自己表現の大切さ
コーチングとは、自分だけの幸せ、自分だけの答えを共に探す旅。
こんにちは、プロコーチ|エグゼクティブコーチのみなべ りんです。
今日は、結構私にとっては珍しく、お昼休みに撮っています。
家で撮っています。
というのも、今日、お昼の時間というか、朝から午前中から夕方まで、家にいるのが私一人なので、結構撮りやすい。
夜6時以降になると、夫が今、出社してるんですけど、職場から帰ってきたり、息子も学校から帰ってきたり。
娘は今、まだ夏休み中なので、学校は始まってない。
9月の26日くらいだったかな。大学が始まるので、夏休みが始まるのも8月から。
夏休みの終わりも9月中か下旬ということで、一般的な中学高校とか、売りもずれてるんですよね。
なので、普段は娘はずっと家にいます。
でも今日は、大学で会った友達と京都にカフェ巡りに行くということで、出かけていきました。
でもそんなに出かけなくて、娘の話雑談的にしますと、本当ずっと家にいます。
大学1年生なのに、でも夏休み。
ある時は、大体私と娘が昼間、家に2人でいるんですけど、鳥を最近インコを飼い始めたので、娘が。
インコと戯れてるか、リビングでバチラー本とか、アマゾンプライムの好きなやつ、動画見てたりしますね。
バチラー見てる時は、この間バチラー1を見てたんですけど、一番最初のやつ。
多分5、6年前のやつだと思うんですけど、私も1回見たことあって、久保さんがバチラーの回なんですけど、
休憩でリビングに行って、娘がバチラー見てると、気になって一緒に見ちゃいますね。
このローストレミモに終わるまでちょっと見ようみたいな感じで、ちょっと勤務時間中なのに、
30分くらい一緒にバチラーの最後を見届けて、また仕事に戻ったりとか、やってました。
そんな感じで、娘は今日はカフェ巡りに行ってると。
教習所に行く日が週3日くらいあるかな。
教習所に行くって言っても、3時間くらいで帰ってくるので、他は予定なしっていう。
あとは、アルバイトはやってないので、アルバイトもやらず、あんまり友達とリアルで会うのも、
そうですね、月に数回あるかないかくらい。
スマホで何かやってる時間は多いかなって思うんですけど、ちょっと謎です。
ということでちょっと雑談はそんなところにして、
今日のタイトルは、何話してるかわかんなくなってもいいんだよっていう話をしたいと思います。
これ私自身が話してて、
例えば最近コーチングの講座を受け始めてるんですけど、
そこで練習用のセッションみたいなのをやったりもするんですけど、
問いに対して、コーチ役とクライアント役がいたとしたら、コーチが何か問いをかけて、
クライアントだったとすると、これでこうこうこうかもしれません、こういうことを思いましたとか、
自分の中に出てきた思いとか、何がそう思わせたのかとか、
ちょっと深掘りして、いろいろ話してるうちに、
今A地点にいるとして、B地点に行こうと最初思って話し始めたけど、
途中で道が逸れて、あれCって別のところに向かってる?
そもそも私Bに行きたかったつもりが、どこに行こうと思ってこの話してたんですか?みたいな。
なんか話してるうちに、何を自分が話してたのかわからなくなって、
話の流れと価値
あれすいません、そもそも質問何でしたっけ?という相手にまた聞いたりすることあるんですよね。
それって、別にいい悪いとかは全然なくて、結局、
でも終わってみて思うのは、私結局あの話をしたかったからしたんだなっていう、
そのコーチの意図としては、街が何かこう、枠組みがあってこういう風な流れで、
そのセッションを進めるのがいいかな?みたいな何か思いがあって、
そういう問いがあったと思うんですけど、その問いに答えられてなかったとしても、
結局自分が話したいことを話せたっていうことの満足感と納得感がすごいあったんですよね。
その後お互いのフィードバックで、なんかあの時最後、結局次のアクションを決めるっていうところまで行けなかったから、
ちょっと自分の中ではあれで良かったのかなって思ったんですけど、どうでしたか?っていうのを聞かれて、
私は〇〇っていうところについて言語化して整理したかった、こういうのを考えてみたかった。
考えたことなかったけど考えてみたかったことを自分で、ほとんど私が喋ってたんですけど、話せて、
自分としてはそういうのって言葉で自分で言ったことなかったから、それを話せて良かったと思ってるし、
満足してるっていうことをお伝えしたんですよね。
だからなんかこの相手が何に満足するか、何をできて良かったって思うかっていうそのポイントって、
どこに価値を感じるかのポイントって、コーチ側はコントロールできないし、すごい偶然ある問いがきっかけで、
そこをその問いに答えようとして、実は本当はなんかクリアにしたかった別のこと、話したかったこと、思いが出てきて、
それが結果的にクライアントさんにとっては価値を感じるポイントになったり、
とにかく話せただけ、聞いてもらっただけですごく満足したっていう場合もあるかもしれないし、
あんまりそこをこうしなきゃみたいなのをなく、偶然のこう、
散歩してて偶然こっちの脇道に入ったらこんな素敵な店が見つかったわとか、
本当はビーチ店に行きたかったけど、そっちには着かなかったけど、逆にCっていうもっと素敵な場所が見つかったみたいな、
そういうこともあるかなって思うので、
だから何が良いと、何話してたかわからなくなっちゃうっていうことは全然OK、話す側だったとしても聞く側だったとしても、
全然いいんじゃないかと思いますっていうお話ですね。
なんかそのシチュエーションによっては、仕事の場面とかでプレゼンテーションをして、その後の質疑でこれこれについてはどうですかみたいなところに対しては、
おそらくその人が求める質問に対する回答を適切に回答できるっていう、
質問に回答しているうちに何話しているかわからなくなりましたみたいなことはあんまりない方がいいのかなって思うんですけど、
そういうシーンじゃない普通の会話とかだと別に何話しているかわからなくなって、話しているうちにこの会話の着地点がどこに自分もどこに自分も着地したいのかわからなくなってきてますね。
そういう状況もあると思うんですけど、それもそれで、なんか前そういうことを言ってる人がいて、なんか自分も話しながらちょっとこの会話の着地点がどこに着地していいかちょっとわからなくなってますみたいな正直におっしゃってて、そういう伝え方もいいなと思ったりもしたし、
話しているうちに全然違う話が自分の中から出てきて、それを話す話してしまうということが多い人がいたとしても、それは全然いいし、そうなったらそうなったで、今そうなってますっていうことを正直に伝えたらいいのかなって思って、そんな収録をしてみました。
最後までお聞きいただきありがとうございます。ではまたバイバイ。