1. 美想空間鯛島の『リノベの時間』
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2025-11-06 28:40

【前編】 『みかんぐみ』共同代表 竹内 昌義さん

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ゲストは、 『みかんぐみ』共同代表 竹内 昌義さんです。

1962年、神奈川県生まれ。
東京工業大学大学院修了後、1991年に竹内昌義アトリエを設立後、1995年に設計事務所「みかんぐみ」を共同設立。
2001年から東北芸術工科大学建築・環境デザイン学科准教授、2008年より同大学教授を務めている。
現在、「みかんぐみ」共同代表、エネルギーまちづくり社代表取締役、一般社団法人パッシブハウスジャパン理事。
山形エコハウス(環境省の21世紀環境共生型モデル住宅整備事業に選定)をきっかけに、環境・エネルギーに配慮した住宅を設計。紫波町オガールタウンの監修や、保育園など非住宅の高性能化、環境・エネルギーに配慮したまちづくりにも積極的に取り組んでいる。
著書に『図解 エコハウス』『原発と建築家』『あたらしい家づくりの教科書』『断熱学校』など多数。
エコやリノベーションを含めた暮らしのあり方、ただ形を考えるだけではないデザインを追求し、社会の仕組みを見直す新しい暮らし方を提案している。

 

サマリー

このエピソードでは、リノベーションにおける断熱の重要性と、みかん組の竹内正義さんの経歴や著作が取り上げられています。リノベーションの現場での実体験や自身の知識を整理しながら、新しい暮らし方について考察しています。みかん組の共同設立の経緯や建築における経験を通じての成長が語られています。特に、東日本大震災を契機に断熱の重要性に気づき、エネルギー効率の良い建築手法であるパッシブハウスに出会ったことが強調されています。竹内正義さんは断熱の重要性について述べ、快適な生活と経済的な選択肢に関する考えを共有します。また、環境やストレス軽減についても言及し、断熱の意義を深めています。

リノベーションと断熱の重要性
はい、今晩もリノベの時間をやっていきたいなというふうに思っております。
今日のテーマは、断熱です。リノベーションと断熱。
断熱はほんまにいるんかいなっていうところの話を、今日はスペシャリストの方に来ていただいているので、聞きたいなというふうに思っております。
というところで、タイトルコールいきたいと思います。
リノベの時間!
この番組は、建築土木学生向け就活総合サービス、コンキャリの提供でお送りします。
はい、こんばんは。大阪、宮崎でリノベションをやってます。美想空間鯛島です。
こんばんは。アシスタントの三浦です。よろしくお願いします。
あのー、今ね、宮崎、大阪でって言いそうになったんです。
あー、もうついに逆転。
僕、今朝宮崎からこっち来てやから、あのー、宮崎の人間ってだいぶなってるなーって。
そうですね。
ちょっとなんか変な感じでしょ。大阪と宮崎で。
ねえ、なんか、もうほとんどいないですよね、大阪。
そやね。数えたら4日とか。そんなやったんで、たぶんまあ、もう宮崎の人だよね。
宮崎は、でも九州も断熱がいるだろう説っていうのが、九州大城さんなんかよく言ってるし、
僕は断熱のことに関しては、知識はあります。施工もやります。
ただ、本当のところでどうなんていうのはもやもやしてるんで、
今日ね、スペシャリストの先生に来ていただいてるんで、聞きたいなと思っちゃいます。
竹内正義の経歴
この番組は、全国のリノベーションとまちづくりで活躍する、
多彩なクリエイターや事業家をゲストにお招きし、トークセッションでお送りする30分です。
早速、ゲストのご紹介をお願いします。
早速、本日のゲストをご紹介いたします。
みかん組共同代表、エネルギーまちづくり、まちづくり者、代表取締役、パッシブハウスジャパン理事、竹内正義さんです。
こんばんは。
こんばんは、竹内です。よろしくお願いします。
さっきちょっと話してたけど、共通の知り合いはおそらくたくさんいるだろうな、なんですが、
僕、初めましてなんでよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
一方的に存じ上げてますし、
僕の認識は断熱もなんですが、みかん組の竹内さんっていう認識も持ってまして、
なんとなく聞きたいことはですね、みかん組の話もですし、
でも断熱に関しては、さっきもちょっと話してましたが、
明確に断熱がいるを言語化して、
なるほどっていうふうに、今日はなれるのかどうなのかみたいなのをなんとなく持ってるんですよ。
すごい大変な任務を帯びてる感じがしますけど。
これが我らが拠点にしている大阪地区のクラッシュカレッジっていう建物も、
地区70年超えた、あるシーロー、学校みたいな大きさの建物なんですよ。
さっき見たら、やっぱ断熱されてなさそう。
むき出し、かっこええやんか、みたいな。
かっこいいですね。
そんなもんで、10月、11月と、だんだん冬が近づけば、寒くなってきたら、
各それぞれ、みんなが、メンバーが各自それぞれのダウンを取るっていう。
手先が冷たくなりながらタイピングしてるっていう。
そうか。寒いんですよ、日本も。
そうなんですよ。
僕らは、去年からフリーアドレスにしたので、窓側が、
みんな、誰も座らないと。
なるほどね。
っていうのとかがあったりするので、
でも社内メンバーは、もちろん建築士みんな建築メンバーなんで、
断熱しないんですか?っていう、もやもやを持ってるんですよ。
社長いないしね、会社に。
そうですね。
会社にいないから、別にあんたはいいやろっていう話ですよ。
今日は先生に、必要だよと。
僕がそうなったら、会社はあったかくなります。
そうですね。
多分、思ってるリノベーションをやってる事業者多いんちゃうかなっていうのもあるので、
そうですね。
これ、紹介いただいたスターパレス三浦さんが、
僕と話してる中で、僕が自分の家をリノベーションして、
全く断熱してないっていう話に、
それはあかんでっていうのをすごく熱く語られたが、
僕がはにゃーやったんで、
ちょっとこれも、スペシャリストぶつけるわっていうので、
直接聞けと。
自分で説明しないんだよ、三浦さん。
ふわっと聞いたんですけど、
今日に至ったっていうような経緯で、
ただですね、それの前に僕は普通に聞きたいことがたくさんあるので、
まずは、プロフィールのところのご紹介をお願いします。
はい、させていただきたいと思います。
1962年、神奈川県生まれ、東京工業大学大学院修了後、
1991年に竹内正義アトリエを設計後、
1995年に設計事務所みかん組を共同設立。
2001年から東北芸術工科大学建築環境デザイン学科純教授、
2008年より同大学教授を務めている。
現在みかん組共同代表、エネルギーまちづくり社代表取締役、
一般社団法人パッシブハウスジャパン理事、
山形エコハウスをきっかけに環境エネルギーに配慮した住宅を設計。
神奈川県小川町小川タウンの館集や保育園など、
非住宅の高性能化環境エネルギーに配慮したまちづくりにも積極的に取り組んでいる。
著書に図解エコハウス、原発と建築家、新しい家づくりの教科書、断熱学校など多数、
エコやリノベーションを含めた暮らしのあり方、ただ形を変えるだけではないデザインを追求し、
社会の仕組みを見直す新しい暮らし方を提案している。
新しい暮らし方の提案
ありがとうございます。
あれですね、今なんとなくそのルーツってこの社会の仕組みっていうところに
なんか行き着くのかな、最終的にはみたいな、なんかそんなことを思ったんですけど、
そもそもでも一番最初に大学を出て、アトリエ設計事務所。
設計事務所ワークステーションっていうね、高知の龍馬記念館作って、
それがデビュー作だった設計事務所に入れてくださいって言って入って3年くらいやっていて、
それで龍馬記念館なんで坂本龍馬が、
龍馬記念館、僕高知県生まれなんですよ。
そうなんですよ。
龍馬記念館ありますね。
ありますよね。
あれをだから、あれがすごいたくさんのコンペ490とかなんかそのくらいのコンペで取って作った会社に入ったんですよ。
一番最初に。
一番最初に、建築作るの面白いなと思ってて。
ちなみに大学自体が建築じゃないですか。
建築です。
ってことは高校の時にはもうすでに建築をイメージしていた。
やりたいなと思っていて。
きっかけって何ですか。
きっかけはね、うちの高校で体育祭があって、体育祭の時にマスゲームみたいなことを、
とにかく3クラス、縦につながった3クラスだから45人の3倍。
面白いミュージカルとは言わないけど、何分か15分くらいのイベントみたいな、
ショーみたいな。
そんなのやってるんですね。
やってるのが面白くて、
パートリーダーっていっぱいあるんですけど、
それの一番面白そうなところでも責任もあるところっていうのをやったら面白くて、
みんなでものを作るのすっげえ面白いんだなと思って。
体現はものづくりなんですか。
ものづくり。
それってソフトですよね。
バリバリソフトです。
ですよね。
理系は理系やったんですよ。
理系っていうか、だから物理系とかの方が覚えなくていいからできたんで、
理系でそういう面白そうなことできそうなのって、建築じゃんと思ったってそういう感じです。
なるほど。
だから明確に周りに大工さんがいててとか、おじいちゃんが大工さんでとかじゃなくて、
ものづくり、理系、みじか、建築みたいな。
もちろんその時断熱なんていう発想なんかないですよね。
そんなの一切ないです。
まだ出てこない。断熱いつ出てくるのかなっていう気はないですけど。
これと同じ経歴はアトリーワンの塚本さんとかもそうです。
僕の二つ下の高校の後輩なんで。
面白かったよねみたいな、そんな感じで。
それが。
こっちはちなみに神奈川県生まれるんですけど、神奈川はどこですか?
神奈川は僕鎌倉なんですけど、湘南高校っていう、その地域ではそれなりに頑張るんだけど、
文部領土って言うんですけど、540人いて、文をやってる人は上の方のこの辺の人で。
文もやってないから、でもサッカーやってたから、文とだからもうこの辺にいて。
なんだかよくわかんないけど。
高校3年になってもイベントやってたら面白かったっていうのが僕の現体験ですね。
理系、ものづくり、建築。
建築に関しては大学に入ってから、いろいろ学んだ、気づいたみたいな感じですよね。
大学出て、院出て、ちなみに院は何を研究?
院はだからデザインの研究。
まだ断熱とか性能性は全く出てこないですよね。
全然ですよね。
で、1年間その間にフランスに行けて、フランス行ってて。
大学時代に。
大学時代に。1年間行けたので。
何しにですか?
留学という名の、あんまりちゃんと勉強してないんだけど。
交換留学的な?
なんかそんな感じです。
建築を。
うちの大学の先生が向こうで展覧会やるからって言って、何人か連れて行くって言われた時に、はいはいってあげて行った感じ。
まさにですよね。ものづくり、ソフト、いいですよね。
だからそれまでは建築ってもっと頭で考えていたところがあって、
なんて言うんだろう、あんまりピンとこなかったんですけど、
なんか、ここいいじゃんみたいなところがあって、
すごいそういうのだったらできるかなと思って、建築自分でやろう。
何階の時ですか?
M1だから。
M1の時ですか。
で、行って、就職がその龍馬記念館をやった設計事務所。
設計事務所。
3年経って、よし自分でやろうみたいな。
で、辞めたらちょっと早すぎたっていう感じです。
まだ分かってないこといっぱいあるよっていう感じだった。
まあでも分からんけど、とりあえずやったらいけるかなみたいなんで、
だいたい設計事務所で独立して、一番最初って、
まあ仕事が来るもんだみたいな感じで、でもなかなか仕事も受けえへんし、来たら来たで分からんこといっぱいやしみたいな。
最初どんな人だったんですか?
みかん組の誕生
いやだから分からないことがあると、まだ勤めている設計事務所に勤めているやつのところに行って、
今日飲まない?とか言うから。
飲むのは、もちろん飲むんだけど、その前に、ちょっとさここ分かんないんだけど、これどうやってる?ってそちらの事務所ではみたいな。
ことをやっていて、ああこうなんだとか。
まあそうするとそこにやっぱり親切な先輩みたいな建築家の人がいて、いろいろ教えてくださってですね。
あと、なんかヤバいこともやるわけですよ。
しくじり先生もいっぱいあるんですけど、今日は断熱の話早く聞きたいから、ちょっと言わないけど、しくじり先生もしながらなんとか生き延びたと。
その時ももちろん断熱は、
まだまだ。
出てこないですよね。
全然出てこない。
で、僕ちょっと聞きたい、個人的なところでいくと、みかん組の始まりってどういう、共同設立なんで、
5人でコンペやりましょうと。
5人でコンペをやったユニットから始まっているみたいな感じなんですか?
そうですそうです。
で、そのコンペをやる時に、どうやらさあって言って、模型写真かっこよく撮らなきゃいけないんじゃないって話があって、
え、それプロに撮ってもらうの?みたいな。
金かかるらしいよみたいな。いくら?10万なんだよね。
え、10万払ってコンペダメだったら全くあれなんだと思って。
5人くらいでやったら2万ずつならいいんじゃないみたいな。
ああ、なるほど。それは当時の設計仲間みたいな。
だから僕は独立してて、あとはみかん組5人でやってるんですけど、
2人はご夫婦で、その人たちも設計事務所をやってて、セラビア・サシエースっていうフランス人と先輩の女性と、
そがぶさんっていう同級生と、あとは一人違う大学の人ですけど、その5人でやろうやって言って始まったんです。
ノリで始まったみたいな感じですね。
要はそのコンペをやるために、リスクヘッジ5人で2万じゃええかみたいなののために作ったのがみかん組の最初。
まだ名前何もないですけどね。
みかん組は後から来るんですか?
後から、それこそクライアントに法人化してくださいって言われて。
ああ。
っていう感じだった。
だからそのコンペは取ったってこと?
取ったんです。
だからみかん組がスタートしたみたいな。
設計事務所の活動
ちょうど、仙台メディアテイクと横浜のフェリーターミナルの間にあった、結構あんまりたくさんの人が目を止めなかったコンペだったんですよ。
NHKの中の放送局を作ったんですよ。
仙台メディアテイクのコンペとその間に出てて。
でっかい2つのコンペがあって、それにみんな目が行ってるから。
意外と空いてるぞこれみたいな。
66個です。
NHKの建物。
取ったんです。
それも5人でやってると、だんだん面白くなってきちゃったんだけど、いろんなのを毎週持ってくるんですよ。こんな風にしたら。
みんなが。
どんな感じでやったんですか?
どんな感じ?
5人のフェリーターミナルのお味噌があるわけじゃないですか。絶対こっちの方がええってとか、いやいやこっちだろうみたいな議論があるわけじゃないですか。
どれかには決めないといけないし、色もそうだろうし、それはどうやって意思決定していったんですか?
その時は。
じゃんけんとか。
そうじゃないそうじゃなくて、まずはだから毎週違う模型を持ってきた時に、誰かが前の人の、違う人の案を踏襲しながらやってくるんだけど、その人は違う模型の方が面白いと思っているから、なんとなくみんなこういうのがいいよねみたいな話になって。
だからコンペでまとまったっていうのはまとまったんだけど、立面図と断面図と平面図が全部違うとかね。
なるほど。
パネルの中で、なんか整合してないじゃんって言ってるけど、とにかく時間がないから出したっていうか。
まあええかと。
出しました、通りました、どうしようかって言って、設計やらせてくれるなら設計事務所ちゃんと作ろうよっていうのがみかん組なんです。
で、気づいたら何十年も経ったみたいな。
30周年だったんですかね。
結構いろんな人が変わってるじゃないですか。出身の、それこそリロメの時間にも出てた島田さんもそうですし、プロジェクトなんか見たら、あ、これみかん組なんやみたいな。
なんで、こういうのがみかん組だっていうよりも、いろんな色があるみたいな感じなんですかね。
そうですね、とにかくやっぱりだから、この前も若い人に聞かれたけど、続ける努力したんですかって聞かれたんですけど、みかん組を維持しなきゃと思ってたことはありますかって聞かれたんだけど、
NHKの時の経験で、案を出し合いっこしてたらすごく面白くなったっていうのがあって、いっぱいいろんな検討があっという間にできるんですよね。
一人でああでもない、こうでもないってやるとどんどん細かいところに行くんだけど、そうでもなくて、あ、こんなのもあるんだっていうその驚きみたいなものもあって、
ただやっぱりそのみんなで決めたことっていうか、これがいいよねっていう、なんていうんだろうな、差を際立たせるというよりは、何が共通でやりたいのかみたいな話を言語化していくと落ち着くわけですよ。
やっぱりその、グループでユニットでやるってうまくいかないこともあるんですよ。
いや、僕のイメージは結構その、なんかもう終わったらもう二度とせえへんみたいなところがある。
そういうイメージが結構強いんですけど。
いや経験もありますよ。
そのパターンもあるし。
そのパターンがあったからみんな学んでそのパターンだけはやめようみたいな。
何かっていうと、もういいよね、時効だよね。
4人ぐらいでやっていて、前の日になってどっちにしようかって議論してて、面白いから議論してるんだけど、まあ締め切りは来ますよね。
最後の最後になって、結構してて面白かったのに、これさ、俺の持ってきた仕事なんだけどさ、俺の言うこと聞いてくれない?って言われたんですよ。
わかります?この時の気持ち。
みんなでやろうよって言ったからやってるのに。
は?
言ったらあかんやつ?
言ったらあかんやつですよ。で、それを言われて、早く帰りたいわと思って。
模型作って、みんなで送り出して、彼は帰ってきて、あれ本当に気に入ってもらってよかったよって、次いつ打ち合わせするって言った瞬間にお前一人でやれやって、そういう感じですよ。
わかりますよね。
そういうことはしない。
そういう、これみかん組の話で終わるねやっぱり。
だめだ。
でもまだそこには断熱とかっていうよりも、設計事務所を立ち上げてやっていっているの、スタートのところじゃないですか。
で、これどこの段階で断熱に出会うんですか?
二度目の話しなくていいですか?再生計画の話とかしないで。
大丈夫ですよ。
どこの時点かというと。
なんかきっかけがあったはずですよ。
きっかけあります。東日本大震災です。
明確にそこなんですか。
明確にそこです。で、たまたまその時は、僕は年度末だったので、目黒区の現場を離れられないんですよ。
だからみんな、例えばいろんな建築家の人が現地入って大変だってやってるときに、俺が自由にできるのはツイッターだけなんです。
で、ツイッターでいろんなことが流れてきていて、簡単に言って福島第一原発やばそうだ、ベントしたぞみたいな。でも漏れてないんだみたいなことで、いろいろやってたところが一番あって。
で、すごい単純に話しますけど、なんだこれ、こんなエネルギーの話むっちゃくちゃにしやがってと思って、どこのドイツだと思って、大人のバカ野郎と思ったら、もうちょっといい加減俺も大人だわっていうのに気がついたっていう。
あれ何年前ですか、2011年?
2011年だから。
14年前くらいですかね。
14年くらい。まだ50手前くらいですよ。
大人ですよ。
ちょうど僕くらいですね、僕48、9なんで。
社会を作ってる側にもう回ってるじゃんと思ったし、そのときに実は原発の電気で作ってる、深夜電力で作ってる、このこと言っていいんか、オール電化みたいなものをお客さんにいいですよって無自覚に言っていたっていうところもあって、ちょっと反省したんです。
あ、これ関係あるわって思って。
なるほど。
いろいろあるんですけどね、他にも。
それで、ちょっといきなり断熱でもいかないじゃないですか、環境とか今作ってる建築、携わってる本筋の仕事が、これでいいのかみたいな疑問になったっていう感じですかね。
環境への関心
で、そこからどう解釈していくんですかね。
そのときにパッシブハウスっていうのに出会って、それは何かっていうとすげえ断熱してる建物なんですよ。
何かっていうと、今だいたい100ぐらい使っていいよっていうエネルギーが今年義務化されたんですけど、100じゃなくて15なんですよ。
6分の1。
で、それはドイツで考え始めたやつで、究極の換気だけのエネルギーでどこまでエネルギーを減らせるかっていう実験住宅なんです、簡単に言うと。
で、その実験住宅を作ってる人が森さん、森宮さんって、鎌倉で設計事務所やってるんですけど、その人の話を聞いて、ちょうどすごいエネルギーのかからない家作るんだよって。
じゃあちょっとそれ、たまたま補助金もらったので、作れるらしいから作りましょう、設計図書いてたらこんな厚い断熱材入れてさ。
壁すごい厚いですね。
その建物は屋根に40センチ、壁に30センチ。調子に乗って、結構お金があったからドイツからトリプル差し取り出せましたみたいな作ったんです。
で、それができてて、さっき言ってた断熱はいるんかいなっていう気持ちも半分ありながら、教えてくれるからやるかってやってたものを作ったら地震の日。
あの地震は太平洋川津波で本当に大変なことになったんですけど、我が大学のある山形県はなんてことはない、停電しただけです。3日ぐらい停電しただけなんだけど、
で、その停電してる間にその建物の温度が3月ですよ。3月だからマイナス5度から0度とかそういう時に18度から下がんなかったと。
エネルギーが全くないのに断熱してたらキープしてる。で、3月だから日差しは意外とあったかい。
断熱の重要性
日差し入ってるからその熱はちょっとは漏れてるんだけど、それでバーターしてて、なんだこれとんでもないものだな、とんでもないっていうかすげーなこれと思ったっていうのが断熱をやってみたらそうだったっていう話ですよ。
それからものすごい断熱に対する活動にグーッと寄っていくじゃないですか。ってことは、やるほうがいいかやったほうがいいかっていう議論だと、たぶんやったほうがいい。
ただ、お金もかかるし、で、例えば断熱に300万円かかりました、例えばですよ。だったら、いやこの縦具のもうちょっとこういい感じのようにしときたいとか、キッチン250万回したいとか、そういう考えもあるわけじゃないですか。
なんで、この300万をどう配分すんねんみたいなところを断熱に今持っていってるってことは。 全振りするわけじゃない。
ってことは、たぶんちゃんと先生の中では言語化されてて、だから断熱がいるんだよみたいな感じになってるんだろうなと思うんですけど、それはどんな感じなんですか。
300万、大体この話をすると、高熱比でいつも音が取れるんですかみたいな話になる。高熱比だけで考えていくと、やっぱり20年30年かかるから、そこまでしてやるんかっていう話になるんだけど、まずは僕が一番びっくりしたのは、電気とかそういうものに頼らなくてよくなる暮らし。
だから、誰かの何で発電しなきゃいけないかとか、電気必要ですよねって言ってるような話よりも、電気いらないから、自分で全部できるんだよっていうその自由みたいな方がいいなと思うし、原発みたいなおっかないものを使わなくても、その後またどんどん太陽光とか出てくるからあれですけど、
もう独立できるし、その間ずっとあったかい状態で行くから、山形の冬ってやっぱ寒いから布団から出てくるのが嫌だみたいな話になるんだけど、反省とは言わないけど、セーター着てればずっと快適な状態なんですよ。
その温度の快適な状態って、これはね、リビセンのアズノ君が言ってたんだけど、春みたいな状態ですねって言うんですよ。ストレスがない。それもだから、元が取れるまでっていうのを、ただ経済的な話だけにすると、そこまでやることないかなと思うけど、その瞬間から電気かからないし快適で健康になれて、いいじゃんこれ。
で、一方で建築をやるときに間仕切りがとか言うけど、結局何かっていうと、温度差があるから閉めなきゃいけないから、デザイナーがすごいかっこいいドア作ってたりするけど、いらなくなるんですよ。
建てる自体が。建てる自体が。だから結局何かっていうと、熱の出入りがないから、並行状態になって、ストレスがなくなるというか、とにかくやらなくていいこといっぱい出てくるわけです。空間って連続して作りたいっていうベースの思想があるじゃないですか。建築をやる人間としては。
でもさ、寒いからここにこんなガラスのかっこいいパーティション作りましたって。いくらすんだよって言ったら、それ全部断熱に回せば何もいらなくなるし、機械は壊れるんだけど断熱壊れないですよ。みたいなことをやると、結局家に1台エアコンがあればOKみたいな世界が作れるので、こっち行こうみたいな感じですね。
それってことは、単純にお金だけでもないし、エネルギーの問題もあるし、快適さの問題もあるし。
もっと広域的なところで、環境とか、多分そっちにも通じていくのかな、みたいなイメージもあったんですけど、それちょっと次回ね、来週に続き聞かせていただきましょう。
新しい広め方
はい。番組へのリクエスト、質問、感想など皆様からのメールもお待ちしております。
はい。
またアーカイブはYouTubeスタンドFM、ポッドキャストではリスニーで配信しております。これまでのゲストの方々のアーカイブも残してますので、ぜひご視聴ください。
はい。
短くなりましたね。
あ、そうなんや。ごめん、今めっちゃ油断した。
短くなりました。
あれ、この後いろいろありましたよね。
はい、あったんですけど短くなりました。
あ、なるほど。
ついに。
えっと、今油断したから。
あ、全然喋れてないなと思って。
4回やりますか。
ですね、断熱のところって、だからなんとなく諸説いろんな考え方があって、でも短期的な短距離走で走るとお金みたいな切り口になるし、
でもさっき全く僕考えてなかったストレスがないっていう話があったじゃないですか。
それはおそらく体験体感してみないとわからない話なんだろうなと思ったが、それを体感するのって結構難しいやろうなとか、進んでみないとわからないじゃないですか。
なんで多分それは新しい広め方があるんだろうなっていうイメージがあるので。
宿泊体験するといいんですか?
それは今先生本出したあるこっちの断熱学校みたいなところに話が行くのかなと思うので、これは次回聞きながら。
みかん組の話ももうちょっと聞きたくなってますけどね。
とりあえず今週は終わりというところで終わりたいなと思います。
ありがとうございます。
28:40

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