はい、今晩もリノベの時間をやっていきたいなというふうに思っております。
今日は、この業界を30年間プレイヤーとして走り続けている人が、30年リノベーションしたらこうなっちゃったっていう話をね、お届けできたらなというふうに思っております。
というところで、タイトルコール行きたいと思います。
リノベの時間!
この番組は、スタイリッシュなキッチンや鮮明なウェブ販売といえばミラタップと、建築土木学生向け就活総合サービスコンキャリーの提供でお送りします。
はい、こんばんは。大阪港区でリノベーションをやっています。美想空間鯛島です。
こんばんは。アシスタントの三浦です。
よろしくお願いします。
今日はね、良き声優という。
今日もね、始まる前にすごく気心が知れた方が来てくださるから、楽しみ歩いてましたので。
前がすでに、あれがたぶんね、ラジオちゃおうかなと思うんですよね。
なんかね。
ちょっとね、できそうですよね。ラジオっぽいやつをね、より。
そうですね、今日はね、できそう。
ただ今日はね、ゴリゴリ聞いていこうと思いますので。
はい。
この番組は全国のリノベーションと街づくりで活躍する多彩なクリエイターや事業家をゲストにお招きし、トークセッションをお送りします。
はい。
それでは早速本日のゲストをご紹介いたします。
ニューディーズ工場長、シンプルハウス取締役副社長、大畑…
ごめんなさい。
ここですね。
ごめんなさい。大畑光弘さんです。
こんにちは。
えーと、光弘さん。
光弘さんですね。
光弘さんで、よろしくお願いします。
ありがとうございます。お呼びいただきました。
今日は工場長ですよね?
そうですね。
工場長ということで呼んでいただいてます。
ニューディーズ。
工場長。
憧れの職業やったんですよね。
なんかね、工場長って誰が任命するのだろうって思うような…
自分で任命しちゃいましたね。
一人なんですけど、一人で工場長と名乗っております。
今日はね、いろいろこれ2本の過去で聞いていこうと思うので、まずはご紹介をお願いします。
はい。高校卒業後、イラスト制作の会社に勤務。
1995年よりシンプルハウスに勤務。
過去300体以上の住宅リノベーションの設計を手掛ける。
都心ならではの京商住宅の間取りの改善。
ファミリー世帯へのミニマルデザインを得意としており、現在シンプルハウスで設計コンサルティングに従事。
住宅設計の中での築きを表現する場として、2013年よりニューデイズという個人プロダクトを立ち上げ、並行して活動し、
住まいの主役になるゴミ箱チムニー政策をライフワークとしている。
そうなんですよね。これ2013年なんで、もう12年経つんですね。
12年経つんですよ。
早いですね。
あっという間に江戸の一周期を迎えまして。
江戸の一周期?
江戸の一周期。
ちょっと事前に大畑さんと僕の関係がどういったものなのかっていうのを前提しておいた上で、
今日は話をした方がいいかなと思うんですけど。
でもさっきね、もうすでにちょっとお断りされてましたよね。
なんすかなんすか。
弟は嫌だって。
もう10年以上チムニー始まる前からですから、
当時はシンプルハウスのリノベーションの一位設計プレイヤーみたいなところで、
我々が切磋琢磨して、要は競合したんですよね。
そうなんですよね。
当たるんですよ、当時。
じゃあ似てるっていう感じなんですかね。
お客さんのところに行って、当時はリクルートの雑誌で集客をしている時代があって、
その時、同じ雑誌見てるわけですよ、お客さんは。
我々が乗ってて、現地を行ってお客さんに聞いたら、
シンプルハウスさんと、あ、そうですかって言われたら、
今聞いたら大畑さんみたいな。
そうそう、大島さんが来られてたんやなっていうのをお客さんからも聞いて、
その後を僕らが測っていくみたいな時代があったんですよ。
ちなみに、別の担当、例えば成都さんとかね、行って、
いやなんか競合がシンプルハウスの大畑さんらしいんですか?
行くわ。
入って、取りに行くんやけど、2戦2敗してんのよ。
だから多分、僕どっちかっていうと、デザインっていうよりかは、
ちょっと変な感じで営業みたいなスタンスで行ってて、
大畑さんは本当に当時から、今も多分変わらずデザインの方なんですよね。
これもう経歴で知らんかったんですけど、
イラスト制作の会社に勤務したのは、これ知らなかったです。
そうですか。
はい。
あのね、1年間だけなんですけど、
絵描いてたんですか?
そうなんですよ。僕ね、一番好きなのは絵を描くことなんですよ。
絵を描くんですもんね。会社のシンプルなやつとかも全部絵を描いてますもんね。
そうそう。小さい頃から、4兄弟で全員絵がなぜか上手いんですよ。
へー。
これは遺伝としか言いようがないんですよね。
クラスで一番絵が上手い全員っていうような感じで、
特にお金もなかったんで、美大とかも行ってなかったんですけど。
お父さんお母さん何してある人やったんですか?
いや、普通に電気工事の親父は職人やってて。
電気屋さんやったんですか?
電気屋さんやったんですよ。
へー。お母さんは?
で、うちの母親はね、結構ええとこの子で、
踊りのね、日本舞踊の名取とかもやってて。
名取ってなんですか?
名取、まあ要は先生ですよ。
へー。
やってて、そのギャップもちょっとおかしい。
要素ゼロなんですね。
要素ゼロなんですよ。
ただ、戦争でちょっと死んじゃったおじいちゃんがめっちゃ絵が上手くて。
あ、覚醒院だ。なるほど。
戦地からそのうちの母親に愛葉書送ってたやつが、
まあ僕結構それ宝に持ってるんですけど。
30代で死んでなくなって。
あげられますね。
はいはい。
あの終戦の時にストーリー投げられますよね。
あれがね、見るとね、すごいんですよ。
わかるわかる。
だから、僕なんとなくその自分が絵が好きで上手いって自分で言うのもなんなんですけど。
上手だ。
なんかそれが、おじいちゃんのなんかあれかなっていうのをなんかちょっと誇りには思ってて。
描いて、絵を描く仕事に挑んだ。
イラストの仕事に行こうと思って。
どんなイラストを描く仕事だったんですか?
いやちょっとね、絵本とかのね、動物とかを描く絵柄やったんですよ。
ニッチ!
やりたいことイコールじゃないけど、こっからやろうかなみたいな感じで。
でも、一番やりたいことを職業にしたらあかんなってその時思って。
あーなるほど。
結構ねやっぱり超ブラックなんで、イラストの世界は。
まあ確かに。
今はね、変わってきてるんですよね。
まあでしょうね。
アニメーターの人たちも、やっぱりそのネットフリックスとかができて、
途中の抜かれるお金も随分ね、クリエイターの人にだいぶ回ってくるようになってきてると。
確かに、デジタル化されてますしね今。
ですよね。
当時なんかあるでしょもちろん、手描きでしょ。
手描きですよ。
ですよね。
で、それ一年間やって、時間かかる給与ももうほんと知れてる。
ちょっとこれはと思って、次に好きなのがインテリアやったんですよ。
家具ですよね。
家具屋さんに勤めようと思って。
山陣。
その時もシンプルハウスやったんです。
なるほど。
でね、ビーングかな。
あのちょっとその当時ってやっぱり、ああいうビーング覚えてるでしょ。
分かんない。
知らないでしょ。
ビーング。
中華通雑誌ですよね。
はい、ありました。
そう、あるんですよ。
ありましたよ。
もうこれでおーって言っていただいてる方いらっしゃると思うんですけど。
ビーングでシンプルハウスを見つけて行ったってことですか。
行ったんですよ。その時は結構分厚くて。
何年前ですか。
いやだから29年かな。
29年前にシンプルハウス入社。
入社。
すげえ。
しました。
で、その時はリノベーションとかそんなんじゃなくて、もうリフォームはやってたんですけど、
最大300万ぐらいの工事って、なんとすごいでかい工事なんやっていう時代で、圧倒的にお店の方が収納会社。
インテリアみたいな。
でした。
言ったら10倍ぐらいストアの方が売り上げたんじゃないかな。
だから僕も入ってからずっと、そのイメージと合調してたんですよ。
家具好きやし、ここでデザインとかそういうことにも関わっていけたらいいな。
ただ配達は結構ハードやったんですけど。
でもまあよかったな。山本の方にいろいろカーテンとかも教えてもらって。
シンプルハウス創業者ですね。
創業ですね。
今ね、社長は変わってですけど。
そうですね。
そこから20代はおおむねお店を軸にやってて、やっぱり世の中が変わっていったんですよね。
リノベーションの前のリフォームっていう。
だから僕らが入社した時は築年数まだ10年とか、そういう建物がマンション、帰宅なんですけどね。
そういうものがやっぱり20代後半ぐらいからもう第一回目のリフォーム時期を迎えたりとか、その当時収納収納ですよね。
収納がもっと欲しい、和室をちょっと半分壊してクローゼットに作りたいっていうご要望が圧倒的だったんですけど。
やっぱり設備を変えたりリフォーム大規模っていうのに30ぐらいからなってきたんですよ。
その後にリノベーション、どうもこういう大規模修繕っていうのがリノベーションだよねっていうふうに一気に印象が変わってきて。
2006、7、8、9。
教育学が9年に立ち上がってるんで、多分その辺がグググってきてて。
僕2000シンプルハウスをリクルートの当時はスーモリフォームっていう名前だったと思うんですけど雑誌が。
それでこんなかっこいい家やってる会社あんねんやって明確にロックオンしたよね。
それが2010年、11年ぐらいだと思うんですけど10年間。
うち2012年にリノベーションっていう言葉を使い出したので。
その時には一緒に雑誌にはたぶん載ってて。
結構大阪ではアート&クラフトさん、シンプルハウスさんが割と古くからやってるっていうような認識ですね。
そうですね。アート&クラフトさんは日本で一番最初にやったぐらいの歴史レジェンド会社で。
僕たちは一応後発なんだけど本当に一緒ぐらい。
走りですね。
空間を作るみたいなことに関してはほぼ一緒ぐらいの時期にやってたと思います。
天井を表してコンクリートを剥き出してこれ工事中でしかないやろっていうのが。
衣装になり。
その当時は出だしはそうですよね。
僕だって覚えてるんですけど、僕教育が入った時に小建てばっかり。
兵庫県の川西っていう山際のところで創業してるので、小建てばっかりずっとやってきたから。
まあ必須的に小建てばっかりだったんですよね。最初の事例ってほぼ小建てなんですよね。
マンションで天井を落として、当時ですよ。
言ってシンプルなトッププレイヤーになっていって、僕は思った時はそうやったんで。
30代前半にはそこに乗し上がらせていただいたんですけど。
それのきっかけっていうのが、やっぱすごい、未だにすごい先列なんですけど。
その時ってJWで線は引いてあったんですか。
JWでね、まだ引いてなかったです。
引いてなかった。
ドラフターですわ。
手書き?
手書き。だからもう、うちの今代表やってる早川が、ちょっとそういうの早いんでJWをやりだしてて、僕とかはもう。
手で書いてたんですか。
ちょっと疎いんで。
てかそもそもそんなに図面書く仕事も。
当時はね。
なかったんですよ。
部分的にね。
で、その変化のあった。
きっかけ。
きっかけっていうのがね、その20代後半にお客さんが、とあるお客さんが、女弁護士さんなんですけど、すごい面白いお客さんで。
女性の弁護士さん。
そうなんですよ。僕未だにちょっとお姉ちゃんみたいな感覚の人で。
店立ってる時に、だいたいリフォームのご要望を言われる方って、収納でしょ。スペックを手に入れたり。
こういうものを入れたいっていうものから来られるのが圧倒的やったんですけど、その方がね、今度中古マンションを買いますねって言って。
で、着てた、帰ってきて服をバサッとソファーにかけて似合うような家にしたいとか、京都の長屋の雨が似合うようなベランダにしたいとか。
ちょっと色気のある話ですね。
そうなんですよね。
で、すごいそれがね、あぁーって感じだったんですよね。
あぁーって感じだったんですね。
それ僕できますみたいな感じで。
イメージがパッと共有できたんでしょうね。
そうなんですよ。
分かるっす分かるっす。
でもそのワクワクはしたんですよ。
やりたいって思ったんですよね。
パナソニックのキュビオスを収める自分っていうのが全然ワクワクできてなかったのが、それちょっとやらせてくださいって言ってやって。
で、その当時もテカテカのものがやっぱり、撥水するものがメインで。
で、私シナベニアだらけしか使ってないんですよ。床にもシナベニアがあって。
事前にちょっとうちの兄貴の家で実験もさせてもらったんですけど。
まぁいけるやろうって。
で、その吸い込みのある家なんですよね。で、オイル仕上げ。
それがね、出来上がった時に、なんかね、やっぱりすごい歯車がガチッとハマって。
で、なぜか世の中にもむちゃくちゃ受けたんですよ。
で、リクルートにそれを載せた時に。
反響が。
そうなんですよ。
リクルート雑誌の前半戦で、弊社その辺の事例が乗り出して。
一応僕が工事させてもらったところばっかり載せてたんですけど。
プレイヤーもそんなにいなかったんで。
4人か5人ぐらいでまだやってる時なんで。
それがね、バーンといって。
あの大旗が。
あの一応。
ポンコツやった。
ポンコツやった。
スイタも入れれない大旗が、シナベニでバコーンっていったじゃないですか。
バコーンいったんですよ。
だからいまだにそのお客様に感謝してるし、
世の中の中古マンションを買ったり、ちょっといい感じにしたいねっていう要望も初めてあったんですよ。
なんかね、30前後にそういう出来事があって、
僕はリノベーションがようやく好きになったんですよ。
工事が好きになったみたいな感じですか?
そうですね。建築というものが好きになったんですよ。
インテリアから建築につながったタイミング。
そうなんですよ。
これ、建築の後、もう一回インテリアに戻る話なわけよね。
今日はシンプルハウスの副社長じゃなくて、
ニューデイズの工場長さんとして来てもらってるけど、
導入のところがね。
結構話長いんですけど。
ほんで?
ほんで、そっからリノベーションがぐーっと来る。
そういう中もそういう方々がどんどん出てきて。
多分そうなってから、僕、小松さんとおおてるんですね。
そうですね。
本当にこう、フル稼働してる時に大島さんとか。
言ったら、面白いプレイヤーが一気に30代前半の時に、
どんどん僕がね。
まだ皆さんもっと若い時に、
いやリノベーションってすごい面白いよねっていう関心の高い方が。
かつ、異業種の秋田さんとかそういう人も入ってきて。
もともとアライアンスからね。
ですよね、それで言うと。
可能性は多分あの時みんな感じたんですよ。
そうそうね。
おそらく。なんかおもろいし、ワクワクするし。
で、仕上がってるものがかっちょいじゃないですか。デザインそもそも。
デザインも材料そのままなわけですよね。
シナベニーとかね、具体そのままで、
なんかあれがかっこいいなあで、
すごい熱量あったんですよね。
今もね、そんなに落ちてるかっていうと、
それが当たり前化になってね、
効率化にもなって新しさは減ってるんですけど、
やっぱり圧倒的に新地区とかに比べてもかっこいいし、
やっぱりまだまだ、
世の中のリノベーションって何?っていう人も少なくはなってますけど。
まあ、聞かんすけどね。
地方行くじゃないですか、僕。
地方行ったら、ちょっと伝わんない時っていうのは買ったりするので、
まだ今宮崎、僕行ってるとこではリノベーの啓蒙っていうのを結構やってる。
そうですよね。
啓蒙イベントみたいなのをやったりしてるんですけど。
年代がね、ありますもんね。
で、そのリノベーが結構な熱量が集まって、
プレイヤーとして、多分大畑さんを見て、
競技会でも無印と一緒にコラボして、
設計の勉強会みたいなのを大畑さんに講師でやってもらったりだとか、
僕めっちゃ覚えてるんですよ。
説部も行ってるからね、それに。
ありがとうございます。
で、ずっとリノベーやっていったが、
その後、今、工場長になっている。
この変革がどうなっていったかのところを聞きたいですね。
ありがとうございます。
本当ね、30代の僕、中ぐらいに遠景脱毛になって、
仕事がやりすぎなんですよ。
体制が整ってないのに、会社側も仕事だけいっぱいやってくるので、
30代後半、3年ぐらい、てんてんとしてましたかね。
覆ってるときですよね。
そうですね。そんなにひどくなかったんですけど。
だからおかしかったんですね。
結構、だからおかしかった。今もおかしいんですけど。
常に何か病んでるかもしれませんけどね。
やっぱりお客さんのプレッシャーもね、世界に一つの家を作ったりとか、
言うたら一生で1回か2回かしない高短かなものを。
思いがね、残ってますもんね。
そうですね。そこに、言うたらかなり全力投球していかないとダメなんで。
それをやって30代を過ごしてたんですよね。
本当、明かり窓とかって結構当たり前じゃないですか。
内窓ね、中のね。
ひょっとしたらリノベーションってこれをつけるもんやと思ってる人とか。
なるほど。
形から思われてたりとか。
で、ああいうのも、あれね、たぶんね。
発明者は大幅だと。
怒られるかもしれないけど、あれ僕が最初にやりだしたんちゃうかな。
それぐらいやりだしてたんですよね。
大工部を、要は建築からインテリアに変えるみたいなことを。
軸はやっぱりインテリアが好きっていうところがあるんですか。
そうなんですよ。
リノベーションやってて、そこに指示されてるのも、平面レイアウト、銅線とかやっぱりとても大事にするし、
それはやっぱり未だに一番お客さんの毎日を作るんで大事にしてるんですけど、
そこからの立体方向っていうのがね、豊かさみたいなものとかに直結していくんで、
開工部ってすごい大事に、目線のラインですよね。
室内窓とか、本当にまだそんな、ほいとこぐらいですよね。
これどないしてつけるんだよみたいな。
そういう実験的なものから。
そういうものをね、ないから作るみたいなのが、割と30代前半からやってたんで。
そこがおもろく感じていた自分を感じつつ、グッと仕事めっちゃやらなあかんし、
押し殺してずっとやっていってて。
そこにリスクも感じなかったというか。
なるほど。
30代後半くらいから、やっぱり企画のものとかっていうのにある程度、
設備もオリジナルで、洗面台とかも僕ら80%、90%くらい今作ってると思うんですけど、
やっぱりゼロから作るっていう方が、空間にそれを合わすんではなくて、
人に合わせていくのがリノベーションで、やっぱり既製品を使うとそのものに合わせていくっていうことに引きずられちゃうんですよね。
それもちょっと窮屈だし、パーツとかも、結局最後パーツが空間を作ってるところもあって、ドア、ハンドルとかも。
これを自分の興味の持っているとか、これ使いたいなと思うのもだんだん減ってきたし、使い切ってきてて。
あんなのあったらいいのになっていうのが、積み重ねですよね。
積み重ねられてて、じゃあもう作ろうと。自分で作っていこうと。
シンプルハウスの中でもオリジナルで作ってたんですけど、リノベーション自体の窮屈さっていうのも1つ、項目が絡んでくるんで。
このエリアでしかね、大島さんはちょっと違うと思うんですけど。
できるエリアがね、工事エリアは決まるですね。
1時間以内ぐらいがやっぱりアフターも含めてっていうところで、やっぱりプロジェクトとかっていうことになると、
飛び道具としていろんな。
世界でも出せますしね。
世界でも飛んでいけるっていうのとかが、普通とあったものが繋がったときに、じゃあ個人でそういうものをやるのがいいのかなと。
会社という身動きがちょっと重たくなるよりは、自分でこの仕事をしながらプロダクトをやるのが、今の自分にとって最適解かなっていうので、
2013年の末に一応、ミューデイズっていうのを個人事業として立ち上げをしたんですよ。
規制品で、いわゆるメーカー商材で作ったら、空間に人が合わせないといけないみたいな話があったと思うんですけど、
その中でも、作られてる中でも割とええやんこれっていうのが、僕の中でメラタップの商品なんかなっていうのがあって。
それは本当に思います。
例えばノッポとかも規制品やけど、なんかいいじゃないですか。あれって、何がいいんですかね。デザインがいいんですかね。
これね、結構ゲスト来てもらう人といろいろ喋るんですけど。
そうですね。僕たちもね、やっぱりね、お客様の指示がスタートでもなってるんですけど、ミラタップさんは提案としても使うことが多いんですよ。
なんでか。何がええんかっていう。
あのね、洗面台とかは間違いなく、現場に合わせたものとの合致性というか、そこにそれを置くっていう、その間のところは行ってると思うんですよ。
で、設備機器も、なんでしょうね、カスタマイズ、パーソナライズとは違うんだけど、かっこいいし、混んでいいよねっていうのは。
これでいいよね。
これでいいよねっていうのは、すごい前向きなこれでいいよねで、なんかね、これは他のメーカーさんを揶揄してるわけではないんですけど、
いや、トゥーマッチであるという。
なるほど。そうだわ。ここに書いてるもんね。ミニマルデザインを得意としてってなってるから、できるだけシンプルでええんですよね。
簡便な方で。
シンプルハウスやしね、本で。
一応、振り返るとそうなんですよね。
確かにミラタップの商品は、いらんもんないですね。
いらんもんがないっていうのは、多分これからも支持されるでしょうね。それと価格とのバランスがいいんだと思います。
中間をいろいろ排除した結果、購入をするっていうスタンスであれがやってるから金額的にはいいし、デザインもシンプルだから支持されている。
そうですね。例えば、とあるショールームに行くと、オーストラリアの奥様の家をやらせていただいた時に、
ショールームは朝10時オープンから入って、ずらっとご案内される方の前に並んで行ってみたいな。で、丁寧に説明させて。
どこのメーカーですか?
いや、それは言えません。
で、やっぱり一言。トゥーマッチって言いましたね。
それもリアルトゥーマッチですね。
リアルトゥーマッチ。
オーストラリアの方が。
そう。だから、案内も含めてそこにかかるコストっていう。
あれもお金かかってますもんね。もちろんね。
そうそうそう。
確かに。
だからそれももっとこれからは省いていって、がいいと思いますね。
なるほど。ちょっとまとめると、ミラタップの商品はすっきりで価格がいい。でも確かにトゥーマッチじゃない。
そうですね。
前向きなこれでええやんっていう感じで価格が収まってる。確かにそうですね。結構回答送ったかも。
で、そのミラタップの大阪ショールームになんと今日今からね、これ後半やっと話になる、ニューデイズのチムに1号がいてる。
いてます。
ぜひちょっと大阪のショールームに見に行ってもらったら。
そうですね、リアルに見に行きたいですね。
でもね、えっと。
そっか、うちもあるんですよね。
え、うちない。
え?
俺ん家にある。
あ、俺ん家にある。僕ん家にもあるし、ダイナーにもあるね。
今日は三浦さんにお近づきの印にチムにTシャツをお持ちしております。
えー嬉しい。ありがとうございます。
5000円。商売。
3000円でいいですよ。
ディスカウント。かわいいよね。
ちょっとこのイラストが好きから着てるんですけど。
これ大阪さんが?
自分描きを?
一応描いておりまして。
すごい。
いやもうこんな厚苦しいですよね。自分の描いたものを。
あっちあっち。アーカイブYouTubeにあるんで。
かわいい。
かわいい。こういうのを作っておりまして。
で、何の知らんと買ってくださる人もいらっしゃるんですよ。
チムにというものが一つのキャラとして。
一回ね、これのちっちゃいやつとかオーストラリアの方が買っていただいて送ったりしたこともあるんですけど。
何に使われるんですかってカフェのゴミ箱でちゃんと使っていただくと回答はいただきましたけど。
そもそもチムニーがなんやねんっていうところから説明しないといけないので早く身裏に贈呈していただいてよろしいですか。
ありがとうございます。いただきました。めっちゃかわいい。
一番最初がこのチムニーですよね。
ニューレイズっていうプロダクトに行こうってなった時に何を作ろうってこれに行ったのかのところを聞きましょう。
ありがとうございます。いい振りを。
設計を10年ですよね、でもね。やってて。
大体完璧な家を作れるっていう自負までは言ってたんですけど。
絶対に快適ですよみたいな。
やっぱりその中で毎日のことにつながるゴミ箱はどういうものを置かれますかっていうのを聞きますよね、ヒアリングでね。
ほとんどの方がいやーなんですよね。何も考えてない。
特にこれを買おうとも思ってない。どこに置こうとも思ってない。
でもさっきも大沢さんが鼻をかんでます。ここにゴミ箱を置きたいよねみたいな感じの中で。
世の中世界のトレンドでゴミ箱って無意味無臭であり、本当にできれば存在私はしてませんのでみたいな。
ゴミ箱は主張する中、今ですね。
今です。端っこの方に置くものである。
なんぼシュッとしててもこれ真ん中に置きたいかっていうのはないですよね。
そこってやっぱりどうせ毎日一生の付き合い。ひょっとしたら一生の付き合いになるゴミ箱を作ればなんかサスティナブルだよね。
先々までずっと愛着持って使えるといいよね。
じゃあなんか家の真ん中に置ける家具のようなゴミ箱ってどうよ。
家の真ん中に置くってマンションではありえないけど暖炉とかのイメージってあるんですよ。
これインスパイアはそこにあるんですか。
そうなんですよ。暖炉のようなフォルム、じゃあ煙突、チムニーみたいな感じで。
僕そっちじゃなかったですよ。
チムニーで煙突、僕工場やと思って。
でも大好きなんですよ。僕のバックに完全にインダストリアルな工場とかそういうものが大好きなんで。
でアルミも大好き。煙突アルミでいろんな建築家なものを作らせてもらってるのもアルミが軸にはなってまして。
ゴミ箱っていうのが売りたいっていうよりは今もそんなに売れてるわけじゃなくて高いし一点もんで作るんで。
このニューデイズの考えの根幹にしていこうみたいな感じで今もライフワークとして作ってるって感じですね。
ニューデイズとしてはただただないものを作るっていうのも一つ。チムニーにこういうゴミ箱はないから作ろうよっていうのもあったんですけど。
やっぱりサステナブルなプロダクトにしていきたいしアルミを軸にしていこうかとか。
なんかゴミと向き合えるみたいなメッセージになるかなってちょっとだけ思ってました。
だいぶちょっとかな。
意味もね。
でもそれがスタートでゴミ箱を作って、とはいえライフワークとはいえ経済性もちゃんとやらないといけないっていうので、後からいろんな商品が出てきて、
僕うちにもたくさんあるんですよ、ニューデイズ。たぶんね、めっちゃニューデイズフリークなんですよね。
フリークでいらっしゃっていただいてます。
照明機具も何種類ある?1個、2個、3個。
ありがとうございます。
で、椅子。
Tシャツを僕2枚。
寝巻きで使ってますからね。
そうですね。
こでかけじゃないんやな。
で、FRPの紙服もね。
いろんな商品作ってるんですよ。
そうなんですよ。今も本当にオンラインショップでやってて、立ち上げの時は意義もいるなと思って、そういうのも深くは考えてやりだしたんですよね。
でも経済性と、やっぱりそもそもほんまに社会の役に立って空間を豊かにしたりとか、もっとさっきリノベーションやってて、なんか自分でワクワクできる商品を作らなあかんっていうところで、ゴミ箱で終わってたらあかんなっていうのもひとりよがりで終わりなんで、
やっぱり本当に支持されるものを作っていこうということで、FRPも大好きだったんで、70年代の宇宙とかを目指してた時の感覚がすごく大好きなんですよ。ゴミ箱も宇宙で使えるゴミ箱にしようかなと思って。
僕らTシャツそれですもんね。
そうですね。
宇宙人とか。
そうそう、だからゆくゆくはスペースシャトルの中の内装とかっていう時代が来るかもしれませんので、そこにはリノベーションじゃないかもしれへんけど、でもワクワクできるものないよねとか、いろんな会社さんのセレクトっていうのもデザインの部分ってどっかっぽいっていうのが多いんですよね。
結構ね、僕、ブルックリン帳とか大嫌いで、それを掲げてるところもすごい嫌いで、何かの世界を、アメリカの暮らしの中に日本人あうんかっていうと取ってつけたようだし、
なんかその日本の価値観の中で出てくる美意識の中でできてくるデザインをもっとゼロイチで作り、それがやっぱり一番おもろいよね。
ゴミ箱は概念として絶対面白いんですけど、形としてとかデザインとしてはやっぱり作っていかなあかんなと思って。
結局、この間、スイタの、桃山台の駅が一番近いんですかね。
あのー、仙中ですね。
仙中の方が近いんですかね。
ほとんど、行きは仙中から来ていただいた方が楽なんですよ。
仙里中央っていう駅からスイタ側に行ったところの、ほんまにマンションがバーって建ってるところの商業地域の中にすごいポツンとあるんですよね、お店が。
何回かな、4、5回行ってて、行くたびにどんどんどんどん商品が増えてるんですよ、点数が。
で、利益を出そうと思ったら、じゃあこのお皿を10個とかね、FRPは一個一個あれファイバーを貼って手で作らないといけないから、
じゃあここのやつを40個とかって発注が来たら利益が出るわけですよ。
でも、おじさん一人で40個あれ作るってそもそもできないから、たぶんお客三浦さんの家に合うこんなん作れないですかっていう一定ものを作ってるのが、一番世界に一つのものを作りたいが大幡さんですよね、きっと。
そうですね、そこの家に合うもの、そのお家に合う、その方に合うものを作るっていうのは、一番今、生きてて楽しい瞬間かもしれませんね。
だからそういう活動、実際自分のプロデザインして、商品としてオンラインで販売してて、すごくエンドユーザーさんの、日本全、たぶんね、すべての都道府県に配送しましたね。
一通りはいったな、圧倒的にやっぱ関東の方が多くて。
宮崎の僕の青島の家にはちゃんとコチムリがいますからね。
ありがとうございます、コチムリが。
そこに合うかっていうね。
コチムリを床の間に置いて、避けてポンと置いたんですよ。たまたま照明が倒れて照明がポンって当たったら、
コチムリここやわーってなって送った写真はリアクションがなかったね。ノーリアクションやったね。
ノリ。
いやいや、感動してたんですけども。
なんか今日、僕、三浦さん、大和さんとずっと知ってる人の感覚やったんですよ。
初めて会ってるのを聞いて。
もちろんお名前は存じてますし、ニューデイズという活動もしてますけど。
思ってたのとちょっと違う?思ってた通りどんな?
割とでも思ってた感じに結構近いかもですけど。
でもさっき社長が言ってたみたいな、面白いよりの感じのことをされてる感じなんかなと思ってたんで、結構割と徹学的というか。
こうあるべきやからこうっていうのを考えた上でやってはるっていうのは今は初めて知って。
これ後から言語ができてあると思うね。どっちかっていうと感覚の人だから。
たぶんそれは絶対体の中にあるから信念は曲げない。
で、やりたいことをやっていった結果、俺なんでこれやってんやろう考えたら、そうだゴミ箱、ゴミを世界中からって言った方がなんかええ感じなんだよ。
後付けは上手かもしれませんね。
でも本当、人間の判断するものって、大抵その時は言語化できてないことが多いですよね。
で、後でそうやるねみたいな感じはすごい感じますよね。
ずっとシンプルハウスで、大方30年。
30年やってます。
29年やってます。
来年30周年ですよ。
そうなんですよ。
今言ったら新入社員の子とかが、生まれる前からシンプルハウス。
新卒入ってくる子はもう。
おじいちゃん。
そうですよね。
そうなんですよね。
そのクリエイティブをずっと、だから絵も好きだし、いろんな商品作ったり、絵の具っていうテーマ作ったりだとか、いろいろやってるんですよ。
今、うち美想空間っていう会社のクリエイティブの夜打ちだしとか、どういう方向に持っていこうみたいなミューラーがやって、
今ちょっと次の、なんて言ったらいいんですかね、トレンドじゃないですけど、今どんな感じでそこってやってるんですか。
ちょっとニューで外れちゃうんですけど。
トレンドですよね。
トレンドか。
僕ちょっとね、そのトレンドは多分ね、うといと思うんですけど。
シンプルがどこを指しているか。
ちょっとニューレイズの話に戻っちゃうかもしれないけど、最近ね、チムニーは売るつもりじゃなかったのに、チムニーを買いたいっていう人が全く知らない人から出だしてて、
どうもね、その言葉尻の中にスペースエイジっていう言葉も出てくるようになってきてて。
なんすか、スペースエイジって。
スペースエイジな感じ。要はスターウォーズのような世界ですよね。
僕好きな、要は70年代の宇宙を目指してた時のちょっと世界観みたいな。
多分ね、ここからまたそのデザインとか質感とか来るんちゃうかなって。
チムニーっていう結構その雰囲気あるんで。
ちょっと分かんないけど。
デザインってクルッと回るじゃないですか。最初言ってた、一番最初にシンプルハウスのこんなかっこいい空間やってねーって出た写真は、
めっちゃパインの床に、パインの天井に、白い漆喰とか塗り壁みたいなパインやったんですよ。
白でナチュラルな感じが、当時はすごいメインやったんですよ。
気づいたら鉄、アイアン、武骨みたいな感じの時代になり、今はまた真鍮、ちょっと足は細めみたいな感じになってきてて、この次が宇宙。
ミュウラさん宇宙らしいですよ。
宇宙です。多分70年代のイームズとか、
ミッドセンチュリーな感じの。
今はイサムノグチとかもそうだし柳総理とか、
そういう曲線、アーチも非常に増えてきてますよね。開口部の。
ミュウラさんの家もアーチなかった?
アーチですよね。あれってね、建築的要素っていうよりも完全に装飾なんですよ。
だから装飾の時代に来るんかなっていう。
モールディングとかがまた戻ってくるみたいなイメージですか。
戻ってくるかもしれませんね。それが自己実現の、あんなことしたいっていうものの流れになってくるかもしれない。
結構一旦そういう落としじゃないですか。
割と出来るだけ何もない、ツルーンみたいな、幅切っちゃめない方がいいみたいな、
今度まためっちゃこっつい12cmのドーンみたいな。
上にこう見橋さんの天下がやってくるかもしれません。
三面塔でしたっけ?
三面とかね。
三面がありますよね。
なるほど、そういう風に今見えてるんですか。
そういうような気がしております。わかんないけどね。
で、チブニが全然知らん人から売れているのではなかろうか説。
なんかそういう人たちが、これ俺の空間に合うかもみたいな。
この間面白かったのがね、エイトデザインさんで今工事をやってる方が名古屋からわざわざ来ていただいて。
あ、クムネン。
それはチブニではないんですけど、照明を最初に買っていただいてた方で、なんか違う椅子とね、オニオンチェアっていうアルミの椅子と。
オニオンチェアもニューデイズのお店に、名古屋のエイトデザインっていうところでリノベーションしてるお客様がニューデイズのお店に来てくれた。
で、表札をFRPで作ってほしいっていう。
これはもう燃えるたまらん話ですね。
そうなんですよ。
これはもう70年代でしかないよねみたいな、30代のご家族なんですけど。
で、内装を見るとアメリカンヴィンテージとかそんなんじゃない?
もうやっぱりミッドセンチュリーでしたね、完全にアイテムも。
椅子好きの方とかも完全にそっちなんじゃないですか。
だから一番デザインとか室内装飾っていうのが頂点だったのがあの辺じゃないかなとは思いますよね。
僕らちょっと違う切り口を持ってて。
逆に。
さっき一番最初にだいぶ戻るんですけど、人に住宅を合わすみたいな。
いやそうだなと思う。僕ら今割とこの生き方とか、そっちこんな楽しい生き方どうでっかみたいな切り取り方をしてて。
インテリアとかデザインとかはちょっと置いといて、まず生き方みたいなところに結構深掘りしてるんですよ。
いや大事ですよね。
分かりやすく言うと具体で言うと、例えば二拠点生活なんかもそうやと思うんですよ。
そこでどんなインテリア内装にするはちょっと置いといて、そもそも2箇所で住んでええんですってみたいなのを、僕それの実験ですね、自分の実験やってるみたいな。
そうですね。
住宅の1階で自分がやりたいお店をやって上で住んでいるとかをやってええやんみたいなこんな生き方どうですかが、デザインっていうかこれ何て言うんですかね。
でもそれが一番デザインとかの前の暮らし方のところじゃないですか。現代だからできるみたいな。
もっと田島さんところはそういう大きいところをそういうことを提供できるとか視点でやられてるっていうことですよね。
そうです。
僕らのインテリアデザインとかリノベーションはその次の選択ではあると思うんで、全然違う軸であるとは思いますよね。