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アタッチメントの知識を身近な人間関係に活かす
2026-04-10 16:05

アタッチメントの知識を身近な人間関係に活かす

#アタッチメント #愛着障害
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サマリー

このポッドキャストでは、アタッチメント理論(愛着理論)を身近な人間関係に応用する方法を探求します。人間関係における「つかず離れず」の適切な距離感を保つことの重要性を説き、その鍵となる「安全基地」の概念を解説します。子供時代の経験だけでなく、現在の自分の人間関係のパターンを理解し、文脈の変化に合わせて柔軟に関係性を築き直すことの必要性を、自身の経験を交えながら考察します。また、関係性のコンフリクトを乗り越え、相手との違いを受け入れるための客観的な視点の持ち方や、テクノロジーを活用した自己分析の有効性についても触れています。

アタッチメント理論と人間関係の距離感
Reverse Diverse。アタッチメントを探求する。
はい、こんにちは、平林です。
こんにちは、イーノです。
このポッドキャスト、ちょっと寄り道しましたけれども、
もともとは、アタッチメントを探求するっていうテーマで、
アタッチメント理論とか、日本だと愛着理論っていうのかな、
について掘り下げて考えていこうっていうテーマでした。
最近ちょっと私、いろいろ考えている中で、
アタッチメントって、やっぱり要は、人間関係どうやって
築いていくかとか、維持していくかっていう話。
結局のところ、つかず離れずって日本語で言うけど、
くっつきもしすぎず、離れもしすぎずっていう関係性をどう保っていくのか。
そういう話なのかなっていうふうに思ったりしてるんですよね。
平林さんどんなふうに捉えてます?
安全基地の概念と自己理解
なんかその、よくアタッチメント理論で言われることっていうのは、
そういうちょうどいい関係を築くまでのプロセスっていうかが、
なんかその安全基地があっての、
安全基地から少しずつ離れながらみたいな子どもが、
距離を遠くにしたり近くにしたりしながら、
ここまで行っても大丈夫みたいな。
そういうふうに教わったわけですけど、
ちょっとそのあたりは、自分はもう覚えがないし。
自分の過去を振り返ってってことね。
だからもうなんて言うんですかね、自分が小さい時のことっていうのはもう戻れないし、
分からないけど、今の自分がどういうスタイルになってるか、
どういうパターンが多いか、こういう状況ではこういうパターンが多いな、
また別の状況ではこういうパターンが多いな、みたいに理解をすることで、
まあそのちょうどいい距離っていうのが、
特定の文脈というか場面では離れすぎるなとか、
違う場面ではくっつきすぎるなみたいに、
客観的に見る中でやや修正していけるのかな、みたいな。
なるほどね。今の平昭さん言ったことで、
安全基地の多様な見出し方と柔軟性
やっぱり一番アタッチメント理論において重要な概念が安全基地っていうやつですよね。
これも結構分かりにくい概念っていうか言葉だなって思うんだけど、
もちろんね、子供の場合はそれが保護者であることっていうのは圧倒的に多いんだけど、
成長していく過程の中で、どこに安全基地を見出せるかっていう話だと思うんですよね。
それを友人関係に見出すこともあれば、見出せないこともある。
その時に別のさ、学校とは違う場所での関係性に見出すこともあるだろうし、
大人になったらそれは、もしかすると一部は仕事の関係で安全基地っていうのを見出すのかもしれない。
でもそれは完璧に自分のニーズを満たしてくれる場ではないから、関係性でもないじゃないですか。
やっぱり自分自身の中で、どこなら自分は安心して自分のことを開示できるのかなとか、
自分の非常に脆弱な部分とか、見にくい部分とか、そういうものも少しずつ開示しながら、
人間関係を築いていけるのかなっていう話なのかなと思うんですよね。
最近私自身の経験としては、これまですごく安全な関係性だと思っていた上司との関係っていうのが、
これはそのいろんな経緯の中で、自分にとってはそうでもなくなってきたな、今はそうではないなっていうような感じがしたときに、
そこをゴリゴリ押して、昔の関係に戻そうっていうのではなくて、やっぱりそうではなく、今は状況の中で、
安全な関係性っていうのが自分の中で得られないのであれば、別のところにそれを見出すしかないなみたいな、
そういう柔軟性みたいなのは出てきたのかなと思うんですよね。
これまでは結構やっぱり、構築してきた関係性にちょっとこだわって、
そこでなんとか問題を解決しなきゃ、相手に理解してもらわなきゃとか、相手に納得してもらわなきゃみたいな、説得しなきゃみたいな、そういうのあったんだけど、
やっぱり全ての関係性は文脈に置かれてるから、文脈が変われば、安全になったり、そうでもなくなったりするっていうことなんだろうなっていうふうに思ったりする。
そうですね。変化するっていうか。
変化する関係性と客観的視点
それはパートナーとの関係でもそうだと思うんですよね。
婚姻関係を結んだからって言ってね、死ぬまで安全な関係がずっと続くっていうことでは全くなくて、
それぞれの、例えば子供が生まれて育っていく家庭の中でとかね、それぞれのキャリアが変わっていく中で、やっぱりその2人の関係性というのは、置かれた文脈っていうのは変わり、
それによって関係性も、より安全なものになっていくこともあるかもしれないし、そうではなくなっていくこともあるんだろうなって。
そうですね。だからそのちょっとこう、難しいというか不安定というかになってきた時には、やっぱりちょっと引いた視点で、今の自分の状況とかをモニタリングできると、
少し楽というか、どうやって自分がうまくいかないなと思っても、ちょっとそこにこだわりすぎてたかなとか、少し違う視点から見てみると、また同じ関係であっても違く見えるかもしれないですよね。
特にこれまでうまくいっていた関係性がそうじゃなくなってくる時って、もちろんいろんなことが起きているんだけれども、それぞれ見ているものが違ってくるっていうことがあって、見ているものが違うと相手の考えていることとか、想像しにくくなってくるじゃないですか。
そこで結構いろんなコンフリクトが生じるんだろうなと思っていて、もちろんそれは当然そういうもので、人間関係っていうのは。
コンフリクトが起きるからあらかじめ回避しようっていうのも極端なんだけれども、コンフリクトがあるっていうことを受け入れた上で、じゃあどうするかっていったときに取れる選択肢っていうのは複数あるんだろうなって思う。
私は今までさっき言ったように、なんか説得しなきゃいけない、わかってもらわなきゃみたいな、自分のことを説明して理解してもらいたいとか、あるいは相手の状況をもっと理解してうまい落とし所を探りたいみたいな感覚すごく強くあったんですよね。
だからある種のなんかこだわりなのかな、関係性のこだわりというかしがみつきというかね、あったと思うけど、平昭さんの言うようにちょっと距離をとってみる。今は話してもちょっと難しいかもしれないなみたいな感じで、かといって別に断絶するわけではなく、ちょっと一泊二泊をこうみたいな、そういうやり方が自分の中で可能になってきた。
それはなんか多分、いろんなことが要因としてはあるけど、このアタッチメント理論っていうのを自分なりに1月から勉強してきて、考える中で生じた変化の一つでもあるかなと。
なるほど。だから、少し引いて状況を見て観察するために必要なことは多分その、自分とその相手等を別の人間だよね。
そうね。
別の状況があるよねとか、別の視点で見てるよねとか、そこをちょっと切り離してあげる。
結構難しい時もあると思うんですけど。
頭ではね、分かってんだけどね。
頭では分かってんだけど、なんかやっぱりこう、分かってくれるよねみたいな期待が悪さをする時ってあるよね。
ありますよね。こんなに私がコミットしてきたんだからとか、こんなにやってきたんだからとか。
こんなに思ってるんだからとかね。そういうので、相手とのその乖離っていうかズレっていうのをね、受け入れられないくなっちゃうみたいなのが確かにあるよね。
それを確認しないまま、なんかちょっと放置して、ずれてないふりをして、そのままにしてるとなんかちょっと、あんまりうまくやっぱり観察はできないのかなっていう。
なるほどね。
相手との違いの尊重と平等な関係性
そうなんだよね。だからアタッチメント理論って、やっぱり最初つかず離れずの関係をどう維持していくかっていう話なのかなって言ったけど、その前提として相手と自分は異なる存在であると。
それぞれね、独立した存在であるっていうことがあって、その相手のことを尊重する。で、自分のことももちろんその尊重してね、もらうっていう。
そういう意味での平等な関係性っていうのが成り立ってないと、適切なアタッチメントっていうふうには言えないところがあるんだろうなって。過剰に相手に期待して依存しちゃったりとか、自分の起源を取ってもらおうとしたりとかね。
次は過剰に警戒して、恐れを大きくして逃げ続けちゃうみたいなね、そういうのもあるかもしれないし。
客観的分析手法とテクノロジーの活用
ちょっとポッドキャストでも話したかわかんないんですけど、インリアルアプローチっていうビデオ分析の手法で、液晶外のある子どもとその周りの大人との関係を少し客観的に捉えて、何が起きてるかっていうのを分析する手法があって。
やっぱりそういう客観的に見にくいことを見るための手法っていうのも必要なんだろうなっていうふうに。
やっぱり面と向かって話してやりとりしてるときにそれを客観的に捉えるなんてことはできないですよね。
難しいですよね。
そこは一旦録音したり、ビデオを撮ったりして、それで第三者的にそれをもう一回見返してみたら、自分の言ってることとか、自分がそのときどう感じてどう言ったか、相手はそれをどう受け止めてまたそれを返してきたかみたいな。
それはまた客観的に少し捉えることもしやすいのかなという。
今ね、テクノロジー的にはそれがすごく簡単にはできるようになったから、もうちょっと意識して取り入れてもいいかもしれないですよね。
そうですね。だからこの、我々ポッドキャストでこうやって撮ってるわけですけど、これも結構いいというか、話してそれを聞き返したりすると、
なんていうか、やっぱり自分が畳みかけたなとか、話を聞かずに別の話を始めたなとか、相手が言ってることよく聞いてないよねとか、そういうことがわかるから。
やっぱりこのテクノロジーの力、ちょっと借りて。
そういうときに、自分の中で何が起きたのかな、相手との関係性の中で何が起きたのかなっていうのを分析するんですか、インディアルは。
インディアルは、えーとね、そういうことっていうか、まずトランスクリプトを起こして、自分の発言と相手の発言を書き出しますよね。
そしたらそれぞれの発言の意図、どんな意図だったか、それと相手に伝わった意図。
それが同じである場合もあれば食い違って、ここで違う意図になったんじゃないか、それは見返してもわからないときもあるけど、でもなんかここで食い違ったよね。
そうだね。流れが変わったよねとかってあるもんね。
やっぱり関係性の中で何が起きてるのかっていうのを見てるのかな。
実際に聞いてみるわけですね。実際にそこで喋ってた人がいれば、このときどう受け取りましたかって。
やっぱりそれもあるんだね。
確認して、相手はいなかったりすると、とか知的障害があったりしたら確認できないわけですけど、
そこでその解釈をいろんな視点で、こうかもしれない、ああかもしれない、というふうに解釈の可能性を広げておくことで、
そうか、そういう見方も、そういう意図もあったのかもしれないとか、そういう受け取り方もあったのかもしれないっていうふうに、
多分捉える選択肢が少し広くなるから、同じような場面に再度。
遭遇した時に、あれと似てるぞみたいな感じで。
もしかしたらこうかもしれないから。
ちょっと引っかかりができるのか。
だからちょっと確認して聞いてみようとか。
こういう意味?って。
そうすると、その時とはちょっと違う選択肢が取れる可能性が、予知が出てくるってことだね。
今後のテーマと次回予告
はい、ということで、またちょっとね、アタッチメント理論を探求するっていうテーマに戻って、
で、次回からはちょっと、ここのところ、いろいろ見ていて気になった記事なんかも紹介して、それについて話していこうかなと思ってます。
16:05

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