他責思考の流行と職場における問題
Reverse Diverse。アタッチメントを探求する。
はい、こんにちは、平林です。
こんにちは、イーナです。
このポッドキャストでは、最近、他責思考という考え方についていろいろ話し合ってきましたね。
考え方っていうかね、枠組み?
そう、流行ってるみたいです。いっぱい記事が出てきた。後で調べたら。
そうですか。私が見つけた以外にも?
そうそう。他責思考の新入社員とか、そういう感じ。今の若者は?みたいな記事もたくさんあったし。
最近の若者は言説の中に、最近はそれが。
そうそう。で、それをどうやって改善していくかみたいな、そういう記事もあって。
若者のせいにするな。
そうだよね。
部下のせいにもできないんじゃないの?って思うけどね。
やっぱり職場っていうのを考えたときにはさ、圧倒的に上司とか、作り出されている文化とか監修の力なんか大きいからね。
そうですね。
そこに合致しないっていうだけでさ、相手が悪いっていう風にするのも他責思考だよね。
自責思考(個人化)とカウンセリング
確かに。なんかその他責思考の話の前には、認知の歪みの話で、鬱の状態になったときに認識がこう、歪んで、自分のせい、全て自分のせいだとか、自分が悪いんだ。
個人化っていうやつね。
そういう話をしてきたんですけど、
じゃあその、体にどっちが悪いかっていうと、どちらかというと、個人化の方が自分自身を苦しめる。
鬱病の特徴的な思考の癖みたいに言われてるぐらいだから、そうかもしれないよね。
それをさ、カウンセリングを通して、変えていく。認知行動療法みたいなものでは、そこに介入していくんだと思うけど、
でもこれは別に、多責の方向に。
吹っ切っちゃうのね。
してるわけがないですよね。
そうなんじゃないかなと思うけど、私が受けたのは認知行動療法じゃないから、
精神分析的な心理療法でしょ。だからちょっと認知行動療法のことはわかんないけれども、
心理療法とかカウンセリングで何をしてるのかっていうと、特に私の場合は、
現実どうなってんの?っていう。結局その認知の歪みも、多色思考っていう認知バイアスも、
現実のある種、歪んだ解釈っていうか、偏った解釈でしかないでしょ。
でも実際現実はどうなの?っていうところに立ち戻る。
例えば、その場面についてもっとよく教えてくださいと。
その時、相手は何て言ったんですか?どんな表情してたんですか?とかさ、色々聞かれるわけだよね。
みんなって言ってますけど、誰のことですか?
そうそう、具体的に誰のことですか?何一つ答えられない。
自分のその印象、妄想だよね。
妄想だけで、そのように思い込んでるっていうことに気づいていく。
だから自分の、認知の歪みって言ってもいいし、認知バイアスって言ってもいいんだけど、
そのバイアスに気づいていくっていうのが、カウンセリングの効果の一つだと思う。
自分にはこういう癖があるんだ。
こういう癖があるってことは、こんな風に感じた時は、気をつけようとかね。
事実に立ち戻ろうとか。
私はよくだから、相手に聞いてみようっていう風になるようになった。
自分だけではね、自分の頭だけでは考えられないから。
結構それって重要ですよね。
現実に立ち戻っていくっていう、その癖。
自責と他責はどちらもバイアス
そうそう、だから自責も個人化も多責も、認知的なバイアスの一種だと思うんですよ。
うつ病になる人は、もちろん自責っていうか個人化が強くなるんだけど、
これもバイアスっていうかね。
多責もバイアスだよね。
だからどっちもあるんだと思う、人間には。
人間は常にバイアスを持ってるわけだから、どんな人にもどっちのバイアスもあるんだけど、
それがいつもいつも起きてると結構人間関係壊しちゃうし、
物事うまくいかない原因になるから、現実に立ち戻って対策を考えるとか、
原因と結果をちゃんと考えるとかさ、基礎的なことに戻らないといけない。
でもやっぱ感情がワーってなっちゃうと、そっちでもう圧倒されて、
現実に立ち戻るっていうことが難しいんだ。
自責の反対は他責ではない:合理的配慮と学校の反応
ちょっと話が違うかもしれないんですけど、思いついたこと言っていいですか?
自分のせいだって思っている、
例えば学校とかでなかなか環境が自分に合わないんだけれども、
でも自分の努力が足りないんだって思っている子に対して、
じゃあ合理的配慮を提供するっていう話を学校にしたときに、
学校側の反応として甘えだとか、それを許したら何でも人のせいにするようになるんじゃないかとか、
甘えが強調しちゃうんじゃないかみたいな話が出てきて、
それはすごい違うよねって思うのは、
だからその自責の反対が他責の方だっていうふうに誤認していて、
だから常に現実のところに戻すっていう努力をして。
管理する側にしてみれば、自責になってくれた方が楽ってことかもしれないよね。
確かに多責志向の新入社員のうんたらかんたらみたいな記事を読むと、
どうやって適切な自責をもたらすかみたいな、そういう話にはなってて、
そのバランスだとかっていうけど、どっちもバイアスだっていう話で。
現実への立ち戻りと自己防衛的ファンタジー
だから私はずっとそういう相談を受けてきて、
すごく自責の念に駆られていたり、
保護者の方で要望を出すとモンスター扱いされるとか、
むしろ学校を敵にしてしまって、
学校が悪者だから何もしてくれないんだみたいな相談を受けた時に、
それを真ん中に戻してくる、実際に何が起きてるんですかとか、
いうことに戻してくるっていうのをずっとやっていたので、
その癖が。
現実に戻すってことだよね。
ある種、妄想っていうか、
自己防衛とかファンタジーという、私が使っている
自己防衛的ファンタジーっていうふうに呼んでるんだけど、
自分の中にそういうバイアスが起きてきた時に、
それはやっぱり現実検討能力を著しく低下させて、
問題解決につながらないってわかってるので、
人間関係を真っ赤させるから、
このファンタジーはちょっと止めて、
現実をちゃんと見ようみたいな、
かなり意識してやるんですよ。
それをもっと自動化できるといいなと思うんだけど、
なかなかやっぱりそこの難しくて、
それを多分平林さんは相談の中で、
保護者とか当事者の話を聞きながらやってるって。
それでその社会モデルの視点っていうのは、
やっぱりそれに近い、真ん中に戻してくるのに。
真ん中っていうよりは多分位相が違うから、
ファンタジーの位相とファンタジーの位相からちょっと下りて、
現実の現実適応とか、
何て言うんだろうね、現実検討っていう言葉も使われたりするよね。
あるいは普通に社会適応っていうふうに、
社会学的な社会心理学とかだと使われるのかもしれないけど、
現実に戻してくるっていうのは大事だと思う。
教育現場におけるバイアスと直感
だからなんか学校の先生が、
バイアスですよね。
バイアスなんだろうなみたいなのが、
かぎ取れるんですよね。
なんか違うこと言ってるよねって。
ふわふわしてる。
例えば、具体的なことは言われないけど、
例えば学校で合理的配慮の要請があったときに、
それを帰却する理由として、
先生がやりたいと思っていること、
こっちの方が望ましいからやりたいと思っていることを言ってくる。
だけどそれは関係ないよねっていうアラートが出て、
これは関係ないぞと。
だけど初めはあんまりどう関係ないのかなっていうのが、
言語化できてないんですけど、
まず関係ないよねって思って、
直感的に思うってことなの?
そうそう。その癖が助けてくれるっていうか。
それはもう最初からあったの?そういう直感っていうのは。
それともやっぱりいろんなケースに出会う中で培われたの?
そうそう。ケースに出会う中で、
そういう話を自分に相談として持ちかけられたときに、
うーんって。
なんかパターンがあるのかしら?
そうですね。パターンがある。
パターンを捉えてる。
だから、そもそも本人の要望ですか?とか、
何を語彙力配慮ってそもそもなんだっていうところに降りてきて、
本人の要望ですか?今起きてることですか?とか、
そういう風に降りてくるっていうのは、
道筋として脳の溝みたいに掘られてて、
それとは違うよねって。
初めに出て、どう違うのかっていうのを解析して、
こう違うのかって言って相手に返すみたいな。
そういうことは相談を通してやってきたのかなって。
ファンタジーの世界と現実
よく同じような話が大体出てくるパターンとして、
教育者っていうのはこういうことをしてあげたい。
子供を指導したい。
より良くしたいみたいな気持ちがあるのは認めていて、
だけどそれが良かれと思ってどう悪さをしているのかっていうことを観察してきたので、
まずは現実何起きててっていうところに戻し、
本人の希望はっていうところに戻すっていうところをやっている中で、
自分にとってもそういう思考を日常的にするようになったのかなって。
なるほどね。
それが今の合理的な平林留美という人間を作り上げたっていう。
そうそう。それとこれ関係ないよねみたいな。
関係あるのかないのかって考えてからは関係ないよね。
でもなんかね、よく平林さんが合理的配慮とか学校の文化以外の文脈でもね、
それってファンタジーだよねってよく言ってると思うんですよ。
で、意外と人間って現実に生きてなくってファンタジーの世界に生きてるんじゃないかなって思ってて、
このバイアスも含めて、ある種ファンタジーで、
で、その世界に生きてる人の方が、というか生きてる時間の方が本当は多いのかもしれないって最近思い始めて。
だからさ、現実に降りてきて、それが辛いっていうこともあるのかもしれないですね。
そうなんだけど、だから自己防衛ってそういうことでね、
ファンタジーの適切な使用とアタッチメント
別に私はさ、多席的な人は悪い人だからダメだとかさ、一つも思ってなくって、
その前回紹介した論文なんかでもやっぱり自分が傷つきたくないから、
自分を守るために多席になるんだっていう論文紹介したじゃないですか、
あれは感覚としてすごく理解できるっていうか分かってる。
そうだよねって思うんですよ。
人間って弱いから。
だけど、だからね、ファンタジーって大事なの。一時避難場所としては。
でもそれがさ、日常生活を全部終わっちゃうと、というか大半を終わっちゃうと、
結構いろんな問題を引き起こすっていうだけの話だと思うね。
で、うつ病、うつ状態っていうのは、その具体的なあらわれの一つなんじゃないかなと思ってて。
なるほど。
だからファンタジー自体を全部消し去ればいいとは思ってないけれども、
それどこでどう使うかだよねっていう感じはしてる。
なるほど、そうですね。
じゃあ今回は、自責と多席っていうのは、一応軸の両端というふうになってるけど、
じゃあどっちかが良くて、どっちかが悪いとかいうんじゃなくて、
どっちもバイアスだっていうね。どっちもファンタジーだよね。
現実ではない。現実を捉えてるわけではない。
ちょっと次話したいこと思いつきました。
なんかそのファンタジーの話はちょっとしたいなと。
アタッチメントとかも結構ファンタジーと関連しそうだなとは思った。
確かに。なんか自分の中に刻み込んでしまうファンタジーですね。
そうで、変えられないものとしてさ、やっぱりこうパターン化されてしまうみたいな。
一回やったことあることはまたなぞってしまうみたいな。
慣れていることの方を選んでしまう。やったことないことの方が怖い。
確証バイアスみたいなね、ものですよねきっとね。
そうかも。じゃあ今回は以上にしたいと思います。
はい。