意外と出てこない。っていう時に、これ実はコピーライター側が絵を考えるっていうのが、効率的に出す方法になってるんじゃないかというふうに結果を思って。
コピーだけを書くことに、最初のうち薬金になってたりとか、あるいはクリエイティブチームで作った経験が浅かったりすると、いい言葉が思いついた時に、言葉が良いんだから当然良いデザインになるはずだ、あるはずだっていうふうに思っちゃうこともある。
でもこれ実際やってみると、言葉が良くても良くならないことって往々にしてあるじゃないですか。自分はデザインがわからないうちは、デザイナーさんが良いデザインにしてくれないって感じちゃうというか、コピーライター側としては。
また、デザイナーさん側もめちゃめちゃ時間を使って作ってくれてる一方で、「これ、絵として映えさせる限界あるんだが?」みたいなふうに感じてる。でもこれ、直接言うと角が立つから言えなくて、時間も浪費するし、チームの中に不安も溜まっちゃうみたいな、負のスパイラルに陥ることも多いんじゃないかなと思って。
だから、まず言葉を担当する側が、絵として映えるかっていうフィルターをクリアできる案から考え出すことって、意外と攻め方として超効率的で、良い案を出す近道なんじゃないかなというふうに思いましたね。僕はちょっと言葉が苦手で、言葉よりも絵を考えてる時の方が楽しいんで。
楽な方に楽な方に行って逃げてただけなんですけど、結果こう態度を求めて勤勉に行き着くみたいなところにちょっと落ち着きましたね。はい、いうことなんですけど。そんな持論を持っておりまして、今の話で谷口さんの経験則はどうかなっていうことをちょっと。
僕でもまさに同じ話を一生懸命、最初の会社のクリエイティブの先輩で、先輩から言われたことがあって、全く同じ話だったなと思って。言われたのは、良いデザイナー、良いアートディレクターほどコピーにめっちゃうるさくて、良いコピーライターほどデザイナーに出してくるデザインにうるさいんだっていうことを言われていて。
それは自分が担当して、自分がどっちかの役割で入るっていうケースもそういう話の一個ですし、事業会社側にいるんで、そういうクリエイティブのチームを作ってプロデュースしてお願いをしていくってなった時にも、そこがそういうことが相互採用されて本当に良いものが生まれてるみたいな、多分そういう先輩の経験則からおっしゃってたんだろうなって思うんですけど、まさに同じ話だなと思ってて。
なんかそこが結構僕も良いチームの条件として重要だなと思っているところで、さっきのマネマさんの話ほどは、舞台の方、なぜワークするのかみたいなところまでは全然考えてなかったですけど、単純にコピーライターがコピー考えていることよりもデザイナーの視点でコピーを考えていることの方が、なんかちょっと表現に近いというかアウトプットが近いのかなと思ってて。
逆にコピーライターは自分のコピーを書いている時に結局言葉だけで伝わるものじゃないって広告物を捉えていれば、どういう絵と一緒にこの言葉が機能するかっていうことまで多分考えて言葉を書いている方が強いよねっていうことだなと思って。
そこは結構僕も意識してますし、お互いそもそもこれも僕らが話している越境しようみたいな話もこれもある意味近いかなと思って。職能にとらわれて自分の領域がここだけなんだっていうふうなコミットしかしないチームって絶対良いチームじゃないじゃないですか。
それは断言できるような気がしていて。プランナーはコピーを書いた方がいいし、デザイナーがコピーを出してもいいし、企画を出してもいいし、コピーライターがデザインを決めてもいいわけじゃないですか。
それを同じ視点で見れるチームが組めている状態っていうのが良いものを作る前提のところのセットとしてめっちゃ重要なんだろうなっていうのはずっと思ってたんで。
ちょっと話広げちゃいましたけど、そういうことも思いながら絶対あるだろうなって。これ経験則からも思ってます。
めっちゃそうですね。谷口さんの話を聞いて、まさに僕も越境の話を言おうとしてたんですけど、これデザインとコピーの話っていうところで越境をしてっていう話にしてますけど、割とそれ以外のクリエイティブに関わるあらゆる分野との越境ってめっちゃ大事だよねっていう話。
何々っぽいって結構重要ですよね。キャリアの欠片もそうだし、個人の趣味、思考、偏愛みたいなことを遠いものをどこまでこの広告ゲームの土俵に持ってこれるかが結構才能の一つっていうか、そういう感じはあるから。
僕も日常の芸術作品に触れてる時とかってもう職業病なんでたまに自分のことが嫌になる時もあるんですけど、人が見てなさそうな本とか映画とか見て、この感情は何かに使えるかもしれないぞって強引に持ってくるみたいなの。
それが多分僕のフィルターを通じて僕がいいと思ったものだけを厳選してそのステージに持ってきてなんとか料理しようとしてるんで結果的にそれって谷口っぽさみたいなことになってる気がするんですけど、そういうものがなんか自分がいいと思える価値観を形成しているものとしても自分の好きなものとかそもそも広告じゃないものからどういうエッセンスを持ってこれるかみたいなことはかなり大事で。
そこがない人ってアイデアが狭くなったりしそうだなっていうのはあるので、そこを広げる努力ではないんですけど、もう習慣化されていることが理想というか、なんかそこはすごい日々感じているとこなんで。
いろんなものが今ミックスアップできるような時代にもなってるというか。それこそこのコピーだけとかデザインだけとか企画だけみたいなところで、一つの畑で食っていくのってもう難しくなってるんだろうなっていうのは裸でも感じるというか。
やっぱりそこの掛け合わせがうまくいっている人が、自分の色とか出しつつ、ある種クリエイターが飽和している状態みたいなのが今の世の中あるかもしれないなと思う中で、呼ばれる理由にもなるというか。
例えばVR強い人とかがVRの案件で呼ばれるみたいな時って、指名できる理由があるとみんな呼びやすいじゃないですか。それって自分の中でのミックスアップ領域を超えて、自分で作って実績として発信してみたいなことをやっていかないとどうしてもできないし。
それを意外と周りもみんなが発信してて、情報がありふれてる。今だからこそ会った方がありがたいのかなって思うと、スキル面でもチャンスを掴むという面でも越境ってめっちゃ大事なんじゃないかなっていうのは今話し切って思いましたね。
確実にそういう時代ですし、そこを発掘していくことが重要なんですけど、それをベースに自分の土俵になるものが何かっていうのを見失わないでやれるかっていうのが大事な気がします。
僕は結構そのコピーっていうのが、どう足掻いても言葉をルーツに何かを考えるっていうところで、どこまで他の領域に介入できるかどうかっていうことを考えたりするんで、丸山さんは多分PRとかそこがPRのプランニング的なところが発信源だと思うんで、そこのルーツといろいろ何かを掛け算していく変数を増やしていくみたいなところはキャリアとかいいものを作る上では重要かなと思いつつ、
ちょっと話をまた戻していくと、そういう個人が越境ができるようになって、究極の形ってコピーもデザインも一人でできるようになれるっていう可能性があるじゃないですか。
なんかもう世の中見渡してみると音楽業界とかもそれすごい感じてて、これもまた話したいテーマなんですけど、平成ってバンドが売れてた時代だと思っていて、要はバンドって一つのプロジェクトの中でギター担当がいてベース担当がいてドラム担当がいてボーカル担当がいるみたいな、それで一つの集合体を成しているみたいな構造だと思うんですけど、
なんか平成後期から令和のアーティスト像って一人で何でもやれる人めっちゃ増えてるなと思って。
米津玄師もそうだし、藤井風もそうだし、バウンディもそうだし、要は一人で全部やってますみたいな、そういうマルチな才能を持った人間が活躍してるみたいなのが結構顕著に時代の変遷とともにある気がしてて、
クリエイターもそういう人でも増えてきてるじゃないですか、アートディレクションもできるけどテクノロジーも理解しますとかってなってきた時に、じゃあその最適なチームとか相方って何なんだろうみたいなのは、なんかこれから考えていかないといけない、そのスキルとしてお互いを影響するみたいなことが当たり前になってきた時に、じゃあ何がそのチームをベスト楽しめるのかみたいなところで言うと、
僕はやっぱり共通のなんか哲学を持っていることみたいなことなのかなと思っちゃうんですけど。
それめっちゃそうですね。音楽の話にちょっと添われちゃうんですけど、それなんか僕もめっちゃ思って、それこそ米津玄師とかが直撃した世代じゃないですか。ニコニコで当時活動してた時から、僕はニコチューだったので追ってたんですけど、その音楽の話においては、結構そのボーカロイドとかが出てきたのもデカいのかなって。
それこそ、音楽の中で一番タレンテッドな歌い手っていうところを代替するアイドルというか、機能が現れたという感じじゃないですか。だから割と裏方というか、後ろで編曲したりとか作曲したりとかしてる人そのものがもうタレントになることができるような、クリエイターとして一人で成立させられることができるような世の中になってきたみたいな。
そういうテクノロジー的なものが、満パワーで今までやらなきゃいけなかったものを全てカバーしてくれるみたいな話になってくるとすると、確かに僕らでいうとまさに今それがAIとかちゃんとGPTとかみたいなところになってるのかなみたいな。
確かにそれおもろいですね。広告業界におけるAIは音楽業界におけるボーカロイドみたいな。でも確かにと思いました。だからボーカロイドもまあなんかメロディーを頭で考えついても今までそれをピアノとかボーカルで表現しようと思うと自分の要は歌い手としての能力がなければできなかったことがもう鍵盤打ってデータにすればそれが美しいメロディーになって歌えるみたいな。
歌ってくれる人がいるみたいな状態って確かに僕らもデザイナーじゃないですけどある程度こういうデザインだのビジュアルだなって思ってもラフは描けるけど綺麗な絵にはできないのがもうAIが今プロンプトさえ描ければ綺麗なもの出てくるからそれマジでそうだなって思いました。
そうですよね、確かに。それもちょっと今思差あるなと思ったのが、完全に委ねることはできないじゃないですか。ボーカロイドとはいえ。それはそれなりに、米津玄師も当時歌い手を自分でやりながらボーカロイドの歌も発信してたんですよ。
ニコチューとしての見解ではボーカロイドのほうが多かったんですね。ボーカロイドのほうが実際再生回ってたし、というところからだんだん米津玄師そのものがブレイクしていくと米津玄師名義の歌がもういっぱい出てくるようになった時に、やっぱりこうなんていうかコピーライターだったらデザインの領域にもちゃんと自分で踏み込んでいくっていう手を動かしてやってみるっていう意思そのものはめちゃくちゃ重要なのかなと。
それはそうですよね。
実際僕もそれがあって、初めてこれ意外と形にしてみると絵として映えないなみたいな感覚がわかるようになってきたというか。
いわゆる言葉として映えるアイディアと絵として映えるアイディアっていうのが縁が一致しないんだっていうことを、その時に体で感じるようになった。
そういうのを考えると、やっぱりこう自分で少しだけでもフォトショーをいじってみたりとか、少しだけでもフリー素材貼り合わせて一回検証してみたりみたいな。
これってデザイナーさんに実際にこのアイディアを起こしてみてくださいっていう話をした時に、そこでシクハックするアイディアほどめちゃくちゃ作業時間を奪うじゃないですか。
どう料理したらこれなんとか形になるかなってやってもらってる、あんまりかんばしくないアイディアの時ほど、チームの時間を10時間も20時間も奪ってしまうというか。
そこの検証がコピーライター側で一瞬で終わらせられる。もちろん手を動かして絵を作る時間は使いますけども、それでも1時間とか2時間でそれをサクッと終わらせられたら、
それってチームにとってのものすごい効率化というか、クリエイティビティの圧縮になるんじゃないかみたいな。
なんか表現を見てみないと判断できないっていうことがもう傲慢になってくるっていうことだなと思って。
結構フワッとしたアイディアの状態、一回形を見てから判断したいみたいな、ディレクターの人がそういう意思表示をするとチームは一回作るってことになるじゃないですか。
でも多分一番やらなきゃいけないのはディレクターのポジションとしては、それをもう自分の脳内で想像して、上がったものも上がったベストがここまでいけるだろうっていう振り幅を自分の中で検証した上で、
いけるかどうかっていうのをちゃんとジャッジをしてチームを動かさなきゃいけない立場、ポジションなのかなと思ったときに、それがまあAIによってやりやすくなってんだろうなっていうところは思ったんで、それはそうだなと思いつつ。
あと僕もそのスキルとかは全然まだヘボオブヘボですけど、実際こうやってポッドキャストの音声も自分で編集してみたりしてますし、
ラジオCM作ってた時とか自分でも編集までやってみてたんですよ。音の調整とかさすがにプロじゃないんでできないんですけど、間の調整とか自分でナレーションも読んでみて、
仮で読んだナレーションを繋いで、どっからBGMをどのくらいの音量で流すとイメージしてるのに仕上がるかなっていう検証を自分の中でやれる範囲でやり尽くしてから現場に行って収録してやると、もうこうするものだって思ってやっていくんで、下書きを綺麗な線にしていく作業みたいになっていって、
その場でここってこうだったっけみたいな悩み始めると現場もちょっとうんってなったりするんで、そこを早めに自分の中でやっておくっていうために編集をみんなやろうってことではないんですけど、その後に起きるフェーズで手を動かさないといけない領域を自分でやれるようにしておくっていうのは結構大事なことだな。
僕はそのラジオとか編集のところを通じて思ったりしてました。Vコンとかも自分で作ったことありますし。
それはめっちゃいいですね。確かに動画編集とか音声編集とかっていうのはサクッと素人なりにやったりすることもあるんですけど、特にデザインの領域においてフォトショーをいじる機会が結構最近増えてきて、それですごい思うのが、自分でいじってるとこの工程って意外と手間かかんねえんだとかそういうことがわかるじゃないですか。
意外とこのちっこい変化を加えることって逆にめっちゃ大変なんだなみたいなことをすごく感じることがあるというか。
例えばこれ完全に素人目線でデザインちゃんとやってる人からしたらそんなことないかもしれないんですけど、
例えば背景を横に足したいみたいな時って、結構面積も広いし、昔は大掛かりの作業になるのかなと思っていうことを躊躇しちゃったりしてたんですけど、
今って意外とこの生成拡張っていうような機能があったりして、単純に線引っ張ればもう勝手にできますよね。
線引っ張って、そこを自動的にいい感じにAIが生成してくれるみたいな。カンプレベルだったらもうそれでも全然いけちゃうじゃないですか。
意外と逆に、ちょっとこの光の感じを落としたいとか、この光量の調節みたいなのってめちゃくちゃ大変というか、
ちょっとだけ暗くしたいだけなんですよねみたいな、全体でちょっとだけ暗くしてこの家を出したいだけなんですよねみたいなことをやろうとすると、意外とそれってめっちゃ大変みたいな。
一部だけでも。っていうこの小さい作業にかかる工数みたいなことの差みたいなことに気づけると、そういうギャップに気づけるようになってくると、
デザイナーさん側に対しても的確な指示じゃないですけど、こう改良するのってできますかねみたいな。
チームの時間を効率的に食わない、非効率的に食わない改良みたいなところでずっと検証が続けられるみたいな。
そういう効率化の側面もありますし、あと単純にデザイナーさんに対するリスペクトみたいなものがもう体感と沈まれる。
これってめっちゃ大事じゃないですか。
ブラックフォックスに閉じられた技術として、コピーライター側がデザイナーさんを外の人っていう目線で見ちゃうと、結局どれぐらいの作業が何の仕事にかかっているのかわからないときに、
なんでこんなに絵を描いてくるの遅いんだろうみたいなことで勝手にイライラ募らせちゃうこともあるのかなとも思うんですけど、
デザインの手作業って自分でやってみたらものすごい時間がかかるんで、逆にこれをやってもらうって大丈夫ですか?みたいな。
だからそこに対する頼むこととか、言葉一つ一つに相手とブレストしたりとか、作ることを仕分けするときにリスペクトが生まれるじゃないですか。
それって多分組んでもらった相手にとっても自然とやりやすさのベースみたいなところにめちゃくちゃ繋がってるんじゃないかなと思ったり。