他責思考の伝染に関する研究論文の紹介
Reverse Diverse。アタッチメントを探求する。
はい、こんにちは、平林です。こんにちは、イーノです。
前回、前々回と、他責思考の部下に関する記事を取り上げていまして、前回はそこから紹介されていた文献、論文について少し取り上げて掘り下げたんですけど、
今回はまた別の論文を掘り下げようということですね。
はい。これ、Fast & Tedenceっていうのかな、ちょっと読み方がわからないんですけれども、
2010年に出された論文で、ブレイムコンテージョンっていう、多責の伝染っていうふうに訳せばいいのかな。
村上さんの記事の中だと、こういうふうに紹介されてるんですよ。
南カリフォルニア大学のナサニエル・ファストラの研究では、多責は伝染しやすいと指摘している。
他人が誰かに責任をなすりつけるのを見た人は、自分自身も無意識に他人のせいにする傾向が強まるというのだ。
それだけしか書かれてなくて、この多責の連鎖っていうのが組織に悪影響を及ぼすよっていうところに行ってるんですけれども、
この論文ね、実験的社会心理学ジャーナルっていうのが、そういう雑誌で、実験結果なんだよね。
大学のこういうジャーナルに載せる実験の多くっていうのは学生が対象でしょ。
基本的には学生対象なので、実験的な特定の条件の中で分かったことが書かれてあるだけなので、ちょっとどうなのかなというふうに思いながら見てました。
もう一つ気になったのは、伝染するとして、なぜっていうところが書かれてないのが気になって。
そこが面白そうなのにね。
そうそう。で、ちょっと読んでみたんですけれども、こんなふうにね、書かれてあったんだよね。
実験内容とその結果
これ4つ実験してるんだよね。
例えばね、政治家が、他の学生が、政治家とか、他の学生、これはもう誰でもいいんだけどが、
失敗して、それを他人のせいにしているっていう記事を読むっていう実験なの。
我々の今の毎日じゃないですか。政治家が人のせいにしている記事を見る。
そうそう。その記事を読んだ被験者、学生対象だから学生なんだけど、
自ら責任を認めている記事を読んだ被験者と比べたときにどうなるか。
どうなるかはどうやって測るのか。
それはアンケート調査というか、何ていうの、回答するんだけどね。
どう振る舞いますか。
そうそう。自分の個人的な失敗を想定して、その周囲の環境とか、他人のせいにするか、自分のせいにするかっていうところを測るっていうね。
なるほど。
そういう実験なんですよね。
で、実際にこの村上さんの記事書いてあるように、誰かが自分の失敗を他人のせいにしている、つまり責任転嫁しているっていうのを目撃すると、
それを見た人も自分の全く無関係な失敗に対して多色思考になりやすいよっていうことは結果としては一応出てるのね。
だけど、じゃあ何故っていうところでしょ。
他責思考が伝染する理由の考察
私も何故のところが読みたかったので、そこを読んだんだけど、どう思います?何故だと思います?
いくつか今の話を聞いて、ちょっと口挟んでもいいですか。
いいですよ。
この間の話からすると、責任を転嫁しているのを見たら、それをするっていう傾向。
つまりさ、上司が責任を転嫁しているのを見た部下が、またそれをやってるというふうにも考えられるね。
そうそうそうそう。当然そうだよね。政治家が責任転嫁すると、市民も責任転嫁をするっていうね。
なるほど。
だからね、この多色傾向っていうのは私一番最初の回で、もっと文化的なものなんじゃないかっていうのはそれなんだよね。
日本はやっぱ無責任な人が多い。
無責任な人が多い。依存的な人が多い。これは結構コインの表裏というかね、同じようなことで。
そうですね。さっきの井野さんの質問、何故だと思いますかって言った時に、
やっぱりこの、あ、そっちでいいのね。そっちが勝ち馬ねっていうメッセージなんじゃないのか。
なるほど。
そしたら勝ち馬に乗ろう。つまりそうした方が得なんじゃないか。そうしてもいいんだ。
つまりそれを自分はしないと損をするかもしれないっていう思考なんじゃないかな。
多色傾向になる免罪負っていうのが与えられてしまうっていうことね。
まあ井野さんが言ったみたいに依存的。だから自分がそれをすることをどう倫理的にとか、自分の信念的にっていうことを考えるんじゃなくて、
どっちが勝ち馬か、どっちが正しいとされてるかに乗っかるっていうそういう思考を持っている人が多いっていうことなのかな。
じゃあ論文に何が書かれてあったかっていうと、こっちの方が多分私の理解に、確かに私の考えに近いと思うんだけど、
人が多色思考に走ってしまう理由は傷つきたくないからだって書いてあるんですよ。
つまり自分のポジティブなイメージ、自分には価値があるんだっていう感覚、これを守りたい。つまり自己防衛なんだっていうことを言ってるんだよね。
で、なんか面白いなって思ったの。実験によるとね、他者が責任逃れをしているのを見た人っていうのは、
平林さんいうように、あ、それって社会的に許されることなんだっていうふうに学習するという側面、ないわけではないんだけど、
それはあんま強くないんだって。この実験ではね、多色っていうのはやっぱり不適切な行動だっていうふうに認識してる。
でもやる。なぜやるかっていうと、他人の言い訳を見ることで、自分も自分のイメージ、自己イメージを守らなければっていうスイッチが入っちゃうんだというふうに説明してる。
そこはちょっとわかりにくいんだけど、スイッチが入って自己防衛するっていう目標が、その責任転嫁してる人の目標が伝染しちゃうっていうふうな書き方をしてて面白いなと。
自己防衛と他者コントロールの関係
なんか不思議なのは、多色してる人を見たら、自分がされるわけかもしれない。リスクが高まりますよね。
そうすると、自分はそうしないようにしよう。
例えば、100人いて何人が多色なのかによってさ、自分にもその責任を、自分の責任じゃないものを負わされるリスクっていうのが上がるじゃないですか。
私はそれ下げたいから自分はそうありたくないし、そうじゃない人が増えた方がいいなって思うんだけど、
その伝染の仕方がさ、だからその自と他のが入れ替わったときがすごい非対称だよね。
そう。で、なんで伝染しちゃうのかだよね。そこも少し示唆がなされていて、それも私のちょっと考えに近いんだけど、
なぜその多色思考の行動を見ると自分も多色思考になるのか。
違う言い方をしたら、なぜ自己防衛に走ってる人を見ると自分も自己防衛のスイッチを入れてしまうのかっていうと、
自分の価値っていうものを守ろうとするから。つまり自分の価値っていうのがないんだよ、その人の中に。
そう、だからそれを守るために他者のせいにするっていうことをしている。
すごい結構、なんとなく私は分かって、多色思考の人を見ててね、確かに攻撃している人のことを、
でも、そうしなければ自分が壊れちゃうだろうなっていうふうに思うときもあるわけよ、それを見ていてね。
だからやってるんだろうね、だから必死なんだろうなっていうふうに思うときがあるのね。
それやっぱね、自分のポジティブなイメージ、自分は間違っていない、自分は正しい側にいるっていうイメージでしかない、
それはもうある種妄想なんだけど、それを守らないとアイデンティティを保てない、自分の価値を保てないっていうことなんだよね。
それはなぜ前提するのか。
だからそれだけ多くの人が自分自身の価値っていうのを自分の中に持ってないってことです。
ああ、そういうこと。
伝染を防ぐ方法と自己肯定感
だから、どうやったら電線止められるのかっていうところもその論文の中に書かれてあるんだけれども、
自己肯定、自己肯定感を高める、そういう機会を作ったら、この電線はストップするって書いてある。
実際にやってみたんだ。
被験者に対して、あなた自身にとって最も重要な価値観はどれですか?
それを意識させるってこと?
そうそう。
いかに私たちが自分の価値観とか、そういうものを周りの環境によって容易に奪われるかっていうのかな、
容易にそこへの自信をなくしてしまうのかっていう話でもあるんだと思うんでね。
もう一回それを、自信を確認するっていうのかな、自分の価値を確認するっていう作業をさせると、その電線っていうのはしない。
言語化して認識させるっていうことかね。
そうするとこれは選ばない。
だからね、この多色思考とか多色傾向っていうのは、裏を返せば過剰な自己防衛なんだっていうことかなと。
私もそのように見てるんだよね、実は。
すごい悪い人だから、わがままな人だからそうしてるっていうふうにみんな思ってるし、そういう側面もゼロではないと思うね。
だけれども、自己防衛としてやってる。だからその人はすごく自分自身がない。
だから平林さんがピンとこないのは、菊平林さんは自己肯定感が高い。
自己肯定感とか自己効力感とか、自分は自分だっていうね、そういう感覚が強いから。
うん、切り離してるよね。人とは関係ないからね。
だと思う。容易にやっぱりそこが揺さぶられちゃう。
現代社会における他責思考の増加
で、これアメリカの研究だと思うんですよね。大学名からしてね。
私はそういうものから切り離したいから、自分のコントロール、自分のことは自分がコントロールしたい。
ってことは人はコントロールしちゃいけないっていうさ、そういう危険になるんだよ、結果に。
ね、結構大事な危険ですよね、それね。
でも多くの人は自分をコントロールするために、多席の人、自己防衛に走っちゃう人は自分をコントロールするために他者をコントロールする。
確かに連鎖だよね。
そう、他者をコントロールできているという感覚を持つことで自分自身の価値を確認してる。そういうことなのかと思うんですよ。
なるほど。それはどういうパターンのものから、最近それが増えてるわけですよね、どちらかといえば。
不安、不安みたいな。不安が高まり、被害者性の文化が高まってくることと関係してそう。
すごく流動性の高い社会にはなってるから、当然その不安も高まってくるし、文化的にね、被害者側に立つ方が倫理的な優位性を主張しやすい、それが通りやすい文化。
これは良い面もあるんだけどね、実はね、これまで被害者は弱い人っていう風に断罪されてきた文化から、ちゃんと被害者の声を聞きましょうっていう文化になったわけだけれども、
問題は実は自分が強者であるトランプとかにも関わらず、自分こそが一番の被害者だっていう風に訴えかけて、支持を集めることも可能になってしまってるっていうことなの。
不思議だよね。おかしいだろうって思っちゃうけどね。
平昭さんはさ、結構その人間の仕組みに目を向けたいみたいなところ強いけど、私はやっぱり文化とかその社会の仕組みに目を向けてきた人じゃないですか。
でも両方はさ、重なってるというかね、連動してるわけだから。
そうですね。
なんかそこが結構面白いなと思って。心理学の論文ってあんまり読んできてなかったんだけど、これまで。
意外と自分がその社会批評として考えてきたところと重なるような、あるいはそういう読み方もできるなっていう。
私結構合理的な方が好きで、だけどそういうもんでは説明のできない。
え、それおかしいよねって合理的に考えたらおかしいけど、そうかそっちから考えるとそういう風になるわけっていう、そういう面白さがありますね。
まとめと今後の展望
ということで、2本論文紹介していきました。
あ、そうですか。掘り下げると面白いのか。
そうですね。
はい。
じゃあ引き続きよろしくお願いします。