この番組は、全国のリノベーションとまちづくりで活躍する、
多彩なクリエイターや事業家をゲストにお招きし、トークセッションでお送りする30分です。
早速、ゲストのご紹介をお願いします。
早速、本日のゲストをご紹介いたします。
みかん組共同代表、エネルギーまちづくり、まちづくり者、代表取締役、パッシブハウスジャパン理事、竹内正義さんです。
こんばんは。
こんばんは、竹内です。よろしくお願いします。
さっきちょっと話してたけど、共通の知り合いはおそらくたくさんいるだろうな、なんですが、
僕、初めましてなんでよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
一方的に存じ上げてますし、
僕の認識は断熱もなんですが、みかん組の竹内さんっていう認識も持ってまして、
なんとなく聞きたいことはですね、みかん組の話もですし、
でも断熱に関しては、さっきもちょっと話してましたが、
明確に断熱がいるを言語化して、
なるほどっていうふうに、今日はなれるのかどうなのかみたいなのをなんとなく持ってるんですよ。
すごい大変な任務を帯びてる感じがしますけど。
これが我らが拠点にしている大阪地区のクラッシュカレッジっていう建物も、
地区70年超えた、あるシーロー、学校みたいな大きさの建物なんですよ。
さっき見たら、やっぱ断熱されてなさそう。
むき出し、かっこええやんか、みたいな。
かっこいいですね。
そんなもんで、10月、11月と、だんだん冬が近づけば、寒くなってきたら、
各それぞれ、みんなが、メンバーが各自それぞれのダウンを取るっていう。
手先が冷たくなりながらタイピングしてるっていう。
そうか。寒いんですよ、日本も。
そうなんですよ。
僕らは、去年からフリーアドレスにしたので、窓側が、
みんな、誰も座らないと。
なるほどね。
っていうのとかがあったりするので、
でも社内メンバーは、もちろん建築士みんな建築メンバーなんで、
断熱しないんですか?っていう、もやもやを持ってるんですよ。
社長いないしね、会社に。
そうですね。
会社にいないから、別にあんたはいいやろっていう話ですよ。
今日は先生に、必要だよと。
僕がそうなったら、会社はあったかくなります。
そうですね。
多分、思ってるリノベーションをやってる事業者多いんちゃうかなっていうのもあるので、
そうですね。
これ、紹介いただいたスターパレス三浦さんが、
僕と話してる中で、僕が自分の家をリノベーションして、
全く断熱してないっていう話に、
それはあかんでっていうのをすごく熱く語られたが、
僕がはにゃーやったんで、
ちょっとこれも、スペシャリストぶつけるわっていうので、
直接聞けと。
自分で説明しないんだよ、三浦さん。
ふわっと聞いたんですけど、
今日に至ったっていうような経緯で、
ただですね、それの前に僕は普通に聞きたいことがたくさんあるので、
まずは、プロフィールのところのご紹介をお願いします。
はい、させていただきたいと思います。
1962年、神奈川県生まれ、東京工業大学大学院修了後、
1991年に竹内正義アトリエを設計後、
1995年に設計事務所みかん組を共同設立。
2001年から東北芸術工科大学建築環境デザイン学科純教授、
2008年より同大学教授を務めている。
現在みかん組共同代表、エネルギーまちづくり社代表取締役、
一般社団法人パッシブハウスジャパン理事、
山形エコハウスをきっかけに環境エネルギーに配慮した住宅を設計。
神奈川県小川町小川タウンの館集や保育園など、
非住宅の高性能化環境エネルギーに配慮したまちづくりにも積極的に取り組んでいる。
著書に図解エコハウス、原発と建築家、新しい家づくりの教科書、断熱学校など多数、
エコやリノベーションを含めた暮らしのあり方、ただ形を変えるだけではないデザインを追求し、
社会の仕組みを見直す新しい暮らし方を提案している。
ありがとうございます。
あれですね、今なんとなくそのルーツってこの社会の仕組みっていうところに
なんか行き着くのかな、最終的にはみたいな、なんかそんなことを思ったんですけど、
そもそもでも一番最初に大学を出て、アトリエ設計事務所。
設計事務所ワークステーションっていうね、高知の龍馬記念館作って、
それがデビュー作だった設計事務所に入れてくださいって言って入って3年くらいやっていて、
それで龍馬記念館なんで坂本龍馬が、
龍馬記念館、僕高知県生まれなんですよ。
そうなんですよ。
龍馬記念館ありますね。
ありますよね。
あれをだから、あれがすごいたくさんのコンペ490とかなんかそのくらいのコンペで取って作った会社に入ったんですよ。
一番最初に。
一番最初に、建築作るの面白いなと思ってて。
ちなみに大学自体が建築じゃないですか。
建築です。
ってことは高校の時にはもうすでに建築をイメージしていた。
やりたいなと思っていて。
きっかけって何ですか。
きっかけはね、うちの高校で体育祭があって、体育祭の時にマスゲームみたいなことを、
とにかく3クラス、縦につながった3クラスだから45人の3倍。
面白いミュージカルとは言わないけど、何分か15分くらいのイベントみたいな、
ショーみたいな。
そんなのやってるんですね。
やってるのが面白くて、
パートリーダーっていっぱいあるんですけど、
それの一番面白そうなところでも責任もあるところっていうのをやったら面白くて、
みんなでものを作るのすっげえ面白いんだなと思って。
体現はものづくりなんですか。
ものづくり。
それってソフトですよね。
バリバリソフトです。
ですよね。
理系は理系やったんですよ。
理系っていうか、だから物理系とかの方が覚えなくていいからできたんで、
理系でそういう面白そうなことできそうなのって、建築じゃんと思ったってそういう感じです。
なるほど。
だから明確に周りに大工さんがいててとか、おじいちゃんが大工さんでとかじゃなくて、
ものづくり、理系、みじか、建築みたいな。
もちろんその時断熱なんていう発想なんかないですよね。
そんなの一切ないです。
まだ出てこない。断熱いつ出てくるのかなっていう気はないですけど。
これと同じ経歴はアトリーワンの塚本さんとかもそうです。
僕の二つ下の高校の後輩なんで。
面白かったよねみたいな、そんな感じで。
それが。
こっちはちなみに神奈川県生まれるんですけど、神奈川はどこですか?
神奈川は僕鎌倉なんですけど、湘南高校っていう、その地域ではそれなりに頑張るんだけど、
文部領土って言うんですけど、540人いて、文をやってる人は上の方のこの辺の人で。
文もやってないから、でもサッカーやってたから、文とだからもうこの辺にいて。
なんだかよくわかんないけど。
高校3年になってもイベントやってたら面白かったっていうのが僕の現体験ですね。
理系、ものづくり、建築。
建築に関しては大学に入ってから、いろいろ学んだ、気づいたみたいな感じですよね。
大学出て、院出て、ちなみに院は何を研究?
院はだからデザインの研究。
まだ断熱とか性能性は全く出てこないですよね。
全然ですよね。
で、1年間その間にフランスに行けて、フランス行ってて。
大学時代に。
大学時代に。1年間行けたので。
何しにですか?
留学という名の、あんまりちゃんと勉強してないんだけど。
交換留学的な?
なんかそんな感じです。
建築を。
うちの大学の先生が向こうで展覧会やるからって言って、何人か連れて行くって言われた時に、はいはいってあげて行った感じ。
まさにですよね。ものづくり、ソフト、いいですよね。
だからそれまでは建築ってもっと頭で考えていたところがあって、
なんて言うんだろう、あんまりピンとこなかったんですけど、
なんか、ここいいじゃんみたいなところがあって、
すごいそういうのだったらできるかなと思って、建築自分でやろう。
何階の時ですか?
M1だから。
M1の時ですか。
で、行って、就職がその龍馬記念館をやった設計事務所。
設計事務所。
3年経って、よし自分でやろうみたいな。
で、辞めたらちょっと早すぎたっていう感じです。
まだ分かってないこといっぱいあるよっていう感じだった。
まあでも分からんけど、とりあえずやったらいけるかなみたいなんで、
だいたい設計事務所で独立して、一番最初って、
まあ仕事が来るもんだみたいな感じで、でもなかなか仕事も受けえへんし、来たら来たで分からんこといっぱいやしみたいな。
最初どんな人だったんですか?
ちょうど、仙台メディアテイクと横浜のフェリーターミナルの間にあった、結構あんまりたくさんの人が目を止めなかったコンペだったんですよ。
NHKの中の放送局を作ったんですよ。
仙台メディアテイクのコンペとその間に出てて。
でっかい2つのコンペがあって、それにみんな目が行ってるから。
意外と空いてるぞこれみたいな。
66個です。
NHKの建物。
取ったんです。
それも5人でやってると、だんだん面白くなってきちゃったんだけど、いろんなのを毎週持ってくるんですよ。こんな風にしたら。
みんなが。
どんな感じでやったんですか?
どんな感じ?
5人のフェリーターミナルのお味噌があるわけじゃないですか。絶対こっちの方がええってとか、いやいやこっちだろうみたいな議論があるわけじゃないですか。
どれかには決めないといけないし、色もそうだろうし、それはどうやって意思決定していったんですか?
その時は。
じゃんけんとか。
そうじゃないそうじゃなくて、まずはだから毎週違う模型を持ってきた時に、誰かが前の人の、違う人の案を踏襲しながらやってくるんだけど、その人は違う模型の方が面白いと思っているから、なんとなくみんなこういうのがいいよねみたいな話になって。
だからコンペでまとまったっていうのはまとまったんだけど、立面図と断面図と平面図が全部違うとかね。
なるほど。
パネルの中で、なんか整合してないじゃんって言ってるけど、とにかく時間がないから出したっていうか。
まあええかと。
出しました、通りました、どうしようかって言って、設計やらせてくれるなら設計事務所ちゃんと作ろうよっていうのがみかん組なんです。
で、気づいたら何十年も経ったみたいな。
30周年だったんですかね。
結構いろんな人が変わってるじゃないですか。出身の、それこそリロメの時間にも出てた島田さんもそうですし、プロジェクトなんか見たら、あ、これみかん組なんやみたいな。
なんで、こういうのがみかん組だっていうよりも、いろんな色があるみたいな感じなんですかね。
そうですね、とにかくやっぱりだから、この前も若い人に聞かれたけど、続ける努力したんですかって聞かれたんですけど、みかん組を維持しなきゃと思ってたことはありますかって聞かれたんだけど、
NHKの時の経験で、案を出し合いっこしてたらすごく面白くなったっていうのがあって、いっぱいいろんな検討があっという間にできるんですよね。
一人でああでもない、こうでもないってやるとどんどん細かいところに行くんだけど、そうでもなくて、あ、こんなのもあるんだっていうその驚きみたいなものもあって、
ただやっぱりそのみんなで決めたことっていうか、これがいいよねっていう、なんていうんだろうな、差を際立たせるというよりは、何が共通でやりたいのかみたいな話を言語化していくと落ち着くわけですよ。
やっぱりその、グループでユニットでやるってうまくいかないこともあるんですよ。
いや、僕のイメージは結構その、なんかもう終わったらもう二度とせえへんみたいなところがある。
そういうイメージが結構強いんですけど。
いや経験もありますよ。
そのパターンもあるし。
そのパターンがあったからみんな学んでそのパターンだけはやめようみたいな。
何かっていうと、もういいよね、時効だよね。
4人ぐらいでやっていて、前の日になってどっちにしようかって議論してて、面白いから議論してるんだけど、まあ締め切りは来ますよね。
最後の最後になって、結構してて面白かったのに、これさ、俺の持ってきた仕事なんだけどさ、俺の言うこと聞いてくれない?って言われたんですよ。
わかります?この時の気持ち。
みんなでやろうよって言ったからやってるのに。
は?
言ったらあかんやつ?
言ったらあかんやつですよ。で、それを言われて、早く帰りたいわと思って。
模型作って、みんなで送り出して、彼は帰ってきて、あれ本当に気に入ってもらってよかったよって、次いつ打ち合わせするって言った瞬間にお前一人でやれやって、そういう感じですよ。
わかりますよね。
そういうことはしない。
そういう、これみかん組の話で終わるねやっぱり。
だめだ。
でもまだそこには断熱とかっていうよりも、設計事務所を立ち上げてやっていっているの、スタートのところじゃないですか。
で、これどこの段階で断熱に出会うんですか?
二度目の話しなくていいですか?再生計画の話とかしないで。
大丈夫ですよ。
どこの時点かというと。
なんかきっかけがあったはずですよ。
きっかけあります。東日本大震災です。
明確にそこなんですか。
明確にそこです。で、たまたまその時は、僕は年度末だったので、目黒区の現場を離れられないんですよ。
だからみんな、例えばいろんな建築家の人が現地入って大変だってやってるときに、俺が自由にできるのはツイッターだけなんです。
で、ツイッターでいろんなことが流れてきていて、簡単に言って福島第一原発やばそうだ、ベントしたぞみたいな。でも漏れてないんだみたいなことで、いろいろやってたところが一番あって。
で、すごい単純に話しますけど、なんだこれ、こんなエネルギーの話むっちゃくちゃにしやがってと思って、どこのドイツだと思って、大人のバカ野郎と思ったら、もうちょっといい加減俺も大人だわっていうのに気がついたっていう。
あれ何年前ですか、2011年?
2011年だから。
14年前くらいですかね。
14年くらい。まだ50手前くらいですよ。
大人ですよ。
ちょうど僕くらいですね、僕48、9なんで。
社会を作ってる側にもう回ってるじゃんと思ったし、そのときに実は原発の電気で作ってる、深夜電力で作ってる、このこと言っていいんか、オール電化みたいなものをお客さんにいいですよって無自覚に言っていたっていうところもあって、ちょっと反省したんです。
あ、これ関係あるわって思って。
なるほど。
いろいろあるんですけどね、他にも。
それで、ちょっといきなり断熱でもいかないじゃないですか、環境とか今作ってる建築、携わってる本筋の仕事が、これでいいのかみたいな疑問になったっていう感じですかね。